サウスカロライナ州の墓地で発見されたアフリカ系の人々のゲノム解析
取り上げるのが遅れてしまいましたが、アメリカ合衆国サウスカロライナ州の墓地で発見された18世紀後半の遺骸のゲノムデータを報告した研究(Fleskes et al., 2023)が公表されました。近年、アメリカ大陸へと植民地期に奴隷として強制連行されてきた人々およびその子孫の遺伝学的研究が盛んです(関連記事)。本論文は、アチャールストンの18世紀の36個体のDNAデータを報告します。本論文は、18個体の低網羅率のゲノムデータを報告し、これはアフリカ西部全域の祖先のつながりの多様性を明らかにし、この18個体には、アフリカ西部のフラニ人(Fulani)とのゲノムの類似性がある1個体を含んでいます。この研究は全体的に、北アメリカ大陸におけるアフリカ系子孫の最多となる古代ゲノムを記載し、これは植民地期アメリカ大陸におけるアフリカ系の多様性の理解を大きく深めます。この研究はさらに、古代DNA研究が関係者共同体との緊密な協力でどのように行なうことができるのか、示し、それは古ゲノミクスの分野にとって倫理的な枠組み構築の重要な段階です。
●要約
本論文では、18世紀後半にさかのぼるアフリカ系36個体の遺骸が、サウスカロライナ州のチャールストン港湾都市で発掘された後に開始された、共同体関与の古代DNA研究の結果が提示されます。チャールストンのガラ人(Gullah)社会は、他のチャールストンの共同体構成員とともに、その歴史を可視化するため、奴隷状態と推定されるこれら祖先の共同ゲノム研究を開始しました。本論文は、低網羅率の18個体のゲノムと、31個体の)片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のハプロタイプを生成し、その遺伝的起源と相互関係を評価しました。その結果、これらの遺骸はおもにアフリカ西部および西部~中央部ゲノム祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しており、1個体はアメリカ大陸の人口集団との幾分のゲノム類似性を示す、と示唆されます。これらの遺骸のほとんどは遺伝的男性で、常染色体の親族は確認されませんでした。この研究は全体的に、アメリカ合衆国南部におけるアフリカ系子孫の人口集団の植民地期の歴史に関する理解を深めます。
●研究史
16~18世紀にかけて、大西洋横断奴隷貿易期に1500万人以上がアフリカ大陸から誘拐され、そのうちほぼ30万人が北アメリカ大陸東部に連行されました。これらの個体の出自に関する情報は、おもに公文書記録を通じて調査されてきており、ほとんどがヨーロッパ人の奴隷商人により、中央航路を通って大西洋横断で連行される前に、アフリカ西部および西部~中央部の沿岸で購入された、と示唆されています。この詳細な人工透析的情報は、その大半が、36000隻以上のイギリスの奴隷船記録を計数的に記録した大西洋横断奴隷貿易データベースにおいて利用可能な情報から推測されてきました。
しかし、文書記録が限定的か存在しない場合、古代DNA分析が奴隷化された個体のアフリカの起源と、より大きな大西洋横断奴隷貿易網についての重要で補完的な情報を提供してきました。この研究の事例として、カリブ海とアメリカ大陸(関連記事)の植民地期のアフリカ系個体の古代の常染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)から、これらアフリカ系個体群はおもにアフリカ西部もしくは西部~中央部、祖先系統を有していた、と示唆されてきました。
古代DNA手法により、考古学的個体群の遺伝的祖先の起源に関する情報を回収する能力が向上しましたが、「黒人」とフェミニストと先住民の科学および技術研究の枠組みでは、ニューヨーク・アフリカ人埋葬地(New York African Burial Ground、略してNYABG)計画や産リトルプリンセス考古学計画(Estate Little Princess Archaeology Project)のような草分け的計画によりモデル化されているように、アフリカ人の離散史研究における共同体の協力と責任義務と活動の重要性が強調されています。とくにNYABGは、研究の方向性と西夏を決定するための、共同体構成員の権限委譲にとって強力な事例となりました。
この研究は、36個体の生活を解明するために設計された共同体が始めて関与した研究である、アンソン通りアフリカ人埋葬地(Anson Street African Burial Ground、略してASABG)計画においてこれらの枠組みを採用しました。この36個体の遺骸は、サウスカロライナ州のチャールストン商業地区のチャールストン・ゲイラード・センターの建設中に偶然発掘され、その後で移されました。共同体の草の根的組織で、その構成員が後にASABG計画団を結成したガラ人協会株式会社は、一連の「共同体談話」を主宰し、これらの個体を共同体の祖先と考えているチャールストン・アフリカ系アメリカ人共同体がこの遺骸群で何をすべきと感じているのか評価しました。共同体の意見に基づいて、ガラ人協会はこれらの個体(以下、アンソン通りの祖先と呼ばれます)の元々の埋葬地の敷地に再埋葬するよう、提唱しました。共同体は、これらの祖先とこれらの祖先についてできるだけ多くを知りたいと考え、これらの遺骸でのゲノム研究を承認しました。共同体からの質問には以下のものが含まれていました。祖先の証拠書類はありますか?祖先は大切に埋葬されましたか?女性と子供はそくに埋葬されましたか?祖先は最近北アメリカ大陸に連行されましたか?祖先は相互に親族関係にありましたか?重要なことに、共同体の構成員は祖先の起源についてもっと理解することに関心を抱いていました。
2017年に、ガラ人協会とチャールストン・アフリカ系アメリカ人共同体はアンソン通りの祖先の古代DNA分析実行の可能性を議論し、合意しました。ガラ人協会は本論文の著者のうち2人、つまりラルク・E・フレスケス(Raquel E. Fleskes)氏とシアドア・G・シューア(Theodore G. Schurr)氏に連絡を取りました。著者2人は植民地期北アメリカ大陸の状況における古代DNA計画とアフリカ系子孫共同体との現代人のDNA研究を行なった経験があり、共同体中心の研究の実施に関わりました。その後、共同体の関係者と協力して、研究計画が共同開発され、実行されました。この研究では、分かりやすい意思伝達を通じて信頼と関係を築くために、定期的な共同体会議と教育行事が開催され、関係者に研究の進捗状況の最新情報が提供されました。この取り組みは、2019年に36人の祖先の改葬式で最高に達しました。共同体の意見提供は、儀式命名の創案も促進し、ヨルバ人(Yoruba)の聖職者が改葬の前に36人の祖先に名誉的な名前を授けました。これら象徴的な名前は、ロレンツォ・ダウ・ターナー(Lorenzo Dow Turner)氏の『ガラ人の方言のアフリカ主義』に典拠があり、以前のミトコンドリアゲノムの調査結果や骨学的証拠や精神的導きに基づいて選択されました。したがって、本論文を通じて、埋葬番号とともに、その名誉的な名前により個々の祖先が言及されます。
以前の生物考古学的および公文書研究は、アンソン通りの祖先の歴史の予備的理解を提供します。保存状態が悪かったにも関わらず、骨学的分析から、これらの個体はアフリカ祖先系統の可能性が高い、と示唆されました。公文書および考古学的遺物の分析から、埋葬地はほぼ1760~1790年の間に用いられていた、と示唆されました。その後の文書研究から、アンソン通りの埋葬地チャールストンにおける「有色」自由民の既知の埋葬地からずっと遠く、とくに「白人」の地主個体の所有地に位置する、と示唆されました。この研究での広範な努力にも関わらず、アンソン通りの祖先の耳ともしくは事例状態に関する直接的文書は発見されていませんが、その埋葬地位置を考えると、奴隷化されていた可能性が高そうです。完全なミトコンドリアゲノム分析からさらに、1個体を除いて全員アフリカ人の母系祖先を有しており、残りの1個体は北アメリカ人の母系祖先を有している、と確証されました。これらのミトコンドリアゲノムの結果は、祖先のより広範な人口動態と背景への重要な洞察を明らかにしましたが、常染色体に基づく分析の深度は欠けていました。
これらの理由のため、本論文はアンソン通りの祖先のより広範なゲノム分析を実行しました。本論文は、これらの個体から18個体の低網羅率のゲノムと31個体の片親性遺伝のハプロタイプを報告します。本論文はこのゲノム情報を以前に刊行された考古学・骨学・遺伝学の調査結果と統合し、これらのデータを、大西洋横断奴隷貿易データベースから収集された人口統計学的情報と比較しました。本論文は、ASABGにおける居住パターン化をより深く調べるため、以前に報告されたストロンチウム同位体証拠との関連でもゲノムデータを評価しました。これらの結果は、共同体の関わった古代DNA研究を、いかに効率的に行なうことができ、これまでに刊行された北アメリカ大陸における奴隷化されたと推定されるアフリカ系子孫の個体群のゲノム祖先系統の最も広範な理解を提供できるのか、示します。
●大西洋横断奴隷貿易データベース分析
大西洋横断奴隷貿易データベース記録の分析に基づいて、1700~1810年ま間の、記録された合計174793個体がアフリカ西部沿岸(セネガルからナイジェリア)の上部および下部地域、アフリカ西部~中央部沿岸(カメルーンからアンゴラ)、および比較してより少ないものの、アフリカ南東部のモザンビーク()港から誘拐され、チャールストンに連行された、と推定されました(図1A)。地域ごとに分析すると、これらの個体のうちほぼ1/3(27.4)%はアフリカ西部~中央部とセントヘレナ島に位置する港から連行され、ほぼ半分(47.35%)はアフリカ西部の港から連行されました(図1B)。以下は本論文の図1です。
10年ごとにデータベース記録を分析すると、チャールストンに連行された誘拐被害者のアフリカの起源は経時的に異なっていた、と示唆されます。たとえば、1750年代の前にはチャールストンに連行された個体のうち最多はアフリカ西部~中央部沿岸に起源があったのに対して、その後、奴隷商人は上部アフリカ西部沿岸の港からより多くの個体を連行しました(図1CおよびD)。さらに、誘拐された個体数は1801~1809年の間にも劇的に増加しており、この期間に奴隷労働者は、大西洋横断奴隷貿易の全期間にチャールストンへと連行された全個体数のほぼ半数(46.6%)が輸入されました(図1C)。この急増は、連邦政府が1808年に奴隷輸入禁止法の制定前に、奴隷化されたアフリカ人の輸入を再開したサウスカロライナ州議会の1803年の決議により促進され、これは、チャールストンが奴隷制という社会経済的制度に深く根ざしていたことを反映しています。
●配列決定と古代DNAの確証
ミトコンドリアと核のヒトDNAがアンソン通りの祖先36個体のうち31個体でおられ、ゲノム網羅率の範囲は0.002~1.23倍でした(表1)。側頭骨の錐体突起か歯か頭蓋後方(首から下)骨格要素(中足骨/手根骨か指骨か肋骨)が、利用可能性と保存性に基づいて分析のため選択され、最終的に錐体骨要素から最も多くの有用なデータが得られました。古代DNA抽出物には、ContamMixとHaplocheckを用いて推定されたように、さまざまな水準のミトコンドリアの汚染が含まれており、大半は低水準のミトコンドリア汚染を示しました。降水のミトコンドリア汚染の4個体は、下流分析から除外されました。ContamLDを用いて評価された核の汚染は、核DNAが充分な網羅率で配列決定された祖先では最小限(9%未満)でした。
MapDamageとPMDtoolsを用いて配列決定の読み取りが分析され、古代DNA損傷の痕跡が示唆されました。MapDamage特性は非対称的なヌクレオチド誤取り込みパターンを示唆しており、5’末端におけるシトシン(C)からチミン(T)への置換の水準が減少し、3’末端におけるグアニン(G)からアデニン(A)への置換の水準が上昇しています。本論文は、この異常なパターンがライブラリ増幅中におけるニューイングランド生物学研究室社(New England Biolabs、略してNEB)のフュージョン高正確度DNAポリメラーゼ(Phusion High-Fidelity DNA Polymerase)の使用に起因する、と仮定します。このポリメラーゼはウラシルの核酸塩基を読み取れませんが、CpG(シトシンとグアニンがホスホジエステル結合でつながったDNA配列)メチル化末端への損傷を保存します。5’および3’末端両方におけるCpGメチル化水準の増加はPMDtoolsを用いて検出され、古代DNAの確実性が実証されました。全体的な損傷推定割合もPMDtoolsを用いて計算され、8.57~16.61%と示唆され、これも分解したDNA標本に典型的です。
●PCAとおよび混合分析
アンソン通りの祖先の二親性祖先系統を評価するため、ヒト起源参照パネルに対して一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が呼び出されました。2000以上の異性塩基対置換(transversion、プリン塩基、つまりアデニンおよびグアニンと、ピリミジン塩基、つまりシトシンとチミンとの間の置換)のみのSNPを有するゲノムだけが、祖先系統の慎重な推定のため、その後の常染色体分析に用いられました。アンソン通りの祖先のうち18個体のゲノムがこの基準を満たしました。SmartPCAの結果から、祖先のほとんどは参照アフリカ人口集団の投影された範囲内に収まった、と示唆されました。とくに、リサ(Lisa、CHS22)は第二主成分沿いに祖先の残りよりも低い位置にありましたが、参照人口集団の投影された範囲内に収まりました(図2A)。対照的に、クーソー(Coosaw、CHS24)はどの特定の人口集団クラスタ(まとまり)にも投影されず、代わりに、アフリカ大陸とアメリカ大陸の参照人口集団の間に位置しました。以下は本論文の図2です。
この祖先系統分布をさらに調べるため、ADMIXTUREがK(系統構成要素数)=4~16の間で、100回のブートストラップ繰り返しで実行され、K=12が最小の交差検証(cross-validation、略してCV)値でした。アンソン通りの祖先はおもにアフリカ祖先系統を示し、例外は、その1/3がアメリカ大陸で見られる人口集団と類似した混合特性を示したクーソー(CHS24)で、以前の調査結果と一致します。
祖先18個体の推定されるアフリカ祖先系統の詳細な理解を得るため、3553個体を含む、78のアフリカの参照人口集団の特注パネルに対して、多様体も呼び出されました。SmartPCAの結果から、個体の大半はアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団とクラスタ化します(まとまります)。繰り返すと、リサ(CHS22)とクーソー(CHS24)は第一主成分に沿って祖先の残りと分離しましたが、両個体はガンビアの参照人口集団の範囲内に収まります。
次に、アフリカの祖先系統をさらに記述するため、アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団に対して多様体が呼び出されました。SmartPCAの結果は、アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部祖先系統を有する祖先間の祖先系統の説明を示唆します。したがって、アンソン通りの祖先9個体には、アフリカ西部~中央部参照人口集団と最も密接に関連する負の主成分1(PC1)値が含まれており、クト(Kuto 、CHS04)とバンザ(Banza、CHS01)とジムブ(Zimbu、CHS13)は全員、ガボンの参照人口集団とより密接に一致しました。アンソン通りの祖先9個体は、アフリカ西部参照人口集団と関連する正のPC1値を含んでいました。より具体的には、リンマ(Lima、CHS03)とガンダ(Ganda、CHS23)とナナ(Nana、CHS11)とダバ(Daba、CHS17)は、ガーナと象牙海岸とシエラレオネの参照人口集団と密接に一致しました。さらに、リサ(Lisa、CHS22)はガンビアのフラ人(Fula)集団の知覚に投影されました。アンソン通りの祖先におけるアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の参照人口集団間の指定をさらに検証するため、追加のSmartPCAがアフリカ南部の参照人口集団を追加して実行されました。アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の参照人口集団間の祖先系統の分岐はPC2に沿っており、アンソン通りの祖先は同様にアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団とまとめられました。
ADMIXTUREも、特注のアフリカ参照人口集団に対して、K=4~18の100回のブートストラップ繰り返しで実行され、K=12が最小のCV値でした。この結果は、PCAの投影で観察されたように、アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団間の祖先系統の同様の分岐を示唆しており、アジャナ(Ajana、CHS34)と クト(CHS04)とバンザ(CHS01)とジムブ(CHS13)は、ガボンのアフリカ西部~中央部の参照人口集団と同様の混合特性を示します(図3C)。対照的に、ガンダ(GCHS23)とダバ(CHS17)はアフリカ西部参照人口集団と類似の特性を示し、PCAの投影と一致します。リサ(CHS22)は、ガンビアの人口集団、とくにフラ人民族集団と類似している他の祖先と比較して、独特来な混合特性を示します。以下は本論文の図3です。
●F統計
世界規模の参照人口集団と、遺伝的類似性の代理としてのアンソン通りの祖先その間の遺伝的浮動の水準における類似性を確認するため、F3形式(ウスチイシム;CHS個体、Y)のqp3Popを用いて、外群f3統計が計算されました。ここでは、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸(関連記事)が、アフリカ西部人口集団の外群として指定されます。人口集団の類似性を慎重に推定するため、参照人口集団と共通する12000以上のSNPを有する個体だけからの結果が用いられました。その結果は、バントゥー諸語拡大と関連するアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部祖先系統の推定をほぼ実証しました。
2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数(Fixation index、略してFst)が同水準の人口集団の類似性をさらに評価するため、D統計がD形式(チンパンジー、CHS個体;標的、Y)のqpDstatを用いて実行され、Yはヒト起源パネルのアフリカの人口集団を表し、標的人口集団は以前の分析で最高のF3値を有する人口集団で構成されます。検証されたアンソン通りの祖先7個体のうち、それぞれナイジェリアのヨルバ人(Yoruba)およびエサン(Esan)人と関連するナナ(CHS11)とウタ(Wuta、CHS16)は、有意に却下されませんでした。現在のアフリカの参照人口集団との適合の欠如は、大西洋横断奴隷貿易の結果としてのアフリカにおける多くの人口置換、もしくはアフリカ大陸の人口集団の代表的な標本抽出の欠如に起因するかもしれません。アフリカのゲノム多様性を倫理的に分析するための取り組みが現在進行中ですが、アフリカ人の離散の文脈において古代DNA分析にとって正確に祖先の寄与を推定するには、より代表的な参照人口集団が必要です。
●遺伝的性別と親族関係
汚染の低い個体で遺伝的性別が推定され、分析された27個体のうち21個体は染色体では男性でした。これらの分類は、骨学的すいていとほぼ一致しましたが、骨格の保存状態が悪かった3個体のみで異なりました。常染色体の親族関係は、1000人ゲノム参照パネルに対して、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の確率推定のため遺伝子型尤度を計算する、LcMLkinを用いて推定されました。その結果、3親等までの評価では、分析された個体で常染色体の親族関係はない、と明らかになりました。以前のmtDNA分析では、成人のイシ(Isi、CHS36)と子供のウェレア(Welela、CHS37)が同じmtDNAハプログループ(mtHg)を共有しており、ある程度の母系での親族関係を示す、と示唆されました。残念ながら、ウェレアの低網羅率のゲノムは、この関係のさらなる常染色体の評価を妨げます。
●片親性祖先系統
ミトコンドリアゲノムの多様体は、改定ケンブリッジ参照配列(NC_012920.1)ゲノムに独立してマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)され、Haplogrepを用いてハプロタイプが生成されました。その結果、以前のミトコンドリアゲノムの調査結果が実証され、イシ(CHS36)とウェレア(CHS37)の間で共有されるL3e2aハプロタイプが含まれ、両者が母系で関連していたことを示唆します(表1)。分析された27個体のミトコンドリアゲノムのうち、24個体はアフリカの人口集団で現在見られるmtHg-L0~L3を特徴づける多様体を示しました。これらの基底部mtHgは現在のアフリカ系アメリカ人口集団でも見られ、植民地アフリカ共同体との遺伝的連続性の可能性を示唆します。リサ(CHS22)はmtHg-H1cb1aで、これはナイジェリアとギニアとブルキナファソとマリのフラニ人(Fulani)集団でも観察されてきました。クーソー(CHS24)のmtHg-A2がさらに確証され、アメリカ大陸の人口集団とのクーソーの祖先系統は、その直接的な母系に最小限由来する、と示唆されます。
男性特有のY染色体(male-specific Y chromosome、略してMSY)の非組換え領域のハプログループ(YHg)は、染色体上の男性でYleafを用いて特徴づけられました(表1)。MSYハプロタイプを共有する個体はおらず、個体の大半は、YHg-E1b1aに属するハプロタイプを有しています。YHg-E1b1a現在のサハラ砂漠以南のアフリカ人とアフリカ系アメリカ人で一般的に見られ、アフリカ西部におけるバントゥー諸語話者人口集団の拡大と関連しています。さらに、クーソー(CHS24)はYHg-E2b1aを、フム(Fumu、CHS19)はYHg-B2a1aを示しました。これら両MSY系統もバントゥー諸語の各財と関連していますが、現在ではサハラ砂漠以南のアフリカにおいて低頻度で見られます。
●考察
この研究は、18世紀のチャールストンに暮らしたアンソン通りの祖先におけるアフリカ西部もしくはアフリカ西部~中央部のさまざまな祖先の起源を推測します。PCAおよびADMIXTURE分析から、アンソン通りの祖先のうち5個体は現在のアフリカ西部参照人口集団と、他の7個体はアフリカ西部~中央部人口集団と密接だった可能性が高い、と示唆されます。とくに、常染色体とmtDNAの証拠から、リサ(CHS22)はガンビアのフラニ人集団と祖先系統を共有していた可能性がたかい、と示唆されます(表1)。アンソン通りの祖先におけるサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統の優勢は、MSYおよびミトコンドリアゲノム系統にも反映されています。これらの調査結果は、大西洋横断奴隷貿易データベースの報告の分析と一致しており、チャールストンに連行されたほとんどの個体は18世紀のアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の港から来た、と示唆されます。
強制移住の個々の歴史の文脈でアンソン通りの祖先のゲノム起源をより深く分析するため、本論文は以前に刊行されたエナメル質のストロンチウム同位体をこの考察に統合し、居住地と祖先系統を調べます(表1)。ストロンチウムは発育期に地元の地下水および食資源からエナメル質に吸収されるので、その同位体痕跡は子供期における地理的居住地推定の手段を提供します。
以前の同位体調査結果では、アンソン通りの祖先のうち6個体は、チャールストン人口集団の平均と一致しないひじょうに高いストロンチウム値を有しており、代わりにアフリカ西部沿岸の人口集団で報告された値と重複する、と示唆されました。この結果から、この6個体はチャールストン地域で生まれたのではなく、代わりに中間航路を通って最近連行された、と示唆されました。これらの個体のうち成人5個体は常染色体分析に充分なDNA網羅率を含んでいました。ダバ(CHS17)とガンダ(CHS23)がアフリカ西部人口集団のPCA範囲内に投影されるのに対して、残りの3個体、つまりバンザ(CHS01)とクト(CHS04)とジムブ(CHS13)は、ガボンの人口集団と類似していました。興味深いことに、この3個体は相互に隣り合って埋葬されました。推定される骨学的年齢と埋葬収容範囲に基づくと、これらの個体はアフリカで最古なら1680年頃までに、最新なら1770年頃までに生まれたかもしれません。第一世代のアフリカ人個体は、そのアフリカ祖先系統の分布から、18世紀後半にアフリカ大陸の異なる地域から連行された、と示唆されます。
ストロンチウムのエナメル質分析では、アンソン通りの祖先のうち13個体はアフリカ外で生まれた可能性があり、チャールストンにおけるアフリカ系子孫の第二もしくはそれ以上の世代を表しているかもしれない、ということも示唆されました。上述のように、これらの個体のうち1個体、つまりクーソー(CHS24)のゲノム史は、アメリカ大陸の人口集団との混合を明らかにします。クーソー(CHS24)のmtHg-A2と、アフリカおよび北アメリカ大陸先住民の人口集団との顕著な常染色体混合は、植民地南部の軽視された人口集団における相互作用の歴史を証明します。18世紀のサウスカロライナの先住民には、カトーバ人(Catawba)やチェロキー人(Cherokee)などの集団が含まれていました。歴史資料は、17世紀および18世紀初期における辺境もしくは奴隷化された環境での自由民および/もしくは逃亡したアフリカ人の共同体における、北アメリカ大陸先住民とアフリカ系の個人との間の社会的相互作用を記録しています。17世紀初期には、北アメリカ大陸先住民個体群は、この地域における大西洋横断奴隷貿易の台頭の前に、ヨーロッパ人の植民者により奴隷化されていました。18世紀にカロライナの景観でヨーロッパの強制労働制度がさらに深く確立するにつれて、人種差別化された境界も同時に強化され、北アメリカ大陸先住民とアフリカ系個体群との間の相互作用が、植民地期ヨーロッパの権力制度にますます追随して記録されます。
クーソー(CHS24)の家族史の正確な状況は、直接的な公文書の証拠資料なしには決して完全に再構築できないかもしれませんが、mtHg-A2の存在およびアメリカ大陸の人口集団との常染色体の混合は、この地域における、初期植民地南部の北アメリカ大陸先住民個体群と相互作用した、初期アフリカ系子孫の個体群の多世代の存在を証明します。これらの調査結果は、アメリカ合衆国における現在のアフリカ系アメリカ人集団における北アメリカ大陸祖先系統の低い割合も裏づけ、これは18世紀と19世紀における混合事象に寄与しています。
本論文のゲノムの調査結果は、奴隷化の状況が埋葬地における生物学的親族関係のパターンにどのように影響を及ぼした可能性があるのか、さらに明らかにします。イシ(CHS36、成人女性)とウェレア(CHS37、6~8歳の子供)との間で共有される母系ハプロタイプを除いて、アンソン通りの祖先における密接な生物学的親族関係の他の証拠は明らかではありませんでした。充分なゲノム網羅率のあるアンソン通りの祖先の部分集合のみがこの分析には含まれていましたが(36個体のうち18個体)、これらの結果は、生物学的親族により構成されたのではなく、経時的な機会主義的埋葬パターンを示唆します。アンソン通りの祖先における密接な生物学的親族関係の欠如は、奴隷化されたアフリカ人個体群からの他の常染色体古代DNA調査結果とも一致しており(関連記事)、奴隷化で経てきた構造的暴力の性質を反映しています。
しかし、共同体もしくは文化的親族関係の他の表現は、祖先と埋葬されたと明らかになっている副葬品や装飾品の人工遺物により証明されているように、肉体的領域を超えたつながりを論証します。たとえば、子供のウェレア(CHS37)は目の上の効果とともに埋葬されており、乳児のオモ(Omo、CHS18)はその頭蓋の隣のビーズとともに埋葬されました。これらの物質は、生から死に至るまで被葬者を称えた人々による物質的装飾品を通じての、世話の行為を表している可能性が高そうです。
この研究は、18世紀のチャールストンにおけるアフリカ系子孫の個体群のおよびより広く大西洋横断奴隷貿易の歴史への重要な洞察します。全ゲノム分析はアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の人口集団とのアンソン通りの祖先のつながりを明らかにしており、奴隷船の記録に基づく公文書研究を確証しますが、北アメリカ大陸先住民字との興味深い歴史の詳細も追加します。古代DNAおよびストロンチウム同位体分析の統合は、アンソン通りの祖先の個々の歴史のより正確な再構築を可能とし、そのアフリカの地域的祖先系統と大陸間の移住史に情報を提供するでしょう。
最後に本論文は、これらの結果が、チャールストンのアフリカ系子孫の共同体にとって、祖先の起源と歴史という、重要な問題を調査した共同体中心の研究から得られた、と強調したいと考えます。その関与過程は、共同体を研究過程における主要な関係者として中心に置き、それによって、共同体の要求を優先し、祖先の遺骸を調べる研究者からの説明責任を必要とします。全体的にこの研究は、古ゲノム研究が共同体の関係者との協力でどのように行なえるのか、という一例を提示します。
参考文献:
Fleskes RE. et al.(2023): Community-engaged ancient DNA project reveals diverse origins of 18th-century African descendants in Charleston, South Carolina. PNAS, 120, 3, e2201620120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2201620120
●要約
本論文では、18世紀後半にさかのぼるアフリカ系36個体の遺骸が、サウスカロライナ州のチャールストン港湾都市で発掘された後に開始された、共同体関与の古代DNA研究の結果が提示されます。チャールストンのガラ人(Gullah)社会は、他のチャールストンの共同体構成員とともに、その歴史を可視化するため、奴隷状態と推定されるこれら祖先の共同ゲノム研究を開始しました。本論文は、低網羅率の18個体のゲノムと、31個体の)片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のハプロタイプを生成し、その遺伝的起源と相互関係を評価しました。その結果、これらの遺骸はおもにアフリカ西部および西部~中央部ゲノム祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しており、1個体はアメリカ大陸の人口集団との幾分のゲノム類似性を示す、と示唆されます。これらの遺骸のほとんどは遺伝的男性で、常染色体の親族は確認されませんでした。この研究は全体的に、アメリカ合衆国南部におけるアフリカ系子孫の人口集団の植民地期の歴史に関する理解を深めます。
●研究史
16~18世紀にかけて、大西洋横断奴隷貿易期に1500万人以上がアフリカ大陸から誘拐され、そのうちほぼ30万人が北アメリカ大陸東部に連行されました。これらの個体の出自に関する情報は、おもに公文書記録を通じて調査されてきており、ほとんどがヨーロッパ人の奴隷商人により、中央航路を通って大西洋横断で連行される前に、アフリカ西部および西部~中央部の沿岸で購入された、と示唆されています。この詳細な人工透析的情報は、その大半が、36000隻以上のイギリスの奴隷船記録を計数的に記録した大西洋横断奴隷貿易データベースにおいて利用可能な情報から推測されてきました。
しかし、文書記録が限定的か存在しない場合、古代DNA分析が奴隷化された個体のアフリカの起源と、より大きな大西洋横断奴隷貿易網についての重要で補完的な情報を提供してきました。この研究の事例として、カリブ海とアメリカ大陸(関連記事)の植民地期のアフリカ系個体の古代の常染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)から、これらアフリカ系個体群はおもにアフリカ西部もしくは西部~中央部、祖先系統を有していた、と示唆されてきました。
古代DNA手法により、考古学的個体群の遺伝的祖先の起源に関する情報を回収する能力が向上しましたが、「黒人」とフェミニストと先住民の科学および技術研究の枠組みでは、ニューヨーク・アフリカ人埋葬地(New York African Burial Ground、略してNYABG)計画や産リトルプリンセス考古学計画(Estate Little Princess Archaeology Project)のような草分け的計画によりモデル化されているように、アフリカ人の離散史研究における共同体の協力と責任義務と活動の重要性が強調されています。とくにNYABGは、研究の方向性と西夏を決定するための、共同体構成員の権限委譲にとって強力な事例となりました。
この研究は、36個体の生活を解明するために設計された共同体が始めて関与した研究である、アンソン通りアフリカ人埋葬地(Anson Street African Burial Ground、略してASABG)計画においてこれらの枠組みを採用しました。この36個体の遺骸は、サウスカロライナ州のチャールストン商業地区のチャールストン・ゲイラード・センターの建設中に偶然発掘され、その後で移されました。共同体の草の根的組織で、その構成員が後にASABG計画団を結成したガラ人協会株式会社は、一連の「共同体談話」を主宰し、これらの個体を共同体の祖先と考えているチャールストン・アフリカ系アメリカ人共同体がこの遺骸群で何をすべきと感じているのか評価しました。共同体の意見に基づいて、ガラ人協会はこれらの個体(以下、アンソン通りの祖先と呼ばれます)の元々の埋葬地の敷地に再埋葬するよう、提唱しました。共同体は、これらの祖先とこれらの祖先についてできるだけ多くを知りたいと考え、これらの遺骸でのゲノム研究を承認しました。共同体からの質問には以下のものが含まれていました。祖先の証拠書類はありますか?祖先は大切に埋葬されましたか?女性と子供はそくに埋葬されましたか?祖先は最近北アメリカ大陸に連行されましたか?祖先は相互に親族関係にありましたか?重要なことに、共同体の構成員は祖先の起源についてもっと理解することに関心を抱いていました。
2017年に、ガラ人協会とチャールストン・アフリカ系アメリカ人共同体はアンソン通りの祖先の古代DNA分析実行の可能性を議論し、合意しました。ガラ人協会は本論文の著者のうち2人、つまりラルク・E・フレスケス(Raquel E. Fleskes)氏とシアドア・G・シューア(Theodore G. Schurr)氏に連絡を取りました。著者2人は植民地期北アメリカ大陸の状況における古代DNA計画とアフリカ系子孫共同体との現代人のDNA研究を行なった経験があり、共同体中心の研究の実施に関わりました。その後、共同体の関係者と協力して、研究計画が共同開発され、実行されました。この研究では、分かりやすい意思伝達を通じて信頼と関係を築くために、定期的な共同体会議と教育行事が開催され、関係者に研究の進捗状況の最新情報が提供されました。この取り組みは、2019年に36人の祖先の改葬式で最高に達しました。共同体の意見提供は、儀式命名の創案も促進し、ヨルバ人(Yoruba)の聖職者が改葬の前に36人の祖先に名誉的な名前を授けました。これら象徴的な名前は、ロレンツォ・ダウ・ターナー(Lorenzo Dow Turner)氏の『ガラ人の方言のアフリカ主義』に典拠があり、以前のミトコンドリアゲノムの調査結果や骨学的証拠や精神的導きに基づいて選択されました。したがって、本論文を通じて、埋葬番号とともに、その名誉的な名前により個々の祖先が言及されます。
以前の生物考古学的および公文書研究は、アンソン通りの祖先の歴史の予備的理解を提供します。保存状態が悪かったにも関わらず、骨学的分析から、これらの個体はアフリカ祖先系統の可能性が高い、と示唆されました。公文書および考古学的遺物の分析から、埋葬地はほぼ1760~1790年の間に用いられていた、と示唆されました。その後の文書研究から、アンソン通りの埋葬地チャールストンにおける「有色」自由民の既知の埋葬地からずっと遠く、とくに「白人」の地主個体の所有地に位置する、と示唆されました。この研究での広範な努力にも関わらず、アンソン通りの祖先の耳ともしくは事例状態に関する直接的文書は発見されていませんが、その埋葬地位置を考えると、奴隷化されていた可能性が高そうです。完全なミトコンドリアゲノム分析からさらに、1個体を除いて全員アフリカ人の母系祖先を有しており、残りの1個体は北アメリカ人の母系祖先を有している、と確証されました。これらのミトコンドリアゲノムの結果は、祖先のより広範な人口動態と背景への重要な洞察を明らかにしましたが、常染色体に基づく分析の深度は欠けていました。
これらの理由のため、本論文はアンソン通りの祖先のより広範なゲノム分析を実行しました。本論文は、これらの個体から18個体の低網羅率のゲノムと31個体の片親性遺伝のハプロタイプを報告します。本論文はこのゲノム情報を以前に刊行された考古学・骨学・遺伝学の調査結果と統合し、これらのデータを、大西洋横断奴隷貿易データベースから収集された人口統計学的情報と比較しました。本論文は、ASABGにおける居住パターン化をより深く調べるため、以前に報告されたストロンチウム同位体証拠との関連でもゲノムデータを評価しました。これらの結果は、共同体の関わった古代DNA研究を、いかに効率的に行なうことができ、これまでに刊行された北アメリカ大陸における奴隷化されたと推定されるアフリカ系子孫の個体群のゲノム祖先系統の最も広範な理解を提供できるのか、示します。
●大西洋横断奴隷貿易データベース分析
大西洋横断奴隷貿易データベース記録の分析に基づいて、1700~1810年ま間の、記録された合計174793個体がアフリカ西部沿岸(セネガルからナイジェリア)の上部および下部地域、アフリカ西部~中央部沿岸(カメルーンからアンゴラ)、および比較してより少ないものの、アフリカ南東部のモザンビーク()港から誘拐され、チャールストンに連行された、と推定されました(図1A)。地域ごとに分析すると、これらの個体のうちほぼ1/3(27.4)%はアフリカ西部~中央部とセントヘレナ島に位置する港から連行され、ほぼ半分(47.35%)はアフリカ西部の港から連行されました(図1B)。以下は本論文の図1です。
10年ごとにデータベース記録を分析すると、チャールストンに連行された誘拐被害者のアフリカの起源は経時的に異なっていた、と示唆されます。たとえば、1750年代の前にはチャールストンに連行された個体のうち最多はアフリカ西部~中央部沿岸に起源があったのに対して、その後、奴隷商人は上部アフリカ西部沿岸の港からより多くの個体を連行しました(図1CおよびD)。さらに、誘拐された個体数は1801~1809年の間にも劇的に増加しており、この期間に奴隷労働者は、大西洋横断奴隷貿易の全期間にチャールストンへと連行された全個体数のほぼ半数(46.6%)が輸入されました(図1C)。この急増は、連邦政府が1808年に奴隷輸入禁止法の制定前に、奴隷化されたアフリカ人の輸入を再開したサウスカロライナ州議会の1803年の決議により促進され、これは、チャールストンが奴隷制という社会経済的制度に深く根ざしていたことを反映しています。
●配列決定と古代DNAの確証
ミトコンドリアと核のヒトDNAがアンソン通りの祖先36個体のうち31個体でおられ、ゲノム網羅率の範囲は0.002~1.23倍でした(表1)。側頭骨の錐体突起か歯か頭蓋後方(首から下)骨格要素(中足骨/手根骨か指骨か肋骨)が、利用可能性と保存性に基づいて分析のため選択され、最終的に錐体骨要素から最も多くの有用なデータが得られました。古代DNA抽出物には、ContamMixとHaplocheckを用いて推定されたように、さまざまな水準のミトコンドリアの汚染が含まれており、大半は低水準のミトコンドリア汚染を示しました。降水のミトコンドリア汚染の4個体は、下流分析から除外されました。ContamLDを用いて評価された核の汚染は、核DNAが充分な網羅率で配列決定された祖先では最小限(9%未満)でした。
MapDamageとPMDtoolsを用いて配列決定の読み取りが分析され、古代DNA損傷の痕跡が示唆されました。MapDamage特性は非対称的なヌクレオチド誤取り込みパターンを示唆しており、5’末端におけるシトシン(C)からチミン(T)への置換の水準が減少し、3’末端におけるグアニン(G)からアデニン(A)への置換の水準が上昇しています。本論文は、この異常なパターンがライブラリ増幅中におけるニューイングランド生物学研究室社(New England Biolabs、略してNEB)のフュージョン高正確度DNAポリメラーゼ(Phusion High-Fidelity DNA Polymerase)の使用に起因する、と仮定します。このポリメラーゼはウラシルの核酸塩基を読み取れませんが、CpG(シトシンとグアニンがホスホジエステル結合でつながったDNA配列)メチル化末端への損傷を保存します。5’および3’末端両方におけるCpGメチル化水準の増加はPMDtoolsを用いて検出され、古代DNAの確実性が実証されました。全体的な損傷推定割合もPMDtoolsを用いて計算され、8.57~16.61%と示唆され、これも分解したDNA標本に典型的です。
●PCAとおよび混合分析
アンソン通りの祖先の二親性祖先系統を評価するため、ヒト起源参照パネルに対して一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)が呼び出されました。2000以上の異性塩基対置換(transversion、プリン塩基、つまりアデニンおよびグアニンと、ピリミジン塩基、つまりシトシンとチミンとの間の置換)のみのSNPを有するゲノムだけが、祖先系統の慎重な推定のため、その後の常染色体分析に用いられました。アンソン通りの祖先のうち18個体のゲノムがこの基準を満たしました。SmartPCAの結果から、祖先のほとんどは参照アフリカ人口集団の投影された範囲内に収まった、と示唆されました。とくに、リサ(Lisa、CHS22)は第二主成分沿いに祖先の残りよりも低い位置にありましたが、参照人口集団の投影された範囲内に収まりました(図2A)。対照的に、クーソー(Coosaw、CHS24)はどの特定の人口集団クラスタ(まとまり)にも投影されず、代わりに、アフリカ大陸とアメリカ大陸の参照人口集団の間に位置しました。以下は本論文の図2です。
この祖先系統分布をさらに調べるため、ADMIXTUREがK(系統構成要素数)=4~16の間で、100回のブートストラップ繰り返しで実行され、K=12が最小の交差検証(cross-validation、略してCV)値でした。アンソン通りの祖先はおもにアフリカ祖先系統を示し、例外は、その1/3がアメリカ大陸で見られる人口集団と類似した混合特性を示したクーソー(CHS24)で、以前の調査結果と一致します。
祖先18個体の推定されるアフリカ祖先系統の詳細な理解を得るため、3553個体を含む、78のアフリカの参照人口集団の特注パネルに対して、多様体も呼び出されました。SmartPCAの結果から、個体の大半はアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団とクラスタ化します(まとまります)。繰り返すと、リサ(CHS22)とクーソー(CHS24)は第一主成分に沿って祖先の残りと分離しましたが、両個体はガンビアの参照人口集団の範囲内に収まります。
次に、アフリカの祖先系統をさらに記述するため、アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団に対して多様体が呼び出されました。SmartPCAの結果は、アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部祖先系統を有する祖先間の祖先系統の説明を示唆します。したがって、アンソン通りの祖先9個体には、アフリカ西部~中央部参照人口集団と最も密接に関連する負の主成分1(PC1)値が含まれており、クト(Kuto 、CHS04)とバンザ(Banza、CHS01)とジムブ(Zimbu、CHS13)は全員、ガボンの参照人口集団とより密接に一致しました。アンソン通りの祖先9個体は、アフリカ西部参照人口集団と関連する正のPC1値を含んでいました。より具体的には、リンマ(Lima、CHS03)とガンダ(Ganda、CHS23)とナナ(Nana、CHS11)とダバ(Daba、CHS17)は、ガーナと象牙海岸とシエラレオネの参照人口集団と密接に一致しました。さらに、リサ(Lisa、CHS22)はガンビアのフラ人(Fula)集団の知覚に投影されました。アンソン通りの祖先におけるアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の参照人口集団間の指定をさらに検証するため、追加のSmartPCAがアフリカ南部の参照人口集団を追加して実行されました。アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の参照人口集団間の祖先系統の分岐はPC2に沿っており、アンソン通りの祖先は同様にアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団とまとめられました。
ADMIXTUREも、特注のアフリカ参照人口集団に対して、K=4~18の100回のブートストラップ繰り返しで実行され、K=12が最小のCV値でした。この結果は、PCAの投影で観察されたように、アフリカ西部およびアフリカ西部~中央部参照人口集団間の祖先系統の同様の分岐を示唆しており、アジャナ(Ajana、CHS34)と クト(CHS04)とバンザ(CHS01)とジムブ(CHS13)は、ガボンのアフリカ西部~中央部の参照人口集団と同様の混合特性を示します(図3C)。対照的に、ガンダ(GCHS23)とダバ(CHS17)はアフリカ西部参照人口集団と類似の特性を示し、PCAの投影と一致します。リサ(CHS22)は、ガンビアの人口集団、とくにフラ人民族集団と類似している他の祖先と比較して、独特来な混合特性を示します。以下は本論文の図3です。
●F統計
世界規模の参照人口集団と、遺伝的類似性の代理としてのアンソン通りの祖先その間の遺伝的浮動の水準における類似性を確認するため、F3形式(ウスチイシム;CHS個体、Y)のqp3Popを用いて、外群f3統計が計算されました。ここでは、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸(関連記事)が、アフリカ西部人口集団の外群として指定されます。人口集団の類似性を慎重に推定するため、参照人口集団と共通する12000以上のSNPを有する個体だけからの結果が用いられました。その結果は、バントゥー諸語拡大と関連するアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部祖先系統の推定をほぼ実証しました。
2集団の遺伝的分化の程度を示す固定指数(Fixation index、略してFst)が同水準の人口集団の類似性をさらに評価するため、D統計がD形式(チンパンジー、CHS個体;標的、Y)のqpDstatを用いて実行され、Yはヒト起源パネルのアフリカの人口集団を表し、標的人口集団は以前の分析で最高のF3値を有する人口集団で構成されます。検証されたアンソン通りの祖先7個体のうち、それぞれナイジェリアのヨルバ人(Yoruba)およびエサン(Esan)人と関連するナナ(CHS11)とウタ(Wuta、CHS16)は、有意に却下されませんでした。現在のアフリカの参照人口集団との適合の欠如は、大西洋横断奴隷貿易の結果としてのアフリカにおける多くの人口置換、もしくはアフリカ大陸の人口集団の代表的な標本抽出の欠如に起因するかもしれません。アフリカのゲノム多様性を倫理的に分析するための取り組みが現在進行中ですが、アフリカ人の離散の文脈において古代DNA分析にとって正確に祖先の寄与を推定するには、より代表的な参照人口集団が必要です。
●遺伝的性別と親族関係
汚染の低い個体で遺伝的性別が推定され、分析された27個体のうち21個体は染色体では男性でした。これらの分類は、骨学的すいていとほぼ一致しましたが、骨格の保存状態が悪かった3個体のみで異なりました。常染色体の親族関係は、1000人ゲノム参照パネルに対して、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の確率推定のため遺伝子型尤度を計算する、LcMLkinを用いて推定されました。その結果、3親等までの評価では、分析された個体で常染色体の親族関係はない、と明らかになりました。以前のmtDNA分析では、成人のイシ(Isi、CHS36)と子供のウェレア(Welela、CHS37)が同じmtDNAハプログループ(mtHg)を共有しており、ある程度の母系での親族関係を示す、と示唆されました。残念ながら、ウェレアの低網羅率のゲノムは、この関係のさらなる常染色体の評価を妨げます。
●片親性祖先系統
ミトコンドリアゲノムの多様体は、改定ケンブリッジ参照配列(NC_012920.1)ゲノムに独立してマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)され、Haplogrepを用いてハプロタイプが生成されました。その結果、以前のミトコンドリアゲノムの調査結果が実証され、イシ(CHS36)とウェレア(CHS37)の間で共有されるL3e2aハプロタイプが含まれ、両者が母系で関連していたことを示唆します(表1)。分析された27個体のミトコンドリアゲノムのうち、24個体はアフリカの人口集団で現在見られるmtHg-L0~L3を特徴づける多様体を示しました。これらの基底部mtHgは現在のアフリカ系アメリカ人口集団でも見られ、植民地アフリカ共同体との遺伝的連続性の可能性を示唆します。リサ(CHS22)はmtHg-H1cb1aで、これはナイジェリアとギニアとブルキナファソとマリのフラニ人(Fulani)集団でも観察されてきました。クーソー(CHS24)のmtHg-A2がさらに確証され、アメリカ大陸の人口集団とのクーソーの祖先系統は、その直接的な母系に最小限由来する、と示唆されます。
男性特有のY染色体(male-specific Y chromosome、略してMSY)の非組換え領域のハプログループ(YHg)は、染色体上の男性でYleafを用いて特徴づけられました(表1)。MSYハプロタイプを共有する個体はおらず、個体の大半は、YHg-E1b1aに属するハプロタイプを有しています。YHg-E1b1a現在のサハラ砂漠以南のアフリカ人とアフリカ系アメリカ人で一般的に見られ、アフリカ西部におけるバントゥー諸語話者人口集団の拡大と関連しています。さらに、クーソー(CHS24)はYHg-E2b1aを、フム(Fumu、CHS19)はYHg-B2a1aを示しました。これら両MSY系統もバントゥー諸語の各財と関連していますが、現在ではサハラ砂漠以南のアフリカにおいて低頻度で見られます。
●考察
この研究は、18世紀のチャールストンに暮らしたアンソン通りの祖先におけるアフリカ西部もしくはアフリカ西部~中央部のさまざまな祖先の起源を推測します。PCAおよびADMIXTURE分析から、アンソン通りの祖先のうち5個体は現在のアフリカ西部参照人口集団と、他の7個体はアフリカ西部~中央部人口集団と密接だった可能性が高い、と示唆されます。とくに、常染色体とmtDNAの証拠から、リサ(CHS22)はガンビアのフラニ人集団と祖先系統を共有していた可能性がたかい、と示唆されます(表1)。アンソン通りの祖先におけるサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統の優勢は、MSYおよびミトコンドリアゲノム系統にも反映されています。これらの調査結果は、大西洋横断奴隷貿易データベースの報告の分析と一致しており、チャールストンに連行されたほとんどの個体は18世紀のアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の港から来た、と示唆されます。
強制移住の個々の歴史の文脈でアンソン通りの祖先のゲノム起源をより深く分析するため、本論文は以前に刊行されたエナメル質のストロンチウム同位体をこの考察に統合し、居住地と祖先系統を調べます(表1)。ストロンチウムは発育期に地元の地下水および食資源からエナメル質に吸収されるので、その同位体痕跡は子供期における地理的居住地推定の手段を提供します。
以前の同位体調査結果では、アンソン通りの祖先のうち6個体は、チャールストン人口集団の平均と一致しないひじょうに高いストロンチウム値を有しており、代わりにアフリカ西部沿岸の人口集団で報告された値と重複する、と示唆されました。この結果から、この6個体はチャールストン地域で生まれたのではなく、代わりに中間航路を通って最近連行された、と示唆されました。これらの個体のうち成人5個体は常染色体分析に充分なDNA網羅率を含んでいました。ダバ(CHS17)とガンダ(CHS23)がアフリカ西部人口集団のPCA範囲内に投影されるのに対して、残りの3個体、つまりバンザ(CHS01)とクト(CHS04)とジムブ(CHS13)は、ガボンの人口集団と類似していました。興味深いことに、この3個体は相互に隣り合って埋葬されました。推定される骨学的年齢と埋葬収容範囲に基づくと、これらの個体はアフリカで最古なら1680年頃までに、最新なら1770年頃までに生まれたかもしれません。第一世代のアフリカ人個体は、そのアフリカ祖先系統の分布から、18世紀後半にアフリカ大陸の異なる地域から連行された、と示唆されます。
ストロンチウムのエナメル質分析では、アンソン通りの祖先のうち13個体はアフリカ外で生まれた可能性があり、チャールストンにおけるアフリカ系子孫の第二もしくはそれ以上の世代を表しているかもしれない、ということも示唆されました。上述のように、これらの個体のうち1個体、つまりクーソー(CHS24)のゲノム史は、アメリカ大陸の人口集団との混合を明らかにします。クーソー(CHS24)のmtHg-A2と、アフリカおよび北アメリカ大陸先住民の人口集団との顕著な常染色体混合は、植民地南部の軽視された人口集団における相互作用の歴史を証明します。18世紀のサウスカロライナの先住民には、カトーバ人(Catawba)やチェロキー人(Cherokee)などの集団が含まれていました。歴史資料は、17世紀および18世紀初期における辺境もしくは奴隷化された環境での自由民および/もしくは逃亡したアフリカ人の共同体における、北アメリカ大陸先住民とアフリカ系の個人との間の社会的相互作用を記録しています。17世紀初期には、北アメリカ大陸先住民個体群は、この地域における大西洋横断奴隷貿易の台頭の前に、ヨーロッパ人の植民者により奴隷化されていました。18世紀にカロライナの景観でヨーロッパの強制労働制度がさらに深く確立するにつれて、人種差別化された境界も同時に強化され、北アメリカ大陸先住民とアフリカ系個体群との間の相互作用が、植民地期ヨーロッパの権力制度にますます追随して記録されます。
クーソー(CHS24)の家族史の正確な状況は、直接的な公文書の証拠資料なしには決して完全に再構築できないかもしれませんが、mtHg-A2の存在およびアメリカ大陸の人口集団との常染色体の混合は、この地域における、初期植民地南部の北アメリカ大陸先住民個体群と相互作用した、初期アフリカ系子孫の個体群の多世代の存在を証明します。これらの調査結果は、アメリカ合衆国における現在のアフリカ系アメリカ人集団における北アメリカ大陸祖先系統の低い割合も裏づけ、これは18世紀と19世紀における混合事象に寄与しています。
本論文のゲノムの調査結果は、奴隷化の状況が埋葬地における生物学的親族関係のパターンにどのように影響を及ぼした可能性があるのか、さらに明らかにします。イシ(CHS36、成人女性)とウェレア(CHS37、6~8歳の子供)との間で共有される母系ハプロタイプを除いて、アンソン通りの祖先における密接な生物学的親族関係の他の証拠は明らかではありませんでした。充分なゲノム網羅率のあるアンソン通りの祖先の部分集合のみがこの分析には含まれていましたが(36個体のうち18個体)、これらの結果は、生物学的親族により構成されたのではなく、経時的な機会主義的埋葬パターンを示唆します。アンソン通りの祖先における密接な生物学的親族関係の欠如は、奴隷化されたアフリカ人個体群からの他の常染色体古代DNA調査結果とも一致しており(関連記事)、奴隷化で経てきた構造的暴力の性質を反映しています。
しかし、共同体もしくは文化的親族関係の他の表現は、祖先と埋葬されたと明らかになっている副葬品や装飾品の人工遺物により証明されているように、肉体的領域を超えたつながりを論証します。たとえば、子供のウェレア(CHS37)は目の上の効果とともに埋葬されており、乳児のオモ(Omo、CHS18)はその頭蓋の隣のビーズとともに埋葬されました。これらの物質は、生から死に至るまで被葬者を称えた人々による物質的装飾品を通じての、世話の行為を表している可能性が高そうです。
この研究は、18世紀のチャールストンにおけるアフリカ系子孫の個体群のおよびより広く大西洋横断奴隷貿易の歴史への重要な洞察します。全ゲノム分析はアフリカ西部およびアフリカ西部~中央部の人口集団とのアンソン通りの祖先のつながりを明らかにしており、奴隷船の記録に基づく公文書研究を確証しますが、北アメリカ大陸先住民字との興味深い歴史の詳細も追加します。古代DNAおよびストロンチウム同位体分析の統合は、アンソン通りの祖先の個々の歴史のより正確な再構築を可能とし、そのアフリカの地域的祖先系統と大陸間の移住史に情報を提供するでしょう。
最後に本論文は、これらの結果が、チャールストンのアフリカ系子孫の共同体にとって、祖先の起源と歴史という、重要な問題を調査した共同体中心の研究から得られた、と強調したいと考えます。その関与過程は、共同体を研究過程における主要な関係者として中心に置き、それによって、共同体の要求を優先し、祖先の遺骸を調べる研究者からの説明責任を必要とします。全体的にこの研究は、古ゲノム研究が共同体の関係者との協力でどのように行なえるのか、という一例を提示します。
参考文献:
Fleskes RE. et al.(2023): Community-engaged ancient DNA project reveals diverse origins of 18th-century African descendants in Charleston, South Carolina. PNAS, 120, 3, e2201620120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2201620120
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