180万年前頃までさかのぼるジャワ島のホモ・エレクトスの年代

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)のジャワ島への到達年代は180万年前頃までさかのぼることを示した研究(Husson et al., 2022)が公表されました。ホモ・エレクトスのジャワ島への到達年代について、近年では以前の想定よりも新しかった、と指摘する研究も提示されていますが(関連記事)、本論文は、新たな年代測定により180万年前頃までさかのぼる、と示しています。近年、初期人類の出アフリカは250万年前頃までさかのぼる、と指摘した研究が提示されており(関連記事)、その意味で、初期人類が、ジャワ島に到達したのはスンダランド(更新世の寒冷期には、ジャワ島・スマトラ島・ボルネオ島などはユーラシア大陸南東部と陸続きでスンダランドを形成していました)出現期だったとしても、アジア南東部大陸部には、200万年前頃に到達していた可能性も考えられるでしょう。


●要約

 前期完新世のアジア南東部におけるホモ・エレクトスの移動は、ホモ属の進化の理解にきわめて重要です。しかし、急速に変化する自然環境に関する考察は、遺跡の人類の議論がある年代測定とともに限られており、初期のヒトの行動を解明するのに必要となる堅牢な時系列の確保を困難にしています。本論文は、同じ場所で生成された宇宙線生成核種のベリリウム10(Be10)とアルミニウム26(Al26)に基づいて、最も信頼できる年代制約をそれ以前の推定値に追加することにより、ジャワ島のホモ・エレクトスの出現年代を再評価します。その結果、ホモ・エレクトスは180万年前頃にジャワ島に到達し、サンギラン(Sangiran)に居住していた、と分かりました。

 本論文はこの年代を基準として、確率論手法を開発し、生態学的移動模擬実験を再構築された地球力学および気候の歴史により強いられた景観進化モデルと組み合わせることで、ホモ・エレクトスの拡散経路とを再構築します。スンダランドの快適な大地の状態がジャワ島の端への人類のそれ以前の拡散を促進し、ジャワ島で人類は逆に、ジャワ初頭が海から出現してスンダランドとつながるまで移住できなかった、と本論文は論証します。スンダランド全域のホモ・エレクトスの拡散は少なくとも数万年から数十万年かけて起き、これはその自然環境が、気候であれ自然地理であれ、ホモ・エレクトスの行動への主因になったかもしれない時間規模です。アジア南東部の移住の時系列を解明する本論文の包括的再構築手法は、初期のヒトの進化を評価するための、新たな枠組みを提供します。


●研究史

 ホモ・エレクトスはいつどのようにアジア南東部に拡散したのでしょうか?その時期に関する問題は、ジャワ島における化石遺骸の20世紀初頭の発見以来、大きな注目を集めてきました。しかし、ホモ・エレクトスがどのようにアジア南東部に拡散してきたのか、という問題に関しては、その理解が、人類の拡散に適した気候や生態系(関連記事)や地質や自然地理の環境に関してだけではなく、初期のヒトの身体および行動の特徴に関しても手がかりを有しているにも関わらず、ほぼ見過ごされてきました。歴史的な標識としてだけではなく、前期更新世人類の領域の南東端におけるそのきわめて重要な一にも起因して、ジャワ島のホモ・エレクトスが居住した珍しい場所を考慮すると、この問題はなおさら関連しています。本論文は、この問題の両方にまとめて取り組みます。第一に、ホモ・エレクトスがこの地域に居住した年代を再検討し、第二に、古環境および生態学的モデル化技術を用いて、その移住経路を評価します。

 第四紀において地球力学と気候の共同作用により一貫して再形成された、ジャワ島とスンダランドのひじょうに動的な景観(図1)では、年代的な枠組みの正確な知識が、自然環境の再構築に必要です。したがって本論文は、ジャワ島におけるホモ・エレクトスの最初の到来を年代測定し、これは、次に本論文が過去の自然地理とアジア本土からジャワ島への拡散経路を評価するのに用いられる、基準を定義します。ジャワ島のサンギラン遺跡(図1)はその点できわめて重要で、それは、サンギラン遺跡では最多数の人類の発見物があり、またアジア南東部における最初期跡のホモ・エレクトス遺跡に数えられるからです。ユーラシア全域の人類拡散の経路と動因の再構築は、サンギラン遺跡におけるホモ・エレクトスの最初の出現とされる年代に依拠することが多く、その年代は一般的に、アルゴン-アルゴン法および古磁気年代測定に基づいて、170万~150万年前頃とまとめられていました。しかし、最近の研究は、ウラン-鉛放射年代測定とジルコン・フィッション・トラックに基づいて、130万年前頃とより新しい年代を提案しました(関連記事)。以下は本論文の図1です。
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 ジャワ島における年代測定は、平な手法でホモ・エレクトスの到来年代を明確に決定する火山砕屑堆積物における年代測定できる資料の少なさと、サンギラン円頂丘の地質学的環境のため(図1c)、悪名高いほど困難です。化石含有層の良好な露出を提供するその形成性変形にも関わらず、堆積物は都合の悪いことに攪乱することが多くありました。しかし、利用可能なデータセット内では、最新の年代測定(関連記事)のみが他の年代測定と調和させるのは困難です。平均二乗加重偏差により明らかになったデータの大きな不確実性と過分散がこの外れ値を説明するかもしれないものの、その研究は間違いなく論争を再燃させました。さらに、ほとんどの以前の年代測定手法は、埋没前の歴史への制約の乏しさから生じる大きな不確実性に悩まされています。

 代わりに、地球表層宇宙線核種(Terrestrial Cosmogenic Nuclide、略してTCN)年代測定は、本論文が把握している限りでは、埋没年代に焦点を当て、したがって埋没前の歴史と関連する不確実性を最小化する、唯一の利用可能な手法です。その理由のため、この技術は次第に考古学と古人類学に適用されるようになり、人類の拡散に新たな光を当てています(関連記事1および関連記事2)。本論文は、対象の堆積物層位から得られた石英粒子中の2ヶ所の原位置で生成された宇宙線核種(Be10とAl26)の濃度に依拠するTCNを用いて、ジャワ島のホモ・エレクトスの最初の出現を年代測定します。これらの同位体は、発掘および輸送段階に宇宙放射線に曝されると粒子に蓄積し、逆に埋没中に粒子が遮断されると崩壊します。したがって、陸生堆積物の埋没期間と、標本抽出までの発掘の歴史は、含まれる各同位体の量により堆積物に符号化されます。

 この期間の洗練された知識は、少なくとも二つの理由で、ジャワ島のホモ・エレクトスの拡散と行動の解明にとって重要です。第一に、この年代によりますが、ジャワ島のホモ・エレクトスが直接的に単一の出アフリカ事象において海岸沿いに到達したのか、あるいは中国でそれ以前に拡大したより小さな規模の集団から不連続的に生じたのか、不明です。それは、初期のヒトがアジア本土のさまざまな地点からスンダランドに入ってきた可能性を示唆します(図1a)。

 第二に、スンダランド全域にわたるジャワ島のホモ・エレクトスのその後の軌跡は、きょくたんに一時的な古環境状態により条件づけられます。スンダランドは、現在ではほぼ水没していますが、前期更新世には永続的に大陸でした。逆に、スンダランドがゆっくり水没した一方で、ジャワ島は浅い海から現れた隆起する一連の火山でした。ジャワ島における陸生動物と人類の定着は、海洋性環境からより陸生的な環境への移行直後に起きます(関連記事1および関連記事2)。この広範な地理的枠組み内では、ホモ・エレクトスの移動の方向性と速度は、スンダランドとジャワ島の河川海や起伏や植生被覆により定義されるように、その移動時の局所的な自然環境の偶発性に駆動されました。

 この複雑な環境を横断する移動経路の定量的解明のため、本論文は、古環境および古生態学的モデル化技術における二つの最近の進歩に基づきます。第一に、本論文は地質学的時間にわたる過去の自然地理を再構築し、景観進化モデル(Landscape Evolution Model、略してLEM)の適用により、地球力学的変形と気候強制の相乗効果を説明します。同時に、一連の機械的モデルが、起伏および排水、また気候もしくは植生被覆のように種の動きを促進するか妨げる、一連の形態計測的偏りに基づいて、特定の景観にわたる現在の種の置換を模擬実験する、保全主義者の研究から現れます。

 本論文は、生物地理学的目的に対処するため、適切な解像度(約500m)で起伏および排水網での浸食と堆積移動と堆積を模擬実験する、LEM goSPLを用いて、過去の自然地理を再構築します。モデル化された景観は、スンダ棚の表面を変形させる地球力学と、降水量を決定する気候変化との間の相互作用により、人類の移動時に変わります。次に、再構築された景観は、生態学的置換の機械的モデルであるSiMRivの環境条件を定義し、SiMRivでは、種の無作為の軌跡が景観さの複雑さや近く範囲や過去の移動の部分的記憶(半相関レヴィ飛行)により条件づけられます。

 本論文は、この手法をスンダランド全域のホモ・エレクトスの長期の拡散に適用し、大規模な模擬実験一式(それぞれ500万回の繰り返しで3000回の実現)の確率論的評価を選択します。本論文はこの模擬実験を用いて、移動の距離と時間、およびこの地域内の特定の場所における人類の存在の可能性を評価します。本論文は参考のため、最小負担の経路の端成分をさらに計算します(人類には目的地と経路地図がある、という矛盾した仮説に基づいて)。


●年代測定

 ジャワ島のサンギラン遺跡(図2a)の大陸化の最初の事象の年代が測定されました。この大陸化の直後に、人類がジャワ島(スンダランド)に移住してきました。海洋性のプレン(Puren)層が最初の層を形成し、その上にサンギラン層が位置しています。サンギラン層では、最初の陸生動物が下部ラハール(Lower Lahar)単位で見つかっています。人類化石は、浅い海洋性環境から次第により陸上的な環境へと空間が変わった、サンギラン層の最上部で見つかりました。バパン(Bapang)層の底部に位置するグレンズバンク(Grenzbank)単位の礫岩は、より永続的で適したか状態の開始を示します。

 バパン層はおもに河川堆積性で、アンダー・タフ(Upper Tuff)単位まで多数のホモ・エレクトス化石が発見されています。バパン層はポージャジャール(Pohjajar)層と不整合に重なり、最終的にはソロ(Solo)川からの沖積槌に覆われ、現在まで、これら最上層から人類化石は回収されていません。堆積後、バパン層とポージャジャール層はサンギラン円頂丘の変形により浸食され、化石を含むより深い層が露出しました。この事象の年代を最も包括的に評価するため、層序全体で利用可能な年代が使われ、重要なグレンズバンク単位のTCN年代測定により補完されました。以下は本論文の図2です。
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 標本はサンギラン遺跡の南東部のブクランク(Bukurank)小川で抽出され、ここから北方に30m未満の地点で上顎化石が発見されており、以前の年代測定は150万~90万年前頃でした(関連記事)。Be10とAl26の濃度と比率は深さ依存性を示しませんが、入射宇宙線粒子の深さの減衰により、宇宙線同位体濃度が代わりに演繹的に予測できるかもしれません。この均一性は長期にわたる露出により生じます。グレンズバンク単位のTCN年代は178万±35万年前となり、サンギラン層でのホモ・エレクトス化石の出現は、最長で100万年間にわたる可能性があります。


●スンダランドからジャワ島への移住

 浅いスンダ棚がゆっくり水没していったことから、スンダランドが更新世のほとんどの期間には陸上だった、と示唆されます。本論文は、ホモ・エレクトスがジャワ島に到達したさいの地形の変遷を、大規模およびより局所的な規模で再構築しました。これらの再構築から、スンダランドが180万年前頃には大陸の一部になっていた、と示されます(図3a)。この頃のスンダランドでは、一連の主要な河川が流れており、移動の障壁として機能したかもしれません。スンダランドは地球内部の変化と連動して長期にわたり沈下していき、それら伴って中期更新世には景観が変わっていきました。以下は本論文の図3です。
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 前期更新世にジャワ島がアジア南東部本土と陸続きになると(スンダランド)、ホモ・エレクトスは陸路でジャワ島へと到達しました。ジャワ島の層序記録からは、ホモ・エレクトスも含めて陸生動物がスンダランド形成後すぐに暮らしていたことを示唆します。当時の地形図からジャワ島への流入経路が推測され、出発地点は複数(現在のミャンマーかタイかベトナム)あり、最小負担および無作為両方の経路と距離は多様ですが、いずれにしても、人類はアジア南東部本土からジャワ島へと到達できる、と示されます。

 本論文は、ジャワ島への人類の移動時間も推測しています。最小負担経路は、アジア南東部本土からジャワ島まで平均約6000kmですが(図4a)、平均移動距離は、アジア南東部本土の出発地点に関わらず、無作為モデル(327000km)の方が50倍ほど長くなり、ほぼ常に10万kmを超えます。これにどのくらい時間を要したかは、移動速度に依存します。旧石器時代でもより新しくなると、1年あたりの移動距離が1km~10kmほどと推定されています。同様の速度ならば、最小負担経路では600~6000年ほど要したことになり、これがスンダランド横断の最短時間となります。以下は本論文の図4です。
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 無作為モデルでは、人類がジャワ島に到達するまで、移動速度が速ければ25000~40000年間、遅ければ25万~40万年間を要します。この遅い移動速度による長期間想定は、わずか10万年ほど前となる現在のジョージア(グルジア)もしくは中国からの出立に続く、180万年前頃のジャワ島への到達と調和させることが困難です。これら特徴的な移動時間は、自然環境の変化の特徴的な時間規模と同じなので、外的要因が人類に移動を促し、その移動を増加させた、と示唆されます。気候変動は人類の生息地に強く影響を及ぼしますが(関連記事)、本論文は、地球力学的起源の速い自然地理的変と環境の確率性もホモ・エレクトスの拡散を促進したかもしれない、と提案します。


●考察

 ウジェーヌ・デュボワ(Eugène Dubois)は、ジャワ島での革命的発見が、初期のヒトの生息なのか、それとも保存と露出によるものなのか、早くから疑問に思っていました。この問題は一般的で、年代と自然環境と拡散の軌跡を統合した本論文の分析は、新たな光をもたらします。ジャワ島における人類の発見は、アジア南東部全域の移住の時期ではなく、180万年前頃の大陸との陸続きの開始を示すものでした。高い確率で、それ以前の人類集団はスンダランドの近くで繁栄しており、ジャワ島に拡散する準備は整っていて、ジャワ諸島がアジア南東部本土と陸続きになるのを待っているだけでした。

 これが示唆するのは、ジャワ島のホモ・エレクトスの直接的祖先がインドネシア弧で露出している以上に近隣のスンダ棚の堆積物に豊富に埋没しているかもしれない、ということです。前期更新世には、ホモ・エレクトスはスンダランドへの移住中に低地、とくにアジア南東部本土をスンダ棚と接続した「メコン地峡」か、アジア南東部本土のいくつかの地点に密集していた可能性が高そうです。これらの遺跡は現在、堆積物か海水もしくはその両方に埋まっており、化石の発見がジャワ島より少ないことを説明します。

 人類進化への自然地理の影響は確認されてきましたが、象徴的なジャワ島のホモ・エレクトスの事例研究は、移動の軌跡の解明を試みる前に、過去の自然地理の定量的再構築を堅牢な時間的枠組みと結びつける必要性を強調します。この新規の手法は、地域的な環境の枠組み内で人類を把握し直すことにより、ホモ属の拡散に新たな光を当てます。第一に、本論文の結果は、人類の生息地の制御において、とくに低地や河川や起伏といった自然地理の役割を強調します。第二に、恐らくより重要なことに、人類の拡散経路が自然地の変化と同じ特徴的な時間規模で作用し、その移動を促進したかもしれない、との論証により、環境要因の過渡性の影響が浮き彫りになります。

 これらの結果は、変化していく自然環境内での、ホモ・エレクトスの身体的および行動的能力の解明への新たな視点を開きます。ホモ・エレクトスは、ユーラシアでの以前の移動、およびホモ属の他系統の移動速度と比較して、ひじょうに速く(1年あたり10km超)スンダランドを横断した、と分かりました。スンダランドの急速に変化する自然地理が、その速い移動を促進し、それは外部(環境)の強制が内在的要因(文化もしくは人口動態)よりも優勢だったことを示唆する、と本論文は提案します。この提案は、現在の研究を超えて、全体的な生態学および自然(気候と自然地理)環境の共変化を調査するよう、求めます。アジア南東部の自然地理的変化は、地域的な気候および植生被覆とのその応答の関係、究極的には狩猟採集民が依存した食物連鎖(関連記事)を含めて、ホモ・エレクトスの行動に影響を及ぼした、一連の変化の契機となりました。生息地適合性へのこの変化の影響により徹底的に取り組むためには、種分布モデル化が、初期のヒトの進化をより正確に再構築するための自然な手段となるでしょう。

 より一般的な規模では、サンギラン遺跡におけるホモ・エレクトスの最初の出現について得られた本論文のTCN年代は、ホモ・エレクトスによるスンダランドへの初期移住を支持します。このスンダランドへの初期移住は、中国(関連記事)やジョージアの初期ホモ属の存在年代とほぼ同時期で、ジョージアの初期ホモ属は、サンギラン遺跡のホモ・エレクトス標本よりも頭蓋内容量はずっと小さい、と示されています(関連記事)。これらの結果は、古代型のヒトの起源と拡散経路についての長きにわたる論争(関連記事)を再燃させ、ホモ属の拡散について世界的な経路図を提供するものの、移動の一方向には疑問があるかもしれない(関連記事)、出アフリカという枠組み再調査を求めます。


参考文献:
Husson L. et al.(2022): Javanese Homo erectus on the move in SE Asia circa 1.8 Ma. Scientific Reports, 12, 19012.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-23206-9

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