メキシコの先スペイン期遺跡個体の遺伝的データ

 メキシコの先スペイン期遺跡で発見された人類遺骸の核ゲノムデータとミトコンドリアDNA(mtDNA)データを報告した研究(Villa-Islas et al., 2023)が公表されました。日本語の解説記事もあります。古代DNAはヒト集団の移動と遺伝的遺産について多くを明らかにしてきました。しかし、DNAは暑い気候ではひじょうに分解しやすく、気候的制約のため地域や祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の研究がひじょう不均衡になります。アリドアメリカ(現在のメキシコ北西部とアメリカ合衆国南西部)とメソアメリカは、それぞれメキシコの北部と中央部における2つの異なる文化的地域で、紀元前2500年頃~紀元後1521年に多くの先スペイン期文明が存在しました。これらの地域間の区分は、1100年前頃に深刻な旱魃のため南方に移動し、アリドアメリカの人々によるメキシコ中央部の人口集団の置換を引き起こした、とされています。

 本論文は、メキシコ全体の先スペイン期の8ヶ所の遺跡で発見された12個体のショットガンゲノムの規模データと27個体のミトコンドリアゲノムを提示し、これにはアリドアメリカとメソアメリカの変化する境界における2個体が含まれます。その結果、気候変化事象にまたがる人口連続性と、過去2300年間にわたる現在のメキシコ全体の遺伝的構造の広範な保存が見つかりました。最後に、2つの古代の標本抽出されていない「亡霊(ゴースト)」人口集団のメキシコ北部および中央部の先スペイン期人口集団への寄与が特定されました。


●要約

 1100~900年前頃、地球全体の温暖化事象が世界規模で多くの多くの文明【当ブログでは原則として文明という用語を使わないことにしていますが、この記事では「civilization」の訳語として使います】に影響を及ぼしました。アメリカ大陸では、深刻な旱魃が生態学的景観や先スペイン期文明の人口動態を再形成しました。本論文は、この気候変化事象の前後となる先スペイン期12個体の古代ゲノムデータを報告し、メキシコ北方のアリドアメリカとメキシコ中央部および南部のメソアメリカという2つの生物文化的地域間の人口動態を限界まで調べます。

 考古学的証拠から、旱魃が砂漠のアリドアメリカと、アステカやマヤのような大規模文明の故地である、青々と木が茂って文化的に豊かなメソアメリカとの間で、その教会を南方へ動かした、と示唆されます。この気候変化は、アリドアメリカからの半遊動的な狩猟採集民による、メソアメリカの北方の辺境地における人口置換につながったようです。しかし、この仮説は考古学的データのみに依拠しているので、本論文は古代人のゲノムデータとミトコンドリアDNA(mtDNA)データを生成し、この仮説を検証しました。さらに、本論文はこれらのデータを活用して、メキシコの古代の人口構造を記述し、古代人のゲノムへの標本抽出されていない遺伝的系統の寄与を調べます。

 先スペイン期の人口構造は、北部と中央部の先住民人口集団を明確に区別する、現在のメキシコで観察される構造とひじょうに類似しています。これは、少なくとも1400年間にわたる(この研究で最古の個体の年代)、現在のメキシコの領域に暮らす人口集団の遺伝的構造の全体的な保存を反映しています。気候変化事象の前後の古代の個体群における遺伝的連続性が見つかりました。これは、この地域におけるアリドアメリカ集団による人口置換との仮説と矛盾し、在来の人口集団が長期間の旱魃にも関わらず故地に留まったことを示唆します。調べられた遺跡における人口連続性は、高くて湿潤なシエラ・ゴルダ(Sierra Gorda)山脈における好適地と、主要な経済活動が辰砂採掘であり農耕ではなかった、という事実により説明できるかもしれません。メキシコの北部と中央部それぞれの先スペイン期人口集団への、2つの独特な標本抽出されていない「亡霊(ゴースト)」遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の寄与が確認されました。北部集団のゲノムへ寄与した標本抽出されていない遺伝的祖先系統は、メキシコ南部の現在の人口集団で以前に特定された祖先系統と一致し、第二の亡霊遺伝的祖先系統は、以前には知られていませんでした。

 古代ゲノムは過去1400年間のメキシコにおける遺伝的構造の保存と、1100年前頃の深刻な旱魃にも関わらず、メソアメリカの北方の辺境地において人口構造が連続したことを明らかにしました。採掘に基づく経済が、アリドアメリカとメソアメリカとの間の境界が南方に動いた、この気候変化期における人口集団の故地での存続を可能にした可能性が高そうです。新たな亡霊遺伝的祖先系統(UpopA2)の特定は、シエラ・タラフマラ(Sierra Tarahumara)の古代人と現在のミヘー人(Mixe)で観察された亡霊祖先系統とともに、アメリカ大陸の後期更新世における複雑な人口史を明らかにします。倫理的に行なわれるメキシコの古代人のゲノムの回収と研究は、アメリカ大陸の深い人口史の理解における重要な間隙を埋めるのに役立つことができます。


●研究史

 ヨーロッパによる植民地化以前、現在のメキシコの領域は2つの主要な文化的地域を占めた多くの文明の故地でした。それは、おもに狩猟採集民が暮らしていたメキシコ北部のアリドアメリカと、アメリカ大陸における最大級の先スペイン期の農耕に基づく文明のいくつかが紀元前2500年頃~紀元後1521年にかけて繁栄した、メキシコ中央部および北部のメソアメリカです(図1)。アリドアメリカとメソアメリカとの間の区別は、そこに暮らしていた人々の文化的特徴と生計戦略、および各地域の生態学的特徴に基づいています。考古学的証拠から、これら2地域間の境界は数十年にわたる旱魃後の紀元後900~1300年頃に南方へ動いた、と示唆されます。この期間は、世界の他地域では中世温暖期としても知られています。この旱魃は、アリドアメリカから到来した半遊動的狩猟採集民であるチチメカス人(Chichimecas)によるメソアメリカの北方辺境における人口置換につながり、一部の先スペイン期社会の崩壊とメキシコ中央部および南東部におけるメソアメリカ諸都市の放棄を促進したようです。以下は本論文の図1です。
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 メソアメリカの北部辺境における人口置換の証拠は、考古学的記録にのみ由来します。この変化が移住の産物なのか文化変容なのか、長年考古学者が議論してきました。したがって、これら2地域全体のこの気候変化期にまたがる古代の人口集団の遺伝的差異の研究は、この劇的な環境変化に対応すね地域的な人口動態の解明に必要です。しかし、メキシコの先スペイン期人口集団の古代ゲノムデータはひじょうに限られており、メキシコ北部に限定される数個体の11点の低深度(0.3倍未満)のゲノムを報告した2つの研究があるだけで(関連記事1および関連記事2)、メキシコ中央部および南部では利用可能な先スペイン期個体のゲノムはありません。

 本論文は、メキシコの先スペイン期個体のこれまでで最も広範な一式の、完全なミトコンドリアゲノムとショットガンゲノム規模データを報告します。本論文はこのデータを、他の古代アメリカ大陸先住民およびメキシコの現在の先住民人口集団の公表されている利用可能なデータセットとともに分析します。古代ゲノムデータのこの大規模な概要により、現在メキシコにより占められている領域における先スペイン期の遺伝的構造の研究が可能になり、メソアメリカの北方辺境における人口動態に関する長年の問題の回答に役立ちます、メキシコ中央部の複雑な構造を解明し、メキシコの人口集団への標本抽出されていない遺伝的系統の以前には知られていなかった古代の寄与が明らかになります。


●標本

 メキシコ中央部のメソアメリカ内の7ヶ所の遺跡で発掘された、先スペイン期37個体の考古学的標本が検査されました。このうち、3ヶ所はケレタロ(Querétaro)州のシエラ・ゴルダにあり、トルキッラ(Toluquilla)およびラナス(Ranas)遺跡とカデレイタ・デ・モンテス(Cadereyta de Montes)の洞窟です。3ヶ所はミチョアカン(Michoacán)州にあり、サラゴーサ(Zaragoza)とタンウアト(Tanhuato)とラ・ミーナ(La Mina)の各遺跡です。残りの1ヶ所はグアナファト(Guanajuato)州にあるカニャダ・デ・ラ・ビルヘン(Cañada de la Virgen)遺跡です(図1)。さらに、先行研究(関連記事)ではより低頻度で配列決定された、メキシコ北部のアリドアメリカのシエラ・タラフマラで発見されたミイラ2個体で追加のショットガンデータが作成されました(図1)。

 考古学的なヒト遺骸の標本抽出は、国立人類学歴史研究所の考古学評議会による承認後に行なわれました。不必要な破壊を割けるため、可能な限り再少量の組織が標本抽出されました。歯については、歯冠に損傷を与えずに歯根を分離し、残りの資料は全てかく収集品を担当する考古学者に返却されました。メキシコでは、ヒトの考古学的資料の破壊的分析について先住民集団との協議は法律により義務づけられておらず、調べられた遺跡は先住民共同体内には位置していませんが、本論文は、この種の研究についての規則の詳述において先住民の観点を含む必要がある、と認識しています。この研究は近隣共同体を引き込むため、シエラ・ゴルダの遺跡に最も近い村落に遺伝学的結果を伝える、公開講座を行ないました。

 標本の処理と配列決定の後で、約750年の時間横断区(紀元後600~紀元後1351年頃)にまたがる12個体について、情報を得られる量のショットガン配列データ(深度が0.01~4.7倍)が得られました。これらには、メキシコ中央部のメソアメリカ内の10個体の低深度のゲノムと、シエラ・タラフマラのアリドアメリカの2個体が含まれます。さらに、紀元前320~紀元後1351年頃と約1600年間の時間横断区にまたがるこれらの遺跡全体の27個体で、ミトコンドリアゲノムが再構築され(深度は5.7~1284.8倍)ました。メキシコ北部の古代人9個体のミトコンドリアゲノムと、以前に刊行された古代人3個体のゲノムがデータセットに含められ、現在のメキシコの領域から合計で古代人15個体のゲノムと古代人36個体のミトコンドリアゲノムが得られました。

 本論文は、考古学者により提供された埋葬および個体識別子にしたがって各標本に命名し、2つの分類表示を追加しました。最初の分類表示には、遺跡を指す1~3文字が含まれるのに対して、第二の分類表示は、個体が旱魃期の前(a)か後(b)かを指します。この3つの情報は、下線で区別されます。本論文を通じて、これらの識別子を用いて全個体が言及されます。


●片親性遺伝標識の遺伝的構造と多様性

 すべての染色体性別割り当ては、1個体(染色体はXXで形態に基づくと男性)を除いて形態学的性別と一致しました。性染色体がXYの13個体のうち5個体で、Y染色体DNAハプログループ(YHg)を分類でき、その全てがアメリカ大陸先住民のQ系統でした。これは、古代および現在のメキシコの先住民個体群に関する先行研究と一致します。下位ハプログループの水準では、YHg-Q1b1a(L54)とQ1b1a1a(M3)が見つかり、アリドアメリカとメソアメリカとの間で明らかな違いは見つかりませんでした。

 再構築された27個体のミトコンドリアゲノムすべては、先住民集団で見られるmtDNAハプログループ(mtHg)で、その内訳は、Aが10個体、Bが9個体、Cが4個体、Dが4個体です。他の研究のメキシコの追加の先スペイン期9個体のミトコンドリアゲノムを統合した後で、メソアメリカ(25個体)ではこれら4系統のmtHgすべてが、アリドアメリカ(11個体)ではmtHg-CおよびBのみが見つかりました。一貫して、アリドアメリカと比較してメソアメリカの方でより高いヌクレオチド多様性(π)値が観察されました。

 先スペイン期のmtHgの分布は現在の個体群と類似しており、少なくとも2300年間にわたる母系の遺伝的構造の全体的な連続性を示します。アリドアメリカの利用可能な完全に古代mtDNAゲノムのうち、36%はmtHg-Cで、これはメソアメリカでは頻度が8%に減少しますが、mtHg-Aはその逆で、頻度は、メソアメリカが40%に大してアリドアメリカでは0%です。この勾配は、メキシコの古代と現在の人口集団で以前に観察されていました。さらに、下位mtHg-A2d・B2c・B2lに分類される7個体について、 mtDNA系統樹では以前に報告されていなかった多様体が検出されました。

 シエラ・ゴルダでは、6個体で下位のmtHg-A2dが確認され、そのうち4個体は旱魃前、2個体は旱魃後です。品質選別後、そのうち5個体が中央結合ネットワークに含められました。4個体(旱魃の前後で2個体ずつ)は単一のクレード(単系統群)でともにクラスタ化しました(まとまりました)が、第5の個体はmtHg-A2d内の異なるクレードに留まりました(図2)。とくに、P_CCM_bと2417J_TOL_aはmtHg-A2d内の同じ分岐点で見られます。これは、シエラ・ゴルダにおける深刻な旱魃にも関わらず、この母系が連続したことを反映しています。

 対照的に、シエラ・ゴルダの5個体を含めてmtHg-Bのハプロタイプネットワークから、旱魃前の3個体が下位のmtHg-B2Iを共有しているのに対して、旱魃後の2個体は関連しており、下位のmtHg-B2cを表す分岐点で見られる、と示されます。mtDNAは、系統損失につながる遺伝的浮動を受けやすいので、遺伝的構造もしくは混合事象について正確に情報をもたらすことはできません。mtHgのAとBとの間のこの矛盾したパターンは、小さな標本規模のため検証困難な多くのシナリオにより説明できるかもしれません。これは、人口置換仮説を確実に検証するために、常染色体データを調べる必要がある、と浮き彫りにします。以下は本論文の図2です。
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 mtDNAデータをさらに活用し、先スペイン期(29個体)と現在(232個体)のメキシコにおける拡張ベイズスカイラインプロット(Extended Bayesian Skyline Plot、略してEBSP)を用いて、mtHgごと及び全mtHgをまとめて、過去の女性の有効人口規模(Ne)が推定されました。すべてのEBSP実行は、現在のメキシコのみのEBSPを除いて、広範な(95%)信頼区間(confidence intervals、略してCI)を示し、5000年前頃の人口拡大と500年前頃の人口減少が観察されましたが、中央値は後者を裏づけません。広範なCIにも関わらず、mtHgごとに推定される女性の有効人口規模の間には明確な区別があり、mtHg-Aは最高の現在値(104048)に達し、mtHg-Dがそれに続き(100812)、mtHg-B(37155)およびC(7226)ではそれらからほぼ1桁減少しています。

 推定値を改善し、より広い地理的範囲で過去の女性のNeについての洞察を得るため、本論文のデータセットが南アメリカ大陸の利用可能な過去のmtDNA配列と統合されました。mtHg-A・B・DのEBSPもそれぞれ広範なCIを示しますが、mtHg-Cは15000年前頃に恥じ来る人口拡大と5000年前頃に始まる人口減少の明確なパターンを示します。以前の観察と一致して、推定された女性のNeは、統合されたデータセットではmtHg-BおよびCよりもmtHg-AおよびDの方で顕著に高くなります。


●先スペイン期メキシコにおける常染色体の遺伝的構造

 本論文はADMIXTUREと主成分分析(principal component analysi、略してPCA)を実行し、先スペイン期個体群と、北・中央・南アメリカ大陸を表す他の古代の個体群と、現在のメキシコの先住民およびアメリカ大陸の人口集団との間の遺伝的関係と遺伝的構造を常染色体水準で視覚化しました。メキシコの全ての先スペイン期個体は、カリフォルニア州とベリーズとパタゴニアの全ての古代の個体と同様に、PCAではメキシコの現在の先住民集団とともにクラスタ化し、ADMIXTURE分析では類似の遺伝的構成要素を共有していました。

 本論文は、低深度の古代ゲノムの高い欠落断片を修正する「欠落DNA」PCA(missing DNA PCA、略してmdPCA)と命名された手法を用いて、メキシコの先スペイン期および現在の人口集団のみの主成分空間に先スペイン期個体群を投影しました。mdPCAにおいて、全ての古代の個体は同じ地域の現在の人口集団と密接にクラスタ化し、例外は。現在のメキシコ北部と中央部の人口集団の中間に位置する1個体(MOM6_ST_a)です。シエラ・ゴルダの旱魃前後の全個体は、現在の、ハリスコ(Jalisco)州のナワ人(Nahua)、プエブラ(Puebla)のプレペチャ人(Purépecha)とトトナカ人(Totonac)とナワ人、およびナワ人とともにクラスタ化し、これらの地域はすべてメキシコ中央部に位置します(図3A)。このパターンは、伝統的なPCAおよび先スペイン期個体群の年代で祖先関係を修正する時間的要因分析手法を用いたさいにも再現されました。一致して、6祖先構成要素を仮定するADMIXTUREから、先スペイン期個体群は同じ地域の現在の人口集団で観察されたものと類似の遺伝的祖先系統割合を示し(図3B)、シエラ・ゴルダの個体群は居住していた期間とは無関係に均質な遺伝的組成を示す(図3B)、と明らかになりました。以下は本論文の図3です。
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 次に本論文はD統計および外群f3統計のいくつかの組み合わせを実行し、古代と現在の人口集団の遺伝的構造をさらに調べました。外群f3統計はf3形式(検証対象、供給源1;ヨルバ人)で、検証対象は分析された先スペイン期個体、供給源1は現在の先住民集団です。D統計はD形式(集団1、集団2;検証対象、ヨルバ人)で、検証対象は分析された先スペイン期個体で、集団1および2は現在の先住民集団の全てのあり得る組み合わせです。ヨルバ人は両検定で外群集団です。分析の結果、F9_ST_aは他の現在の人口集団とよりも現在のメキシコ北部の現在の人口集団の方とより高い遺伝的浮動を共有しており、D形式(集団1、ララムリ人;F9_ST_a、ヨルバ人)で検証された場合に他の人口集団とよりも現在のララムリ人(Rarámuri)の方と有意に密接に関連している、と分かりました。しかし、古代の個体における読み取り数と現在の人口集団におけるアレル(対立遺伝子)頻度を考慮した人口連続性検定は、F9_ST_aと現在のララムリ人との間の人口連続性の帰無仮説を棄却しました。

 メキシコ中央部の先スペイン期個体群の遺伝的祖先系統は、より複雑です。メキシコ中央部の先スペイン期個体群は、f3外群値によると、現在のどの先住民集団ともより高い共有された遺伝的浮動を有していないようで、ほぼ全ての標準誤差が重複していました。さらに、D統計分析では、集団1と集団2の全てのあり得る組み合わせにおいてほぼD=0と分かり、これはそれらの集団間の広範な遺伝子流動を伴い、相互に完全には分岐していない人口集団で予測されました。


●先スペイン期メキシコにおける遺伝的多様性

 メキシコの先スペイン期および現在の先住民個体群で条件付きヌクレオチド多様性(conditional nucleotide diversity、略してCND)と同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が推定され(関連記事)、過去の遺伝的多様性と有効人口規模について推測され、旱魃期の後に起きたかもしれない遺伝的差異のパターンにおける変化が調べられました。CND値とROH分布両方から、メキシコ北部、つまりペリキュエ(Pericúes)とアキメル・オーダム(Akimel O’odham)の先スペイン期と現在の個体群は、それぞれの期間の他の人口集団と比較して、最低のCND 値と4 cM(センチモルガン)超の推測されるROHの最高の合計を有している、と示されます。ペリキュエの狩猟採集民は最低のCND値を有していますが、ROHの割合はパタゴニアの他の古代の狩猟採集民人口集団よりも大きな人口規模を明らかにしました。これらの結果は、南アメリカ大陸の狩猟採集民人口集団における、アメリカ大陸の他地域で観察されたものよりも低い遺伝的多様性とより長いROHを報告した、先行研究と一致します。

 シエラ・タラフマラとトルキッラとカニャーダ・デ・ラ・ビルヘン(Cañada de la Virgen)の先スペイン期個体群は、類似のCND値および推定されるROH断片の合計を示します。トルキッラではCND値は個体の組み合わせ間で年代の違いとともに増加する、と分かり、これは恐らく、旱魃前の個体(2417Q_TOL_b)と旱魃後の個体(2417J_TOL_aと333B_TOL_a)間の489~680年の違いにおける新たな変異の蓄積を反映しています。最後に、ROHの断片規模分布から、本論文で調べられた先スペイン期個体群は小さなNe(2Ne=1600~6400)の人口集団に属していた、と示唆され、現在の北部と南部の人口集団で以前に計算されたNe値と一致します。


●シエラ・ゴルダにおける紀元後900~1300年頃の旱魃の前後の遺伝的連続性

 紀元後900~1300年頃の旱魃期のシエラ・ゴルダにおける人口置換の仮説を形式的に検証するため、外群f3統計とD統計のさまざまな組み合わせが敵有されました。f3形式(検証対象、供給源;ヨルバ人)で検証人口集団として旱魃の前(TOL_bとR_b)と後(TOL_a)のシエラ・ゴルダの個体群が用いられました。供給源については、メキシコの別の古代の個体もしくはアメリカ大陸(北・中央・南アメリカ大陸)の他地域の古代人の代表が用いられました。

 人口置換シナリオでは、旱魃の後に居住していたトルキッラ個体群は、旱魃前に居住していたトルキッラ個体群(2417Q_TOL_bなど)とよりも、アリドアメリカの遺伝的祖先系統を高い割合で有する先スペイン期個体群(ペリキュエやF9_ST_aなど)の方と密接に関連している、と予測されます。代わりに観察されたのは、気候変化事象の前後のシエラ・ゴルダの先スペイン期個体群は、どの先スペイン期個体群とよりも相互に高い遺伝的浮動を共有しており(図4A)、例外は、カニャーダ・デ・ラ・ビルヘン(Cañada de la Virgen、略してCdV)の1個体とよりも高い共有された遺伝的浮動を示す1個体(11R_R_b)である、ということです。しかし、11R_R_bの標準誤差は、その網羅率が低いため高くなります。f3形式(CdV、供給源;ヨルバ人)で検証人口集団としてCdV個体群での外群f3検定では、同じ遺跡の親族関係にある1個体(近縁性分析で推測されます)が供給源として用いられると、最高の外群f3値を示しますが、2番目に高い値の供給源はCdVに属していません。以下は本論文の図4です。
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 D形式(SG_b、SG_a;集団3、ヨルバ人)でD統計が実行され、供給源として各期間のシエラ・ゴルダ(Sierra Gorda、略してSG)個体が用いられ、まず各期間でまとめず、次に各群で個体が統合され、集団3はメキシコの先スペイン期もしくは現在の個体か人口集団です。SG_bが旱魃前の2個体(2417Q_TOL_bと11R_R_b)を表しているのに対して、SG_aは旱魃後の2個体(2417J_TOL_aと333B_TOL_a)を含んでいます。とくに、2417J_TOL_aは、旱魃後の個体群とよりもカリフォルニア州もしくはペリキュエの個体群の方と多くのアレルを共有していましたが、この共有は塩基転換が用いられた時だけは観察されませんでした。

 期間ごとに個体群を統合すると、このモデル下の比較はD=0から有意にそれず、SG_bとSG_aが他の個体群を除くクレードを形成し、他の先スペイン期もしくは現在の人口集団とよりも相互と密接に関連している、ということを意味します。唯一の例外はペリキュエを集団3として用いた場合で、z得点=3.625でD>0となり、これは旱魃後の個体群がペリキュエとより密接に関連していることを示唆します。しかし、有意な偏差は塩基転換のみでの分析で繰り返すと消滅します(図4B)。

 次に、f統計に基づく混合図(qpGraph)を用いて、同じクレードにおいて旱魃期の前後の個体群をまとめたモデルの適合の検証により、シエラ・ゴルダにおける人口連続性シナリオがさらに評価されました。そのモデルでは、古代ベーリンジア(ベーリング陸橋)人としてアラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された(関連記事)11600~11270年前頃の1個体(USR1)、祖先的南アメリカ大陸先住民(Southern Native American、略してSNA)の代理としてアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された(関連記事)10700年前頃の1個体(アンジック1号)、北アメリカ大陸先住民(Northern Native American、略してNNA)の代理として4200年前頃となるカナダの古代オンタリオ州南西部(Ancient Southwestern Ontario、略してASO)の4200年前頃の1個体が用いられました。この分析では、高網ら率の先スペイン期の4個体が含められました。それは、トルキッラの2417Q_TOL_bと2417J_TOL_aと333B_TOL_a、アリドアメリカの代理としてF9_ST_aです。代理の3個体はF9_ST_aから分離した同じクレードでモデル化できますが、これには寄与していません(図4C)。

 最後に、qpWaveを用いて、シエラ・ゴルダの旱魃前後の個体群が、アリドアメリカもしくは他の人口集団からの遺伝的祖先系統の追加の波の必要性なしに人口動態史を共有できるのかどうか、評価されました。じっさい、旱魃前後のシエラ・ゴルダ個体群は、混合事象の必要なしに同じクレードでモデル化できる、と分かりました。対照的に、F9_ST_aとペリキュエとアキメル・オーダムとマヤにおける遺伝的差異を反映するには、追加の遺伝的供給源が必要です。


●メキシコ中央部人口集団の混合モデル

 メキシコ中央部の古代の個体群で観察された複雑な関係を考慮して、qpGraphを用いて追加の人口統計学的モデルが検証されました。先スペイン期人口集団に適合する基本モデルには、祖先的SNAとしてアンジック1号、NNAの代表としてアサバスカ人(Athabascan)、メキシコ各地域を表す先住民集団として、北部はコンカーク人(Konkaak)、中央部はナワ人とプエブラ人、南部はトリケ人(Triqui)が含まれます。さらに、このモデルにはS2AおよびS2B供給源へのSNAの分岐が含まれます。シエラ・ゴルダとCdVの先スペイン期人口集団はSNAとNNAからのさまざまな水準の遺伝的祖先系統を示します。

 シエラ・ゴルダの人口集団は、CdV の人口集団(37%)よりもS2BからのSNA支系の方が割合は他界、と分かりました。CdV の人口集団はNNA支系と共有される遺伝的祖先系統を62%有しており、比較的地理的に近いにも関わらず、これら各人口集団の異なる人口史が示唆されます。このモデルは、中央アメリカ大陸と南アメリカ大陸の人口集団を産み出した2支系間のいくつかの混合事象を報告した、先行研究(関連記事)を裏づけます。ミチョアカンの人口集団については、裏づけのない末端支系が得られたので(ゼロ)、ミチョアカンの先スペイン期人口集団については、このモデルで結論を出せませんでした。


●先スペイン期メキシコ人への亡霊人口集団の寄与

 先行研究(関連記事)は、メキシコの現在のミヘー人において、UpopAと命名された標本抽出されていない集団からの「亡霊」遺伝的祖先系統の寄与を報告しました。混合図モデルの組み合わせを用いて、先スペイン期個体群におけるこのUpopAの存在が検証されました。とくに、F9_ST_aにより表されるシエラ・タラフマラとE8_CdV_bにより粗さ割れるCdVは、それぞれ亡霊人口集団からの28%と17%の遺伝的祖先系統の寄与を示しました。これは、ミヘー人で以前に報告された亡霊遺伝的祖先系統であるUpopAと一致しましたが、他の遺跡の個体群を含むモデルは却下されました。

 先スペイン期個体群とミヘー人をともにモデル化すると、シエラ・タラフマラとミヘー人が同じ亡霊遺伝的祖先系統であるUPopAを共有している(シエラ・タラフマラがNA1遺伝的祖先系統を受け取ると、より適合したz得点となります)のに対して、CdVはUPopA2と命名されたミヘー人で見られる第二の亡霊遺伝的祖先系統の寄与を必要とする、と分かりました。最後に、同じモデルでシエラ・タラフマラとCdVとミヘー人と2つの亡霊人口集団が含められ、F9_ST_aとミヘーがUpopA1からの寄与を共有しているのに対して、CdVは追加の標本抽出されていない集団であるUpopA2からの寄与を必要とする、確証されました(図5)。以下は本論文の図5です。
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●考察

 本論文は、メキシコの古代人のゲノムデータセットを生成し、アリドアメリカとメソアメリカとの間の人口動態に関する長年の疑問に取り組みました。このデータにより可能になったのは、(1)ヨーロッパによる植民地化まえのメキシコにおける人口構造と遺伝的多様性の水準の記述、(2)紀元後900~1300年頃の劇的な気候変化に続くメキシコ中央部における人口置換との以前の仮説の検証、(3)メキシコ中央部の人口集団の複雑な混合モデルの論証、(4)一部のメキシコ北部および中央部人口集団への標本抽出されていない人口集団A(UpopA)からの寄与の検出です。

 本論文の調査結果は、メキシコの枠部と中央部の人口集団を区別する、先スペイン期個体群における地理的構造を示し、これは現在の先住民集団の遺伝的構造で観察される北西部から南東部にかけての勾配と一致します。先スペイン期個体群はmdPCAでは同じ地理的地域の現在の先住民集団の知覚でクラスタ化し、1個体(MOM6_ST_a)を除いて、ADMIXTURE分析に基づくと類似の祖先構成要素を示します(図3)。これは、少なくとも1400年間(データセットにおける最古の個体の年代)の、現在のメキシコの領域に居住する人口集団の遺伝的構造の全体的な保存を反映しています。この地理的構造は、母系でも反映されています。見つかったmtHg-A・B・C・Dの空間分布は、現在のメキシコ人とよく似ています。

 EBSP分析における古代人のミトコンドリアゲノムにのみ基づく過去の女性の人口規模についての正確な推測のための解像度は欠けていましたが、メキシコの現在の先住民の全ゲノムデータで以前に観察されてきたように、現代人のミトコンドリアゲノムを用いると、5000年前頃の人口拡大を再現できました。この拡大は、メキシコにおけるトウモロコシ耕作の栽培化と普及に関連していた可能性が高そうです。とくに、ミトコンドリアゲノムデータにおいて、ヨーロッパによる植民地化後となる500年前頃以降の、人口ボトルネック(瓶首効果)兆候は回収されませんでした。女性の人口集団へのヨーロッパによる植民地化の人口統計学的影響はメキシコ全体で変動的でおり、アメリカ大陸の島嶼部および他の孤立した地域(関連記事)ほど劇的ではなかった、と推測されます。より広い時空間的範囲からり追加の古代人のミトコンドリアゲノムの回収が、女性の人口史のより正確な全体像を描くための解像度を提供するでしょう。

 常染色体水準での遺伝的多様性に焦点を当てた結果、アリドアメリカの古代人とメソアメリカの北方辺境の人口集団は、それらの集団とメキシコ北部(アキメル・オーダム)および南部(ミヘーとマヤ)の現在の先住民集団で観察された常染色体水準での遺伝的多様性の間で、同様の水準のCND(条件付きヌクレオチド多様性)がある、と明らかになりました。しかし要注意なのは、直接的な時間的比較のための、本論文で分析されたメキシコ中央部の先スペイン期個体群と正確に同じ場所の現在の個体群のゲノム規模の遺伝的情報が欠けている、ということです。しかし、最低のCNDとROHにおける最多合計数の断片が、ともにメキシコ北部の古代のペリキュエ狩猟採集民と現在のアキメル・オーダム人口集団で見られる、と観察されました。対照的に、シエラ・ゴルダおよびCdVの先スペイン期個体群とメキシコ中央部および南部および南東部の現在の人口集団には、ROHにおける最少多合計数の断片がありました。

 まとめると、これらの結果は、孤立したアリドアメリカ人口集団で維持されたより小さい人口規模と、メソアメリカにおける先スペイン期および現在の人口集団におけるより大きな人口規模を反映しています。注目すべきことに、本論文の先スペイン期個体群は小さな規模の村落に由来し、テオティワカン(Teotihuacán)やテノチティトラン(Tenochtitlán)やパレンケ(Palenque)など、より大きく多民族的な先スペイン期大都市の他のメソアメリカ先スペイン期人口集団の人口統計を必ずしも反映しておらず、そうした大都市ではより高水準の多様性とより低いROHが予測されます。これらの遺跡の個体群の古代DNA研究が、ヨーロッパによる植民地化からもたらされた人口崩壊前の遺伝的多様性の程度を明らかにするのに必要でしょう。

 本論文は、紀元後900~1300年頃の後のアリドアメリカの狩猟採集民によるメソアメリカの北方辺境における人口置換との仮説を直接的に検証するため、気候変化事象の前後の期間のシエラ・ゴルダの個体群を調べました。外群f3分析から、旱魃前後のシエラ・ゴルダの個体群はあらゆる他の先スペイン期個体とよりも相互の間で高い遺伝的浮動を共有していた、と示されました。D統計を用いて、シエラ・ゴルダの旱魃前後の個体群は、先スペイン期の他の個体もしくはメキシコの現在の人口集団を除いて、常にクレードを形成する、と観察されました。

 次にqpGraphから、シエラ・ゴルダの旱魃前後の個体群は同じクレードでモデル化でき、それはアリドアメリカの代理としてF9_ST_aにより形成されるクレードとは異なる、と示されました。ともかく、F9_ST_aは、シエラ・ゴルダで旱魃の後で人口集団を置換したとされる人口集団に属していないかもしれません。F9_ST_aは北方遺伝的祖先系統の代理として確実に用いられ、それは、先行研究により、北部と南部の祖先系統間の分岐が7200年前頃に起きた、と推定されたからです。したがって、F9_ST_aは旱魃後にシエラ・ゴルダの住民を置換したとされる人口集団に属していなかった可能性が高いものの、このゲノムを北方遺伝的祖先系統の代理として確実に使用でき、それは、気候変化事象の時までに、両祖先系統がすでにしっかり分化していたからです。

 さらにqpWaveで、シエラ・ゴルダの旱魃前後の個体群の遺伝的構成は、遺伝的差異の追加の供給源なしに同じ遺伝的歴史内で説明できる、と確証されました。この置換が標本抽出されていない北方人口集団により起きたとしても、定性的(mdPCAとADMIXTURE)および定量的(外群f3とD統計とqpGrapとqpWave)分析ではアリドアメリカからの流入のある旱魃後の個体群を有意に区別する兆候が見られる、と予測され、それらの分析ではそうした兆候は見られませんでした。代わりに証拠が示すのは、気候変化事象後のシエラ・ゴルダにおける人口連続性です。

 旱魃にも関わらず、人口が連続したことへの可能な説明は、シエラ・ゴルダ北部において好適な気候条件により、CdVなどメソアメリカの北方辺境の他の乾燥地帯よりも湿潤が維持された、というものです。農耕はCdVにおいて主要な生計戦略だったので、深刻な旱魃により住民は他地域への移住を余儀なくされ、それは紀元後1000~1100年頃のCdVにおける放棄をもたらしました。対照的に、トルキッラとラナスにおける主要な生計戦略は、先スペイン期文化において神聖な価値がある貴重な鉱物である辰砂の採掘と交易でした。本論文の仮説は、辰砂交易とシエラ・ゴルダの景観により、トルキッラとラナスの人々は旱魃期の降水量の少ない条件にも関わらず生存できた、というものです。とくに、先スペイン期の旱魃後の個体よりも旱魃前の個体の方でより短いROH断片が見つかりました。これは、気候変化事象後の人口規模減少と、同じ人口集団における人口統計学的影響の可能性を示唆しているかもしれません。メソアメリカの北方辺境の他の遺跡におけるこの仮説の追加の評価は、より広い地理的範囲における人口集団の移住と動態の説明に役立つでしょう。

 本論文は、メキシコ中央部の人口集団の人口動態への洞察にも関心を抱きました。それは、人口統計学的モデル化の以前の試みが、これらの人口集団で観察された高い遺伝的不均質により妨げられてきたからです。外群f3統計およびD統計の結果から、メキシコ中央部のメソアメリカの先スペイン期個体群はその地域の現在の人口集団とより高い遺伝的浮動を共有しているものの、これらの関係はどれも統計的に有意ではない、と示されます。qpGraphを用いると、メキシコ中央部の先スペイン期人口集団は全て、NNAおよびSNAの支系と共有されるさまざまな遺伝的祖先系統を有している、と分かりました。これは、中央および南アメリカ大陸の古代人のゲノムに関する先行研究を考えると、予測されたことでした。それは、先行研究(関連記事)では、15000年前頃の分岐後のこれら2支系間の混合事象が報告されたからでした。

 まとめると、これらの観察は、メキシコ中央部の人口集団は相互に完全には分岐しておらず、それは、何世紀にもわたって起きたさまざまなメソアメリカ人口集団間の活発な通商交換に基づいて予測されるように、恐らく広範な遺伝子流動のためだった、というシナリオを示します。この相互作用は、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片を共有する現在の先住民集団で明らかなように、おもに交易路と同盟を通じて行なわれました。メキシコの現在の先住民集団におけるIBDの研究は、先スペイン期におけるメソアメリカとアリドアメリカの人口集団間の遺伝子流動も証明しました。しかし、この遺伝子流動はメソアメリカ内よりも低頻度でした。アリドアメリカの1個体(MOM6_ST_a)は、メソアメリカとアリドアメリカの祖先間のそうした混合の結果だったかもしれません。

 さらに、先スペイン期人口集団について調べられたqpGraph混合モデルから、個体F9_ST_aとCdVの古代の個体群は、亡霊もしくは標本抽出されていない人口集団からの遺伝的祖先系統を有している、と示されました。UpopAと命名された標本抽出されていない人口集団からの寄与は、現在のミヘー人やメキシコの現在の北部および中央部の先住民集団で以前に確認されました。UpopAはアメリカ大陸先住民と24700年前頃に分岐した、と推定されました。とくに、シエラ・タラフマラはミヘー人とUpopAの寄与を共有していますが、シエラ・タラフマラおよびミヘー人とまとめての混合モデルでは、CdVのモデル化には第二の亡霊人口集団(UpopA2)が必要です(図5)。この観察は、さらに特徴づける必要がある、後期更新世のアメリカ大陸における複雑な人口史を明らかにしています。アメリカ大陸の追加の祖先DNA研究が、メキシコの多くの現在の先住民集団に寄与したらしい、両亡霊祖先系統の供給源の特定に役立てるでしょう。以下は本論文の要約図です。
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 1000年以上前の先スペイン期の人口構造が現在でも観察できる、と分かりました。本論文は先行研究とともに、アリドアメリカとメソアメリカの人口集団を産み出した人口統計学的事象が以前に考えられていたよりも複雑である、と示します。通商交易路が移動性増加に寄与し、さまざまな文化圏内および文化圏間のさまざまな人口集団間の遺伝子流動を促進したかもしれません。さらに、メソアメリカの北方辺境のシエラ・ゴルダ地域における遺伝的連続性が見つかり、これは、在来の人口集団が、他の人口集団に都市を放棄させるに至った長期の旱魃にも関わらず、故地に留まったことを示唆します。一部の先スペイン期メキシコ中央部人口集団への第二の亡霊遺伝的祖先系統の寄与の特定は、メキシコの古代人のゲノムの倫理的研究を通じて特徴づけるのに必要な複雑な過去を明らかにします。本論文は、遺伝的遺産が現在も先住民および混合集団で保持されているメキシコの先スペイン期人口集団の、未知の遺伝的過去と人口動態に関する問題に対処するさらなる研究への扉を開きます。


参考文献:
Villa-Islas V. et al.(2023): Demographic history and genetic structure in pre-Hispanic Central Mexico. Science, 380, 6645, eadd6142.
https://doi.org/10.1126/science.add6142

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