13世紀のカスティーリャ王国の王女のDNA解析

 13世紀のカスティーリャ王国の王女のDNA解析を報告した研究(Palomo-Díez et al., 2023)が公表されました。古代DNA研究は近年ますます盛んになっており、その主要な対象は先史時代の名前の不明な個体ですが、名前を知られている歴史上の人物のDNA解析も増えつつあり、たとえばハンガリー王国のフニャディ(Hunyadi)家(関連記事)やハンガリーのアールパード(Árpád)朝のベーラ(Bela)3世(関連記事)です。今後、ユーラシア東部でも同様の研究がさらに進むのではないか、と期待されます。


●要約

この研究を通じて、身体的を特徴や生物地理学的起源や以前には曖昧だった歴史的人物の正確な予測を確証できました。カスティーリャのレオノール(Leonor)王女(1256~1275年)は、スペイン(カスティーリャ)の「賢王」とも呼ばれるアルフォンソ10世(King Alfonso X)の嫡出の娘の一人です。この王女のミイラ化した遺骸の外見的な特徴の遺伝学的分析は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)および核DNA分析によるその起源と、常染色体一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)による髪と目と肌の色についての身体的外見の決定を可能としました。その結果、ミイラ化した遺骸は、黒髪で緑色と赤褐色の目で白い肌の若いヨーロッパの女性と合致する、と示されます。彼女の身体的外見は絵画資料と比較できませんが、生物地理学的な分析結果は、歴史地理学的な系図情報と一致します。


●研究史

この研究は、カスティーリャのレオノール王女の祖先と身体的外見にいくらかの光を当てます。このために、古代DNA技術が適用されました。古代DNAはその顕著な年代のためにDNA分子の量と質問が低い、と分かっています。古さが常にDNA分解のおもな原因ではありませんが、重要な可能性がある標本に直面した場合、この事例のように、特別な分析条件と信頼性基準を実装せねばなりません。

 親族関係と嫡出の学会において、ポルトガルの歴史家であるジョゼ・マットソ(José Mattoso)氏は2011年に、議論の様相と発達を理解するための、単語と言語の中世史研究の重要性に言及しました。それは、そうした音声が「ややmtDNAおよびY染色体的で、両者は世代から世代へと継承されるので、前の世代の痕跡を常に維持している」からです。マットソ氏は、これらの遺伝的系統標識が世代から世代へと変わらずに伝えられ、人々の系図を追跡できる事実に言及していました。

 マットソ氏の幸運な比喩を超えて、中世史および現代史の分野では、遺伝学の適用も変わり、ネクロポリス(大規模共同墓地)で見つかった個体群だけではなく、明らかな理由で、たとえばアラゴンやハンガリーの王室神殿の一連の遺骸でも、DNA解析が行なわれました。議論のある特徴の同定、もしくはともに埋葬されたみたいの親族関係を確証する志向の研究はすでによくあり、重い疾患の兆候を伴う骨格と関連する個体の検出は無視されていません。今では、骨格遺骸の遺伝学的分析により、個体の身体的外見の判断でさえ可能です。現在、先行研究で指摘されてきたように、系図の遺伝学的分析は、単なる逸話的および明確に示される生物学的・歴史的・社会的・教育的重要性を超えている、と言うことができます。本論文は、賢王とも言われるアルフォンソ10世の娘であるレオノール王女の遺骸で実行された研究を提示します。これは、レオノール王女の遺骸と墓の保存と修復と宣伝の計画の一部です。


●カスティーリャの王女であるレオノール

 スペインの前身であるカスティーリャのレオノール王女(1256/1257~1275年)は、「賢王」とも呼ばれたアルフォンソ10世(1221~1284年)とアラゴンのビオランテ(Queen)王妃(1236~1300年)の11人の正嫡の息子と娘の第四女です。一方で、レオノール王女の生涯について、さまざまな資料からの相反する情報があります。一方で、レオノール王女の身体的外見についての記載された図画の記録は現在まで残っていません。

 レオノール王女の生物地理学的起源については、その家系図が図1に要約されています。要するに、この図1では、歴史的資料によると、カスティーリャのレオノール王女は基本的にヨーロッパ人で、地中海東部の祖先もある程度いる、と見ることができます。以下は本論文の図1です。
画像

 しかし、レオノール王女の母系をより詳細に分析することは興味深く、それは、本論文で調べられる遺伝的標識の一つの母系のみでの継承だからです。つまり、mtDNAです。レオノール王女の母系のほとんどは図2に要約されています。以下は本論文の図2です。
画像

 レオノール王女は19歳の時に原因不明で死亡しました。レオノール王女はおそらくフランスのモンペリエ(Montpellier)で死亡しましたが、アルフォンソ10世は、レオノールの遺骸をスペインのブルゴス(Burgos)にあるカレルエガ聖ドミニコ(Saint Dominic of Caleruega)王立修道院に埋葬するよう命じました。レオノールの遺骸は、この研究の開始までカレルエガ聖ドミニコ修道院に安置されていました。

 この研究は、二つの目的を中心とします。一方は、レオノール王女の予測される生物地理学的起源が提案されたヨーロッパの王女の祖先と一致するのかどうか証明するために、その以外の生物地理学的起源を決定することです。もう一方は、レオノール王女の最も可能性が高い色素沈着の表現型(肌と目と髪の色素沈着)を判断することです。


●標本と分析結果

 2014年6月10日、カスティーリャのレオノール王女のミイラ化した遺骸を含む石棺の開封が行なわれました。レオノールの遺骸は白い布に包まれていました。遺伝学的分析を行なうため、2点のよく保存された歯が選択されました。下顎左側第二小臼歯(1LDC1)と下顎左側第一大臼歯(1LDC2)です(図3)。mtDNAと核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)も決定されました。以下は本論文の図3です。
画像

 レオノールのmtHgはK1a4a1aと決定されました。常染色体SNP分析は、mtDNA分析と同様に、レオノールのヨーロッパ起源を示唆します。外見の特徴(externally visible characteristics、略してEVC)の遺伝学的分析の結果、レオノールの最も可能性が高い身体的外見は、黒髪で緑色と赤褐色の目で白い肌でした。


●考察

 この研究で調べられた遺骸はmtHg-K1a4a1aと決定され、現在ヨーロッパで典型的なmtHgです。この調査結果は、典型的なヨーロッパもしくは中東の生物地理学的祖先を示唆し、レオノール王女のヨーロッパ人の母系起源と一致します。古代DNAに関して、このmtHg-Kの最初の報告された出現は、シリアのテル・ラマド(Tell Ramad)遺跡で発見された8000年前頃の遺骸です。7500~7300年前頃となるmtHg-Kのヒト遺骸も発見されており、最も知られている発見は5000年前頃となるエッツィ(Ötzi)と呼ばれるミイラ(いわゆるアイスマン)で、まさにmtHg-K1に分類されます。mtHg-K1a4a1aを古代mtDNAデータベース(Ancient mtDNA database、略してAmtDB)で検索すると、同じmtHgの個体は見つかりませんでした。それにも関わらずAmtDBでも、中世の人口集団で見られる最も近いmtHgはハンガリーに位置していました。mtHg-K1aクレード(単系統群)は、ドイツの中ライにも存在していました。より広いmtHg-K1を調べると、イタリアやスペインやポーランドの中世にも存在しましたが、mtHg-K1の最大の存在はハンガリーにありました。これらの結果は、レオノール王女のmtDNA家系図と一致します(図2)。

 さらに、常染色体SNP分析もこのヨーロッパ起源を裏づけます。この大らの分析はさらに、より広い視点を提供します。それは、分析されたSNPは母系と父系両方を通じて継承され、おもにヨーロッパ人起源のレオノール王女の家族の歴史的系図とあまりにも一致するからです(図1および図2)。採用された2つの異なる方法論得られた生物地理学的起源の予測の一致する結果は、祖先を結論づけるより大きな能力を提供します。

 レオノール王女のmtDNAハプロタイプをレオノール王女の母方家系図に属する個体と比較することは、興味深いかもしれません。しかし、レオノールの祖母の祖父であるベーラ3世のmtDNAとY染色体の縦列型反復配列(Short Tandem Repeat、略してYSTR)の特性はよく知られているものの、この情報は本論文の結果に匹敵するわけではありません。それにも関わらず、新たに得られたデータは、遺伝的によく知られている家系図を完成させる、関連情報を提供できます。

 さらに、遺伝学的証拠が白い肌の色素沈着の可能性が最も高いと裏づける特徴も、調査されたレオノールの遺骸のヨーロッパ起源の可能性を裏づけます。古遺伝学的観点から、本論文は、体の親族関係と人相を確証する遺伝学の実行可能性を確証します。レオノールは、白い肌で緑色と赤褐色の目で黒髪だった可能性が最も高い、と判断されます。これにより、記録では曖昧なレオノール王女は、ある程度の可視性を獲得します。さらに、レオノールのmtHg-K1a4a1aが得られ、現在調査中の他の王室との最終的なつながりが確証されます。

 確かに、歴史的観点から、著名な人物の知識は現在、調査の主要な目的の一つではありませんが、修復および保存作業実現は、さまざまな分野と展望から利用できる、新たな情報源の可能性を構成します。この意味で、本論文は調査の可能性の実験的な性質を有しており、他の比較可能な類似の手法が刊行された場合に、その使用がより大きくなるいくつかの基礎が築かれています。

 これら王族で時に研究することにより、その身体的外見と時には保存された遺骸の記述が可能となり、たとえば金髪のノルウェーの王女であるクリスティン・ハコナルドッティル(Kristín Hákonardóttir)の爪などです。クリスティン・ハコナルドッティルはレオノールの母親の対抗者で、その墓は20世紀に開封されました。時には、オビエド(Oviedo)やコンポステーラ(Compostela)の大聖堂の厚紙で収集された君主や女王や王女の細密画など肖像画もあり、遺伝的推論と対比されますが、上述のように、レオノール王女についてはこれまでそうした肖像画は知られていないようです。一般的に、肖像画の進歩的な表現に伴い、中世後期から同定の可能性がより高くなります。

 比較の実行可能性は、ハンガリーとアラゴンの王立神殿の上述の調査などの事例でも大きくなります。スペインのレオン(León)のサン・イシドロ(San Isidoro)とブルゴスのラス・ウエルガス(Las Huelgas)には部分的な神殿がありましたが、複雑な歴史的理由のため、この種の遺伝学的研究を促進できるような単一の王立神殿がカスティーリャの主権の全体で形成されず、この事例のように、散在する墓の修復計画を利用して実行することは不可能ではありません。王朝の人物、たとえば、レオノールのmtDNAを伝えたレオノールの母方の祖母で、スペインのリェイダ(Lérida)のサンタ・マリア王立修道院(Royal Monastery of Santa María de Vallbona)に埋葬された、アラゴンの王妃であるハンガリーのビオランテ王女の場所は、遺伝的データベースの構成に役立つかもしれません。この意味で、カスティーリャのレオノールの遺伝的分析は、上述のレオノールの母方祖母から正確には祖父母となるハンガリーのベーラ3世やアグネス・デ・シャティロン(Agnes de Châtillon)など、その親族の一部ですでに利用可能な遺伝的分析に加わるようになりました。


参考文献:
Palomo-Díez S. et al.(2023): Genetics Unveil the Genealogical Ancestry and Physical Appearance of an Unknown Historical Figure: Lady Leonor of Castile (Spain) (1256–1275). Genealogy, 7, 2, 28.
https://doi.org/10.3390/genealogy7020028

この記事へのコメント