フランス新石器時代の社会構造

 古代ゲノムデータからフランス新石器時代の社会構造を推測した研究(Rivollat et al., 2023)が公表されました。古代ゲノム研究はヨーロッパにおいてとくに発展しており、親族関係や社会構造についての解明も進んでいます。本論文は、フランスの新石器時代の遺跡を対象に、大規模な家系図の復元を提示しています。これら新石器時代住民は核ゲノムでは、アナトリア半島新石器時代住民関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)80~90%程度と、ヨーロッパ西部狩猟採集民関連祖先系統10~20%程度の混合でモデル化できます。今後、日本列島も含むユーラシア東部圏でも、同規模の家系図の復元が可能となるよう、古代ゲノム研究の進展に期待しています。


●要約

 社会人類学や民族学の研究は、現存人口集団における親族関係体系や、接触と交換の交流網を報告してきました。しかし、先史時代の社会に関しては、そうした体系は生物学的遺骸および文化的遺物から間接的に研究することしかできません。安定同位体データと性別と死亡年齢は、埋葬共同体の人口構造への洞察を提供し、地域内外の子供期の痕跡を特定でき、考古遺伝学的データは、系図の再構築が可能となる個体間の生物学的関係を復元できて、それによりになり、証拠の組み合わせからは、先史時代の社会における親族関係慣行や居住パターンに関する情報が得られます。

 本論文は、紀元前4850~紀元前4500年頃となるヨーロッパ西部の新石器時代の、フランスのギュルジー(Gurgy)の「レス・ノイサッツ(les Noisats)」遺跡で出土した100人以上の人々の、古代DNAとストロンチウム同位体と出土状況のデータを報告します。この埋葬共同体は7世代にわたって、父方居住的で父系的な2つの主要な家系によって遺伝的につながっており、女性は族外婚で、近隣の遺伝的に近縁な集団との交流の証拠があります。これらの家系と関連する個体と関連しない個体の微視的な人口構造は、社会構造と生活状況と遺跡の居住に関して追加の情報を明らかにします。半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ)が存在せず、成人した全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)が多かったことから、安定した健康状態と協力的な社会交流網が存在し、これが出生率の高さと死亡率の低さを支えていた、と示唆されます。世代ごとの年齢構成の差異とストロンチウム同位体分析結果は、この遺跡が使われたのはわずか数十年間だったことを示唆しており、ヨーロッパの新石器時代における移動式の定住的農耕への新たな洞察を提供しています。


●研究史

 親族関係と生物学的近縁性は、先史時代社会では評価困難です。古代DNA手法の最適化で、ゲノム規模データの取得と同じ遺跡に埋葬された個体間の正確な遺伝的関係の再構築が今では実行可能です。考古学と人類学と同位体の記録から得られた証拠と組み合わせると、個体間の生物学的つながりに関する情報は、社会的関係理基本的要素を推測もしくは除外できる背景(親族関係組織や居住や移住のパターン)を提供できます。

 ヨーロッパ新石器時代における生物学的近縁性に関する研究は依然として稀で、これまでは、巨石記念物など特定の埋葬状況にのみ焦点が当てられており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、それは通常、高位集団もしくは個体群か集団墓地ですが(関連記事)、一般人口をより表しているかもしれない特定ではない墓地を含んでいませんでした。中期新石器時代(紀元前4700~紀元前4300年頃)のパリ盆地は、新石器時代共同体から選ばれた人々に捧げられたパッシー(Passy)現象の記念碑的な埋葬建築構造の出現でよく知られています。

 セルニー(Cerny)文化層準の埋葬遺跡であるギュルジー・「レス・ノイサッツ」は、記念碑的建築物がなく、数十の同時代の記念碑的遺跡の近くに位置しています(半径100km以内)。128個体の骨格遺骸があるギュルジーはこの地域において最大の墓地で、紀元前五千年紀と年代測定されています。埋葬は、身体の位置や向きが異なり、さまざまな文化的影響からの建築上の差異が特徴ですが、副葬品はひじょうに少なく、セルニー文化や遺跡の構成や特定の個体の選択との直接的関連の特定能力を制約します。

 全体的に、この遺跡の使用期間は、考古学的証拠に基づいて評価することはできませんでした。ギュルジーの遺跡内の構造と特徴を調べるため、適切な骨格保存状態の128個体のうち110個体の遺骸が標本抽出されて、94個体でゲノム規模の古代DNAデータが回収され、そのうち22個体は以前に刊行されていました(関連記事)。82個体の免疫遺伝子データ、99個体のミトコンドリアゲノムデータ、57個体のY染色体データも生成されました。この新たなゲノムデータを文脈化するため、57個体のストロンチウム87/86(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)比も生成され、8個体の新たな放射性炭素年代が報告されます。


●大規模な家系図

 ギュルジー個体間の生物学的近縁性を推定するため、低網羅率のデータに適しており、古代DNA研究で広く使われており、最大2親等までの近縁性を容易に検出でき、1親等の親と子供の関係と、キョウダイの関係との間を区別できる、二つの手法(READおよびlcMLkin)が用いられました。その結果は、片親性遺伝標識、つまり母系のミトコンドリアDNA(mtDNA)および父系のY染色体のハプログループ(それぞれmtHgとYHg)、死亡時年齢、遺伝的性別と組み合わされ、2~3世代にまたがる小さな最初の系図が確立され、その後じょじょにその系図は拡張され、最終的には2つの大きな系図が得られました。系図Aは7世代にわたって64個体(女性20個体と男性44個体)を、系図Bは5世代にわたって12個体(女性7個体と男性5個体)を結びつけます(図1a)。残りの18個体のうち、男性1個体には系図Aにおいて2親等の親族がいます。1親等の親族の追加の3組と、系図のどれとも密接に関連していない残りの11個体が特定されました(図1a)。以下は本論文の図1です。
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 本論文を通じて、母親/父親と息子/娘とキョウダイという用語と、男女という二元的性別の用語が、遺伝学的意味で使われます。これらの西洋の親族関係の用語である、と本論文は認識していますが、本論文では、親族関係の用語もしくは自己認識の示唆を意味していません。ギュルジー共同体においてこの意味でそうした用語が理解されたのかどうか、分かりません。最近開発された手法も用いて、補完されたデータに基づいて個体間の共有された同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の塊が分析されました。これにより、一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が50万超となる中間的な品質の古代DNAデータ(72点)について、最大4~5親等近縁性の程度の容易な推定と、直系(直接的な世代間)と非直系の子孫区別が可能です。

 IBD共有分析の結果は、復元された系図と完全に一致します。さらに、より遠いつながりが検出され(図2)、これは個体の各組み合わせを比較する外群f₃統計ヒートマップからも視覚化されました。とくに、両系図(AとB)は、GLN263とGLN298との間の3~4親等の関係を通じてつながっていますが、複数の代替可能性を考慮すると、正確な関係を推測できませんでした。残り18個体のうちキョウダイの組み合わせであるGLN211AとGLN211Bも、両方のより大きな系図(AとB)の第3世代のキョウダイとより遠い関係(3親等より遠い関係で、複数の代替可能性が生じます)でつながっています。以下は本論文の図2です。
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 最後に、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)クラス1および2ハプロタイプの使用により、各世代における両親のハプロタイプの継承が復元され、より大きな系図が再度確証され、それぞれの親の両ハプロタイプ間で、個体GLN245BとGLN267における2回の組換え事象が明らかになります。


●社会的関係と居住

 両方の系図を調べると、世代はほぼ排他的に男系を通じてつながっている、と分かりました。つまり、1個体を除いて全ての子孫は父親の系統を通じて家系につながっています。YHg-G2a2b2a1a2(末端のSNPはZ38302)は男性57個体のうち51個体で攪乱され、この集団の主要な男性系統です。系図Aには例外が一つあり、新たな系統(図1aのC)は女性(GLN325)の系統を通じてつながっています。GLN325の配偶者とその兄弟と息子と他の2人の親族ではない男性2個体はYHg-H2mで、これはデータセットで観察された唯一の他のYHgです。主要な祖先(GLN270B)の息子1個体(GLN237A)と孫息子1個体(GLN221B)が、ネクロポリス(大規模共同墓地)の最大の細い穴状遺構に埋葬されているように、系図Aの主要な家系は埋葬の特徴でも見られます(図1a)。

 系図Aでは52個体の主要な祖先であるGLN270Bは、遺跡における唯一の二次埋葬を表しており、ゲノムデータが得られなかった女性個体(GLN270A)とともに埋葬された長骨で構成されています(図1d)。系図の頂点の位置から、GLN270Bの遺骸は遺跡の居住初期に移送されて埋葬された、と示唆され、その兄弟であるGLN231Aとともに、系図Aの主要な男性の死後の祖先を表しています。たとえば、兄弟ではなく、GLN270Bと女性個体GLN270Aとの間の関連から、GLN270Aは重要で、恐らくはGLN270Bの配偶者だったか、その系統を代表する遺伝的に関連した個体だった、と示唆されます。

 個体間の物理的距離の測定により、墓の空間構成を調査すると、各父と息子の組み合わせの間で、他の親族の組み合わせよりも有意により密接な空間的近さが観察されました(図1e)。特定の父と息子のつながりを超えた空間構成のパターンは、遺伝的に密接に関連した個体のクラスタ(まとまり)に従うようです(図1a・c)。じっさい、埋葬区域の東部に分類された初期埋葬の最初の段階の後には、第4世代のキョウダイは全員、相互に近くに埋葬されました(図1a・c)。たとえば、個体GLN317のキョウダイ4個体はGLN317の西側に埋葬されたのに対して、GLN317の息子の母親はGLN317の東側に埋葬され、GLN223はとその息子の母親はGLN223の上に埋葬されました。GLN317の息子(GLN202)は恐らくその後に死亡しており、それは、GLN202がネクロポリスの別の場所に、系図Aの他の家系の者とともに埋葬され、多分この家系の最も新しい死者だったからです。

 地理情報体系を用いて、装身具やオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)など死者のものとされる数点の副葬品および装飾品の空間分布や、父系での伝達の可能性が共分析されました。しかし、恐らくは遺跡における副葬品の一般的な少なさのため、関連性は検出されませんでした。特定の身体の位置(しゃがむ/屈曲もしくは伸展)の間、側面と向きとの間、副葬品の種類と遺伝的系統の間、遺伝的「核」家族と/あるいは関係していない/親族関係にない個体との間でも、相関は見つかりませんでした。しかし、埋葬間の最小限の重複があるか重複のない空間配置から、墓は表面で見えるか印がある、と示唆され、拡張パターンから、人々は誰がどこに埋葬されたのか知っており、それに応じて系図の系統を認識していたかもしれない、と示唆されます。まとめると、個体が男系を通じてつながっている、という生物学および考古学的水準で一般的傾向が観察され、系図もしくは家系の局所的理解を示唆しているかもしれません。

 埋葬共同体の系図構造はさらに、住民の居住構成への洞察を明らかにします。2個体(GLN325とGLN288)を除いて、成人の母親は存在する(7個体)かしないかに関わらず、遺跡に埋葬された両親/祖先がいません。これは、こうした女性の外来起源を示唆します。さらに、遺跡に埋葬された女性20個体のうち6個体のみが、主要な系図AおよびBの子孫です。ギュルジーに埋葬された別の成人女性7個体は他の個体との生物学的関係がほとんどなく、IBD分析により示されるように(図2)、おもに主要な系図ではありませんでした。

 妥当な仮説の一つは、そうした女性が主要な系図の男性個体の伴侶だった、というものです。共同の子供は遺跡に埋葬されておらず、系図の他の個体を通史でつながることもありません。じっさい、成人男性17個体には遺跡に埋葬されせた子供がいませんが、そのうち13個体はどちらの主要系図と両親を通じてつながっています。この一般的パターンは、女性の族外婚と、女性が出生地からその男性の繁殖相手の居住地に移住するという、父方居住体系を示しています。このパターンと一致して、成人女性と系図との間で観察された追加のつながりは、(1)同じ共同体に由来する遠い親族の女性個体か、(2)前の世代にギュルジー共同体を去り、その後でギュルジーに戻って来た女性子孫のいる女性に起因するかもしれません。後者のシナリオは、半族体系に典型的な互恵的交換を示唆しています。

 おそらく結果として、遺跡に埋葬された成人子孫の性比は4.5:1と偏っており、男性個体が多くなっています(男性が27個体に対して女性は6個体)。対照的に、未成年子孫における性比1.06:1(男性が19個体に対して女性は18個体)は、誕生時の自然な予測比(1.05:1)と一致し、未成年人口に影響を及ぼす性別の偏った文化的慣行は除外されます。未成年の大半(34個体)は15歳未満で、そのほとんどは8歳未満となり(27個体)、両性の割合は同じです。より若い年齢とより上の年齢との間の違いから、15歳くらいより上のより年長の娘は新たな集団に加わるために去った、と示唆され、再度女性族外婚居住体系と一致します。

 ギュルジーに残った成人女性系統6個体のうち4個体(GLN212とGLN213とGLN277とGLN289B)については生殖年齢、に達していたとしても、遺跡では子孫が特定できませんでした。女性族外婚は厳格に行なわれていなかったかもしれず、或いは、これらの系統の娘は、(系図につながるような子孫のいなかった)親族ではない成人男性の配偶者だったかもしれません。これは、厳格な父方居住と女性族外婚の過程をさらに複雑にするシナリオです。これらの女性が共同体に留まった別の理由は、不明なままです。

 この文脈で、遺伝的に外来の出自の女性は、その配偶者の埋葬区域に統合される傾向がある、と観察され、これは主人集団への社会的統合を示唆しています(図1a)。しかし、ギュルジーにおいて埋葬された子孫を明らかに有していた全系図にわたって観察された42組の配偶関係を考慮すると、そこに埋葬されたのが、父親20個体に対して、母親が9個体と少ないことに、本論文は気づきました。この不均衡は成人埋葬の合計数でも観察され(男性が38個体に対して女性は20個体)、成人男性は埋葬される可能性が成人女性の2倍高かった、と示唆されます。したがって、女性族外婚とは独立して、埋葬における性別偏り可能性が観察されました。これは、こうした母親のための異なる葬儀慣行か、配偶者集団との共同埋葬を減ずる他の社会的要因により説明できるかもしれません。

 個体の移動性に関する独立した情報を得るため、57個体にレーザー除去を用いてストロンチウム同位体分析(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)が実行されました(図3)。遺跡における親族関係のない成人女性と両親のいない一部女性は、同じ世代の男性個体と比較して、より低い⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示します(図3)。地質学的参照図では具体的な地理的起源を推測できませんが、この調査結果は、これらの女性がギュルジー共同体に加わる前に異なる場所で成長した、というさらなる証拠を提供します。骨で測定された、刊行された安定同位体データ(炭素と窒素と硫黄)は、成人における有意な性別の偏った食性区分を浮き彫りにします。平均的に、男性個体は女性個体より高い炭素13(δ¹³C)と窒素15(δ¹⁵N)を示しており、これは性別による分離を反映しているかもしれませんが、女性の移動性を反映している可能性もあります。

 未成年の遺伝的性別決定により、子供期におけるこの違いの確証が可能となり、この違いは、社会的規則により決定された、特定の年齢における性別と関連した差別的扱いにより説明できるかもしれません。とくに、ギュルジーにおける葬儀慣行は、子供がさまざまな種類の副葬品とともに埋葬される7~8歳頃の変化と、成人と同じ副葬品と関連している15~16歳頃の別の変化を示しており、地域的な年齢段階もしくは他の社会的閾値を反映しているかもしれません。このパターンは以前に、フランスの北半の他の新石器時代遺跡で観察されました。以下は本論文の図3です。
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 ギュルジー集団において推定される父方居住パターンは、成人女性の【男性と比較しての相対的な】少なさにも関わらず、ミトコンドリアが多様であることも説明します(35の異なるmtHgが99個体で確認されます)。じっさい、娘/息子1世代を超えて伝わったmtHgはなく、各世代に入ってきた母親は新たなmtDNA系統に寄与しており、例外は1世代以上にわたったその主要な系統を伝えた個体GLN325の女性子孫だけです。全ての外来女性個体間の類似性調査により、女性個体は3もしくは4親等の親族の2組を除いて密接な親族関係ではない、と論証されます。さらに、ギュルジー集団内のこの女性の多様性は、遺跡で観察された全体的な表現型の差異も説明できるかもしれません。まとめると、これらの結果から、ギュルジー共同体は、さまざまな集団の特徴(たとえば、人口規模や資源の入手や交流網の地位)もしくは帰属意識(たとえば、言語もしくは文化の類似性)に駆動されたかもしれない女性族外婚のかなり明確なパターンを維持していた、と示唆されます。

 近親婚に典型的な長い同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の欠如は、密接な親族関係の個体間の回避を確証し、例外は1個体(GLN282)だけで、そのROHの量は2もしくは3親等の親族間の結婚と一致します。IBD共有からも、系図Aの個体群は復元された系図内だけのつながりから予測されるよりも多くの親族関係がある、と明らかになります。これは、(標本抽出されなかった)母系を通じての追加の親族があった場合にのみ説明できます。本論文の事例では、一部の母親は恐らく、数世代しか離れていない同じ外部集団の出身で、系図のさまざまな枝を結びつけるでしょう。たとえば、キョウダイのGLN243AとGLN268BはGLN315と同じmtHg-H1および3親等の関係に典型的なIBD共有を有していますが、GLN315は外来女性個体です。これらは、GLN315とGLN243AおよびGLN268Bの不明の母親はとの間の2親等の関係として解釈されます。女系を通じてのこれら追加のつながりは、同じ供給源集団の(遠い)親族関係の女性との時たまの結婚を含む、他集団との関係の交流網を示唆しています。このパターンは、背景となる親族関係の多様性維持、および密接な親族間の近親婚回避に充分なほど巨大化多様である人類の禁忌の交流網内にも関わらず、一部の集団間の優先的なつながりもしくは依存を示唆します。

 イングランドの新石器時代後期の長い石塚で得られた最近の調査結果(関連記事)とは対照的に、全標本における半キョウダイ(両親の一方のみが同じのキョウダイ)顕著な欠如から、集団の社会構成についてのさらなる洞察を得ることができます。これは、一夫多妻の生殖結合が一般的ではなかったか、恐らくは社会的に禁止されていたか、あるいはそうした結婚で生まれた子供の埋葬が他の場所で行なわれていたことを示唆しています。同様に、女性が死亡した夫の兄弟と再婚するレビレート婚(逆縁婚)、および男性が妻の姉妹と再婚する女性ソロレート婚を含む連続的な一夫一婦制が稀だったことも示唆されます。たとえば、先史時代における、(女性個体にとっての)出産時における合併症からの死亡危険性増加や、紛争の可能性や、疾患など、男女の性別比の不均衡の可能性を考えると、この観察は驚くべきことと分かります。系図は、これらの仮定を裏づける証拠を示しません。じっさい族外婚が、たとえば同盟や交易の目的で多くの集団と日常的に結ばれていたならば、次に集団間の闘争ではなく、集団間の協力の交流網が示唆されます。

 標本抽出されていない推定される成人を含めて、同じ夫婦から最大で6人の子供の2事例が観察されました。とくに、全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)6個体は全員生殖年齢にたっしており、そのうち数人が自身で4人および5人の子供を儲けていました。さらに、成人した子供の大半が男性個体であることは、追加の標本抽出されていない姉妹(同数の女性の出生数の統計的説明)と、恐らくはこの期間に予測されるかなりの乳児死亡者数を示しています。これら大きな家族規模は、この新石器時代共同体における、高い生殖率と建康および栄養の一般的に安定した状態を示唆しており、安定同位体データでも裏づけられる事実です。じっさい、効率的な生殖を促進するかもしれない、亜系統の繁殖および/もしくは生産単位、や役の繁殖単位もしくは労働分業の空間的共存など、さまざまな要素がおそらくは高い人口成長率を生み出す協調的生殖への状態を提供します。ギュルジーで観察された多様性に寄与する共同体有効人口規模は、1835個体(95%信頼区間で1631~2077個体)と推定されました。この集団におけるROHの分布から、両親のほとんどの組み合わせは、先行する5~30世内での共通祖先を介した相互親族関係ではなかった、と示唆されます。


●ギュルジー遺跡の使用期間

 2つの大きな系図は、ネクロポリスの空間は位に反映されています。系図Aが主要な空間を占めているのに対して、系図Bは北東側に位置しています(図1c)。炭素14(¹⁴C)年代の範囲重複、およびGLN263とGLN298との間の3~4親等のつながりは、両系図の相対的な同時代性を示唆しています。両系図において、系図Aにおける主要な祖先GLN270Bの二次堆積では、創始者世代から南西への経時的な世代による拡大が観察されました。空間距離は、遺伝的距離と有意に相関しています。

 系図は、系図Aにおける最初の4世代での未成年の欠如を明らかにしており(36個体のうち5個体)、古代の人口集団において予測される死亡率のパターンを考えると、驚くべきことです。注目すべきことに、この傾向は最終3世代で逆転しており、25個体のうち20が未成年でした。これらの観察は、数世代の全集団がこの新たな埋葬地へと移動し、死亡した子供を以前の埋葬地に残したものの、「祖先/創始者」であるGLN270Bを移送した、とのシナリオと一致します。さらに、最終世代で多くの親が存在しない事実から、この集団は死亡した子供を残して、他に定住するために移動した、と示唆されます。ストロンチウム同位体データは、これらの解釈のさらなる一連の証拠を提供します。それは、⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値がより古い世代では低く(0.709)、全体的には外来女性個体と類似しているからで、これは創始者の外来起源を示唆します。その後、男性個体群のストロンチウム同位体比は、世代と共に継続的に増加し、地元の兆候と一致します。

 系図Aにおける7世代の復元にも関わらず、ギュルジー遺跡の居住期間は比較的短かった、と示されました。創始者世代と移住世代を除くと、遺跡の使用期間は恐らくわずか3~4世代もしくは84~112年(1世代が28年と仮定した場合)です。全ての利用可能な放射性炭素年代(33点)のベイズモデル化により、系図Aについては、紀元前48世紀後半と紀元前47世紀後半の間隔に制約できるようになりました。墓地の使用は居住期間に相当する、と推測されます。新石器時代の線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)の長い家屋の通常期間は、維持された場合には20~30年間と最大で75~100年間の間と推定されており、実験考古学では、後期新石器時代のジュラ(Jura)における湖上居住は維持なしでは約10年続いたかもしれない、と示唆されてきました。しかし、ギュルジー墓地と直接的に関連する集落は見つからず、状況の詳細の統合が妨げられます。限定的な居住期間の代替的もしくは補完的説明は、依然として激しい議論の対象である、さまざまな形態だった可能性がある非持続的な農耕慣行により促進された、地元の土壌や他の自然資源の枯渇かもしれません。じっさい、ストロンチウム同位体値は、共通の埋葬地を維持しながらの別の地理的場所への各世代の移動を示唆しており、局所的な領域内における世代間の移動性について追加の議論を提供します。

 ギュルジーからの組み合わされたデータは、限られた世代数でこの埋葬地を使用した、生物学的親族の区分されたかもしれない家系集団に組織化された集団を示唆します。本論文の結果から、生物学的近縁性がネクロポリスの組織化では重要であり、社会的原則のどのような組み合わせがこの集団における生物学的生殖を組織化したとしても、強く父方の系図構造を残した、と論証されます。本論文のデータから推測できるいくつかの示唆的要素、つまり女性族外婚や一夫一婦制の生殖の相手や下位系統の生産/繁殖単位の強調は、特定の親族関係と結構慣行を示唆します。それにも関わらず、これらの要素は、遺伝的データでは評価できない、複雑な親族関係組織化に寄与した社会的慣習の存在を排除しません。さらに、本論文のデータセットは埋葬遺跡で収集された個体の選択を表しており、特定の規則がこのネクロポリスの利用を管理していたならば、生者の世界を反映していないかもしれない、と念頭に置かねばなりません。

 地域的文脈における同時代の記念碑的遺跡は、明らかに選ばれた個体のために建てられました。これは、今まで遺伝学的に調査された唯一のセルニー文化地域の唯一の記念碑的遺跡である、フランスのノルマンディーのフルーリー・シュル・オルヌ(Fleury-sur-Orne、略してFLR)の墓地で論証されており、FLR遺跡では、異なる父系の個体の強い社会的選択が示され、各個体は別の記念碑に埋葬されています(関連記事)。対照的に、ギュルジー遺跡において、利用可能な考古学的文脈あるいは特定の葬儀慣行の結果を考慮すると、性別や年齢や経済もしくは社会的階層に基づく個体の選択可能性の欠如から、ギュルジー遺跡は非エリートの埋葬慣行を表している、との推測につながり、数世代を表す非エリート共同体の微視的甚人口動態の前例のない見解をもたらします。

 ギュルジー遺跡は2つの区別できる系図の単一集団により使用されていたので、同様の規模の同年代の墓地は同様に系統を表している、と予測されますが、この地域におけるそうした遺跡の数は、人口集団の代表的な横断面で予測されるよりもずっと少なくなっています。さらに、ギュルジー遺跡はセルニー層準への明確な文化的帰属を示しませんが、近隣に位置するセルニー文化の遺跡と同時代です。ギュルジー遺跡で見える多様な文化的影響を考えると、局所的な文脈におけるギュルジー遺跡の代表性とその社会的慣行には、疑問が呈されるかもしれません。しかし、ギュルジー遺跡は孤立した共同体を形成した、との考古学的仮説は、数世代によたるより広範な生物学的交流網との多くのつながりがある遺伝学的証拠とは対照的です。

 古代DNAから復元された大規模な系図は、ギュルジーの「レス・ノイサッツ」遺跡および一般的にヨーロッパ西部の新石器時代社会のヒト集団の社会的構成の理解における、大きく実質的な前進を表しています。まだ決定できないのはき、本論文の調査結果が、さまざまな異なる層部文化状況が顕著である新石器時代社会において独特な一群なのかどうか、あるいは、ギュルジー遺跡は紀元前五千年紀における規範的な社会構造と親族関係構成の一式を表しているのかどうかん、ということです。したがって、本論文は、ヨーロッパにおける新石器時代社会の潜在的に多様な社会構成に関する一般的な視点に到達するための、さらなる考古遺伝学的研究のための錨となるかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


考古学:古代DNA研究がもたらした西ヨーロッパ新石器時代の共同体に関する新知見

 フランスのギュルジーにある「les Noisats」遺跡で発見された約7000年前までのものとされる古代人の遺骨から抽出されたDNAの解析が行われた。この新たな解析結果は、西ヨーロッパ新石器時代の共同体の社会的組織に関する我々の理解を前進させる可能性がある。このことを報告する論文が、Natureに掲載される。今回の知見は、一部の女性が、当初所属していた共同体を離れて、別の共同体に加わったことを示唆しており、共同体の成員の安定した健康状態と支えになってくれる社会的ネットワークの存在を示す証拠となっている。この研究で古代DNAから再構築された系図は、これまでで最大のものとなった。

 先史時代の社会に関して、親族慣行、居住パターンや移住パターン、生物学的つながりを評価することは困難であり、ヨーロッパ新石器時代の集団における生物学的つながりに関するデータは、非常に少ない。これまでにヨーロッパ新石器時代の集団の社会や親族についてなされた推論の大部分は、考古学データに基づいたものであり、同じ場所に埋葬された人々は遺伝的に関係があったかや、同じ出身地だったかといった点を判断することは難しかった。それが今では、古代DNA関連技術の最適化と新しい解析方法の開発によって、ゲノム規模のデータを使って古代人の遺伝的関係を正確に再構築できるようになり、また、考古学データを併用することで、同じ場所に埋葬された人々の社会的関係を推測する上で役立てられるようになった。

 今回、Maïté Rivollatらは、ギュルジーに埋葬されていた約100体の遺骨(紀元前4850~4500年頃のものと年代決定された)から得た古代のゲノム規模データと、考古学データを併用した。埋葬されていた人々の小規模な人口構成から、これらの人々の社会構造、生活条件、居住状態に関する精細な情報が明らかになった。一夫一婦制の生殖パートナー(配偶者)がいたことと、共同体が男系継承されていたことの証拠が見つかった。また、異父きょうだいや異母きょうだいがいないことや、成人した同父母のきょうだいの数が多いことが判明し、安定した健康状態と支えになってくれる社会的ネットワークの存在が示唆された。こうしたことが、出生率を高め、死亡率を抑える方向に働いたと考えられる。さらに、この共同体は、ギュルジーの地に数十年間しか存在していなかったことや、7世代にわたる2つの主要な家系による遺伝的つながりがあったことも分かった。

 今回の知見は、多様性があったと考えられるヨーロッパ新石器時代の社会の社会的組織に関する大局的な見方を今後の考古学的研究で獲得するための基盤になるかもしれない。


人類学:広範な家系図から明らかになった新石器時代の地域社会の社会構成

人類学:埋葬遺跡に垣間見る地域社会の社会構成

 今回、考古遺伝学的手法を用いて、フランス・ギュルジーの「les Noisats」遺跡に埋葬された人々の家系図が構築され、新石器時代のこの地域社会の社会構成について、手掛かり得られている。



参考文献:
Rivollat M. et al.(2023): Extensive pedigrees reveal the social organization of a Neolithic community. Nature, 620, 7974, 600–606.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06350-8

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