イラン南部の更新世人類の証拠

 イラン南部の更新世人類の新たな証拠を報告した研究(Anjomrooz et al., 2022)が公表されました。イラン南部では、旧石器時代の人類居住の体系的調査はほとんど行なわれてきませんでした。本論文は、ホルムズ海峡の北側間地域の体系的な旧石器時代調査の最初の報告を提示し、下部旧石器時代以来の、この地域における人類の存在について、充分な証拠を提供します。


●研究史

 イラン南部は、人類が繰り返しアフリカ大陸から拡大した、主要な経路の一つと考えられています(関連記事)。ペルシア湾では後期更新世を通じて大きさが繰り返し変わってきたことを考えると、現在のホルムズ海峡(図1)は、アラビア半島経由の人類拡散の回廊として用いられてきた可能性があります。調査地域の戦略的位置と、ペルシア湾内の以前の散発的調査および発掘の結果を組み合わせると、人類の移住経路としての重要性が強調されます。以下は本論文の図1です。
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●方法論

 調査は2021年に行なわれ、ホルムズ海峡の北側のほぼ100kmに位置する地域を網羅しており、その中には、イラン南部のケルマーン(Kerman)州のジーロフト(Jiroft)近郊の、ジーロフト(Jiroft)山脈やハリル・ルード川(Halil Rud River)渓谷が含まれます(図1)。この調査の前には、この地域の旧石器時代の可能性は、隣接地域の少数の調査により実証されてきました。2021年の調査は、ジーロフト山脈の山麓、とくにジーロフト平原に集中しています。ジーロフト平原はハリル・ルード川渓谷中央部に位置し、開地人工遺物の散在の特定が目的でした。

 ジーロフト平原は東部と北東部をジェベル・バレズ(Jebel Barez)山に囲まれ、一部の地域では300mの厚さに達する可能性がある、沖積扇状地で満たされた窪地で構成されています。野外調査の開始前に、この地域の地質図を用いて、第四紀の堆積物を含むそれら沖積扇状地が特定されました。1km²の正方形に分割され、以前の研究の体系的な無作為標本抽出手法に基づいて、5名の調査団が一連の100mの横断区に沿って人工遺物を収集しました。


●結果

 合計で22点の旧石器時代の場所が特定され、700点の石器が収集されました。しかし、一部の遺跡の近接性のため、5ヶ所の主要な表面散乱を特定でき、これは開地遺跡の3ヶ所の主要なクラスタ(まとまり)として見ることができます(図1)。旧石器時代の全期間の証拠が回収されました。診断された人工遺物には、両面石器や大型掻器や打棒や鉈状石器と礫器(図2および図3)、多くの尖頭器と求心性ルヴァロワ(Levallois)石核および原形(図4)、小石刃石核と湾曲石刃と錐と彫器(図5)が含まれ、それぞれ、下部旧石器時代と中部旧石器時代と上部旧石器時代および続旧石器時代の活動を示唆します。当然、任意の表面散乱における混合の問題は避けられないので、提案された相対的な年代は、診断された人工遺物の存在にのみ基づいています。以下は本論文の図2および図3および図4および図5です。
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●まとめ

 2021年の調査の前には、更新世人類居住の証拠は、イラン南部ではひじょうに限定的でした。これは、とくにアラビア半島におけるペルシア湾南部内の多数の旧石器時代居住の報告(関連記事)とは、ひじょうに対照的です。人類拡散経路としてのイラン高原下部の重要性は、本論文の著者の一人(Hamed Vahdati Nasab)により論評されてきましたが、考古学的証拠でのそうした主張を証明する必要性は、避けられませんでした。2021年の調査は、更新世を通じての人類のさまざまな集団の存在について確実な証拠を提供するだけではなく、出アフリカ沿岸移住の東西間の主要な拡散回廊の一つとしてのペルシア湾の北部の重要性に光も当てます。たとえば、発掘されたものはなく、確実な年代がないなど、イランの下部旧石器時代の主張をめぐる曖昧さはまだ多くありますが、この期間についての決定的な証拠は、イラン高原内の中期更新世の人類居住の複雑でよく理解されていない問題の理解に役立てます。

 中部旧石器時代を考えると、2021年の調査のデータはよりよい状態を提供します。アラビア半島の北部および中央部で回収された人工遺物と、2021年の調査で回収された中部旧石器人工遺物との比較は、技術と類型論の両方における高い類似性を明確に示唆します。より注目されるのは、一般的にザグロス山脈、とくにマルヴダシュト(Marvdasht)地域(西方へ650km)の中部旧石器時代石器群と、アラビア半島およびこの調査の中部旧石器時代石器群との間の、急で劇的な違いです。この差異は、人類のさまざまな集団、たとえばネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や初期現生人類(Homo sapiens)などが、中部旧石器時代のさまざまな時点においてこれらの人工遺物製作の担い手だった、と示唆しているかもしれません。

 上部旧石器時代および続旧石器時代の診断された人工遺物は、4万年前頃以降となる上部旧石器時代の居住の証拠が、イラン高原の多くの洞窟および岩陰で記録されてきたことを考えると、7万~5万年前頃のアフリカからの現生人類拡散と関連しているかもしれません。調査地域で中期および後期更新世と分類された旧石器時代人工遺物の発見は、東方地域への拡大に人類のさまざまな集団により繰り返し用いられた、拡散経路としてのペルシア湾北部の重要性を明らかにします。そうした拡大は決して単方向ではなく、人類は望めば同じ経路を用いてアフリカに戻れたかもしれません。


参考文献:
Anjomrooz S, Nasab HV, and Eskandari N.(2022): New evidence of Pleistocene hominin occupations in Kerman Province, southern Iran. Antiquity, 96, 390, 1592–1598.
https://doi.org/10.15184/aqy.2022.120

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