アフリカからの解剖学的現代人の拡散における遺伝的選択と気候要因の役割
アフリカからの解剖学的現代解剖学的現代人(anatomically modern human、略してAMH、現生人類、Homo sapiens)の拡散における遺伝的選択と気候要因の役割に関する研究(Tobler et al., 2023)が公表されました。本論文は、古代人のゲノムにおいて推測された57ヶ所の「硬い一掃(hard sweep)」の機能的および時空間的特性を分析し、さほど理解されていない出アフリカ移住期におけるヒトの進化を再構築します。本論文の分析は、3万年にわたって続いた遺伝的適応の以前には思いもよらぬ長い期間を明らかにし、アラビア半島もしくはその周辺地域で、ユーラシアの他地域全体と遠くオーストラリアにまで至った急速な拡散の前に起きたかもしれません。機能的標的には、複数の現代の西洋の疾患と関連する、脂肪蓄積や神経発達や皮膚の生理機能や繊毛機能に関わる複数の相互作用する遺伝子座が含まれています。同様の機能的痕跡は、遺伝子移入された古代型人類(非現生人類ホモ属)の遺伝子座と北極圏の現代人集団でも明らかで、寒冷環境がユーラシアの成功した移住を促進したかもしれない顕著な歴史的選択圧だった、と示唆されます。
●要約
AMHのアフリカから(out of Africa、略してOoA、出アフリカ)ユーラシア全域への進化的に最近の拡散は、ヒト【現生人類】が複数の新たな環境に適応したさいの遺伝的選択の影響を調べる、独特な機会を提供します。ユーラシア古代人のゲノムデータセット(45000~1000年前頃)の分析は強い選択の痕跡を明らかにし、その中には、最初のAMHの出アフリカ移動後の少なくとも57ヶ所の硬い一掃が含まれ、こうした一層は完新世における広範な混合により現代の人口集団では曖昧になってきました。これら硬い一掃の時空間的パターンは、初期AMH集団の出アフリカ拡散の再構築の手段を提供します。
本論文は、3万年間続いた遺伝的適応の以前には思いもよらぬ長い期間を特定し、この適応はアラビア半島地域で起きた可能性があり、主要なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺伝子移入とその後のユーラシア全域と遠くオーストラリアへの急速な拡散に先行します。本論文では「アラビア半島の停止」とよばれるこの期間に始まった選択の一貫した機能的標的には、脂肪蓄積や神経発達や皮膚の生理機能や繊毛機能の制御と関連する遺伝子座が含まれます。
同様の適応的痕跡は遺伝子移入された古代型人類の遺伝子座と北極圏の現代人集団でも明らかで、本論文は、この兆候が寒冷適応の選択を表している、と提案します。意外なことに、これらの集団で選択された遺伝子座候補の多くは、生物学的過程を直接的に相互作用し、協調的に制御しており、繊毛関連疾患や代謝症候群や神経変性疾患など、主要な現代人の疾患と関連しているものもあります。これは、現代人の疾患に直接的に影響するヒトの祖先の適応の可能性を拡張し、進化医学の基盤を提供します。
●研究史
AMH集団は6万~5万年前頃にアフリカから周氷河のユーラシア全域へと移動した時(関連記事)、故地であるアフリカとは顕著に異なるさまざまな環境に遭遇しました。これは、マラリア耐性や乳糖耐性と関連する遺伝子についてヒトの歴史のより最近の事象で観察されてきたように、ヒトの生存に重要な新しい特性の選択を促進した可能性が高そうです。そうした重要な適応は、新しいか稀な有益なアレル(対立遺伝子)が選択により高頻度になる硬い一掃を含んでいる、と予測できるかもしれませんが、現代の人口集団は世界的に強い選択の古典的な遺伝的痕跡をほとんど示さない傾向にあります。これは、直近のヒトの適応が代わりに行動的だったか、「柔らかい」一層と多遺伝子選択などゲノムにおいてさほど顕著な痕跡を残さなかった遺伝的選択の代替様式を含んでいた、との示唆につながってきました。
しかし、ユーラシア西部古代人1000個体超の最近の分析では、人口集団の混合の顕著な段階が現代の人口集団から硬い一掃のそれ以前の証拠を曖昧にするかもしれない、と示されました。本論文は、45000年前頃から現在にまたがる非アフリカ系ヒト集団における古代の一掃を分析し、刊行された古代型人類と現代人のデータセットを比較し、新たな環境へのヒトの適応の根底にある歴史的な選択圧と遺伝子座を特徴づけます。ヒトゲノムにおける重要な過去の選択事象の影響の理解と特定は、現代の環境と文化の状況における疾患への感受性を高める遺伝的要因を解明する重要な手段です。
●古代人のゲノム分析は硬い一掃の出アフリカ起源を裏づけます
AMHの出アフリカ移住中の強い選択の兆候を示すヒト遺伝子座の分子的・機能的・時間的特徴を調べるため、古代人1500個体以上のゲノムで構成されるデータセットに広範な分析が適用されました。このデータセットには、ショットガン晴れいつのゲノムと高密度の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)走査が、世界中の人口集団から得られた比較用の現代人のデータセットと共に含まれています。以前には、遺伝学的および考古学的関係に基づいて18の異なる古代の人口集団に分類された、ユーラシア西部の古代人1162個体(そのほとんどは、10000~5000年前頃となる初期完新世と青銅器時代)のデータセット57ヶ所の高信頼性の歴史的な硬い一掃の一式が同定されて確証されました。
18人口集団のそれぞれの内部のゲノム配列は、SweepFinder2(SF2)を用いて、硬い選択的一掃の証拠(歪んだアレル頻度パターンと異常に低い多様性)について整列され、走査されました。重要なことに、SF2は動的な引窓(sliding window)手法を用いて、人口史と人口構造について制御する硬い一掃の堅牢な識別を提供し、これらの特性が、ユーラシアの人口史と古代人のゲノムの特性(つまり、欠失データ、SNP確認、小さな標本規模)を模倣する、広範な前進模擬実験を用いて、古代人のゲノムにも拡張される、と確証できました。
57ヶ所の硬い一掃はユーラシアの人口集団に限定されており、アフリカのヨルバ人集団には存在せず、複数のアフリカの現代人集団で観察された、最近報告された硬い一掃とも有意な重複を示しません。本論文はしたがって、ユーラシア古代人とヨルバ人集団との間のSNP頻度の違いを用いて、各一掃ハプロタイプを特徴づける、分岐標識アレル(対立遺伝子)の一式を決定しました。堅牢な測定を行うために、ひじょうに少ない標識SNPのある硬い一掃1ヶ所(LINCO1153)を破棄した後で、古代人と現代人のゲノムで56ヶ所の一掃ハプロタイプを確認でき、最近のヒトの歴史における硬い一掃の広範な時空間的動態が調べられました。
56ヶ所のユーラシア古代人の一掃ハプロタイプは、アフリカの現代人集団ではほぼ完全に存在しませんが、その多くは祖先が最初のユーラシアへの拡散の直後に他の出アフリカ移民から分離したと考えられる地理的に遠い個体群(たとえば、アンダマン諸島のオンゲ人やオーストラリア先住民やパプア人)のゲノム(関連記事)に存在します(図1)。この知見から、一掃は他のアフリカの人口集団からの分離に続く創始者出アフリカ集団で起きた可能性が最も高い、と示唆されており、遺伝学的には10万年前頃と推定されています(関連記事)。いくつかの一掃は高頻度だったようですが、その後の広範なユーラシアへの拡散の前に固定されたものはありませんでした。以下は本論文の図1です。
さらに、時間的なハプロタイプパターンは、広範な人口集団の混合の2つのよく知られた期間(つまり、8000~7000年前頃となる近東の初期農耕民の最初の拓大と、5000)の完新世における顕著な減少の前となる、45000~12000年前頃のヨーロッパにおける複雑な一連の人口置換事象(関連記事)を通じての、一掃の兆候の持続を確証します(図1)。一層の兆候の別の減少は、紀元後700年頃のムーア人の占領と一致するイベリア半島のデータ内で観察できます。この期間におけるいくつかのヨーロッパ地域で観察される一層の兆候におけるその後の回復(図1)は、進行中の選択ではなく局所的な人口統計学的変化を反映しているかもしれません。たとえば、よく記録されている、ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter Gatherers、略してWHG)関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の中期完新世の復活(関連記事)です。
●寒冷なユーラシアの環境への持続的な適応
56ヶ所の一掃ハプロタイプの大半が現在多様な非アフリカ系現代人集団において中間的な頻度で分離している、という観察は少なくとも5万年前頃におけるアフリカを越えてのヒトの拡大の初期段階における選択圧を示唆します。ヒト進化のこの重要ではあるもののよく理解されていない期間をさらに調べるため、一連の定性的および定量的分析が実行され、硬い一掃の根底にある潜在的な生物学的機能と選択圧が調べられました。一掃領域内の適応的遺伝子座を突き止める統計的手法であるiSAFEが、現代ヨーロッパ人のゲノム一式に適用されました。56ヶ所の一掃領域のうち32ヶ所で、選択の推定される標的として、単一のタンパク質コード駆動(つまり候補)遺伝子を特定でき、機能分析が可能になりました。
明確に定義された原因変異がない場合に正の選択遺伝子座を確認するための推奨事項に従って、損害を与えるかハプロ不全のアレルの保有者、もしくは相同的な(orthologous)遺伝子に機能喪失変異のある動物モデルからの表現型情報を用いて、各候補遺伝子の中核機能が推測されました。意外なことに、ユーラシア古代人の32の候補遺伝子は、寒冷適応的だったとも考えられている、現在の北極圏の人口集団(58個の機能的に分類された遺伝子)、もしくはネアンデルタール人あるいは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との過去の混合事象に由来する古代型人類からの適応的に遺伝子移入された(hominin adaptively introgressed、略してHAI)遺伝子座において、人口集団固有の選択下にあると以前に同定された高信頼性の候補遺伝子を想起させる遺伝子の種類と生物学的機能のパターンを明らかにしました。これは、現代のグリーンランドのイヌイットにおいて高頻度で見られる体脂肪と発達の特性に影響しているデニソワ人から遺伝子移入された遺伝子座など、現代のより寒冷な周氷期の北方環境への古代型人類の遺伝的適応が、アフリカからそれら古代型人類と同じユーラシアへの環境へと拡散した初期AMH集団に有利なアレルを提供したかもしれない、という示唆と一致します。
ユーラシア古代人と北極圏のヒトと古代型人類のAI遺伝子一式で同定された候補選択遺伝子全体の機能のより詳しい調査は、ヒトの寒冷適応に関わると知られている複数の生物学的過程を含む、一致した生物学的接続の驚くべき層を明らかにしました(図2)。たとえば、各候補一式における遺伝子のほぼ1/4は代謝過程と関連しており、これには哺乳類の寒冷適応にとって重要な代謝連鎖である、脂肪代謝を活発に調節する複数の遺伝子が含まれます。これには3個のユーラシア古代人の遺伝子が含まれます。それは、アデノシン三リン酸(Adenosine tri-phosphate、略してATP)もしくは熱の生成に脂肪酸の参加を調節し、脂肪生成に関わる代謝感受性転写因子であるPPARDと、体脂肪沈着の差異と関連づけられてきたSMCOおよびTMCC1です。以下は本論文の図2です。
HAI遺伝子では、第四ペルオキシソーム増殖活性受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor delta、略してPPARD)のようなPPAR族核受容体の第三ペルオキシソーム増殖活性受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor gamma、略してPPARG)が、白色と茶色の脂肪細胞の形成に必要で、この脂肪細胞は、白色の脂肪酸は中性脂肪としての燃料貯蔵を、茶色の脂肪酸は酸化リン酸化反応からの熱生成を提供しますが、AGL(amylo-alpha-1, 6-glucosidase, 4-alpha-glucanotransferase)は貯蔵されたエネルギーの主要な供給源であるグリコーゲンの代謝を調節します。
同様に、北極圏の現代人の候補選択遺伝子内では、脂肪酸不飽和化酵素(fatty acid desaturase、略してFADS)1・2・3も脂肪酸合成を制御しますが、アンジオポエチン66(angiopoietin like 6、略してANGPTL6)は、体脂肪症とインスリン感受性の調節に顕著な影響を及ぼします。注目すべきことに、ユーラシア古代人と北極圏のヒトとHAI候補遺伝子一式の3個すべてにわたる代謝遺伝子座は、調節網でも直接的に関連しています。それは、PPARDがPPARGの発現を調節する転写因子で、PPARGは、FADS1とFADS2、およびHAI代謝とAGL遺伝子の発現を調節する転写因子だからです。
●選択された遺伝子座の機能的一致は適応標的の細胞内組織を明らかにします
各候補遺伝子一式の遺伝子の約1/3は、発達過程と関連しており、繊毛の発達形成と機能、肌の特性、DNA損傷への応答と関連する遺伝子の異なる部分集合が含まれます(図2)。繊毛は進化的に保存された毛髪のような細胞構造で、細胞環境感知機構として機能もしくは運動の提供が可能ですが、寒冷で乾燥した環境における肺と起動にも重要です。繊毛遺伝子は、北極圏の哺乳類とグリーンランドおよびシベリアの複数の人口集団において、遺伝的選択の兆候のメタ分析でも箇条に存在する、と分かりました。
ユーラシア古代人の候補遺伝子であるダイニン軸糸重鎖6(dynein axonemal heavy chain 6、略してDNAH6)とDNAH7と多重コイル領域含有138(Coiled-Coil Domain Containing 138、略してCCDC138)は、グリーンランドのイヌイットの研究で同定されたDNAH2とDNAH3とDNAH17とともに、全て繊毛の分子的構造組成(繊毛の動きに力の生成を集中的に提供する軸糸ダイニンモーター複合の特定の組成で構成されます)をコードしますが、北極圏のヒトの選択された遺伝子であるSDCCAG8(Serologically defined colon cancer antigen 8、血清学的に定義された結腸癌抗原8)は、繊毛の発達を制御します(図2)。
さらなるユーラシア古代人の遺伝子はRCC1(Regulator of chromosome condensation 1、染色体濃縮1の調節)およびBTB(broad-complex, tramtrack and bric-a-brac、広範な複合とトラムトラックとブリックアブラック)領域含有タンパク質2(RCC1 and BTB domain-containing protein 2、略してRCBTB2)で、これは検出切断閾値をわずかに下回っていましたが、繊毛の形成にも必要な細胞内タンパク質をコードします。さらに、HAI遺伝子であるWD(White-dominant 優性白色)繰り返し領域88(WD repeat domain 88、略してWDR88)は潜在的な繊毛機能を有しており、それは、その近傍のパラログ(遺伝子重複により生じた類似の機能を有する遺伝子)であるDAW1(Dynein Assembly Factor With WD Repeats 1、WD繰り返しのあるダイニン集合因子1)が、DNAH6とDNAH7を含む繊毛構造の構築に関わっているからです。
皮膚の生理学的特性と色素沈着に関わる遺伝子は、3個の候補遺伝子一式全体の別の機能的集中として現れます。皮膚の色素沈着は、メラニンを生成して細胞の内外の部位に輸送するメラノソームにより決定されます。この過程内では、ユーラシア古代人の遺伝子であるメラノフィリン(melanophilin、略してMLPH)が、HAI遺伝子である網様体賦活系関連タンパク質ラブ27A(Ras-related protein Rab-27A、略してRAB27A)と生化学的に相互作用し、細胞周辺にメラニン含有メラノソームを往復させます。メラニン合成自体は、共有されているHAIおよび北極圏のヒトの遺伝子である眼皮膚白皮症2(oculocutaneous albinism II、略してOCA2)によりコードされる「Pタンパク質」を必要としますが(関連記事)、メラノソーム形成(つまり、メラニン生成)は北極圏で選択された遺伝子であるSLC24A5(solute carrier family 24 member 5、溶質保因者族24構成員5)を必要とします。MLPHもしくはRAB27Aのどちらかにおける変異は、色素沈着低下状態をもたらすグリセリ症候群(Griscelli syndrome)の原因となりますが、SLC24A5とOCA2の多様体はヒトの白化症と関連しています。
進化的観点では、これら「色」の遺伝子は脊椎動物全体で機能的に保存されており、それは、MLPHの多型が家畜化されたネコの経路に寄与している一方で、SLC24A5とOCA2の変異は、それぞれゼブラフィッシュとカワスズメの「金色」の表現型をもたらすからです。出アフリカ移住中の色素沈着への選択圧は以前に注目されており、紫外線および/もしくは日光水準への応答である、と示唆されています。これに関して、多くのユーラシア人の一掃遺伝子が、高い紫外線水準に起因する選択とも関連しているかもしれないDNA損傷応答と関わっていることは注目に値し、たとえば、腫瘍タンパク質P53結合タンパク質1(Tumor Protein P53 Binding Protein 1、略してTP53BP1)やG2およびS期発現タンパク質1(G2 and S phase-expressed protein 1、略してGTSE1)やファンコニ貧血症群D2タンパク質(Fanconi anemia group D2 protein、略してFANCD2)です。
●ユーラシアの環境における神経性適応の証拠
候補遺伝子のさらに1/3は、神経機能と関連しています。これは必ずしも予測されていたわけではありませんが、神経組織が環境情報を、新たな環境を進むのに必要な生理学的および行動的応答へと調和させる一方で、ヒトの認知性能は寒冷状態でも損なわれます。興味深いことに、ユーラシア古代人の神経遺伝子10個のうち8個は、ヒトにおける重度の知的障害および発達遅延の表現型と関連しています。これが刺激的なのは、75000~58000年前頃となる寒冷な海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)4の気候期間の後期更新世のアフリカAMH集団における発達した社会性と行動は、認知周辺の選択圧と関わっていた可能性が高い、と示唆されてきたからです。
まとめると、神経細胞の候補遺伝子は、小胞輸送や神経突起成長や大脳皮質形成の基本的な神経学的過程を浮き彫りにし、寒冷環境における環境認識と認知機能の維持を中心に選択があった可能性を示唆しています。これに関して、ユーラシア古代人の遺伝子であるMAGUKp(membrane-associated guanylate kinases、膜組織関連グアニル酸リン酸化酵素)55亜族構成員6(MAGUK p55 subfamily member 6、略してMPP6)が、生涯にわたって環境刺激への応答で変わり、環境の課題への可塑的な神経反応を表しているかもしれないある神経髄鞘形成に必要であるのに対して、北極圏の現代人集団で同定された候補選択遺伝子であるTRPM2(Transient Receptor Potential Cation Channel Subfamily M Member 2、温度感受性陽イオン経路亜族M構成員2)は、温度情報を中枢神経系につたえる可塑的受容体をコードします。
●機能分析の定量的検証
ユーラシア古代人と北極圏の現代人と古代型人類の適応的に遺伝子移入された遺伝子座全体で観察された機能的一致の意外な程度(図2)から、持続的な選択圧が長期にわたって生物学的経路の共通の一式に作用してきており、これには最小限、創始者AMHのユーラシアへの拡大と、北極圏環境へのその後の完新世の移住が含まれていた、と示唆されます。3個の候補子遺伝子一式全体で明らかに増加した機能的一致をさらに詳しく調べるため、STRINGデータベースから得られた精選されたタンパク質間の相互作用(protein–protein interactions、略してPPI)を用いて、候補一式間で、同じ規模の無作為に標本抽出された遺伝子一式で予測されるよりも多くのPPIがあるのかどうか、検証されました。これらの検証は、3個の遺伝子一式全体の高い機能的一致にさらなる裏づけを提供し、さまざまに候補からの遺伝子間で、予測されるよりも15~170%多くのPPIがありました。
PPIの同様の過剰は、本論文の機能的区分にしたがって分類した場合、分類に候補遺伝子でも明らかでしたが、複数の機能的に同等のGOおよび生物医学的注釈づけは、各機能的区分内で過剰に存在し、これらの分類が生物学的に一貫した単位を形成した、と示唆されます。対照的に、濃縮検定が候補遺伝子の組み合わせ一式で実行されると、神経機能が有意でした。これは恐らく、この区分内の機能的に一貫した候補遺伝子座が、追加の機能的に異なる遺伝子において根底にある統計的兆候を保存したからです。これらの結果から、本論文の分析手法は候補遺伝子の多機能参照群に標準的な統計検定を適用した場合、検出されないかもしれない堅牢で詳細な規模の機能的情報を識別できる、と示唆されます。
●古代の硬い一掃は遺伝子移入された古代型人類の配列から生じていないようです
硬い一掃のうち14ヶ所(約25%)が、AMHにおける選択の推定された標的として以前に特定されてきた古代型人類から遺伝子移入されたDNA領域と重複していることは注目に値し、56ヶ所の一掃のうち一部はネアンデルタール人もしくはデニソワ人から遺伝子移入された有益な多様体により引き起こされたかもしれない、という可能性を提起します。しかし、精査からは、これら重複する遺伝子移入された配列のほとんどが、本論文の一掃領域の周辺にある、と明らかになります。じっさい、最近開発されたadmixfrog手法(関連記事)でユーラシア古代人のゲノムにおいて推測された遺伝子移入された人類の領域は、最高点の一掃兆候の知覚で過小評価されていました(図3)。以下は本論文の図3です。
まとめると、この知見から、有益な一掃多様体はAMH派生的である可能性が最も高く、それは有益な多様体の近くに位置する遺伝子移入された人類の配列を除去した一方で、関連する遺伝子移入された配列を遺伝的なただ乗り(hitchhiking)を通じてより高頻度に上昇させる、と示唆されます。そうしたただ乗りの古代型人類の配列は、ユーラシア人の一掃領域と古代型人類のDNA領域との間のかなりの重複の主因で、現在の検出手法を用いての適応的な遺伝子移入の偽陽性兆候を容易に生成するかもしれません。
●硬い一掃を用いての旧石器時代のヒトの移住の再構築
硬い一掃の起源と地理的分布は、まださほど理解されていない、初期AMH集団の出アフリカとユーラシア全域への移動を調べる、独特な遺伝標識を提供します。世界中の非アフリカ系現代人集団で観察されるネアンデルタール人との混合の約2%のゲノム兆候(関連記事)は、ユーラシアとアジア南東部島嶼部(Island Southeast Asia、略してISEA)、さらには遠くオーストラリアまでの6万~5万年前頃(関連記事)、しかし恐らくは54000~50000年前頃となる単一の出アフリカ祖先人口集団の拡散の追跡に用いられてきました。54000~50000年前頃という年代は、ミトコンドリアとY染色体と常染色体のDNAの独りした分子時計の年代測定とひじょうによく一致しており、その全ては、世界中の非アフリカ系人口集団の遺伝的な最終共通祖先が55000~45000年前頃に存在した、と示唆します。
対照的に、他のアフリカ系人口集団からの出アフリカ祖先人口集団の遺伝的分離は10万年前頃に起きた、と推定されており、4万~5万年前ほど早くなります。分離の早い年代は、MIS4(71000~57000年前頃)の長く寒冷で乾燥した状態に先行する、125000年前頃と10万年前頃と8万年前頃という、個別の気候湿潤段階(関連記事1および関連記事2および関連記事3)と関連した、アラビア半島を通って(レヴァントからアラビア湾までとなり、イラン南部を含むかもしれません)の初期AMH集団の存在の広範な考古学的証拠と一致します。たとえばインド(関連記事)などで、55000年前頃以前となるアフリカおよびアラビア半島地域外のAMHの存在を裏づけてきた考古学的研究もありますが、その証拠の大半はAMH由来なのか不確かで(関連記事)、54000年前頃となるヨーロッパ(関連記事)とアジアおよびオーストラリア(関連記事)のAMHの存在の最古となる論争となっていないは、遺伝学的年代推定値の近くと一致します。
本論文はアフリカからのAMH拡散の初期段階における遺伝的選択を調べるため、最大で45000年前頃となる完新世前のユーラシア個体群およびオーストラリア先住民の中程度~高網羅率のゲノム配列内の硬い一掃ハプロタイプの存在の定量化により、根底にある選択圧の時空間的パターンを再構築しました。オーストラリア先住民は、その遺伝的祖先系統が最初の主要なユーラシアへの拡散に由来し、それ以来ほぼ孤立してきました。模擬実験から、本論文の検出手法は、偽検出(約6%)をしてしまうよりも、古代人標本に存在している一掃ハプロタイプを見逃す(一掃異型接合体では約26%の検出率)傾向がある、と示唆されます。したがって本論文は、たとえ遺伝子座が全個体にまだ固定されていなかったかもしれないとしても、選択圧が存在した可能性がその時点で存在した高い証拠として、ユーラシアへの拡散過程で遺伝学的に再構築された過程内で、一掃ハプロタイプが観察されたか、推測された最古の時点を解釈しました。
硬い一掃のうち約半分(56ヶ所のうち31ヶ所)は、ユーラシアへの拡散前に比較的高頻度に達したようです。それは、そうした硬い一掃が、ひじょうに異なる選択環境で、ヨーロッパとアジアの古代人の子孫と現代の人口集団、および遠方のオセアニア人口集団にわたって、広く分布しているからです(図4)。多数の出アフリカ祖先集団で推測された一掃から、他のアフリカ系人口集団との分離後に、出アフリカ祖先集団はユーラシアへの拡散前に遺伝的孤立と選択の両方の長い期間を経た、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
線形回帰と人口集団のゲノム分析から、この選択の期間は8万年前頃(それぞれ平均で83000年前頃と79000年前頃、95%信頼区間ではそれぞれ97000~72000年前と91000~74000年前)に始まった、と示唆されます。この時期は、MIS4(71000~57000年前頃)の長い寒冷で乾燥した状態の直前となる、8万年前頃のMIS5における最後の湿潤期と関連するアラビア半島全域のAMHの活動考古学的証拠とよく一致します(図5)。これらの観察から、出アフリカ祖先人口集団はアフリカ外で遺伝的孤立と適応の長い期間を経ており、その場所はアラビア半島である可能性が高く、その開始は、10万年前頃の可能性があるものの、遅くとも8万年前頃で、54000~50000年前頃となるその後のユーラシアへの拡散まで続いた(図4および図5)、と推測され、このモデルは「アラビア半島停止」と呼ばれます。
MIS4の過酷な条件でのアラビア半島におけるAMHの存在の考古学的証拠の現時点での欠如は、その地域がこの期間に放棄された、との提案につながりました(関連記事1および関連記事2)。しかし、遺伝学的証拠は少なくとも小さなAMH集団の連続的な存在を示唆しており、このAMH集団は現在ではほぼ水没している低地アラビア湾(ペルシア湾)もしくは紅海など潜在的な退避地か、MIS4の年代が含まれるブーフ洞窟(Boof Cave)といった中部旧石器遺跡のあるイラン南部などの隣接地域に、地理的に制約されていたかもしれません。
ゲノム研究から、この期間の開始の頃(8万年前頃)に出アフリカ祖先人口集団は、アラビア湾周辺地域に居住していたかもしれない(関連記事)は今では消滅した基底部ユーラシア人(関連記事)と、世界中への拡散の前となる「停止」期間の末にネアンデルタール人と混合した主要なユーラシア集団へと分岐した、と示唆されてきました(図4および図5)。子孫人口集団におけるネアンデルタール人のゲノム含有量の比較的大きな規模(約2%)から、ネアンデルタール人と混合した主要なユーラシア集団の人口規模は恐らく実際にはひじょうに小さく、たった2つのミトコンドリア系統(MとN)の存在と一致する、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
アラビア半島での停止と関連する最初の31ヶ所の一掃の後に、一掃の新たなまとまりが、アラビア半島地域からユーラシアの新規の寒冷な周氷河の北緯への、54000~51000年前頃となる主要なユーラシア人口集団の移動を記録する、古代人標本の配列に現れます(図4)。8ヶ所の一掃の最初の観察は、まず分析されたヨーロッパとアジアのAMH集団に現れ、45000~40000年前頃となる初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)文化と関連しています(関連記事)。
IUPの後に、38000~18000年前頃となる初期ユーラシア西部個体群が続いて追加の10ヶ所の選択を記録しました(図4)。全体的に、ユーラシア西部古代人の標本は一層の4つの異なる時間的分類を示します。注目すべきことに、各分類は主要な初期のヨーロッパの考古学的分化と密接に相関します(図4)。たとえば、IUP標本の後に、まず9ヶ所の一掃が42000~35000年前頃となるオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する2点の標本で検出され、それは38000年前頃となるロシア西部にあるコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された37000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)と、35000年前頃となるベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡(関連記事)の個体(ゴイエQ116-1)です。
次に、さらなる新たな一掃が、その後の35000~25000年前頃となるグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)、および最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)末に向かうマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)と関連する個体群に現れます。グラヴェット文化関連個体は、35000~33000年前頃となるロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡のスンギール1号(関連記事)と、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡に因んで命名された31000年前頃となるヴェストニツェ16号により表され、マドレーヌ文化関連個体はスペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された19000年前頃となる標本により表されます。
時間的に分類された一掃兆候のパターンは、IUPとオーリニャック文化とグラヴェット文化の人口集団間で遺伝に認識された遺伝的な人口置換(関連記事)と一致します。興味深いことに、これら3人口集団間の現時点では説明されていない置換事象【最近の研究(関連記事1および関連記事2)ではこれまでより詳しく解明されています】が、大きな環境変化をもたらしたと最近示唆された(関連記事)、2つの主要な地磁気逸脱、つまり41000年前頃となるラシャンプ(Laschamp)と35000年前頃となるモノ湖(Mono Lake)の近くで起きました。
最後に、後期氷期/続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)の個体群、たとえば14000年前頃となるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡の個体およびフランスのアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)のビション(Bichon)遺跡の個体は、さらなる6ヶ所の一掃を含んでおり、これはそれ以前に東方の人口集団に由来するようですが、この頃の本論文の標本の視界では、地理的に西方にのみ進みました(図4)。
●初期の選択は寒冷で乾燥した気候への移行と一致します
まとめると、一掃兆候の生物学的接続性と分離した時間的パターンは、アラビア半島停止期に始まり、ユーラシアへの拡散と古代型人類からの遺伝子移入段階を経由して14000~12000年前頃となる最終氷期(図1)まで続いたように見える、寒冷適応への長期の選択圧と一致します。各機能的分類内の候補遺伝子座は、北極圏の現代の人口集団を含めて時空間的に広く分布しており(図4)、アラビア半島停止期に必要だった適応が新たな環境へのその後の拡大にとって重要であり続けたことを示唆します。
寒冷適応への選択圧は後期更新世のユーラシアの大半にわたる周氷河条件で予測できますが、アラビア半島停止期間も、MIS4と関連する71000~57000年前頃の顕著で持続的な寒冷化段階により特徴づけられ(図5)、この期間に、アラビア半島の平均年間気温は4度ほど低下した、と推定されています(亜寒帯の冬にはもっと気温が低下した可能性が高そうです)。アラビア半島地域における顕著な寒冷化と乾燥の開始は、最初の一掃の開始の推定年代である8万年前頃に近く、大きな気候変化に対応して移動する、孤立して小さなアラビア半島停止人口集団の限定的な地理的能力を反映しているかもしれず、古環境のモデル化(関連記事)と一致します。
●考察
古代と現代のAMH標本から現在利用可能な大量のゲノム情報は、ヒトの機能的と疾患の遺伝学の広範なデータベースとともに、ヒトを、選択的一掃の役割と人口集団の置換が観察できる10万年前未満の時間枠内での進化研究の強力なモデル体系としています。高信頼性の適応的遺伝子一式の特定により、本論文はこの重要な期間の重要な機能的標的と環境圧に関する最初の見解を提供しました。古代の硬い一掃の兆候は、アラビア半島停止段階からユーラシアと遠くオセアニアまでの拡散を経て持続し、ネアンデルタール人からのゲノム含有量に関する先行研究と同様に、この経路に沿ったそれ以前のAMH集団からの明らかな遺伝的寄与は、そうしたAMH集団が存在したとしてもなかった、と示唆されます。
硬い一掃の兆候は、完新世の人口集団の混合によりユーラシア西部では最終的に希釈され(図1)、アラビア半島停止一掃ハプロタイプを有していない、基底部ユーラシア人もしくはアフリカ人祖先系統のある集団が関わっていたかもしれません。同じ混合過程は、ヨーロッパ対アジアの人口集団のネアンデルタール人のゲノム含有量の減少を説明する、と考えられています(関連記事)。完新世の混合は本論文で検出された硬い一掃の約80%(57ヶ所のうち41ヶ所)を引き起こし、代わりに比較的最近の起源(3万年前頃未満)の部分的一掃として、代わりに現代のヨーロッパの人口集団で報告されています。このパターンから、硬い一掃は現在の研究で示唆されてきたよりも進化において一般的かもしれない、と示唆されます。
ユーラシア古代人で検出された選択された遺伝子座の多数と広範な機能は、AMHの出アフリカとユーラシア全域への移動が、単純に古代型人類集団による地域の既存の占拠ではなく、気候周期と新たな環境(たとえば、アラビア半島停止)への遺伝的適応の必要性の両方により制約されてきたかもしれない、という可能性を提起します。たとえば、AMHのユーラシアへの拡散は、複数のデニソワ人や他のISEA人類集団およびISEA全体の顕著な海洋障壁の存在にも関わらず(関連記事)、AMHが熟知している(より温暖な)サバンナ生態圏に沿って、5万年前頃までにアジアを通って遠くオーストラリアまで急速に東方に移動しました。
54000年前頃の明らかに成功しなかった最初の侵出(関連記事)に続いて、AMHが47000年前頃にヨーロッパの植民に成功した前の対照的な遅れは、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人集団の存在によりしばしば説明されてきました(関連記事)。しかし、本論文のデータから、この遅れもひじょうに寒冷な北方の環境への遺伝的適応の異なる段階に関連していたかもしれない、と示唆されます。その最初は、ハインリッヒイベント(Heinrich Event、略してHE)5(48000~47000年前頃)の極端に寒冷な状態の直後にヨーロッパに現れた、IUP個体群における一掃の一式として見られます。寒冷適応のそうした追加の段階が、アジア南部のサバンナと熱帯ISEAを横断してオーストラリアへと拡大したAMHに必要だった可能性は低そうです。
比較すると、免疫系の機能に明らかに関わっているユーラシア古代人の一掃遺伝子の欠如は、くに遺伝子移入された古代型人類の免疫遺伝的多様体が54000~51000年前頃となるネアンデルタール人との混合後に選択の一貫した標的だったようなので(関連記事1および関連記事2)、際立っています。じっさい、最近の疫学的モデルでは、レヴァントを越えてのAMHの成功した拡大は、在来のネアンデルタール人集団の有していた新規の病原体一括へのヒトの移民の適応を必要とした可能性が高い、と予測されています。この明らかな矛盾を一致させるにはさらなる検証が必要ですが、これらの結果は、新規の環境への範囲拡大の促進における遺伝的適応の重要性を強調する最近の研究と一致しており、本論文では直接的に評価されなかった柔らかい選択や多遺伝子選択を含めて、選択の複数の様式が、ユーラシアへの移住に関わっていた、と示唆されます。
参考文献:
Tobler R. et al.(2023): The role of genetic selection and climatic factors in the dispersal of anatomically modern humans out of Africa. PNAS, 120, 22, e2213061120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2213061120
●要約
AMHのアフリカから(out of Africa、略してOoA、出アフリカ)ユーラシア全域への進化的に最近の拡散は、ヒト【現生人類】が複数の新たな環境に適応したさいの遺伝的選択の影響を調べる、独特な機会を提供します。ユーラシア古代人のゲノムデータセット(45000~1000年前頃)の分析は強い選択の痕跡を明らかにし、その中には、最初のAMHの出アフリカ移動後の少なくとも57ヶ所の硬い一掃が含まれ、こうした一層は完新世における広範な混合により現代の人口集団では曖昧になってきました。これら硬い一掃の時空間的パターンは、初期AMH集団の出アフリカ拡散の再構築の手段を提供します。
本論文は、3万年間続いた遺伝的適応の以前には思いもよらぬ長い期間を特定し、この適応はアラビア半島地域で起きた可能性があり、主要なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺伝子移入とその後のユーラシア全域と遠くオーストラリアへの急速な拡散に先行します。本論文では「アラビア半島の停止」とよばれるこの期間に始まった選択の一貫した機能的標的には、脂肪蓄積や神経発達や皮膚の生理機能や繊毛機能の制御と関連する遺伝子座が含まれます。
同様の適応的痕跡は遺伝子移入された古代型人類の遺伝子座と北極圏の現代人集団でも明らかで、本論文は、この兆候が寒冷適応の選択を表している、と提案します。意外なことに、これらの集団で選択された遺伝子座候補の多くは、生物学的過程を直接的に相互作用し、協調的に制御しており、繊毛関連疾患や代謝症候群や神経変性疾患など、主要な現代人の疾患と関連しているものもあります。これは、現代人の疾患に直接的に影響するヒトの祖先の適応の可能性を拡張し、進化医学の基盤を提供します。
●研究史
AMH集団は6万~5万年前頃にアフリカから周氷河のユーラシア全域へと移動した時(関連記事)、故地であるアフリカとは顕著に異なるさまざまな環境に遭遇しました。これは、マラリア耐性や乳糖耐性と関連する遺伝子についてヒトの歴史のより最近の事象で観察されてきたように、ヒトの生存に重要な新しい特性の選択を促進した可能性が高そうです。そうした重要な適応は、新しいか稀な有益なアレル(対立遺伝子)が選択により高頻度になる硬い一掃を含んでいる、と予測できるかもしれませんが、現代の人口集団は世界的に強い選択の古典的な遺伝的痕跡をほとんど示さない傾向にあります。これは、直近のヒトの適応が代わりに行動的だったか、「柔らかい」一層と多遺伝子選択などゲノムにおいてさほど顕著な痕跡を残さなかった遺伝的選択の代替様式を含んでいた、との示唆につながってきました。
しかし、ユーラシア西部古代人1000個体超の最近の分析では、人口集団の混合の顕著な段階が現代の人口集団から硬い一掃のそれ以前の証拠を曖昧にするかもしれない、と示されました。本論文は、45000年前頃から現在にまたがる非アフリカ系ヒト集団における古代の一掃を分析し、刊行された古代型人類と現代人のデータセットを比較し、新たな環境へのヒトの適応の根底にある歴史的な選択圧と遺伝子座を特徴づけます。ヒトゲノムにおける重要な過去の選択事象の影響の理解と特定は、現代の環境と文化の状況における疾患への感受性を高める遺伝的要因を解明する重要な手段です。
●古代人のゲノム分析は硬い一掃の出アフリカ起源を裏づけます
AMHの出アフリカ移住中の強い選択の兆候を示すヒト遺伝子座の分子的・機能的・時間的特徴を調べるため、古代人1500個体以上のゲノムで構成されるデータセットに広範な分析が適用されました。このデータセットには、ショットガン晴れいつのゲノムと高密度の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)走査が、世界中の人口集団から得られた比較用の現代人のデータセットと共に含まれています。以前には、遺伝学的および考古学的関係に基づいて18の異なる古代の人口集団に分類された、ユーラシア西部の古代人1162個体(そのほとんどは、10000~5000年前頃となる初期完新世と青銅器時代)のデータセット57ヶ所の高信頼性の歴史的な硬い一掃の一式が同定されて確証されました。
18人口集団のそれぞれの内部のゲノム配列は、SweepFinder2(SF2)を用いて、硬い選択的一掃の証拠(歪んだアレル頻度パターンと異常に低い多様性)について整列され、走査されました。重要なことに、SF2は動的な引窓(sliding window)手法を用いて、人口史と人口構造について制御する硬い一掃の堅牢な識別を提供し、これらの特性が、ユーラシアの人口史と古代人のゲノムの特性(つまり、欠失データ、SNP確認、小さな標本規模)を模倣する、広範な前進模擬実験を用いて、古代人のゲノムにも拡張される、と確証できました。
57ヶ所の硬い一掃はユーラシアの人口集団に限定されており、アフリカのヨルバ人集団には存在せず、複数のアフリカの現代人集団で観察された、最近報告された硬い一掃とも有意な重複を示しません。本論文はしたがって、ユーラシア古代人とヨルバ人集団との間のSNP頻度の違いを用いて、各一掃ハプロタイプを特徴づける、分岐標識アレル(対立遺伝子)の一式を決定しました。堅牢な測定を行うために、ひじょうに少ない標識SNPのある硬い一掃1ヶ所(LINCO1153)を破棄した後で、古代人と現代人のゲノムで56ヶ所の一掃ハプロタイプを確認でき、最近のヒトの歴史における硬い一掃の広範な時空間的動態が調べられました。
56ヶ所のユーラシア古代人の一掃ハプロタイプは、アフリカの現代人集団ではほぼ完全に存在しませんが、その多くは祖先が最初のユーラシアへの拡散の直後に他の出アフリカ移民から分離したと考えられる地理的に遠い個体群(たとえば、アンダマン諸島のオンゲ人やオーストラリア先住民やパプア人)のゲノム(関連記事)に存在します(図1)。この知見から、一掃は他のアフリカの人口集団からの分離に続く創始者出アフリカ集団で起きた可能性が最も高い、と示唆されており、遺伝学的には10万年前頃と推定されています(関連記事)。いくつかの一掃は高頻度だったようですが、その後の広範なユーラシアへの拡散の前に固定されたものはありませんでした。以下は本論文の図1です。
さらに、時間的なハプロタイプパターンは、広範な人口集団の混合の2つのよく知られた期間(つまり、8000~7000年前頃となる近東の初期農耕民の最初の拓大と、5000)の完新世における顕著な減少の前となる、45000~12000年前頃のヨーロッパにおける複雑な一連の人口置換事象(関連記事)を通じての、一掃の兆候の持続を確証します(図1)。一層の兆候の別の減少は、紀元後700年頃のムーア人の占領と一致するイベリア半島のデータ内で観察できます。この期間におけるいくつかのヨーロッパ地域で観察される一層の兆候におけるその後の回復(図1)は、進行中の選択ではなく局所的な人口統計学的変化を反映しているかもしれません。たとえば、よく記録されている、ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter Gatherers、略してWHG)関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の中期完新世の復活(関連記事)です。
●寒冷なユーラシアの環境への持続的な適応
56ヶ所の一掃ハプロタイプの大半が現在多様な非アフリカ系現代人集団において中間的な頻度で分離している、という観察は少なくとも5万年前頃におけるアフリカを越えてのヒトの拡大の初期段階における選択圧を示唆します。ヒト進化のこの重要ではあるもののよく理解されていない期間をさらに調べるため、一連の定性的および定量的分析が実行され、硬い一掃の根底にある潜在的な生物学的機能と選択圧が調べられました。一掃領域内の適応的遺伝子座を突き止める統計的手法であるiSAFEが、現代ヨーロッパ人のゲノム一式に適用されました。56ヶ所の一掃領域のうち32ヶ所で、選択の推定される標的として、単一のタンパク質コード駆動(つまり候補)遺伝子を特定でき、機能分析が可能になりました。
明確に定義された原因変異がない場合に正の選択遺伝子座を確認するための推奨事項に従って、損害を与えるかハプロ不全のアレルの保有者、もしくは相同的な(orthologous)遺伝子に機能喪失変異のある動物モデルからの表現型情報を用いて、各候補遺伝子の中核機能が推測されました。意外なことに、ユーラシア古代人の32の候補遺伝子は、寒冷適応的だったとも考えられている、現在の北極圏の人口集団(58個の機能的に分類された遺伝子)、もしくはネアンデルタール人あるいは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との過去の混合事象に由来する古代型人類からの適応的に遺伝子移入された(hominin adaptively introgressed、略してHAI)遺伝子座において、人口集団固有の選択下にあると以前に同定された高信頼性の候補遺伝子を想起させる遺伝子の種類と生物学的機能のパターンを明らかにしました。これは、現代のグリーンランドのイヌイットにおいて高頻度で見られる体脂肪と発達の特性に影響しているデニソワ人から遺伝子移入された遺伝子座など、現代のより寒冷な周氷期の北方環境への古代型人類の遺伝的適応が、アフリカからそれら古代型人類と同じユーラシアへの環境へと拡散した初期AMH集団に有利なアレルを提供したかもしれない、という示唆と一致します。
ユーラシア古代人と北極圏のヒトと古代型人類のAI遺伝子一式で同定された候補選択遺伝子全体の機能のより詳しい調査は、ヒトの寒冷適応に関わると知られている複数の生物学的過程を含む、一致した生物学的接続の驚くべき層を明らかにしました(図2)。たとえば、各候補一式における遺伝子のほぼ1/4は代謝過程と関連しており、これには哺乳類の寒冷適応にとって重要な代謝連鎖である、脂肪代謝を活発に調節する複数の遺伝子が含まれます。これには3個のユーラシア古代人の遺伝子が含まれます。それは、アデノシン三リン酸(Adenosine tri-phosphate、略してATP)もしくは熱の生成に脂肪酸の参加を調節し、脂肪生成に関わる代謝感受性転写因子であるPPARDと、体脂肪沈着の差異と関連づけられてきたSMCOおよびTMCC1です。以下は本論文の図2です。
HAI遺伝子では、第四ペルオキシソーム増殖活性受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor delta、略してPPARD)のようなPPAR族核受容体の第三ペルオキシソーム増殖活性受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor gamma、略してPPARG)が、白色と茶色の脂肪細胞の形成に必要で、この脂肪細胞は、白色の脂肪酸は中性脂肪としての燃料貯蔵を、茶色の脂肪酸は酸化リン酸化反応からの熱生成を提供しますが、AGL(amylo-alpha-1, 6-glucosidase, 4-alpha-glucanotransferase)は貯蔵されたエネルギーの主要な供給源であるグリコーゲンの代謝を調節します。
同様に、北極圏の現代人の候補選択遺伝子内では、脂肪酸不飽和化酵素(fatty acid desaturase、略してFADS)1・2・3も脂肪酸合成を制御しますが、アンジオポエチン66(angiopoietin like 6、略してANGPTL6)は、体脂肪症とインスリン感受性の調節に顕著な影響を及ぼします。注目すべきことに、ユーラシア古代人と北極圏のヒトとHAI候補遺伝子一式の3個すべてにわたる代謝遺伝子座は、調節網でも直接的に関連しています。それは、PPARDがPPARGの発現を調節する転写因子で、PPARGは、FADS1とFADS2、およびHAI代謝とAGL遺伝子の発現を調節する転写因子だからです。
●選択された遺伝子座の機能的一致は適応標的の細胞内組織を明らかにします
各候補遺伝子一式の遺伝子の約1/3は、発達過程と関連しており、繊毛の発達形成と機能、肌の特性、DNA損傷への応答と関連する遺伝子の異なる部分集合が含まれます(図2)。繊毛は進化的に保存された毛髪のような細胞構造で、細胞環境感知機構として機能もしくは運動の提供が可能ですが、寒冷で乾燥した環境における肺と起動にも重要です。繊毛遺伝子は、北極圏の哺乳類とグリーンランドおよびシベリアの複数の人口集団において、遺伝的選択の兆候のメタ分析でも箇条に存在する、と分かりました。
ユーラシア古代人の候補遺伝子であるダイニン軸糸重鎖6(dynein axonemal heavy chain 6、略してDNAH6)とDNAH7と多重コイル領域含有138(Coiled-Coil Domain Containing 138、略してCCDC138)は、グリーンランドのイヌイットの研究で同定されたDNAH2とDNAH3とDNAH17とともに、全て繊毛の分子的構造組成(繊毛の動きに力の生成を集中的に提供する軸糸ダイニンモーター複合の特定の組成で構成されます)をコードしますが、北極圏のヒトの選択された遺伝子であるSDCCAG8(Serologically defined colon cancer antigen 8、血清学的に定義された結腸癌抗原8)は、繊毛の発達を制御します(図2)。
さらなるユーラシア古代人の遺伝子はRCC1(Regulator of chromosome condensation 1、染色体濃縮1の調節)およびBTB(broad-complex, tramtrack and bric-a-brac、広範な複合とトラムトラックとブリックアブラック)領域含有タンパク質2(RCC1 and BTB domain-containing protein 2、略してRCBTB2)で、これは検出切断閾値をわずかに下回っていましたが、繊毛の形成にも必要な細胞内タンパク質をコードします。さらに、HAI遺伝子であるWD(White-dominant 優性白色)繰り返し領域88(WD repeat domain 88、略してWDR88)は潜在的な繊毛機能を有しており、それは、その近傍のパラログ(遺伝子重複により生じた類似の機能を有する遺伝子)であるDAW1(Dynein Assembly Factor With WD Repeats 1、WD繰り返しのあるダイニン集合因子1)が、DNAH6とDNAH7を含む繊毛構造の構築に関わっているからです。
皮膚の生理学的特性と色素沈着に関わる遺伝子は、3個の候補遺伝子一式全体の別の機能的集中として現れます。皮膚の色素沈着は、メラニンを生成して細胞の内外の部位に輸送するメラノソームにより決定されます。この過程内では、ユーラシア古代人の遺伝子であるメラノフィリン(melanophilin、略してMLPH)が、HAI遺伝子である網様体賦活系関連タンパク質ラブ27A(Ras-related protein Rab-27A、略してRAB27A)と生化学的に相互作用し、細胞周辺にメラニン含有メラノソームを往復させます。メラニン合成自体は、共有されているHAIおよび北極圏のヒトの遺伝子である眼皮膚白皮症2(oculocutaneous albinism II、略してOCA2)によりコードされる「Pタンパク質」を必要としますが(関連記事)、メラノソーム形成(つまり、メラニン生成)は北極圏で選択された遺伝子であるSLC24A5(solute carrier family 24 member 5、溶質保因者族24構成員5)を必要とします。MLPHもしくはRAB27Aのどちらかにおける変異は、色素沈着低下状態をもたらすグリセリ症候群(Griscelli syndrome)の原因となりますが、SLC24A5とOCA2の多様体はヒトの白化症と関連しています。
進化的観点では、これら「色」の遺伝子は脊椎動物全体で機能的に保存されており、それは、MLPHの多型が家畜化されたネコの経路に寄与している一方で、SLC24A5とOCA2の変異は、それぞれゼブラフィッシュとカワスズメの「金色」の表現型をもたらすからです。出アフリカ移住中の色素沈着への選択圧は以前に注目されており、紫外線および/もしくは日光水準への応答である、と示唆されています。これに関して、多くのユーラシア人の一掃遺伝子が、高い紫外線水準に起因する選択とも関連しているかもしれないDNA損傷応答と関わっていることは注目に値し、たとえば、腫瘍タンパク質P53結合タンパク質1(Tumor Protein P53 Binding Protein 1、略してTP53BP1)やG2およびS期発現タンパク質1(G2 and S phase-expressed protein 1、略してGTSE1)やファンコニ貧血症群D2タンパク質(Fanconi anemia group D2 protein、略してFANCD2)です。
●ユーラシアの環境における神経性適応の証拠
候補遺伝子のさらに1/3は、神経機能と関連しています。これは必ずしも予測されていたわけではありませんが、神経組織が環境情報を、新たな環境を進むのに必要な生理学的および行動的応答へと調和させる一方で、ヒトの認知性能は寒冷状態でも損なわれます。興味深いことに、ユーラシア古代人の神経遺伝子10個のうち8個は、ヒトにおける重度の知的障害および発達遅延の表現型と関連しています。これが刺激的なのは、75000~58000年前頃となる寒冷な海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)4の気候期間の後期更新世のアフリカAMH集団における発達した社会性と行動は、認知周辺の選択圧と関わっていた可能性が高い、と示唆されてきたからです。
まとめると、神経細胞の候補遺伝子は、小胞輸送や神経突起成長や大脳皮質形成の基本的な神経学的過程を浮き彫りにし、寒冷環境における環境認識と認知機能の維持を中心に選択があった可能性を示唆しています。これに関して、ユーラシア古代人の遺伝子であるMAGUKp(membrane-associated guanylate kinases、膜組織関連グアニル酸リン酸化酵素)55亜族構成員6(MAGUK p55 subfamily member 6、略してMPP6)が、生涯にわたって環境刺激への応答で変わり、環境の課題への可塑的な神経反応を表しているかもしれないある神経髄鞘形成に必要であるのに対して、北極圏の現代人集団で同定された候補選択遺伝子であるTRPM2(Transient Receptor Potential Cation Channel Subfamily M Member 2、温度感受性陽イオン経路亜族M構成員2)は、温度情報を中枢神経系につたえる可塑的受容体をコードします。
●機能分析の定量的検証
ユーラシア古代人と北極圏の現代人と古代型人類の適応的に遺伝子移入された遺伝子座全体で観察された機能的一致の意外な程度(図2)から、持続的な選択圧が長期にわたって生物学的経路の共通の一式に作用してきており、これには最小限、創始者AMHのユーラシアへの拡大と、北極圏環境へのその後の完新世の移住が含まれていた、と示唆されます。3個の候補子遺伝子一式全体で明らかに増加した機能的一致をさらに詳しく調べるため、STRINGデータベースから得られた精選されたタンパク質間の相互作用(protein–protein interactions、略してPPI)を用いて、候補一式間で、同じ規模の無作為に標本抽出された遺伝子一式で予測されるよりも多くのPPIがあるのかどうか、検証されました。これらの検証は、3個の遺伝子一式全体の高い機能的一致にさらなる裏づけを提供し、さまざまに候補からの遺伝子間で、予測されるよりも15~170%多くのPPIがありました。
PPIの同様の過剰は、本論文の機能的区分にしたがって分類した場合、分類に候補遺伝子でも明らかでしたが、複数の機能的に同等のGOおよび生物医学的注釈づけは、各機能的区分内で過剰に存在し、これらの分類が生物学的に一貫した単位を形成した、と示唆されます。対照的に、濃縮検定が候補遺伝子の組み合わせ一式で実行されると、神経機能が有意でした。これは恐らく、この区分内の機能的に一貫した候補遺伝子座が、追加の機能的に異なる遺伝子において根底にある統計的兆候を保存したからです。これらの結果から、本論文の分析手法は候補遺伝子の多機能参照群に標準的な統計検定を適用した場合、検出されないかもしれない堅牢で詳細な規模の機能的情報を識別できる、と示唆されます。
●古代の硬い一掃は遺伝子移入された古代型人類の配列から生じていないようです
硬い一掃のうち14ヶ所(約25%)が、AMHにおける選択の推定された標的として以前に特定されてきた古代型人類から遺伝子移入されたDNA領域と重複していることは注目に値し、56ヶ所の一掃のうち一部はネアンデルタール人もしくはデニソワ人から遺伝子移入された有益な多様体により引き起こされたかもしれない、という可能性を提起します。しかし、精査からは、これら重複する遺伝子移入された配列のほとんどが、本論文の一掃領域の周辺にある、と明らかになります。じっさい、最近開発されたadmixfrog手法(関連記事)でユーラシア古代人のゲノムにおいて推測された遺伝子移入された人類の領域は、最高点の一掃兆候の知覚で過小評価されていました(図3)。以下は本論文の図3です。
まとめると、この知見から、有益な一掃多様体はAMH派生的である可能性が最も高く、それは有益な多様体の近くに位置する遺伝子移入された人類の配列を除去した一方で、関連する遺伝子移入された配列を遺伝的なただ乗り(hitchhiking)を通じてより高頻度に上昇させる、と示唆されます。そうしたただ乗りの古代型人類の配列は、ユーラシア人の一掃領域と古代型人類のDNA領域との間のかなりの重複の主因で、現在の検出手法を用いての適応的な遺伝子移入の偽陽性兆候を容易に生成するかもしれません。
●硬い一掃を用いての旧石器時代のヒトの移住の再構築
硬い一掃の起源と地理的分布は、まださほど理解されていない、初期AMH集団の出アフリカとユーラシア全域への移動を調べる、独特な遺伝標識を提供します。世界中の非アフリカ系現代人集団で観察されるネアンデルタール人との混合の約2%のゲノム兆候(関連記事)は、ユーラシアとアジア南東部島嶼部(Island Southeast Asia、略してISEA)、さらには遠くオーストラリアまでの6万~5万年前頃(関連記事)、しかし恐らくは54000~50000年前頃となる単一の出アフリカ祖先人口集団の拡散の追跡に用いられてきました。54000~50000年前頃という年代は、ミトコンドリアとY染色体と常染色体のDNAの独りした分子時計の年代測定とひじょうによく一致しており、その全ては、世界中の非アフリカ系人口集団の遺伝的な最終共通祖先が55000~45000年前頃に存在した、と示唆します。
対照的に、他のアフリカ系人口集団からの出アフリカ祖先人口集団の遺伝的分離は10万年前頃に起きた、と推定されており、4万~5万年前ほど早くなります。分離の早い年代は、MIS4(71000~57000年前頃)の長く寒冷で乾燥した状態に先行する、125000年前頃と10万年前頃と8万年前頃という、個別の気候湿潤段階(関連記事1および関連記事2および関連記事3)と関連した、アラビア半島を通って(レヴァントからアラビア湾までとなり、イラン南部を含むかもしれません)の初期AMH集団の存在の広範な考古学的証拠と一致します。たとえばインド(関連記事)などで、55000年前頃以前となるアフリカおよびアラビア半島地域外のAMHの存在を裏づけてきた考古学的研究もありますが、その証拠の大半はAMH由来なのか不確かで(関連記事)、54000年前頃となるヨーロッパ(関連記事)とアジアおよびオーストラリア(関連記事)のAMHの存在の最古となる論争となっていないは、遺伝学的年代推定値の近くと一致します。
本論文はアフリカからのAMH拡散の初期段階における遺伝的選択を調べるため、最大で45000年前頃となる完新世前のユーラシア個体群およびオーストラリア先住民の中程度~高網羅率のゲノム配列内の硬い一掃ハプロタイプの存在の定量化により、根底にある選択圧の時空間的パターンを再構築しました。オーストラリア先住民は、その遺伝的祖先系統が最初の主要なユーラシアへの拡散に由来し、それ以来ほぼ孤立してきました。模擬実験から、本論文の検出手法は、偽検出(約6%)をしてしまうよりも、古代人標本に存在している一掃ハプロタイプを見逃す(一掃異型接合体では約26%の検出率)傾向がある、と示唆されます。したがって本論文は、たとえ遺伝子座が全個体にまだ固定されていなかったかもしれないとしても、選択圧が存在した可能性がその時点で存在した高い証拠として、ユーラシアへの拡散過程で遺伝学的に再構築された過程内で、一掃ハプロタイプが観察されたか、推測された最古の時点を解釈しました。
硬い一掃のうち約半分(56ヶ所のうち31ヶ所)は、ユーラシアへの拡散前に比較的高頻度に達したようです。それは、そうした硬い一掃が、ひじょうに異なる選択環境で、ヨーロッパとアジアの古代人の子孫と現代の人口集団、および遠方のオセアニア人口集団にわたって、広く分布しているからです(図4)。多数の出アフリカ祖先集団で推測された一掃から、他のアフリカ系人口集団との分離後に、出アフリカ祖先集団はユーラシアへの拡散前に遺伝的孤立と選択の両方の長い期間を経た、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
線形回帰と人口集団のゲノム分析から、この選択の期間は8万年前頃(それぞれ平均で83000年前頃と79000年前頃、95%信頼区間ではそれぞれ97000~72000年前と91000~74000年前)に始まった、と示唆されます。この時期は、MIS4(71000~57000年前頃)の長い寒冷で乾燥した状態の直前となる、8万年前頃のMIS5における最後の湿潤期と関連するアラビア半島全域のAMHの活動考古学的証拠とよく一致します(図5)。これらの観察から、出アフリカ祖先人口集団はアフリカ外で遺伝的孤立と適応の長い期間を経ており、その場所はアラビア半島である可能性が高く、その開始は、10万年前頃の可能性があるものの、遅くとも8万年前頃で、54000~50000年前頃となるその後のユーラシアへの拡散まで続いた(図4および図5)、と推測され、このモデルは「アラビア半島停止」と呼ばれます。
MIS4の過酷な条件でのアラビア半島におけるAMHの存在の考古学的証拠の現時点での欠如は、その地域がこの期間に放棄された、との提案につながりました(関連記事1および関連記事2)。しかし、遺伝学的証拠は少なくとも小さなAMH集団の連続的な存在を示唆しており、このAMH集団は現在ではほぼ水没している低地アラビア湾(ペルシア湾)もしくは紅海など潜在的な退避地か、MIS4の年代が含まれるブーフ洞窟(Boof Cave)といった中部旧石器遺跡のあるイラン南部などの隣接地域に、地理的に制約されていたかもしれません。
ゲノム研究から、この期間の開始の頃(8万年前頃)に出アフリカ祖先人口集団は、アラビア湾周辺地域に居住していたかもしれない(関連記事)は今では消滅した基底部ユーラシア人(関連記事)と、世界中への拡散の前となる「停止」期間の末にネアンデルタール人と混合した主要なユーラシア集団へと分岐した、と示唆されてきました(図4および図5)。子孫人口集団におけるネアンデルタール人のゲノム含有量の比較的大きな規模(約2%)から、ネアンデルタール人と混合した主要なユーラシア集団の人口規模は恐らく実際にはひじょうに小さく、たった2つのミトコンドリア系統(MとN)の存在と一致する、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
アラビア半島での停止と関連する最初の31ヶ所の一掃の後に、一掃の新たなまとまりが、アラビア半島地域からユーラシアの新規の寒冷な周氷河の北緯への、54000~51000年前頃となる主要なユーラシア人口集団の移動を記録する、古代人標本の配列に現れます(図4)。8ヶ所の一掃の最初の観察は、まず分析されたヨーロッパとアジアのAMH集団に現れ、45000~40000年前頃となる初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)文化と関連しています(関連記事)。
IUPの後に、38000~18000年前頃となる初期ユーラシア西部個体群が続いて追加の10ヶ所の選択を記録しました(図4)。全体的に、ユーラシア西部古代人の標本は一層の4つの異なる時間的分類を示します。注目すべきことに、各分類は主要な初期のヨーロッパの考古学的分化と密接に相関します(図4)。たとえば、IUP標本の後に、まず9ヶ所の一掃が42000~35000年前頃となるオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する2点の標本で検出され、それは38000年前頃となるロシア西部にあるコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された37000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)と、35000年前頃となるベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡(関連記事)の個体(ゴイエQ116-1)です。
次に、さらなる新たな一掃が、その後の35000~25000年前頃となるグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)、および最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)末に向かうマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)と関連する個体群に現れます。グラヴェット文化関連個体は、35000~33000年前頃となるロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡のスンギール1号(関連記事)と、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡に因んで命名された31000年前頃となるヴェストニツェ16号により表され、マドレーヌ文化関連個体はスペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された19000年前頃となる標本により表されます。
時間的に分類された一掃兆候のパターンは、IUPとオーリニャック文化とグラヴェット文化の人口集団間で遺伝に認識された遺伝的な人口置換(関連記事)と一致します。興味深いことに、これら3人口集団間の現時点では説明されていない置換事象【最近の研究(関連記事1および関連記事2)ではこれまでより詳しく解明されています】が、大きな環境変化をもたらしたと最近示唆された(関連記事)、2つの主要な地磁気逸脱、つまり41000年前頃となるラシャンプ(Laschamp)と35000年前頃となるモノ湖(Mono Lake)の近くで起きました。
最後に、後期氷期/続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)の個体群、たとえば14000年前頃となるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡の個体およびフランスのアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)のビション(Bichon)遺跡の個体は、さらなる6ヶ所の一掃を含んでおり、これはそれ以前に東方の人口集団に由来するようですが、この頃の本論文の標本の視界では、地理的に西方にのみ進みました(図4)。
●初期の選択は寒冷で乾燥した気候への移行と一致します
まとめると、一掃兆候の生物学的接続性と分離した時間的パターンは、アラビア半島停止期に始まり、ユーラシアへの拡散と古代型人類からの遺伝子移入段階を経由して14000~12000年前頃となる最終氷期(図1)まで続いたように見える、寒冷適応への長期の選択圧と一致します。各機能的分類内の候補遺伝子座は、北極圏の現代の人口集団を含めて時空間的に広く分布しており(図4)、アラビア半島停止期に必要だった適応が新たな環境へのその後の拡大にとって重要であり続けたことを示唆します。
寒冷適応への選択圧は後期更新世のユーラシアの大半にわたる周氷河条件で予測できますが、アラビア半島停止期間も、MIS4と関連する71000~57000年前頃の顕著で持続的な寒冷化段階により特徴づけられ(図5)、この期間に、アラビア半島の平均年間気温は4度ほど低下した、と推定されています(亜寒帯の冬にはもっと気温が低下した可能性が高そうです)。アラビア半島地域における顕著な寒冷化と乾燥の開始は、最初の一掃の開始の推定年代である8万年前頃に近く、大きな気候変化に対応して移動する、孤立して小さなアラビア半島停止人口集団の限定的な地理的能力を反映しているかもしれず、古環境のモデル化(関連記事)と一致します。
●考察
古代と現代のAMH標本から現在利用可能な大量のゲノム情報は、ヒトの機能的と疾患の遺伝学の広範なデータベースとともに、ヒトを、選択的一掃の役割と人口集団の置換が観察できる10万年前未満の時間枠内での進化研究の強力なモデル体系としています。高信頼性の適応的遺伝子一式の特定により、本論文はこの重要な期間の重要な機能的標的と環境圧に関する最初の見解を提供しました。古代の硬い一掃の兆候は、アラビア半島停止段階からユーラシアと遠くオセアニアまでの拡散を経て持続し、ネアンデルタール人からのゲノム含有量に関する先行研究と同様に、この経路に沿ったそれ以前のAMH集団からの明らかな遺伝的寄与は、そうしたAMH集団が存在したとしてもなかった、と示唆されます。
硬い一掃の兆候は、完新世の人口集団の混合によりユーラシア西部では最終的に希釈され(図1)、アラビア半島停止一掃ハプロタイプを有していない、基底部ユーラシア人もしくはアフリカ人祖先系統のある集団が関わっていたかもしれません。同じ混合過程は、ヨーロッパ対アジアの人口集団のネアンデルタール人のゲノム含有量の減少を説明する、と考えられています(関連記事)。完新世の混合は本論文で検出された硬い一掃の約80%(57ヶ所のうち41ヶ所)を引き起こし、代わりに比較的最近の起源(3万年前頃未満)の部分的一掃として、代わりに現代のヨーロッパの人口集団で報告されています。このパターンから、硬い一掃は現在の研究で示唆されてきたよりも進化において一般的かもしれない、と示唆されます。
ユーラシア古代人で検出された選択された遺伝子座の多数と広範な機能は、AMHの出アフリカとユーラシア全域への移動が、単純に古代型人類集団による地域の既存の占拠ではなく、気候周期と新たな環境(たとえば、アラビア半島停止)への遺伝的適応の必要性の両方により制約されてきたかもしれない、という可能性を提起します。たとえば、AMHのユーラシアへの拡散は、複数のデニソワ人や他のISEA人類集団およびISEA全体の顕著な海洋障壁の存在にも関わらず(関連記事)、AMHが熟知している(より温暖な)サバンナ生態圏に沿って、5万年前頃までにアジアを通って遠くオーストラリアまで急速に東方に移動しました。
54000年前頃の明らかに成功しなかった最初の侵出(関連記事)に続いて、AMHが47000年前頃にヨーロッパの植民に成功した前の対照的な遅れは、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人集団の存在によりしばしば説明されてきました(関連記事)。しかし、本論文のデータから、この遅れもひじょうに寒冷な北方の環境への遺伝的適応の異なる段階に関連していたかもしれない、と示唆されます。その最初は、ハインリッヒイベント(Heinrich Event、略してHE)5(48000~47000年前頃)の極端に寒冷な状態の直後にヨーロッパに現れた、IUP個体群における一掃の一式として見られます。寒冷適応のそうした追加の段階が、アジア南部のサバンナと熱帯ISEAを横断してオーストラリアへと拡大したAMHに必要だった可能性は低そうです。
比較すると、免疫系の機能に明らかに関わっているユーラシア古代人の一掃遺伝子の欠如は、くに遺伝子移入された古代型人類の免疫遺伝的多様体が54000~51000年前頃となるネアンデルタール人との混合後に選択の一貫した標的だったようなので(関連記事1および関連記事2)、際立っています。じっさい、最近の疫学的モデルでは、レヴァントを越えてのAMHの成功した拡大は、在来のネアンデルタール人集団の有していた新規の病原体一括へのヒトの移民の適応を必要とした可能性が高い、と予測されています。この明らかな矛盾を一致させるにはさらなる検証が必要ですが、これらの結果は、新規の環境への範囲拡大の促進における遺伝的適応の重要性を強調する最近の研究と一致しており、本論文では直接的に評価されなかった柔らかい選択や多遺伝子選択を含めて、選択の複数の様式が、ユーラシアへの移住に関わっていた、と示唆されます。
参考文献:
Tobler R. et al.(2023): The role of genetic selection and climatic factors in the dispersal of anatomically modern humans out of Africa. PNAS, 120, 22, e2213061120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2213061120
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