ニュージーランドの絶滅したモアのミトコンドリアDNA解析
取り上げるのが遅れてしまいましたが、ニュージーランドの絶滅した鳥であるモアのミトコンドリアDNA(mtDNA)データを報告した研究(Verry et al., 2022)が公表されました。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、ヒトの場合は大きく報道されることもありますが、非ヒト動物の古代DNA研究も進んでいます。本論文は、ニュージーランドの絶滅した鳥であるコビトモア(Emeus crassus)のミトコンドリアゲノムを報告しており、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後に退避地から拡大した可能性を示していますが、これはヒトも含めて多くの動物でも同様だったのでしょう。
●要約
更新世を通じての氷期の拡大と縮小の周期は、多くの動物の地理的範囲と個体群規模の、それぞれ増加と減少を促進しました。遺伝学的データから、氷期最盛期には多くのユーラシアの動物の分布が小さな退避地域に限定され、気候が温暖化すると、種はそこから拡大して以前の範囲の一部に再び生息した、と明らかにされてきました。ニュージーランドの大型で飛べない鳥である絶滅したコビトモアは、氷期最盛期には同様に反応し、おそらくLGMにはニュージーランドの南島南部の低地生息地の限定的な地域でのみ生息していた、と示唆されてきました。
しかし、先行研究には、遺伝学的データを用いてこの仮説を明示的に検証する能力と地理的標本抽出が不足していました。本論文では、LGM後の分布全域のコビトモアの後期更新世と完新世の骨から、46点の古代ミトコンドリアゲノムが分析されます。その結果は、コビトモアの個体群規模と遺伝的多様性のLGM後の増加と一致します。本論文では、コビトモアの範囲の南側で遺伝的多様性がより高いことも論証され、コビトモアがLGM後に単一の氷期退避地から拡大した、という仮説が裏づけられます。
●研究史
氷河と氷床の拡大および縮小と関連した更新世を通じての気候と環境の変化は、動植物の世界規模の分布と多様性に大きな影響を及ぼしました。化石および遺伝学的データから、多くの種の地理的分布と個体群規模は氷期最盛期には減少し、多くの種は好適な条件もしくは生息地を保持した限定的な地域である退避地でのみ生き残っていた、と示唆されています。氷期退避への後退(およびそこからの拡大)は、ユーラシア全域の動物種で広く研究されてきました。しかし、LGMのユーラシアにおけるヒトの存在は、大型動物種の多様性と分布における変化の人為的要因と環境的要因の解明を複雑なものとします。逆に、同じく広範な更新世の氷河を経たニュージーランドの島々は、ヒトが存在しない状況における大型動物種のLGMへの反応の研究にとって有用な体系を提示します。ニュージーランドにヒトが到来したのは、750年前頃と後期完新世になってからです(関連記事)。
ニュージーランドへのヒト到来後に多くの固有種が急速に絶滅し、その中にはモアが含まれます。モアは大型で飛べない古顎類の鳥の目で、後期第四紀の9種から構成されます。多くの種はさまざまな生息地と食性に適応してきたようで、亜鉱山地帯や森林や開けた灌木地および草原など、広範な環境に生息していました。その結果、モアはLGM(ニュージーランドでは29000~19000年前頃)における気候変化にさまざまに反応したようで、一部の種では経時的な好適な生息地の分布をたどることができましたが、他の種の分布は、好適な生息地が地域で減少したため、退避地に限定されたかもしれません。
コビトモアは、LGMにおいて氷期退避地に縮小したかもしれない種で、LGMの前と最中のコビトモアの化石は、南島南部全域の場所において一般的で、他の類似の年代の堆積物には存在しませんが、LGM後の堆積物には広く分布しています。この分布は、コビトモアが選好していた湿潤な低地森林生息地は、氷期最盛期には縮小し、おもに南島南東部に分布しており、他の場所では草原と灌木地の生息地に置換された、と示唆するデータを裏づけます。しかし、コビトモアの化石記録で観察されたパターンは、氷期後の範囲拡大の真の兆候ではなく、化石生成論的偏りもしくは標本抽出の人為産物を反映しているかもしれません。
古代DNAは、コビトモアがLGM後に南島南部の退避地から拡大した、との仮説を明確に検証するのに使用できます。じっさい、中期~後期完新世のコビトモアのmtDNAの短い断片と核のマイクロサテライト(DNA上で塩基配列中に同じ構造を持つ部分が2~5対繰り返し並んでいる反復配列)の分析は、他のモア種と比較しての低水準の遺伝的多様性を明らかにし、コビトモア内の系統地理的構造の証拠をほとんど提供しませんでした。これは、コビトモアの個体群規模が他のモアより小さいこと、および/もしくはLGMと関連する個体群のボトルネック(瓶首効果)に起因しました。しかし、氷期退避地の存在と位置について結論を導くこれら先行研究の能力は、短いmtDNA配列の情報量の少なさと、不充分な時空間的標本抽出により制約されています。重要なことに、後期完新世と初期完新世のコビトモアの利用可能な遺伝学的データはほとんどなく、推定される退避地域は包括的に標本抽出されていませんでした。
本論文では、14000~500年前頃の、南島南部を含めて地理的分布全域から得られたコビトモア46個体のミトコンドリアゲノムが配列決定されます(図1)。本論文はこれらのデータを用いて、南島南部の単一の氷期退避地においてコビトモアがLGMを生き残った、という仮説の以下の3点の重要な予測を検証します。それは、(1)LGM後の範囲拡大と一致する最近の個体群規模増加、たとえば、単峰性の不一致分布、有意に負の田島のDおよびフ―(Fu)のF統計、および/もしくは星形ハプロタイプ網、(2)局所的な個体群連続性と一致する推定される退避地により近い標本におけるより大きな遺伝的多様性、たとえば、より高い局所的なハプロタイプおよび/もしくはヌクレオチド多様性として現れ、(3)推定される退避地外だけで見つかる深く分岐したハプロタイプの欠如(その存在は単一の退避地を却下するでしょう)です。以下は本論文の図1です。
●分析結果
標本80点のうち59点(74%)から、mtDNAの短い断片の増幅に成功しました。これら59点の標本に加えて、mtDNAは増幅されなかったものの、標本1点が正常に増幅された重要なLGM前のカウアナ・スワンプ(Kauana Swamp)遺跡に由来する5点が追加され、イルミナ(Illumina)社の高処理能力DNA配列決定で、その後に分析されました。コビトモアの46点の完全に近いミトコンドリアゲノムが得られ(網羅率は97.5~100%、平均読み取り深度は6.7~2985倍)、その全ては死後のDNA損傷と一致するヌクレオチドの誤取り込みのパターンを示しました。南部退避地域内から1点のLGM前の標本の断片的配列も回収され(網羅率は80%、平均読み取り深度は3.1倍)、データ欠落のため本論文の主要な分析から除外されましたが、ハプロタイプ網の形態では本論文の他のデータと別に比較されました。このハプロタイプ網からは、退避地域内のLGM前のコビトモアはLGM後の個体群と密接に関連する、と示唆されます。
46点のほぼ完全な配列の分析は、深く分岐したミトコンドリア系統がないことを明らかにします(図2)。2つの密接に関連したハプロタイプは、南島全域の後期更新世と完新世両方の標本において高頻度で見られます(図2)。しかし、より大きなヌクレオチドの多様性とハプロタイプの多様性が、推定される退避地域の標本で検出され、注目すべきことに、この結果は、推定される退避地域のわずかに北方に位置するアルバリー・パーク(Albury Park)の標本群の包含/除外に対して堅牢です。遺伝的多様性測定も、後期更新世標本よりも完新世標本の方で高く、最近の個体群拡大と一致しますが、これは小さな標本規模と限定的な知の敵範囲に基づいています。最近の個体群拡大のシナリオは、単峰性不一致分布、田島のDおよびフ―のFの統計的に有意な負の値、本論文のベイズスカイラインプロットによっても裏づけらますが、本論文の結果は、この増加の正確な時期に関して決定的ではありません。以下は本論文の図2です。
●考察
更新世の氷期は、一部のキウイやモアの種を含む多くのニュージーランドの分類群の多様化を促進し、これは複数の独立した氷期退避地における個体群の繰り返しの孤立を通じての結果だった可能性が高そうです。しかし、本論文の結果は、コビトモアがLGM後に南島南部の単一の氷期退避地かせのみ拡大した、との仮説と一致します。第一に、本論文の拡張時空間的標本抽出から、推定される退避地域のLGM後のコビトモアは、さらに北方のコビトモアよりも遺伝的多様性が高い、と明らかになり、これは、LGM前の遺伝的多様性のより大きな割合が南島南部で保存されていたことを示唆します。
この結果は、LGMを通じての退避地域内における在来の個体群の連続性と一致し、LGM後の個体群との密接な関係を明らかにする退避地域内のLGM前の断片的データによりさらに裏づけられます。この結果は、後期更新世のコビトモア化石の時空間的分布、およびより北方のコビトモアの低い遺伝的多様性に関する以前の報告とも一致します。第二に、単一の南部退避地との本論文の仮説を却下するような、完新世の北方範囲で標本抽出されたコビトモアに限定される深く分岐したハプロタイプは観察されません。対照的に、分岐したミトコンドリア系統は、オオツバサモア(Megalapteryx didinus)とエレファントモア(Pachyornis elephantopus)が氷期に複数の独立した退避地に生息していた、との主張に使用されてきました。
退避地内のコビトモアのより大きな遺伝的多様性と深く分岐したハプロタイプの欠如に加えて、本論文の結果も、コビトモアの個体群規模増加の証拠を提供します。本論文では、この増加の正確な時期を決定できませんが、LGM後の南方退避地からのコビトモアの拡大に対応している、と示唆されます。コビトモアの植生についてはほとんど知られていませんが、恐らくは果物とヒ樹木や灌木の葉で構成される、ヒロハシモア亜種(Euryapteryx curtus subsp.)と類似の食性だった、と示唆されてきました。
したがって、コビトモアの個体群規模増加と範囲拡大の両方を促進した可能性があるのは、気候が温暖化して安定するにつれての、ニュージーランド本土の大半にわたる森林被覆のLGM後の拡大でした。食性は類似していたかもしれないものの、ヒロハシモア亜種はコビトモアとは対照的に、低地森林に加えて沿岸生息地を利用していたようで、それはヒロハシモアの明らかにより複雑なLGMの歴史とより大きな遺伝的多様性の説明に役立つかもしれません。
最終的に、コビトモアは他のモア種よりもLGMによって深刻な影響を受けたようで、本論文のデータでは、コビトモアはLGMにおいて南島南部の単一の退避地にのみ縮小した、と示唆されます。代替的な仮説は、コビトモアがLGMにおいて南島全域に広く分布していたものの、おそらく南島北東部では後期更新世の化石産出地が少ないため化石記録では保存されなかった、というものですが、本論文のデータでは裏づけられません。コビトモアとは対照的に、南島の南島ジャイアントモア(Dinornis robustus)とヒロハシモアとエレファントモアは、より高水準の遺伝的多様性を示しました。さらに、少なくとも3種、つまりヤマモア(Pachyornis australis)と南島ジャイアントモアとエレファントモアは生息地の変化を追跡した、という証拠があります。これら密接に関連した種により示されたさまざまな反応は、気候および環境変化への半島が高度に種固有である可能性を浮き彫りにします。
参考文献:
Verry AJF, Mitchell KJ, and Rawlence NJ.(2022): Genetic evidence for post-glacial expansion from a southern refugium in the eastern moa (Emeus crassus). Biology Letters, 18, 5, 20220013.
https://doi.org/10.1098/rsbl.2022.0013
●要約
更新世を通じての氷期の拡大と縮小の周期は、多くの動物の地理的範囲と個体群規模の、それぞれ増加と減少を促進しました。遺伝学的データから、氷期最盛期には多くのユーラシアの動物の分布が小さな退避地域に限定され、気候が温暖化すると、種はそこから拡大して以前の範囲の一部に再び生息した、と明らかにされてきました。ニュージーランドの大型で飛べない鳥である絶滅したコビトモアは、氷期最盛期には同様に反応し、おそらくLGMにはニュージーランドの南島南部の低地生息地の限定的な地域でのみ生息していた、と示唆されてきました。
しかし、先行研究には、遺伝学的データを用いてこの仮説を明示的に検証する能力と地理的標本抽出が不足していました。本論文では、LGM後の分布全域のコビトモアの後期更新世と完新世の骨から、46点の古代ミトコンドリアゲノムが分析されます。その結果は、コビトモアの個体群規模と遺伝的多様性のLGM後の増加と一致します。本論文では、コビトモアの範囲の南側で遺伝的多様性がより高いことも論証され、コビトモアがLGM後に単一の氷期退避地から拡大した、という仮説が裏づけられます。
●研究史
氷河と氷床の拡大および縮小と関連した更新世を通じての気候と環境の変化は、動植物の世界規模の分布と多様性に大きな影響を及ぼしました。化石および遺伝学的データから、多くの種の地理的分布と個体群規模は氷期最盛期には減少し、多くの種は好適な条件もしくは生息地を保持した限定的な地域である退避地でのみ生き残っていた、と示唆されています。氷期退避への後退(およびそこからの拡大)は、ユーラシア全域の動物種で広く研究されてきました。しかし、LGMのユーラシアにおけるヒトの存在は、大型動物種の多様性と分布における変化の人為的要因と環境的要因の解明を複雑なものとします。逆に、同じく広範な更新世の氷河を経たニュージーランドの島々は、ヒトが存在しない状況における大型動物種のLGMへの反応の研究にとって有用な体系を提示します。ニュージーランドにヒトが到来したのは、750年前頃と後期完新世になってからです(関連記事)。
ニュージーランドへのヒト到来後に多くの固有種が急速に絶滅し、その中にはモアが含まれます。モアは大型で飛べない古顎類の鳥の目で、後期第四紀の9種から構成されます。多くの種はさまざまな生息地と食性に適応してきたようで、亜鉱山地帯や森林や開けた灌木地および草原など、広範な環境に生息していました。その結果、モアはLGM(ニュージーランドでは29000~19000年前頃)における気候変化にさまざまに反応したようで、一部の種では経時的な好適な生息地の分布をたどることができましたが、他の種の分布は、好適な生息地が地域で減少したため、退避地に限定されたかもしれません。
コビトモアは、LGMにおいて氷期退避地に縮小したかもしれない種で、LGMの前と最中のコビトモアの化石は、南島南部全域の場所において一般的で、他の類似の年代の堆積物には存在しませんが、LGM後の堆積物には広く分布しています。この分布は、コビトモアが選好していた湿潤な低地森林生息地は、氷期最盛期には縮小し、おもに南島南東部に分布しており、他の場所では草原と灌木地の生息地に置換された、と示唆するデータを裏づけます。しかし、コビトモアの化石記録で観察されたパターンは、氷期後の範囲拡大の真の兆候ではなく、化石生成論的偏りもしくは標本抽出の人為産物を反映しているかもしれません。
古代DNAは、コビトモアがLGM後に南島南部の退避地から拡大した、との仮説を明確に検証するのに使用できます。じっさい、中期~後期完新世のコビトモアのmtDNAの短い断片と核のマイクロサテライト(DNA上で塩基配列中に同じ構造を持つ部分が2~5対繰り返し並んでいる反復配列)の分析は、他のモア種と比較しての低水準の遺伝的多様性を明らかにし、コビトモア内の系統地理的構造の証拠をほとんど提供しませんでした。これは、コビトモアの個体群規模が他のモアより小さいこと、および/もしくはLGMと関連する個体群のボトルネック(瓶首効果)に起因しました。しかし、氷期退避地の存在と位置について結論を導くこれら先行研究の能力は、短いmtDNA配列の情報量の少なさと、不充分な時空間的標本抽出により制約されています。重要なことに、後期完新世と初期完新世のコビトモアの利用可能な遺伝学的データはほとんどなく、推定される退避地域は包括的に標本抽出されていませんでした。
本論文では、14000~500年前頃の、南島南部を含めて地理的分布全域から得られたコビトモア46個体のミトコンドリアゲノムが配列決定されます(図1)。本論文はこれらのデータを用いて、南島南部の単一の氷期退避地においてコビトモアがLGMを生き残った、という仮説の以下の3点の重要な予測を検証します。それは、(1)LGM後の範囲拡大と一致する最近の個体群規模増加、たとえば、単峰性の不一致分布、有意に負の田島のDおよびフ―(Fu)のF統計、および/もしくは星形ハプロタイプ網、(2)局所的な個体群連続性と一致する推定される退避地により近い標本におけるより大きな遺伝的多様性、たとえば、より高い局所的なハプロタイプおよび/もしくはヌクレオチド多様性として現れ、(3)推定される退避地外だけで見つかる深く分岐したハプロタイプの欠如(その存在は単一の退避地を却下するでしょう)です。以下は本論文の図1です。
●分析結果
標本80点のうち59点(74%)から、mtDNAの短い断片の増幅に成功しました。これら59点の標本に加えて、mtDNAは増幅されなかったものの、標本1点が正常に増幅された重要なLGM前のカウアナ・スワンプ(Kauana Swamp)遺跡に由来する5点が追加され、イルミナ(Illumina)社の高処理能力DNA配列決定で、その後に分析されました。コビトモアの46点の完全に近いミトコンドリアゲノムが得られ(網羅率は97.5~100%、平均読み取り深度は6.7~2985倍)、その全ては死後のDNA損傷と一致するヌクレオチドの誤取り込みのパターンを示しました。南部退避地域内から1点のLGM前の標本の断片的配列も回収され(網羅率は80%、平均読み取り深度は3.1倍)、データ欠落のため本論文の主要な分析から除外されましたが、ハプロタイプ網の形態では本論文の他のデータと別に比較されました。このハプロタイプ網からは、退避地域内のLGM前のコビトモアはLGM後の個体群と密接に関連する、と示唆されます。
46点のほぼ完全な配列の分析は、深く分岐したミトコンドリア系統がないことを明らかにします(図2)。2つの密接に関連したハプロタイプは、南島全域の後期更新世と完新世両方の標本において高頻度で見られます(図2)。しかし、より大きなヌクレオチドの多様性とハプロタイプの多様性が、推定される退避地域の標本で検出され、注目すべきことに、この結果は、推定される退避地域のわずかに北方に位置するアルバリー・パーク(Albury Park)の標本群の包含/除外に対して堅牢です。遺伝的多様性測定も、後期更新世標本よりも完新世標本の方で高く、最近の個体群拡大と一致しますが、これは小さな標本規模と限定的な知の敵範囲に基づいています。最近の個体群拡大のシナリオは、単峰性不一致分布、田島のDおよびフ―のFの統計的に有意な負の値、本論文のベイズスカイラインプロットによっても裏づけらますが、本論文の結果は、この増加の正確な時期に関して決定的ではありません。以下は本論文の図2です。
●考察
更新世の氷期は、一部のキウイやモアの種を含む多くのニュージーランドの分類群の多様化を促進し、これは複数の独立した氷期退避地における個体群の繰り返しの孤立を通じての結果だった可能性が高そうです。しかし、本論文の結果は、コビトモアがLGM後に南島南部の単一の氷期退避地かせのみ拡大した、との仮説と一致します。第一に、本論文の拡張時空間的標本抽出から、推定される退避地域のLGM後のコビトモアは、さらに北方のコビトモアよりも遺伝的多様性が高い、と明らかになり、これは、LGM前の遺伝的多様性のより大きな割合が南島南部で保存されていたことを示唆します。
この結果は、LGMを通じての退避地域内における在来の個体群の連続性と一致し、LGM後の個体群との密接な関係を明らかにする退避地域内のLGM前の断片的データによりさらに裏づけられます。この結果は、後期更新世のコビトモア化石の時空間的分布、およびより北方のコビトモアの低い遺伝的多様性に関する以前の報告とも一致します。第二に、単一の南部退避地との本論文の仮説を却下するような、完新世の北方範囲で標本抽出されたコビトモアに限定される深く分岐したハプロタイプは観察されません。対照的に、分岐したミトコンドリア系統は、オオツバサモア(Megalapteryx didinus)とエレファントモア(Pachyornis elephantopus)が氷期に複数の独立した退避地に生息していた、との主張に使用されてきました。
退避地内のコビトモアのより大きな遺伝的多様性と深く分岐したハプロタイプの欠如に加えて、本論文の結果も、コビトモアの個体群規模増加の証拠を提供します。本論文では、この増加の正確な時期を決定できませんが、LGM後の南方退避地からのコビトモアの拡大に対応している、と示唆されます。コビトモアの植生についてはほとんど知られていませんが、恐らくは果物とヒ樹木や灌木の葉で構成される、ヒロハシモア亜種(Euryapteryx curtus subsp.)と類似の食性だった、と示唆されてきました。
したがって、コビトモアの個体群規模増加と範囲拡大の両方を促進した可能性があるのは、気候が温暖化して安定するにつれての、ニュージーランド本土の大半にわたる森林被覆のLGM後の拡大でした。食性は類似していたかもしれないものの、ヒロハシモア亜種はコビトモアとは対照的に、低地森林に加えて沿岸生息地を利用していたようで、それはヒロハシモアの明らかにより複雑なLGMの歴史とより大きな遺伝的多様性の説明に役立つかもしれません。
最終的に、コビトモアは他のモア種よりもLGMによって深刻な影響を受けたようで、本論文のデータでは、コビトモアはLGMにおいて南島南部の単一の退避地にのみ縮小した、と示唆されます。代替的な仮説は、コビトモアがLGMにおいて南島全域に広く分布していたものの、おそらく南島北東部では後期更新世の化石産出地が少ないため化石記録では保存されなかった、というものですが、本論文のデータでは裏づけられません。コビトモアとは対照的に、南島の南島ジャイアントモア(Dinornis robustus)とヒロハシモアとエレファントモアは、より高水準の遺伝的多様性を示しました。さらに、少なくとも3種、つまりヤマモア(Pachyornis australis)と南島ジャイアントモアとエレファントモアは生息地の変化を追跡した、という証拠があります。これら密接に関連した種により示されたさまざまな反応は、気候および環境変化への半島が高度に種固有である可能性を浮き彫りにします。
参考文献:
Verry AJF, Mitchell KJ, and Rawlence NJ.(2022): Genetic evidence for post-glacial expansion from a southern refugium in the eastern moa (Emeus crassus). Biology Letters, 18, 5, 20220013.
https://doi.org/10.1098/rsbl.2022.0013
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