鈴木貞美『日露戦争の時代 日本文化の転換点』

 平凡社新書の一冊として、平凡社より2023年1月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、日露戦争の頃を日本文化の転換点と把握し、その変容を検証します。近代日本における文化の変容は、私も含めて多くの現代日本人が漠然と考えているでしょうが、それを体系的に説明するのは専門家でないとなかなか難しいので、どのように日本における文化の変容を描くのか、注目して読み始めました。また、日露戦争の頃を日本文化の転換点とするのはどのような視点からなのか、という点にも興味を抱いて読みました。

 本書の主題は日露戦争の頃を転機とする近代日本文化の変容ですが、表題に日露戦争を掲げているだけに、日露関係にはかなり重点が置かれており、江戸時代にまでさかのぼって日露の接触が言及されており、日露戦争にもかなりの分量が割かれています。日露戦争の10年前の日清戦争で日本は勝利し、この頃から日露戦争期にかけて民族主義の高揚が見られます。本書は当時の思潮状況を、単純な近代と伝統、西洋と東洋もしくは日本という二項対立で割り切ることはできず、少なくともこの2軸が交叉する4象限を考えるよう、提案します。つまり、西洋化=近代化とは限らず、西洋化=反近代化としてプロテスタンティズムの反功利主義者(代表的なのは内村鑑三)がいた、というわけです。

 明治天皇の大喪の礼の日に自害した乃木希典については、当時から賛否が分かれていたようです。当時、乃木の自殺に対する賛否どちらも、新聞の「殉死」との見出しに引きずられ、江戸時代初期によく見られた武士の殉死と同一視していたようです。この頃には進化論も日本で普及しつつありましたが、本書は、当時の日本における基礎科学の軽視と、それとも関連して、進化論の原理を構成する自然選択の概念関係が弱かった、と指摘します。ただ、その弊害を免れているものとしては、東大で生理学を担当した永井潜の『生命論』(洛陽堂、1913年)が最初になる、と指摘します。永井潜『生命論』では、当時体系化され始めたばかりの遺伝学により、ダーウィンの進化論が一旦失墜した、とすでに指摘されていたそうです。

 本書は、哲学から文体というか「日本語」まで、日露戦争の前後の頃の様相や変容を描き出しており、かなり網羅的な内容になっています。特定の視点から、そうした変容もしくは動揺を、「進歩的」とか「保守退嬰的」とか「反動的」とか「国際的」とか「国粋的」とか評価することは可能ですが、素朴な常識論になるものの、できる限り当時の文脈に沿って解釈していくことが重要なのでしょう。「西洋の衝撃」により変容を余儀なくされた点で、近代日本は他の非ヨーロッパ地域と通ずるところがありますが、日本には日本固有の歴史的過程と状況があるわけで、そうした中で苦闘を本書は描き出しているように思います。

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