銅器時代のイベリア半島における女性指導者(追記有)

 銅器時代のイベリア半島に女性指導者が存在した可能性を報告した研究(Cintas-Peña et al., 2023)が公表されました。本論文は、銅器時代のイベリア半島の少なくとも一部地域では、女性が権力者の地位を占めていたかもしれない、と指摘します。これは、現生人類(Homo sapiens)が柔軟な社会を築くことと関連しているでしょうし、今後、これまでの考古資料の見直しにより、先史時代における女性の社会的指導者の割合がじゅうらいの推定より高かった、と示されるようになるかもしれません。ただ私は、ジェンダーを重視するこうした潮流の結果として、今や「先進諸国」において大きな影響力を有するようになった「woke(覚醒)」陣営で「常識」になった感のある、性別(sex)が連続体であるとの見解にはきわめて否定的です(関連記事)。また本論文は、初期の複雑な社会における母権制の存在も示唆しますが、だからといって、更新世の人類社会が長期にわたって母系的だった、と言えるわけではなく、むしろ初期人類社会は父系に傾いた社会を形成していた可能性が高いように思います(関連記事)。なお、適切ではないかもしれませんが、この記事では、性別(sex)とジェンダー(gender)というように訳し分けます。


●要約

 文字記録の欠如を考えると、初期の複座な社会におけるジェンダー不平等を分析するための主要な情報源は人体そのものです。しかし、何十年間も、考古学者は保存状態の悪いヒト遺骸の性別推定に苦慮してきました。本論文は、画期的な新しい科学的手法がこの問題のどのように対処できるかもしれないのか示す、例外的な事例研究を提示します。本論文は歯のエナメル質における性的二形のアメロゲニンペプチドの分析を通じて、イベリア半島銅器時代(紀元前3200~紀元前2200年頃)の最も社会的に著名な個体が以前に考えられていたような男性ではなく、女性だった、と確証します。

 2008年にスペインのバレンシアで発見されたこの女性の分析から、この女性は指導的な社会的人物で、その頃には男性はそれに匹敵するような社会的地位を得ていなかった、と明らかになります。同じ埋葬地域の一部であるモンテリリオ(Montelirio)の円頂丘(tholos)において同様に高い社会的地位を享受していたようなのは、その少し後に埋葬された他の女性だけです。この結果は、初期の社会的複雑さの開始における女性の政治的役割に関する、確立された解釈の再考を促し、過去の伝統的に信じられてきた見解に疑問を呈します。本論文はさらに、新たに開発された科学的手法が先史時代の考古学とヒトの社会的進化の研究にもたらすかもしれない変化を予想します。


●ジェンダー考古学:以前と現在

 ジェンダー考古学は1960年代から1970年代初頭に、過去の社会における女性の貢献と役割を見落としていた、先史時代および歴史時代に関する男性中心主義的見解への男女同権主義者(フェミニスト)の不満から出現しました。それから50年後、研究計画や会議議事録や単行本や論文が、考古学的研究の主流の議題への変化を示してきました。分析的区分としては、ジェンダーは比較的遅くに現代の考古学に組み込まれましたが、それが急速に主要な関心領域へと拡大したことを否定する人はほとんどいないでしょう。複数の論題が、ジェンダーのかなり広範な概念的枠組みの下で扱われており、それに含まれるのは、親族関係と居住のパターン(関連記事)、性別とジェンダーの体系の複雑さと流動性、ジェンダーと暴力との間の関係、男らしさの文化的定義などです。しかし、最初期の研究以来、一つの論題が際立っており、それはジェンダー不平等の分析です。

 男女間の生物学的違いに広く基づいた文化的構成物として、ジェンダーは常に二元的用語で表現されるわけではありません。それにも関わらず、過去の性別とジェンダーの体系に関する理解は、生物学的性別の同定に基づくことが多くあります。そうした同定は、人類学と人口統計学と社会学の分析にとってひじょうに重要ですが、手元の証拠が何千年も前の場合、困難になります。ジェンダー非対称性の分析は、土壌の化学的性質や風化や死肉漁りや略奪ヒト遺骸の保存状態の悪さにより妨げられることが多くあります。じっさい、先史時代の社会では、骨格要素の分離や細工や焼却および/もしくは部分的破壊を含む、埋葬慣行がよく見られました。そうした状況下では、自然人類学で通常用いられる性的二形の形態学的特徴(つまり、骨盤や頭蓋)の同定は、不可能ではないとしても、困難であることが多くあります。遺伝的性別の同定は代替的ですが、高温で乾燥した気候条件では制約される古代DNAの保存が必要となります。

 しかし、過去数年で新たな科学的技術が開発されており、それは歯のエナメル質における微小規模の流れの液体の色層分析の直列型質量分光法による、性的二形のアメロゲニンペプチドの分析に基づいています。この新たな手順は、保存状態の悪いヒト骨格でさえ、ひじょうに信頼性の高い性別判定を提供できます。この技術を先史時代のヒト遺骸に適用すると、将来のジェンダー考古学への取り組み方を大きく変える可能性がある、結果が得られました。最近急速に拡大した同位体および古代DNA分析など、他の最近開発された科学的手法とプロテオミクス(タンパク質の総体であるプロテオームの解析手法)を組み合わせることにより、先史時代の社会組織の研究は変化することになるでしょう。銅器時代のイベリア半島(紀元前3200~紀元前2200年頃)を対象とした本論文で提示される結果は、プロテオミクスの追加が先史時代の社会組織の研究をどのように変えることができるのか、示しています。


●データの概要:象牙の婦人

 スペイン南西部のセビリアのバレンシナ(Valencina)は銅器時代の「巨大遺跡」で(図1)、面積は他の同時代の遺跡よりもはるかに大きい約450ヘクタールです。最近の研究では、洗練された巨石玄室や巨大な溝、象牙や水晶や琥珀や燧石やダチョウの卵殻など外来の素材から製作された精巧な工芸品を含む、関連する高級物質と関連する、バレンシナの記念碑様式の程度を明らかにしてきました。さらに、バレンシナ遺跡では、現時点でイベリア半島銅器時代のどの遺跡よりも多いヒト遺骸の収集が得られました。結果として、バレンシナは初期の社会的複雑さとジェンダー差別との間の相互作用を分析する独自のデータセットを提供します。以下は本論文の図1です。
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 イベリア半島における銅器時代の葬儀慣行はおもに集団土葬により特徴づけられますが、バレンシナの埋葬10.049では一次土葬として埋葬された単一個体の遺骸が得られました(図2)。この埋葬は、いくつかの理由で注目に値します。そこに埋葬された個体は、標準的な人類学的分析に基づいて、死亡時年齢が17~25歳の恐らくは若い男性だった、と最初に同定されました。ストロンチウム同位体は、この個体が地元出身と示しましたが、同時に、骨の驚くほど高水準の水銀は、生前の辰砂への強い曝露を明らかにしました。以下は本論文の図2です。
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 この個体には豊富な威信財一式が共伴しており、その中には、大きな土器板(葡萄酒とアサの化学的痕跡が見つかりました)と小さな銅の千枚通しと複数の燧石および象牙製品が含まれていました(図2下および図3)。注目すべきことに、複数の燧石および象牙製品にはアフリカゾウの1.8kgにもなる完全な牙が含まれており、これはヨーロッパ西部では他に類を見ません。以下は本論文の図3です。
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 この埋葬後しばらくして、墓10.049に埋葬された個体に別の捧げものが行なわれ(図2上および図4)、平らな厚い石板一式が慎重に上に置かれ、その後、いくつかの大型土器板や多くの象牙製品を含めてさらなる副葬品が配置されました。象牙製品では、水晶で作られた刃と真珠層で作られた90点の穿孔された円盤状ビーズで装飾された象牙製の柄を備えた美しい短剣が際立っています。以下は本論文の図4です。
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 最近の比較検討が示したように、副葬品として用いられた遺物群の量と質から、この若い個体はイベリア半島の全ビーカー銅器時代(紀元前3200~紀元前2500年頃)で最も社会的に著名な個体だった、と示唆されます。さらに、バレンシナで見つかった乳児埋葬に副葬品がなかった事実から、この遺跡に暮らしていたか頻繁に訪れていた共同体では、社会的地位は誕生時に決まらなかった、と示唆されます。したがって、富の顕著な継承は起きず、前期青銅器時代に起きたこととは逆です。したがって、構造物10.049に埋葬された個体が、功績と個人的業績を釣ヴして顕著な社会的地位を獲得したのであり、出生により継承したのではなかった、との仮定は妥当です。これらの特徴は、共同作業(記念碑の建設や維持など)と顕著な消費(宴会)が、批判もあるものの。マーシャル・ディビッド・サーリンズ(Marshall David Sahlins)の「偉人(big-man)」概念の説明として人類学者により採用されたものと一致します。この概念は、超平等主義社会における「富や権力を拡大する人(aggrandizer)」の概念とともに、後期新石器時代および銅器時代のイベリア半島の文脈内で用いられてきました。

 2021年秋に、ヨーロッパの後期先史時代における性別とジェンダーの体系に関するより広範な協力の範囲で、ペプチド分析から、構造物10.049の個体は女性と示され、「象牙の男性」が「象牙の婦人」だと明らかにされました(図5)。以下は本論文の図5です。
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●銅器時代の女性の指導力

 この意外な新事実は、近隣のモンテリリオの円頂丘に埋葬された人々とこの女性のつながりを前景化します。埋葬10.049の南方わずか100mに位置するモンテリリオは、2基の部屋のある円頂丘様式の記念碑で、「象牙の婦人」の2~3世代後の大規模な葬儀の遺骸を含んでいます。これらの葬儀には25人が含まれており、そのうち3人が回廊に、25人が大玄室に、2人が小玄室に埋葬されました。人骨の22点の放射性炭素年代に基づくベイズモデルから、モンテリリオの円頂丘の使用は紀元前2875~紀元前2700年(95.4%)に始まり、紀元前2805~紀元前2635年(95.4%)に終わった、と示唆されました。

 モンテリリオの小玄室で見つかった遺骸がローマ期にひどく攪乱されていたのに対して、大玄室は高品質な人類学と人工物のデータを提供しました。骨学的研究によると、大玄室に埋葬された20個体のうち15個体(全員が一次土葬)は女性もしくは女性だった可能性がありますが、残りの5個体は不明です。この全個体は死亡時に成人で、その大半は20~35歳でした。高級な人工物の主要な収集品が墓から回収され、その多くは外来の素材から製作され、象牙や推奨や金や琥珀や圧砕岩や燧石が含まれます。さらに、大玄室の女性の一部は、全身の外衣など、海洋性貝殻から彫った何千もの穿孔されたビーズで作られた洗練された服を着ていました。

 「象牙の婦人」と同様に、モンテリリオの大玄室に埋葬された女性のほとんどは、その骨に異常なほど高水準の水銀を示しており、生前の辰砂への強い曝露を示唆します。さらに、これらの女性のうち1個体は、軸後性多指症の症例を示しており、これが恐らくはこの女性を生涯にわたって特別な人物と示しており、それは世界規模の多くの文化で一般的です。高度に「演出化された」埋葬配置、人口統計学的特性、骨に基づく伝記的特徴づけ、関連する物質文化に基づくと、これらの女性は宗教専門家の集団として解釈されました。じっさい、墓10.049とモンテリリオの両方で見つかった物質文化の分析から導き出されたさまざまな証拠の断片から、「象牙の婦人」の上で見つかった供物はモンテリリオが2もしくは3世代後に築かれた時に作られた、と示唆されます。モンテリリオの建造者は、自分たちと「象牙の婦人」を結びつけるつながりを強調しようとしました。バレンシナでもイベリア半島銅器時代全体でも、墓10.049とモンテリリオ墓地に物質的と見と洗練で匹敵する墓は発見されていません。これらの結果は、バレンシナだけではなく、全体としてイベリア半島銅器時代共同体における、政治的指導力の初期形態の性質、その中で女性の果たした役割、近隣のモンテリリオの円頂丘に埋葬された人々と「象牙の婦人」の具体的な関係に関する新たな問題を提起します。

 第一に、「象牙の婦人」は、現在利用可能な証拠に基づくと、イベリア半島全土でビーカー文化前銅器時代(紀元前3200~紀元前2500年頃)の最高の社会的地位の人物だった、と本論文は強調します。これは、ヨーロッパ西部全域でより階層的な社会へとつながる過程が進行中のこの重要な期間の最も強力な人物として女性が現れているから、というだけではなく、イベリア半島で匹敵するか類似の男性が存在しないことからも、重要です。その時期に同等の華やかさと富で埋葬された他の個体も女性だけで、15個体の女性を含めて20個体がモンテリリオの円頂丘の大玄室で見つかりました。これらの発見は、ヨーロッパ後期先史時代におけるジェンダー非対称性の研究と高度に関連しています。少ないものの挙げると、ラ・アルモロヤ(La Almoloya)やフランツハウゼン(Franzhausen)やいわゆる「ヴィックス(Vix)の女王」など、かなりの富で埋葬された行為の青銅器時代もしくは鉄器時代のよく記録されている事例は、高位の男性の埋葬が一般的だった社会的状況内で見られました。比較すると、イベリア半島のビーカー文化前の銅器時代の記録は、バレンシナの墓10.049もしくはモンテリリオと匹敵する男性の埋葬を示しません。

 第二に、紀元前三千年紀のイベリア半島社会は、青銅器時代もしくは鉄器時代のヨーロッパの他地域で確認されている、高度に階層化されているか、階級的か、国家社会を示唆する特徴を示しません。バレンシナの記録が示すように、イベリア半島銅器時代における指導体制はよく見ても不安定で、主要産物経済ではなく富裕経済により調達されていました。「象牙の婦人」はその影響や名声や権力を出生身分かせも農作物の管理からでもなく、その個人的な権威と業績から得たようです。高水準の水銀曝露を含む辰砂や葡萄酒やアサなどの物質と「象牙の婦人」との関係は、日常的な慣行だけからの結果である可能性は低そうです。

 第三に、バレンシナの証拠は、ヨーロッパの後期新石器時代および銅器時代の社会の性質に関するさらなる問題を提起します。ジェンダー差別の証拠が増えつつある一方で、墓10.049とモンテリリオの円頂丘からは、紀元前四千年紀後期と紀元前三千年紀前期にバレンシナで起きた社会的階層化の初期動態の状況内では、女性は表面上男性では獲得できない行為を享受していた、と示唆されます。構造物10.049とモンテリリオの円頂丘の両方が、銅器時代イベリア半島(および、とくにビーカー文化前の銅器時代)の全体で最も壮麗な墓であることは注目に値し、女性が指導的地位を占めていた、と示唆されます。

 バレンシナから得られた証拠は、初期の政治組織におけるジェンダーの違いと女性の役割に関するより広範な研究に大きく寄与します。19世紀以降、女性が支配者だった先史時代との見解が広まってきました。この社会進化的見解を支持するだろう母権制の決定的な考古学的証拠の欠如から、ほとんどの学者はこの手法を完全に退けました。本論文で提示された実証的調査結果を考慮すると、初期政治組織における母系政治体制や女性指導者の役割に関する論題は、さらなる議論に値します。本論文で検討された事例は、初期の複雑な社会における権力や社会的複雑さやジェンダーの違いに関する有力な見解の再考を促します。それはさらに、富とジェンダーに関する19世紀の論議が現代の解釈に果たす役割や、社会科学と人文学における過去の長年の物語に挑戦する新たな科学的手法の力について省みる扉を開きます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:銅器時代のイベリア半島では「象牙の婦人」が大きな権力を握っていた

 イベリア半島の銅器時代の古代社会で最も地位が高かったとされる人物は、これまで考えられていた男性ではなく、女性であったことが、ペプチド分析によって明らかになった。このことを報告する論文が、Scientific Reportsに掲載される。「象牙の婦人」と呼ばれるようになったこの人物の遺骨が埋葬されていた墓からは、象牙、高品質のフリント石、ダチョウの卵殻、琥珀、水晶製の短剣など、この地域では希少で貴重な物品からなる最大規模の副葬品が見つかっていた。今回の知見は、古代社会で女性が高い地位にあった可能性を示している。

 2008年にスペインのバレンシナにある銅器時代(紀元前3200~2200年)の墓から1体の遺骨が発見された。これは単体埋葬の希少な事例であると共に、墓には貴重な品々が大量に収納されていたため、埋葬されていたのが社会的地位の高い人物であり、17~25歳の若い男性だと当初は考えられていた。

 今回、Marta Cintas-Peñaらは、アメロゲニンペプチドの分析を行い、遺骨標本の歯にアメロゲニンが存在しているかを調べた。アメロゲニンは、歯のエナメル質を形成するタンパク質で、性的二型性を示す。臼歯と切歯の分析において、アメロゲニンをコードする遺伝子で、X染色体上に位置するAMELX遺伝子が検出された。しかし、同じアメロゲニンをコードする遺伝子で、Y染色体上に位置するAMELY遺伝子が検出されなかったため、この遺骨が女性であることが示唆された。Cintas-Peñaらによれば、これは、イベリア半島の銅器時代の社会で最も高い地位の人物が女性であったことを示しているという。また、当時の幼児の墓には副葬品がなかったため、この時代に、生まれによって高い地位が与えられることはなかったと示唆された。従ってCintas-Peñaらは、「象牙の婦人」が、その一生における功績と成果を通じて高い地位を獲得したと結論付けている。

 また、Cintas-Peñaらは、このような高い地位にあった男性が見つかっていないことも報告している。バレンシナには、「象牙の婦人」の墓の隣に、同じように豪華な銅器時代の墓がもう1つだけ見つかっている。この墓には少なくとも15人の女性が埋葬されており、「象牙の婦人」の子孫を称する人々によって建立されたと推測されている。これは、イベリア半島の銅器時代の社会では、女性が権力者の地位を占めていたことを示唆している。



参考文献:
Cintas-Peña M. et al.(2023): Amelogenin peptide analyses reveal female leadership in Copper Age Iberia (c. 2900–2650 BC). Scientific Reports, 13, 9594.
https://doi.org/10.1038/s41598-023-36368-x


追記(2023年7月11日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

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