石器時代ヨーロッパ中央部および東部の人口史

 石器時代ヨーロッパ中央部および東部の古代人のゲノムデータを報告した研究(Mattila et al., 2023)が公表されました。近年の古代ゲノム研究の発展には目覚ましいものがあり、ヨーロッパは最も進んでいる地域と言えるでしょう(関連記事)。農耕の開始は人類史における一大転機で、考古学でも古くから注目されており、古代ゲノム研究でも世界規模で進められていますが(関連記事)、新石器時代への移行に関する古代ゲノム研究も、やはりヨーロッパが最も進んでいることは確かでしょう。しかし、農耕を始めた集団が在来の狩猟採集民だったのか、それとも外来の農耕民だったのか、また両者の混合だったとしてその影響度はどうだったのかは、地域により異なっていたようです。本論文は、ヨーロッパ中央部および東部を対象に、新石器時代への移行期も取り上げ、ヨーロッパの一部地域では他の大半の地域とは異なり、中石器時代から新石器時代末まで強い人口連続性を示す地域があった、と示します。


●要約

 石器時代ヨーロッパのゲノム景観は、複数の移住の波と人口置換により形成されましたが、さまざまな地域がすべて類似のパターンを示すわけではありません。新石器時代の開始前後の人口動態の理解を深めるため、ヨーロッパ中央部および東部全域の中石器時代と新石器時代と同義時代のヒト遺骸56個体のゲノム配列データが生成され、分析されました。その結果、中石器時代ヨーロッパの人口集団はヨーロッパ中央部からシベリアにまたがる地理的に広範な距離による孤立を形成しており、それはすでに1万年前には確立していた、と分かりました。新石器時代への移行における人口連続性の対称的なパターンが見つかりました。ウクライナのドニエプル川下流域周辺の人々は中石器時代から新石器時代末まで4000年以上にわたる連続性を示しました。これは、ヨーロッパ中央部の広大な地域やドナウ川周辺など、人口置換がこの文化的変化を駆動した、ヨーロッパのほぼ全ての他地域とは対照的です。


●研究史

 現生人類(Homo sapiens)はヨーロッパに5万~4万年前頃に拡大し始めました(関連記事)。8500年前頃に始まった農耕への移行の前には、ヨーロッパには狩猟採集民人口集団が居住しており、考古遺伝学により定義されているように、大まかに2集団にクラスタ化されています(まとめられています)。それは、ヨーロッパ西部の西方狩猟採集民(Western Hunter-Gatherers、略してWHG)と(関連記事)、ヨーロッパ北東部および東部辺境の東方狩猟採集民(East European Hunter-Gatherers、略してEHG)です(関連記事)。これら中核地域間では、東方の集団(EHG)と西方の集団(WHG)がおそらくは遭遇し、混合しました。

 1万年前頃まで部分的に氷に覆われていたスカンジナビア半島では、WHG集団の入植が南方から起きたのに対して、EHG集団は北東から侵入し、ノルウェーの大西洋沿岸を通って、北方から南方へと進んだ可能性が高く、ヨーロッパ中央部および東部とは逆方向に進む混合パターンが生じました(関連記事)。しかし、ヨーロッパ全域の中石器時代人口集団の遺伝的混合および連続性の時間規模や歴史や動態に関する知識は、依然として限定的です。

 石器時代ヨーロッパの人口構造は、初期完新世に大規模な変化を経ました。この変化は、近東からの農耕集団、つまりヨーロッパ新石器時代集団(European Neolithic、略してEN)の移住により促進され、この農耕集団は遺伝的に新石器時代アナトリア半島の集団(Neolithic Anatolia、略してAN)と関連しており、コーカサス地域の狩猟採集民(Caucasus Hunter–Gatherers、略してCHG)とは遺伝的により遠い関係でした(関連記事)。

 ヨーロッパ新石器時代農耕民と狩猟採集民の最初期とその後の人口集団の相互作用の様相と水準は、長きにわたって議論されてきました。現在の総意は、ヨーロッパ中央部においてENの到来の初期段階にすでに始まっていた、地理的および時間的に異なる水準のEN集団とWHG集団の遺伝的混合を示します(関連記事)。考古学的記録に基づくと、農耕民と狩猟採集民の集団間の文化的接触の水準の違いが、広く拡大した前期新石器時代ヨーロッパ中央部線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)の西方から東方への勾配で存在したかもしれません。しかし、示唆された相互作用の水準の違いは、遺伝的混合ではなく、モノの交換の形態だったかもしれません。

 狩猟採集民集団と侵入してきた農耕民集団との間のさまざまな接触と相互作用に加えて、ヨーロッパの一部の地域(たとえば、スカンジナビア半島の一部やバルト海地域やヨーロッパ東部)では、ヨーロッパ南部および西部と比較して、狩猟採集生活様式がずっと長く優勢でした。たとえばウクライナでは、ポントス北部地域の草原地帯と森林草原地帯には、おもに水産資源で生計を立てていた狩猟採集民共同体が、新石器時代にも依然として暮らしていました。同種の発展はこれらの共同体において、新石器時代農耕集団と同様に起きました。たとえば、ヨーロッパ東部および北東部の一部では、土器がもたらされたものの、生計は依然として狩猟と採集に基づいていました。これらの集団の一部の遺伝学的データから、ヨーロッパの農耕開始前後の遺伝的構成は、ヨーロッパ中央部および西部とは対照的に類似していた、と示されてきました(関連記事)。

 ヨーロッパ中央部と東部の石器時代集団間の水準と特徴と地域的差異に関する理解を深めるため、ヨーロッパの東部辺境における新石器時代への移行前後(つまり、7500~5500年前頃)の個体群の全ゲノムが配列決定され、分析されました。調査地域には、5000年以上の期間(10500~5500年前頃)にわたる、現代のルーマニアとポーランドとウクライナのドニエプル川下流域を網羅する地域が含まれます。この調査から、新石器時代の前には、ヨーロッパの東部辺境ではヨーロッパ中央部とシベリアの遺伝的に分化した集団間の混合勾配が含まれていた、と明らかになりました。新石器時代への移行後のドニエプル川流域におけるより強い遺伝的連続性と限定的な混合も観察されましたが、さらに西方の人口集団では大規模な遺伝子流動が起きました。

 石器時代のヨーロッパ中央部および東部の古代人の遺伝的類似性を調べるため、続旧石器時代/中石器時代と新石器時代と金石併用時代のポーランドとルーマニアとウクライナの56個体の収集から配列決定されたゲノム規模データが生成されました(図1a・b)。個体ごとの網羅率の深度の範囲は、0.01~4.55倍です。以下は本論文の図1です。
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●ウクライナの石器時代のドニエプル川下流域における4000年以上の遺伝的連続性

 本論文のデータの遺伝的構造を特徴づけるため、データセットについて、ユーラシア西部全域の石器時代と青銅器時代の個体群の収集とともに、まず主成分分析(principal component analysi、略してPCA)が実行されました。PCAは全ての続旧石器時代/中石器時代のヨーロッパ中央部および東部の個体を、WHGと上部旧石器時代シベリアのアフォントヴァ・ゴラ3(AfontovaGora3、略してAG3)個体との間の勾配に位置づけ(図2a)、以前の調査結果(関連記事)と一致します。WHGは、フランスのビション(Bichon)遺跡やルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡やフランスのランショ(Ranchot)遺跡(ランショ88号)やヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡の個体により表されます。以下は本論文の図2です。
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 比較対象の中石器時代狩猟採集民、つまりロシア西部(Western Russia Hunter–Gatherers、略してWRuHG、およびEHG)やバルト海地域(Baltic region Hunter–Gatherers、略してBHG)、スウェーデンおよびノルウェー(Sweden & Norway Hunter–Gatherers、略してSHG)も全て、この勾配内に収まります。調べられた集団の遺伝的組成へのさらなる洞察を得るため、ユーラシア全域で標本抽出された、石器時代と現代の比較対象の個体群のより広範な一式を含めて、祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)構成要素が推測されました(図2b)。

 新石器時代ドニエプル川下流域の個体群は、遺伝的にこの地域の続旧石器時代/中石器時代個体群とひじょうに類似していました。対照的に、ルーマニアとポーランドの遺跡の新石器時代/金石併用時代の個体群は、他のヨーロッパ農耕集団と同じ祖先系統構成要素を有しており、遺伝的にはアナトリア半島新石器時代農耕民と類似していました(図2a・b)。これらの結果は、WHGおよびENと共有されているアレル(対立遺伝子)のパターン(図3a~c、正の値はWHGとの、負の値はENとのより密接な類似性を示唆します)、および片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)により裏づけられました。以下は本論文の図3です。
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 この研究で調査された3ヶ所の地域における遺伝的連続性について検証するため、外群f₃統計(ヨルバ人、X、Y)を用いて、経時的な在来の中石器時代個体との共有される遺伝的浮動の水準が計算されました。ここでのXは検証個体で、Yは同じ地域の最高の網羅率の中石器時代個体です。さらに、いわゆるアンカー手法が採用され、ロシュブール個体(WHG)をアンカー個体として用いて、経時的な人口連続性が評価されました。これらの検定はさらに、中石器時代から新石器時代にかけてのドニエプル川下流域強い遺伝的連続性を裏づけます(図3f)。最古の個体(10547年前頃のukr125)と最新の個体(6233年前頃のukr123)との間の違いから、この地域における遺伝的連続性は4000年以上続いた、と示されました。対照的に、ルーマニアとポーランドの個体群については、新石器時代前と新石器時代の個体群間で、これらの地域における人口集団置換に起因する明確な不連続性があります(図3d・e)。

 ゲノム配列データから、過去の有効人口規模を示唆する遺伝的多様性、具体的には条件付きヌクレオチド多様性(conditional nucleotide diversity、略してCND)も評価できます。過去の人口規模の指標を得るために、各地域のCND谷間時間が比較されました。CNDの大きさは、ドニエプル川流域の中石器時代と新石器時代の人口集団ではひじょうに類似しており、中石器時代と比較して新石器時代の個体群では遺伝的多様性がずっと高かった、ルーマニアおよびポーランドとは対照的です(図4a)。したがって本論文では、ドニエプル川流域の人口集団は比較的安定した人口規模を維持しており(少なくとも、有効人口規模の観点では)、ヨーロッパ新石器時代農耕民/アナトリア半島農耕民との混合の影響を受けなかった、と結論づけられます。


●中石器時代ユーラシア西部における距離による孤立

 上部旧石器時代シベリア集団とWHGとの間の混合の可能性を検証するため、WHGを表すロシュブール個体が、上部旧石器時代シベリア集団を表すAG3に関して、ヨーロッパ中石器時代個体群とクレード(単系統群)を形成するのかどうか、f₄統計(チンパンジー、AG3;X、ロシュブール)とヒト起源重複パネルを用いてまず検証されました。f₄値は全個体で、上部旧石器時代シベリアのAG3個体と共有されるアレル増加を示唆する負となり、WHGと旧シベリア系統との間の遺伝子流動が示唆されます。しかし、ポーランドの中石器時代個体群については、0と有意さはなく、WHGへの遺伝的類似性が示唆されます。

 検定の能力を高めるため、1000人ゲノム重複パネルから、ロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡個体も使用して、f₄統計(チンパンジー、シデルキノ;X、ロシュブール)が計算され、東方系統からすべての調べられたヨーロッパ中央部および東部および北部の中石器時代個体群への有意な寄与が確証されました。後者の事例では、中石器時代のシデルキノ個体はEHGを、ロシュブール個体はWHGを表します。モデルに基づく2方向分析は、19の事例で混合モデル(WHGとAG3)を単一供給源モデルから分離し、15の事例で両単一供給源モデルが却下されました。WHG関連祖先系統の推定混合割合は、シデルキノ個体では50.9%(ジャックナイフ信頼区間では40.9~60.9%)、ルーマニアのスケラ・クラドヴェイ(Schela Cladovei、略してSC)の個体(SC1)では88%(ジャックナイフ信頼区間では76.2~99.8%)の範囲です。

 旧シベリア人とWHGの勾配間の異なる混合モデルも、勾配から代表的な集団を含めて、qpGraphを用いて検証されました。EHGにおけるAG3により表される旧シベリア人と関連する集団からの混合を含む飛び石的な図(図4b)と、WHG系統とさらに再混合したこの系統は、データと一致します。さらに、この混合なしの他の3検証モデルはデータと一致しなかったので、ヨーロッパ西部系統とシベリア系統との間の混合がさらに強化されました。EHGと旧シベリア系統との間のつながりは先行研究で報告されてきましたが、EHGが旧シベリア系統とWHG系統の勾配の一部であることは、以前には明確ではありませんでした。以下は本論文の図4です。
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 ヨーロッパ大陸の中石器時代における遺伝的混合のパターンは、旧シベリアとWHGの祖先系統の割合における地理的依存性を示唆します。以前の考古学的分析では、EHG系統とWHG系統はスカンジナビア半島で混合し、ヨーロッパ北部におけるEHG/WHG勾配を形成した、と示唆されました(関連記事)。アレル共有水準の線形回帰分析(f₄検定)と、混合していないWHG人口集団により占められていたおおよその領域からの距離を用いて、旧シベリアとWHGの勾配における距離による孤立混合モデル(the isolation-by-distance admixture model、略して混合IBD)の適合性が検証されました。WHGとして分類された標本一式の地理座標が用いられ、このいわゆるWHG中核地域を禁じさせました。WHG中核地域からの距離の基準として、5ヶ所のWHG地点からの距離を意識した最短の最適経路が選択されました。

 線形回帰分析は、WHG中核地域からの最小距離の関数として、ユーラシア西部におけるWHG祖先系統の割合の有意な増加と、AG3により表される旧シベリア祖先系統の増加を示唆しました。この結果は、分析からのあり得る介入点(leverage point)の除去後も有意でした(図4c)。qpAdmが推定した、WHG祖先系統の割合(f₄検定の代わり)かWHG距離中央値か全てのWHG点からの合計距離(WHGからの最小距離の代わり)がモデル化で用いられた場合も、類似の結果が得られました。

 スカンジナビア半島で以前に観察されたように(関連記事)、遺伝的に分化した2人口集団間の遺伝子流動も、遺伝的多様性を増加させる、と予測されます。他の人口集団の過程が同じと仮定すると、祖先系統の割合が同じに近い場合に、最高の多様性が予測されます。これは、さまざまな混合割合を有する中石器時代集団における、条件付きヌクレオチド多様性推定の比較により評価されました。予測と一致して、EHG混合の水準の関数として、多様性の減少が観察されました(図4a)。まとめると、IBD混合モデルの予測は、新石器時代の前のヨーロッパにおけるヨーロッパとシベリアとの間の長距離で飛び石的な遺伝子流動を示唆します。


●ドニエプル川下流域人口集団への遺伝子流動

 中石器時代と新石器時代のドニエプル川下流人口集団の主要な祖先系統構成要素がWHGおよび旧シベリア系統に由来したものの(EHGは飛び石として機能した可能性が高そうです)、CHGを含む3方向人口集団混合モデル(EHGとWHGとCHG)が、この人口集団の遺伝的祖先系統組成に適合することも分かりました。ドニエプル川流域人口集団の遺伝的祖先系統の7.4%(ジャックナイフ95%信頼区間で0.15~14.7%)は、中石器時代/新石器時代におけるコーカサスとポントス北部地域との間の遺伝的つながりを示唆するCHG人口集団に由来する、と推定されました。CHGとのアレル共有は新石器時代ドニエプル川流域個体群で有意により高く、これは少なくとも一定水準のこの祖先系統の共有が、新石器時代における混合に起因することを意味しています。

 さらに、ドニエプル川下流域のデレイフカ2(Deriivka II)墓地の金石併用時代の1個体(ukr104、5650~5477年前頃)は、考古学的にスレドニ・ストグ(Serednyostogivs'ka、Sredny Stog)文化のウマの管理者と分類され、同じ地域の他の個体とのより低いアレル共有水準を示しました。これは、先行する在来人口集団から遺伝的に区別される人口集団からの遺伝子流動を示唆します。この個体(ukr104)は遺伝的に、他のドニエプル川流域標本よりも、ロシア西部のサマラ(Samara)の青銅器時代のヤムナヤ(Yamnaya)文化個体群およびCHGおよび新石器時代イラン人の方と類似しています(図2a・b)。

 このあり得る遺伝子流動を検証するため、qpAdmを用いて、ukr104がドニエプル川下流域の一連の個体(ukr087とukr102とukr111とukr113とukr160)とヤムナヤ関連集団の混合として、モデル化されました。他の近隣古代人集団、つまりANやCHGやEHGや新石器時代イランのウェズメー洞窟(Wezmeh Cave)個体(WC1)やシベリアの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)やWHGや34000年前頃となるロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡の個体が、チンパンジーの外群に加えて、参照(右側)人口集として用いられました。この混合モデルはデータに適合しましたが、単一供給源モデルは却下されました。推定混合割合は、在来の中石器時代~新石器時代ドニエプル川流域祖先系統が33.2%(ジャックナイフ95%信頼区間で25.0~41.4%)、ヤムナヤ関連祖先系統が66.8%(ジャックナイフ95%信頼区間で58.6~75.0%)でした。


●新石器時代ヨーロッパ中央部および東部における経時的な混合

 新石器時代のヨーロッパ東部人とヨーロッパの中石器時代狩猟採集民集団の子孫との間の混合を調べるため、ポーランド(poz297)とルーマニア(rom061)の狩猟採集民が、初期新石器時代ヨーロッパ中央部人と比較した場合、ルーマニアおよびポーランドの新石器時代/金石併用時代個体群とより多くのアレルを共有しているのか、検証されました。ドイツの初期新石器時代LBKの1個体との比較では、在来の狩猟採集民とのアレル共有における有意な増加が、調査されたポーランドとルーマニアの新石器時代/金石併用時代の30個体のうち16個体で検出されました。

 在来の中石器時代狩猟採集民に由来する推定祖先系統は、ルーマニアの新石器時代/金石併用時代個体群では9~20%の範囲でしたが、ポーランドの新石器時代/金石併用時代個体群では9~97%の範囲でした。経時的な混合割合の有意な増加も、観察されました。金石併用時代における在来の中石器時代祖先系統のこの復活は、ヨーロッパの他地域でも先行研究で見つかっていました(関連記事1および関連記事2)。


●石器時代ヨーロッパにおける親族関係

 先史時代社会における遺伝的親族関係のパターンは、その社会組織について情報を提供できます。したがって、READソフトウェアパッケージを用いて、人口集団内の調査された個体間の近親関係(1親等と2親等の親族関係)も調べられました。配列決定された個体間で、2つの親族関係3人組が検出されました。一方の3人組の親族関係は、ルーマニアのクラテシュティ(Curătești)遺跡のボイアン(Boian)文化の状況に由来し、成人女性2個体(buk019とbuk022)と成人男性1個体(buk023)が含まれており、以後クラテシュティ家と呼ばれます(図5a)。もう一方の3人組の親族関係は、ウクライナのヤシノヴァツカ(Yasinovatka)遺跡の成人男性3個体(ukr159とukr160とukr161)で、以後ヤシノヴァツカ家と呼ばれます(図5d)。検出された親族の全てのデータは、各個体の単一の骨標本および単一の抽出物にから得られました。以下は本論文の図5です。
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 クラテシュティ家では、buk019とbuk023が1親等の親族である一方、buk019とbuk023はbuk022と2親等の親族でした。クラテシュティ家の3個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は全てK1a+195で、この3個体が母系で関連していたことを示唆しています(図5a~c)。共有された片親性遺伝標識のハプログループが直接的な母系および父系を示唆していると仮定し、検出された家族のあり得る系図が構築されました。親族関係の割り当てはbuk022がキョウダイであるbuk019およびbuk023の母方の祖母もしくはオバだった、との系図モデルと一致します。同様にあり得るモデルは以下のようなものです。つまり、buk022がキョウダイであるbuk019とbuk023の姉妹側の姪だったか、buk022が全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)であるbuk019とbuk023の母方の半キョウダイ(両親の一方のみを同じくするキョウダイ)だったか、buk022がbuk023の二重イトコでbuk019の姪であり、buk023がbuk019の母親だったかです(図5b・c)。放射性炭素は、3個体全員について重複する年代推定を推測しています。

 ヤシノヴァツカ家の構成員は、全員成人男性でした。ukr160とukr161が2親等の親族だった一方で、ukr159はukr160およびukr161両者の1親等の親族でした。この3人組のうち2個体(ukr159とukr160)はmtHg-U4b1a、ukr161はmtHg- T2a1bで、ukr159およびukr160とukr161との間の非母系での関係が示唆されます。ヤシノヴァツカ家の構成員のY染色体ハプログループ(YHg)はIクレード(単系統群)内に収まり、父方での関係の可能性が示唆されます。YHgの分類の性格さの違いは最終的なYHgの分類の違いを説明する可能性があり、それは、低網羅率のukr159ではYHg-I2a2を定義する変異についか利用可能なデータがなかったからです。呼び出されたY染色体遺伝子型における時折の違いにも関わらず、YHg-Iはヤシノヴァツカ家の構成員全員YHgだった可能性が最も高い、と本論文は結論づけます。これらの結果は、ukr159とukr160が兄弟で、ukr161がukr159の息子だった、とりモデルと一致します(図5e)。2人の兄弟(ukr159とukr16)は、放射性炭素年代に基づくと、ヤシノヴァツカ遺跡における最初期段階と関連する隣接した小さな穴に埋葬されており(図5d)、ukr160はukr159よりわずかに早く死んだ可能性が高そうです。ukr160は単独で埋葬されていますが、その兄弟であるukr159は息子(ukr161)および本論文では分析されていない少なくとも他の2個体とともに小さな穴に埋葬されました。

 ヤシノヴァツカ家とは親族関係になく、異なる父系を表す追加の男性2個体が、本論文では分析されました。そのうち1個体(ukr158)も、ヤシノヴァツカ遺跡の最初期段階と関連しており、他の5個体とともにukr159/ukr161と隣接する小さな穴に埋葬されていました。もう一方の個体(ukr162)は、埋葬のその後の段階に属するより大きな穴の30ヶ所の埋葬のうちの一つでした。以前に刊行された石器時代ウクライナのドニエプル川流域の個体群と本論文のデータセットで、追加の親族1組が検出されました。この組み合わせは中石器時代のデレイフカ1遺跡の1親等の親族でした(本論文のukr102と、先行研究のI5876)。分析された両個体は男性で、YHgが同じでした。これらの調査結果は、この男性2個体が兄弟だった、との系図と一致します。両者の死亡時年齢は同じくらいで(40~50歳)、本論文では分析されていないより若い1個体と共に共同埋葬坑で見つかりました。

 ポーランドの個体群では、1親等もしくは2親等の親族の組み合わせは見つかりませんでした。興味深いことに、クルシャ・ザムコヴァ(Krusza Zamkowa)遺跡3号墓地の標本2点(poz120とpoz121)はすぐ近くに埋葬されており、以前には生物学的近縁性を示唆する、と提案されました。同様の結果は他の先行研究でも得られており、この女性2個体は遺伝的に近縁ではなく、少なくとも全姉妹や母と娘やオバと姪や祖母と孫娘ではなかった、結論づけることができます。この2個体は、25m離れて埋葬された成人女性個体(lbk138)とも親族関係ではありませんでした。これらの埋葬にはひじょうに豊富な副葬品があり、似た種類のビーズや装飾品が伴い、いわゆる王女の墓と呼ばれてきました。

 相互に密接に埋葬された個体間の母方親族関係の欠如は、以前にドイツのカルスドルフ(Karsdorf)のLBKで発見されてきました。したがって、遺伝的親族関係ではなく社会的結びつきが、クルシャ・ザムコヴァ共同体における埋葬配置では重要だったかもしれません。先史時代の埋葬における個体間のさまざまに非生物学的関係が、最近議論されてきました。恐らくは特定の活動とつながっている社会経済組織と関連する他の要因が、埋葬慣行では役割を果たしたかもしれない、とも仮定されてきました。


●まとめ

 本論文では、ヨーロッパの新石器時代拡大前後のヨーロッパ中央部および東部の遺伝的景観が調べられてきました。最も目立つ調査結果の一つは、ヨーロッパの新石器時代の開始前には、遺伝的に異なるヨーロッパ西部狩猟採集民集団とシベリア狩猟採集民集団との間の勾配混合人口集団の子孫である人口集団が、ヨーロッパ中央部および東部に暮らしていたことでした。そうしたパターンは、長距離の人口集団の遺伝的つながりを示唆し、飛び石混合モデルを介した可能性が高そうです。これら中石器時代人口集団遺伝的子孫は、新石器時代には侵入してきた農耕民により同化されたか置換され、後期中石器時代に一般的だった遺伝的集団は、ヨーロッパ東部および北東部の境界と、スカンジナビア半島南部の一部の地理的地域でのみ優勢なままでした。

 ウクライナのドニエプル川下流域では、中石器時代人口集団の直接的な子孫が、ヨーロッパの新石器化の開始後何千年にもわたって優勢な集団であり続け、この連続性の終焉は、東方からの金石併用時代/青銅器時代の移住の波と関連していました。したがって、土器(底が尖った容器から平底の土器)や先駆的な畜産(ウシやブタやヒツジやヤギ、オオムギなどの農耕)や仰向け屈葬から伸展葬への変化など、ドニエプル川流域の新石器時代の文化的革新はアナトリア半島からの遺伝子流動と関連していなかった、と結論づけられます。これは、新石器時代への移行が大規模な移住と関連していた、さらに西方の地域で観察されたパターンとは反対です。

 一方で、密接な遺伝的近縁性に関する本論文の分析は、中石器時代と新石器時代と金石併用時代のヨーロッパ全体の文化の埋葬慣行における遺伝的近縁性の役割を明らかにしました。もう一方で、この結果は、本論文で例示された新石器時代の後期レンジェル(Lengyel)文化のクルシャ・ザムコヴァ遺跡の事例など、遺伝的つながりない可能性も示します。これらの観察は、石器時代における密接な親族関係の以前の調査とともに、生物学的および潜在的には非生物学的親族関係のさまざまな見解と慣行を示唆しています。


参考文献:
Mattila TM. et al.(2023): Genetic continuity, isolation, and gene flow in Stone Age Central and Eastern Europe. Communications Biology, 6, 793.
https://doi.org/10.1038/s42003-023-05131-3

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