大河ドラマ『どうする家康』第25回「はるかに遠い夢」
今回は瀬名(築山殿)と松平信康の最期が描かれました。瀬名の最期が本作の山場になることは、早くから週刊誌などで明かされていたので、たいへん注目していましたが、前回の内容にあまりにも失望したので、かなり低い期待値で視聴しました。同じく徳川家康を主人公とする大河ドラマながら、1983年放送の『徳川家康』とは瀬名の人物像が大きく異なる本作では、瀬名は結局最期まで聖人として描かれ、そのため現在の有力説や伝承と整合させようとしてかなり無理が生じたかな、というのが正直な感想で、本作への評価がかなり下がってしまいました。
ただ、瀬名の人物像をひねってきたことで、結末は現在の有力説や伝承と変わらないにしても、その経過をどう描いてくるのか、注目していました。家康の決断は、瀬名と信康の身代わりを立てて、二人を密かに匿う、というものでした。これは、創作としては有かな、とは思います。しかし、信康は、母の瀬名が逃げてからだと家康の策を拒否し、家康は信康の幽閉先を変え、あくまでも信康を救おうとし、信康の幽閉先が変わったのは、近年の有力説を踏まえたのでしょう。結局、瀬名は身代わりを拒否し、瀬名の自害を悟った信康も自害します。これは本作で描かれてきた瀬名の人物像と整合しており、物語としては破綻していないと言えるでしょうが、歴史ドラマとしては、瀬名の平和構想とそれを採用した家康およびその家臣など、瀬名を美化するあまり失ったものが大きかったように思います。
瀬名と信康の死の前には、すでに長丸(徳川秀忠)が生まれていたはずで、今回、その母親である於愛の方も登場していましたが、触れられませんでした。家康が信康の処罰を決断した背景として、瀬名と信康の死の少し前に生まれた長丸の存在が大きかったのではないか、との指摘もありますが(関連記事)、本作における家康と瀬名の人物造形および両者の関係の描写からすると、長丸の誕生により家康が信康の処罰を決断した、とすると不自然なので、創作としてはこれも有でしょうか。妻と嫡男の死を経て、家康がどう成長するのか、作風が変わっていくのか、という点も注目されますが、次回予告を見た限りでは、どちらとも判断の難しいところで、楽しみも不安もあります。
ただ、瀬名の人物像をひねってきたことで、結末は現在の有力説や伝承と変わらないにしても、その経過をどう描いてくるのか、注目していました。家康の決断は、瀬名と信康の身代わりを立てて、二人を密かに匿う、というものでした。これは、創作としては有かな、とは思います。しかし、信康は、母の瀬名が逃げてからだと家康の策を拒否し、家康は信康の幽閉先を変え、あくまでも信康を救おうとし、信康の幽閉先が変わったのは、近年の有力説を踏まえたのでしょう。結局、瀬名は身代わりを拒否し、瀬名の自害を悟った信康も自害します。これは本作で描かれてきた瀬名の人物像と整合しており、物語としては破綻していないと言えるでしょうが、歴史ドラマとしては、瀬名の平和構想とそれを採用した家康およびその家臣など、瀬名を美化するあまり失ったものが大きかったように思います。
瀬名と信康の死の前には、すでに長丸(徳川秀忠)が生まれていたはずで、今回、その母親である於愛の方も登場していましたが、触れられませんでした。家康が信康の処罰を決断した背景として、瀬名と信康の死の少し前に生まれた長丸の存在が大きかったのではないか、との指摘もありますが(関連記事)、本作における家康と瀬名の人物造形および両者の関係の描写からすると、長丸の誕生により家康が信康の処罰を決断した、とすると不自然なので、創作としてはこれも有でしょうか。妻と嫡男の死を経て、家康がどう成長するのか、作風が変わっていくのか、という点も注目されますが、次回予告を見た限りでは、どちらとも判断の難しいところで、楽しみも不安もあります。
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