オーストラリア博物館のデニソワ人の記事
種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)について記事をまとめて(関連記事)から4年近く経過し、まとめ記事を更新しよう、とここ1~2年はずっと考えてきましたが、当ブログで取り上げただけでもデニソワ人関連の研究はそれなりにあり、整理するのが大変なので、手をつけていません。そこで、簡潔にまとまっているオーストラリア博物館のデニソワ人に関する記事を訳して、次回のまとめ記事の執筆に役立てることにします。以下、記事の翻訳で、【】は私の注釈です。この記事の参考文献では、本論文がその文献を取り上げている場合、その一部のリンクを貼ります。次回のまとめ記事では、詳細に文献を記載するつもりです。
デニソワ人は、化石分類ではなく遺伝子だけで明らかにされた最初の古代人類種です。デニソワ人はホモ属に分類されますが、身体の記述が存在しないので、種分類はまだ与えられていません。デニソワ人は、最初に化石が発見されたロシアの【シベリア南部のアルタイ山脈に位置する】デニソワ洞窟(Denisova Cave)に因んで命名されました。
◎発見の背景
●年代
この種【デニソワ人】に与えられた50万~30万年前頃という年代範囲は、存在する数点化石の年代測定、および遺伝学的研究と堆積物分析からの推定に基づいています。
デニソワ洞窟の堆積物は、デニソワ人が30万~5万年前頃に洞窟に居住していたことを示唆します。デニソワ人の化石は第11層でしか発見されていませんが、年代測定には断片的すぎます。同じ第11層の動物の骨は放射性炭素年代で5万年前頃ですが、第11層の最新部は30000~16000年前頃です。第11層とデニソワ人遺骸の正確な年代決定には、微小層序学がより多くの研究を必要とします。
遺伝子は、デニソワ人がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のイトコであり、両者が50万~40万年前頃に分岐したことを明らかにします。パプアニューギニアの現代人におけるデニソワ人由来のDNAに関する研究は、両人口集団が46000年前頃に交雑したことを示唆します。別の交雑事象が3万年前頃、最近では15000年前頃に起きた可能性も示唆されています。15000年前頃の交雑の証拠は議論されていますが、デニソワ人が少なくとも3万年前頃に依然として存在していた可能性は高いようです。
●分布
これまで、デニソワ人の化石標本が発見されたのは、ロシアのシベリアのアルタイ山脈に位置する僻地の遺跡であるデニソワ洞窟と、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)だけです【2022年に、ラオスで発見されたホモ属遺骸は、歯の形態からデニソワ人の可能性が高い、と指摘した研究(関連記事)が公表されました】。しかし、遺伝学的研究は、デニソワ人の故地がかつてアルタイ山脈からアジア東部への広がったことを示唆します。デニソワ人は現在のメラネシア人とオーストラリア先住民に遺伝子をもたらしたので、デニソワ人はアジア南部全域を移動したさいに、在来のメラネシア人およびオーストラリア先住民の祖先と接触した可能性がある地域に存在したはずです。
●名称の意味
デニソワ人はホモ属に位置づけられていますが、依然として合意された分類名がありません、デニソワ人は化石が発見されて特定された、ロシアのシベリアのデニソワ洞窟に因んで命名されました。
デニソワ洞窟にはさまざまな時代にホモ属3種が暮らしており、つまりデニソワ人とネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)です。DNAによりネアンデルタール人と特定された骨は、2010年にデニソワ洞窟(東回廊の第11.4層)で発見され、デニソワ人の指骨と同時代でした。ネアンデルタール人も、デニソワ洞窟およびアルタイ地域に、おもに4万年前頃とされるムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)尖頭器と削器を残しました、デニソワ洞窟には、現生人類の所産ともしれない、洗練された石器と骨器もありました。人工遺物や化石が発見された層の正確な年代は問題になっており、そうした人類の居住は順次的であった同時代的ではなかった可能性が最も高いようです。
◎重要な発見
デニソワ洞窟の発掘は1970年代以降続けられてきましたが、世界の見出しを飾ったのは、より最近のヒト遺骸の発見でした。
2008年には、小さな指骨(デニソワ3号)が第11層から回収されました。デニソワ3号は適切な年代範囲(5万~3万年前頃)で保存状態が良好だったので、DNA解析に送られました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAの配列決定の結果は2010年に刊行され、未知の古代型のヒトの女性のものとされました。デニソワ3号はネアンデルタール人および現生人類と密接に関連していますが、新種としての分類に値するのに充分なほど異なっていました。興味深いことに、デニソワ3号はネアンデルタール人DNAも少量有しており、デニソワ人とネアンデルタール人の両集団が以前に混合していた、と示唆されます。デニソワ3号は指骨の成長板が癒合していなかったので、死亡時に5~7歳でした。
デニソワ洞窟の他の標本は、全てDNAを通じて特定されました。デニソワ2号は1984年に発見された大臼歯1点で、194000~122700年前頃と推定されています。デニソワ4号は大臼歯1点で、2000年に発見されました。デニソワ8号は大臼歯1点で、2010年に発見されました。デニソワ11号は2014年に発見された長骨断片で、交雑個体と判断されました(後述)。デニソワ13号は2016年に発見された頭蓋後方の頭頂骨の断片で、mtDNA解析の後で2019年に発表されました。
2019年5月に、初めて、そして2020年現在では唯一、【デニソワ洞窟とは】別の場所から回収されたデニソワ人の化石が発表されました【上述のように、2022年に公表された研究では、ラオスで発見されたホモ属遺骸はデニソワ人の可能性が高い、と指摘されています】。1980年に仏教の僧侶が中国の甘粛省の白石崖溶洞を探索していたさいに発見した下顎は倉庫から取り出され、再分析されました。この下顎は、DNAが抽出できなかったので、タンパク質解析を用いて特定されました。その年代は、下顎骨の底に付着していた岩石物質のウラン系列年代測定により、少なくとも16万年前頃と年代測定されました。チベット高原の海抜3280mで発見された、この新たなデニソワ人の故地は、驚くべきことですが、現代チベット人へのデニソワ人からの遺伝的寄与を説明します(後述)。
デニソワ人と認識された全ての標本は、タンパク質もしくはDNAの解析に基づいて行なわれました【上述のように、2022年に公表された研究では、ラオスで発見されたホモ属遺骸が歯の形態に基づいてデニソワ人に分類されています】。身体的特徴に基づいてデニソワ人と記載された標本はまだありませんしかし、台湾海峡で発見された澎湖1(Penghu 1)下顎や、中国の許昌(Xuchang)で発見された頭蓋断片1号および2号など、アジアの未分類の人類化石の一部がデニソワ人である可能性はひじょうに高そうです。しかし、そうした化石はDNA検証に適していないので、デニソワ人化石との関係は不明なままです。
◎他の種との関係
●祖先系統
証拠から、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類は全て、ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)の子孫か、ホモ・ハイデルベルゲンシスとの共通祖先を有していた、と示唆されます。DNA証拠は、この共通祖先が75万~60万年前頃に存在していたことを示唆します。したがって、この頃にホモ・ハイデルベルゲンシスの祖先集団がアフリカを離れ、その後すぐに分岐した可能性が高いようです。一方の枝はアジア西部とヨーロッパへと北進し、ネアンデルタール人になりました。もう一方の枝は東方へ移動し、デニソワ人になりました。アフリカに留まった枝は現生人類へと進化しました。
●交雑
DNAの証拠から、これら密接に関連する3種【デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類】が後に遭遇して交雑し、各種が他種に遺伝物質を伝えたことも明らかになっています。たとえば、現在のヨーロッパ人とアジア人はネアンデルタール人から約1~4%を継承し、チベット人とメラネシア人オーストラリア先住民はデニソワ人のDNAの約3~5%【チベット人のゲノムにおけるデニソワ人由来領域の割合はメラネシア人やオーストラリア先住民よりずっと低く、他のユーラシア東部現代人とさほど変わりません】を有しています(これは、メラネシア人やオーストラリア先住民の祖先がオーストラリアやパプアニューギニアに移住したさいに、ユーラシア東部のデニソワ人と交雑したことにより説明できます)。2019年に刊行されたインドネシアとパプアニューギニアの現代人のDNAの詳細な分析(関連記事)によると、現生人類はデニソワ人と最近では30000~15000年前頃にさえ交雑したかもしれません。これらの推定が正しければ、デニソワ人は現生人類以外で最も新しい年代まで生存したことになります。
研究により、現生人類におけるデニソワ人のDNAは有利である、と明らかになりました。2014年の研究では、シェルパ(Sherpa)民族は、高地での呼吸を容易にするのに役立つ、デニソワ人のEPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)遺伝子の「超運動選手」多様体を継承している可能性が高い、と分かりました。
ヒトの種間の交雑と関連する最大の発見の一つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代個体、もしくは両親がヒトの異なる2種である個体でした。デニソワ11号は、2012年にデニソワ洞窟で発見された長骨の断片化石です。それは2016年まで、2000以上の識別されていない骨の断片の収集物に保管されていましたが、2016年にその断片群の多くでタンパク質解析が行なわれ、それらがヒトなのか非ヒト動物なのか、確認されました。
デニソワ11号はヒトと判明し、次により詳細な分析に送られました。デニソワ11号化石は今ではデニー(Denny)と呼ばれる少女と判明し、年齢は少なくとも13歳で、9万年前頃に存在していました。デニソワ11号【デニー】のDNA解析は2018年に大きな興奮とともに刊行され、デニーはデニソワ人の父親とネアンデルタール人の母親の第一世代の交雑でした。その遺伝学的研究を率いたのは、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボ(Svante Pääbo)氏とヴィヴィアン・スロン(Viviane Slon)氏でした。
◎身体的特徴
デニソワ人の化石はほとんど見つかっていないので、この絶滅したヒトについて分かっていることのほとんどはそのDNAに由来します。デニソワ人はまだ身体的特徴に基づいて記載されていませんが、以下は明らかな形質です。大臼歯は、ネアンデルタール人の歯で見られる特殊化した特徴を欠き、多くの異常な先端があり、現生人類の大臼歯とは似ていません。デニソワ人の大臼歯はネアンデルタール人もしくは現生人類と派生的特徴を共有しておらず、デニソワ人の進化史はネアンデルタール人および現生人類とは異なる、とさらに示唆されます。デニソワ人の顎については、中国の甘南チベット族自治州夏河県で発見された下顎はネアンデルタール人よりも頑丈で短くなっています。
◎文化
デニソワ洞窟から何千もの人工遺物が回収されましたが、これまではデニソワ人と関連するものはありません【2021年に公表された研究(関連記事)では、デニソワ人と石器との詳しい関連が検証されています】。これにより、デニソワ人に固有の文化的特性の詳細な全体像を形成することが困難になります。しかし、デニソワ人は知性の点では比較的発達しており、当時の他のヒトと同様の生活様式で暮らしていた、と推測できます。
デニソワ人は、化石分類ではなく遺伝子だけで明らかにされた最初の古代人類種です。デニソワ人はホモ属に分類されますが、身体の記述が存在しないので、種分類はまだ与えられていません。デニソワ人は、最初に化石が発見されたロシアの【シベリア南部のアルタイ山脈に位置する】デニソワ洞窟(Denisova Cave)に因んで命名されました。
◎発見の背景
●年代
この種【デニソワ人】に与えられた50万~30万年前頃という年代範囲は、存在する数点化石の年代測定、および遺伝学的研究と堆積物分析からの推定に基づいています。
デニソワ洞窟の堆積物は、デニソワ人が30万~5万年前頃に洞窟に居住していたことを示唆します。デニソワ人の化石は第11層でしか発見されていませんが、年代測定には断片的すぎます。同じ第11層の動物の骨は放射性炭素年代で5万年前頃ですが、第11層の最新部は30000~16000年前頃です。第11層とデニソワ人遺骸の正確な年代決定には、微小層序学がより多くの研究を必要とします。
遺伝子は、デニソワ人がネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のイトコであり、両者が50万~40万年前頃に分岐したことを明らかにします。パプアニューギニアの現代人におけるデニソワ人由来のDNAに関する研究は、両人口集団が46000年前頃に交雑したことを示唆します。別の交雑事象が3万年前頃、最近では15000年前頃に起きた可能性も示唆されています。15000年前頃の交雑の証拠は議論されていますが、デニソワ人が少なくとも3万年前頃に依然として存在していた可能性は高いようです。
●分布
これまで、デニソワ人の化石標本が発見されたのは、ロシアのシベリアのアルタイ山脈に位置する僻地の遺跡であるデニソワ洞窟と、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県のチベット高原の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)だけです【2022年に、ラオスで発見されたホモ属遺骸は、歯の形態からデニソワ人の可能性が高い、と指摘した研究(関連記事)が公表されました】。しかし、遺伝学的研究は、デニソワ人の故地がかつてアルタイ山脈からアジア東部への広がったことを示唆します。デニソワ人は現在のメラネシア人とオーストラリア先住民に遺伝子をもたらしたので、デニソワ人はアジア南部全域を移動したさいに、在来のメラネシア人およびオーストラリア先住民の祖先と接触した可能性がある地域に存在したはずです。
●名称の意味
デニソワ人はホモ属に位置づけられていますが、依然として合意された分類名がありません、デニソワ人は化石が発見されて特定された、ロシアのシベリアのデニソワ洞窟に因んで命名されました。
デニソワ洞窟にはさまざまな時代にホモ属3種が暮らしており、つまりデニソワ人とネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)です。DNAによりネアンデルタール人と特定された骨は、2010年にデニソワ洞窟(東回廊の第11.4層)で発見され、デニソワ人の指骨と同時代でした。ネアンデルタール人も、デニソワ洞窟およびアルタイ地域に、おもに4万年前頃とされるムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)尖頭器と削器を残しました、デニソワ洞窟には、現生人類の所産ともしれない、洗練された石器と骨器もありました。人工遺物や化石が発見された層の正確な年代は問題になっており、そうした人類の居住は順次的であった同時代的ではなかった可能性が最も高いようです。
◎重要な発見
デニソワ洞窟の発掘は1970年代以降続けられてきましたが、世界の見出しを飾ったのは、より最近のヒト遺骸の発見でした。
2008年には、小さな指骨(デニソワ3号)が第11層から回収されました。デニソワ3号は適切な年代範囲(5万~3万年前頃)で保存状態が良好だったので、DNA解析に送られました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAの配列決定の結果は2010年に刊行され、未知の古代型のヒトの女性のものとされました。デニソワ3号はネアンデルタール人および現生人類と密接に関連していますが、新種としての分類に値するのに充分なほど異なっていました。興味深いことに、デニソワ3号はネアンデルタール人DNAも少量有しており、デニソワ人とネアンデルタール人の両集団が以前に混合していた、と示唆されます。デニソワ3号は指骨の成長板が癒合していなかったので、死亡時に5~7歳でした。
デニソワ洞窟の他の標本は、全てDNAを通じて特定されました。デニソワ2号は1984年に発見された大臼歯1点で、194000~122700年前頃と推定されています。デニソワ4号は大臼歯1点で、2000年に発見されました。デニソワ8号は大臼歯1点で、2010年に発見されました。デニソワ11号は2014年に発見された長骨断片で、交雑個体と判断されました(後述)。デニソワ13号は2016年に発見された頭蓋後方の頭頂骨の断片で、mtDNA解析の後で2019年に発表されました。
2019年5月に、初めて、そして2020年現在では唯一、【デニソワ洞窟とは】別の場所から回収されたデニソワ人の化石が発表されました【上述のように、2022年に公表された研究では、ラオスで発見されたホモ属遺骸はデニソワ人の可能性が高い、と指摘されています】。1980年に仏教の僧侶が中国の甘粛省の白石崖溶洞を探索していたさいに発見した下顎は倉庫から取り出され、再分析されました。この下顎は、DNAが抽出できなかったので、タンパク質解析を用いて特定されました。その年代は、下顎骨の底に付着していた岩石物質のウラン系列年代測定により、少なくとも16万年前頃と年代測定されました。チベット高原の海抜3280mで発見された、この新たなデニソワ人の故地は、驚くべきことですが、現代チベット人へのデニソワ人からの遺伝的寄与を説明します(後述)。
デニソワ人と認識された全ての標本は、タンパク質もしくはDNAの解析に基づいて行なわれました【上述のように、2022年に公表された研究では、ラオスで発見されたホモ属遺骸が歯の形態に基づいてデニソワ人に分類されています】。身体的特徴に基づいてデニソワ人と記載された標本はまだありませんしかし、台湾海峡で発見された澎湖1(Penghu 1)下顎や、中国の許昌(Xuchang)で発見された頭蓋断片1号および2号など、アジアの未分類の人類化石の一部がデニソワ人である可能性はひじょうに高そうです。しかし、そうした化石はDNA検証に適していないので、デニソワ人化石との関係は不明なままです。
◎他の種との関係
●祖先系統
証拠から、ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類は全て、ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)の子孫か、ホモ・ハイデルベルゲンシスとの共通祖先を有していた、と示唆されます。DNA証拠は、この共通祖先が75万~60万年前頃に存在していたことを示唆します。したがって、この頃にホモ・ハイデルベルゲンシスの祖先集団がアフリカを離れ、その後すぐに分岐した可能性が高いようです。一方の枝はアジア西部とヨーロッパへと北進し、ネアンデルタール人になりました。もう一方の枝は東方へ移動し、デニソワ人になりました。アフリカに留まった枝は現生人類へと進化しました。
●交雑
DNAの証拠から、これら密接に関連する3種【デニソワ人とネアンデルタール人と現生人類】が後に遭遇して交雑し、各種が他種に遺伝物質を伝えたことも明らかになっています。たとえば、現在のヨーロッパ人とアジア人はネアンデルタール人から約1~4%を継承し、チベット人とメラネシア人オーストラリア先住民はデニソワ人のDNAの約3~5%【チベット人のゲノムにおけるデニソワ人由来領域の割合はメラネシア人やオーストラリア先住民よりずっと低く、他のユーラシア東部現代人とさほど変わりません】を有しています(これは、メラネシア人やオーストラリア先住民の祖先がオーストラリアやパプアニューギニアに移住したさいに、ユーラシア東部のデニソワ人と交雑したことにより説明できます)。2019年に刊行されたインドネシアとパプアニューギニアの現代人のDNAの詳細な分析(関連記事)によると、現生人類はデニソワ人と最近では30000~15000年前頃にさえ交雑したかもしれません。これらの推定が正しければ、デニソワ人は現生人類以外で最も新しい年代まで生存したことになります。
研究により、現生人類におけるデニソワ人のDNAは有利である、と明らかになりました。2014年の研究では、シェルパ(Sherpa)民族は、高地での呼吸を容易にするのに役立つ、デニソワ人のEPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)遺伝子の「超運動選手」多様体を継承している可能性が高い、と分かりました。
ヒトの種間の交雑と関連する最大の発見の一つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代個体、もしくは両親がヒトの異なる2種である個体でした。デニソワ11号は、2012年にデニソワ洞窟で発見された長骨の断片化石です。それは2016年まで、2000以上の識別されていない骨の断片の収集物に保管されていましたが、2016年にその断片群の多くでタンパク質解析が行なわれ、それらがヒトなのか非ヒト動物なのか、確認されました。
デニソワ11号はヒトと判明し、次により詳細な分析に送られました。デニソワ11号化石は今ではデニー(Denny)と呼ばれる少女と判明し、年齢は少なくとも13歳で、9万年前頃に存在していました。デニソワ11号【デニー】のDNA解析は2018年に大きな興奮とともに刊行され、デニーはデニソワ人の父親とネアンデルタール人の母親の第一世代の交雑でした。その遺伝学的研究を率いたのは、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボ(Svante Pääbo)氏とヴィヴィアン・スロン(Viviane Slon)氏でした。
◎身体的特徴
デニソワ人の化石はほとんど見つかっていないので、この絶滅したヒトについて分かっていることのほとんどはそのDNAに由来します。デニソワ人はまだ身体的特徴に基づいて記載されていませんが、以下は明らかな形質です。大臼歯は、ネアンデルタール人の歯で見られる特殊化した特徴を欠き、多くの異常な先端があり、現生人類の大臼歯とは似ていません。デニソワ人の大臼歯はネアンデルタール人もしくは現生人類と派生的特徴を共有しておらず、デニソワ人の進化史はネアンデルタール人および現生人類とは異なる、とさらに示唆されます。デニソワ人の顎については、中国の甘南チベット族自治州夏河県で発見された下顎はネアンデルタール人よりも頑丈で短くなっています。
◎文化
デニソワ洞窟から何千もの人工遺物が回収されましたが、これまではデニソワ人と関連するものはありません【2021年に公表された研究(関連記事)では、デニソワ人と石器との詳しい関連が検証されています】。これにより、デニソワ人に固有の文化的特性の詳細な全体像を形成することが困難になります。しかし、デニソワ人は知性の点では比較的発達しており、当時の他のヒトと同様の生活様式で暮らしていた、と推測できます。
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