ラオスの6万年以上前の現生人類遺骸
ラオスで発見された現生人類(Homo sapiens)遺骸の年代が6万年以上前にさかのぼることを報告した研究(Freidline et al., 2023)が公表されました。ラオスのフアパン(Huà Pan)県にあるタムパリン(Tam Pa Ling、略してTPL)洞窟遺跡では、4万年以上前の現生人類遺骸(TPL1およびTPL2)が発見されており(関連記事)、アジア南東部における現生人類の初期の存在を示唆しています。本論文は、最近TPLで発見された現生人類遺骸の年代が6万年以上前までさかのぼることを報告しており、ユーラシア南岸圏における5万年以上前となる現生人類の初期の存在を改めて確証していますが、本論文で指摘されているように、ユーラシア南岸圏のこれら初期現生人類集団は、現代人にはほとんど遺伝的影響を残していないかもしれません。
●要約
アフリカからのアジア東部における現生人類の最初の到来時期と、現生人類が在来の古代型人口集団と混合もしくは置換した程度は、議論になっています。ラオスのTPLでの以前の発見は、少なくとも46000年前頃までとなるアジア南東部における現生人類を確認しました。本論文は、TPLの最深層で見つかった、最近発見された前頭骨(TPL6)と腓骨断片(TPL7)を報告します。堆積物のルミネッセンス年代測定のベイズモデル化、および哺乳類の歯のウラン系列法とウラン系列電子スピン共鳴法(electron spin resonance、略してESR)の組み合わせは、86000年間にまたがる堆積物層序を明らかにします。TPL6は70000±3000年前までの現生人類の存在を確証し、TPL7はこの範囲を77000±9000年前まで確証して、アジア南東部への現生人類の初期拡散を裏づけます。TPL6の幾何学的形態計測分析は、在来の古代型【非現生人類ホモ属】人口集団からの進化もしくは古代型人口集団との混合ではなく、華奢な移民人口集団の子孫を示唆します。
●研究史
現在の遺伝学と化石(関連記事)の証拠は、30万年前頃のアフリカ起源を示しています。アフリカからユーラシアへのヒトの拡散の数と時期と(複数の)経路は議論になっており(関連記事)、拡散モデルは大きく二分されます。それは、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5(13万~8万年前頃)における初期拡散と、MIS5の期間の後に起きた後期拡散です(関連記事)。ゲノムの証拠は、6万~5万年前頃以後の全ての非アフリカ系現代人の祖先の単一で急速な拡散と、その後のヨーロッパへと西進した集団とアジア南部へと東進した子孫集団の分岐を支持します(関連記事)。
現在のオーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)人口集団(つまり、オーストラリア先住民とニューギニア人とアジアのネグリート)では、現生人類の別々の初期の世界規模の拡大を裏づける遺伝学的証拠もありますが(関連記事1および関連記事2)、個体人および現代人に関する最近のゲノム研究(関連記事)では、現在の人口集団へのそうした初期拡散の遺伝的寄与があったならば、それは多くなく1%未満だった、と示唆されています。
初期の範囲拡大の化石と考古学の証拠には、イスラエルの有名なスフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)遺跡と、地中海東部やアラビア半島やアジア東部および南東部やオーストラリアにおけるより最近の発見が含まれます。ギリシアのアピディマ(Apidima)洞窟(関連記事)とイスラエルのミスリヤ(Misliya)洞窟(関連記事)の化石の年代はそれぞれ21万年前頃と18万年前頃で、スフールおよびカフゼー遺跡に少なくとも6万年先行するアフリカ人の最初の現生人類と記載されてきており、サウジアラビアでは、ネフド砂漠のアルウスタ(Al Wusta)遺跡で発見された指骨が9万年前頃と年代測定されています(関連記事)。
さらに東方では、5万年以上前の化石はおもに、12万~8万年前頃となる中国の福岩(Fuyan)洞窟(関連記事)や10万~8万年前頃となる黄龍洞(Huanglongdong)や127000~70000年前頃となる陸那洞(Lunadong)や、116000~106000年前頃となる(関連記事)智人洞(Zhirendong)といった中国の遺跡で発見された歯に由来します。これらの遺跡のいくつかを年代を検証しようとする最近の試み(関連記事)は、不正確な放射性炭素推定値、標本抽出された歯のホモ属への誤分類、遺伝的分析における汚染の可能性、不正確な出所などの問題を提示しました(関連記事)。同様に、柳江(Liujiang)で発見された現代的な頭蓋は139000~68000年前頃の範囲内と年代測定されましたが、その出所は不確かです。
現生人類が見つかった他の後期更新世遺跡には、現生人類に分類された2点の歯が発見された73000~63000年前頃となるスマトラ島のリダ・アジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡(関連記事)や、わずかな頭蓋下顎とより多くの断片的な頭蓋後方(首から下)遺骸の年代範囲が70000~46000年前頃となる、ラオス北部のTPL(タムパリン)遺跡が含まれます(関連記事)。最後に、オーストラリアでは最古の遺跡であるマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰の年代は、65000年前頃です(関連記事)。まとめると、これらの調査結果は、これらの初期拡散が定着の失敗を表さない限り、最近の遺伝学的証拠と一致させる困難な、拡散のより複雑なパターンを示唆しています。以下は本論文の図1です。
本論文は、TPLの最近発見された化石証拠と更新された年代を提示し、それらはMIS5後期におけるアジア南東部本土への現生人類の初期の拡散を確証します。未記載の部分的な前頭骨(TPL6、図1)は、腓骨断片(TPL7、図2)とともに、7万年以上前となる現時点でTPL遺跡の最古の化石です。TPL遺跡は2009年に発見され、その時には部分的な頭蓋(TPL1)が発掘され、それ以降、TPL6とTPL7に加えて、2点の下顎(TPL2とTPL3)と1点り肋骨(TPL4)と1点の指骨(TPL5)が回収されました。下顎と関連する歯列の定量分析から、TPLで以前に発見された化石は明らかに現生人類で、いくつかの古代型の特徴が保持されている、と示唆されています(関連記事)。以下は本論文の図2です。
年代的な枠組みは、TPL1~5については、放射性炭素、ウラン系列法、ウラン系列(U-series、略してUS)とESRの組み合わせ(US-ESR)、ルミネッセンス年代測定で確証されており、年代範囲は70000~46000年前頃にわたります。この最初の枠組みは他の文献で詳しく説明されているものの(関連記事)、本論文で完結に要約します(図3)。沈殿した流華石の欠如と、その場で燃やされたのではなく、洞窟に流れ込んだ炭の存在は、堆積物区画における動物の歯の少なさと組み合わされて、堆積物に適用されたルミネッセンス年代測定が年代の中心になったことを意味します。
光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)と赤色熱ルミネッセンス(thermoluminescence、略してTL)が、年代範囲が46000±2000年前で2.5~3.0mの深さに位置する頭蓋(TPL1)と下顎(TPL2)の元々の化石層(TPLOSL1~2)の、上層(0~0.25m、TPLOSL4~8)の堆積物にまず適用されました。これらの結果は、深さ1~3mまでの層序の完全な状態、および1.5~2.5mの3万年以上前の深さに伴って年代が安定して古くなるとことを示しており、堆積物に埋葬される前に沈殿した鍾乳石の先端の64000±1000年前というウラン-トリウム年代と一致します。以下は本論文の図3です。
深さ4.0~5.0mの間で収集された追加の2点のOSL標本(TPLOSL3および10)の年代は、より深くなったのに類似していました(48000±5000年前)。これは、最深層の年代が、深さ3~4mで起きる石英OSL年代測定の浸透のため、過小評価されていることを示唆します。この問題は先行研究では、石英の年代について独立した年代制御を提供するため、長石に赤外線後赤外光ルミネッセンス法(post-infrared infrared-stimulated luminescence、略してpIR-IRSL)を適用することにより、対処されています。
この長石の年代は、深さ3mまでの確立された石英の年代(標本TPLOSL2)と同等ですが、深さ4m(TPLOSL3)や深さ5m(TPLOSL10)やそれ以上では、年代が古くなっていきます。化石の古さの裏づけとなるもののさほど堅牢ではない他の証拠には、TPL1の前頭骨とTPL2の下顎顆状突起の1点の断片の単一のウラン系列年代測定が含まれます。これらの標本のどちらも、結果の完全性を確証するウラン系列性能分析の機会を提供しなかったので、それぞれ63000年前頃と44000~36000年前頃(関連記事)という化石の下限年代のみを提供しました。
本論文は、化石の年代を深さ5m以上に拡張し、最深の堆積物にルミネッセンス年代測定を実行して、ウラン系列法と組み合わされたUS-ESR年代測定を哺乳類の歯に適用し、TPL遺跡の更新された年代の枠組みを提供し、洞窟のこの区域から最近発見された前頭骨(TPL6)と脛骨(TPL7)について報告します。本論文は、半標識的な幾何学的形態計測を用いて、TPLの頭蓋下顎遺骸(TPL1・2・3・6)の形と大きさを、アフリカやユーラシアの前期~中期更新世化石やアジア南東部完新世のヒトの大規模な標本と比較します。TPLの遺骸は、乏しい後期更新世アジア南東部の化石記録で、顔面と下顎の形態における時間的傾向への洞察を提供します。さらに、TPLはオーストラレーシアとアジア北部への潜在的な移住経路に位置しており、TPL化石の形態は、アジア東部と、最終的にはオーストラリアへの現生人類の拡散の年代と経路、および在来の古代型人口集団と現生人類の相互作用(つまり混合)の性質に関する知識を、改善できます。
●状況と年代測定
TPLの地質学的環境と層序と堆積学は、洞窟が次第に開いていき、TPL洞窟の調査された区域ではその後に、おもに低エネルギーのモンスーンによる堆積が続いたことを示唆します。洞窟で露出した細かい粒の層はよく定義されており、水平になっており、隣接する層の間には明確で連続的な境界があり、堆積後の攪乱の証拠はありません。より小さな石灰岩の破片および細かく砕かれた岩石の粉末と関連する洞窟屋根の摩耗からもたらされた塊は、洞窟入口がじょじょに開いたことについて主要な証拠を提供し、MIS5~2で経てきた一般的により乾燥した気候条件と一致します。深さとともに増加する石灰岩の塊は、元々の洞窟の床の地形を形成し、再度細かい堆積物があり、これら粗い要素を覆っているのは明らかです。少なくともMIS5以降のアジア東部モンスーン(East Asian Monsoon、略してEAM)は、TPL洞窟の堆積作用の多くに影響を及ぼし、低エネルギーの崩壊斜面洗浄が、堆積物移動の主要な様式として機能しました。
直線的な年代測定のための化石の歯のエナメル質におけるウラン濃度は低かったものの、両方標本で象牙質においては一貫していた均一でした。これらの平均下限年代はそれぞれ、深さ6.40mのTPL-73と深さ6.67mのTPL-74では、64100±1300年前と67300±1300年前です。ラスタ層序を用いて、それぞれの歯の組織の拡散率と大きさを考慮し、拡散・吸着・崩壊(Diffusion–Adsorption–Decay、略してDAD)でそれぞれがモデル化されました。
ウラン系列年代測定に続いて、TPL-74はESRで測定されました。エナメル質断片の融合兆候で得られた線量再構築曲線は、ジョアネス・ボヤウ(Joannes-Boyau)の実施要綱に従って、非配向性二酸化炭素基(nonorientated CO2 radicals、略してNOCOR)比の削減後に、160.1±7.3 GyのDeが得られました。次に、図4bで詳述される媒介変数を用いて、84000±8000年前頃というUS-ESR年代が得られました。以下は本論文の図4です。
ルミネッセンス線量率の推定には2つの異なる実施要綱が用いられ、αおよびβ係数の組み合わせと、高解像度γ分光法技術です。高解像度γ分光法技術から、αおよびβ係数手法よりも1000年あたり平均0.1~0.3 Gy低い線量率が得られました。年代推定値は両方の手法を用いて計算され、年代にわずかな差があると示され、これは誤差限界内で無視できます。
TPLOSL12~15より得られた新たなpIR-IRSL年代推定値によると、深さ5.72~6.67mの間で見つかった化石(TPL3・4・6)は80000±10000~67000±5000年前の範囲となります。この年代範囲はそれぞれ、65000±19000年前と86000±8000年前という多くの鉱物の細粒技術と、84000±8000年前と67000±2000年前という哺乳類の歯の組み合わされたUS-ESR年代測定により裏づけられます。
TPLの年代全体を考えると、今や堆積物の7m以上にわたる合計33点の放射性年代が存在します。適用されたベイズモデル化は、77000±9000年前から2000±800年前の誤差範囲内で86000年間にまたがる堆積物の層序を明らかにしており、77000±9000年前から39000±9000年前の誤差内で56000年間にわたるヒトの資料の存在があります(図5)。深さ6.97mで発見された最古の化石は、最深の堆積物標本(TPL15)が深さ6.67mより30cmほど高い地点で収集されたので、77000±9000年前というモデル化された年代より古いかもしれません。以下は本論文の図5です。
●TPL6および7の形態学的記載
TPL6は、合計長の1/3が壊れており、右上側に骨折を示す部分的な左前頭骨です(図1)。以前に見つかったTPL洞窟のヒト遺骸と同様に、TPL6は骨端に風化がなく、短距離で洞窟に押し流されたことを示します。TPL6は左側眉弓と眼窩上縁、前頭鱗と側頭線の左側部分で構成されます。鼻根点と前鼻縫合線は前方で保存されています(7mm)。額部縫合は見られず、後部には冠状縫合が保存されていませんでした。左前頭隆起は前外方に存在し、鼻根点と頬骨の隆起の長さは49.4mmです。左側眼窩上溝は幅5.5mmで、切痕前頭筋は中程度です。古代型のヒトに特徴的な眼窩上隆起はなく、眉弓は中程度で、鼻根点の上で始まり、後方へは眼窩の中間1/3に伸びています。側方の上顎臼歯の三錐は眼窩の側方3番目より上にあり、側頭線と特徴的な眼窩縁により側方でつながっています。左の側頭線は29.6mm見えます。頭蓋内表面では、左側眼窩板が前頭頂の一部と同様に保存されています。頭蓋内表面は、38.5mmにわたるよく発達した前頭頂を示します。左側眼窩板はその最大長の19.2mmで保存されており、涙腺窩が見えます。大脳回痕は眼窩板の上に存在します。骨の鉱化作用、前頭縫合線の欠如、全体的な眼窩と前頭の形態発達に基づくと、TPL6は成人の可能性が高そうです。
TPL7は左側脛骨の近位骨幹断片で、かなりの化石生成論的変化があり(図2)、風化段階2と一致します。腓骨隆起は癒合しており、成人のものであることを示唆し、これはその大きさおよび皮層の厚さと一致します。TPL7の化石生成論的痕跡はTPL6と大まかには類似しており、例外は長骨の続成作用で一般的な縦方向の亀裂で、これはTPL6とTPL7との間の微細構造の組織の違いに起因する可能性が高そうです。水で運ばれたことと一致する観察可能な摩耗はなく、これは発見された低エネルギーの堆積環境を考えると予測されることです。TPL7断片はその最大長が98mmで、断面はほぼ三角形です。断片の近位端は、前方稜の最上面におけるわずかな凹凸度と近位断面の全面の拡大により証明されるように、脛骨前方隆起の最遠位端を維持しています。後方では、垂直線の最近位部が保持されています。側方では、遠位で鋭くなる明確な骨間稜があります。
全ての骨の表面は均一に白化しており、全体的にいくつかの割れ目があります。断片の長さに沿って、骨膜から骨内膜性表面まで伸びる、4ヶ所の大きな縦方向の割れ目があります。骨膜表面には、いくつかの微視的および巨視的割れ目があり、広範に粗くて繊維状の質感が生じます。全体的に、皮層角質除去のいくつかの領域があります。全ての割れ目の端は粗く、ぎざぎざの概観をしており、化石生成論的過程の結果であることを示しています。割れ目の縁と髄腔は赤茶色の基質で埋まっています。
要素の化石生成論的変化は、正確な骨計測分析を妨げます。しかし、前方部でわずかに内側に側枝があって断片化されているものの、骨幹は近くの無傷の位置へと基質により結びつけられており、おおよその寸法計測が可能です。近位部では、脛骨は最大前後(maximum anteroposterior、略してAP)直径が32.6mm、最大内外方向の直径(maximum mediolateral、略してML)が22.9mmです。より円形の特性では遠位に向かって先細りになり、AP直径が28.6mm、ML直径が26.1mmです。TPL7は比較的厚い皮質骨と細い髄腔を維持しており(図2)、それは骨端が折れているため見えます。最も厚い皮質骨は、断片の近位前方で17.04mmです。
●頭蓋下顎遺骸の幾何学的形態計測形態分析
TPL6の再構築とTPL1が、形態理分散の71%を説明する空間で、主成分分析(principal component analysi、略してPCA)の最初の2次元に投影されました(図6a左側)。殆どの集団は主成分1(PC1)に沿って分離し、PC1は眉弓および前頭鱗と関連する形態変化を記録し、非比例的な大きさと相関します。PC1に沿った主要な形態の変化は、眉弓の突出および形態と前頭鱗の丸みであり、PC1の正端に位置する標本、つまりホモ・エレクトス(Homo erectus)は、完全に頑丈で突出した眉弓とより狭い前頭幅とより平坦でより後退した前頭鱗を示します。対照的に、PC1の負端に沿って位置する標本は、TPL6の再構築を含めて、ずっと華奢な眉弓形態と垂直的な前頭骨を有しています。
TPL6の再構築は、沖縄県島尻郡八重瀬町の港川フィッシャー遺跡の個体(港川1・2・4号)や中国の周口店上洞(Zhoukoudian Upper Cave)103号といったいくつかの完新世個体および後期更新世化石と共におよび近くでクラスタ化します(まとまります)。TPL1は明確に現生人類の差異内に収まり、インドネシアのワジャック(Wadjak)遺跡やオーストラリアのウィランドラ湖群(Willandra Lakes)地域のマンゴー湖(Lake Mungo)やモンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)や周口店上洞101号といったオーストラレーシア系の後期更新世化石の近くに位置します。上位のPCの評価は、集団間より大きな重複を示します。現生人類標本(初期、後期、完新世)のみでのPCA(図6a右側)と集団間のPCAはこれらの結果を裏づけ、交差検証された線形判別分析は、全てのTPL6再構築を完新世の現生人類に(事後確率の範囲は66~82%)、TPL1を後期更新世の現生人類に(事後確率は64.7%)分類します。
プロクラステス距離と重心サイズによると、TPL6の前頭骨の形態と大きさは、後期更新世の標本である港川2号および4号やアジア南東部の完新世の現生人類と最も類似しています。TPL6は小さく、その眉弓は華奢で側方に突出している要素と、広いものの平坦な前頭鱗があります。後者の特徴はTPL1と共有されます。TPL1はTPL6よりも大きくて頑丈であり、より突出した眉間と中間的な眉弓があります。その全体的な形態と比率は、オーストラレーシア系の後期更新世現生人類である周口店上洞101号やフィリピンのパラワン島のタボン洞窟群(Tabon Caves)の個体やマンゴー湖の個体と最も類似しています。以下は本論文の図6です。
全集団は上顎データセットでの形態空間において、PC1に沿って重複します(図6b左側)。PC2は、重心サイズとより強く相関し、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)を後期更新世および完新世の現生人類から区別し、初期現生人類は両極(ネアンデルタール人と後期更新世および完新世の現生人類)の間に位置します。TPL1の上顎は後期更新世および完新世の現生人類の差異の範囲内に位置し、柳江1号や周口店上洞101号やタンザニアのラエトリ(Laetoli)人類18号の知覚に位置します。PC2の負端に沿って位置するネアンデルタール人の上顎形態は、より垂直な鼻下領域や後方に位置する頬骨根やより狭い口蓋により特徴づけられます。対照的に、港川4号など現生人類は、より後方に傾斜している鼻下形態や前方に位置する頬骨根やより広い口蓋を有しています。港川4号ほど極端ではありませんが、TPL1は傾斜した鼻下領域とより広い口蓋という現生人類のパターンに従います。
現生人類標本でのPCA(図6b右側)とbgPCAでは、TPL1は初期現生人類に沿って位置し、交差検証された線形判別分析では、初期現生人類と分類されます(事後確率88.0%)。TPL1は初期現生人類と類似した顎前突の上顎と、全ての現生人類(初期、後期更新世、完新世)的な広くて深い口蓋を有しています。前頭骨の大きさと同様に、初期現生人類とその後(つまり、後期更新世と完新世)の現生人類を含む古代の人類において、重心サイズで明確な違いがあります。TPL1の重心サイズは大きく、後期更新世の上位1/4の近くに位置しますが、初期現生人類および古代型のヒトよりはずっと小さくなっています。
TPL2の下顎再構築は、形態空間(図7a左側)でPCAに投影されました。最初の2PCに沿って後期更新世および完新世の現生人類とネアンデルタール人やホモ・エレクトスとの間で明確な分離があり、初期現生人類はこれら両極間の中間に位置し、全集団と重複します。TPLの再構築は両方とも初期現生人類の差異内に位置し、新たな再構築(TPL2-R)は後期更新世および完新世の現生人類の差異の範囲により近く、そうした化石の中で最も近くに位置するのは、北京の南西56km にある田园(田園)洞(Tianyuandong)で発見された4万年前頃の男性個体です。
PC1の負端に向かって位置する標本には、一部のネアンデルタール人と初期現生人類とホモ・エレクトスが含まれ、狭い下顎幅、高い前方癒合、より薄い側方後方下顎体、より大きな下顎枝と冠顎骨突起があります。完新世の現生人類は反対の状態を示し、TPL2の下顎は中央で中間的な形態を示します。現生人類標本のみでのPCAとbgPCA(図7a右側)はこれらの結果を裏づけ、線形判別分析はTPL2の両方の再構築を完新世の現生人類と分類します(事後確率の範囲は95.4~99.8%)。
個体間のプロクラステス距離によると、TPL2の両方の再構築はラオスのタム・ハン・サウス(Tam Hang South)遺跡の完新世のヒトと最も類似しています。元々の再構築はイスラエルのタブンC(Tabun C)洞窟2号や初期現生人類や田園洞個体や後期更新世現生人類と最も近い隣人でもあります。TPL2の両方の再構築について、下顎体の形態は後期更新世の現生人類と最も類似しているものの、標本では極端に頑丈な下顎体と最小の重心サイズを有しています。以下は本論文の図7です。
前方下顎体データセットでの形態空間におけるPCAは、ホモ・エレクトスおよびインドネシア領フローレス島のリアン・ブア(Liang Bua)洞窟の個体(リアン・ブア1号)と、他の集団との間のより明確な分離を示します(図7b左側)。ネアンデルタール人はPC1沿いではホモ・エレクトスと現生人類との中間ですが、これらの集団間には有意な重複があります。PC1の負端に沿って位置する標本(初期と後期と完新世の現生人類)が顕著な頤とより短い癒合を有しているのに対して、ホモ・エレクトスとリアン・ブア1号は頤のないより高くて後退した癒合を有しています。
TPL2の両方の再構築とTPL3はこの形態で類似しており、現生人類のパターンを示します。TPL2の再構築は、顕著な頤とより短い下顎体を有するTPL3と比較して、より高くてより薄い下顎体を有しています。前方下顎体形態では、TPL2の再構築が、タブンC2号やダル・エス・ソルターネ(Dar-es-Soltane)洞窟5号といった初期現生人類、ワジャック2号や周口店上洞101号といった後期更新世の現生人類、完新世の現生人類と最も類似している一方で、TPL3の最も近い隣人は、周口店上洞101号や港川1号といった後期更新世の現生人類や、完新世の現生人類とともに、イタリアのグァッターリ(Guattari)遺跡やフランスのラ・フェラシー(La Ferrassie)遺跡のネアンデルタール人です。現生人類標本でのPCA(図7b)とbgPCAはこれらの結果を裏づけ、交差検証された線形判別分析は、TPL2の両方の再構築を完新世の現生人類に(事後確率の範囲は56.1~63.1%)、TPL3を初期現生人類に(事後確率は39.2%)に分類します。
TPL3の前方下顎体が後期更新世および完新世の現生人類の範囲内に収まるのに対して、TPL2は全集団の四分位間範囲外に収まるものの、大きさの点では、南アフリカ共和国のクラシーズ川(Klasies River)の41805号やボーダー洞窟(Border Cave)の2号個体といった初期現生人類、および中華人民共和国広西壮族(チワン族)自治区の智人洞(Zhirendong)3号や港川Aといった後期更新世アジアの化石と類似しています。
●TPLの拡張年表
5点の独立した年代測定技術での年代推定値を組み込んだ、TPL遺跡の最初のモデル化と組み合わされた堆積物と歯の標本の結果は、年表を1万年拡張し、TPL遺跡に56000年間ヒトが存在していたことを明らかにしました。このモデル化は、TPL遺跡とその関連する化石の層序学的整合性を強化します。
直線的な年代測定に関しては、平均的なウラン系列年代とDAD年代が誤差範囲内ではありませんが、近い範囲にあり、歯の組織へのウランの初期の摂取が擁護されます。両方の歯は年代範囲が近いものの、別々の堆積事象に由来しており、TPL-74はTPL-73より古い可能性が高そうです。これは、両標本間で別れるウラン234/238比により補強され、2回の異なるウラン拡散事象もしくは2つの別々の供給源を示唆します。US-ESR年代は、わずかに古いものの、TPL-74のDADモデル年代と依然として一致しています。ウラン系列標本2点とUS-ESR標本1点だけで、下顎体遺骸は遺跡の適切な評価には依然として限定的ですが、全ての年代測定結果は、TPL遺跡の最古の化石について、92000~65000年前頃(US-ESRとウラン系列年代測定結果両方の組み合わせ)という慎重な可能性の高い年代範囲との一致を示します。
ルミネッセンス年代測定は、区画で深くなるほど複雑になってきました。深さ4mまでは、TPLOSL 3および10標本のOSL-SGとpIR-IRSLの年代間の相違により論証されるように、石英が完全に浸透していました。これは長石年代学の使用を必要としましたが、深さ6mまでに、長石粒は次第に風化していき(測定後に光学顕微鏡を用いて確認されたように)、利用可能な粒の数が劇的に減少した、と明らかになりました。これは、裏づけとなるデータセットとして、多鉱物の細粒の年代測定の使用を必要とします。この技術は粗い粒の長石の結果をわずかに過小評価し、(たとえば標本TPLOSL13および14で)誤差がわずかに大きくなりますが、許容誤差内で同等でした。
本論文は、TPLOSL12~15の年代推定値でTPL遺跡の年表を拡張しただけではなく、哺乳類の歯の直接的な年代測定も含めました。これは、年代測定に利用可能な化石の欠如のため、以前にはできませんでした。今や堆積物と化石の年代間の良好な一致が見られたので、上述のベイズ技術を用いての年代のモデル化により確信を感じられます。これは、TPL遺跡およびその関連する化石証拠について、より決定的な年表と整合性を提供します。モデル化された年表は、急速な堆積を表すどころか、TPL遺跡が86000年以上にわたる堆積物の遅くて季節的な蓄積を示しており、56000年以上にわたってヒトの証拠が蓄積したことを確証します。
●TPL遺跡人類の形態とその意味
TPL6の前頭骨とTPL7の脛骨は、許容誤差内で少なくとも68000年前頃までにアジア南東部大陸部に現生人類を位置づけます。TPL遺跡の化石が現生人類に明確に分類されることは、これらの化石がアフリカや近東や地元の華奢な現生人類集団の子孫だった、と示唆します。アジアにおける現生人類の最初の証拠は、イスラエルのミスリヤ(Misliya)洞窟で見つかっており、年代は194000~177000年前頃です(関連記事)。
しかし、アジアへの現生人類拡大の主要な段階は、ゲノム証拠が全ての非アフリカ系祖先人口集団の65000~45000年前頃となる単一の急速な拡散を示しているように、5万年前頃に起きました(関連記事)。これは、ユーラシア全域の全ての古代人と現代人のゲノムに当てはまり、45000~35000年前頃の最古級の古代人11個体のゲノムが含まれます(関連記事)。アジア南東部内では、古代人のDNAから、より早期の狩猟採集民人口集団が4000年前頃に侵入してきた農耕民によりほぼ置換され、両人口集団の遺伝的多様性はアフリカからの単一の急速な拡散内に収まる、と示されてきました(関連記事1および関連記事2)。
TPL1・2・3の年代範囲はこの期間内に収まります。73000~67000年前頃となるTPL6は、より早期の、失敗したかもしれない拡散を示唆している、中国南部および中央部の他の激しく議論されている化石(黄龍洞、智人洞、陸那洞、福岩洞)に加わります。したがって、TPL遺跡のMIS5以後の化石は、現在のヒト遺伝子プールに寄与しなかったTPL6系統の子孫として、あるいはアジア南東部へのより大きな成功した拡散の初期の子孫として解釈できるかもしれません。これらの仮説を直接的に検証するため、TPL1の左側上顎第一大臼歯とTPL3の右側上顎第一大臼歯でDNAを抽出する試みは、成功しませんでした。
本論文の形態分析は、TPL遺跡の化石群を現生人類に分類した先行研究と一致します(関連記事)。後期更新世現生人類標本では、TPL化石群は、周口店上洞101号や港川2号や柳江化石やタボン洞窟群化石や田園洞個体と最も類似しています。本論文の結果から、かなりの形態とサイズの変異が、周口店上洞や港川の化石群と同様にTPL化石群に存在する、と示され、高水準の不均一性が後期更新世現生人類集団を特徴づける、との以前の観察を裏づけます。TPL6の前頭骨とTPL2の下顎は、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)標本(リアン・ブア1号)を除くすべての標本と比較して小さいものの、TPL1(前頭骨と下顎)とTPL3の前方下顎体は、後期更新世現生人類の範囲内に明らかに収まります。
興味深いことに、より新しいTPL1の前頭骨は、顕著に華奢な化石6の前頭骨より大きくて頑丈です。TPL人類が全員アフリカからの現生人類の初期拡散の子孫ならば、TPL1やTPL2やTPL3における頑丈な特徴は、孤立と遺伝的浮動を通じての局所的な進化のため、独立して獲得されたのかもしれません。現生人類への明確な形態の類似性と古代型人類(たとえば、ネアンデルタール人やホモ・エレクトス)との区別は、TPL化石群の頑丈な形態についての可能性が高い説明として、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やホモ・フロレシエンシスやホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)やホモ・エレクトスなど、在来固有種との交雑に疑問を提起します。
TPL6はTPL遺跡で回収された最古の頭蓋化石です。TPL6はTPL1よりも小さくて華奢で、その形態は日本の後期更新世現生人類である港川2号(較正年代で2万年前頃)やベトナムの完新世の現生人類と最も類似しています。港川人類遺骸のうち、より完全な骨格(港川1号)は頑丈な男性で、より小さな前頭骨(港川2号)と下顎(港川A)は女性と考えられています。港川化石群は、アジア北部人よりも、アジア南部人、たとえばオーストラロ・メラネシア人、柳江やボルネオ島のニア洞窟(Niah Cave)やワジャックの化石群とのより密接な形態学的類似性を示す、と記載されてきました。
TPL1とTPL6との間の大きさと形態両方の違いは、港川1号と港川2号との間で見られる違いと同等です。しかし、堆積物の年表によると、港川化石群とは異なり、TPL1とTPL6との間には約3万年間の時間的隔たりがあります。したがって、TPL1とTPL6との間の形態と大きさの違いは、性的二形を反映しているかもしれないものの、通時的変化およびより頑丈な現生人類との交雑も除外できません。さらに、本論文の個体発生分析から、TPL6は成人である可能性が高く、発達の変化がより頑丈な更新世人口集団において異なっていたかもしれないので、華奢な形態が思春期の年齢を反映している可能性を完全には除外できない、と示唆されます。
それにも関わらず、TPL6の形態が港川2号や完新世のヒトやより新しいTPL1と類似していることは、MIS5以降のアジアにおける現生人類の地域的な連続性を裏づけない、現在の遺伝学的証拠内で解釈されるべきです。このシナリオ下では、TPL6と潜在的にはTPL遺跡のより新しい人類化石群が、失敗した拡散を表しているでしょう。この拡散が主要な後の拡散の前に消滅したか、異なる移住が共存の期間を経たのかは、5万~1万年前頃の古代人のDNAの欠如のため不明なままです。ラオスのファ・ファエン(Pha Faen)遺跡では7800年前頃までに、アジア南東部の最初のゲノムが初期拡散の遺伝学的証拠を示しません(関連記事)。後のヒト(たとえば、港川人)との形態の類似性は、その小さな前頭骨の大きさに起因する可能性が高そうです。
TPL6に続く、TPL遺跡における最古の頭蓋下顎化石はTPL3で、その前方下顎体の年代は7万年前頃です。TPL遺跡下顎群の以前の幾何学的形態計測分析は、更新世の古代型のヒト、つまりアフリカとユーラシアの非現生人類の中期更新世人類やネアンデルタール人との類似性を示し、初期現生人類および上部旧石器時代現生人類の差異の範囲外にTPL遺跡下顎群を位置づけました。これはおもに、その大きくて両頤(bi-mental)の幅、初期現生人類とネアンデルタール人に見られ、下顎枝と関連する古代型の特徴に起因します。しかし、他の後期更新世現生人類と同様に、TPL3はよく発達した頤を有しており、これは現生人類の特徴です。
TPL3との明らかな比較は、10万年前頃にさえさかのぼるかもしれないものの、その年代には最近疑問が呈された(関連記事)智人洞3号の下顎体で、智人洞3号は古代型の頑丈な下顎体と、中程度に発達しているものの明確に現生人類的な頤と、派生的な歯の形態の組み合わせを示す、と記載されています(関連記事)。全体的に、この寄せ集め的な形態は、アフリカから拡散してきた初期現生人類集団間のかなりの混合と、在来の古代型人口集団への遺伝子流動を表している、と解釈されてきました。
前方癒合に関する形態分析では、ネアンデルタール人と現生人類との間でかなりの重複がありますが、ホモ・エレクトスとリアン・ブア1号(ホモ・フロレシエンシス)と中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された下顎は、異なる形態を有しています。夏河下顎はデニソワ人の可能性が指摘されていますが(関連記事)、新種に分類される、との解釈もあります(関連記事)。智人洞3号はTPL3よりも古代型で、両者は、ひじょうに頑丈で頤を欠いていて後退した癒合を要している夏河下顎ほど、古代型ではありません。TPL3も智人洞3号も、その形態は夏河下顎との特別な類似性を示唆しません。智人洞3号は短い前方下顎体を示しており、これは中程度に頑丈で、TPLの両下顎のようで、周口店上洞104号と類似しています。TPL3と智人洞3号の両方は、アフリカの最初期現生人類の寄せ集め的な形態(関連記事)と類似しています。
個体間のプロクラステス距離によると、智人洞3号の最も近い隣人は、おもに後期更新世(港川Aと、周口店上洞104号)と初期現生人類(ボーダー洞窟2号)で、港川AやTPL2やボーダー洞窟2号やクラシーズ川河口の化石群のように小さい、と示されます。年代が正しければ、智人洞3号は失敗した現生人類の初期拡散の事例かもしれません。あるいは、地質学的年代が過大評価されているならば、智人洞3号は後期拡散の最初の住民の事例かもしれません。
地質学的により新しいTPL2下顎は、TPL3より小さく、形態のいくつかの側面ではより現代的です。具体的には、TPL3の癒合はより垂直で、より長方形の歯列弓を有しています。しかし、TPL2の側方下顎体は、ホモ・エレクトスの平均よりも頑丈です。本論文におけるTPL2の新たな再構築では、歯列弓が調節され、数mm広くなりました。これはプロクラステス空間において、後期更新世および完新世の現生人類とより密接な本論文の位置づけとともに変わりますが、TPL2の全体的な結果は変わりません。TPL12は明らかに現生人類です。
TPL2は本論文の検証対象では最小級の下顎で、小型のリアン・ブア1号のみよりも大きい、と示されます。再構築されたTPL2下顎の形態は、ラオス北部のタム・ハン遺跡の若い成人女性とネットも類似しています。その下顎と同様に、これらの個体の身体の大きさの推定値は西洋の基準ではちいさく(140~153cm)、日本の港川遺跡の個体群と同等で、アジア東部および南東部の完新世のヒトと一致します。現生および最近人口集団では、最も低い身長の人口集団の多くは、熱帯森林環境に由来します。TPL遺跡で収集されたカタツムリの殻に関する安定同位体研究から、MIS4および3における環境条件は、現在のラオス北部の湿潤気候および森林状況と類似していた、と示唆されています。
磁気感受性データはこの環境再構築とほぼ一致しますが、いくつかの空間的違いが、標本抽出の場所に応じて観察され、それは洞窟壁面と比較して異なる水文学的条件の結果である可能性が最も高そうです。70000~33000年前頃の期間(TPLOSL4および10)には、TPL遺跡の哺乳類の歯の炭素安定同位体組成(炭素13値)は顕著な閉鎖林冠林の森林性環境を記載します。これは、カタツムリの殻に基づくTPL遺跡の環境再構築、および後期更新世中期におけるより森林的な状況への回帰との推測と一致します。さらに、TPL1の炭素13食性値は、森林環境から得た食資源への厳密な依存を浮き彫りにします。
TPL1の頭蓋資料は、52000~40000年前頃という同じ年代学的な時間枠組みに属するTPL2同じ層序学的多淫で見つかり、アジアの他の後期更新世化石と類似しています。TPL1の前頭骨の形態は、周口店上洞101号および4万年前頃となるフィリピンのパラワン諸島の後期更新世化石であるタボン洞窟群個体と最も類似しています。周口店上洞101号やタボン洞窟群個体と同様に、TPL1の前頭骨は突き出した眉間と中間的な眉弓を有して頑丈であり、柳江のように、広くて深い口蓋のある高くて突き出した下顎を有しています。周口店上洞101号および103号に関する先行研究は、上部旧石器時代ヨーロッパ人およびアフリカとレヴァントの初期現生人類との形態学的類似性を論証しています。膨らんだ眉間やより顕著な眉上隆起や窪んだ鼻根点や上顎突出など、より大きな眼窩上発達のような特徴は一般的に、在来の古代型人口集団との混合ではなく、祖先的形態の保持として解釈できます。
TPL遺跡は、人類化石が稀な後期更新世アジア南東部の化石記録と時間と地域におけるヒトの変異性や時間的傾向への洞察を提供します。部分的な頭蓋(TPL1)が発掘された2009年の最初の発掘以来、わずかな人類化石がこの遺跡で発見されてきており、86000~44000年前頃のヒトの存在を示唆します。これらの化石は、アジア南東部における最古の診断可能な現生人類の頭蓋下顎遺骸の一部を表しています。TPL6の前頭骨は、アフリカもしくは近東からアジア南東部への、70000±3000年前頃までの、初期の失敗したかもしれない拡散の証拠を提供します。
TPL6は顕著に華奢で、これが示唆するのは、TPL6が華奢な移民人口集団の子孫であり、ホモ・エレクトスもしくはデニソワ人からの在来の進化、あるいは、ホモ・エレクトスもしくはデニソワ人との混合の結果ではない、ということです。TPL遺跡の他の頭蓋下顎遺骸(TPL1・2・3)に関する本論文の半標識的な幾何学的形態分析は、これらの遺骸を現生人類と分類した先行研究と一致し、そのかなりの形態と大きさの変異性から、高水準の不均一性が後期更新世現生人類集団を特徴づける、と示唆されます。ラオス北部におけるデニソワ人の大臼歯の最近の地元での発見(関連記事)、およびホモ・エレクトス(関連記事)やホモ・フロレシエンシスやホモ・ルゾネンシス(関連記事)に分類させた化石と合わせると、アジア南東部は、中期~後期更新世においてホモ属の多様性が高かった地域である、と証明されつつあります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:東南アジアの現生人類に関する初期の証拠
ラオス北部のタムパリン洞窟で人類の化石が新たに発見され、これによって、現生人類が8万6000~6万8000年前に東南アジアに移住した可能性が示唆されたと報告する論文が、Nature Communicationsに掲載される。この知見は、東南アジア本土のホモ・サピエンスに関する既知の証拠として最古のものとなり、現生人類が東アジア、そして最終的にはオーストラリアに拡散した時期と経路に関する我々の知識を充実させる。
これまでに発表されたゲノムデータから、ホモ・サピエンスがアフリカからオーストラレーシアに拡散したのは、一度ではなかったという可能性が示唆されている。東南アジアで出土した化石証拠は少ないが、インドネシア、ラオス、オーストラリアで見つかった証拠(7万3000~4万6000年前と年代測定された)と合わせると、ホモ・サピエンスの拡散の順序には複雑な点があったことが示されており、その解明は進んでいない。
今回、Fabrice Demeterらは、タムパリン洞窟で新たに発見された化石について記述し、この洞窟で発見された化石の年代順について、以前に発表された内容を更新し、新たな知見も加えている。Demeterらは、この洞窟で出土した頭蓋骨の断片と脛骨について、放射年代測定を実施して、これらの骨を8万6000~6万8000年前のものと推定した。この頭蓋骨は、予想よりもはるかに細長く、あるいは繊細で、この年代よりもっと最近のアジアのホモ・サピエンスの頭蓋骨の形態に似ていることが分かった。Demeterらは、このことは、この頭蓋骨の持ち主が、もっとロバストな特徴を持つ地元のヒト集団ではなく、この地域に拡散したヒト集団の子孫であることを示している可能性があると考えている。
これらの化石の年代順と形態は、ホモ・サピエンスのオーストラレーシアへの拡散が一度は失敗していたことを支持している可能性がある。さらに、この知見は、この時代のヒトの拡散が複雑だったことを裏付けており、ラオス北部におけるヒト族の多様性の理解が深まった。
参考文献:
Freidline SE. et al.(2023): Early presence of Homo sapiens in Southeast Asia by 86–68 kyr at Tam Pà Ling, Northern Laos. Nature Communications, 14, 3193.
https://doi.org/10.1038/s41467-023-38715-y
●要約
アフリカからのアジア東部における現生人類の最初の到来時期と、現生人類が在来の古代型人口集団と混合もしくは置換した程度は、議論になっています。ラオスのTPLでの以前の発見は、少なくとも46000年前頃までとなるアジア南東部における現生人類を確認しました。本論文は、TPLの最深層で見つかった、最近発見された前頭骨(TPL6)と腓骨断片(TPL7)を報告します。堆積物のルミネッセンス年代測定のベイズモデル化、および哺乳類の歯のウラン系列法とウラン系列電子スピン共鳴法(electron spin resonance、略してESR)の組み合わせは、86000年間にまたがる堆積物層序を明らかにします。TPL6は70000±3000年前までの現生人類の存在を確証し、TPL7はこの範囲を77000±9000年前まで確証して、アジア南東部への現生人類の初期拡散を裏づけます。TPL6の幾何学的形態計測分析は、在来の古代型【非現生人類ホモ属】人口集団からの進化もしくは古代型人口集団との混合ではなく、華奢な移民人口集団の子孫を示唆します。
●研究史
現在の遺伝学と化石(関連記事)の証拠は、30万年前頃のアフリカ起源を示しています。アフリカからユーラシアへのヒトの拡散の数と時期と(複数の)経路は議論になっており(関連記事)、拡散モデルは大きく二分されます。それは、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5(13万~8万年前頃)における初期拡散と、MIS5の期間の後に起きた後期拡散です(関連記事)。ゲノムの証拠は、6万~5万年前頃以後の全ての非アフリカ系現代人の祖先の単一で急速な拡散と、その後のヨーロッパへと西進した集団とアジア南部へと東進した子孫集団の分岐を支持します(関連記事)。
現在のオーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)人口集団(つまり、オーストラリア先住民とニューギニア人とアジアのネグリート)では、現生人類の別々の初期の世界規模の拡大を裏づける遺伝学的証拠もありますが(関連記事1および関連記事2)、個体人および現代人に関する最近のゲノム研究(関連記事)では、現在の人口集団へのそうした初期拡散の遺伝的寄与があったならば、それは多くなく1%未満だった、と示唆されています。
初期の範囲拡大の化石と考古学の証拠には、イスラエルの有名なスフール(Skhul)およびカフゼー(Qafzeh)遺跡と、地中海東部やアラビア半島やアジア東部および南東部やオーストラリアにおけるより最近の発見が含まれます。ギリシアのアピディマ(Apidima)洞窟(関連記事)とイスラエルのミスリヤ(Misliya)洞窟(関連記事)の化石の年代はそれぞれ21万年前頃と18万年前頃で、スフールおよびカフゼー遺跡に少なくとも6万年先行するアフリカ人の最初の現生人類と記載されてきており、サウジアラビアでは、ネフド砂漠のアルウスタ(Al Wusta)遺跡で発見された指骨が9万年前頃と年代測定されています(関連記事)。
さらに東方では、5万年以上前の化石はおもに、12万~8万年前頃となる中国の福岩(Fuyan)洞窟(関連記事)や10万~8万年前頃となる黄龍洞(Huanglongdong)や127000~70000年前頃となる陸那洞(Lunadong)や、116000~106000年前頃となる(関連記事)智人洞(Zhirendong)といった中国の遺跡で発見された歯に由来します。これらの遺跡のいくつかを年代を検証しようとする最近の試み(関連記事)は、不正確な放射性炭素推定値、標本抽出された歯のホモ属への誤分類、遺伝的分析における汚染の可能性、不正確な出所などの問題を提示しました(関連記事)。同様に、柳江(Liujiang)で発見された現代的な頭蓋は139000~68000年前頃の範囲内と年代測定されましたが、その出所は不確かです。
現生人類が見つかった他の後期更新世遺跡には、現生人類に分類された2点の歯が発見された73000~63000年前頃となるスマトラ島のリダ・アジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡(関連記事)や、わずかな頭蓋下顎とより多くの断片的な頭蓋後方(首から下)遺骸の年代範囲が70000~46000年前頃となる、ラオス北部のTPL(タムパリン)遺跡が含まれます(関連記事)。最後に、オーストラリアでは最古の遺跡であるマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰の年代は、65000年前頃です(関連記事)。まとめると、これらの調査結果は、これらの初期拡散が定着の失敗を表さない限り、最近の遺伝学的証拠と一致させる困難な、拡散のより複雑なパターンを示唆しています。以下は本論文の図1です。
本論文は、TPLの最近発見された化石証拠と更新された年代を提示し、それらはMIS5後期におけるアジア南東部本土への現生人類の初期の拡散を確証します。未記載の部分的な前頭骨(TPL6、図1)は、腓骨断片(TPL7、図2)とともに、7万年以上前となる現時点でTPL遺跡の最古の化石です。TPL遺跡は2009年に発見され、その時には部分的な頭蓋(TPL1)が発掘され、それ以降、TPL6とTPL7に加えて、2点の下顎(TPL2とTPL3)と1点り肋骨(TPL4)と1点の指骨(TPL5)が回収されました。下顎と関連する歯列の定量分析から、TPLで以前に発見された化石は明らかに現生人類で、いくつかの古代型の特徴が保持されている、と示唆されています(関連記事)。以下は本論文の図2です。
年代的な枠組みは、TPL1~5については、放射性炭素、ウラン系列法、ウラン系列(U-series、略してUS)とESRの組み合わせ(US-ESR)、ルミネッセンス年代測定で確証されており、年代範囲は70000~46000年前頃にわたります。この最初の枠組みは他の文献で詳しく説明されているものの(関連記事)、本論文で完結に要約します(図3)。沈殿した流華石の欠如と、その場で燃やされたのではなく、洞窟に流れ込んだ炭の存在は、堆積物区画における動物の歯の少なさと組み合わされて、堆積物に適用されたルミネッセンス年代測定が年代の中心になったことを意味します。
光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)と赤色熱ルミネッセンス(thermoluminescence、略してTL)が、年代範囲が46000±2000年前で2.5~3.0mの深さに位置する頭蓋(TPL1)と下顎(TPL2)の元々の化石層(TPLOSL1~2)の、上層(0~0.25m、TPLOSL4~8)の堆積物にまず適用されました。これらの結果は、深さ1~3mまでの層序の完全な状態、および1.5~2.5mの3万年以上前の深さに伴って年代が安定して古くなるとことを示しており、堆積物に埋葬される前に沈殿した鍾乳石の先端の64000±1000年前というウラン-トリウム年代と一致します。以下は本論文の図3です。
深さ4.0~5.0mの間で収集された追加の2点のOSL標本(TPLOSL3および10)の年代は、より深くなったのに類似していました(48000±5000年前)。これは、最深層の年代が、深さ3~4mで起きる石英OSL年代測定の浸透のため、過小評価されていることを示唆します。この問題は先行研究では、石英の年代について独立した年代制御を提供するため、長石に赤外線後赤外光ルミネッセンス法(post-infrared infrared-stimulated luminescence、略してpIR-IRSL)を適用することにより、対処されています。
この長石の年代は、深さ3mまでの確立された石英の年代(標本TPLOSL2)と同等ですが、深さ4m(TPLOSL3)や深さ5m(TPLOSL10)やそれ以上では、年代が古くなっていきます。化石の古さの裏づけとなるもののさほど堅牢ではない他の証拠には、TPL1の前頭骨とTPL2の下顎顆状突起の1点の断片の単一のウラン系列年代測定が含まれます。これらの標本のどちらも、結果の完全性を確証するウラン系列性能分析の機会を提供しなかったので、それぞれ63000年前頃と44000~36000年前頃(関連記事)という化石の下限年代のみを提供しました。
本論文は、化石の年代を深さ5m以上に拡張し、最深の堆積物にルミネッセンス年代測定を実行して、ウラン系列法と組み合わされたUS-ESR年代測定を哺乳類の歯に適用し、TPL遺跡の更新された年代の枠組みを提供し、洞窟のこの区域から最近発見された前頭骨(TPL6)と脛骨(TPL7)について報告します。本論文は、半標識的な幾何学的形態計測を用いて、TPLの頭蓋下顎遺骸(TPL1・2・3・6)の形と大きさを、アフリカやユーラシアの前期~中期更新世化石やアジア南東部完新世のヒトの大規模な標本と比較します。TPLの遺骸は、乏しい後期更新世アジア南東部の化石記録で、顔面と下顎の形態における時間的傾向への洞察を提供します。さらに、TPLはオーストラレーシアとアジア北部への潜在的な移住経路に位置しており、TPL化石の形態は、アジア東部と、最終的にはオーストラリアへの現生人類の拡散の年代と経路、および在来の古代型人口集団と現生人類の相互作用(つまり混合)の性質に関する知識を、改善できます。
●状況と年代測定
TPLの地質学的環境と層序と堆積学は、洞窟が次第に開いていき、TPL洞窟の調査された区域ではその後に、おもに低エネルギーのモンスーンによる堆積が続いたことを示唆します。洞窟で露出した細かい粒の層はよく定義されており、水平になっており、隣接する層の間には明確で連続的な境界があり、堆積後の攪乱の証拠はありません。より小さな石灰岩の破片および細かく砕かれた岩石の粉末と関連する洞窟屋根の摩耗からもたらされた塊は、洞窟入口がじょじょに開いたことについて主要な証拠を提供し、MIS5~2で経てきた一般的により乾燥した気候条件と一致します。深さとともに増加する石灰岩の塊は、元々の洞窟の床の地形を形成し、再度細かい堆積物があり、これら粗い要素を覆っているのは明らかです。少なくともMIS5以降のアジア東部モンスーン(East Asian Monsoon、略してEAM)は、TPL洞窟の堆積作用の多くに影響を及ぼし、低エネルギーの崩壊斜面洗浄が、堆積物移動の主要な様式として機能しました。
直線的な年代測定のための化石の歯のエナメル質におけるウラン濃度は低かったものの、両方標本で象牙質においては一貫していた均一でした。これらの平均下限年代はそれぞれ、深さ6.40mのTPL-73と深さ6.67mのTPL-74では、64100±1300年前と67300±1300年前です。ラスタ層序を用いて、それぞれの歯の組織の拡散率と大きさを考慮し、拡散・吸着・崩壊(Diffusion–Adsorption–Decay、略してDAD)でそれぞれがモデル化されました。
ウラン系列年代測定に続いて、TPL-74はESRで測定されました。エナメル質断片の融合兆候で得られた線量再構築曲線は、ジョアネス・ボヤウ(Joannes-Boyau)の実施要綱に従って、非配向性二酸化炭素基(nonorientated CO2 radicals、略してNOCOR)比の削減後に、160.1±7.3 GyのDeが得られました。次に、図4bで詳述される媒介変数を用いて、84000±8000年前頃というUS-ESR年代が得られました。以下は本論文の図4です。
ルミネッセンス線量率の推定には2つの異なる実施要綱が用いられ、αおよびβ係数の組み合わせと、高解像度γ分光法技術です。高解像度γ分光法技術から、αおよびβ係数手法よりも1000年あたり平均0.1~0.3 Gy低い線量率が得られました。年代推定値は両方の手法を用いて計算され、年代にわずかな差があると示され、これは誤差限界内で無視できます。
TPLOSL12~15より得られた新たなpIR-IRSL年代推定値によると、深さ5.72~6.67mの間で見つかった化石(TPL3・4・6)は80000±10000~67000±5000年前の範囲となります。この年代範囲はそれぞれ、65000±19000年前と86000±8000年前という多くの鉱物の細粒技術と、84000±8000年前と67000±2000年前という哺乳類の歯の組み合わされたUS-ESR年代測定により裏づけられます。
TPLの年代全体を考えると、今や堆積物の7m以上にわたる合計33点の放射性年代が存在します。適用されたベイズモデル化は、77000±9000年前から2000±800年前の誤差範囲内で86000年間にまたがる堆積物の層序を明らかにしており、77000±9000年前から39000±9000年前の誤差内で56000年間にわたるヒトの資料の存在があります(図5)。深さ6.97mで発見された最古の化石は、最深の堆積物標本(TPL15)が深さ6.67mより30cmほど高い地点で収集されたので、77000±9000年前というモデル化された年代より古いかもしれません。以下は本論文の図5です。
●TPL6および7の形態学的記載
TPL6は、合計長の1/3が壊れており、右上側に骨折を示す部分的な左前頭骨です(図1)。以前に見つかったTPL洞窟のヒト遺骸と同様に、TPL6は骨端に風化がなく、短距離で洞窟に押し流されたことを示します。TPL6は左側眉弓と眼窩上縁、前頭鱗と側頭線の左側部分で構成されます。鼻根点と前鼻縫合線は前方で保存されています(7mm)。額部縫合は見られず、後部には冠状縫合が保存されていませんでした。左前頭隆起は前外方に存在し、鼻根点と頬骨の隆起の長さは49.4mmです。左側眼窩上溝は幅5.5mmで、切痕前頭筋は中程度です。古代型のヒトに特徴的な眼窩上隆起はなく、眉弓は中程度で、鼻根点の上で始まり、後方へは眼窩の中間1/3に伸びています。側方の上顎臼歯の三錐は眼窩の側方3番目より上にあり、側頭線と特徴的な眼窩縁により側方でつながっています。左の側頭線は29.6mm見えます。頭蓋内表面では、左側眼窩板が前頭頂の一部と同様に保存されています。頭蓋内表面は、38.5mmにわたるよく発達した前頭頂を示します。左側眼窩板はその最大長の19.2mmで保存されており、涙腺窩が見えます。大脳回痕は眼窩板の上に存在します。骨の鉱化作用、前頭縫合線の欠如、全体的な眼窩と前頭の形態発達に基づくと、TPL6は成人の可能性が高そうです。
TPL7は左側脛骨の近位骨幹断片で、かなりの化石生成論的変化があり(図2)、風化段階2と一致します。腓骨隆起は癒合しており、成人のものであることを示唆し、これはその大きさおよび皮層の厚さと一致します。TPL7の化石生成論的痕跡はTPL6と大まかには類似しており、例外は長骨の続成作用で一般的な縦方向の亀裂で、これはTPL6とTPL7との間の微細構造の組織の違いに起因する可能性が高そうです。水で運ばれたことと一致する観察可能な摩耗はなく、これは発見された低エネルギーの堆積環境を考えると予測されることです。TPL7断片はその最大長が98mmで、断面はほぼ三角形です。断片の近位端は、前方稜の最上面におけるわずかな凹凸度と近位断面の全面の拡大により証明されるように、脛骨前方隆起の最遠位端を維持しています。後方では、垂直線の最近位部が保持されています。側方では、遠位で鋭くなる明確な骨間稜があります。
全ての骨の表面は均一に白化しており、全体的にいくつかの割れ目があります。断片の長さに沿って、骨膜から骨内膜性表面まで伸びる、4ヶ所の大きな縦方向の割れ目があります。骨膜表面には、いくつかの微視的および巨視的割れ目があり、広範に粗くて繊維状の質感が生じます。全体的に、皮層角質除去のいくつかの領域があります。全ての割れ目の端は粗く、ぎざぎざの概観をしており、化石生成論的過程の結果であることを示しています。割れ目の縁と髄腔は赤茶色の基質で埋まっています。
要素の化石生成論的変化は、正確な骨計測分析を妨げます。しかし、前方部でわずかに内側に側枝があって断片化されているものの、骨幹は近くの無傷の位置へと基質により結びつけられており、おおよその寸法計測が可能です。近位部では、脛骨は最大前後(maximum anteroposterior、略してAP)直径が32.6mm、最大内外方向の直径(maximum mediolateral、略してML)が22.9mmです。より円形の特性では遠位に向かって先細りになり、AP直径が28.6mm、ML直径が26.1mmです。TPL7は比較的厚い皮質骨と細い髄腔を維持しており(図2)、それは骨端が折れているため見えます。最も厚い皮質骨は、断片の近位前方で17.04mmです。
●頭蓋下顎遺骸の幾何学的形態計測形態分析
TPL6の再構築とTPL1が、形態理分散の71%を説明する空間で、主成分分析(principal component analysi、略してPCA)の最初の2次元に投影されました(図6a左側)。殆どの集団は主成分1(PC1)に沿って分離し、PC1は眉弓および前頭鱗と関連する形態変化を記録し、非比例的な大きさと相関します。PC1に沿った主要な形態の変化は、眉弓の突出および形態と前頭鱗の丸みであり、PC1の正端に位置する標本、つまりホモ・エレクトス(Homo erectus)は、完全に頑丈で突出した眉弓とより狭い前頭幅とより平坦でより後退した前頭鱗を示します。対照的に、PC1の負端に沿って位置する標本は、TPL6の再構築を含めて、ずっと華奢な眉弓形態と垂直的な前頭骨を有しています。
TPL6の再構築は、沖縄県島尻郡八重瀬町の港川フィッシャー遺跡の個体(港川1・2・4号)や中国の周口店上洞(Zhoukoudian Upper Cave)103号といったいくつかの完新世個体および後期更新世化石と共におよび近くでクラスタ化します(まとまります)。TPL1は明確に現生人類の差異内に収まり、インドネシアのワジャック(Wadjak)遺跡やオーストラリアのウィランドラ湖群(Willandra Lakes)地域のマンゴー湖(Lake Mungo)やモンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)や周口店上洞101号といったオーストラレーシア系の後期更新世化石の近くに位置します。上位のPCの評価は、集団間より大きな重複を示します。現生人類標本(初期、後期、完新世)のみでのPCA(図6a右側)と集団間のPCAはこれらの結果を裏づけ、交差検証された線形判別分析は、全てのTPL6再構築を完新世の現生人類に(事後確率の範囲は66~82%)、TPL1を後期更新世の現生人類に(事後確率は64.7%)分類します。
プロクラステス距離と重心サイズによると、TPL6の前頭骨の形態と大きさは、後期更新世の標本である港川2号および4号やアジア南東部の完新世の現生人類と最も類似しています。TPL6は小さく、その眉弓は華奢で側方に突出している要素と、広いものの平坦な前頭鱗があります。後者の特徴はTPL1と共有されます。TPL1はTPL6よりも大きくて頑丈であり、より突出した眉間と中間的な眉弓があります。その全体的な形態と比率は、オーストラレーシア系の後期更新世現生人類である周口店上洞101号やフィリピンのパラワン島のタボン洞窟群(Tabon Caves)の個体やマンゴー湖の個体と最も類似しています。以下は本論文の図6です。
全集団は上顎データセットでの形態空間において、PC1に沿って重複します(図6b左側)。PC2は、重心サイズとより強く相関し、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)を後期更新世および完新世の現生人類から区別し、初期現生人類は両極(ネアンデルタール人と後期更新世および完新世の現生人類)の間に位置します。TPL1の上顎は後期更新世および完新世の現生人類の差異の範囲内に位置し、柳江1号や周口店上洞101号やタンザニアのラエトリ(Laetoli)人類18号の知覚に位置します。PC2の負端に沿って位置するネアンデルタール人の上顎形態は、より垂直な鼻下領域や後方に位置する頬骨根やより狭い口蓋により特徴づけられます。対照的に、港川4号など現生人類は、より後方に傾斜している鼻下形態や前方に位置する頬骨根やより広い口蓋を有しています。港川4号ほど極端ではありませんが、TPL1は傾斜した鼻下領域とより広い口蓋という現生人類のパターンに従います。
現生人類標本でのPCA(図6b右側)とbgPCAでは、TPL1は初期現生人類に沿って位置し、交差検証された線形判別分析では、初期現生人類と分類されます(事後確率88.0%)。TPL1は初期現生人類と類似した顎前突の上顎と、全ての現生人類(初期、後期更新世、完新世)的な広くて深い口蓋を有しています。前頭骨の大きさと同様に、初期現生人類とその後(つまり、後期更新世と完新世)の現生人類を含む古代の人類において、重心サイズで明確な違いがあります。TPL1の重心サイズは大きく、後期更新世の上位1/4の近くに位置しますが、初期現生人類および古代型のヒトよりはずっと小さくなっています。
TPL2の下顎再構築は、形態空間(図7a左側)でPCAに投影されました。最初の2PCに沿って後期更新世および完新世の現生人類とネアンデルタール人やホモ・エレクトスとの間で明確な分離があり、初期現生人類はこれら両極間の中間に位置し、全集団と重複します。TPLの再構築は両方とも初期現生人類の差異内に位置し、新たな再構築(TPL2-R)は後期更新世および完新世の現生人類の差異の範囲により近く、そうした化石の中で最も近くに位置するのは、北京の南西56km にある田园(田園)洞(Tianyuandong)で発見された4万年前頃の男性個体です。
PC1の負端に向かって位置する標本には、一部のネアンデルタール人と初期現生人類とホモ・エレクトスが含まれ、狭い下顎幅、高い前方癒合、より薄い側方後方下顎体、より大きな下顎枝と冠顎骨突起があります。完新世の現生人類は反対の状態を示し、TPL2の下顎は中央で中間的な形態を示します。現生人類標本のみでのPCAとbgPCA(図7a右側)はこれらの結果を裏づけ、線形判別分析はTPL2の両方の再構築を完新世の現生人類と分類します(事後確率の範囲は95.4~99.8%)。
個体間のプロクラステス距離によると、TPL2の両方の再構築はラオスのタム・ハン・サウス(Tam Hang South)遺跡の完新世のヒトと最も類似しています。元々の再構築はイスラエルのタブンC(Tabun C)洞窟2号や初期現生人類や田園洞個体や後期更新世現生人類と最も近い隣人でもあります。TPL2の両方の再構築について、下顎体の形態は後期更新世の現生人類と最も類似しているものの、標本では極端に頑丈な下顎体と最小の重心サイズを有しています。以下は本論文の図7です。
前方下顎体データセットでの形態空間におけるPCAは、ホモ・エレクトスおよびインドネシア領フローレス島のリアン・ブア(Liang Bua)洞窟の個体(リアン・ブア1号)と、他の集団との間のより明確な分離を示します(図7b左側)。ネアンデルタール人はPC1沿いではホモ・エレクトスと現生人類との中間ですが、これらの集団間には有意な重複があります。PC1の負端に沿って位置する標本(初期と後期と完新世の現生人類)が顕著な頤とより短い癒合を有しているのに対して、ホモ・エレクトスとリアン・ブア1号は頤のないより高くて後退した癒合を有しています。
TPL2の両方の再構築とTPL3はこの形態で類似しており、現生人類のパターンを示します。TPL2の再構築は、顕著な頤とより短い下顎体を有するTPL3と比較して、より高くてより薄い下顎体を有しています。前方下顎体形態では、TPL2の再構築が、タブンC2号やダル・エス・ソルターネ(Dar-es-Soltane)洞窟5号といった初期現生人類、ワジャック2号や周口店上洞101号といった後期更新世の現生人類、完新世の現生人類と最も類似している一方で、TPL3の最も近い隣人は、周口店上洞101号や港川1号といった後期更新世の現生人類や、完新世の現生人類とともに、イタリアのグァッターリ(Guattari)遺跡やフランスのラ・フェラシー(La Ferrassie)遺跡のネアンデルタール人です。現生人類標本でのPCA(図7b)とbgPCAはこれらの結果を裏づけ、交差検証された線形判別分析は、TPL2の両方の再構築を完新世の現生人類に(事後確率の範囲は56.1~63.1%)、TPL3を初期現生人類に(事後確率は39.2%)に分類します。
TPL3の前方下顎体が後期更新世および完新世の現生人類の範囲内に収まるのに対して、TPL2は全集団の四分位間範囲外に収まるものの、大きさの点では、南アフリカ共和国のクラシーズ川(Klasies River)の41805号やボーダー洞窟(Border Cave)の2号個体といった初期現生人類、および中華人民共和国広西壮族(チワン族)自治区の智人洞(Zhirendong)3号や港川Aといった後期更新世アジアの化石と類似しています。
●TPLの拡張年表
5点の独立した年代測定技術での年代推定値を組み込んだ、TPL遺跡の最初のモデル化と組み合わされた堆積物と歯の標本の結果は、年表を1万年拡張し、TPL遺跡に56000年間ヒトが存在していたことを明らかにしました。このモデル化は、TPL遺跡とその関連する化石の層序学的整合性を強化します。
直線的な年代測定に関しては、平均的なウラン系列年代とDAD年代が誤差範囲内ではありませんが、近い範囲にあり、歯の組織へのウランの初期の摂取が擁護されます。両方の歯は年代範囲が近いものの、別々の堆積事象に由来しており、TPL-74はTPL-73より古い可能性が高そうです。これは、両標本間で別れるウラン234/238比により補強され、2回の異なるウラン拡散事象もしくは2つの別々の供給源を示唆します。US-ESR年代は、わずかに古いものの、TPL-74のDADモデル年代と依然として一致しています。ウラン系列標本2点とUS-ESR標本1点だけで、下顎体遺骸は遺跡の適切な評価には依然として限定的ですが、全ての年代測定結果は、TPL遺跡の最古の化石について、92000~65000年前頃(US-ESRとウラン系列年代測定結果両方の組み合わせ)という慎重な可能性の高い年代範囲との一致を示します。
ルミネッセンス年代測定は、区画で深くなるほど複雑になってきました。深さ4mまでは、TPLOSL 3および10標本のOSL-SGとpIR-IRSLの年代間の相違により論証されるように、石英が完全に浸透していました。これは長石年代学の使用を必要としましたが、深さ6mまでに、長石粒は次第に風化していき(測定後に光学顕微鏡を用いて確認されたように)、利用可能な粒の数が劇的に減少した、と明らかになりました。これは、裏づけとなるデータセットとして、多鉱物の細粒の年代測定の使用を必要とします。この技術は粗い粒の長石の結果をわずかに過小評価し、(たとえば標本TPLOSL13および14で)誤差がわずかに大きくなりますが、許容誤差内で同等でした。
本論文は、TPLOSL12~15の年代推定値でTPL遺跡の年表を拡張しただけではなく、哺乳類の歯の直接的な年代測定も含めました。これは、年代測定に利用可能な化石の欠如のため、以前にはできませんでした。今や堆積物と化石の年代間の良好な一致が見られたので、上述のベイズ技術を用いての年代のモデル化により確信を感じられます。これは、TPL遺跡およびその関連する化石証拠について、より決定的な年表と整合性を提供します。モデル化された年表は、急速な堆積を表すどころか、TPL遺跡が86000年以上にわたる堆積物の遅くて季節的な蓄積を示しており、56000年以上にわたってヒトの証拠が蓄積したことを確証します。
●TPL遺跡人類の形態とその意味
TPL6の前頭骨とTPL7の脛骨は、許容誤差内で少なくとも68000年前頃までにアジア南東部大陸部に現生人類を位置づけます。TPL遺跡の化石が現生人類に明確に分類されることは、これらの化石がアフリカや近東や地元の華奢な現生人類集団の子孫だった、と示唆します。アジアにおける現生人類の最初の証拠は、イスラエルのミスリヤ(Misliya)洞窟で見つかっており、年代は194000~177000年前頃です(関連記事)。
しかし、アジアへの現生人類拡大の主要な段階は、ゲノム証拠が全ての非アフリカ系祖先人口集団の65000~45000年前頃となる単一の急速な拡散を示しているように、5万年前頃に起きました(関連記事)。これは、ユーラシア全域の全ての古代人と現代人のゲノムに当てはまり、45000~35000年前頃の最古級の古代人11個体のゲノムが含まれます(関連記事)。アジア南東部内では、古代人のDNAから、より早期の狩猟採集民人口集団が4000年前頃に侵入してきた農耕民によりほぼ置換され、両人口集団の遺伝的多様性はアフリカからの単一の急速な拡散内に収まる、と示されてきました(関連記事1および関連記事2)。
TPL1・2・3の年代範囲はこの期間内に収まります。73000~67000年前頃となるTPL6は、より早期の、失敗したかもしれない拡散を示唆している、中国南部および中央部の他の激しく議論されている化石(黄龍洞、智人洞、陸那洞、福岩洞)に加わります。したがって、TPL遺跡のMIS5以後の化石は、現在のヒト遺伝子プールに寄与しなかったTPL6系統の子孫として、あるいはアジア南東部へのより大きな成功した拡散の初期の子孫として解釈できるかもしれません。これらの仮説を直接的に検証するため、TPL1の左側上顎第一大臼歯とTPL3の右側上顎第一大臼歯でDNAを抽出する試みは、成功しませんでした。
本論文の形態分析は、TPL遺跡の化石群を現生人類に分類した先行研究と一致します(関連記事)。後期更新世現生人類標本では、TPL化石群は、周口店上洞101号や港川2号や柳江化石やタボン洞窟群化石や田園洞個体と最も類似しています。本論文の結果から、かなりの形態とサイズの変異が、周口店上洞や港川の化石群と同様にTPL化石群に存在する、と示され、高水準の不均一性が後期更新世現生人類集団を特徴づける、との以前の観察を裏づけます。TPL6の前頭骨とTPL2の下顎は、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)標本(リアン・ブア1号)を除くすべての標本と比較して小さいものの、TPL1(前頭骨と下顎)とTPL3の前方下顎体は、後期更新世現生人類の範囲内に明らかに収まります。
興味深いことに、より新しいTPL1の前頭骨は、顕著に華奢な化石6の前頭骨より大きくて頑丈です。TPL人類が全員アフリカからの現生人類の初期拡散の子孫ならば、TPL1やTPL2やTPL3における頑丈な特徴は、孤立と遺伝的浮動を通じての局所的な進化のため、独立して獲得されたのかもしれません。現生人類への明確な形態の類似性と古代型人類(たとえば、ネアンデルタール人やホモ・エレクトス)との区別は、TPL化石群の頑丈な形態についての可能性が高い説明として、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やホモ・フロレシエンシスやホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)やホモ・エレクトスなど、在来固有種との交雑に疑問を提起します。
TPL6はTPL遺跡で回収された最古の頭蓋化石です。TPL6はTPL1よりも小さくて華奢で、その形態は日本の後期更新世現生人類である港川2号(較正年代で2万年前頃)やベトナムの完新世の現生人類と最も類似しています。港川人類遺骸のうち、より完全な骨格(港川1号)は頑丈な男性で、より小さな前頭骨(港川2号)と下顎(港川A)は女性と考えられています。港川化石群は、アジア北部人よりも、アジア南部人、たとえばオーストラロ・メラネシア人、柳江やボルネオ島のニア洞窟(Niah Cave)やワジャックの化石群とのより密接な形態学的類似性を示す、と記載されてきました。
TPL1とTPL6との間の大きさと形態両方の違いは、港川1号と港川2号との間で見られる違いと同等です。しかし、堆積物の年表によると、港川化石群とは異なり、TPL1とTPL6との間には約3万年間の時間的隔たりがあります。したがって、TPL1とTPL6との間の形態と大きさの違いは、性的二形を反映しているかもしれないものの、通時的変化およびより頑丈な現生人類との交雑も除外できません。さらに、本論文の個体発生分析から、TPL6は成人である可能性が高く、発達の変化がより頑丈な更新世人口集団において異なっていたかもしれないので、華奢な形態が思春期の年齢を反映している可能性を完全には除外できない、と示唆されます。
それにも関わらず、TPL6の形態が港川2号や完新世のヒトやより新しいTPL1と類似していることは、MIS5以降のアジアにおける現生人類の地域的な連続性を裏づけない、現在の遺伝学的証拠内で解釈されるべきです。このシナリオ下では、TPL6と潜在的にはTPL遺跡のより新しい人類化石群が、失敗した拡散を表しているでしょう。この拡散が主要な後の拡散の前に消滅したか、異なる移住が共存の期間を経たのかは、5万~1万年前頃の古代人のDNAの欠如のため不明なままです。ラオスのファ・ファエン(Pha Faen)遺跡では7800年前頃までに、アジア南東部の最初のゲノムが初期拡散の遺伝学的証拠を示しません(関連記事)。後のヒト(たとえば、港川人)との形態の類似性は、その小さな前頭骨の大きさに起因する可能性が高そうです。
TPL6に続く、TPL遺跡における最古の頭蓋下顎化石はTPL3で、その前方下顎体の年代は7万年前頃です。TPL遺跡下顎群の以前の幾何学的形態計測分析は、更新世の古代型のヒト、つまりアフリカとユーラシアの非現生人類の中期更新世人類やネアンデルタール人との類似性を示し、初期現生人類および上部旧石器時代現生人類の差異の範囲外にTPL遺跡下顎群を位置づけました。これはおもに、その大きくて両頤(bi-mental)の幅、初期現生人類とネアンデルタール人に見られ、下顎枝と関連する古代型の特徴に起因します。しかし、他の後期更新世現生人類と同様に、TPL3はよく発達した頤を有しており、これは現生人類の特徴です。
TPL3との明らかな比較は、10万年前頃にさえさかのぼるかもしれないものの、その年代には最近疑問が呈された(関連記事)智人洞3号の下顎体で、智人洞3号は古代型の頑丈な下顎体と、中程度に発達しているものの明確に現生人類的な頤と、派生的な歯の形態の組み合わせを示す、と記載されています(関連記事)。全体的に、この寄せ集め的な形態は、アフリカから拡散してきた初期現生人類集団間のかなりの混合と、在来の古代型人口集団への遺伝子流動を表している、と解釈されてきました。
前方癒合に関する形態分析では、ネアンデルタール人と現生人類との間でかなりの重複がありますが、ホモ・エレクトスとリアン・ブア1号(ホモ・フロレシエンシス)と中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された下顎は、異なる形態を有しています。夏河下顎はデニソワ人の可能性が指摘されていますが(関連記事)、新種に分類される、との解釈もあります(関連記事)。智人洞3号はTPL3よりも古代型で、両者は、ひじょうに頑丈で頤を欠いていて後退した癒合を要している夏河下顎ほど、古代型ではありません。TPL3も智人洞3号も、その形態は夏河下顎との特別な類似性を示唆しません。智人洞3号は短い前方下顎体を示しており、これは中程度に頑丈で、TPLの両下顎のようで、周口店上洞104号と類似しています。TPL3と智人洞3号の両方は、アフリカの最初期現生人類の寄せ集め的な形態(関連記事)と類似しています。
個体間のプロクラステス距離によると、智人洞3号の最も近い隣人は、おもに後期更新世(港川Aと、周口店上洞104号)と初期現生人類(ボーダー洞窟2号)で、港川AやTPL2やボーダー洞窟2号やクラシーズ川河口の化石群のように小さい、と示されます。年代が正しければ、智人洞3号は失敗した現生人類の初期拡散の事例かもしれません。あるいは、地質学的年代が過大評価されているならば、智人洞3号は後期拡散の最初の住民の事例かもしれません。
地質学的により新しいTPL2下顎は、TPL3より小さく、形態のいくつかの側面ではより現代的です。具体的には、TPL3の癒合はより垂直で、より長方形の歯列弓を有しています。しかし、TPL2の側方下顎体は、ホモ・エレクトスの平均よりも頑丈です。本論文におけるTPL2の新たな再構築では、歯列弓が調節され、数mm広くなりました。これはプロクラステス空間において、後期更新世および完新世の現生人類とより密接な本論文の位置づけとともに変わりますが、TPL2の全体的な結果は変わりません。TPL12は明らかに現生人類です。
TPL2は本論文の検証対象では最小級の下顎で、小型のリアン・ブア1号のみよりも大きい、と示されます。再構築されたTPL2下顎の形態は、ラオス北部のタム・ハン遺跡の若い成人女性とネットも類似しています。その下顎と同様に、これらの個体の身体の大きさの推定値は西洋の基準ではちいさく(140~153cm)、日本の港川遺跡の個体群と同等で、アジア東部および南東部の完新世のヒトと一致します。現生および最近人口集団では、最も低い身長の人口集団の多くは、熱帯森林環境に由来します。TPL遺跡で収集されたカタツムリの殻に関する安定同位体研究から、MIS4および3における環境条件は、現在のラオス北部の湿潤気候および森林状況と類似していた、と示唆されています。
磁気感受性データはこの環境再構築とほぼ一致しますが、いくつかの空間的違いが、標本抽出の場所に応じて観察され、それは洞窟壁面と比較して異なる水文学的条件の結果である可能性が最も高そうです。70000~33000年前頃の期間(TPLOSL4および10)には、TPL遺跡の哺乳類の歯の炭素安定同位体組成(炭素13値)は顕著な閉鎖林冠林の森林性環境を記載します。これは、カタツムリの殻に基づくTPL遺跡の環境再構築、および後期更新世中期におけるより森林的な状況への回帰との推測と一致します。さらに、TPL1の炭素13食性値は、森林環境から得た食資源への厳密な依存を浮き彫りにします。
TPL1の頭蓋資料は、52000~40000年前頃という同じ年代学的な時間枠組みに属するTPL2同じ層序学的多淫で見つかり、アジアの他の後期更新世化石と類似しています。TPL1の前頭骨の形態は、周口店上洞101号および4万年前頃となるフィリピンのパラワン諸島の後期更新世化石であるタボン洞窟群個体と最も類似しています。周口店上洞101号やタボン洞窟群個体と同様に、TPL1の前頭骨は突き出した眉間と中間的な眉弓を有して頑丈であり、柳江のように、広くて深い口蓋のある高くて突き出した下顎を有しています。周口店上洞101号および103号に関する先行研究は、上部旧石器時代ヨーロッパ人およびアフリカとレヴァントの初期現生人類との形態学的類似性を論証しています。膨らんだ眉間やより顕著な眉上隆起や窪んだ鼻根点や上顎突出など、より大きな眼窩上発達のような特徴は一般的に、在来の古代型人口集団との混合ではなく、祖先的形態の保持として解釈できます。
TPL遺跡は、人類化石が稀な後期更新世アジア南東部の化石記録と時間と地域におけるヒトの変異性や時間的傾向への洞察を提供します。部分的な頭蓋(TPL1)が発掘された2009年の最初の発掘以来、わずかな人類化石がこの遺跡で発見されてきており、86000~44000年前頃のヒトの存在を示唆します。これらの化石は、アジア南東部における最古の診断可能な現生人類の頭蓋下顎遺骸の一部を表しています。TPL6の前頭骨は、アフリカもしくは近東からアジア南東部への、70000±3000年前頃までの、初期の失敗したかもしれない拡散の証拠を提供します。
TPL6は顕著に華奢で、これが示唆するのは、TPL6が華奢な移民人口集団の子孫であり、ホモ・エレクトスもしくはデニソワ人からの在来の進化、あるいは、ホモ・エレクトスもしくはデニソワ人との混合の結果ではない、ということです。TPL遺跡の他の頭蓋下顎遺骸(TPL1・2・3)に関する本論文の半標識的な幾何学的形態分析は、これらの遺骸を現生人類と分類した先行研究と一致し、そのかなりの形態と大きさの変異性から、高水準の不均一性が後期更新世現生人類集団を特徴づける、と示唆されます。ラオス北部におけるデニソワ人の大臼歯の最近の地元での発見(関連記事)、およびホモ・エレクトス(関連記事)やホモ・フロレシエンシスやホモ・ルゾネンシス(関連記事)に分類させた化石と合わせると、アジア南東部は、中期~後期更新世においてホモ属の多様性が高かった地域である、と証明されつつあります。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:東南アジアの現生人類に関する初期の証拠
ラオス北部のタムパリン洞窟で人類の化石が新たに発見され、これによって、現生人類が8万6000~6万8000年前に東南アジアに移住した可能性が示唆されたと報告する論文が、Nature Communicationsに掲載される。この知見は、東南アジア本土のホモ・サピエンスに関する既知の証拠として最古のものとなり、現生人類が東アジア、そして最終的にはオーストラリアに拡散した時期と経路に関する我々の知識を充実させる。
これまでに発表されたゲノムデータから、ホモ・サピエンスがアフリカからオーストラレーシアに拡散したのは、一度ではなかったという可能性が示唆されている。東南アジアで出土した化石証拠は少ないが、インドネシア、ラオス、オーストラリアで見つかった証拠(7万3000~4万6000年前と年代測定された)と合わせると、ホモ・サピエンスの拡散の順序には複雑な点があったことが示されており、その解明は進んでいない。
今回、Fabrice Demeterらは、タムパリン洞窟で新たに発見された化石について記述し、この洞窟で発見された化石の年代順について、以前に発表された内容を更新し、新たな知見も加えている。Demeterらは、この洞窟で出土した頭蓋骨の断片と脛骨について、放射年代測定を実施して、これらの骨を8万6000~6万8000年前のものと推定した。この頭蓋骨は、予想よりもはるかに細長く、あるいは繊細で、この年代よりもっと最近のアジアのホモ・サピエンスの頭蓋骨の形態に似ていることが分かった。Demeterらは、このことは、この頭蓋骨の持ち主が、もっとロバストな特徴を持つ地元のヒト集団ではなく、この地域に拡散したヒト集団の子孫であることを示している可能性があると考えている。
これらの化石の年代順と形態は、ホモ・サピエンスのオーストラレーシアへの拡散が一度は失敗していたことを支持している可能性がある。さらに、この知見は、この時代のヒトの拡散が複雑だったことを裏付けており、ラオス北部におけるヒト族の多様性の理解が深まった。
参考文献:
Freidline SE. et al.(2023): Early presence of Homo sapiens in Southeast Asia by 86–68 kyr at Tam Pà Ling, Northern Laos. Nature Communications, 14, 3193.
https://doi.org/10.1038/s41467-023-38715-y
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