『卑弥呼』第106話「三人」

 『ビッグコミックオリジナル』2023年5月5日号掲載分の感想です。前回は、暈(クマ)国に送り込んだアカメが祈祷女(イノリメ)を装い、田油津日女(タブラツヒメ)と名乗っていたものの、暈の大夫である鞠智彦(ククチヒコ)に捕らわれたと確信したヤノハが、田油津日女を助け出す、と山社(ヤマト)国の5人の重臣(ミマト将軍、イクメ、テヅチ将軍、ヌカデ、ミマアキ)の前で力強く宣言するところで終了しました。今回は、暈の鹿屋里(カノヤノサト、現在の鹿児島県鹿屋市でしょうか)において、暈の国の5人のタケル王の1人で、宗家となるカワカミ家の当主の前にて、厲鬼(レイキ)、つまり疫病退散のため、田油津日女が舞っている場面から始まります。舞が終わると、カワカミ家のタケル王は田油津日女に礼を述べ、館で止まるよう言って退出しようとしますが、急に体調が悪化します。アカメは館で5人の配下に、カワカミ家のタケル王は今晩亡くなることと、生き残る好機が今晩しかないことを伝えます。鞠智彦の配下のウガヤは、5人のタケル王を殺せばアカメたち裏切り者の命を助ける、とアカメに約束していましたが、志能備(シノビ)の掟を曲げてまで助けるとは思えない、というわけです。逃げても行くところがない、という配下の女性に、山社に行けば日見子(ヒミコ)様(ヤノハ)が迎え入れてくれる、とアカメは伝えます。5人の配下は山社を目指して館から去りますが、やはり鞠智彦配下の志能備に襲撃され、4人の女性は殺害され、残った1人の男性も志能備を1人倒したものの、包囲されます。そこをアカメが助けますが、その直後に男性も射殺されます。アカメも鞠智彦配下の志能備に捕らわれますが、その頭はすぐにアカメを殺そうとはせず、それをオオカミもしくはイヌが背後から見ていました。

 鞠智(ククチ)の里(現在の熊本県菊池市でしょうか)では、ウガヤが鞠智彦に、5人のタケル王の殺害の成功を報告していました。5家が後継者を決める前に田油津日女を日見子として担ぐよう命じる鞠智彦に、田油津日女の正体はアカメという抜け志能備なので、我々の意のままに動くか分からない、とウガヤは伝えます。すると、言うことを聞かねば殺せ、と鞠智彦はウガヤに命じます。では、誰が日見子となるのか、とウガヤに問われた鞠智彦は、生きていても死んでも日見子は日見子であり、二度と民の前に姿を現さねばよいだけだ、と答え、ウガヤは改めて鞠智彦を畏怖します。筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)支配のためには暈の統一には時間をかけられない、と言う鞠智彦に、山社の日見子(ヤノハ)をどうするのか、ウガヤが尋ねます。鞠智彦は、ヤノハが自分に冷たい戦を提案した時はなかなかの才覚と感心したが、出雲ごときを助けるため挙兵するとは買いかぶりすぎていたようだ、とウガヤに語ります。しかし、勝ち戦だったそうだ、と言うウガヤに、あの日下(ヒノモト)を怒らせただけで、しょせんは下賤の身の女子の浅知恵だった、と鞠智彦は一刀両断します。鞠智彦は、日下が筑紫島に必ず攻めてくると考えており、その時に自分以外に日下を蹴散らせる戦人はいない、と自負していました。

 ウガヤは捕らわれたアカメに、鞠智彦が田油津日女を形ばかりの日見子に祭り上げようとしており、上手く演じれば殺さないと約束できる、と伝えます。するとアカメは即座に断り、自分が信じる日見子は山社にいる一人(ヤノハ)だけだ、と言います。その返答に驚いたウガヤは、下賤の出の女子のために命を粗末にするのか、とアカメに問います。するとアカメは、身分の上下は関係なく、自分はヤノハの徳に惹かれる、と答えます。ヤノハは人を分け隔てなく遇して、人に何が備わっているのかだけを見てくれる、というわけです。するとウガヤは、徳も身分の高いものに備わる、とアカメを諭します。しかしアカメはそれを否定し、身分は生まれながらであるものの、徳は人がどう生きるかの証だ、と言います。何もせずに得られた身分より、必死で生きて得る徳の方がはるかに尊い、というわけです。ウガヤはアカメの説得を諦め、明日志能備に引き渡す、と伝えます。そうなれば、裏切り者として手足をもがれ、八つ裂きにされるだろう、というわけです。ウガヤが去ると、1匹のオオカミもしくはイヌが近づいてきます。

 山社では、ヌカデがヤノハに、自身で暈に潜入しないよう説得していました。兵を5~6名貸してくれれば自分が行く、というわけです。ヤノハはヌカデが暈に行くと提案するのを待っており、何としてもアカメを助けてくれ、とヌカデに頭を下げます。そこまでして志能備を助けようとするヤノハの真意を理解できないヌカデに、ヤノハが、自分とヌカデとアカメが、倭国全土を巻き込んだこの大博打を最初に始めたからだ、と答えるところで今回は終了です。


 今回は、鞠智彦の思惑とともに、捕らわれたアカメとヤノハとの絆がよく描かれていたように思います。本作は100話を超えましたが、アカメもヌカデも初期から登場し、ヤノハとは因縁が深く、アカメもヌカデもヤノハの本性をよく知っているだけに、この三人は今後も重要な役割を担うのでしょう。ヌカデがどのようにアカメを救出するのかも注目され、オオカミもしくはイヌが近づいてきたのは、ナツハ(チカラオ)がアカメ救出のためすでに暈に潜入しているのでしょうか。鞠智彦の野望が改めて描かれたことから、今後しばらくは山社と暈との関係を中心に話が動くのではないか、と予想され、両国の関係がどのように変わっていくのか、楽しみです。注目されるのは、日見子は民の前に姿を現さなくてもよい、と鞠智彦が考えていることで、これは、王となって以降の卑弥呼(日見子)の姿を見た者は少ない、という『三国志』の記述を踏まえた描写だと思います。本作で山社の日見子であるヤノハは、これまで民の前にもよく姿を見せてきましたが、今後変わっていくのかもしれません。

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