大河ドラマ『どうする家康』第20回「岡崎クーデター」
今回は岡崎での徳川家臣の謀叛計画が描かれました。本作と同じく徳川家康を主人公とする1983年放送の大河ドラマ『徳川家康』では、一時は大賀(本作では近年の研究の進展を踏まえて大岡)弥四郎が主人公とも言えるほど目立っていましたが、本作の大岡弥四郎は今回のみの登場となりそうで(今後、回想で描かれるかもしれませんが)、そこまで重要な役割を担うわけではなさそうです。まあ、1983年放送の大河ドラマ『徳川家康』では、大賀弥四郎は瀬名(築山殿)と肉体関係を結び、そこからは築山殿の主人であるかのように振る舞い、武田と通じて謀叛を計画したのが露見し、極刑に処されたので、築山殿の人物造形が大きく異なる本作では、当然そうした展開にはならず、大岡弥四郎の役割もそこまで大きくはない、ということなのでしょう。
大岡弥四郎などが武田と通じたのは、武田信玄が没しても武田は有力戦国大名の一つで、高天神城が武田方に奪われたように、徳川が武田に対してむしろ劣勢に立っていたからなのでしょう。本作では大岡弥四郎がどのように動き、その意図は何なのか、注目していましたが、人物像がほとんど明かされないままいきなり謀叛計画とその失敗が描かれ、大岡弥四郎には注目していただけに、やや残念でした。ただ、大岡弥四郎の言い分が、徳川家臣団の不満を表すものだったことは、上手く構成されていたように思います。この謀叛事件で、山田八蔵が謀叛側から寝返った理由は、瀬名に恩を受けたことされ、本作は一貫して瀬名を善良な人物として描いており、この点は1983年放送の大河ドラマ『徳川家康』とは大きく異なります。
岡崎城の松平信康とその妻の五徳との言い争いは、夫婦間に亀裂が生じていることを示しているのでしょうか。信康は義父の織田信長に不満を抱いているようで、これが瀬名と信康の死につながっていくのかもしれません。それ以上に、瀬名と五徳との関係が悪いようで、今回の瀬名から五徳への叱責も、普段から両者が相互に不満を抱いている、と示唆するような描写だったと思います。すでに週刊誌などで本作の山場は瀬名の死と明かされており、これには五徳が大きく関わってきそうです。五徳は気位の高い人物として描かれており、これまでの印象はよくありませんが、今後別の側面を見せることもあるのでしょうか。ただ、瀬名は武田の間者である千代と接触して何らかの駆け引きを試みているようなので、瀬名の死には、千代の方が重要な役割を果たすのかもしれません。
大岡弥四郎などが武田と通じたのは、武田信玄が没しても武田は有力戦国大名の一つで、高天神城が武田方に奪われたように、徳川が武田に対してむしろ劣勢に立っていたからなのでしょう。本作では大岡弥四郎がどのように動き、その意図は何なのか、注目していましたが、人物像がほとんど明かされないままいきなり謀叛計画とその失敗が描かれ、大岡弥四郎には注目していただけに、やや残念でした。ただ、大岡弥四郎の言い分が、徳川家臣団の不満を表すものだったことは、上手く構成されていたように思います。この謀叛事件で、山田八蔵が謀叛側から寝返った理由は、瀬名に恩を受けたことされ、本作は一貫して瀬名を善良な人物として描いており、この点は1983年放送の大河ドラマ『徳川家康』とは大きく異なります。
岡崎城の松平信康とその妻の五徳との言い争いは、夫婦間に亀裂が生じていることを示しているのでしょうか。信康は義父の織田信長に不満を抱いているようで、これが瀬名と信康の死につながっていくのかもしれません。それ以上に、瀬名と五徳との関係が悪いようで、今回の瀬名から五徳への叱責も、普段から両者が相互に不満を抱いている、と示唆するような描写だったと思います。すでに週刊誌などで本作の山場は瀬名の死と明かされており、これには五徳が大きく関わってきそうです。五徳は気位の高い人物として描かれており、これまでの印象はよくありませんが、今後別の側面を見せることもあるのでしょうか。ただ、瀬名は武田の間者である千代と接触して何らかの駆け引きを試みているようなので、瀬名の死には、千代の方が重要な役割を果たすのかもしれません。
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