フランス地中海地域の後期ネアンデルタール人のゲノムデータ(追記有)
フランス地中海地域の後期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノムデータを報告した研究(Slimak et al., 2023)が公表されました。本論文は査読前なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。本論文は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)で発見されたネアンデルタール人が、ヨーロッパの他の後期ネアンデルタール人とは遺伝的に異なる系統であることを明らかにしており、その他にも未知のネアンデルタール人系統が存在し、ネアンデルタール人においても遺伝的分化が進んでおり、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人においても遺伝的に異なる系統が複数存在したことを示しています。マンドリン洞窟には、このネアンデルタール人の前に現生人類(Homo sapiens)が一時的に居住してネロニアン(Neronian、ネロン文化)インダストリーを残しており、ネロニアンでは現生人類と関連する弓矢技術の存在も推定されているので(関連記事)、ネアンデルタール人と現生人類との関係、さらにはネアンデルタール人の絶滅の観点からもたいへん注目されます。
●要約
ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収され、その人口構造のますます複雑な全体像を描いており、後期ネアンデルタール人は深い人口構造の有意な証拠がない単一のメタ個体群【アレル(対立遺伝子)の交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団】に属している、とたいていは示唆されています。本論文は、フランスのマンドリン洞窟で回収されたトラン(Thorin)という愛称の後期ネアンデルタール人男性1個体の発見と、そのゲノムを報告します。臼後歯の稀な事例を含むこれらの歯顎化石は、50000~42000年前頃のこの地域における最終的な技術伝統の豊富な考古学的記録と関連しています。トランのゲノムは、他の後期ネアンデルタール人との深い分岐を明らかにします。トランは他の既知のヨーロッパの後期ネアンデルタール人との遺伝的な浸透性交雑を示さない小さな集団規模の個体群に属しており、近隣地域に居住しているにも関わらず、トランの系統の遺伝的孤立が明らかになります。これらの結果は、ネアンデルタール人の消滅原因についての競合仮説の解決に重要な意味を有しています。
●研究史
4万年前頃となるネアンデルタール人の絶滅の背後にある理由は、まだ広く議論されています。現生人類との競合もしくは交雑など、複数の理論が長年にわたって提示されてきましたが、この過程に関わる要因がおもに生態学的なのか社会的なのか、次にこれら人口集団間の歴史的な相互関係に基づいているのか、不明なままです(関連記事)。一部の研究者は、ネアンデルタール人と現生人類との間の社会か技術か行動の違いがネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、と示唆しましたが、そうした消滅の正確な(複数の)原因は不確実なままです(関連記事)。
古ゲノムおよび骨学的研究は、シベリアとヨーロッパの後期ネアンデルタール人における小さな有効人口規模と近親交配の兆候を明らかにしてきており(関連記事)、小さな集団規模と低い集団間の移動性により特徴づけられる社会的構造が示唆されています。これはユーラシアの初期現生人類から得られた最近の結果とは対照的で、そうした研究は、現生人類の小さな集団規模にも関わらず、低水準の近親交配とより高い集団間移動性を示しました(関連記事1および関連記事2)。これらの結果がより広いネアンデルタール人の社会組織を表しているのかどうか、まだ決定的ではありません。
2010年におけるネアンデルタール人のゲノムの最初の概要の刊行(関連記事)以来、ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収されてきており、ネアンデルタール人の遺伝的構造のますます複雑な全体像を描きつつあります。これまでに配列決定されたネアンデルタール人のゲノム間で最も深い分岐は、ユーラシア東西のネアンデルタール人集団間で見られ、東方の人口集団はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された12万年前頃の女性1個体(デニソワ5号)により表され(関連記事)、西方の人口集団はクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)で発見された44000年以上前となるネアンデルタール人女性1個体(ヴィンディヤ33.19)により表されます(関連記事)。
全ての他の利用可能なネアンデルタール人遺骸のゲノムデータは、ヨーロッパ西部において最古は、12万年前頃となるベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)とドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel、略してHST)洞窟で発見された遺骸からのもので、最近のものは4万年前頃となりますが、ユーラシア西部における約8万年間の遺伝的連続性が示唆されます(関連記事)。堆積物のDNAから得られた最近の結果では、この遺伝的景観はネアンデルタール人集団の105000年前頃の拡大により顕著に変わった、と示唆されています(関連記事)。これは、ヴィンディヤ洞窟個体(ヴィンディヤ33.19)などヨーロッパ中央部、ヨーロッパ・ロシアのメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟などコーカサス、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)個体(チャギルスカヤ8号)などシベリアから得られた標本により表されるヨーロッパ西部の標本における系統を生み出し、後者がそれ以前のアルタイ的人口集団を置換した可能性が高そうです。
コーカサスの1個体(メズマイスカヤ2号)を含むヨーロッパの後期(5万年前頃未満)ネアンデルタール人のゲノムは全て、他の既知の系統よりもヴィンディヤ的系統の方と類似しており、コーカサスもしくはヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の歴史の最終段階に向けての、さらなる人口置換が示唆されます。遺伝的類似性と地理的距離との間の密接な相関は、標本抽出された後期ネアンデルタール人集団間の大きな人口構造の欠如を示唆します。これらのパターンが、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人集団の同じ場所での長期にわたる進化の結果なのか、ヨーロッパへのヴィンディヤ的系統の最近の核だの結果なのか、不明なままです。
本論文は、2015年にフランス地中海地域のマンドリン洞窟で発見された、トランという愛称の後期ネアンデルタール人1個体を報告します。2015年以降、マンドリン洞窟では発掘が続き、初期現生人類が54000年前頃に一時的に居住していました(関連記事)。トランは、1979年のサン・セザール(Saint-Césaire)遺跡における発見以来、フランスで見つかった最も代表的なネアンデルタール人個体のうちの1つです。本論文は考古学と年代層序学と同位体とゲノムの分析を組み合わせて、トランは5万年前頃に遺伝的に孤立したままだった後期ネアンデルタール人集団に属していた、と示します。さらに、フランスのレス・コテス(Les Cottés)遺跡(関連記事)のネアンデルタール人1個体(コテスZ4-1514)におけるトラン系統とは異なる深く分岐した系統からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。本論文の結果は、絶滅時期に近いヨーロッパにおける複数の孤立した後期ネアンデルタール人共同体の存在を示唆し、過去数千年のさまざまなネアンデルタール人集団間のたとえあるとしても限定的な水準の相互作用を伴う、社会組織に光を当てます。
●標本
マンドリン洞窟はローヌ川渓谷に直接的に張り出している、フランス地中海地域に位置する岩陰です。マンドリン洞窟遺跡には12の主要な堆積物層があり、その年代は海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~3です。地質学的および微細形態学的分析から、マンドリン洞窟の考古学的層位はすべて、砂と沈泥の急速な風による堆積によってよく保存されている、と示されます。上部の層序は95%信頼区間(Confidence interval、略してCI)では年代的に65600~31000年前頃の8つの考古学的相違へと区分され、後期ネアンデルタール人社会と最初の現生人類集団の到来を含んでいます。これら各層では豊富な考古学的記録が得られ、合計で6万点以上の石器と7万点以上の動物相遺骸となります。マンドリン洞窟のほとんどの層では暖炉と人類遺骸も発見されました(関連記事)。
これら8つの考古学的層位は5つの文化段階に区分されました。F層はローヌ・キーナ(Rhodanian Quina)、E層はネロニアン、D層はネロニアン後1期(Post-Neronian I、略してPNI)、C2層からB2層はネロニアン後2期(Post-Neronian II、略してPNII)、B1層はプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian、先オーリニャック文化)です。マンドリン洞窟におけるネロニアンとPNIとPNII段階の文化的確定(関連記事)は、フランス南西部とブルゴーニュの近隣地域で見られる同年代(関連記事)のムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)およびシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)社会との大きな技術および文化の相違を示しています。
トランは2015年に岩陰の入口で、上層とB2層の岩盤との間の横方向の接触面にて発見されました(図1)。B2層は、マンドリン洞窟の最終ムステリアン段階となるPNII期の豊富な動物相および人工遺物と関連しています。トランは数点の断片により表され、大臼歯層の左口蓋突起の一部、断片的な下顎、31点の永久歯の上顎および下顎の歯が含まれます(図2)。上顎右側小臼歯および上顎左側犬歯は死後に失われましたが、2個の下顎過剰大臼歯(4個の大臼歯)が存在することは注目に値します。以下は本論文の図1です。
これらの歯は異形で、歯頚から根尖にかけての単一ではある者の大きな歯根のある、縮小して単純化した(非円錐形の)歯冠を示します。その2歯の咬合近心歯冠に影響を及ぼした著しい傾斜した摩耗面は、下顎第三大臼歯の遠位歯冠面と一致し、臼後歯が萌出中に第三大臼歯の歯冠に衝突したことを示唆します。全体的に、この個体の歯の形態はネアンデルタール人に典型的で、シャベル型の上顎中切歯、歯冠の下側側面で巨大な結核結節歯骨も示す上顎側切歯の顕著な唇側凸状、上顎大臼歯の下側に突き出たよく発達した下錐、高い根茎/枝比(つまり長髄歯)があります。以下は本論文の図2です。
歯列のほとんどは、とくに前歯で歯根尖においてセメント質増殖症と関連した歯根発達した咬合摩耗を示し、完全に発達した第三および第四大臼歯は、トランが成人個体であることを示唆します。発達した咬合摩耗もセメント質増殖症と関連しており、歯と顎がこの個体の障害において重度の(異常な)咀嚼圧力下にあったことを示唆します。これらの遺骸は典型的なネアンデルタール人の特徴を示し、それは親指遠位骨の尺骨側偏位と、遠位指骨結節の拡大です。これまでに回収されたヒト遺骸のすべては成人期のもので、さまざまな要素の解剖学的表示は単一の個体の存在と一致します。
歯は典型的なネアンデルタール人の特徴を示しますが、2個の過剰な第四大臼歯は注目に値します。下顎臼後歯は現代人ではひじょうに稀で(約0.02%)、本論文が把握している限りでは、これまで更新世のホモ属では報告されていませんが、他の種類の過剰歯がネアンデルタール人と旧石器時代の現生人類についていくつかの事例で記載されてきました(関連記事)。臼後歯の存在の原因は依然として議論されています。現生霊長類の初期世代の交雑個体で見られる歯骨異常の研究は、臼後歯の比較的高い発生率を示します。
ヨーロッパ西部の旧石器時代遺跡群の最近の分析から、伝統的にネアンデルタール人のみの所産とされてきたムステリアン石器インダストリーは、較正年代で41000~39000年前頃に終焉した、と示唆されています(関連記事)。ユーラシア全体では、10ヶ所の遺跡で5万~4万年前頃と直接的に年代測定されたネアンデルタール人遺骸が得られていますが、フランスではわずか4ヶ所の遺跡、つまりアルシ・スュル・キュール(Arcy-sur-Cure)とレス・コテスとラ・フェラシー(La Ferrassie)遺跡とサン・セザールでのみ、限外濾過法を経て較正年代で45000~40000年前頃の年代が得られました。したがって、長い存在の最終段階に間違いなく分類されるネアンデルタール人ネアンデルタール人遺骸はとくに珍しく、ネアンデルタール人遺骸は基本的に、層序学的および考古学的文脈がほとんどないか、議論の余地のある、数十年前に発掘された遺跡に由来します。
放射性炭素年代測定の破壊的過程についてより広範囲のさほど貴重ではない標本を提供するため、ZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)のコラーゲンペプチド質量フィンガープリント法により、先行研究に従ってトランに由来すると推測される80点の断片的な骨遺骸が検査されました。ヒト科と一致する範囲を産出した標本(関連記事)は、オックスフォード放射性炭素加速器単位で年代測定されました。ヒドロキシプロリンが加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)年代測定のため抽出され、その信頼性と汚染除去が保証されました。人類遺骸の選択も、古プロテオーム(タンパク質の総体)解析配列決定と、現生人類分類群を古代型ホモ属から区別するその能力によってもさらに調べられましたが、完新世の堆積物から得られた既知の現生人類遺骸との比較は、問題があると証明されました。
トランの、直接的なウラン系列(U-series、略してUS)年代測定と、組み合わされたウラン系列および電子スピン共鳴法(electron spin resonance、略してESR)年代測定(US-ESR)も、トランの下顎左側第三小臼歯の歯冠の断片で行なわれました。B2層からの追加の動物相遺骸は、同じ手法を用いて直接的に年代測定されました。象牙質とエナメル質におけるウランの拡散および蓄積パターンが、同位体分析の前に得られました。化石における拡散モデルとウラン系列年代の分布によると、B2層のネアンデルタール人遺骸の下限年代は43500±4100年前と割り当てることができます。US-ESRモデル化は統計的に区別できない有限年代を示し、トランについては48000+5000/-13000年前、B2層の動物相については49000+5000/-10000年前です。
PNII層内(C2~B2層)のトランについて堅牢な年代推定値を決定するため、マンドリン洞窟におけるより広範な層序系列のモデル化も行なわれました。そのモデルはトランについて較正年代で、51300~48900年前頃(68.2%の確率)と52900~48050年前頃(95.4%)を示しました(図3)。以下は本論文の図3です。
トランの歯の1個で測定された炭素と窒素と酸素とストロンチウムの同位体比は、MIS5の場合のような森林のある温暖な気候条件ではなく、開けた景観と寒冷な気候条件で暮らしていた1個体と完全に合致し、C2~B2層の堆積物の特徴、直接的な年代測定結果と一致します。
●トランは特徴的なネアンデルタール人系統を表しています
第一大臼歯の歯根断片が、トランの全ゲノム配列の生成に用いられました。これは、現代人の汚染を劇的に減らす3つの異なるDNA抽出(E1とE2とE3)と、内在性ヒトDNAの断片を増加させる全ゲノム溶液内捕獲により行なわれました。(使用者が処理していない)生のDNA抽出で構築されたライブラリは、末端のシトシンからチミン(C>T)およびグアニンからアデニン(G>A)の置換率上昇を示し、これは確実な古代DNAデータと一致します。しかし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体を用いての汚染率の分析、および核DNAでの構成員等級モデル(grade-of-membership model、略してGoMモデル、個体が1人口集団を特徴づける1群の部分的な構成員であることを許容する、個体水準のモデル)は、最初の抽出E1で生成されたデータにおける、かなり高水準の現代人のDNAによる汚染を明らかにしました(mtDNAに基づく推定は13~60%、X染色体に基づく推定は13~29%)。したがって、その後の分析は抽出E2とE3から得たデータに限定され、再推定されたmtDNAと核DNAの汚染率はそれぞれ1%未満と0.01%で、網羅率の最終的な平均深度が核ゲノムでは1.3倍、mtDNAでは561倍となりました。本論文のデータにおける参照と捕獲の偏りの可能性は、両方の事例で有意ではないD値が得られるD統計で除外されます。
X染色体とY染色体にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りを用いての分子的な性別決定は、トラン個体が男性と示しました。ミトコンドリア(MT)ゲノムの系統発生分析は、トランのMTゲノムがジブラルタルのフォーブス採石場(Forbes’ Quarry、略してFQ)個体と最も密接に関連していることを明らかにしました。トランとFQ個体の両方は、ポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)個体(スタイニヤS5000)やスペイン北部のアタプエルカ考古学・古生物学複合の一部である彫像坑道(Galería de las Estatuas、略してGE)で発見された個体、65000年前頃となるコーカサスのメズマイスカヤ1号など、他の最近記載されたヨーロッパのネアンデルタール人標本とクレード(単系統群)を形成し、これまでに配列決定された他の後期ユーラシア西部ネアンデルタール人とは異なります(図4A)。Y染色体の分析は類似の結果を示し、ブートストラップの裏づけは限定的ですが、トランの配列は他の後期ネアンデルタール人2個体の前に分岐します(図4B)。以下は本論文の図4です。
BEAST2を用いて、トランについて10万年前頃の分枝年代推定値が得られましたが、これは、トランが発掘された堆積物層で得られた、炭素14やウラン系列法や光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)法の年代より5万年ほど古くなります。年代の同様の不一致は、以前にチャギルスカヤ8号(関連記事)とスタイニヤS5000(関連記事)で観察されました。とくに、先端較正で用いられた直接的に年代測定された標本は、後期ネアンデルタール人のクレードに限定されおり(図4A)、全体の系統樹の浅い部分のみを覆っており、置換率が系統全体で異なる場合、不正確な推定につながるかもしれません。
これを検証するため、系統樹での置換率の差異を考慮して、5万年前頃(95% CIで55000~45000年前)の問題を用いて、追加の較正点としてトランを含む追加のBEAST2分析が実行されました。得られたチャギルスカヤ8号(7万年前頃、95% CIで94000~48000年前)とスタイニヤS5000(77000年前頃、95% CIで103000~53000年前)の先端年代は、それぞれの考古学的文脈(6万年前頃と5万年前頃)で得られた年代にかなり近づく、と分かりました。同様に、74000年前頃とされるメズマイスカヤ1号の分枝年代推定値も、7万~6万年前頃の推定値と一致しました。推定置換率は比較的狭い範囲内に留まり、トランのMTクレードにおける標本の最初の分枝年代は過大評価された可能性が高い、と示唆されます。このモデルでは、トランクレードの分岐年代は123000年前頃と推定されますが、HSTと他のネアンデルタール人との間の分岐年代は215000年前頃、現生人類と全てのネアンデルタール人との間の分岐年代は33万年前頃と推定されます。
現時点で利用可能な高品質なゲノムのある3つの最も深く分岐した古代型【非現生人類ホモ属】系統である、ネアンデルタール人のヴィンディヤ33.19およびアルタイ山脈個体【デニソワ5号】と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)デニソワ3号の主成分分析(principal component analysi、略してPCA)への投影により、低網羅率のネアンデルタール人とチャギルスカヤ8号の広範な人口構造が調べられました。投影された個体群はヴィンディヤ33.19に向かって勾配を形成し、以前に報告されたアルタイ山脈ネアンデルタール人【デニソワ5号】とよりも近い祖先の共有と一致します。興味深いことに、トランの位置はこの勾配内に収まるものの、他のどの後期ネアンデルタール人個体よりもヴィンディヤ33.19から離れており、ヴィンディヤ33.19とのより遠い関係が示唆されます。D統計では、8万年前頃未満のヨーロッパとコーカサスとシベリアのネアンデルタール人はトランとよりもヴィンディヤ33.19の方と多くアレル(対立遺伝子)を共有しており、トラン系統はそれらの系統の外群を形成する、と確証されました(図5)。以下は本論文の図5です。
例外はジブラルタルのネアンデルタール人標本FQ(関連記事)で、トランと共有される弱いものの有意な過剰アレルの兆候を示し、両者の密接に関連するMT配列と一致します(図6)。さらに、トランは他のすべのユーラシア西部ネアンデルタール人との比較において、現生人類と共有される過剰なアレルを示さず、現生人類と交雑したネアンデルタール人系統はトラン系統の前に分岐した、と示唆され、マンドリン洞窟における初期現生人類との近い過去での交雑の可能性は除外されます。以下は本論文の図6です。
momi2に実装されている部位頻度範囲に基づく手法を用いて人口統計学的モデル化が実行されました。momi2は、高品質のゲノムから推測された「足場(scaffold)」へと低網羅率の個体群の配置を可能とします。まず、高網羅率のネアンデルタール人(デニソワ5号とチャギルスカヤ8号とヴィンディヤ33.19)とデニソワ人(デニソワ3号)を含む「足場」人口統計が当てはめられ、以前に推測された人口統計学的事象へと組み込まれました。次に、低網羅率標本であるトランとメズマイスカヤ1号がこの「足場」に追加され、デニソワ5号からの分岐後のあらゆる時点におけるヴィンディヤ33.19からの分岐が可能となります。最適モデルはヴィンディヤ33.19からのトラン系統の分岐を102861年前頃(95% CIで100267~105169年前)と推定し、これはメズマイスカヤ1号(82617年前頃、95% CIで85606~79313年前)もしくはチャギルスカヤ8号(79458年前頃、95% CIで80892~77600年前)の推定分岐年代よりかなり早く、D統計およびmtDNAの結果と一致します。
低網羅率のネアンデルタール人のゲノムにおける同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を検出する新たな手法を用いて、他のヨーロッパの後期ネアンデルタール人と比較してトラン系統のゲノムにおける同型接合性増加の証拠が見つかりました。トランはそのゲノムの7%ほどが500万塩基対もしくはそれ以上の同型接合断片で、近い過去の近親交配を示唆する合計2000万塩基対以上の断片では、4500万塩基対(1.5%)が含まれます(図7)。まとめると、本論文の結果は、利用可能なゲノムデータのある他の後期ネアンデルタール人集団から、トラン集団は規模が小さく長期間遺伝的に孤立していた、と示唆されます。以下は本論文の図7です。
●5万年前頃に存在した他の孤立系統?
後期ネアンデルタール人の時代における人口置換の可能性がさらに調べられました。メズマイスカヤ2号のコーカサス系統が他のヨーロッパ後期ネアンデルタール人に対して外群を形成するのかどうか、検証するD統計を用いて、43000年前頃となるフランスのレス・コテスZ4-1514標本における「深い」ネアンデルタール人からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。興味深いことに、レス・コテスZ4-1514個体はアルタイ山脈のオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)とチャギルスカヤ洞窟で発見されたシベリアのネアンデルタール人と最も密接に関連するmtDNA系統を有しています(図4A)。
以前の最適モデルへのレス・コテスZ4-1514個体とメズマイスカヤ2号の人口統計学的モデル化から、89000年前頃に分岐した標本抽出されていないゴースト(亡霊)系統からレス・コテスZ4-1514個体への遺伝子流動のあるモデルが、遺伝子流動なしのモデルよりも有意に適切に一致する、と明らかになりました。トラン系統から分岐したと制約された亡霊系統を含む代替的なモデルでも、トラン系統の分岐に近い亡霊系統の分岐年代となり、より適していない合致が得られました。
したがって、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代の地理的に近い場所における少なくとも2つの深く分岐して孤立した系統の存在を示唆します。これらの系統はその後、存在していた最後の1万年間にヨーロッパ西部へのヴィンディヤ的系統の拡大により部分的に置換されました。興味深いことに、メズマイスカヤ洞窟のヨーロッパ東部の後期ネアンデルタール人(メズマイスカヤ2号)も高水準の同型接合性を示しており、小さな集団規模もヴィンディヤ的人口集団外の後期ネアンデルタール人において一般的だった可能性が高そうです。
●考察
トランは1979年以降にフランスで発見された最も完全なネアンデルタール人個体で、ヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の存在の最後の数千年にさかのぼる他のネアンデルタール人集団に収まります。これまで、他の後期ネアンデルタール人の集団遺伝学的分析では、後期ネアンデルタール人はその中に深い人口構造の有意な証拠がない単一のメタ個体群に属する、と示唆されてきました(関連記事)。本論文のゲノム分析では、トランは、それ以前のヨーロッパのネアンデルタール人の残りを表す、深く分岐したヨーロッパのネアンデルタール人系統に属する、と論証されたので、トランのゲノムは後期ネアンデルタール人の人口構造に新たな光を当てます。興味深いことに、この系統の分岐は105000~100000年前頃に始まり、これはユーラシア全域における急速な気候および環境変化とユーラシア全体で温暖な環境に適応した動物相の再増殖が見られた期間です。この分岐の時期は、ネアンデルタール人集団においてスペイン北部で検出された人口置換の期間とも一致します(関連記事)。
トランの系統と他の既知のネアンデルタール人および現生人類系統との間の遺伝子流動について検証した本論文の分析は、ヨーロッパ西部における5万年前頃の後期ネアンデルタール人の孤立した集団の存在を示唆します。この人口集団は特徴的なPNII石器伝統と関連しており、この石器伝統はマンドリン洞窟の最後の4ムステリアン層(C2層~B2層)で証明されており、年代は95%CIで52900~43000年前頃で、ユーラシアにおけるネアンデルタール人集団の最終的な消滅と重なっています。したがって、トランは地中海フランスのこの地域における最後の代表的なネアンデルタール人集団の1つに属していた可能性が高く、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人における深い人口構造の最初の直接的なゲノム証拠を提出します。トランとFQ個体との間で観察された遺伝的関係(人口統計学的モデル化でも示唆されました)から、ジブラルタルのネアンデルタール人は広がったヨーロッパ南西部メタ個体群の構成員だったかもしれない、と示唆され、そうした個体について以前に予測されていたよりもずっと後の年代の可能性が高くなります。しかし、FQ個体のデータが疎らなため、これ以上の結論を導き出せません。
トランと他のヨーロッパ西部ネアンデルタール人との間の遺伝的違いは、ヨーロッパでの解剖学的現代人の拡大に続くか、それと関連する人口置換の主要な過程を示しているかもしれません。興味深いことにトランは、ヨーロッパにおける最初の現生人類の侵入(関連記事)後の、マンドリン洞窟のネアンデルタール人の再居住段階に相当します。トラン系統の何千年にもわたる遺伝的孤立は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の消滅および最後のネアンデルタール人と初期現生人類との間の相互作用の様相の議論と関連する新たな問題を提起します。
後期ネアンデルタール人遺骸の追加のDNA解析と確実な年代測定が、この人口集団が局所的にローヌ渓谷中部に広がっていたのかどうか、あるいはジブラルタルとのつながりにより示唆されるようにトラン系統がヨーロッパ全域により広く分布していたのかどうか、理解するのに今や重要です。スペイン北部の彫像坑道(GE)人口集団の堆積物常染色体DNAデータは、残念ながらトランとのより密接な類似性を確証するのに充分な網羅率ではありません。しかし、イベリア半島(ジブラルタルとGE)とフランス南西部からポーランド(スタイニヤ洞窟)までとなるトランのmtDNAクレード内でのヨーロッパのネアンデルタール人の標本抽出位置は、より広範な分布を裏づけており、ネアンデルタール人集団の105000年前頃の提案された放散と一致するでしょう。
最初の現生人類と最後のネアンデルタール人との間の相互作用が、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、と一般的推測されていますが、これまで認識されていなかった後期ネアンデルタール人集団の予期せぬ同定は、後期ネアンデルタール人におけるずっと複雑な人口構造を明らかにし、ネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たした可能性がある、その社会的もしくは行動的組織をさらに調査すべき、新たな一連の問題を提起します。
トランに代表される系統に加えて、本論文の人口統計学的モデル化は、フランスのネアンデルタール人個体レス・コテスZ4-1514を通じて存在した別の深く分岐した「亡霊」系統の直接的証拠を提起します。本論文の人口統計学的モデル化から、この遺伝子移入系統は、レス・コテスZ4-1514が密接に関連するMT系統も共有している、メズマイスカヤ1号とアルタイ地域の個体チャギルスカヤ8号の分岐とより近いトランの系統の後でしばらくして分岐した、と示唆されます。この亡霊系統が、10万年前頃以後ではあるものの、古典的な後期ネアンデルタール人の前となる系統のまだ知られていないさらなる放散の一部を形成するのかどうか、その期間の頃のゲノムデータのより高密度の標本抽出なしには分からないままです。
それにも関わらず、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代にヨーロッパに存在した少なくとも2つの異なるネアンデルタール人系統を示唆します。トラン系統と他のネアンデルタール人系統との間の検出可能な遺伝子流動の欠如から、トランは5万年間孤立したままだった系統を表している、と結論づけられます。ローヌ渓谷の後期ムステリアンインダストリーを区別する深い文化的および技術的特異性が長い間提案されてきており、MIS5~3のこれらフランス地中海地域のネアンデルタール人社会が異なる技術的背景を有していた、と強調されます。隣接地域からネアンデルタール人社会を区別するこれらの文化的特徴は、これらの社会間の深い遺伝的孤立と並行していたかもしれません。したがって、本論文の結果はネアンデルタール人の社会組織にも光を当て、ネアンデルタール人の社会構造の恐らくはより一般的な特徴として、集団間の交流が限定的で、なかったかもしれない小さな孤立した人口集団を示唆します。
参考文献:
Slimak L. et al.(2023): A late Neanderthal reveals genetic isolation in their populations before extinction. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2023.04.10.536015
追記(2024年9月1日)
本論文が『Cell Genomics』誌に掲載されたので、当ブログで取り上げました(関連記事)。
●要約
ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収され、その人口構造のますます複雑な全体像を描いており、後期ネアンデルタール人は深い人口構造の有意な証拠がない単一のメタ個体群【アレル(対立遺伝子)の交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団】に属している、とたいていは示唆されています。本論文は、フランスのマンドリン洞窟で回収されたトラン(Thorin)という愛称の後期ネアンデルタール人男性1個体の発見と、そのゲノムを報告します。臼後歯の稀な事例を含むこれらの歯顎化石は、50000~42000年前頃のこの地域における最終的な技術伝統の豊富な考古学的記録と関連しています。トランのゲノムは、他の後期ネアンデルタール人との深い分岐を明らかにします。トランは他の既知のヨーロッパの後期ネアンデルタール人との遺伝的な浸透性交雑を示さない小さな集団規模の個体群に属しており、近隣地域に居住しているにも関わらず、トランの系統の遺伝的孤立が明らかになります。これらの結果は、ネアンデルタール人の消滅原因についての競合仮説の解決に重要な意味を有しています。
●研究史
4万年前頃となるネアンデルタール人の絶滅の背後にある理由は、まだ広く議論されています。現生人類との競合もしくは交雑など、複数の理論が長年にわたって提示されてきましたが、この過程に関わる要因がおもに生態学的なのか社会的なのか、次にこれら人口集団間の歴史的な相互関係に基づいているのか、不明なままです(関連記事)。一部の研究者は、ネアンデルタール人と現生人類との間の社会か技術か行動の違いがネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、と示唆しましたが、そうした消滅の正確な(複数の)原因は不確実なままです(関連記事)。
古ゲノムおよび骨学的研究は、シベリアとヨーロッパの後期ネアンデルタール人における小さな有効人口規模と近親交配の兆候を明らかにしてきており(関連記事)、小さな集団規模と低い集団間の移動性により特徴づけられる社会的構造が示唆されています。これはユーラシアの初期現生人類から得られた最近の結果とは対照的で、そうした研究は、現生人類の小さな集団規模にも関わらず、低水準の近親交配とより高い集団間移動性を示しました(関連記事1および関連記事2)。これらの結果がより広いネアンデルタール人の社会組織を表しているのかどうか、まだ決定的ではありません。
2010年におけるネアンデルタール人のゲノムの最初の概要の刊行(関連記事)以来、ネアンデルタール人のゲノムはユーラシアの遺跡から回収されてきており、ネアンデルタール人の遺伝的構造のますます複雑な全体像を描きつつあります。これまでに配列決定されたネアンデルタール人のゲノム間で最も深い分岐は、ユーラシア東西のネアンデルタール人集団間で見られ、東方の人口集団はシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された12万年前頃の女性1個体(デニソワ5号)により表され(関連記事)、西方の人口集団はクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)で発見された44000年以上前となるネアンデルタール人女性1個体(ヴィンディヤ33.19)により表されます(関連記事)。
全ての他の利用可能なネアンデルタール人遺骸のゲノムデータは、ヨーロッパ西部において最古は、12万年前頃となるベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)とドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel、略してHST)洞窟で発見された遺骸からのもので、最近のものは4万年前頃となりますが、ユーラシア西部における約8万年間の遺伝的連続性が示唆されます(関連記事)。堆積物のDNAから得られた最近の結果では、この遺伝的景観はネアンデルタール人集団の105000年前頃の拡大により顕著に変わった、と示唆されています(関連記事)。これは、ヴィンディヤ洞窟個体(ヴィンディヤ33.19)などヨーロッパ中央部、ヨーロッパ・ロシアのメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)洞窟などコーカサス、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)個体(チャギルスカヤ8号)などシベリアから得られた標本により表されるヨーロッパ西部の標本における系統を生み出し、後者がそれ以前のアルタイ的人口集団を置換した可能性が高そうです。
コーカサスの1個体(メズマイスカヤ2号)を含むヨーロッパの後期(5万年前頃未満)ネアンデルタール人のゲノムは全て、他の既知の系統よりもヴィンディヤ的系統の方と類似しており、コーカサスもしくはヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の歴史の最終段階に向けての、さらなる人口置換が示唆されます。遺伝的類似性と地理的距離との間の密接な相関は、標本抽出された後期ネアンデルタール人集団間の大きな人口構造の欠如を示唆します。これらのパターンが、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人集団の同じ場所での長期にわたる進化の結果なのか、ヨーロッパへのヴィンディヤ的系統の最近の核だの結果なのか、不明なままです。
本論文は、2015年にフランス地中海地域のマンドリン洞窟で発見された、トランという愛称の後期ネアンデルタール人1個体を報告します。2015年以降、マンドリン洞窟では発掘が続き、初期現生人類が54000年前頃に一時的に居住していました(関連記事)。トランは、1979年のサン・セザール(Saint-Césaire)遺跡における発見以来、フランスで見つかった最も代表的なネアンデルタール人個体のうちの1つです。本論文は考古学と年代層序学と同位体とゲノムの分析を組み合わせて、トランは5万年前頃に遺伝的に孤立したままだった後期ネアンデルタール人集団に属していた、と示します。さらに、フランスのレス・コテス(Les Cottés)遺跡(関連記事)のネアンデルタール人1個体(コテスZ4-1514)におけるトラン系統とは異なる深く分岐した系統からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。本論文の結果は、絶滅時期に近いヨーロッパにおける複数の孤立した後期ネアンデルタール人共同体の存在を示唆し、過去数千年のさまざまなネアンデルタール人集団間のたとえあるとしても限定的な水準の相互作用を伴う、社会組織に光を当てます。
●標本
マンドリン洞窟はローヌ川渓谷に直接的に張り出している、フランス地中海地域に位置する岩陰です。マンドリン洞窟遺跡には12の主要な堆積物層があり、その年代は海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~3です。地質学的および微細形態学的分析から、マンドリン洞窟の考古学的層位はすべて、砂と沈泥の急速な風による堆積によってよく保存されている、と示されます。上部の層序は95%信頼区間(Confidence interval、略してCI)では年代的に65600~31000年前頃の8つの考古学的相違へと区分され、後期ネアンデルタール人社会と最初の現生人類集団の到来を含んでいます。これら各層では豊富な考古学的記録が得られ、合計で6万点以上の石器と7万点以上の動物相遺骸となります。マンドリン洞窟のほとんどの層では暖炉と人類遺骸も発見されました(関連記事)。
これら8つの考古学的層位は5つの文化段階に区分されました。F層はローヌ・キーナ(Rhodanian Quina)、E層はネロニアン、D層はネロニアン後1期(Post-Neronian I、略してPNI)、C2層からB2層はネロニアン後2期(Post-Neronian II、略してPNII)、B1層はプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian、先オーリニャック文化)です。マンドリン洞窟におけるネロニアンとPNIとPNII段階の文化的確定(関連記事)は、フランス南西部とブルゴーニュの近隣地域で見られる同年代(関連記事)のムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)およびシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)社会との大きな技術および文化の相違を示しています。
トランは2015年に岩陰の入口で、上層とB2層の岩盤との間の横方向の接触面にて発見されました(図1)。B2層は、マンドリン洞窟の最終ムステリアン段階となるPNII期の豊富な動物相および人工遺物と関連しています。トランは数点の断片により表され、大臼歯層の左口蓋突起の一部、断片的な下顎、31点の永久歯の上顎および下顎の歯が含まれます(図2)。上顎右側小臼歯および上顎左側犬歯は死後に失われましたが、2個の下顎過剰大臼歯(4個の大臼歯)が存在することは注目に値します。以下は本論文の図1です。
これらの歯は異形で、歯頚から根尖にかけての単一ではある者の大きな歯根のある、縮小して単純化した(非円錐形の)歯冠を示します。その2歯の咬合近心歯冠に影響を及ぼした著しい傾斜した摩耗面は、下顎第三大臼歯の遠位歯冠面と一致し、臼後歯が萌出中に第三大臼歯の歯冠に衝突したことを示唆します。全体的に、この個体の歯の形態はネアンデルタール人に典型的で、シャベル型の上顎中切歯、歯冠の下側側面で巨大な結核結節歯骨も示す上顎側切歯の顕著な唇側凸状、上顎大臼歯の下側に突き出たよく発達した下錐、高い根茎/枝比(つまり長髄歯)があります。以下は本論文の図2です。
歯列のほとんどは、とくに前歯で歯根尖においてセメント質増殖症と関連した歯根発達した咬合摩耗を示し、完全に発達した第三および第四大臼歯は、トランが成人個体であることを示唆します。発達した咬合摩耗もセメント質増殖症と関連しており、歯と顎がこの個体の障害において重度の(異常な)咀嚼圧力下にあったことを示唆します。これらの遺骸は典型的なネアンデルタール人の特徴を示し、それは親指遠位骨の尺骨側偏位と、遠位指骨結節の拡大です。これまでに回収されたヒト遺骸のすべては成人期のもので、さまざまな要素の解剖学的表示は単一の個体の存在と一致します。
歯は典型的なネアンデルタール人の特徴を示しますが、2個の過剰な第四大臼歯は注目に値します。下顎臼後歯は現代人ではひじょうに稀で(約0.02%)、本論文が把握している限りでは、これまで更新世のホモ属では報告されていませんが、他の種類の過剰歯がネアンデルタール人と旧石器時代の現生人類についていくつかの事例で記載されてきました(関連記事)。臼後歯の存在の原因は依然として議論されています。現生霊長類の初期世代の交雑個体で見られる歯骨異常の研究は、臼後歯の比較的高い発生率を示します。
ヨーロッパ西部の旧石器時代遺跡群の最近の分析から、伝統的にネアンデルタール人のみの所産とされてきたムステリアン石器インダストリーは、較正年代で41000~39000年前頃に終焉した、と示唆されています(関連記事)。ユーラシア全体では、10ヶ所の遺跡で5万~4万年前頃と直接的に年代測定されたネアンデルタール人遺骸が得られていますが、フランスではわずか4ヶ所の遺跡、つまりアルシ・スュル・キュール(Arcy-sur-Cure)とレス・コテスとラ・フェラシー(La Ferrassie)遺跡とサン・セザールでのみ、限外濾過法を経て較正年代で45000~40000年前頃の年代が得られました。したがって、長い存在の最終段階に間違いなく分類されるネアンデルタール人ネアンデルタール人遺骸はとくに珍しく、ネアンデルタール人遺骸は基本的に、層序学的および考古学的文脈がほとんどないか、議論の余地のある、数十年前に発掘された遺跡に由来します。
放射性炭素年代測定の破壊的過程についてより広範囲のさほど貴重ではない標本を提供するため、ZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)のコラーゲンペプチド質量フィンガープリント法により、先行研究に従ってトランに由来すると推測される80点の断片的な骨遺骸が検査されました。ヒト科と一致する範囲を産出した標本(関連記事)は、オックスフォード放射性炭素加速器単位で年代測定されました。ヒドロキシプロリンが加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)年代測定のため抽出され、その信頼性と汚染除去が保証されました。人類遺骸の選択も、古プロテオーム(タンパク質の総体)解析配列決定と、現生人類分類群を古代型ホモ属から区別するその能力によってもさらに調べられましたが、完新世の堆積物から得られた既知の現生人類遺骸との比較は、問題があると証明されました。
トランの、直接的なウラン系列(U-series、略してUS)年代測定と、組み合わされたウラン系列および電子スピン共鳴法(electron spin resonance、略してESR)年代測定(US-ESR)も、トランの下顎左側第三小臼歯の歯冠の断片で行なわれました。B2層からの追加の動物相遺骸は、同じ手法を用いて直接的に年代測定されました。象牙質とエナメル質におけるウランの拡散および蓄積パターンが、同位体分析の前に得られました。化石における拡散モデルとウラン系列年代の分布によると、B2層のネアンデルタール人遺骸の下限年代は43500±4100年前と割り当てることができます。US-ESRモデル化は統計的に区別できない有限年代を示し、トランについては48000+5000/-13000年前、B2層の動物相については49000+5000/-10000年前です。
PNII層内(C2~B2層)のトランについて堅牢な年代推定値を決定するため、マンドリン洞窟におけるより広範な層序系列のモデル化も行なわれました。そのモデルはトランについて較正年代で、51300~48900年前頃(68.2%の確率)と52900~48050年前頃(95.4%)を示しました(図3)。以下は本論文の図3です。
トランの歯の1個で測定された炭素と窒素と酸素とストロンチウムの同位体比は、MIS5の場合のような森林のある温暖な気候条件ではなく、開けた景観と寒冷な気候条件で暮らしていた1個体と完全に合致し、C2~B2層の堆積物の特徴、直接的な年代測定結果と一致します。
●トランは特徴的なネアンデルタール人系統を表しています
第一大臼歯の歯根断片が、トランの全ゲノム配列の生成に用いられました。これは、現代人の汚染を劇的に減らす3つの異なるDNA抽出(E1とE2とE3)と、内在性ヒトDNAの断片を増加させる全ゲノム溶液内捕獲により行なわれました。(使用者が処理していない)生のDNA抽出で構築されたライブラリは、末端のシトシンからチミン(C>T)およびグアニンからアデニン(G>A)の置換率上昇を示し、これは確実な古代DNAデータと一致します。しかし、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体を用いての汚染率の分析、および核DNAでの構成員等級モデル(grade-of-membership model、略してGoMモデル、個体が1人口集団を特徴づける1群の部分的な構成員であることを許容する、個体水準のモデル)は、最初の抽出E1で生成されたデータにおける、かなり高水準の現代人のDNAによる汚染を明らかにしました(mtDNAに基づく推定は13~60%、X染色体に基づく推定は13~29%)。したがって、その後の分析は抽出E2とE3から得たデータに限定され、再推定されたmtDNAと核DNAの汚染率はそれぞれ1%未満と0.01%で、網羅率の最終的な平均深度が核ゲノムでは1.3倍、mtDNAでは561倍となりました。本論文のデータにおける参照と捕獲の偏りの可能性は、両方の事例で有意ではないD値が得られるD統計で除外されます。
X染色体とY染色体にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)読み取りを用いての分子的な性別決定は、トラン個体が男性と示しました。ミトコンドリア(MT)ゲノムの系統発生分析は、トランのMTゲノムがジブラルタルのフォーブス採石場(Forbes’ Quarry、略してFQ)個体と最も密接に関連していることを明らかにしました。トランとFQ個体の両方は、ポーランドのスタイニヤ洞窟(Stajnia Cave)個体(スタイニヤS5000)やスペイン北部のアタプエルカ考古学・古生物学複合の一部である彫像坑道(Galería de las Estatuas、略してGE)で発見された個体、65000年前頃となるコーカサスのメズマイスカヤ1号など、他の最近記載されたヨーロッパのネアンデルタール人標本とクレード(単系統群)を形成し、これまでに配列決定された他の後期ユーラシア西部ネアンデルタール人とは異なります(図4A)。Y染色体の分析は類似の結果を示し、ブートストラップの裏づけは限定的ですが、トランの配列は他の後期ネアンデルタール人2個体の前に分岐します(図4B)。以下は本論文の図4です。
BEAST2を用いて、トランについて10万年前頃の分枝年代推定値が得られましたが、これは、トランが発掘された堆積物層で得られた、炭素14やウラン系列法や光刺激ルミネッセンス(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)法の年代より5万年ほど古くなります。年代の同様の不一致は、以前にチャギルスカヤ8号(関連記事)とスタイニヤS5000(関連記事)で観察されました。とくに、先端較正で用いられた直接的に年代測定された標本は、後期ネアンデルタール人のクレードに限定されおり(図4A)、全体の系統樹の浅い部分のみを覆っており、置換率が系統全体で異なる場合、不正確な推定につながるかもしれません。
これを検証するため、系統樹での置換率の差異を考慮して、5万年前頃(95% CIで55000~45000年前)の問題を用いて、追加の較正点としてトランを含む追加のBEAST2分析が実行されました。得られたチャギルスカヤ8号(7万年前頃、95% CIで94000~48000年前)とスタイニヤS5000(77000年前頃、95% CIで103000~53000年前)の先端年代は、それぞれの考古学的文脈(6万年前頃と5万年前頃)で得られた年代にかなり近づく、と分かりました。同様に、74000年前頃とされるメズマイスカヤ1号の分枝年代推定値も、7万~6万年前頃の推定値と一致しました。推定置換率は比較的狭い範囲内に留まり、トランのMTクレードにおける標本の最初の分枝年代は過大評価された可能性が高い、と示唆されます。このモデルでは、トランクレードの分岐年代は123000年前頃と推定されますが、HSTと他のネアンデルタール人との間の分岐年代は215000年前頃、現生人類と全てのネアンデルタール人との間の分岐年代は33万年前頃と推定されます。
現時点で利用可能な高品質なゲノムのある3つの最も深く分岐した古代型【非現生人類ホモ属】系統である、ネアンデルタール人のヴィンディヤ33.19およびアルタイ山脈個体【デニソワ5号】と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)デニソワ3号の主成分分析(principal component analysi、略してPCA)への投影により、低網羅率のネアンデルタール人とチャギルスカヤ8号の広範な人口構造が調べられました。投影された個体群はヴィンディヤ33.19に向かって勾配を形成し、以前に報告されたアルタイ山脈ネアンデルタール人【デニソワ5号】とよりも近い祖先の共有と一致します。興味深いことに、トランの位置はこの勾配内に収まるものの、他のどの後期ネアンデルタール人個体よりもヴィンディヤ33.19から離れており、ヴィンディヤ33.19とのより遠い関係が示唆されます。D統計では、8万年前頃未満のヨーロッパとコーカサスとシベリアのネアンデルタール人はトランとよりもヴィンディヤ33.19の方と多くアレル(対立遺伝子)を共有しており、トラン系統はそれらの系統の外群を形成する、と確証されました(図5)。以下は本論文の図5です。
例外はジブラルタルのネアンデルタール人標本FQ(関連記事)で、トランと共有される弱いものの有意な過剰アレルの兆候を示し、両者の密接に関連するMT配列と一致します(図6)。さらに、トランは他のすべのユーラシア西部ネアンデルタール人との比較において、現生人類と共有される過剰なアレルを示さず、現生人類と交雑したネアンデルタール人系統はトラン系統の前に分岐した、と示唆され、マンドリン洞窟における初期現生人類との近い過去での交雑の可能性は除外されます。以下は本論文の図6です。
momi2に実装されている部位頻度範囲に基づく手法を用いて人口統計学的モデル化が実行されました。momi2は、高品質のゲノムから推測された「足場(scaffold)」へと低網羅率の個体群の配置を可能とします。まず、高網羅率のネアンデルタール人(デニソワ5号とチャギルスカヤ8号とヴィンディヤ33.19)とデニソワ人(デニソワ3号)を含む「足場」人口統計が当てはめられ、以前に推測された人口統計学的事象へと組み込まれました。次に、低網羅率標本であるトランとメズマイスカヤ1号がこの「足場」に追加され、デニソワ5号からの分岐後のあらゆる時点におけるヴィンディヤ33.19からの分岐が可能となります。最適モデルはヴィンディヤ33.19からのトラン系統の分岐を102861年前頃(95% CIで100267~105169年前)と推定し、これはメズマイスカヤ1号(82617年前頃、95% CIで85606~79313年前)もしくはチャギルスカヤ8号(79458年前頃、95% CIで80892~77600年前)の推定分岐年代よりかなり早く、D統計およびmtDNAの結果と一致します。
低網羅率のネアンデルタール人のゲノムにおける同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を検出する新たな手法を用いて、他のヨーロッパの後期ネアンデルタール人と比較してトラン系統のゲノムにおける同型接合性増加の証拠が見つかりました。トランはそのゲノムの7%ほどが500万塩基対もしくはそれ以上の同型接合断片で、近い過去の近親交配を示唆する合計2000万塩基対以上の断片では、4500万塩基対(1.5%)が含まれます(図7)。まとめると、本論文の結果は、利用可能なゲノムデータのある他の後期ネアンデルタール人集団から、トラン集団は規模が小さく長期間遺伝的に孤立していた、と示唆されます。以下は本論文の図7です。
●5万年前頃に存在した他の孤立系統?
後期ネアンデルタール人の時代における人口置換の可能性がさらに調べられました。メズマイスカヤ2号のコーカサス系統が他のヨーロッパ後期ネアンデルタール人に対して外群を形成するのかどうか、検証するD統計を用いて、43000年前頃となるフランスのレス・コテスZ4-1514標本における「深い」ネアンデルタール人からの遺伝子流動の証拠が見つかりました。興味深いことに、レス・コテスZ4-1514個体はアルタイ山脈のオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)とチャギルスカヤ洞窟で発見されたシベリアのネアンデルタール人と最も密接に関連するmtDNA系統を有しています(図4A)。
以前の最適モデルへのレス・コテスZ4-1514個体とメズマイスカヤ2号の人口統計学的モデル化から、89000年前頃に分岐した標本抽出されていないゴースト(亡霊)系統からレス・コテスZ4-1514個体への遺伝子流動のあるモデルが、遺伝子流動なしのモデルよりも有意に適切に一致する、と明らかになりました。トラン系統から分岐したと制約された亡霊系統を含む代替的なモデルでも、トラン系統の分岐に近い亡霊系統の分岐年代となり、より適していない合致が得られました。
したがって、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代の地理的に近い場所における少なくとも2つの深く分岐して孤立した系統の存在を示唆します。これらの系統はその後、存在していた最後の1万年間にヨーロッパ西部へのヴィンディヤ的系統の拡大により部分的に置換されました。興味深いことに、メズマイスカヤ洞窟のヨーロッパ東部の後期ネアンデルタール人(メズマイスカヤ2号)も高水準の同型接合性を示しており、小さな集団規模もヴィンディヤ的人口集団外の後期ネアンデルタール人において一般的だった可能性が高そうです。
●考察
トランは1979年以降にフランスで発見された最も完全なネアンデルタール人個体で、ヨーロッパ西部におけるネアンデルタール人の存在の最後の数千年にさかのぼる他のネアンデルタール人集団に収まります。これまで、他の後期ネアンデルタール人の集団遺伝学的分析では、後期ネアンデルタール人はその中に深い人口構造の有意な証拠がない単一のメタ個体群に属する、と示唆されてきました(関連記事)。本論文のゲノム分析では、トランは、それ以前のヨーロッパのネアンデルタール人の残りを表す、深く分岐したヨーロッパのネアンデルタール人系統に属する、と論証されたので、トランのゲノムは後期ネアンデルタール人の人口構造に新たな光を当てます。興味深いことに、この系統の分岐は105000~100000年前頃に始まり、これはユーラシア全域における急速な気候および環境変化とユーラシア全体で温暖な環境に適応した動物相の再増殖が見られた期間です。この分岐の時期は、ネアンデルタール人集団においてスペイン北部で検出された人口置換の期間とも一致します(関連記事)。
トランの系統と他の既知のネアンデルタール人および現生人類系統との間の遺伝子流動について検証した本論文の分析は、ヨーロッパ西部における5万年前頃の後期ネアンデルタール人の孤立した集団の存在を示唆します。この人口集団は特徴的なPNII石器伝統と関連しており、この石器伝統はマンドリン洞窟の最後の4ムステリアン層(C2層~B2層)で証明されており、年代は95%CIで52900~43000年前頃で、ユーラシアにおけるネアンデルタール人集団の最終的な消滅と重なっています。したがって、トランは地中海フランスのこの地域における最後の代表的なネアンデルタール人集団の1つに属していた可能性が高く、ヨーロッパの後期ネアンデルタール人における深い人口構造の最初の直接的なゲノム証拠を提出します。トランとFQ個体との間で観察された遺伝的関係(人口統計学的モデル化でも示唆されました)から、ジブラルタルのネアンデルタール人は広がったヨーロッパ南西部メタ個体群の構成員だったかもしれない、と示唆され、そうした個体について以前に予測されていたよりもずっと後の年代の可能性が高くなります。しかし、FQ個体のデータが疎らなため、これ以上の結論を導き出せません。
トランと他のヨーロッパ西部ネアンデルタール人との間の遺伝的違いは、ヨーロッパでの解剖学的現代人の拡大に続くか、それと関連する人口置換の主要な過程を示しているかもしれません。興味深いことにトランは、ヨーロッパにおける最初の現生人類の侵入(関連記事)後の、マンドリン洞窟のネアンデルタール人の再居住段階に相当します。トラン系統の何千年にもわたる遺伝的孤立は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の消滅および最後のネアンデルタール人と初期現生人類との間の相互作用の様相の議論と関連する新たな問題を提起します。
後期ネアンデルタール人遺骸の追加のDNA解析と確実な年代測定が、この人口集団が局所的にローヌ渓谷中部に広がっていたのかどうか、あるいはジブラルタルとのつながりにより示唆されるようにトラン系統がヨーロッパ全域により広く分布していたのかどうか、理解するのに今や重要です。スペイン北部の彫像坑道(GE)人口集団の堆積物常染色体DNAデータは、残念ながらトランとのより密接な類似性を確証するのに充分な網羅率ではありません。しかし、イベリア半島(ジブラルタルとGE)とフランス南西部からポーランド(スタイニヤ洞窟)までとなるトランのmtDNAクレード内でのヨーロッパのネアンデルタール人の標本抽出位置は、より広範な分布を裏づけており、ネアンデルタール人集団の105000年前頃の提案された放散と一致するでしょう。
最初の現生人類と最後のネアンデルタール人との間の相互作用が、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たしたかもしれない、と一般的推測されていますが、これまで認識されていなかった後期ネアンデルタール人集団の予期せぬ同定は、後期ネアンデルタール人におけるずっと複雑な人口構造を明らかにし、ネアンデルタール人の消滅に重要な役割を果たした可能性がある、その社会的もしくは行動的組織をさらに調査すべき、新たな一連の問題を提起します。
トランに代表される系統に加えて、本論文の人口統計学的モデル化は、フランスのネアンデルタール人個体レス・コテスZ4-1514を通じて存在した別の深く分岐した「亡霊」系統の直接的証拠を提起します。本論文の人口統計学的モデル化から、この遺伝子移入系統は、レス・コテスZ4-1514が密接に関連するMT系統も共有している、メズマイスカヤ1号とアルタイ地域の個体チャギルスカヤ8号の分岐とより近いトランの系統の後でしばらくして分岐した、と示唆されます。この亡霊系統が、10万年前頃以後ではあるものの、古典的な後期ネアンデルタール人の前となる系統のまだ知られていないさらなる放散の一部を形成するのかどうか、その期間の頃のゲノムデータのより高密度の標本抽出なしには分からないままです。
それにも関わらず、本論文の結果は、後期ネアンデルタール人の時代にヨーロッパに存在した少なくとも2つの異なるネアンデルタール人系統を示唆します。トラン系統と他のネアンデルタール人系統との間の検出可能な遺伝子流動の欠如から、トランは5万年間孤立したままだった系統を表している、と結論づけられます。ローヌ渓谷の後期ムステリアンインダストリーを区別する深い文化的および技術的特異性が長い間提案されてきており、MIS5~3のこれらフランス地中海地域のネアンデルタール人社会が異なる技術的背景を有していた、と強調されます。隣接地域からネアンデルタール人社会を区別するこれらの文化的特徴は、これらの社会間の深い遺伝的孤立と並行していたかもしれません。したがって、本論文の結果はネアンデルタール人の社会組織にも光を当て、ネアンデルタール人の社会構造の恐らくはより一般的な特徴として、集団間の交流が限定的で、なかったかもしれない小さな孤立した人口集団を示唆します。
参考文献:
Slimak L. et al.(2023): A late Neanderthal reveals genetic isolation in their populations before extinction. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2023.04.10.536015
追記(2024年9月1日)
本論文が『Cell Genomics』誌に掲載されたので、当ブログで取り上げました(関連記事)。
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