ネアンデルタール人による海産物の利用
取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)による海産物の利用を報告した研究(Zilhão et al., 2020)が公表されました。日本語の解説記事もあります。水産食料の恒常的な利用の記録は、ヨーロッパのネアンデルタール人では欠けていました。対照的に、個人的装飾品や身体彩色や線形幾何学的な図とともに、海洋資源は最終間氷期のアフリカの考古学ではひじょうに重要な特徴です。ヒトの起源に関する競合優位の仮説は、水産食料やそれに含まれる脂肪酸の習慣的消費が、脳の発達を選好し、認知と行動における現代性を支えた、というものです。したがって、結果として生じた技術革新と人口増加と向社会性の増大は、拡散経路(海岸沿いおよび最初にアジア南部への拡散)とその結果(同時代のユーラシアの非現生人類の消滅)の両方に関して、現生人類の出アフリカを説明するでしょう。この見解の結論は、ネアンデルタール人の沿岸部遺跡における海洋食料の欠乏が、その生計行動の真の反映である、というものです。
ヨーロッパの大西洋正面には、南アフリカ共和国の大西洋正面に匹敵する資源の豊富な海域があります。しかし、スカンジナビア半島からフランスまで、海洋資源の最終間氷期における利用の証拠は、その後の氷冠の発達と広範な大陸基盤の水没により失われたでしょう。逆に、ポルトガルのリスボンの南方30kmに位置する沿岸山脈であるアラビダ(Arrábida)の険しい岩棚は、現存および水没した海岸線を、短い距離で離れて保存することを可能とします。アラビダ山脈の浸食されて保護された海側の遺跡であるフィゲイラ・ブラヴァ洞窟(Gruta da Figueira Brava)は、海洋食料の残骸の相当量の最終間氷期の蓄積がヨーロッパにおいてこれまで発掘されたのかどうかを調査する、珍しい機会を提供します。
フィゲイラ・ブラヴァ洞窟の考古学的層序は、106000~86000年前頃にさかのぼります。全体を通じて、沿岸環境からもたらされる全動物資源の恒常的な利用に基づいて、居住および生計体系の証拠があります。それは、大型の蟹、海洋性軟体類、魚、海鳥、哺乳類、亀、水鳥、有蹄類の獲物などです。食料一覧の構成と堆積物の構造は以下のような関数として変化します。(1)選好的に標的とされた生態系への影響を示唆する海水準変動、(2)ヒトの居住の頻度、(3)遺跡形成過程、(4)居住空間の変化する形状に対する考古学的試掘坑の位置です。海が洞窟の近く(約750m)に位置した最初の居住(FB1期およびFB2期)には、貝の蓄積が含まれます。これらの居住の後には、低頻度の使用(FB3期)と最終段階(FB4期)が続き、その頃には海岸線は約2000m離れているものの、貝は再びかなりの量が遺跡に廃棄されました。海洋食品以外の密度は、この地域の中石器時代および南アフリカ共和国の中期石器時代(Middle Stone Age、略してMSA)となる最終間氷期に匹敵し、蟹と魚の事例では後二者を上回ります。フィゲイラ・ブラヴァ遺跡ではイタリアカサマツの実も記録されており、これは、季節的な収穫とこの実の消費を延ばせる円錐の現地貯蔵を特徴とします。この生計体系の安定性は、成功した長期的な適応を示唆します。
フィゲイラ・ブラヴァ洞窟は、ヨーロッパのネアンデルタール人における顕著な海洋資源消費の最初の記録を提供します。最終間氷期の沿岸地域で、ネアンデルタール人は完新世初期のヒトと同様に採食していました。したがって生計手段では、周氷河地域の最高水準の肉食者(関連記事)から、フィゲイラ・ブラヴァ洞窟のような温暖な環境の適切な条件における漁撈狩猟採集民まで、ネアンデルタール人は地理的に多様でした。
定期的な貝の収穫は、潮の流れ人する知識と、ポルトガル沿岸部における、晩春と秋との間における二枚貝の消費が生体毒素の中毒を伴うことへの認識を示唆します。フィゲイラ・ブラヴァ洞窟の生計データのこれらの認知的側面は、ヨーロッパの中部旧石器時代における装身具類や洞窟芸術や他の形式の象徴的物質文化の急速に蓄積しつつある証拠(関連記事1および関連記事2および関連記事3)と一致します。したがって、ネアンデルタール人を現生人類から区別するとかつて考えられていた主要な行動の間隙は、「証拠の欠如は欠如の証拠ではない」、という別の事例にすぎないようです。
化石生成論および遺跡保存の偏りは、この種の記録が同時代のアフリカ人口集団において見られる規模でヨーロッパにおいて以前に見つからなかった理由を説明します。ネアンデルタール人が完全に象徴的な物質文化を有する、という急速に蓄積されつつある証拠と一致して、本論文で報告された生計の証拠は、かつて現生人類とネアンデルタール人を分離すると考えられた行動の間隙をさらに問い直します。したがって、イベリア半島のデータの結論は、水産食料の消費は、アフリカの解剖学的現代人を同時代のユーラシア人と区別し、最終的には後者の消滅を説明する種差ではない、というものです。じっさい今や、アジア南東部とサフル(オーストラリアとニューギニア)とアメリカ大陸の居住により示唆される海洋資源および海の景色の熟知は、ホモ属の歴史に深く根差している、という可能性が考慮されねばなりません。
ネアンデルタール人による海産資源の利用が16万年以上前までさかのぼることはすでに報告されていましたが(関連記事)、本論文は、ネアンデルタール人による海洋食料の消費が現生人類をも上回る場合もあった、と示した点でひじょうに意義深いと思います。ネアンデルタール人はヨーロッパにおいて少なくとも40万年間以上進化してきたホモ属系統で(関連記事)、もちろんネアンデルタール人系統において絶滅は珍しくなかったでしょうが、それは現生人類系統も同様で(関連記事)、ネアンデルタール人の行動は食性も含めてかなり柔軟だった、と考えられます。
参考文献:
Zilhão J. et al.(2020): Last Interglacial Iberian Neandertals as fisher-hunter-gatherers. Science, 367, 6485, eaaz7943.
https://doi.org/10.1126/science.aaz7943
ヨーロッパの大西洋正面には、南アフリカ共和国の大西洋正面に匹敵する資源の豊富な海域があります。しかし、スカンジナビア半島からフランスまで、海洋資源の最終間氷期における利用の証拠は、その後の氷冠の発達と広範な大陸基盤の水没により失われたでしょう。逆に、ポルトガルのリスボンの南方30kmに位置する沿岸山脈であるアラビダ(Arrábida)の険しい岩棚は、現存および水没した海岸線を、短い距離で離れて保存することを可能とします。アラビダ山脈の浸食されて保護された海側の遺跡であるフィゲイラ・ブラヴァ洞窟(Gruta da Figueira Brava)は、海洋食料の残骸の相当量の最終間氷期の蓄積がヨーロッパにおいてこれまで発掘されたのかどうかを調査する、珍しい機会を提供します。
フィゲイラ・ブラヴァ洞窟の考古学的層序は、106000~86000年前頃にさかのぼります。全体を通じて、沿岸環境からもたらされる全動物資源の恒常的な利用に基づいて、居住および生計体系の証拠があります。それは、大型の蟹、海洋性軟体類、魚、海鳥、哺乳類、亀、水鳥、有蹄類の獲物などです。食料一覧の構成と堆積物の構造は以下のような関数として変化します。(1)選好的に標的とされた生態系への影響を示唆する海水準変動、(2)ヒトの居住の頻度、(3)遺跡形成過程、(4)居住空間の変化する形状に対する考古学的試掘坑の位置です。海が洞窟の近く(約750m)に位置した最初の居住(FB1期およびFB2期)には、貝の蓄積が含まれます。これらの居住の後には、低頻度の使用(FB3期)と最終段階(FB4期)が続き、その頃には海岸線は約2000m離れているものの、貝は再びかなりの量が遺跡に廃棄されました。海洋食品以外の密度は、この地域の中石器時代および南アフリカ共和国の中期石器時代(Middle Stone Age、略してMSA)となる最終間氷期に匹敵し、蟹と魚の事例では後二者を上回ります。フィゲイラ・ブラヴァ遺跡ではイタリアカサマツの実も記録されており、これは、季節的な収穫とこの実の消費を延ばせる円錐の現地貯蔵を特徴とします。この生計体系の安定性は、成功した長期的な適応を示唆します。
フィゲイラ・ブラヴァ洞窟は、ヨーロッパのネアンデルタール人における顕著な海洋資源消費の最初の記録を提供します。最終間氷期の沿岸地域で、ネアンデルタール人は完新世初期のヒトと同様に採食していました。したがって生計手段では、周氷河地域の最高水準の肉食者(関連記事)から、フィゲイラ・ブラヴァ洞窟のような温暖な環境の適切な条件における漁撈狩猟採集民まで、ネアンデルタール人は地理的に多様でした。
定期的な貝の収穫は、潮の流れ人する知識と、ポルトガル沿岸部における、晩春と秋との間における二枚貝の消費が生体毒素の中毒を伴うことへの認識を示唆します。フィゲイラ・ブラヴァ洞窟の生計データのこれらの認知的側面は、ヨーロッパの中部旧石器時代における装身具類や洞窟芸術や他の形式の象徴的物質文化の急速に蓄積しつつある証拠(関連記事1および関連記事2および関連記事3)と一致します。したがって、ネアンデルタール人を現生人類から区別するとかつて考えられていた主要な行動の間隙は、「証拠の欠如は欠如の証拠ではない」、という別の事例にすぎないようです。
化石生成論および遺跡保存の偏りは、この種の記録が同時代のアフリカ人口集団において見られる規模でヨーロッパにおいて以前に見つからなかった理由を説明します。ネアンデルタール人が完全に象徴的な物質文化を有する、という急速に蓄積されつつある証拠と一致して、本論文で報告された生計の証拠は、かつて現生人類とネアンデルタール人を分離すると考えられた行動の間隙をさらに問い直します。したがって、イベリア半島のデータの結論は、水産食料の消費は、アフリカの解剖学的現代人を同時代のユーラシア人と区別し、最終的には後者の消滅を説明する種差ではない、というものです。じっさい今や、アジア南東部とサフル(オーストラリアとニューギニア)とアメリカ大陸の居住により示唆される海洋資源および海の景色の熟知は、ホモ属の歴史に深く根差している、という可能性が考慮されねばなりません。
ネアンデルタール人による海産資源の利用が16万年以上前までさかのぼることはすでに報告されていましたが(関連記事)、本論文は、ネアンデルタール人による海洋食料の消費が現生人類をも上回る場合もあった、と示した点でひじょうに意義深いと思います。ネアンデルタール人はヨーロッパにおいて少なくとも40万年間以上進化してきたホモ属系統で(関連記事)、もちろんネアンデルタール人系統において絶滅は珍しくなかったでしょうが、それは現生人類系統も同様で(関連記事)、ネアンデルタール人の行動は食性も含めてかなり柔軟だった、と考えられます。
参考文献:
Zilhão J. et al.(2020): Last Interglacial Iberian Neandertals as fisher-hunter-gatherers. Science, 367, 6485, eaaz7943.
https://doi.org/10.1126/science.aaz7943
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