大河ドラマ『どうする家康』第26回「ぶらり富士遊覧」

 今回は、1579年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の瀬名(築山殿)と松平信康の死後、徳川家康がどう変わっていくのか、という点に注目して視聴しました。話の方は1581年の高天神城陥落から1582年の武田滅亡まで一気に進み、その後、家康が織田信長を駿河で歓待することになり、家康と信長の関係が中心に描かれました。妻子の死後も信長に忠実に仕え続けているように見える家康は、家臣には不甲斐ないと思えるものの、信長は本心を表面に出さなくなった家康を以前より高く評価するようになります。まあ、信長が家康をより警戒するようになった、と言うべきかもしれませんし、頼もしく思うとともに、寂しさも感じているのかもしれません。家康と信長の関係は本作の重要な軸の一つと言え、これが本能寺の変とも関わってきそうです。

 一部の家臣には不甲斐ないと見えるようになった家康は、不満を抱く家臣団に信長を殺して天下を取る、と打ち明けます。しかし、具体的な手順と構想は、今回視聴しただけではよく分かりませんでした。瀬名と信康は徳川家を守るため自害したわけですが、今回の描写だけでは、家康が妻子を死に追いやられた怨みから、信長を殺して取って代わろうとしているだけのようにも見えます。今回、妻子の死を契機に、家康が変わったことを印象づけるような描写になっていましたが、それをどう評価すべきなのか、信長の殺害とその後の天下取りの具体的な手順と構想が次回以降に明かされないと判断の難しいところです。

 次回は信長が家康を安土城で歓待し、本能寺の変は次々回で描かれるようです。本能寺の変は家康にとって桶狭間の戦いとともに重要な転機なので、信長と家康の関係の変化も含めて詳しく描かれるのでしょう。明智光秀は今回出番が多めでしたが、光秀が本能寺の変を起こした理由はまだ見えてきません。家康を主人公とする大河ドラマにおいて、光秀の人物像が詳しく描かれなくても大きな問題ではないと思いますが、光秀の謀叛の理由は気になるところです。本作の光秀は、気を見るに敏で陰険な人物として描かれてきたように思うので、手薄な防備で都にいる信長を殺そうと考えても不思議ではありませんが、信長殺害を企図する家康も関わってきそうなので、面白い話にも、瀬名と信康の死のように落胆させられる話にもなりそうで、楽しみでも不安でもあります。

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