アラスカ南東部の3000年前頃の女性個体のゲノムデータ

 アラスカ南東部の3000年前頃の女性個体のゲノムデータを報告した研究(Aqil et al., 2023)が公表されました。アメリカ大陸についても人類集団の古代ゲノム研究は盛んで、さまざまなことが解明されつつあります(関連記事)。最近では、過去5000年間のアジア北東部とアメリカ大陸の人類集団間の遺伝的つながりも示唆されています(関連記事)。アラスカは寒冷なため古代DNAの保存に比較的適した地域と考えられ、今後も古代ゲノム研究が大いに進展していくでしょうし、完新世におけるアジア北東部との遺伝的相互作用がさらに解明されていくのではないか、と期待されます。


●要約

 北アメリカ大陸の先住民の人々の人口史の詳細は、身体遺骸の証拠が不足しているため、議論が続いています。わずか数点の古代人のゲノムが太平洋北西部沿岸から回収されており、この地域はアメリカ大陸最初の居住の沿岸部移住経路としてますます裏づけられつつあります。本論文は、アラスカ南東部の3000年前頃の女性1個体の遺骸から得られた古ゲノムデータを報告します。この女性個体は「洞窟の若い女性(Tatóok yík yées sháawat、略してTYYS)」と命名されました。

 本論文の結果は、アラスカ南東部における少なくとも3000年間の母系の遺伝的連続性と、TYYSが古代および現在の太平洋北西部沿岸北方のアメリカ大陸先住民と最も密接に関連していることを論証します。現在もしくは古代の太平洋北西部の人々において、サカク(Saqqaq)文化関連個体により表される古イヌイット祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の証拠は見つかりませんでした。代わりに、本論文の分析から、サカク文化関連個体のゲノムは北アメリカ大陸先住民祖先系統を有する、と示唆されます。この研究は、太平洋北西部沿岸北方の人口史にさらなる光を当てます。



●研究史

 北アメリカ大陸の先住民の初期の人口史に関する多くの詳細は、不明なままです。しかし近年では、古代人および現代人のゲノムは、シベリアからアメリカ大陸への進入の時期と経路にかなりの洞察を提供してきました。とくに、少なくとも3回の異なる移住の波があった、と示唆されてきました。第一の波は、アメリカ大陸の全ての非イヌイット先住民に祖先系統をもたらしました(関連記事1および関連記事2)。第二の波は古イヌイット(以前には古エスキモーと呼ばれていました)を含み、古イヌイットはドーセット(Dorset)文化の人々で、6000年前頃にシベリアからアメリカ大陸へ到来した、とされています。第三の波は新イヌイット(以前には新エスキモーと呼ばれていました)を含み、新イヌイットは1000年前頃に北極圏に定住したチューレ(Thule)文化の人々で、おそらくは古イヌイットを置換し、現在のイヌイットを生み出しました。

 アメリカ大陸への移住の最初の波は、ひじょうに詳しく研究されてきました。たとえば、ゲノム研究から、小集団がアジア東部のより大きな人口集団から3万年前頃に分岐し、その後で24000年前頃までに2人口集団へと分岐した(関連記事)、と示されてきました。その後、これら2人口集団は古代北シベリア人(古代北ユーラシア人)として知られているシベリアの人々とまず混合しました(関連記事)。これら混合人口集団のうち1集団は古シベリア人(旧シベリア人)と呼ばれており、シベリアに留まって、チュクチ・カムチャツカ語族(Chukotko-Kamchatkan)言語話者であるコリャーク人(Koryak)やチュクチ人(Chukchi)の祖先になり、第二の混合人口集団は最終的に移住の第一の波でアメリカ大陸へと進出しました(関連記事)。

 この後者の系統は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)においてアジアと北アメリカ大陸とをつなげた、シベリアのレナ川流域からカナダのユーコン準州にわたる陸塊であるベーリンジア(ベーリング陸橋)において、数千年の孤立を経ました(関連記事1および関連記事2)。この孤立した祖先人口集団から、少なくとも3系統が出現しました(関連記事)。それは、氷床の南方を移動してアメリカ大陸の非イヌイット先住民の祖先となった祖先的アメリカ大陸先住民、アラスカよりさらに南方へは移動せず、9000年前頃以後のヒト標本では特定されていない古代ベーリンジア人(関連記事)、メソアメリカの人口集団に残された祖先系統の痕跡のみで知られている仮定的な「人口集団A」です(関連記事)。

 祖先的アメリカ大陸先住民が、17000~15000年前頃以後に融氷して生態学的に通れる経路となった太平洋北西部沿岸を南方へと移動した、という証拠が増えつつあります。この出入口は、13000年前頃に利用可能になったと考えられているコルディレラ(Cordilleran)氷床とローレンタイド(Laurentide)氷床との間の、内陸部の回廊よりも前に開けました(関連記事)。太平洋北西部沿岸を南方へと移動している間に、祖先的アメリカ大陸先住民は15500年前頃に、南アメリカ大陸先住民(Southern Native American、略してSNA)系統と北アメリカ大陸先住民(Northern Native American、略してNNA)系統に分岐した可能性が高そうです(関連記事)。この分岐に続いて、NNA系統は、太平洋北西部沿岸北方を含めて、拡大して北アメリカ大陸北部に広く居住した可能性が高そうです(関連記事)。

 太平洋北西部沿岸北方はアラスカ湾を取り囲み、アラスカとブリティッシュコロンビアの沿岸を覆っています。現在この地域には、トリンギット人(Tlingit)やハイダ人(Haida)やチムシアン人(Tsimshian)やニスガ人(Nisga’a)やセイリッシュ(Salishan)語族話者が暮らしています。これら北方沿岸部人口集団は、内陸部のブリティッシュコロンビアのスプラツィン人(Splatsin)やスツウェセムク人(Stswecem’c)など太平洋北西部の内陸部人口集団と最近の起源を共有している、と提案されてきました。しかし、沿岸部と内陸部の人口集団間の分岐の時期は不明なままです。さらに、古イヌイットは太平洋北西部のこれら人口集団の一部に祖先系統をもたらした、と提案されてきましたが(関連記事)、この混合が起きたのかどうか、あるいはいつ起きたのか、合意はありません。

 太平洋北西部沿岸の南進と北進の両方となる、アメリカ大陸の最初の移住と後の移住の両方について重要な交流地域であるにも関わらず、太平洋北西部北方の先住民の遺伝的祖先系統についての研究は比較的少なくいままとなっています。これは部分的には、ヒト遺骸の限定的な身体的証拠と、したがってこれまでに分析された古ゲノムが少ないことに起因します。これらの問題にも関わらず、ブリティッシュコロンビア沿岸の個体群から得られた中期~後期完新世のゲノムは、この地域の現在のアメリカ大陸先住民のゲノムとの明治性を示しており、この地域における遺伝的連続性の証拠を提供します。具体的には、ブリティッシュコロンビア沿岸部、とくにチムシアン人居住域における少なくとも5500年間の母系の遺伝的連続性が記録されてきました。さらに、ブリティッシュコロンビア沿岸部のチムシアン人居住域のプリンス・ルパート港(Prince Rupert Harbor)地域の古代人25個体のエクソーム配列は、現代チムシアン人との遺伝的類似性を示します。

 これまでにアラスカ南東部から報告された唯一の古代人ゲノムは、暦年代で10300年前頃となる「膝の上洞窟(Shuká Káa)」個体で、この個体は他の人口集団とよりも北アメリカ大陸先住民の方と大きな遺伝的類似性を示しており、1万年にわたる地域的な遺伝的連続性が示唆されます。しかし、それがNNAおよびSNA両系統の基底部となる系統(おそらくは古代ベーリンジア人)に属する、との仮説は明確には却下されていません。さらに、この地域における現在の部族と「膝の上洞窟」個体のつながりは確証されていません。さらに、この標本のゲノム網羅率がひじょうに低くて比較分析に利用可能な部位の数が限られており、この地域における現在の人口集団と共有されていない独特なミトコンドリハプロタイプは、初期完新世後の人口置換の仮説を排除しません。

 本論文は、古代人の女性1個体の低網羅率のゲノムを提示します。この女性個体は、アラスカ南東部のアレクサンダー諸島のランゲル(Wrangell)島の東方のアラスカ本土のトリンギット人居住域に位置する法曹洞窟(Lawyer's Cave)から発掘されました。その遺骸は貝殻のビーズおよび3000年前頃の骨製千枚通しとともに見つかりました。この地域と関連すると連邦政府に認められた部族であるランゲル協同協会(Wrangell Cooperative Association、略してWCA)からの助言の下で、この個体は「洞窟の若い女性」を意味するタトオク・イク・イェエス・シャアワット(Tatóok yík yées sháawat、略してTYYS)と呼ばれます。現在まで、これはヒトと遺伝的に確証された、「膝の上洞窟」個体に次ぐ第二の古代の個体です。この完新世1個体から得られたミトコンドリアと核のゲノムデータを、他の古代および現代のアメリカ大陸先住民個体群のデータと比較することにより、本論文の目的は、太平洋北西部の複座な人口集団の遺伝的歴史と構造を調べることです。


●TYYSの年代と網羅率と性別決定

 TYYS標本は直径約3cmの上腕骨の小さな骨格片で、法曹洞窟で回収されました。法曹洞窟は、アレクサンダー諸島のランゲル島の東方のアラスカ南東部本土のブレイク海峡(Blake Channel)沿いに位置しています(図1)。TYYSの放射性炭素年代測定は、3425±50年前となり、較正された中央値の年代は2950年前頃(3379~2500年前頃)と推定されました。炭素13値は−12.5‰で、グリーンランド南西部のチューレ文化個体群および海洋性哺乳類の安定炭素同位体データの範囲内に収まり、海洋性タンパク質でほぼ完全に構成される食性が示唆されます。以下は本論文の図1です。
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 ショットガンイルミナ配列決定およびミトコンドリアゲノム混成捕獲により、平均網羅率深度112倍で完全なミトコンドリアゲノムが得られました。核ゲノムの幅と深度の網羅率は、それぞれ0.14倍と1.1倍です。古代標本で予測されるように、TYYSの核ゲノムの分析は、読み取りの5′末端のシトシンの脱アミノ化率の増加を示しました。この個体は女性と同定されました。


●TYYSのミトコンドリアハプロタイプはアラスカ南東部の現代人でも見られます

 アメリカ大陸先住民の創始者ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)であるA2とB2とC1とD1は、北アメリカ大陸と中央アメリカ大陸と南アメリカ大陸全域で現在見られます。mtHg-A2は北アメリカ大陸北部で最も頻繁に報告されているmtDNA系統で、とくに太平洋北西部沿岸では一般的であり、ハイダ人とトリンギット人では90%超に達します。太平洋北西部沿岸で得られた以前に報告された古代人30個体のうち、28個体がこの地域の現在の先住民でも見られるmtHgもしくはその下位群に分類されました。

 例外はこれまでに刊行されたアラスカ南東部のゲノムデータが得られた唯一の古代人である「膝の上洞窟」の10300年前頃(暦年代、以下、明記しない場合は基本的に暦年代)の個体と、ブリティッシュコロンビアの6075年前頃の個体939号で、両者のmtHgはD4h3aです。mtHg-D4h3aはアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡(関連記事)で発見された12600年前頃となる男児(アンジック1号)でも共有されており、現在の北アメリカ大陸先住民ではほぼ見つからないものの、現在のチュマシュ人(Chumash)でも見られるかもしれません。

 これまで、アラスカ南東部における一時的な母系の遺伝的連続性は報告されていません。母系子孫は太平洋北西部縁談北方の状況ではとくに重要なことに要注意で、それは、この地域の集団が、個人の氏族と半族の地位が母親と結びついている外婚母系氏族体系だからです。母系氏族構造とmtHgとの間の強い関連は、現在これらの部族において見られます。

 アラスカ南東部の2950年前頃となるTYYSが、太平洋北西部沿岸の現在の先住民でも観察されるミトコンドリア系統を示すのかどうか調べるため、古代人および現代人523個体の完全なミトコンドリアゲノムを含むデータセットが構築され(図2A)、その中には、TYYSやアンジック1号や「膝の上洞窟」個体やブリティッシュコロンビアの太平洋北西部沿岸で標本抽出された古代の個体群が含まれます。図1はこの研究で用いたミトコンドリアゲノムが得られた個体の位置とともに、太平洋北西部沿岸北方の地図を示しています。以下は本論文の図2です。
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 ベイズ進化分析標本抽出系統樹(Bayesian Evolutionary Analysis Sampling Trees、略してBEAST)を用いての本論文の系統発生分析から、mtHg-A2・B2・C1・D1・D4h3aを表すクレード(単系統群)は、0.9超の事後確率により裏づけられた、と示されました。TYYSは1.0の事後確率のクレードを形成し、このクレードには太平洋北西部沿岸で標本抽出された他の3個体の全ミトコンドリアゲノムも含まれます。それは現在のニスガ人1個体(ニスガ人B009)、現在のチムシアン人1個体(チムシアン人069)、チムシアン人居住域のダッジ島(Dodge Island)の4855年前頃となる古代人1個体(160a)です。これら3標本のミトコンドリアハプロタイプは全てA2aqで、これはmtHg-A2の下位系統です。先行研究ではこのハプロタイプがA2ahと命名されたことに要注意ですが、このハプロタイプが今ではA2aqと認識されている一方で、A2ahは南アメリカ大陸で一般的な異なるハプロタイプを指しています。本論文はHaploGrep2を用いて、TYYSのミトコンドリアハプロタイプがじっさいにA2aqであることを確証します。

 分岐時間較正について古代人標本から得られた放射性炭素年代を用いて、ミトコンドリアハプロタイプがA2aqである4個体(TYYS、古代人160a、チムシアン人069、ニスガ人B009)の全ミトコンドリアゲノムの最終共通祖先の年代は9056年前頃(95%最高事後密度で13286~5535年前)と推定されました。完全なmtDNAが利用可能な(したがって、系統発生分析の一部ではなかった)個体のうち、ブリティッシュコロンビアのチムシアン人居住域で発見された2085年前頃の個体168号とアラスカ南東部の現代のカイガニ・ハイダ人(Kaigani Haida)3個体も、ミトコンドリアハプロタイプA2aqを有しています(図2B)。超可変制御領域の変異に基づいて、mtHg-A2に分類される現在のトリンギット人1個体であるAK157も、A2aqハプロタイプに位置づけられる診断変異(16355T)を有している、と示されました。

 カイガニ・ハイダ人が18世紀初期にブリティッシュコロンビアのハイダ・グワイ(Haida Gwaii)群島からアラスカ南東部のプリンスオブウェールズ島(Prince of Wales Island)へと北方に移動したことに要注意で、このハプロタイプはハイダ人とトリンギット人との間で共有されているか、後にトリンギット人との遺伝子流動を通じてハイダ人に得られた、と示唆されます。さらに、2950年前頃のTYYSと現在のAK157個体が共通のミトコンドリアハプロタイプを有している、という事実は、アラスカ南東部における少なくとも3000年間の母系の遺伝的連続性との仮定につながります。アラスカ南東部の古代人ゲノムの少なさが、この仮説の形式的検証を妨げていることに要注意です。それにも関わらず、3000年前頃までに、この地域の文化がヨーロッパ人との接触時期に観察されたものとほぼ同じだったように見えることは、注目に値します。したがって、TYYSは文化的および生物学的両方の意味で現在のトリンギット人の祖先だった人口集団の一部だったかもしれません。

 過去数千年にわたるチムシアン人とトリンギット人の居住域両方におけるA2aq系統の存在は、太平洋北西部沿岸のどこでこのハプロタイプが9000年前頃(その最終共通祖先の推定年代)に最初に出現したのか、という問題を提起します。あり得る一つのシナリオは、ブリティッシュコロンビアのチムシアン人居住域においてこのハプロタイプが最初に出現し、その後で、3000年前頃(TYYSの年代)以前のある時点でアラスカ南東部のトリンギット人居住域へと北方に移動した、というものです。この系統に属する最古の標本がチムシアン人居住域に由来する、という事実はこのシナリオを裏づけます。

 さらに、このシナリオはトリンギット人の口承伝統とも一致します。トリンギット人の口承伝統では、トリンギット人の氏族はその起源がスキーナ川(Skeena River)河口周辺のチムシアン海岸にあり、トリンギット人はそこから北方へ移動した、とされています。じっさい、ワタリガラスとワシを崇拝する氏族両方の元々の移住の物語には、この北方への移動が含まれていました。チムシアン人とトリンギット人の居住域両方におけるA2aqの存在を説明する代替的なシナリオは、トリンギット人居住域からチムシアン人居住域への人々の南方への移動だったかもしれません。このシナリオでは、南方への移動は遅くとも4855年前頃に起きたに違いありません。これは、A2aqハプロタイプを有するチムシアン人居住域で発見された既知の最古となる個体(160a)の年代による下限です。

 別のあり得る説明は、人々が(A2aqハプロタイプとともに)すでにA2aqハプロタイプを有していた第三の場所からトリンギット人およびチムシアン人居住域へと独立して移動した、というものです。しかし、このハプロタイプの起源に関する推定は、本論文で調べられたひじょうに小さな標本規模により制約されており、どの解釈もデータの増加により変わるかもしれない、との指摘が重要になります。


●TYYSはNNAと最高の遺伝的類似性を示します

 これまでに、太平洋北西部沿岸で発見された全ての植民地期以前の個体は、過去1万年間にわたる、「膝の上洞窟」個体、ブリティッシュコロンビアの6075年前頃の個体939号、443号、302号を含めて、NNAと最大の核の遺伝的類似性を示す、と報告されてきました。したがって、他の太平洋北西部沿岸標本のように、アラスカ南東部のTYYS個体もNNAと高い遺伝的類似性を示す、と仮定されまた。この仮説を検証するため、現在のトリンギット人やアメリカ大陸の古代人標本を含めて、現代のユーラシアおよびアメリカ大陸先住民人口集団のパネルから、系統発生的に情報をもたらす核ゲノムのSNPを用いて主成分分析(principal component analysi、略してPCA)が実行されました。

 主成分(PC)2に対するPC1(図3A)、より明確にPC3に対するPC3の比較(図3A)により、TYYSはじっさいに現在の北アメリカ大陸先住民人口集団に分類され、ブリティッシュコロンビアの古代人3個体、およびケネウィック人(Kennewick Man)としても知られるアメリカ合衆国ワシントン州の8500年前頃の古代人(関連記事)と密接にクラスタ化する(まとまる)、と観察されました。したがって、本論文の核ゲノムデータも、北アメリカ大陸の古代および現代の先住民個体群とこの古代のアラスカ南東部の個体の遺伝的類似性の証拠を示します。北アメリカ大陸先住民人口集団でクラスタ化するものの、「膝の上洞窟」個体はこれら他の古代の太平洋北西部個体群と比較してより離れています。以下は本論文の図3です。
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●TYYSは内陸部の部族とよりも太平洋北西部沿岸の部族の方と密接に関連しています

 現在の沿岸部と内陸部の太平洋北西部人口集団間の遺伝的相違が報告されてきました。TYYSが一方と比較してもう一方とより大きな類似性を示すのか検証するため、太平洋北西部の現代および古代の個体群のパネルを用いてPCAが実行されました(図4)。その結果、TYYSと他の古代の太平洋北西部沿岸個体群は、現在の内陸部人口集団(スプラツィン人とスツウェセムク人)とよりも、現在の太平洋北西部沿岸北方人口集団(トリンギット人とニスガ人とハイダ人とチムシアン人)の方と大きな類似性を有している、と示されます。以下は本論文の図4です。
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 太平洋北西部における内陸部人口集団に対する沿岸部人口集団の方とのTYYSの明らかに高い類似性は、2集団への異なる植民地以後の遺伝子流動に起因するかもしれません。じっさい、内陸部集団は沿岸部集団よりもアジア東部人からの遺伝子流動の量が大きく、ヨーロッパ人からの遺伝子流動ではその逆になる、と示されてきました。中央および南アメリカ大陸と比較して、ユーラシア人との顕著な接触は太平洋北西部では比較的最近起きており、1700年代のロシアの毛皮貿易で始まっており、スカンジナビア半島とアジア東部からの移民がその後に続きました。

 太平洋北西部人口集団の混合を調べて、TYYSが太平洋北西部の部族と祖先系統構成要素を共有しているのかどうか評価するため、ADMIXTUREを用いて本論文のデータセットにおいて個体のモデルに基づくクラスタ化が実行されました(図5)。最小の交差検証誤差を考えると最良の予測正確さになると分かったK(系統構成要素数)=7では、TYYSと939号と443号と302号は北アメリカ大陸先住民でほぼ排他的に見られる祖先系統構成要素で完全に構成されます。この観察から、TYYSと他の古代完新世個体群のゲノムはじっさいにヨーロッパ人との混合がない、と論証されます。

 予測通り、現在の太平洋北西部およびアサバスカ(Athabascan)諸語話者の先住民族は高水準のヨーロッパ人からの遺伝子流動を示しました。そのため、これらの部族のさまざまな部分集合とのTYYSの異なる関連性についての結論は、この植民地期以後の遺伝子流動により混乱しているかもしれません。したがって、ヨーロッパ人とアジア東部人とアフリカ人との混合について、現代の太平洋北西部個体群かにのデータはマスクされました(隠されました)。以下は本論文の図5です。
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 マスクされたデータを用いて、外群f3統計が実行され、中国の漢人と比較しての、TYYSとさまざまなシベリアおよびアメリカ大陸の人口集団との間の共有されている遺伝的浮動が測定されました。とくに、(X、TYYS;漢人)の形式で外群f3が計算され、Xはアメリカ大陸もしくはシベリアの人口集団です。マスクされたデータでは、Xがシベリアの人口集団の時よりもアメリカ大陸の人口集団の時により高いf3値が観察され、TYYSがシベリア人よりもアメリカ大陸先住民の方と密接に関連していることを意味します。アメリカ大陸先住民では、SNA人口集団と比較してNNA人口集団でより高いf3値が観察され、TYYSのSNAよりもNNAの方との密接な関係が示唆されます。さらに、NNA人口集団では、太平洋北西部内陸部人口集団よりも太平洋北西部沿岸人口集団の方でより高い値が観察され(図6A)、TYYSが太平洋北西部では内陸部個体群とよりも沿岸部個体群の方と密接である、と確証されます。

 太平洋北西部沿岸個体群と最高のゲノム類似性を示したことは、f2でも観察されました。さらに、(漢人、TYYS;X、Y)の形式のf4統計が実行され、XとYは北アメリカ大陸先住民人口集団です。YがXよりもTYYSと密節に関連している場合にはこれは正となり、XがYよりもTYYSと密接に関連している場合には負となります。f4統計の結果に基づいて、太平洋北西部沿岸部族は内陸の部族よりもTYYSと密接に関連している、と再度観察されました(図6B)。古代の個体939号と443号と302号については類似の結果が観察されましたが、「膝の上洞窟」個体とアンジック1号とサカク文化個体とグリーンランドの4000年前頃の1個体では観察されませんでした。939号個体の年代は6000年前頃なので、これらの結果から、沿岸部と内陸部の太平洋北西部人口集団間の分岐は6000年前頃以前に起きたかもしれない、と示唆されます。太平洋北西部沿岸と関連する沿岸部の芸術と美的様式は5000年前頃に出現し始めたので、この芸術の創作者は太平洋北西部沿岸部族の祖先であり、内陸の部族の祖先ではない、というのが合理的なようです。以下は本論文の図6です。
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 太平洋北西部の沿岸部の個体群と内陸部の個体群のより大きな関連性が、沿岸の部族よりも内陸の部族における(マスキング後の)より高い残留結果である可能性は高くなさそうです第一に、これは結果が外群の選択に対して堅牢だからです。第二に、沿岸部集団に対する太平洋北西部の古代の個体群の明らかなより近い関連が、沿岸部集団と内陸部集団の異なる残留混合の結果だったならば、ケネウィック人について類似の結果が見られたでしょうが、そうではありませんでした。「膝の上洞窟」個体は北アメリカ大陸先住民、おそらくは沿岸部集団とさえと最大の遺伝的類似性を示すものの、そのゲノムがひじょうに低い網羅率であることを考えると、太平洋北西部の内陸部の人々とよりも沿岸部の人々の方と密接に関連している、と決定的には確認できないことに注意すべきです。

 本論文の核ゲノム規模の結果は、mtDNA分析から得られたアラスカ南東部における少なくとも3000年間の母系の遺伝的連続性との推測と一致します。6000年前頃の太平洋北西部沿岸の古代の個体群が、内陸部集団を除いて沿岸部の現代の個体群と最も密接に関連していることは、「太古の時」以来アラスカ南東部の保護者だった、というトリンギット人の主張とも一致します。利用可能なデータでは解決されていないままですが、沿岸部と内陸部の集団間の分岐は6000年前頃よりもずっと先行することは妥当です。利用可能なデータでは決定できなくても、PCAにおける沿岸部個体群での「膝の上洞窟」個体の位置(図4)から、この分岐はさらにさかのぼる、と示唆されるかもしれません。したがって、9000年前頃と年代測定されたミトコンドリアハプロタイプA2aqの出現は、太平洋北西部沿岸部北方の同じ場所で起きた可能性が高そうです。


●古イヌイットと北アメリカ大陸先住民との間の遺伝子流動

 古イヌイットが現在の太平洋北西部人口集団に祖先系統をもたらした、と提案されてきましたが、それは依然として議論になっている問題です(関連記事)。古イヌイットとシベリアのチュクチ・カムチャツカ語族話者(コリャーク人とチュクチ人)により笑わされる一般的な祖先系統集団は、「祖型古エスキモー(Proto-Paleo-Eskimo、略してPPE)」と呼ばれてきました(関連記事)。(1)現在の太平洋北西部人口集団がPPE祖先系統を有しているのかどうか、(2)太平洋北西部の古代の個体群はPPE祖先系統を有しているのかどうか、調査が試みられました。

 最初の問題に答えるためqpAdmモデル化が用いられ、SNA/NNAとPPE(サカク文化個体とチュクチ・カムチャツカ語族話者により表されます)の代表の祖先系統の組み合わせとして現在の太平洋北西部人口集団のモデル化が試みられました。アンジック1号が一方の供給源である特定の事例を除いて、全ての他のモデルが却下されたので、少なくとも本論文のデータセットに基づくと、現在の太平洋北西部人口集団へのPPEからの混合の証拠は見つかりませんでした。サカク文化個体はNNAへの遺伝子流動の最適な代理として機能しないかもしれない、と最近示唆されたことに要注意です。それは、一部の北アメリカ大陸先住民集団に祖先系統をもたらしたPPE供給源が、古イヌイットとよりもコリャーク人の方と密接に関連していたかもしれないからです。しかし、本論文の結果は、コリャーク人とチュクチ人が供給源として用いられた場合と一致します。

 TYYSがアメリカ大陸の他の古代の個体(443号、302号、939号、ケネウィック人、アンジック1号)とともに、古イヌイット祖先系統の痕跡を示すのかどうか、検証するため、まずD形式(漢人、サカク文化個体;X、Y)のD統計が計算され、Xは混合していないSNA人口集団で、Yは古代の個体です(図7A)。その結果、古代の個体群(8500年前頃のケネウィック人を含めて、とくにNNAの個体群)は、現在のSNA人口集団よりもサカク文化個体により表される古イヌイットと密接な類似性を示す、と示唆されます。以下は本論文の図7です。
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 この遺伝的類似性がPPEから古代の個体群への遺伝子流動に由来するのか確認するため、再びqpAdmが用いられ、古代の各個体のゲノムが、SNA/NNAとPPEの代表の組み合わせとしてモデル化されました。そうしたモデルは却下され、これら古代の個体群はPPE祖先系統を有していない、と示唆されます。代わりに、サカク文化個体がPPE(チュクチ・カムチャツカ語族話者により表されます)およびSNA/NNA祖先系統の組み合わせとしてモデル化されると、サカク文化個体はPPEおよびNNA祖先系統の組み合わせとしてモデル化できるものの、PPEおよびSNA祖先系統の組み合わせとしてモデル化できない、と分かりました。したがって、本論文の結果から、PPE(サカク文化個体とチュクチ・カムチャツカ語族話者のり両方により表されます)は現在もしくは古代の太平洋北西部の人々に祖先系統をもたらさなかったかもしれないものの、代わりにサカク文化個体のゲノムはPPEとNNA両方の祖先系統を有している、と示唆されます。しかし、要注意なのは、さまざまな研究の結果が相互に一致しておらず、この問題についてより多くの研究が必要である、ということです。


●まとめ

 この研究では、アラスカ南東部の現在のトリンギット人居住域の洞窟から発見された、TYYSと呼ばれる2950年前頃の女性1個体のミトコンドリアと核ゲノムが配列決定されました。TYYSのmtDNAに基づいて、TYYSはト太平洋北西部沿岸北方のトリンギット人とハイダ人とニスガ人とチムシアン人の居住域の現在の個体群や、チムシアン人居住域の4850年前頃の1個体と最も密接に関連している、と示されました。これが、トリンギット人の起源は現在のトリンギット人居住域にある、としたトリンギット人の口承伝統と一致することに要注意です。ミトコンドリアハプロタイプA2aqの母系はトリンギット人居住域で少なくとも3000年間存続しており、このハプロタイプは9000年前頃に出現した、と示唆目ました。これらの結果も、自身をエッジカム山(Mt. Edgecumbe)の噴火活動期にこの地域に位置づけるトリンギット人の口承伝統と一致し、エッジカム山が最後に噴火したのは4500年前頃です。

 TYYSの核ゲノムに基づくと、TYYSは太平洋北西部の内陸部の人々とよりも沿岸部の人々の方と密接に関連しています。太平洋北西部の沿岸部の人々と内陸部の人々との間の分岐は、6000年前頃以前と分かりました。ヨーロッパ人との接触時期の文化とひじょうに類似した太平洋北西部の文化は3000年前頃までに確立していたので、TYYSは文化と遺伝の両方で現在のトリンギット人の祖先だった人口集団の一部だった可能性が高そうです。

 TYYSの−12.5‰という安定同位体炭素13値と、6075年前頃となる939号個体の類似の値は、グリーンランド南西部のチューレ文化個体群および海洋哺乳類の炭素安定同位体データの範囲内に収まり、食性はほぼ完全に海洋性タンパク質で構成されている、と示唆され、この時点での太平洋北西部沿岸部文化の存在のさらなる裏づけにつながります。以下は本論文の要約図です。
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 最後に、この研究で用いられたTYYSのゲノムも他の古代人のゲノムもPPE祖先系統を有していない、と分かりました。さらに驚くべきことに、サカク文化個体のゲノムにはNNA祖先系統がある、と分かりました。本論文の結果は、太平洋北西部沿岸北方の先住民の歴史と、古イヌイットとのこの地域の古代の個体群の先ヨーロッパ期における接触の可能性に光を当てます。将来の古ゲノム分析は、アメリカ大陸への最初の移住の入口としての太平洋北西部沿岸との仮説を含めて、ひじょうに多様な太平洋北西部の人口史へのより完全な洞察を提供できるかもしれない、と期待されます。


●この研究の限界

 この研究は、アラスカ南東部の古代人1個体のみしかDNAを入手できていない、という事実に制約されます。この研究において実行されたほとんどの分析は、TYYSとともに、太平洋北西部沿岸の以前に刊行されたわずかな古代人のゲノムにのみ依拠しています。したがって、太平洋北西部沿岸の古代の個体群における古イヌイット祖先系統の欠如についての結論は決定的ではなく、さらなる研究が必要です。さらに、さまざまな時点での太平洋北西部沿岸の古代の個体群が利用できないので、ミトコンドリアハプロタイプA2aqに関して太平洋北西部における母系の遺伝的連続性との主張は、このハプロタイプが失われて3000年前頃以後のある時点で再びもたらされたわけではなかった、との仮定に依拠しています。


参考文献:
Aqil A. et al.(2023): A paleogenome from a Holocene individual supports genetic continuity in Southeast Alaska. iScience, 26, 5, 106581.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2023.106581

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