渡辺靖『アメリカとは何か 自画像と世界観をめぐる相剋』
岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2022年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。アメリカ合衆国(以下、米国)について日本社会では普段から報道が多く、私も何となくある程度知った気になっているものの、米国についての体系的な本を読むことはほとんどないので、米国理解の助けになるのではないかと思い、読みました。アメリカ合衆国が「保守」と「リベラル」に「分断」されている、との認識は日本でも報道などによりすっかり定着しているでしょうが、本書は、その背景、内政や外交との結びつき、米国の歴史における位置づけについて検証していきます。以下、敬称は省略します。
中央集権を危険視し、三権分立が確立しており、各州が強い権限を有する米国の特徴は、日本でもよく知られていると思います。また、大統領選挙が間接選挙になっていることは、情動的な大衆への不信感に基づいています。「小さな政府」を志向した米国の転機は1929年に起きた世界大恐慌で、これ以降半世紀ほど、「大きな政府」を是認する「リベラル」が米国政治の基本潮流となりました。それまで、政府による介入は「自由」の「障壁」と考えられていましたが、政府による一定の介入が真の「自由」を保障する、との観念が強くなりました。もちろん反発も強く、政府による介入を「障壁」とみなし、「小さな政府」を志向するのが「保守」となります。身分制社会を否定する米国では、近代そのものに懐疑的なヨーロッパ流の「保守主義」は希薄で、米国の「リベラル」は自由主義の左派、「保守」は自由主義の右派にすぎない、と本書は評価します。
この「リベラル」な時代潮流はフランクリン・ルーズベルトからケネディまでの民主党政権で続きますが(ニューディール体制)、1960年代半ば以降、「保守」の逆襲が本格的に始まっていき、1970年代には、経済成長の鈍化や肥大化した行政機構への閉塞感などから、「保守」への支持が高まっていき、1980年の大統領選では共和党が圧勝し、レーガン政権が成立します。レーガン政権では「小さな政府」が強く志向され、具体的には減税や規制緩和や民営化などの自由放任主義的経済(経済保守、新自由主義)、政府主導ではなく教会や地域を中心とする倫理規範や社会秩序の回復(社会保守)、対外的な威信回復と軍備増強(安保保守)です。これらは、中絶の非合法化と公権力による私権侵害、軍備増強と政府の歳出拡大など、相互に矛盾しかねないものもありました。本書はこうした「レーガン保守革命」の最大公約数として、「自己統治(セルフガバナンス)」を挙げます。これは、近代的・科学的・合理的な知の過剰を警戒し、進化論や地球温暖化への保守派の懐疑的姿勢につながります。
1987年には放送の公平性を担保する「公平原則」が廃止され、メディアも党派化が進みます。冷戦が終結し、ソ連という共通の外敵が消滅した点も大きく影響し、現在の党派対立の直接的起源は1990年代にさかのぼる、と本書は指摘します。長年のリベラルな時代潮流のなか、「保守」は「粗野」や「反知性」や「時代錯誤」とほぼ同義となっていましたが、政治・社会的に保守派が台頭したことから、学術界でも米国流「保守」に積極的な思想的価値を見いだす動向が現れます。トランプ政権と密接な関係にあった保守派の放送局「FOXニュース」が創設されたのは1996年でした。米国は保守派の台頭により20世紀末には対外的には孤立主義的性格を強めますが、2001年9月11日の同時多発テロ事件により、強引な介入主義に転向します。ただ本書は、孤立主義と強引な介入主義が、米国を特殊例外とする選民思想的な米国例外主義の表裏一体でもあり、米国例外主義が米国の核心的イデオロギーであることも指摘します。
2001~2009年のブッシュ(子)政権下で党派対立は先鋭化する一方でしたが、上院議員のバラク・オバマは2004年の民主党大会で融和を高らかに宣言し、一気に注目を集め、2008年の大統領選で勝利します。オバマ政権は超党派の合意を模索したものの、民主党からは弱腰と批判され、共和党からの批判が弱まることもなく、融和や中道を求める姿勢がかえって対立や分断を深めました。オバマが2期大統領を務めた後に大統領に就任したのが共和党のドナルド・トランプで、オバマとは正反対に国民を「敵と味方」に二分し、対立や分断を煽ることで政治的求心力を高めました。トランプは公職経験なしで大統領に就任するなどまさに異端の存在で、対外的には米国第一主義を貫き、同盟諸国との間の関係が悪化しました。本書はトランプの立場を「原保守主義(ペイリオコン)」に近い、と評価します。その特徴は、「白人」とキリスト教を中心とした社会秩序があり、分厚い中産階級が存在した、1950年代の米国を黄金時代とみなし、米国が「グローバリズム」により蝕まれた、との被害者意識が強い点にあります。トランプ以前にペイリオコンの立場を鮮明に打ち出した政治家の代表格として、本書はパトリック・ブキャナンを挙げます。トランプは従来の共和党主流派も激しく攻撃し、共和党内の対立が強まっています。一方、「リベラル」の側では左派の躍進が著しく、クリントン夫妻に代表される主流派に左派は強い不信感を抱き、民主党内でも対立が激化していきました。民主党左派の主要な支持層は若い世代です。
本書は、共和党とトランプ派と民主党の左派には、社会保障や環境や人権などをめぐって大きな認識や立場の違いがあるものの、グローバリズムへの不信感と保護主義や孤立主義への志向は共通する、と指摘します。本書は左派が権威主義と強固に結びついた事例として、東欧の旧社会主義圏を挙げます。反グローバリズムの対極に位置するのがリバタリアニズム(自由至上主義)で、「人種」や民族や宗教やジェンダーや国籍などの集合的な属性や力学により個人的および経済的自由が棄損されることを嫌います。オバマ政権初期にその対抗勢力として大きな役割を果たした茶会運動を当初主導したのは、リバタリアン系の団体でした。ただ、リバタリアンにも政府の役割をどの程度認めるかについて、意見の違いがあります。本書は、こうした現在の米国の分断について、求心力を欠いた政治的な部族主義(トライバリズム)と評価しています。つまり、各自が自集団の中に閉じこもり、自らを被害者とみなし、他集団を敵視して罵倒し、ついには封殺しようとする、というわけです。もちろん、これは米国に固有ではなく、グローバル化の加速や人口構成の変容など、大きな構造的変化がある、と本書は指摘します。被害者意識の強さは、対外的には同盟諸国との提携弱化、つまり孤立主義や単独主義につながります。
2020年初頭からのコロナ禍に対して、トランプ政権は大規模な経済対策を打ち出し、共和党は「小さな政府」を主張してきた「保守」から「トランプ党」化が進みます。大規模な経済政策への支持は左派も同様ですが、コロナ禍においてリバタリアンは外出制限に強く抗議する傾向にあり、分断はさらに深まります。米国では陰謀論がさらに広まり、トランプを強く支持する傾向にある「Qアノン」として日本でもよく知られています。ただ本書は、これが米国においてトランプ支持者のような特定の人にのみ当てはまるのではなく、自身とは「異質」の相手を陰謀論の首謀者とすることが続いてきた、とも指摘します。
上述のように、米国の介入主義は米国の核心的イデオロギーである米国例外主義の一面で、介入主義が強く出ると「帝国」の印象に近づきます。ただ本書は、帝国には、自身を「完結した一つの世界」として把握し、帝国内の民族や宗教などの多様性には比較的寛容であるものの、帝国外部は征服や略奪の対象とされることが多い、ローマ帝国やオスマン帝国などの「古典的帝国(前近代的)」と、中核的な国民国家による領土拡張や植民地経営を特徴とし、帝国内部での厳しい同化圧力や社会統制に対して、帝国外部には自国の利益が脅かされない限り、その存在を否定しない「植民地帝国(近代的帝国)」の二類型があり、米国例外主義と親和性が高いのは古典的帝国の方である、と指摘します。本書は、現代の米国を「植民地帝国」と把握することには無理があり、国際法に背いたまま人工島の造成や軍事拠点化など南シナ海の実効支配を進めながら、他国の体制変革や社会主義の世界的拡大への関心が低い近年の中国こそ、植民地帝国に近い、と指摘します。
米国の社会的にも政治的にも深刻な分断は、米国でも日本も含めてよく認識されているでしょうし、本書でも具体的な事例が多数挙げられています。ただ本書は、米国の分裂状況が近未来に収まると考える積極的な理由は乏しいものの、今後の人口動態を考慮すると、対立の争点や軸が変化することはあり得る、と指摘します。「白人」の割合は混合も減少し、2045年頃には過半数を割り、現在の若い世代は上の世代と比較して所有や誇示的消費に固執せず、格差や人権や環境などの社会正義に敏感で、無宗教の割合も増えているので、「白人」の中高年男性・キリスト教保守派・農村部を現在おもな支持基盤とする共和党にとって逆風となり、今後、対立の争点や軸が「リベラル」な方向へ変わる可能性がある、というわけです。一方で、こうした「リベラル化」への「白人」保守層による「文化的反動」の激化も本書は予測します。一方で本書は、コロナ禍もあってさらに格差が拡大するなか、右派でも左派でもトランプ以上に過激なポピュリスト政治家が待望される可能性は否定できない、とも指摘します。ただ本書は、米国の分断状況は程度の差はあれども建国以来の常態で、第二次世界大戦前後の国民的結束はあくまでも例外的だった、とも指摘します。
中央集権を危険視し、三権分立が確立しており、各州が強い権限を有する米国の特徴は、日本でもよく知られていると思います。また、大統領選挙が間接選挙になっていることは、情動的な大衆への不信感に基づいています。「小さな政府」を志向した米国の転機は1929年に起きた世界大恐慌で、これ以降半世紀ほど、「大きな政府」を是認する「リベラル」が米国政治の基本潮流となりました。それまで、政府による介入は「自由」の「障壁」と考えられていましたが、政府による一定の介入が真の「自由」を保障する、との観念が強くなりました。もちろん反発も強く、政府による介入を「障壁」とみなし、「小さな政府」を志向するのが「保守」となります。身分制社会を否定する米国では、近代そのものに懐疑的なヨーロッパ流の「保守主義」は希薄で、米国の「リベラル」は自由主義の左派、「保守」は自由主義の右派にすぎない、と本書は評価します。
この「リベラル」な時代潮流はフランクリン・ルーズベルトからケネディまでの民主党政権で続きますが(ニューディール体制)、1960年代半ば以降、「保守」の逆襲が本格的に始まっていき、1970年代には、経済成長の鈍化や肥大化した行政機構への閉塞感などから、「保守」への支持が高まっていき、1980年の大統領選では共和党が圧勝し、レーガン政権が成立します。レーガン政権では「小さな政府」が強く志向され、具体的には減税や規制緩和や民営化などの自由放任主義的経済(経済保守、新自由主義)、政府主導ではなく教会や地域を中心とする倫理規範や社会秩序の回復(社会保守)、対外的な威信回復と軍備増強(安保保守)です。これらは、中絶の非合法化と公権力による私権侵害、軍備増強と政府の歳出拡大など、相互に矛盾しかねないものもありました。本書はこうした「レーガン保守革命」の最大公約数として、「自己統治(セルフガバナンス)」を挙げます。これは、近代的・科学的・合理的な知の過剰を警戒し、進化論や地球温暖化への保守派の懐疑的姿勢につながります。
1987年には放送の公平性を担保する「公平原則」が廃止され、メディアも党派化が進みます。冷戦が終結し、ソ連という共通の外敵が消滅した点も大きく影響し、現在の党派対立の直接的起源は1990年代にさかのぼる、と本書は指摘します。長年のリベラルな時代潮流のなか、「保守」は「粗野」や「反知性」や「時代錯誤」とほぼ同義となっていましたが、政治・社会的に保守派が台頭したことから、学術界でも米国流「保守」に積極的な思想的価値を見いだす動向が現れます。トランプ政権と密接な関係にあった保守派の放送局「FOXニュース」が創設されたのは1996年でした。米国は保守派の台頭により20世紀末には対外的には孤立主義的性格を強めますが、2001年9月11日の同時多発テロ事件により、強引な介入主義に転向します。ただ本書は、孤立主義と強引な介入主義が、米国を特殊例外とする選民思想的な米国例外主義の表裏一体でもあり、米国例外主義が米国の核心的イデオロギーであることも指摘します。
2001~2009年のブッシュ(子)政権下で党派対立は先鋭化する一方でしたが、上院議員のバラク・オバマは2004年の民主党大会で融和を高らかに宣言し、一気に注目を集め、2008年の大統領選で勝利します。オバマ政権は超党派の合意を模索したものの、民主党からは弱腰と批判され、共和党からの批判が弱まることもなく、融和や中道を求める姿勢がかえって対立や分断を深めました。オバマが2期大統領を務めた後に大統領に就任したのが共和党のドナルド・トランプで、オバマとは正反対に国民を「敵と味方」に二分し、対立や分断を煽ることで政治的求心力を高めました。トランプは公職経験なしで大統領に就任するなどまさに異端の存在で、対外的には米国第一主義を貫き、同盟諸国との間の関係が悪化しました。本書はトランプの立場を「原保守主義(ペイリオコン)」に近い、と評価します。その特徴は、「白人」とキリスト教を中心とした社会秩序があり、分厚い中産階級が存在した、1950年代の米国を黄金時代とみなし、米国が「グローバリズム」により蝕まれた、との被害者意識が強い点にあります。トランプ以前にペイリオコンの立場を鮮明に打ち出した政治家の代表格として、本書はパトリック・ブキャナンを挙げます。トランプは従来の共和党主流派も激しく攻撃し、共和党内の対立が強まっています。一方、「リベラル」の側では左派の躍進が著しく、クリントン夫妻に代表される主流派に左派は強い不信感を抱き、民主党内でも対立が激化していきました。民主党左派の主要な支持層は若い世代です。
本書は、共和党とトランプ派と民主党の左派には、社会保障や環境や人権などをめぐって大きな認識や立場の違いがあるものの、グローバリズムへの不信感と保護主義や孤立主義への志向は共通する、と指摘します。本書は左派が権威主義と強固に結びついた事例として、東欧の旧社会主義圏を挙げます。反グローバリズムの対極に位置するのがリバタリアニズム(自由至上主義)で、「人種」や民族や宗教やジェンダーや国籍などの集合的な属性や力学により個人的および経済的自由が棄損されることを嫌います。オバマ政権初期にその対抗勢力として大きな役割を果たした茶会運動を当初主導したのは、リバタリアン系の団体でした。ただ、リバタリアンにも政府の役割をどの程度認めるかについて、意見の違いがあります。本書は、こうした現在の米国の分断について、求心力を欠いた政治的な部族主義(トライバリズム)と評価しています。つまり、各自が自集団の中に閉じこもり、自らを被害者とみなし、他集団を敵視して罵倒し、ついには封殺しようとする、というわけです。もちろん、これは米国に固有ではなく、グローバル化の加速や人口構成の変容など、大きな構造的変化がある、と本書は指摘します。被害者意識の強さは、対外的には同盟諸国との提携弱化、つまり孤立主義や単独主義につながります。
2020年初頭からのコロナ禍に対して、トランプ政権は大規模な経済対策を打ち出し、共和党は「小さな政府」を主張してきた「保守」から「トランプ党」化が進みます。大規模な経済政策への支持は左派も同様ですが、コロナ禍においてリバタリアンは外出制限に強く抗議する傾向にあり、分断はさらに深まります。米国では陰謀論がさらに広まり、トランプを強く支持する傾向にある「Qアノン」として日本でもよく知られています。ただ本書は、これが米国においてトランプ支持者のような特定の人にのみ当てはまるのではなく、自身とは「異質」の相手を陰謀論の首謀者とすることが続いてきた、とも指摘します。
上述のように、米国の介入主義は米国の核心的イデオロギーである米国例外主義の一面で、介入主義が強く出ると「帝国」の印象に近づきます。ただ本書は、帝国には、自身を「完結した一つの世界」として把握し、帝国内の民族や宗教などの多様性には比較的寛容であるものの、帝国外部は征服や略奪の対象とされることが多い、ローマ帝国やオスマン帝国などの「古典的帝国(前近代的)」と、中核的な国民国家による領土拡張や植民地経営を特徴とし、帝国内部での厳しい同化圧力や社会統制に対して、帝国外部には自国の利益が脅かされない限り、その存在を否定しない「植民地帝国(近代的帝国)」の二類型があり、米国例外主義と親和性が高いのは古典的帝国の方である、と指摘します。本書は、現代の米国を「植民地帝国」と把握することには無理があり、国際法に背いたまま人工島の造成や軍事拠点化など南シナ海の実効支配を進めながら、他国の体制変革や社会主義の世界的拡大への関心が低い近年の中国こそ、植民地帝国に近い、と指摘します。
米国の社会的にも政治的にも深刻な分断は、米国でも日本も含めてよく認識されているでしょうし、本書でも具体的な事例が多数挙げられています。ただ本書は、米国の分裂状況が近未来に収まると考える積極的な理由は乏しいものの、今後の人口動態を考慮すると、対立の争点や軸が変化することはあり得る、と指摘します。「白人」の割合は混合も減少し、2045年頃には過半数を割り、現在の若い世代は上の世代と比較して所有や誇示的消費に固執せず、格差や人権や環境などの社会正義に敏感で、無宗教の割合も増えているので、「白人」の中高年男性・キリスト教保守派・農村部を現在おもな支持基盤とする共和党にとって逆風となり、今後、対立の争点や軸が「リベラル」な方向へ変わる可能性がある、というわけです。一方で、こうした「リベラル化」への「白人」保守層による「文化的反動」の激化も本書は予測します。一方で本書は、コロナ禍もあってさらに格差が拡大するなか、右派でも左派でもトランプ以上に過激なポピュリスト政治家が待望される可能性は否定できない、とも指摘します。ただ本書は、米国の分断状況は程度の差はあれども建国以来の常態で、第二次世界大戦前後の国民的結束はあくまでも例外的だった、とも指摘します。
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