朝鮮民主主義人民共和国学界の古代史を読み解く
表題の論文(松浦., 2022)を読みました。本論文は、日本の非専門家ではほとんど知られていないだろう、北朝鮮の古代史学界の動向を取り上げており、もちろん私もほとんど知らなかったため、たいへん有益でした。本論文によると、北朝鮮では建国後、1960年代半ばころに独自の古代史体系と呼ぶべきものがはっきりと見えてくるようになったそうで、それには、戦前の日本人研究者が主導していた頃の朝鮮史研究で築かれてきた常識を根本から覆すような見解が含まれていました。
そもそも、朝鮮半島の古代史がどの時代範囲を指すのかが問題となりますが、日本では、紀元前3世紀までに成立したとされる古朝鮮の頃から、紀元後10世紀に新羅と渤海が滅亡する頃までを一般的に指すようです。建国後の北朝鮮の歴史学界における最初の古代史論争は、朝鮮史における古代とは何か、というものでした。1956~1960年にかけてのこの論争では、三国時代の社会経済構成体をめぐって、古代=奴隷制社会とする主張と、中世=封建制社会とする主張が提示されました。三国時代を中世とする研究者には、朝鮮史では奴隷制が支配的だった時代はなく、原始共同体社会から古代を経ず直接的に中世へ移行した、と主張する論者が多くいました。
この論争は1960年に決着し、三国時代を封建社会と規定する見解が北朝鮮の歴史学界の統一的な学説として採用されました。ただ、朝鮮社会が原始から中世へと直接的に移行したのではなく、奴隷制社会は三国成立以前の古朝鮮に存在した、とされました。本社はこれを、対立する両主張の折衷的見解だった、と評価しています。次に北朝鮮の歴史学界で論争となった古代史の問題は古朝鮮に関するもので、とくにその位置でした。一方は、古朝鮮が現在の平壌を中心に朝鮮半島北西部の国家だった、と主張し、もう一方は、現在の中国の遼寧省が古朝鮮のおもな支配領域だった、と主張しました。この論争は「遼寧説」が勝利し、古朝鮮は現在の朝鮮半島とは異なる地域に存在した国家とされました。
この他に1960年代の北朝鮮では、渤海を朝鮮史から除外する傾向が強かった日本の歴史学界とは異なり、朝鮮史に明確に位置づける見解が提示され、北朝鮮の歴史学界では広く受け入れられました。また1960年代には、紀元後3世紀末以降に朝鮮半島から日本列島に渡った移民が各地に分国を形成し、故国と連携を維持しつつ、諸勢力が統合され帝紀、7世紀前半に大和朝廷が成立した、との金錫亨氏の見解が提示され(関連記事)、こちらも北朝鮮の歴史学界で広く受け入れられました。
古朝鮮は遅くとも紀元前3世紀までには成立していた、とされます。前漢が古朝鮮を紀元前108年に滅ぼし、古朝鮮の首都一帯に楽浪郡、その他の地域に真番と臨屯と玄菟の3郡を設置しました。本論文は、古朝鮮が現在の中国遼寧省にあった、との主張には今から見ると強引なものが少なくなく、「遼寧説」で確定とするのには無理があるように思える、と評価します。しかし、現実に北朝鮮の歴史学界では、論争に勝った「遼寧説」のみが歴史教科書などに掲載されるようになりました。
このように、1960年代までに北朝鮮の歴史学界では、既存の通説を覆すような新解釈が次々と提示されました。その背景には、日本の朝鮮半島支配を正当化しようとした日本人研究者の不正な研究を論駁しなければならない、との問題意識があったようです。ただ本論文は、少なくとも当時、そうした認識が充分に立証されたものばかりではなかったことを指摘します。一方で本論文は、古朝鮮の位置に関する「遼寧説」などに、北朝鮮の研究者たちの政治的目的が先走ってしまった可能性を見ています。楽浪郡の位置を現在の中国遼寧省に比定する見解は、日本でも韓国でも広く支持されることはありませんでした。
ただ、韓国でもこうした北朝鮮の歴史学界で認められた見解と酷似した主張を提示した研究者もおり、そうした主張が歴史学界外で広く支持されることもあって、2015年には、楽浪郡などを朝鮮半島内に位置づけた地図の製作を進めていた韓国政府系歴史研究機関が強く批判され、政界も巻き込む騒動となって、事業が中止に追い込まれることもありました。渤海を朝鮮史に位置づける見解は、韓国でも北朝鮮より10年ほど遅れて提唱されました。本論文はこうした現象の背景として、戦前の朝鮮史研究が日本人研究者にほぼ独占されていたことへの反感を挙げます。それを考えると、北朝鮮の歴史学界の主流的見解には確かに日本や韓国の歴史学界では受け入れがたいものもあるものの、それを北朝鮮の歴史学界の「異常性」として取り上げ、嘲笑の対象としてすむ問題ではない、と本論文は指摘します。
以上、本論文の内容についてざっと見てきました。本論文は基本的に文献史学の問題を扱っていますが、日本列島と朝鮮半島に関しては、いわゆる先史時代を主要な対象として、古人類学的観点から関心のある私にとって、北朝鮮における先史時代の学術的成果がどのようなものなのか、日本史との関連でも注目しています。これに関しては最近取り上げましたが(関連記事)、北朝鮮の領域内の現代人や古代人のゲノムデータおよび考古学的データが大々的に公開されれば、朝鮮史だけではなく、日本史の解明にも大きく寄与すると考えられるので、今後の研究の進展が期待されます。もっとも、北朝鮮の現状では、現在の韓国のような水準でそうした研究を進めるのはかなり難しそうではありますが。
参考文献:
松浦峻大(2022)「朝鮮民主主義人民共和国学界の古代史を読み解く」『抗路』第10号P116-123(抗路舎)
そもそも、朝鮮半島の古代史がどの時代範囲を指すのかが問題となりますが、日本では、紀元前3世紀までに成立したとされる古朝鮮の頃から、紀元後10世紀に新羅と渤海が滅亡する頃までを一般的に指すようです。建国後の北朝鮮の歴史学界における最初の古代史論争は、朝鮮史における古代とは何か、というものでした。1956~1960年にかけてのこの論争では、三国時代の社会経済構成体をめぐって、古代=奴隷制社会とする主張と、中世=封建制社会とする主張が提示されました。三国時代を中世とする研究者には、朝鮮史では奴隷制が支配的だった時代はなく、原始共同体社会から古代を経ず直接的に中世へ移行した、と主張する論者が多くいました。
この論争は1960年に決着し、三国時代を封建社会と規定する見解が北朝鮮の歴史学界の統一的な学説として採用されました。ただ、朝鮮社会が原始から中世へと直接的に移行したのではなく、奴隷制社会は三国成立以前の古朝鮮に存在した、とされました。本社はこれを、対立する両主張の折衷的見解だった、と評価しています。次に北朝鮮の歴史学界で論争となった古代史の問題は古朝鮮に関するもので、とくにその位置でした。一方は、古朝鮮が現在の平壌を中心に朝鮮半島北西部の国家だった、と主張し、もう一方は、現在の中国の遼寧省が古朝鮮のおもな支配領域だった、と主張しました。この論争は「遼寧説」が勝利し、古朝鮮は現在の朝鮮半島とは異なる地域に存在した国家とされました。
この他に1960年代の北朝鮮では、渤海を朝鮮史から除外する傾向が強かった日本の歴史学界とは異なり、朝鮮史に明確に位置づける見解が提示され、北朝鮮の歴史学界では広く受け入れられました。また1960年代には、紀元後3世紀末以降に朝鮮半島から日本列島に渡った移民が各地に分国を形成し、故国と連携を維持しつつ、諸勢力が統合され帝紀、7世紀前半に大和朝廷が成立した、との金錫亨氏の見解が提示され(関連記事)、こちらも北朝鮮の歴史学界で広く受け入れられました。
古朝鮮は遅くとも紀元前3世紀までには成立していた、とされます。前漢が古朝鮮を紀元前108年に滅ぼし、古朝鮮の首都一帯に楽浪郡、その他の地域に真番と臨屯と玄菟の3郡を設置しました。本論文は、古朝鮮が現在の中国遼寧省にあった、との主張には今から見ると強引なものが少なくなく、「遼寧説」で確定とするのには無理があるように思える、と評価します。しかし、現実に北朝鮮の歴史学界では、論争に勝った「遼寧説」のみが歴史教科書などに掲載されるようになりました。
このように、1960年代までに北朝鮮の歴史学界では、既存の通説を覆すような新解釈が次々と提示されました。その背景には、日本の朝鮮半島支配を正当化しようとした日本人研究者の不正な研究を論駁しなければならない、との問題意識があったようです。ただ本論文は、少なくとも当時、そうした認識が充分に立証されたものばかりではなかったことを指摘します。一方で本論文は、古朝鮮の位置に関する「遼寧説」などに、北朝鮮の研究者たちの政治的目的が先走ってしまった可能性を見ています。楽浪郡の位置を現在の中国遼寧省に比定する見解は、日本でも韓国でも広く支持されることはありませんでした。
ただ、韓国でもこうした北朝鮮の歴史学界で認められた見解と酷似した主張を提示した研究者もおり、そうした主張が歴史学界外で広く支持されることもあって、2015年には、楽浪郡などを朝鮮半島内に位置づけた地図の製作を進めていた韓国政府系歴史研究機関が強く批判され、政界も巻き込む騒動となって、事業が中止に追い込まれることもありました。渤海を朝鮮史に位置づける見解は、韓国でも北朝鮮より10年ほど遅れて提唱されました。本論文はこうした現象の背景として、戦前の朝鮮史研究が日本人研究者にほぼ独占されていたことへの反感を挙げます。それを考えると、北朝鮮の歴史学界の主流的見解には確かに日本や韓国の歴史学界では受け入れがたいものもあるものの、それを北朝鮮の歴史学界の「異常性」として取り上げ、嘲笑の対象としてすむ問題ではない、と本論文は指摘します。
以上、本論文の内容についてざっと見てきました。本論文は基本的に文献史学の問題を扱っていますが、日本列島と朝鮮半島に関しては、いわゆる先史時代を主要な対象として、古人類学的観点から関心のある私にとって、北朝鮮における先史時代の学術的成果がどのようなものなのか、日本史との関連でも注目しています。これに関しては最近取り上げましたが(関連記事)、北朝鮮の領域内の現代人や古代人のゲノムデータおよび考古学的データが大々的に公開されれば、朝鮮史だけではなく、日本史の解明にも大きく寄与すると考えられるので、今後の研究の進展が期待されます。もっとも、北朝鮮の現状では、現在の韓国のような水準でそうした研究を進めるのはかなり難しそうではありますが。
参考文献:
松浦峻大(2022)「朝鮮民主主義人民共和国学界の古代史を読み解く」『抗路』第10号P116-123(抗路舎)
この記事へのコメント