複雑だったアフリカにおける現生人類の進化

 アフリカにおける現生人類(Homo sapiens)の複雑な進化を推測した研究(Ragsdale et al., 2023)が報道されました。現生人類の起源がアフリカにあることは、今では広く認められていますが、アフリカにおいて現生人類がどのように進化したのかについては、局所的な起源地の想定から複数の地域集団間の複雑な相互作用を想定するものまでさまざまな議論があり、さらには、アフリカにおける現生人類と非現生人類ホモ属との混合も想定されています。本論文は、アフリカの現代人の遺伝的構造の形成において、非現生人類ホモ属(古代型人類)との混合を想定せずとも説明可能であることを指摘しており、現生人類の起源に関する新たなモデルとしてたいへん注目されます。ただ、本論文がアフリカの初期現生人類と非現生人類ホモ属との混合を完全に否定したわけではないことにも要注意です。


●要約

 現生人類の起源がアフリカにあることについて広い合意があるにも関わらず、アフリカ大陸における分岐や移動に関する個別のモデルを巡っては、かなりの不確かさが存在します。モデルの改善は、化石とゲノムデータの不足や、分岐年代に関する過去の推定値のばらつきにより阻まれています。本論文は、迅速で複雑な人口動態推測のために最適化された、連鎖不平衡および多様性に基づく統計の検討により、そうしたモデルの識別を試みました。本論文は、東部と西部の代表、およびアフリカ南部のナマ人(Nama、コイサン人)44個体新たに配列決定された全ゲノムを含む、アフリカ全域の人口集団についての詳細な人口動態モデルを推測しました。

 その結果、現代の人口構造を海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5までさかのぼらせる、網目状のアフリカの人口史が推測されました。現在の人口集団において最初の人口分岐が起きたのは135000~12万年前頃で、それ以前には、2つもしくはそれ以上の弱く分化した祖先的なホモ属人口集団間で数十万年にわたり遺伝子流動によるつながりがありました。こうした「幹(stem)」構造が弱いモデルにより、以前にはアフリカにおける古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】からの寄与とされてきた多型のパターン(関連記事1および関連記事2および関連記事3)が説明されます。

 古代型人類からの遺伝子移入のモデルとは対照的に、本論文の予測は、共存していた祖先的人口集団に由来する化石遺骸は遺伝的および形態的に類似しているはずで、現在の人口集団間で推定されている遺伝的差異のわずか1~4%が、幹を構成する人口集団間の遺伝的浮動に起因するかもしれない、というものです。本論文は、モデルの誤設定により分岐年代に関する以前の推定値の差異が説明されることを示し、深い歴史に関して堅牢な推測を行なうには、多様なモデルの検討が重要である、と主張します。


●研究史

 ヒトゲノムの差異に関する数十年の研究は、アフリカにおける単一の祖先人口集団からの最近の人口分岐のおもに系統樹モデルを示唆してきました。この知見を、広大なアフリカ大陸全域にわたるヒトの居住の化石および考古学的記録と一致させることは困難でした。たとえば、モロッコのジェベル・イルード(Jebel Irhoud)や(関連記事)、エチオピアのアファール地溝のミドルアワシュ(Middle Awash)のヘルト(Herto)や、南アフリカ共和国のクラシーズ川(Klasies River)などの遺跡の化石から、派生的な現生人類の解剖学的特徴はアフリカ大陸全域で30万~10万年前頃に見られた、と論証されます。

 これらの化石と遺跡が、人口集団の先行者として現在の現生人類に寄与した人口集団を表しているのか、それとも局所的な「行き止まり」だったのか、不明です。遺伝学と古人類学のデータを一致させる試みには、現生人類のアフリカ全土起源の提案が含まれ(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、この提案では、アフリカ大陸の多く期の地域の人口集団が、少なくとも30万年前頃に始まる現生人類の始まりの形成に寄与した、とされます。

 遺伝学的モデルはこの議論への貢献が妨げられてきており、それは、遺伝学的モデルがおもに移動を伴う孤立の系統樹的モデルを仮定する(もしくは、少なくともその仮定で検証されてきた)からです。飛び石モデルや人口集団の合着(合祖)と断片化(関連記事)など、代替的な理論的シナリオが提案されてきましたが、これらの手法は解釈とデータへの適合がより困難です。しかし、新たな集団遺伝学的手法により今では、複数の人口集団の数十から数百ものゲノムに基づく推測や、より複雑なモデルが可能となっています。

 ユーラシアにおけるヒト【現生人類】とネアンデルタール人との混合の証拠に触発され、いくつかの研究では、出アフリカ移住事象の頃にアフリカの人口集団に寄与した古代型人類の「亡霊(ゴースト)」人口集団を導入することで、おもにアフリカ西部(関連記事)において、またアフリカ南部および中央部(関連記事)でも、単一起源モデルと比較して遺伝的データの記述が大きく改善される、と示されてきました。これは、特定の化石おわび古代DNA証拠の発見の可能性と関連しているかもしれない、亡霊人口集団の地理的範囲についての推測を促進してきました。しかし、これらの研究には二つの弱点があります。。第一に、単一起源モデルを古代型人類との混合モデルと対照しているだけで、他の妥当なモデルが除外されています(図1)。以下は本論文の図1です。
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 第二に、アフリカの多様性の小さな部分集合に焦点が当てられており、それは、小さな標本規模(2~5個体のゲノム)のためか、最近のアフリカ西部もしくはバントゥー諸語話者祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)に限定されている、1000人ゲノム計画のデータに依存しているからです(図2)。ユーラシアの古代DNAは、アフリカ外の初期のヒトの歴史を解明するのに役立ってきましたが、アフリカには初期の歴史を解明するための同等の古代DNAは存在しません(関連記事)。以下は本論文の図2です。
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 したがって本論文は、現在の人口集団のゲノムの研究による、より広範な人口統計学的モデル間の区別を目的とします。本論文は出発点として、アフリカの南部と東部と西部およびユーラシアの290個体のゲノムを用いて、4モデル(単一の人口拡大、地域的な存続のある単一拡大もでる、古代型人類との混合、多地域進化)を取り上げます(図1)。アフリカ全域の地理的および遺伝的に多様な人口集団を含めることで、以前の報告よりも多くの人口集団における遺伝的多様性のより多くの特徴を説明する、人口統計学的モデルが推測されます。これらの分析は系統樹的モデルの不適切さを確証し、広範な代替的モデルを直接的に評価する機会を提供します。

 本論文は、ナマ人(南アフリカ共和国のコイサン人、本論文で新たに提示)、1000人ゲノム計画の第三段階から得られたシエラレオネのメンデ人(Mende)、エチオピアの狩猟採集民集団(関連記事)の最近の子孫であるグムズ人(Gumuz)、アフリカ東部の農耕民であるアムハラ人(Amhara)とオロモ人(Oromo)という、アフリカの多様な4人口集団の4~8倍のゲノム配列決定データを用いて、詳細な人口史を推測しました。アムハラ人およびオロモ人集団は、異なるアフロ・アジア語族話者であるにも関わらず、遺伝的に非常に類似しているので、この2集団はより大きな標本規模に結合されました(図2)。本論文の人口統計学的モデルでは、アフリカへの逆方向の遺伝子流動および南アフリカ共和国における最近の植民地期の混合の代表的な供給源として、1000人ゲノム計画からイギリスの個体群も含められました。

 最後に、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)の高網羅率の古代のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノム(関連記事)が用いられ、ネアンデルタール人からアフリカ人の人々への遺伝子流動が説明され、ネアンデルタール人が現生人類との共通の「幹」から55万年前頃に分岐したと仮定して、分岐の相対的な時間深度が測定されました。人口集団内および人口集団間の期待値を効率的に計算でき、低網羅率および高網羅率両方のゲノムによく適している1および2遺伝子座の統計値が計算されました。次に、最尤推測枠組みを用いて、これらの統計に、人口集団の分岐、人口規模の変化、継続的で変動する移住率、断続的な混合辞書を含む、一連の媒介変数で表記された人口統計学的モデルが適用され、過去100万年以上の人口構造の性質が学習されました。


●後期更新世の共通祖先系統

 本論文は、アフリカの古代型人類系統もしくは人口構造からの寄与(図1a)もしくは拡大前の人口構造(図1d)を考慮しない、人口集団間の移動に続く単一の祖先の構造化されていない供給源からの地理的拡大のモデルで始めました。予測されたように、この最初のモデルは定性的におよび定量的にデータへの適合が不充分でした。次に、人口構造が現在の集団の分化に先行する人口構造という、媒介変数で表記された一連のモデルが調べられました。媒介変数に応じて、これらには、断片化と合着もしくはメタ個体群【アレル(対立遺伝子)の交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団】モデル(図1b)、古代型人類との混合(図1c)、アフリカ多地域説(図1d)など、祖先の網目状を可能とするモデルが含まれていました。最近の拡大およびアフリカ多地域モデル(図1a・d)は同じ形態なので、このモデルの解釈は指定もしくは推測された分岐年代に依存します。

 初期のモデル選択に関わらず、過去15万年間のヒトの人口史の最尤推定は、顕著に堅牢でした。網目状モデルでは、最新の共有祖先系統の時点を意味するため、人口集団間の「分岐」が用いられました。現在の人口集団における最初の分岐は、アフリカ南部のナマ人集団を他のアフリカ人集団から135000~11万年前頃に間部津市、その後の遺伝子流動の水準は低度から中程度です。本論文で調べられた高尤度モデルはどれでも、ナマ人と他の人口集団との間の分岐は14万年前頃以前とはなりませんでした。本論文の結論は、現在の現生人類集団の構造の地理的パターンは、おそらくMIS5に生じた、というものです。アフリカにおいてそれ以前の人口構造の証拠が見つかりますが、現在の人口集団はより古い「幹」集団に容易に位置づけられ、それは現在の人口集団間の浮動の小さな割合のみが、「幹」間の浮動に寄与できるからです(図4)。

 推測された最近の歴史の一貫性と、多数の媒介変数を最適化する数値的難しさを考慮して、最近の人口史と関連するいくつかの媒介変数を固定し、より古代の事象に焦点が当てられました。これらの媒介変数は、複数の遺伝学的および考古学的研究により裏づけられました(関連記事)。固定された媒介変数には、6万年前頃と設定されたアフリカの東西の人口集団間の分岐年代が含まれ、この年代は、ユーラシア人とアフリカ東部人の5万年前頃の分岐の直前です。出アフリカ移動直後の45000年前頃となる、1.5%程度のネアンデルタール人からヨーロッパの人口集団への混合量も固定されました。

 12万年前頃となる分岐後の人口集団の移動率が定量化されました。農耕牧畜民の5000年前頃の拡大以前には、ナマ人の祖先と他の集団との間の移動は、東西のアフリカ人の間で観察されたものよりも一桁少ない、と示されました。全モデルは、アフリカの東西間の比較的高い遺伝子流動を推定します。さらに、完新世初期におけるアフリカに戻る遺伝子流動がエチオピアの農耕人口集団の祖先に影響を及ぼし、その遺伝的祖先系統のほぼ65%を構成する、と分かりました。アムハラ人とオロモ人からナマ人へのかなりの遺伝子流動が観察され、これは恐らくアフリカ東部のヤギとウシの牧畜民の移動の代理である兆候で、本論文では、2000年前頃に25%の祖先系統の寄与を構成する、と推定されました。この遺伝子流動はADMIXTURE図(図2)では明らかではないものの、その祖先系統は恐らく、祖先のアフリカ東部の供給源から明らかに伝えられた、コイサン構成要素へとまとまっていました。ヨーロッパ人からナマ人への植民地期の混合は15%と推定され、ADMIXTUREによれ示唆されて割合(図2)と類似しています。


●アフリカ内の構造の弱い幹

 135000年前頃以前の人口構造を説明するため、4通りのモデルのうち3通りは、ネアンデルタール人との分岐の前もしくは後のどちらかに分岐したかもしれない、2つかそれ以上の幹人口集団を考慮しました。これら幹人口集団間の移動の有無両方のモデルが検討され、両方の事例で拡大段階における異なる2種の遺伝子流動が検証されました。これは補足データの図6に示されており、一方は幹人口集団の拡大の一つ(現在の人口集団への分岐)で、他の(複数の)幹人口集団との連続的な対称的移動が続きます。もう一方は1回もしくは複数回の茎人口集団の拡大で、他の幹人口集団からの即時の「波動(合同)」事象が伴うので、最近の人口集団は複数の祖先人口集団の合同により形成されました。媒介変数値に応じて、このシナリオは古代型人類からの遺伝子移入と断片化および合着モデルが含まれます(図1b・cなど)。

 多くの媒介変数について、ブートストラップに基づく信頼区間は比較的狭く、情報をもたらす統計的手法を反映しています。しかし、モデルの仮定は媒介変数推定値(したがって、実際の不確実性)により大きな影響を及ぼします。このモデルにおける不確実性を伝えるため、可能性の高い2つの推測されたモデルの特徴が浮き彫りにされます。これらは、複数合同および連続移住モデルと呼ばれます。両方とも幹の枝間の移動を許容しますが、幹人口集団の初期の分岐の年代およびその相対的な有効人口規模(Ne)でおもに異なります(図3)。この2つのモデルは分岐の形態でも異なり、複数合同モデルは中期更新世(78万~13万年前頃)における人口集団の網目状(つまり人口集団図における輪、図1b)を特徴とします。以下は本論文の図3です。
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 幹人口集団間の連続的な移動を許容することで、幹間のゼロ移動と比較して適合性が大きく改善されます。幹間の連続的な移動では、人口構造は100万年以上前までさかのぼります。これらのモデルにおける幹間の移動は中程度です。比較すると、これは過去5万年間の継続された現在の人口集団間の推定移動率と類似しています。この継続中(もしくは少なくとも周期的な)遺伝子流動は、以前に提案された古代型人類との混合モデルからこれらのモデルを定性的に区別し、それは、初期の枝が密接に関連したままで、各枝は全ての現在の人口集団に大量に寄与しているからです(図4)。この関連性のため、現在の人口集団におけるわずか1~4%の遺伝的分化が、この初期の人口構造にたどることができます。以下は本論文の図4です。
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 連続的移動モデルでは、2つの幹のうち一方(幹1)がアフリカの西部と南部と東部の現在の人口集団につながる系統に分岐し、もう一方(幹2)がそれらの人口集団にさまざまな割合の祖先系統を寄与しました。幹2からの移動は、ナマ人やアフリカ東部の人口集団と比較してメンデ人で最も高く、移動は5000年前頃までに起きた、とされます。ナマ人とメンデ人とグムズ人から標本抽出された系統は、幹1の拡大(135000年前頃)時期において幹2にある確率は、それぞれ0.145と0.20と0.130ですが、これらの確率は経時的に変化し、固定した混合割合との概念は除外されます。

 対称的に、複数合同モデルでは、幹人口集団はさまざまな割合で合併し、さまざまな現在の集団を形成します。ネアンデルタール人の枝との分岐後に、幹1ではNe=100までの急激なボトルネック(瓶首効果)が観察されます。これは本論文の最適かで許容される下限(100のNe)を表していますが、このボトルネックの規模はあまり制約されていません(95%信頼区間で100~851)。幹2との長期の交換後に、幹1は幹1Eと幹1Sに478000年前頃に分裂します。この分岐の時期も、あまり制約されていません(95%信頼区間で47800~276000年前)。これらの人口集団は、幹1S(30%) と幹2(70%)が合同してナマ人の祖先を形成した119000年前頃(125000~101000年前)まで、独立して進化しました。同様に、幹1Eと幹2は同じ割合(各50%)で合同し、アフリカ西部および東部人(たがって、出アフリカ事象期において後に拡散した全個体)の祖先を形成しました。

 最後に、メンデ人は幹2から遺伝子流動の大きな追加の波動を受け取り、25000年前頃(26000~22000年前)にその人口の19%(18~21%)が置換されました。アフリカ西部のメンデ人へのその後の幹2の寄与は、モデル適合性を向上させました。これは大まかに言えば、祖先的な幹2人口集団がアフリカの西部もしくは中央部に居住していたことを示唆しているかもしれません。ナマ人とアフリカ東部人における異なる割合も、アフリカ南部における幹1Sとアフリカ東部における幹1Eの地理的分離を示唆しているかもしれません。

 分析や参照人口集団の選択に対する推測されたモデルの堅牢性を評価するため、補足情報6と7には、ヨーロッパとアフリカ西部の人口集団における変化を伴う再分析と、組換え図や選別戦略や媒介変数最適化戦略が含まれます。推定された媒介変数においていくつかの違いが見つかりましたが、全ての再分析にわたる最適モデルは定量的に一貫しています。


●一連の遺伝学的証拠の一致

 先行研究は、条件付き部位頻度範囲(conditional site frequency spectra、略してcSFS)と遺伝子系図の再構築という2つの遺伝子座統計を用いて、アフリカにおける古代型人類との混合を見つけてきました。しかし、これらの研究のどれも、弱く構造化した幹を考慮していませんでした。観察されたcSFS(ネアンデルタール人標本に存在した派生的アレルを条件とします)は、この統計が適合で用いられなくてさえ、合同モデル(図5a・b・c)によりよく説明されている、と分かりました。本論文の最適モデルは、cSFSに直接適している古代型人類との混合モデルよりも性能が優れています。具体的には、一致の定性的改善をもたらす幹間の移動の追加です。以下は本論文の図5です。
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 ソフトウェアRelateを用いて、実際のデータと本論文の推測されたモデルから模擬実験されたデータ両方で経時的な合着率の分布が推測されました。多くの先行研究は、ヒトにおける100万~10万年前頃の合着率の減少を光武野で、同じ期間におけるNeの増加を推測しました。この推測されるNeの増加は、人口規模の増加か、中期更新世における祖先の人口構造のためかもしれません。単一起源モデルを含めて全てのモデルは、100万~10万年前頃のNeの祖先の増加を再現しました。単一起源モデルはその期間におけるNeの増加によりこれを達成しますが、最適モデルは人口規模の対応する変化なしにこのパターンを再現します。

 最近、相対交差合着率(Relative cross-coalescence rates、略してRCCR)を用いて、人口集団の組み合わせ間の分岐が推定されました。これは、人口集団の合着内の平均で割った2集団間の合着率により測定されます。しかし、RCCRの精度の模擬実験は、集団がその後の遺伝子流動なしに分岐する、人口集団間の明確な分岐に焦点を当てています。RCCRでの最初のヒト分岐の刊行された推定値は、年代の範囲が15万~10万年前頃で、本論文で推測されたような遺伝子流動のあるより複雑なモデルと比較すると、かなり偏っているかもしれません。RCCRの推定中央値は人口集団の分岐としては不充分な推定で、50%かそれ以上、分岐年代を過小評価することが多く(たとえば、メンデ人とグムズ人については、実際の分岐年代である6万年前頃と比較して、15000年前頃となります)、最近の移動は分岐自称の順序の誤りにつながるかもしれない、とわかりました。本論文は、遺伝子流動を含めて複数の媒介変数に適さないRCCR分析は注意深く解釈すべきである、と提案します。

 他の諸研究は、アレル(対立遺伝子)頻度の分布もしくは関連する統計を用いて、系統樹的な人口統計学的モデルをアフリカの人口集団に当てはめ、一部が本論文の発見よりも古い一致しない分岐年代を見つけてきました。補足情報7.4では、この不一致がモデルの誤設定により説明できる、と示されます。分岐が一定の人口規模の移動モデルでの孤立を用いて推定されるものの、正確なモデルが古代の人口増加もしくは人口構造を有しているならば、推測されたモデルの分岐年代は正しいモデルよりもはるかに古くなります。直感的には、祖先人口集団における増加や構造は、一定の規模の任意交配人口集団と比較して合着年代を増加させるので、一定の人口規模を仮定するモデルは、合着年代の分布と関連する統計を適合させるためにより古い分岐年代を必要とします。


●考察

 ヒトの歴史の詳細なモデルを構築する試みは、モデルの誤設定に左右されます。これは、単一起源モデルと一致しないデータは古代型人類との混合により説明されるべきだ、と仮定することが多かった先行研究に当てはまります。この研究にもそれが当てはまります。初期のヒトの人口構造の妥当なモデルの空間を完全に調べるのは困難ですが、本論文は、初期の歴史の複数の媒介変数表示の調査により、このモデルにおける不確実性の把握を試みました。本論文で提示された最適モデルには、長く孤立した枝からの古代型人類との混合(図1c)ではなく、初期のヒト集団間の網目状と移動が含まれます。現在の人口集団の最近の年代と異なる幹間の遺伝子流動で示唆されるように、最近の拡大およびアフリカ多地域進化説両方の要素(図1a・d)が、本論文の最適モデルの特徴です。

 追加の幹か、より複雑な人口構造か、弱い構造と古代型人類との混合の両方を含む交雑モデルが、データをより適切に説明できる可能性は除外できません。分岐年代や移動率や初期の幹の相対的規模と関連する媒介変数は、これらの媒介変数間の交絡を反映してモデル間で変動するので、本論文はこの期間におけるより多くの媒介変数と関連する追加の枝の導入を控えました。本論文は、数十万年にわたるよく定義され安定した人口集団を表すものとして2つの幹を解釈するのではなく、構造の弱い幹が人口集団の断片化および合着のモデルと一致する(関連記事)、と解釈します。アフリカ中央部の人口集団や他のコイサン集団や完新世の前の古代DNA標本など、他のアフリカの人口集団は、本論文で提案されたモデルをさらに検証できるでしょう。


●アフリカにおける人口構造の形成

 本論文の推測モデルは、組換え時計から得られた推定値が地質学的年代と正確に関連している、と仮定して、変化の重要期間としての中期~後期更新世の一貫した全体像を描きます。中期更新世後半には、複数の合同モデルがアフリカにおける3つの主要な幹系統を示唆しており、暫定的にアフリカの南部(幹1S)と東部(幹1E)と西部/中央部(幹2)に割り当てられます。地理的関連は、各幹からの最大の祖先系統の寄与を伴う現在の人口集団の位置により決められました。たとえば、幹1Sはコイサン人の祖先の形成に70%ほど寄与しています。幹1Sと幹1Eと幹2の間の40万年程度の孤立から、これらの幹は相互に近くなかった、と示唆されます。これら幹間の孤立の長さはその適合間で異なりますが、分岐していた期間と孤立およびその後の混合事象(つまり網目状)は、二分された分岐と連続的な遺伝子流動のモデルよりも性能が優れていました。

 人口集団の網目状には、集団の形成に遺伝的寄与する複数の幹が含まれます。これが起きる可能性のある一つの道筋は、一方もしくは両方の幹の地理的拡大を通じてです。たとえば、MIS5にアフリカ南部の幹1S(図3b)が北方へ移動し、したがって幹2に遭遇したか、幹2がアフリカ中央部/西部から幹1Sへと南方へ移動したならば、現在の集団の異なる幹からの不釣り合いな祖先系統の寄与が観察でき伸す。本論文は2つの合同事象を観察しました。一方は幹1Sと幹2との間のもので、12万年前頃に祖先的コイサン人口集団の形成をもたらしました。

 もう一方は10万年前頃の幹1Eと幹2との間のもので、アフリカ外の人々の祖先を含めて、東西のアフリカ人の間の祖先の形成をもたらしました。網目状モデルには、独特でよく定義された基底部人口集団の分岐がありません。しかし、集団遺伝学における人口集団の分岐年代の解釈は常に難しく、それは、分岐年代とその後の移動の共推定に起因します。すっきりして網目状の分岐を仮定する手法は、さまざまな分岐年代を推測できます。したがって文献では、広範な差異が分枝年代の推定に存在します(関連記事)。

 14万~10万年前頃となるアフリカ大陸全域にわたる湿潤と乾燥の状態の変化は、分岐した幹間のこれらの合同事象を促進したかもしれません。降水量はアフリカでは間氷期の周期が適切に追跡されておらず、地域間の不均一性は、アフリカ東部における乾燥期の始まりがアフリカ南部における湿潤期の開始であることを意味しているかもしれません。MIS5eの間氷期における海水準の急速な上昇は、たとえば古アガラス(Agulhas)平原で示唆されてきたように、沿岸部から離れて内陸部への移動を促進したかもしれません。これらの合同事象の後に続いて、幹は過去12万年間にわたって存続した亜人口集団へと分裂しました。これらの亜人口集団は、アフリカ大陸全域にわたるその後の遺伝子流動にも関わらず、現在の集団とつながっているかもしれません。たとえば、グムズ人で標本抽出された遺伝的系統は、アフリカ南部の亜人口集団から継承される確率が0.06であることと比較すると、アフリカ東部の祖先的な亜人口集団から継承される確率が0.7です。

 幹2が26000~20000年前頃となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)にアフリカ西部人に寄与し続けたことも分かり、この遺伝子流動が恐らくはアフリカの西部および/もしくは中央部において起きたことを示唆しています。本論文はさまざまな確認検定を実行し、固定された媒介変数の緩和を含めて、本論文の仮定の感度を調べました。確認検定のほとんどは、上述のモデルと類似の媒介変数をもたらしました。しかし、一つの例外は、推測された出アフリカとアフリカの東西の分岐で、本論文の固定された媒介変数よりも10000~15000年ほど新しくなりました。より新しい年代は、考古学(関連記事)と気候(関連記事)と化石(関連記事)の情報に基づく、5万年前頃となる後の人口集団に寄与した出アフリカ拡大の受け入れられている年代と一致しません。

 模擬実験では推測手法に偏りがないので、本論文はアフリカ東部とヨーロッパの分岐の自由推定を、モデルの全媒介変数に影響を及ぼすかもしれない体系的な偏りではなく、モデルにおける単一の出アフリカ人口集団のみが含まれていることと、アフリカに戻った近くの供給源がないことと、他の地域的に複雑な媒介変数の反映として解釈しました。本論文の推測されたモデルのより古い汎アフリカ的特徴は、これら固定された媒介変数の選択による影響は最小限です。


●対照的な祖先構造モデル

 ユーラシアにおける古代型人類との混合の証拠は、古代型人類との混合がアフリカでも起きた可能性を補強します。したがって、単一起源モデルと一致しない多型のパターンを説明しようとした先行研究は、古代型人類のデータに適合させるために必要な追加の(亡霊)の枝を参照することと、深い分岐の仮定(もしくは推測)により、代替的なモデルとして古代型人類との混合に焦点を当てました。これらの観点は、ゲノム(関連記事)と初期現生人類の進化など化石(関連記事)の両方の解釈を志向してきました。本論文では、構造の弱い幹モデルが、多型の明らかに不一致のパターンをより適切に把握する、と示されてきました。

 古代型人類との混合モデルよりも構造の弱い幹のモデルを優先することには、さまざまな意味があります。第一に、構造の弱い幹では、アフリカにおける古代型人類集団が遺伝子流動の開始前に数十万年間、ヒトの祖先系統から繁殖で孤立したままだった、と仮定する必要がありません。代わりに、アフリカにおれる2つもしくはそれ以上の集団間の連続的もしくは繰り返しの接触が単にあったのでしょう。第二に、調節領域におけるネアンデルタール人祖先系統の枯渇の形で、現代人のゲノムには、古代型人類の派生的アレルの有害なものと適応的なものの両方に関する証拠か(関連記事)、チベット人におけるEPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)遺伝子など、古代型人類関連のハプロタイプの頻度上昇があります(関連記事)。

 以前のアフリカの古代型人類との混合モデルでは、推定8~10%の遺伝子移入率はネアンデルタール人からの遺伝子流動よりずっと高く、恐らくは古代型人類の派生的ハプロタイプに関する若しくは対するかなりの選択の肥沃な土地だったでしょう。対照的に、構造の弱い幹での適応は、ずっと長い期間にわたって一貫して起きたでしょう。単一の幹モデル予測と一致しない多型パターンは、推定される古代型人類との混合断片、そうした断片に対する負の選択(関連記事)、広範な正の選択の推測に用いられてきました。しかし、そうした手法は、移動を伴う人口構造の存在における偽陽性の数の多さに影響を受けやすく、その解釈はアフリカ内の構造の弱い幹モデルに照らして再調査されるべきです。

 第三に、複数の研究が、通常は頭蓋の計測により評価される表現型の分化と、人口集団間およびヒトとネアンデルタール人との間の遺伝的分化との間に対応一致を示してきました。この対応から、本論文の予測は化石記録に関連づけられることがあり得るかもしれません。13000年前頃となるナイジェリアのイホ・エレル(Iho Eleru)遺跡、25000~20000年前頃となるコンゴ民主共和国のイシャンゴ(Ishango)遺跡、40000~35000年前頃となるエジプトのナズレット・カーター(Nazlet Khater)遺跡の化石など、一部の現生人類化石には、古代型人類からの最近の遺伝子流動を反映しているかもしれず、以前に推測された古代型人類との混合シナリオを裏づけるのに用いられてきた(関連記事)、形態学的特徴があります。

 構造の弱い幹モデルは、これらの化石の祖先系統で起きた古代型人類との混合と一致しませんが、対照的に、そうした個体が現代人へ多くの祖先系統を提供した可能性は低い、と示唆します。アフリカの化石記録は、幹の初期(20万年以上前)には疎らです。この期間の年代測定された化石のうち、一部は現代人と形態において全体的にかなり類似しており、たとえばエチオピアのオモ・キビシュ(Omo-Kibish)のオモ1号です(関連記事)。これに対して、他の化石は現代人と一部の形態学的特徴が類似しており、たとえば、モロッコのジェベル・イルード(Jebel Irhoud)遺跡のイルード1号です(関連記事)。また、他の化石は現生人類以外の種に分類されるのに充分なほど形態が異なっており、たとえば南アフリカ共和国のディナレディ空洞(Dinaledi Chamber)のDH1です(関連記事)。本論文のモデルが予測するように、幹間の遺伝的距離が現在の人口集団間のそれと類似していたならば、最も形態学的に分岐した化石が、現代人の祖先系統に明らかに寄与した枝を表している可能性は低そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


進化学:アフリカにおける人類の起源のモデル化

 アフリカにおける人類の起源を記述する場合、数十万年の間に進化系統樹の2本以上の枝が分岐した(しかしその後も混合が繰り返し起こった)というモデルを用いるのが最も適切であり、このいわゆる「weakly structured stem(弱く構造化したステム)」が、アフリカのヒト祖先集団の形成に寄与したという考え方を示す論文が、Natureに掲載される。この祖先集団は、その後、現代のアフリカ系集団だけでなく、アフリカ以外で生活する全ての集団に分岐した。

 ホモ・サピエンスの起源はアフリカにあると広く理解されているが、人類の進化系統樹の枝がどのように分岐し、人類がアフリカ大陸をどのように移動したかといった点については、確かなことが分かっていない。その理由としては、化石データや古代ゲノムデータが少ないことと、現代人のDNAを使って構築されたモデルを用いた予測と化石記録が一致しない場合があるという事実が挙がっている。

 今回、Aaron Ragsdale、Brenna Henn、Simon Gravelらは、アフリカ南部、東部、西部の集団ゲノムデータを取り入れて、古人類学と遺伝学の文献で提案されたアフリカ全土での人類の進化と移動に関する数種類の競合モデルを検証した。このゲノムデータには、現代のアフリカ南部の先住民集団であるナマ人(44人)の新たに塩基配列決定されたゲノムも含まれている。ナマ人の遺伝的多様性は、他の現生人類集団と比較して非常に高いことが知られている。著者のモデルによると、現代のヒト集団のゲノムデータから検出可能な初期人類集団の最古の分岐は、集団間の遺伝的分化が弱い2つ以上のヒト属人類集団が数十万年にわたって混合を続けた後に起こり、今から12万~13万5000年前のことだったと示唆されている。古代ヒト族は、この集団分岐の後もステム集団の間を移動していたため、弱く構造化したステムが形成された。著者らは、このモデルは、従来のモデルと比べて、ヒト個体間とヒト集団間の遺伝的多様性をよりよく説明できると考えている。

 著者らのモデルを用いた予測によれば、現生人類の集団間の遺伝的分化の1~4%は、このステム集団の遺伝的多様性に起因していると考えることが可能だとされる。そして、著者らのモデルは、化石記録の解釈に重要な影響をもたらす可能性がある。進化系統樹の枝の間で移動があったため、こうした複数のヒト系統は形態的に類似していた可能性が非常に高い。これは、形態的に異なるヒト科動物(ホモ・ナレディなど)が、ホモ・サピエンスの進化に寄与した進化系統樹の枝であった可能性は低いことを意味している。


遺伝学:アフリカのヒト集団の複雑な系統関係

 今回、アフリカのヒト集団の動態に関する複数のモデルが検討され、弱い幹構造を想定するモデルが、アフリカにおける太古の人類の起源を最もよく描写することが見いだされている。



参考文献:
Ragsdale AP. et al.(2023): A weakly structured stem for human origins in Africa. Nature, 617, 7962, 755–763.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06055-y

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