ソ連における人類進化研究の進展とエンゲルスの見解の「原則的解決の正しさ」
古書店で購入したことは確かであるものの、いつどの店舗で購入したのかまったく覚えていないのが、ユ・ヴェ・ブロムレイ、ア・イ・ペルシツ、エス・ア・トカレフ編、中島寿雄訳『マルクス主義と人類社会の起源』(大月書店、1974年)です。人類社会の構造について以前よりも関心を抱く契機になったのが、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究から、ネアンデルタール人社会の父方居住を推測した2011年の研究(関連記事)で、ここ数年のうちに購入した記憶もないので、恐らく同書を購入したのは2010年代だと思います。同書を購入はしたものの、半世紀近く前の刊行で、その後研究は大きく進展していますし、何よりも、同書を当時の文脈で理解できるだけの見識が私にはとてもないので、少し眺めただけで本棚の奥に置きっぱなしにしていました。ここ数年、唯物史観と人類進化研究との関連について考えて、少し調べたこともあり、改めて人類進化研究へのマルクス主義の影響について以前よりも関心が強くなったので、同書を少し読み、以前に少し調べたことと整合することや、反省させられる点が少なからずあったので、備忘録として短くまとめます。
1985年刊行の森本和男「近年の理論的動向」には、以下のような指摘があります。
カール・マルクスの考えた原始古代社会の姿は現在ではほとんど通用しない。その理由は、マルクスの依った19世紀の人類学、歴史学の成果と20世紀の学問的到達点とがあまりにもかけはなれているからである。マルクスの考えた農業共同体を日本の原始社会のある段階、すなわち弥生時代にあてはめようとする説があるが、マルクス自身のとらえた農業共同体は古ゲルマンの社会状態とロシアのミール共同体であり、これらの諸共同体を日本の原始社会にすぐさまあてはめることは不可能であると同時に、ザスーリッチへの手紙草稿上で論じられた未完成な分析方法をそのまま応用して日本の原始社会を解釈することは困難である。ゴードン・チャイルドの理論的な観点は当時の欧米の学界には評価されず、埋もれたまま時を経て1970年代後半になってやっと日の目を見るのである。その際にチャイルドとマルクス主義との結びつきが注目されている。1934年に彼はソヴェトを訪問するのであるが、当時のロシアの考古学は公式マルクス主義への考古学の編成をめぐって大きな変換点に達しており、ソ連考古学の理論的動向にチャイルドが強く左右されたことは疑いえない。このような歴史的背景があるため、チャイルドの理論的功績は西側の考古学者にはほとんど認められず、逆に東側諸国において高い評価を呼んだのであろう。中国ではマルクス・レーニン主義が教条主義的に横行しており、原始古代社会に関する理論的水準もルイス・ヘンリー・モーガンやフリードリヒ・エンゲルスの段階を脱していない。いまだに母系制から父系制への単系的モデルを唱えている。欧米やソ連の近年の理論的成果はまったくと言ってよいほど紹介されていない。たぶん文化大革命の後遺症なのであろう。
つまり、1980年代前半の時点では、欧米(西側)はもちろん、ソ連でも、すでにモーガンやエンゲルスの教条主義的なマルクス・レーニン主義からの脱却が、方向性は異なるとしても進んでいたのに対して、中国ではマルクス・レーニン主義が教条主義的に横行していた、というわけです。これに関して、1974年刊行(原書の刊行は1972年)の『マルクス主義と人類社会の起源』の訳者あとがきでは、以下のように指摘されています。
人類・社会起源論の原則的解決はマルクス主義の古典的労作のうちですでに与えられており、とりわけエンゲルスは著作において、指摘唯物論の立場から民族学や人類学の資料を駆使して人類史の初期を再構成し、原始社会史の全体的概念構成を作り上げている。唯物弁証法の正しい適用を受けたこれら原則的解決の正しさは、『マルクス主義と人類社会の起源』の随所に指摘されているものの、エンゲルスの指摘した具体的解決に、たとえばエンゲルスの著書におけるモーガンの『古代社会』の引用など、時の検証に堪えないものがあるのはやむを得ない。それ故に、ソ連の民族学者や人類学者はエンゲルスの科学的遺産を大切に保存・学習するなかで、エンゲルスの提起した多くの問題の究明を進めるに足る、新たな事実資料を基に、エンゲルスの遺産を発展的に継承しており、その現れの一つが『マルクス主義と人類社会の起源』です。ブルジョア諸学者が好んで用いる、「マルクス主義の人間はいまだに謝りだらけのエンゲルスなどを振り回して」といった誹謗は当たらざるも甚だしい。しかし、エンゲルスの陥った瑕瑾は、今(1974年)から80~90年も前の学問的成果に基づいたやむを得ないものであり、エンゲルスの著作を真面目にではあっても、不用意に読むさいに、エンゲルスの作り上げた原則的解決の正しさまで否定し去る人があっては、との恐れも『マルクス主義と人類社会の起源』訳出の動機の一つである。
つまり、ソ連の人類進化研究は1970年代にはすでに、モーガンやエンゲルスの教条主義的なマルクス・レーニン主義から脱却し、エンゲルスの「科学的遺産を大切に保存・学習」しつつも、新たな事実資料に基づいて、エンゲルスの遺産を「発展的に継承して」いるので、「マルクス主義の人間はいまだに謝りだらけのエンゲルスなどを振り回して」といった「ブルジョア諸学者」が好んで用いる誹謗は的外れだ、というわけです。この指摘は、1985年刊行の森本和男「近年の理論的動向」の見解と整合的です。正直なところ私も、ソ連における人類進化研究の進展についてほとんど知らず、『マルクス主義と人類社会の起源』の訳者である中島寿雄氏の指摘した「ブルジョア諸学者」による「誹謗」を前提にして、マルクス主義・唯物史観に否定的な発言をしてしまったところがあるかな、と反省させられました。「ブルジョア諸学者」による「誹謗」は、1980年代半ばの中国の学界への評価としてはある程度妥当だったかもしれませんが、「東側」諸国を安易に同一視してしまう偏見が私にもあったことは否定できません。冷戦期の中ソ対立は日本でもよく知られていますが、それを学界の動向と結びつけられないところが、私の不見識をよく表しているのでしょう。
一方で、『マルクス主義と人類社会の起源』の前書きや各論文や訳者あとがきで強調されている、「唯物弁証法の正しい適用を受けたエンゲルスの見解の「原則的解決の正しさ」については、現在の知見からは大いに疑問が残るところです。『マルクス主義と人類社会の起源』は、人類を(非ヒト)動物より分かつ境界、全人類生活の最初の基本的条件は労働で、労働は道具の製作から始まる、と指摘します(P11)。新たな事実資料に基づいた研究の進展によっても、このエンゲルスの見解は「原則的解決の正しさ」を表している、というわけです。1981年刊行の呉汝康「中国古人類学30年」では、
1949年の中国解放以後,我々は労働が人類を作ったとする理論にもとづき,新しい解釈を提出した。原人の体質形態は人体各部の発達が不均衡であったことを明示している。人類進化の過程の中ではまず直立二足歩行が確立し,手が支持作用から解放され,道具を製作・使用して生産労働を進めていくようになったのである。ヒトの脳は直立二足歩行確立の後,長期にわたる生産労働の実践中に発展したものである。エンゲルスはこう言っている。「或る意味では労働が人間自身を作ったと言わざるをえない」と。原人化石の研究は,エンゲルスの労働が人類を創造したとする理論に有力な証拠を提供した。
と指摘されています。上述のように、当時の中国の学界ではマルクス・レーニン主義が教条主義的に横行していたようですが、道具の製作から始まる労働こそ、人類を非ヒト動物と分かつ決定的な境界である、とのエンゲルスが提示した見解は「原則的解決の正しさ」を表している、との評価は当時のソ連でも中国でも同様だったようです。しかし、現在の知見からは、このエンゲルスの提示した見解が「原則的解決の正しさ」を表している、と肯定的に評価できるのか、はなはだ疑問です。
570万~530万年前頃となるアルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)の存在から、人類の直立二足歩行は600万年前頃には確立していた可能性が高そうなのに、「脳の発展」というか脳容量の増加はホモ属系統においてで、せいぜい300万年前頃以降のこととなり、しかも体格の大型化と連動しています(関連記事)。チンパンジーの事例から、人類も直立二足歩行以前から道具を使用していた可能性は高い、と考えられます(関連記事)。直立二足歩行により「道具を製作・使用して生産労働を進めていく」ことがより効率的になったとしても、直立二足歩行の開始から脳容量の増加が始まるのにおそらく300万年以上要しており、道具製作が「脳の発展」というか脳容量の増加とどれだけ直結していたのか、はなはだ疑問です。
脳容量の増加というかホモ属出現の背景としては、不安定な気候が指摘されています(関連記事)。ホモ属が出現する頃のアフリカの気候は、乾燥化と草原の拡大(森林の減少)という傾向として単純に把握できるものではなく、環境が不安定化・断片化したことが重視されるべきだ、というわけです。この300万~200万年前頃のアフリカにおける気候変動に対応して、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)はそうした状況で定期的に食料不足に陥り、それへの適応として、広範な生態系で活動し、食料不足に対応したのではないか、と推測されています(関連記事)。その研究では、アウストラロピテクス・アフリカヌスの母親が育児にさいして、食料不足の時期には授乳で対応し、それが長期にわたったことから、母子の間のつながりとともに、授乳期間の長期化による潜在的な出産回数の減少を招来し、200万年前頃にはアフリカ南部でアウストラロピテクス属が絶滅した一因になった可能性も指摘されています。もちろん、道具使用と脳容量増加との間に関連はあったというか、道具使用が脳容量増加の選択圧の一つにはなったでしょうが、直立二足歩行が始まっておそらく300万年以上前も脳容量の大幅な増加が見られず、不安定な気候で脳容量増加が始まり、しかもそれは体格の大型化と連動していたわけですから、「労働が人間自身を作った」との評価は的外れだと思います。
また『マルクス主義と人類社会の起源』では、現代の民族学資料は、母系氏族組織の歴史的先行性を述べたエンゲルスの命題をいささかも動揺させない、と指摘さされています(P28)。しかし、オナガザル科との共通祖先までさかのぼればともかく、人類史における「母系氏族組織の歴史的先行性」との命題が妥当なのか、はなはだ疑問が残ります。人類にとってチンパンジー(Pan troglodytes)とともに最近縁の現生種であるボノボ(Pan paniscus)の社会は、チンパンジー社会と比較して雌の地位が高いとされていますが、ボノボもチンパンジーも父系的な社会を形成しています。ボノボの母親は娘よりも息子の方の交配を支援する傾向にありますが、これも雌が出生集団を出ていくというボノボの父系的社会を反映しているからでしょう(関連記事)。
ボノボも人類も含まれるヒト上科は、オランウータン属がやや母系に傾いているかもしれないとはいえ、現生種は現代人の一部を除いて基本的には非母系社会を形成する、と言うべきでしょう。チンパンジー属とゴリラ属と人類を含むヒト亜科で見ていくと、現生ゴリラ属はある程度父系に傾いた「無系」社会と言うべきかもしれません。現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌスおよびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の59000~51000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は父方居住の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、ヒト亜科の最終共通祖先の社会は、ある程度以上父系に傾いていた可能性が高いように思います。
しかし現生人類(Homo sapiens)は、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、双系的社会が基本と言えるように思います(関連記事)。上述のアウストラロピテクス属やパラントロプス属やネアンデルタール人の事例からは、チンパンジーと分岐した後の人類系統も、チンパンジー属のような父系的社会を形成し、高い認知能力に由来する柔軟な行動を示す現生人類において、父系にかなり偏った社会からモソ人社会に見られるようなかなり母系に偏った社会まで、多様な社会を築くようになったのだと思います。ただ、ネアンデルタール人など現生人類以外の人類の中にも、双系的社会を築いた系統がいたかもしれません。
現生人類(あるいは他の人類系統も)は双系的社会を基本としつつ多様な社会を築きましたが、ヒト上科、あるいはオランウータン属の事例があるのでヒト亜科に限定するとしても、基本的には非母系社会が特徴で、長い時間進化してきたように思います。おそらくこれは、近親交配回避の仕組みとして進化してきたのでしょう。近親交配の忌避は人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。つまり、人類系統あるいはもっと限定して現生人類系統で独自に近親交配回避の認知的仕組みが備わったこと(収斂進化)はとてもありそうにない、というわけです。
しかし、現生人類においては近親交配が低頻度ながら広範に見られます。たとえば、アイルランドの新石器時代社会の支配層における近親交配が報告されました(関連記事)。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配も推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。
近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、上述のアイルランドの新石器時代の事例や、エジプトや日本でも珍しくなかった、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありませんが、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えられます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。
生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。
もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。
私がこれまで、「ブルジョア諸学者」による「誹謗」に安易に乗ってしまった側面は多分にあるかもしれませんが、『マルクス主義と人類社会の起源』の前書きや各論文や訳者あとがきで強調されている、「唯物弁証法の正しい適用を受けたエンゲルスの見解の「原則的解決の正しさ」については、上述のように現在の知見からは大いに疑問が残るところです。最近、環境問題対策としての「脱成長」の典拠を唯物史観というかマルクスやエンゲルス(一般的な知名度からか、おもにマルクスの名前が前面に出されているようですが)に求めるような動きもありますが、「聖典」としてのマルクスの言説の中に現在の問題の解決策を見出すのは、率直に言ってマルクスを崇める宗教だと思います。マルクスの言説は広範囲にわたり、期間も長いので、その中に現代の問題と解決策と通ずるように思えるもしれない言説もあるかもしれませんが、それをわざわざ現代においてマルクスの言説の中に見出す必要があるのか、はなはだ疑問です。「マルクス教」の神官ならば、時代に適応して生き残るために、「教祖」の言説を現代的に解釈する必要もあるでしょうが、それは「マルクス教徒」ではないほとんどの人々にとってはさして意味のない行為であり、社会に大きく役立つとは言えないでしょう。これは、科学革命以前の世界で一般的だった知的営みと似ており、つまり、世界の重要な事柄についてはすでに神や賢者によりすべて示されている、とする伝統的な知的観念です(関連記事)。この場合の賢者とは、もちろんマルクスやエンゲルスとなります。
現代社会や人類進化の考察において、エンゲルスやマルクスのような大家ならば、示唆に富んだ言説は多くあるでしょうし、そうした中には、現代の有力説と通ずるものもあるかもしれません。しかし、いかにソ連において「新たな事実資料に基づいて」エンゲルスの見解が更新され続けていたとしても、人類はもちろん、非ヒト霊長類の研究が現代と比較にならないほど貧弱だった時代の研究に依拠しているエンゲルスの主張の枠組みで人類史を理解しようとすることには、やはり大きな無理があると言うべきでしょう。また、仮に現代にも通ずるようなエンゲルスの指摘があったりしても、それが人類進化の研究においてエンゲルスの言説を重視すべき理由にはならないと思います。「唯物史観教」の「神官」や「信者」が人類進化史におけるエンゲルスの言説に「重要な示唆」を見出すのは自由ですが、エンゲルスの言説は「原則的解決の正しさ」を表している、との大前提で人類史を理解するのは、率直に言ってやはり時代錯誤だと思います。
参考文献:
呉汝康著、谷豊信翻訳(1981)「中国古人類学30年」『人類學雜誌』第89巻第2号P127-135
https://doi.org/10.1537/ase1911.89.127
関連記事
森本和男(1985)「近年の理論的動向」『研究連絡誌』第11号P18-22
ユ・ヴェ・ブロムレイ、ア・イ・ペルシツ、エス・ア・トカレフ編(1974)、中島寿雄訳『マルクス主義と人類社会の起源』(大月書店、原書の刊行は1972年)
1985年刊行の森本和男「近年の理論的動向」には、以下のような指摘があります。
カール・マルクスの考えた原始古代社会の姿は現在ではほとんど通用しない。その理由は、マルクスの依った19世紀の人類学、歴史学の成果と20世紀の学問的到達点とがあまりにもかけはなれているからである。マルクスの考えた農業共同体を日本の原始社会のある段階、すなわち弥生時代にあてはめようとする説があるが、マルクス自身のとらえた農業共同体は古ゲルマンの社会状態とロシアのミール共同体であり、これらの諸共同体を日本の原始社会にすぐさまあてはめることは不可能であると同時に、ザスーリッチへの手紙草稿上で論じられた未完成な分析方法をそのまま応用して日本の原始社会を解釈することは困難である。ゴードン・チャイルドの理論的な観点は当時の欧米の学界には評価されず、埋もれたまま時を経て1970年代後半になってやっと日の目を見るのである。その際にチャイルドとマルクス主義との結びつきが注目されている。1934年に彼はソヴェトを訪問するのであるが、当時のロシアの考古学は公式マルクス主義への考古学の編成をめぐって大きな変換点に達しており、ソ連考古学の理論的動向にチャイルドが強く左右されたことは疑いえない。このような歴史的背景があるため、チャイルドの理論的功績は西側の考古学者にはほとんど認められず、逆に東側諸国において高い評価を呼んだのであろう。中国ではマルクス・レーニン主義が教条主義的に横行しており、原始古代社会に関する理論的水準もルイス・ヘンリー・モーガンやフリードリヒ・エンゲルスの段階を脱していない。いまだに母系制から父系制への単系的モデルを唱えている。欧米やソ連の近年の理論的成果はまったくと言ってよいほど紹介されていない。たぶん文化大革命の後遺症なのであろう。
つまり、1980年代前半の時点では、欧米(西側)はもちろん、ソ連でも、すでにモーガンやエンゲルスの教条主義的なマルクス・レーニン主義からの脱却が、方向性は異なるとしても進んでいたのに対して、中国ではマルクス・レーニン主義が教条主義的に横行していた、というわけです。これに関して、1974年刊行(原書の刊行は1972年)の『マルクス主義と人類社会の起源』の訳者あとがきでは、以下のように指摘されています。
人類・社会起源論の原則的解決はマルクス主義の古典的労作のうちですでに与えられており、とりわけエンゲルスは著作において、指摘唯物論の立場から民族学や人類学の資料を駆使して人類史の初期を再構成し、原始社会史の全体的概念構成を作り上げている。唯物弁証法の正しい適用を受けたこれら原則的解決の正しさは、『マルクス主義と人類社会の起源』の随所に指摘されているものの、エンゲルスの指摘した具体的解決に、たとえばエンゲルスの著書におけるモーガンの『古代社会』の引用など、時の検証に堪えないものがあるのはやむを得ない。それ故に、ソ連の民族学者や人類学者はエンゲルスの科学的遺産を大切に保存・学習するなかで、エンゲルスの提起した多くの問題の究明を進めるに足る、新たな事実資料を基に、エンゲルスの遺産を発展的に継承しており、その現れの一つが『マルクス主義と人類社会の起源』です。ブルジョア諸学者が好んで用いる、「マルクス主義の人間はいまだに謝りだらけのエンゲルスなどを振り回して」といった誹謗は当たらざるも甚だしい。しかし、エンゲルスの陥った瑕瑾は、今(1974年)から80~90年も前の学問的成果に基づいたやむを得ないものであり、エンゲルスの著作を真面目にではあっても、不用意に読むさいに、エンゲルスの作り上げた原則的解決の正しさまで否定し去る人があっては、との恐れも『マルクス主義と人類社会の起源』訳出の動機の一つである。
つまり、ソ連の人類進化研究は1970年代にはすでに、モーガンやエンゲルスの教条主義的なマルクス・レーニン主義から脱却し、エンゲルスの「科学的遺産を大切に保存・学習」しつつも、新たな事実資料に基づいて、エンゲルスの遺産を「発展的に継承して」いるので、「マルクス主義の人間はいまだに謝りだらけのエンゲルスなどを振り回して」といった「ブルジョア諸学者」が好んで用いる誹謗は的外れだ、というわけです。この指摘は、1985年刊行の森本和男「近年の理論的動向」の見解と整合的です。正直なところ私も、ソ連における人類進化研究の進展についてほとんど知らず、『マルクス主義と人類社会の起源』の訳者である中島寿雄氏の指摘した「ブルジョア諸学者」による「誹謗」を前提にして、マルクス主義・唯物史観に否定的な発言をしてしまったところがあるかな、と反省させられました。「ブルジョア諸学者」による「誹謗」は、1980年代半ばの中国の学界への評価としてはある程度妥当だったかもしれませんが、「東側」諸国を安易に同一視してしまう偏見が私にもあったことは否定できません。冷戦期の中ソ対立は日本でもよく知られていますが、それを学界の動向と結びつけられないところが、私の不見識をよく表しているのでしょう。
一方で、『マルクス主義と人類社会の起源』の前書きや各論文や訳者あとがきで強調されている、「唯物弁証法の正しい適用を受けたエンゲルスの見解の「原則的解決の正しさ」については、現在の知見からは大いに疑問が残るところです。『マルクス主義と人類社会の起源』は、人類を(非ヒト)動物より分かつ境界、全人類生活の最初の基本的条件は労働で、労働は道具の製作から始まる、と指摘します(P11)。新たな事実資料に基づいた研究の進展によっても、このエンゲルスの見解は「原則的解決の正しさ」を表している、というわけです。1981年刊行の呉汝康「中国古人類学30年」では、
1949年の中国解放以後,我々は労働が人類を作ったとする理論にもとづき,新しい解釈を提出した。原人の体質形態は人体各部の発達が不均衡であったことを明示している。人類進化の過程の中ではまず直立二足歩行が確立し,手が支持作用から解放され,道具を製作・使用して生産労働を進めていくようになったのである。ヒトの脳は直立二足歩行確立の後,長期にわたる生産労働の実践中に発展したものである。エンゲルスはこう言っている。「或る意味では労働が人間自身を作ったと言わざるをえない」と。原人化石の研究は,エンゲルスの労働が人類を創造したとする理論に有力な証拠を提供した。
と指摘されています。上述のように、当時の中国の学界ではマルクス・レーニン主義が教条主義的に横行していたようですが、道具の製作から始まる労働こそ、人類を非ヒト動物と分かつ決定的な境界である、とのエンゲルスが提示した見解は「原則的解決の正しさ」を表している、との評価は当時のソ連でも中国でも同様だったようです。しかし、現在の知見からは、このエンゲルスの提示した見解が「原則的解決の正しさ」を表している、と肯定的に評価できるのか、はなはだ疑問です。
570万~530万年前頃となるアルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)の存在から、人類の直立二足歩行は600万年前頃には確立していた可能性が高そうなのに、「脳の発展」というか脳容量の増加はホモ属系統においてで、せいぜい300万年前頃以降のこととなり、しかも体格の大型化と連動しています(関連記事)。チンパンジーの事例から、人類も直立二足歩行以前から道具を使用していた可能性は高い、と考えられます(関連記事)。直立二足歩行により「道具を製作・使用して生産労働を進めていく」ことがより効率的になったとしても、直立二足歩行の開始から脳容量の増加が始まるのにおそらく300万年以上要しており、道具製作が「脳の発展」というか脳容量の増加とどれだけ直結していたのか、はなはだ疑問です。
脳容量の増加というかホモ属出現の背景としては、不安定な気候が指摘されています(関連記事)。ホモ属が出現する頃のアフリカの気候は、乾燥化と草原の拡大(森林の減少)という傾向として単純に把握できるものではなく、環境が不安定化・断片化したことが重視されるべきだ、というわけです。この300万~200万年前頃のアフリカにおける気候変動に対応して、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)はそうした状況で定期的に食料不足に陥り、それへの適応として、広範な生態系で活動し、食料不足に対応したのではないか、と推測されています(関連記事)。その研究では、アウストラロピテクス・アフリカヌスの母親が育児にさいして、食料不足の時期には授乳で対応し、それが長期にわたったことから、母子の間のつながりとともに、授乳期間の長期化による潜在的な出産回数の減少を招来し、200万年前頃にはアフリカ南部でアウストラロピテクス属が絶滅した一因になった可能性も指摘されています。もちろん、道具使用と脳容量増加との間に関連はあったというか、道具使用が脳容量増加の選択圧の一つにはなったでしょうが、直立二足歩行が始まっておそらく300万年以上前も脳容量の大幅な増加が見られず、不安定な気候で脳容量増加が始まり、しかもそれは体格の大型化と連動していたわけですから、「労働が人間自身を作った」との評価は的外れだと思います。
また『マルクス主義と人類社会の起源』では、現代の民族学資料は、母系氏族組織の歴史的先行性を述べたエンゲルスの命題をいささかも動揺させない、と指摘さされています(P28)。しかし、オナガザル科との共通祖先までさかのぼればともかく、人類史における「母系氏族組織の歴史的先行性」との命題が妥当なのか、はなはだ疑問が残ります。人類にとってチンパンジー(Pan troglodytes)とともに最近縁の現生種であるボノボ(Pan paniscus)の社会は、チンパンジー社会と比較して雌の地位が高いとされていますが、ボノボもチンパンジーも父系的な社会を形成しています。ボノボの母親は娘よりも息子の方の交配を支援する傾向にありますが、これも雌が出生集団を出ていくというボノボの父系的社会を反映しているからでしょう(関連記事)。
ボノボも人類も含まれるヒト上科は、オランウータン属がやや母系に傾いているかもしれないとはいえ、現生種は現代人の一部を除いて基本的には非母系社会を形成する、と言うべきでしょう。チンパンジー属とゴリラ属と人類を含むヒト亜科で見ていくと、現生ゴリラ属はある程度父系に傾いた「無系」社会と言うべきかもしれません。現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌスおよびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の59000~51000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は父方居住の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、ヒト亜科の最終共通祖先の社会は、ある程度以上父系に傾いていた可能性が高いように思います。
しかし現生人類(Homo sapiens)は、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、双系的社会が基本と言えるように思います(関連記事)。上述のアウストラロピテクス属やパラントロプス属やネアンデルタール人の事例からは、チンパンジーと分岐した後の人類系統も、チンパンジー属のような父系的社会を形成し、高い認知能力に由来する柔軟な行動を示す現生人類において、父系にかなり偏った社会からモソ人社会に見られるようなかなり母系に偏った社会まで、多様な社会を築くようになったのだと思います。ただ、ネアンデルタール人など現生人類以外の人類の中にも、双系的社会を築いた系統がいたかもしれません。
現生人類(あるいは他の人類系統も)は双系的社会を基本としつつ多様な社会を築きましたが、ヒト上科、あるいはオランウータン属の事例があるのでヒト亜科に限定するとしても、基本的には非母系社会が特徴で、長い時間進化してきたように思います。おそらくこれは、近親交配回避の仕組みとして進化してきたのでしょう。近親交配の忌避は人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。つまり、人類系統あるいはもっと限定して現生人類系統で独自に近親交配回避の認知的仕組みが備わったこと(収斂進化)はとてもありそうにない、というわけです。
しかし、現生人類においては近親交配が低頻度ながら広範に見られます。たとえば、アイルランドの新石器時代社会の支配層における近親交配が報告されました(関連記事)。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配も推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。
近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、上述のアイルランドの新石器時代の事例や、エジプトや日本でも珍しくなかった、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありませんが、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えられます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。
生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。
もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。
私がこれまで、「ブルジョア諸学者」による「誹謗」に安易に乗ってしまった側面は多分にあるかもしれませんが、『マルクス主義と人類社会の起源』の前書きや各論文や訳者あとがきで強調されている、「唯物弁証法の正しい適用を受けたエンゲルスの見解の「原則的解決の正しさ」については、上述のように現在の知見からは大いに疑問が残るところです。最近、環境問題対策としての「脱成長」の典拠を唯物史観というかマルクスやエンゲルス(一般的な知名度からか、おもにマルクスの名前が前面に出されているようですが)に求めるような動きもありますが、「聖典」としてのマルクスの言説の中に現在の問題の解決策を見出すのは、率直に言ってマルクスを崇める宗教だと思います。マルクスの言説は広範囲にわたり、期間も長いので、その中に現代の問題と解決策と通ずるように思えるもしれない言説もあるかもしれませんが、それをわざわざ現代においてマルクスの言説の中に見出す必要があるのか、はなはだ疑問です。「マルクス教」の神官ならば、時代に適応して生き残るために、「教祖」の言説を現代的に解釈する必要もあるでしょうが、それは「マルクス教徒」ではないほとんどの人々にとってはさして意味のない行為であり、社会に大きく役立つとは言えないでしょう。これは、科学革命以前の世界で一般的だった知的営みと似ており、つまり、世界の重要な事柄についてはすでに神や賢者によりすべて示されている、とする伝統的な知的観念です(関連記事)。この場合の賢者とは、もちろんマルクスやエンゲルスとなります。
現代社会や人類進化の考察において、エンゲルスやマルクスのような大家ならば、示唆に富んだ言説は多くあるでしょうし、そうした中には、現代の有力説と通ずるものもあるかもしれません。しかし、いかにソ連において「新たな事実資料に基づいて」エンゲルスの見解が更新され続けていたとしても、人類はもちろん、非ヒト霊長類の研究が現代と比較にならないほど貧弱だった時代の研究に依拠しているエンゲルスの主張の枠組みで人類史を理解しようとすることには、やはり大きな無理があると言うべきでしょう。また、仮に現代にも通ずるようなエンゲルスの指摘があったりしても、それが人類進化の研究においてエンゲルスの言説を重視すべき理由にはならないと思います。「唯物史観教」の「神官」や「信者」が人類進化史におけるエンゲルスの言説に「重要な示唆」を見出すのは自由ですが、エンゲルスの言説は「原則的解決の正しさ」を表している、との大前提で人類史を理解するのは、率直に言ってやはり時代錯誤だと思います。
参考文献:
呉汝康著、谷豊信翻訳(1981)「中国古人類学30年」『人類學雜誌』第89巻第2号P127-135
https://doi.org/10.1537/ase1911.89.127
関連記事
森本和男(1985)「近年の理論的動向」『研究連絡誌』第11号P18-22
ユ・ヴェ・ブロムレイ、ア・イ・ペルシツ、エス・ア・トカレフ編(1974)、中島寿雄訳『マルクス主義と人類社会の起源』(大月書店、原書の刊行は1972年)
この記事へのコメント