大河ドラマ『どうする家康』第27回「安土城の決闘」
今回は、織田信長と徳川家康の関係を軸に、本能寺の変へと至る過程が描かれました。信長は駿河での歓待の返礼として、安土城に家康を招きます。前回、家康は信長を殺害し、天下を取る、と家臣団の前で宣言しており、具体的な構想が明かされるのか、注目していましたが、家康は信長が京都では手薄な状態でいることを予測し、すでに服部党などに信長殺害の工作を命じていました。自分の指示に従わない者は斬る、と家康は家臣団に冷たく言い放ち、すっかり人が変わったようです。酒井忠次は、信長により妻子を死に追いやられ、家康は心が壊れてしまい、信長殺害のため辛うじて表面上は平静を保っている、と解釈しており、そうならば、信長の殺害と天下取りは、大局的な政治観というよりも信長個人への怨恨に起因しているようで、これを家康の成長と解釈してよいのか、もっと話が展開しないと、評価の難しいところです。
信長が家康を安土城に招いたさいに、饗応役の明智光秀が不手際から信長に折檻された、との逸話も取り入れられましたが、これは家康が光秀を遠ざけようとした一方で、光秀は家康の毒殺も考えており、信長が家康を助けるべく、光秀が腐った魚を出した、ということにして光秀を折檻したように見えました。光秀が本当に家康を毒殺しようとしたのか、明示されませんでしたが、家康が光秀を京都から遠ざけるべく、魚が腐っているかのように振舞っていたのを、毒に気づかれたのではないか、と光秀が焦っているように見えたので、本当に毒殺しようとしたのかな、とも思います。ただ、光秀はあくまでも信長の指示があれば家康を毒殺する、と考えていたようであり、信長がそうした命令を出したようには思えないので、光秀は家康の毒殺を実際に試みたわけではなく、単に信長が光秀の様子を見て疑い、家康を救おうとした、とも解釈できそうです。私の鑑賞力では、明確に判断できませんでした。
一方で信長は、家康だけは信じたい、という強い想いから、光秀が本当に家康の毒殺を実行しようとした、と思って光秀を折檻したのかな、と私は解釈しました。信長は家康が自分を京都で殺害するつもりなのも見抜いており、家康に自分の代わりは務まらないので、自分を支える役に徹するよう忠告しますが、家康の決意を感じ取ったのか、自分に取って代わる覚悟ならば自分を殺せ、と言い残します。家康と信長の関係性は本作の主軸の一つと言えるでしょうが、序盤からの描写を考えると、実際には信長がこんなことを言ったとも思えませんが、まあ創作ものとしては有でしょうか。
ただ、安土城で家康の饗応役を解かれた光秀のその後の動向が今回は不明で、実際には家康の配下が信長を討ったのに、それを光秀に押し付けた、というような展開にはさすがにならないでしょうが、本作はひねってくる傾向があるだけに、期待も不安もあります。光秀の信長殺害の動機は、一度失敗した者を赦さない信長が手薄な状態で京都にいるので、千載一遇の好機として決起した、というところでしょうか。まあ実際の信長は、裏切ったり失敗したりしたら直ちに討伐するとは限らず、他人を信じすぎて裏切られやすかった人のようですが(関連記事)。
本作の傾向といえば、過去の出来事の描写をたびたび挿入してくることもありますが、今回も信長の子供時代が初めて描かれました。他人を信用せず、自分だけで成し遂げようとして、じっさいにその能力も気力もある、というような信長の人物像は、今回の子供時代の描写で補完された感もありますが、私の好みではなく、もっと早い段階で見せるべきだったのではないか、とも思います。それはともかく、この信長の人物造形では家康との対照的な違いが強調されており、信長にはなれない、と自他ともに認める家康が、家臣を信用し、ついには長期の平和の礎を築くのに対して、信長は道半ばで斃れる、という対比になっているのでしょう。
家康が領国から遠く離れた京都で信長の殺害を計画したり、信長が家康からの殺意を悟りながら、それを煽ったりするなど、正直なところじっさいにあったとも思えませんが、まあ創作ものならば、これまでの描写と整合的な展開になっていればよいかな、と考えています。ただ、大河ドラマに権威を求める視聴者は多そうなので、次回の本能寺の変の描写次第では、かなりの批判が寄せられるかもしれません。とはいえ、大河ドラマを声高に批判する視聴者はごく一部で、制作者側も視聴者側もそうした声を強く意識する必要はないかな、とも思います。面白くないとか出鱈目だと考えた視聴者の多くは、黙って視聴しなくなるだけでしょうから、その意味では、声の大きな視聴者の意見よりは、視聴率の推移の方が制作者側にとって重要なのかもしれません。
信長が家康を安土城に招いたさいに、饗応役の明智光秀が不手際から信長に折檻された、との逸話も取り入れられましたが、これは家康が光秀を遠ざけようとした一方で、光秀は家康の毒殺も考えており、信長が家康を助けるべく、光秀が腐った魚を出した、ということにして光秀を折檻したように見えました。光秀が本当に家康を毒殺しようとしたのか、明示されませんでしたが、家康が光秀を京都から遠ざけるべく、魚が腐っているかのように振舞っていたのを、毒に気づかれたのではないか、と光秀が焦っているように見えたので、本当に毒殺しようとしたのかな、とも思います。ただ、光秀はあくまでも信長の指示があれば家康を毒殺する、と考えていたようであり、信長がそうした命令を出したようには思えないので、光秀は家康の毒殺を実際に試みたわけではなく、単に信長が光秀の様子を見て疑い、家康を救おうとした、とも解釈できそうです。私の鑑賞力では、明確に判断できませんでした。
一方で信長は、家康だけは信じたい、という強い想いから、光秀が本当に家康の毒殺を実行しようとした、と思って光秀を折檻したのかな、と私は解釈しました。信長は家康が自分を京都で殺害するつもりなのも見抜いており、家康に自分の代わりは務まらないので、自分を支える役に徹するよう忠告しますが、家康の決意を感じ取ったのか、自分に取って代わる覚悟ならば自分を殺せ、と言い残します。家康と信長の関係性は本作の主軸の一つと言えるでしょうが、序盤からの描写を考えると、実際には信長がこんなことを言ったとも思えませんが、まあ創作ものとしては有でしょうか。
ただ、安土城で家康の饗応役を解かれた光秀のその後の動向が今回は不明で、実際には家康の配下が信長を討ったのに、それを光秀に押し付けた、というような展開にはさすがにならないでしょうが、本作はひねってくる傾向があるだけに、期待も不安もあります。光秀の信長殺害の動機は、一度失敗した者を赦さない信長が手薄な状態で京都にいるので、千載一遇の好機として決起した、というところでしょうか。まあ実際の信長は、裏切ったり失敗したりしたら直ちに討伐するとは限らず、他人を信じすぎて裏切られやすかった人のようですが(関連記事)。
本作の傾向といえば、過去の出来事の描写をたびたび挿入してくることもありますが、今回も信長の子供時代が初めて描かれました。他人を信用せず、自分だけで成し遂げようとして、じっさいにその能力も気力もある、というような信長の人物像は、今回の子供時代の描写で補完された感もありますが、私の好みではなく、もっと早い段階で見せるべきだったのではないか、とも思います。それはともかく、この信長の人物造形では家康との対照的な違いが強調されており、信長にはなれない、と自他ともに認める家康が、家臣を信用し、ついには長期の平和の礎を築くのに対して、信長は道半ばで斃れる、という対比になっているのでしょう。
家康が領国から遠く離れた京都で信長の殺害を計画したり、信長が家康からの殺意を悟りながら、それを煽ったりするなど、正直なところじっさいにあったとも思えませんが、まあ創作ものならば、これまでの描写と整合的な展開になっていればよいかな、と考えています。ただ、大河ドラマに権威を求める視聴者は多そうなので、次回の本能寺の変の描写次第では、かなりの批判が寄せられるかもしれません。とはいえ、大河ドラマを声高に批判する視聴者はごく一部で、制作者側も視聴者側もそうした声を強く意識する必要はないかな、とも思います。面白くないとか出鱈目だと考えた視聴者の多くは、黙って視聴しなくなるだけでしょうから、その意味では、声の大きな視聴者の意見よりは、視聴率の推移の方が制作者側にとって重要なのかもしれません。
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