Caroline Fourest『「傷つきました」戦争 超過敏世代のデスロード』
カロリーヌ・フレスト(Caroline Fourest)著、堀茂樹訳で、中央公論新社より2023年3月に刊行されました。原書の刊行は2020年です。電子書籍での購入です。本書は、左派の立場からの近年の「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」への批判です。かつては階級が問題となったのに、今では「人種」などの出自や帰属意識が問題にされている、と本書は指摘します。現代日本社会でも、そうした「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」による「ポリティカル・コレクトネス(日本語の定訳はないように思いますが、政治的正しさ、と訳しておきます)」に対する反感を、インターネット、とくにTwitterで見つけるのは容易です。
そうした「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」を、私は「woke(日本語の定訳はないように思いますが、覚醒、と訳しておきます)」や「wokism(とりあえず、覚醒主義と訳しておきます)」とまとめています。そうした「覚醒主義」の人々が主張するのは、「(マイノリティを)傷つけるな」ということで、本書は具体的に、非「黒人」が髪を「アフリカ人的な」編み込みにしたり、非エジプト系人が「エジプト風」の髪型をしたり、大学でのヨガの授業などが、「文化盗用」として批判されている事例を紹介しています。「覚醒主義」の人々は、そうした「文化盗用」を犯した人々を、時には10年以上前までさかのぼって糾弾し、講演を中止させたり、職を辞めさせるよう圧力をかけたりします。こうした現象は、日本でも「キャンセルカルチャー(日本語の定訳はないように思いますが、ネットで検索して見つかった中では、粛清文化、がよさそうに思います)」として知られつつあるように思います。
こうした文化統制を行なうのは権威主義的国家ではなく社会で、本書は、自由の旗手という素晴らしい役どころを保守派が担うようになるのではないか、と懸念しています。本書は、こうした「覚醒主義」がすでに労働組合や大学や政党の内部で拡大し、文化業界を手中に収めつつあり、強い反発が起きない限り、こうした「左派」の文化的勝利は確実になる、と指摘します。本書は、こうした「覚醒主義」が知性と文化の廃墟をもたらす、と指摘し、現状から脱出する方法を模索します。ただ本書は、同性愛者や「黒人」やユダヤ人を差別していた時代の再来を求めているわけではない、と注意を喚起します。著者自身が同性愛者で、未成年の頃から侮辱され続けてきたそうです。
本書は、そうした「覚醒主義」の人々による「粛清文化」を「異端審問」と呼び、その主戦場がSNSと指摘します。本書が具体的に挙げる事例は興味深く、「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」が「人種」を固定化していることに、本書は強い懸念を示しています。確かに、本書の事例からは、「人種」や民族といった属性を固定的な基準とすることで、かえって階級や性別などの点で抑圧を強化している側面もあるのではないか、とも考えられます。また本書は、「人種」差別にしても、たとえばアメリカ合衆国での「人種」差別への抗議・対処を、フランスなど社会状況や歴史的文脈の異なる地域に安易に適用することの危険性も指摘します。
著者は「普遍主義的な左派」と言えそうですが、著者の批判対象である「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」からすると、その「普遍主義的」なるものをまず疑うべき、となるのでしょう。フランスで生まれ育った著者は「共和主義的左翼」への同意を明示していますが、それが「普遍的」であることを大前提にできるのか、懐疑的になる必要があるとは思います。ただ現代日本社会において、ヨーロッパ発の近代を大前提とすることに対する懐疑がひじょうに大きい知的負担をもたらすことも否定できなさそうですから、難しい問題だとは思います。
とはいえ、著者が本書で具体的に挙げたさまざまな事例からも、現代の「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」に大きな問題があることは否定できず、私は「反覚醒主義者」と自認しているだけに、本書の指摘に同意できるところが多々あったことも確かです。現代日本社会では、「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」は、大学や大衆媒体に浸透しつつあるとはいっても、まだヨーロッパやアメリカ合衆国ほどの影響がないことも確かだろう、とは思います。「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」からすると、それは現代日本社会の大衆の「後進性」の現れであり、「意識が低い」ことを表しているのでしょうが、むしろそれが日本社会への打撃を抑えるのではないか、と期待しているところもあります。
「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」の振る舞いは、現代日本人の大半には異様に見えるかもしれませんが、進化心理学的観点からは、とくに不思議ではないかもしれません。お互いの評判を気にするようになった現生人類(Homo sapiens)が、道徳性を誇示し、問題のある個体を排除することは珍しくなく、「粛清文化(キャンセルカルチャー)」も現生人類に普遍的な行動の一類型と言えるかもしれません。進化心理学への批判は多いようですが、現時点で進化心理学に多くの問題があるとしても、将来はさらに有効な分野になるだろう、と考えています。
参考文献:
Fourest C.著(2023)、堀茂樹訳『「傷つきました」戦争 超過敏世代のデスロード』(中央公論新社、原書の刊行は2020年)
そうした「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」を、私は「woke(日本語の定訳はないように思いますが、覚醒、と訳しておきます)」や「wokism(とりあえず、覚醒主義と訳しておきます)」とまとめています。そうした「覚醒主義」の人々が主張するのは、「(マイノリティを)傷つけるな」ということで、本書は具体的に、非「黒人」が髪を「アフリカ人的な」編み込みにしたり、非エジプト系人が「エジプト風」の髪型をしたり、大学でのヨガの授業などが、「文化盗用」として批判されている事例を紹介しています。「覚醒主義」の人々は、そうした「文化盗用」を犯した人々を、時には10年以上前までさかのぼって糾弾し、講演を中止させたり、職を辞めさせるよう圧力をかけたりします。こうした現象は、日本でも「キャンセルカルチャー(日本語の定訳はないように思いますが、ネットで検索して見つかった中では、粛清文化、がよさそうに思います)」として知られつつあるように思います。
こうした文化統制を行なうのは権威主義的国家ではなく社会で、本書は、自由の旗手という素晴らしい役どころを保守派が担うようになるのではないか、と懸念しています。本書は、こうした「覚醒主義」がすでに労働組合や大学や政党の内部で拡大し、文化業界を手中に収めつつあり、強い反発が起きない限り、こうした「左派」の文化的勝利は確実になる、と指摘します。本書は、こうした「覚醒主義」が知性と文化の廃墟をもたらす、と指摘し、現状から脱出する方法を模索します。ただ本書は、同性愛者や「黒人」やユダヤ人を差別していた時代の再来を求めているわけではない、と注意を喚起します。著者自身が同性愛者で、未成年の頃から侮辱され続けてきたそうです。
本書は、そうした「覚醒主義」の人々による「粛清文化」を「異端審問」と呼び、その主戦場がSNSと指摘します。本書が具体的に挙げる事例は興味深く、「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」が「人種」を固定化していることに、本書は強い懸念を示しています。確かに、本書の事例からは、「人種」や民族といった属性を固定的な基準とすることで、かえって階級や性別などの点で抑圧を強化している側面もあるのではないか、とも考えられます。また本書は、「人種」差別にしても、たとえばアメリカ合衆国での「人種」差別への抗議・対処を、フランスなど社会状況や歴史的文脈の異なる地域に安易に適用することの危険性も指摘します。
著者は「普遍主義的な左派」と言えそうですが、著者の批判対象である「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」からすると、その「普遍主義的」なるものをまず疑うべき、となるのでしょう。フランスで生まれ育った著者は「共和主義的左翼」への同意を明示していますが、それが「普遍的」であることを大前提にできるのか、懐疑的になる必要があるとは思います。ただ現代日本社会において、ヨーロッパ発の近代を大前提とすることに対する懐疑がひじょうに大きい知的負担をもたらすことも否定できなさそうですから、難しい問題だとは思います。
とはいえ、著者が本書で具体的に挙げたさまざまな事例からも、現代の「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」に大きな問題があることは否定できず、私は「反覚醒主義者」と自認しているだけに、本書の指摘に同意できるところが多々あったことも確かです。現代日本社会では、「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」は、大学や大衆媒体に浸透しつつあるとはいっても、まだヨーロッパやアメリカ合衆国ほどの影響がないことも確かだろう、とは思います。「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」からすると、それは現代日本社会の大衆の「後進性」の現れであり、「意識が低い」ことを表しているのでしょうが、むしろそれが日本社会への打撃を抑えるのではないか、と期待しているところもあります。
「道徳主義的でアイデンティティ至上主義的な特定の左派」の振る舞いは、現代日本人の大半には異様に見えるかもしれませんが、進化心理学的観点からは、とくに不思議ではないかもしれません。お互いの評判を気にするようになった現生人類(Homo sapiens)が、道徳性を誇示し、問題のある個体を排除することは珍しくなく、「粛清文化(キャンセルカルチャー)」も現生人類に普遍的な行動の一類型と言えるかもしれません。進化心理学への批判は多いようですが、現時点で進化心理学に多くの問題があるとしても、将来はさらに有効な分野になるだろう、と考えています。
参考文献:
Fourest C.著(2023)、堀茂樹訳『「傷つきました」戦争 超過敏世代のデスロード』(中央公論新社、原書の刊行は2020年)
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