イベリア半島南部の上部旧石器時代個体のゲノムデータ
イベリア半島南部の上部旧石器時代個体のゲノムデータを報告した研究(Villalba-Mouco et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、昨年(2022年)開催された人間進化研究ヨーロッパ協会第12回総会で、すでに概要が公表されていました(関連記事)。この研究は、ヨーロッパの上部旧石器時代から新石器時代までの狩猟採集民のゲノムデータを報告した最近の研究(関連記事)とともに、これまで不明なところが多かった最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前後のヨーロッパの人口史のより詳しい解明に貢献している点で、たいへん注目されます。
●要約
人口集団は、その遺伝的差異に永続的で劇的な影響を及ぼした最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に範囲が縮小しました。LGM後のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)技術複合と関連する個体群の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、LGM前のオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する集団に由来する、と解釈されてきました。しかし、これら両祖先系統は、年代的に中間のグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)と関連するヨーロッパ中央部の個体群の祖先系統とは異なります。したがって、LGMの前後のゲノム変容はヨーロッパ西部でも不明なままで、ヨーロッパ西部ではその中間でLGMの最盛期にまたがるソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)と関連するゲノムデータが欠けています。
本論文は、スペイン南部のアンダルシアの複数の遺跡から得られたゲノム規模データを提示します。これには、較正年代【以下、明記しない場合は基本的に較正年代です】で23000年前頃と直接的に年代測定されたマラルムエルゾ洞窟(Cueva del Malalmuerzo)のソリュートレアン関連個体が含まれます。このシナリオはイタリアでは異なっており、LGM前後の移行と関連する個体群は異なる遺伝的祖先系統を有しています。これは、氷期ヨーロッパの提案された南方退避地における異なる動態を示唆し、イベリア半島をヨーロッパ西部のLGM前の祖先系統にとって退避地だった可能性を仮定します。さらに、旧石器時代起源と考えられていたアルダレス洞窟(Cueva de Ardales)の個体群は予測されていたよりも新しく、アンダルシアのカセロネス(Caserones)およびアグイリッラス(Aguilillas)遺跡の個体群とともに、イベリア半島南部の新石器時代(N)と銅器時代(CA)と青銅器時代(BA)の個体群の遺伝的差異内に収まります。
●研究史
ヨーロッパの植民は、主要な気候事象と関連する人口集団の拡大と縮小により特徴づけられました。多くの研究は、LGM(26600~19000年前頃)の旧石器時代ヨーロッパにおける劇的な人口減少を示唆します。考古学的記録におけるヒトの存在は圧倒的に人工遺物により記録されており、それはおもに、旧石器時代の記録では稀な骨格遺骸ではなく、いわゆる技術複合と分類される石器です。
LGMの開始とともに、人口減少がヨーロッパ中央部で観察され、グラヴェティアン技術(33000~25000年前頃)と関連する人口集団は南方へと現在のイタリアおよびヨーロッパ中央部/南東部へと後退しました。ヨーロッパ南西部では、単一の上部旧石器時代(UP)技術複合であるソリュートレアンが現在のフランス南部とイベリア半島の地域に24000~19000年前頃までに現れ、これはハインリッヒ2事象(Heinrich 2 Event)およびその後のLGMの期間と一致します。ソリュートレアンは新たな石器技術と道具一式により定義され、過酷な気候条件への対応、およびより一般的にはグラヴェティアン技術の崩壊として解釈される、地域的に異なる尖頭器様式があります。
アテリアン(Aterian、アテール文化)石器群との類似性に基づいて推定されるアフリカ北部起源の移動過程による、文化的不連続性を説明した学者もいます。しかし、一般的な合意では、ソリュートレアン石器伝統は、他の集団からの孤立および拡張していたヨーロッパ全域の交流網の崩壊に起因する文化的浮動と、過酷な気候条件および人口統計学的圧力を経た、ヨーロッパ西部の後期グラヴェティアン技術に起源がある、と考えられています。ソリュートレアンの局所的発展のさらなる裏づけは、フランスとイベリア半島の領域のソリューションで最高潮に達した、新たな石器伝統の同時期の起源に見られました。
イベリア半島では、ソリュートレアンの考古学的記録はイベリア半島の大西洋と地中海両側での密な周辺分散を着指しており、たまに内陸部の高原の居住があります。地中海/ポルトガル南部地域とカンタブリア/ピレネー地域との間のソリュートレアン伝統は、人口減少と限定的な空間に続いた縄張り争いの結果と考えられました。先行するグラヴェティアンおよびその後のマグダレニアンとは対照的に、イベリア半島北部がより密に居住されていた時、ソリュートレアンと関連する遺跡の数は、南方の方でより広く拡散しているにも関わらず両地域【南方の地中海/ポルトガル南部地域と北方のカンタブリア/ピレネー地域】ではほぼ同じで、限定的な境界内での相互接続された集団の交流網が示唆されます。
ヨーロッパ西部においてLGMよりも古い考古学的文脈から得られた利用可能なゲノム規模データは少なく、ヨーロッパ大陸西部のUPヒト集団のゲノム変容の詳細な研究はまだ可能になっていません。これまでに刊行された最古のゲノムはヨーロッパ中央部および東部に由来し、年代は45000~40000年前頃にさかのぼり、初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)技術が広がっていた頃に相当し、遺伝子型決定された個体群は、祖先系統特性とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との混合水準の広範な多様性を示しており、たとえば、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)のIUP個体群(関連記事)、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」の個体ワセ1号(関連記事)、ルーマニアの「女性の洞窟(Peştera Muierii、略してPM)の個体(関連記事)、チェコ共和国のコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(関連記事)です。
逆に、ヨーロッパ西部から得られた利用可能な最古のゲノムデータは、現在のベルギーにあるゴイエ(Goyet)遺跡のオーリナシアンと関連する35000年前頃の個体(ゴイエQ116-1)です(関連記事)。LGM前のヨーロッパ中央部および南部のグラヴェティアン関連個体群は遺伝的クラスタ(集団外個体群とよりも集団内で多くの祖先系統を共有するまとまり)を形成し(図1)、これは本論文では、考古学的に関連するグラヴェティアンインダストリーとは関係なく、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡で発見された最古の個体に因んで、ヴェストニツェクラスタと命名されます(関連記事)。しかし、これまでヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群からはゲノム規模データが刊行されていませんでした(図1)。
ヨーロッパ中央部のLGM前のグラヴェティアン関連集団(ヴェストニツェクラスタ)が、ヨーロッパ中央部および西部両方のLGM後のマグダレニアン関連集団(ゴイエQ2と命名された遺伝的クラスタを形成します)とは遺伝的に異なっているのに対して、ヨーロッパ西部のマグダレニアン個体群はヨーロッパ北西部のオーリナシアン関連個体であるゴイエQ116-1で最初に見られる遺伝的祖先系統を継承しました(関連記事)。ヨーロッパ中央部のグラヴェティアン関連個体群とヨーロッパ西部から中央部のマグダレニアン関連個体群との間のこのゲノムの不連続性は、LGMにおける人口縮小により説明されてきており(関連記事)、ミトコンドリアDNA(mtDNA)研究により裏づけられ、たとえば、LGMにおけるmtDNAハプログループ(mtHg)Mの消滅が指摘されています。以下は本論文の図1です。
ボーリング・アレロード(Bølling–Allerød)温暖化亜間氷期(14000年前頃)に続いて、ゴイエQ2クラスタ(まとまり)は、イタリア北部の最古【14000年前頃】となる続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)のヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に因んで命名されたヴィッラブルーナクラスタに置換されましたが、ヴェストニツェクラスタには続旧石器時代および中石器時代関連集団のほとんども含まれ、その全てはヨーロッパ西部狩猟採集民(western hunter-gatherers、略してWHG)としても知られています。この遺伝的景観では、イベリア半島の狩猟採集民(hunter-gatherers、略してHG)は、続旧石器時代および中石器時代においてゴイエQ2的祖先系統をより高い割合で保持している点で際立っているので、別の集団とみなされることが多くなっています(関連記事)。
LGM期と直接的に年代測定されたヨーロッパ西部の個体群は、LGMの前後間の遺伝的不連続性に取り組むのに不可欠です。LGMにおけるヨーロッパ南部の退避地の役割を調べるため、スペインのマラルムエルゾ洞窟で発見されたソリュートレアン関連のヒト遺骸数個体からゲノム規模データが生成されました(図1)。マラルムエルゾ洞窟はソリュートレアンに様式的に分類される岩絵芸術で有名です。ソリュートレアンインダストリーはマラルムエルゾ洞窟で発見されてきましたが、これまで、この技術複合と直接的に関連する原位置の層はありません。マラルムエルゾ洞窟の最新の考古学的調査は、小さな区域で数点のヒト遺骸を発見し、これは以前の発掘から得られた古い考古学的特性に相当します。
スペインのアンダルシアのさまざまな洞窟および岩陰遺跡から発見された追加の先史時代のヒト遺骸が標本抽出され、これらの遺跡には、LGMから新石器時代までにわたるイベリア半島南部の時間横断区を確立する長い居住史があります。品質濾過と放射性炭素年代測定の適用後に、マラルムエルゾ洞窟のソリュートレアン関連1個体とアルダレス洞窟の前期新石器時代(EN)2個体とアルダレス洞窟およびロス・カセロネス(Los Caserones)遺跡の銅器時代2個体の分析が可能となりました。アルダレス洞窟から発見された1個体(ADS007)は、放射性炭素年代測定に充分なコラーゲンを提供しませんでしたが、遺伝的分析の実行には充分なゲノム規模情報があります。本論文は時系列で文脈化されたゲノム結果を提示します。
●標本
最大限の網羅率でゲノム規模データを生成するため、各標本から得られたいくつかのDNA抽出と一本鎖の非ウラシルDNAグリコシラーゼ(uracil-DNA-glycosylase、略してUDG)ライブラリが、確立された実施要綱に従って調製されました。本論文の最終データセットは、標的とした124万の一塩基多型(SNP)部位で、平均網羅率の範囲が0.51倍~8.7倍です。124万SNP捕獲後に、統合されたライブラリは2回目の品質管理を受け、堅牢な古代DNA証明と汚染推定のため、最小限のSNP切断が適用されました。
●マラルムエルゾ洞窟のソリュートレアン狩猟採集民のゲノム構成
マラルムエルゾ洞窟(以下、MLZと省略)の考古学的調査において、2点のヒトの歯が回収されました。それは、MLZ003とMLZ006です。MLZ003およびMLZ005標本は同時代と明らかになり、放射性炭素年代測定では、ソリュートレアン技術複合が広がっていた期間と推定され(MLZ003は23016~22625年前頃、MLZ005は22979~22570年前頃)、MLZで見られる様式の岩絵と一致するので、イベリア半島におけるUPヒト遺骸の最古のゲノムデータを表します。両方の歯は同じ個体に属すると分かったので、下流集団遺伝学的分析ではデータが統合されました(以後はMLZ003005もしくはMLZ)。標的としたSNP部位の最終的な平均網羅率は0.41倍で、124万パネルでは226914のSNPに相当します。
MLZのmtHgはU2'3'4'7'8’9です。派生的なmtHg-U2を有する最古の個体は、ロシア西部にある考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)ですが、より基底的なmtHg-U2'3'4'7'8’9はヨーロッパ南西部の個体群に限られており、最古(27800年前頃)となる個体はイタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)で発見されたパグリッチ108号で、その後は、15500年前頃となるフランスのリグニー1(Rigney 1)洞窟の個体、14000年前頃となるシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島のドリエンテ洞窟(d’Oriente)洞窟の個体(オリエンテC)、10000年前頃となるシチリア島北西部のデッルッツォ洞窟(Grotta dell’Uzzo)の個体(関連記事)、13000年前頃となるスペインのバラマ・グイラニャ(Balma Guilanyà)遺跡の個体が続きます。mtHg-U2'3'4'7'8’9の地理的分布は、ヨーロッパ西部へのヒト集団の初期の拡大と一致しており、イベリア半島およびアペニン山脈の退避地においてLGMを生き残った、と提案されました。
MLZのY染色体ハプログループ(YHg)はC1で、これはブルガリアのバチョキロ洞窟のIUP個体群(45000年前頃)でも見られます。より基底的なYHg-Cはイタリアで発見された33000年前頃となるパグリッチ133号、32000年前頃となるルーマニアのチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU)個体(PCU1号)、32000年前頃となるロシアのコステンキ12号で見られ、派生的なYHg-C1a2は、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1と34000年前頃となるロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡の個体(関連記事)で見られました。
MLZのゲノム特性を特徴づけるため、f3形式(HG1、HG2;ムブティ人)のf3外群統計を用いて、新たなデータを含めて全ての刊行された旧石器時代および中石器時代狩猟採集民(HG)での遺伝的類似性が推定されました。その結果得られたヒートマップでは、MLZはゴイエQ2クラスタと関連する個体群、およびイベリア半島の一部の続旧石器時代と中石器時代のHGとクラスタ化しました(まとまりました)。これらの結果は、マグダレニアン関連個体群で特徴づけられ、イベリア半島HGにおける混合された形態で存在する遺伝的祖先系統(関連記事)と類似しているか、関連している遺伝的祖先系統を示唆しています。
変換された対での距離のf3行列の多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)では(1-f3)、MLZが先行するヨーロッパ中央部のグラヴェティアン関連個体群(ヴェストニツェクラスタ)の遺伝的差異外に位置する、と示されます(図2a)。興味深いことに、MLZはオーリナシアン関連個体のゴイエQ116-1とゴイエQ2クラスタのマグダレニアン関連個体群との間に位置し、WHGとゴイエQ2的な祖先系統をつなぐイベリアHG勾配内に収まるスペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された個体は除外されます。
次に、f4形式(ゴイエQ2クラスタ、ゴイエQ116-1;MLZ、ムブティ人)のf4統計が計算され、ゴイエQ116-1とマグダレニアン関連個体群がMLZに関してクレード(単系統群)を形成するのかどうか、検証されました(図2b)。その結果、MLZはゴイエQ116-1ととよりもマグダレニアン関連個体群の方と多くの遺伝的浮動を共有している、と分かりました。しかし、対照的なf4統計(MLZ、ゴイエQ2クラスタ;ゴイエQ116-1と、ムブティ人)を用いてマグダレニアン関連個体群とMLZがゴイエQ116-1と対称的に関連しているのかどうか検証すると、たとえば、15000年前頃となるドイツ南西部のホーレフェルス(Hohlefels)遺跡個体やゴイエQ2やエル・ミロン洞窟個体がマグダレニアン関連祖先系統の代理として用いられた場合、MLZとゴイエQ116-1との間で共有された浮動の過剰が観察されます。
これらの結果から、MLZはゴイエQ116-1とゴイエQ2クラスタの個体群との間で遺伝的に中間な系統を表している、と示唆されます。年代順に、ゴイエQ116-1がゴイエQ2クラスタとよりもMLZの方と遺伝的に類似しているのに対して、MLZは先行するゴイエQ116-1とよりもゴイエQ2クラスタの方と遺伝的に類似しています(図2b・c)。MLZをマグダレニアン関連個体群に遺伝的に寄与した系統の構成員と同定することは、イベリア半島北部とフランス南部の地域におけるマグダレニアン技術複合の出現を仮定する考古学的記録と一致します。以下は本論文の図2です。
次に、MLZとオーリナシアン関連のゴイエQ116-1もしくはゴイエQ2クラスタが、f4形式(MLZ、ゴイエQ2クラスタ/ゴイエQ116-1;ヴェストニツェクラスタ、ムブティ人)のf4統計を用いて、ヴェストニツェクラスタに関して対称的に関連していたのかどうか、調べられましたが(図2d・e)、ヴェストニツェクラスタ個体群との過剰な共有される浮動は観察されませんでした。これは、LGMの最盛期と直接的に年代測定されたMLZにおいてすでに分化が見られるので、報告されたLGM前のヴェストニツェクラスタとLGM後のゴイエQ2クラスタとの間の遺伝的不連続性が、過酷な気候変化により促進されたのではなかったことを意味します。これは、少なくとも2つの地理的に異なる集団が、ヨーロッパにおいてグラヴェティアン技術複合が広がっていた時に存在したに違いないことを意味します。一方は、ゴイエQ116-1により表されるヨーロッパ西部の集団で、もう一方はヴェストニツェクラスタと記載されているヨーロッパ中央部(および恐らくはヨーロッパ東部)の集団です。本論文の結果は、ソリュートレアンは西方グラヴェティアン技術に起源がある、と示唆する技術的研究、およびヨーロッパ西部におけるグラヴェティアンおよびソリュートレアンと関連する岩絵の類似性と一致します。対照的に、この結果はグラヴェティアンの単身性のヨーロッパ中央部起源がありそうにない、と示します。
ソリュートレアンがフランス南部とイベリア半島に限定されていたことを考慮し、LGMにおけるUP人口集団にとってヨーロッパ南西部が地理的退避地だったと仮定すると、この期間を通じての人口集団の連続性は節約的な説明です。しかし、イベリア半島のLGM前の遺伝的データの欠場を考えると、LGM前のイベリア半島におけるヴェストニツェ的祖先系統の存在も除外できません。
●深い祖先系統の兆候
最近の研究では、45000年前頃となるブルガリアのバチョキロ洞窟のIUP個体群や、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性や、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1が、ユーラシア東西の人口集団の分岐前にヨーロッパに居住していたIUP人口集団からの祖先系統を有していた、と示されてきました(関連記事)。f4形式(MLZ、コステンキ14号;検証対象、ムブティ人)のf4統計と、ヨーロッパ旧石器時代祖先系統の基準としてコステンキ14号を用いることで、MLZはバチョキロ洞窟IUP個体群やゴイエQ116-1や田園洞窟個体と過剰な遺伝的浮動を共有している、と示されます(図3a)。以下は本論文の図3です。
まず、このIUP祖先系統が、現在もしくは古代のヨーロッパ人とよりも現在のアジア東部人の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有している田園洞窟個体におけるより高い割合で示されているように、アジア東部人に寄与しました。同じ種類の祖先系統はゴイエQ116-1でも観察されており(関連記事)、ゴイエQ116-1は現代および古代のヨーロッパ人の方と密接に関連していますが、依然として田園洞窟個体との過剰な類似性を共有しています。田園洞窟個体関連アジア人集団からヨーロッパへのユーラシア東西の人口集団の分岐後の逆移住に対して、ユーラシア全域にわたる初期人口集団を仮定する研究者もいます。
バチョキロ洞窟から得られた利用可能な最古のゲノムデータは、グラヴェティアン前と関連するスンギール遺跡個体やコステンキ14号、ヨーロッパ中央部のグラヴェティアンもしくはマグダレニアン関連個体群(ゴイエQ2クラスタ)など他のUP人口集団を除いて、ロシア領シベリア西部のウスチイシム(Ust’ Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸や、田園洞窟個体やゴイエQ116-1やMLZに寄与した、初期ユーラシアのバチョキロ洞窟個体群的人口集団の存在の仮説を裏づけます(関連記事)。
f4形式(検証対象、コステンキ14号;田園洞窟個体、ムブティ人)のf4統計を用いると、ゴイエQ116-1とMLZはバチョキロ洞窟IUP個体群の場合よりも、田園洞窟個体と多くの遺伝的祖先系統を共有する、と観察されます(図3b)。f4統計(MLZ/ゴイエQ116-1、バチョキロIUP;田園洞窟個体、ムブティ人)でコステンキ14号をバチョキロ洞窟IUP個体群と置換すると、田園洞窟個体とMLZ/ゴイエQ116-1との間の過剰な共有される祖先系統も観察され、両方の検定でも正のf4統計が繰り返されます。この傾向はすでにゴイエQ116-1で観察されており、バチョキロ洞窟IUP個体群と田園洞窟個体との間で共有されるより高い祖先系統により説明されました。
MLZに存在する田園洞窟個体関連祖先系統は、ゴイエQ116-1から完全に継承されたかもしれません。それは、f4形式(MLZ、ゴイエQ116-1;田園洞窟個体、ムブティ人)およびf4形式(MLZ、ゴイエQ116-1;バチョキロIUP、ムブティ人)のf4統計により示されるように、MLZとゴイエQ116-1の両者が、田園洞窟個体およびバチョキロ洞窟IUP個体群と対称的に関連しているからです。IUPのバチョキロ洞窟的集団が、ウスチイシム個体と田園洞窟個体とゴイエQ116-1に祖先系統を寄与し、より遠位にMLZに寄与したことと一致する個体群f4統計(検証対象、ウスチイシム個体;MLZ、ムブティ人)を用いての全体的な負の値の取得により、ウスチイシム個体とMLZとの間の微妙な誘引も観察されます。MLZとゴイエQ116-1との間の田園洞窟個体とバチョキロ洞窟IUP個体群の誘引の同様の水準と、MLZにおける経時的な存続から、この種類の初期ユーラシア祖先系統はユーラシア最西端のヨーロッパにおいて希釈された形で存続した、と示唆されます。
最終的に、この観察はヨーロッパ西部におけるオーリナシアンおよびソリュートレアン関連個体群と、ヨーロッパ東部のIUP個体群およびユーラシア東部の田園洞窟個体との間のつながりと、この遺伝的遺産がイベリア半島において2万年前頃(MLZは23000年前頃)で存続した一方で、ヨーロッパ中央部(および恐らくはヨーロッパ東部)では、グラヴェティアンの前およびグラヴェティアン関連個体群(3万年前頃)ではすでにもはや追跡できなかったことを仮定します。これらの結果は、オーリナシアンと広く関連し、ゴイエQ116-1により表される人口集団から、ヨーロッパ西部においてソリュートレアンと関連し、MLZにより表される人口集団への遺伝的連続性を示唆します。
MLZの場合、この種の祖先系統はイベリア半島南部へと(広義の)オーリナシアンと関連する個体群によりもたらされたに違いない、と推測され、それは、考古学的記録が、イベリア半島北部において、たとえばシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)など、現生人類ではなく広く後期ネアンデルタール人の初産とされる初期UPインダストリーの証拠しか提供していないからです(関連記事)。フランス南部からイベリア半島へと入ると、プロトオーリナシアン(先オーリニャック文化)もしくはオーリナシアンに厳密に分類される考古学的遺物は、イベリア半島北部でしか見つかっていません。スペインのマラガ(Málaga)県近くのバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡(関連記事)とポルトガル中央部のラパ・ド・ピカレイロ(Lapa do Picareiro)遺跡(関連記事)では、前期オーリナシアン技術複合も報告されてきましたが、数人の学者により異議が唱えられました。
●MLZにおける混合の兆候
MLZが、オーリナシアン関連個体ゴイエQ116-1とは異なるUP狩猟採集民的祖先系統を有しているのかどうかも、検証されました。まず、f4形式(MLZ、コステンキ14号;検証対象、ムブティ人)のf4統計で、他の古代の人口集団に対するMLZの遺伝的関係が調べられました。その結果、微妙ではあるものの、有意ではない、ゴイエQ116-1には存在しないヴィッラブルーナ的祖先系統を有する個体群との共有された浮動の兆候が見つかりました。f4統計(MLZ/ゴイエQ2クラスタ、ゴイエQ116-1;ヴィッラブルーナ、ムブティ人)を計算すると、MLZにおけるヴィッラブルーナ的祖先系統の量は、ゴイエQ2クラスタのマグダレニアン関連個体群の量より少ない、と確証できます。全てのマグダレニアン関連個体群で有意に正のf4統計が得られ、これはゴイエQ2クラスタ個体群へのヴィッラブルーナ的祖先系統の寄与を示唆します。MLZを検証すると、有意ではないZ得点(1.628)が得られました。しかし、これらの結果を考慮すると、MLZにおけるヴィッラブルーナ的祖先系統の量がゴイエQ116-1よりもわずかに多いことを除外できません。
f4形式(MLZ、ゴイエQ2クラスタ;ヴィッラブルーナ、ムブティ人)を用いると一貫して負のf4統計も観察され、Z得点の範囲は-9.568(エル・ミロン洞窟個体)から-0.091(ホーレフェルス遺跡個体)までとなり、f4統計が必ずしも有意ではないとしても、MLZと比較した場合のゴイエQ2クラスタ個体群におけるヴィッラブルーナ的祖先系統との過剰な類似性を示唆します。イベリア半島については、MLZはその後のマグダレニアン関連のエル・ミロン洞窟個体とよりも、ヴィッラブルーナ的個体群の方と浮動の共有が少ない、と分かりました。これは、侵入してきたヴィッラブルーナ的祖先系統が、ソリュートレアン技術複合が広がっていた時期にはイベリア半島に到達せず、その後になって到達したか、あるいは、ヴィッラブルーナ的祖先系統がイベリア半島の南部にはまだ到達していなかったことを示唆します。
興味深いことに、f4統計(MLZ、コステンキ14号;ナトゥーフィアン、ムブティ人)を用いると、MLZはナトゥーフィアン(Natufian)個体群への有意に正の誘引を示唆します。比較f4検定設定の拡張においてヴィッラブルーナおよびナトゥーフィアンへのさまざまな屡次性を比較すると、以下のパターンが観察されます。それは、全てのLGM後の集団/個体群はヴィッラブルーナおよびナトゥーフィアン的祖先系統への有意な誘引を示し、それによりヴィッラブルーナは全体的により高いf4統計値をもたらす種類の祖先系統を構成します(図4a)。
このパターンは、網羅率の高いWHGおよびマグダレニアン関連個体群において最も明確ですが、同様の傾向はこの2集団の低い網羅率の個体群でも見られます。先行研究(関連記事)は14000年前頃以後のヴィッラブルーナ/WHGクラスタとの近東の人口集団の類似性増加をすでに記載しており、その結果、LGMの間かそれ以前の、ヨーロッパ南東部の退避地における古代の近東集団からヴィッラブルーナクラスタへの寄与を示唆します。ヴィッラブルーナ的祖先系統はアナトリア半島HGとナトゥーフィアン個体群の祖先系統の非基底部ユーラシア人部分でも検出され、これは双方向性を示唆しており、つまりは15000年前頃以前の近東古代人へのヴィッラブルーナ的祖先系統の寄与です。
本論文は、ヨーロッパ中央部のLGM前のグラヴェティアン関連個体群におけるヴィッラブルーナ的祖先系統との有意な遺伝的類似性を確証しますが、ナトゥーフィアン的祖先系統との類似性は確証されません(あるいは、ヴィッラブルーナ的祖先系統よりも少なくなります)。対照的に、LGM後の人口集団は、ヴィッラブルーナとナトゥーフィアン両方と関連するかなりの祖先系統を共有していますが、ナトゥーフィアンよりもヴィッラブルーナの方と多くの祖先系統を教諭しており、先行研究と一致します(図4a)。以下は本論文の図4です
他の先行研究では、ナトゥーフィアン個体群はヴィッラブルーナ的祖先系統と「基底部ユーラシア人」祖先系統を用いてモデル化できる、と示されました(関連記事)。「基底部ユーラシア人」は、アフリカの人口集団との分岐後に全ての非アフリカ系人口集団とひじょうに早く分岐した、推定される人口集団を構成します(関連記事)。この結果から、MLZはナトゥーフィアン個体群に存在する近東祖先系統の過剰を共有しており、それはヴィッラブルーナ的祖先系統自体では説明されない(近東との類似性を有する最古のWHG)、と示されます。対照的に、MLZにおいて、他の検定を用いて基底部ユーラシア人祖先系統の兆候も、ネアンデルタール人祖先系統の高い割合も見つかりませんでした。
まとめると、ナトゥーフィアン個体群とMLZに存在するヴィッラブルーナ的祖先系統はヴィッラブルーナ個体により表される祖先系統とは異なる、と暫定的に結論づけられます。それにも関わらず、推定される寄与した系統はヴィッラブルーナ的祖先系統と関連しているものの、近東祖先系統の割合がより高く、ナトゥーフィアン個体群において混合した形で存在しています。
最後に、qpGraphを用いて、MLZ個体の系統発生的位置の再構築の実行により、これら遺伝的事象のモデル化が試みられました。その結果、MLZは、ゴイエQ116-1と祖先を共有する人口集団(84%)と、ヴィッラブルーナ個体の祖先でWHGのクレードである人口集団(16%)の混合を表している、というモデルへの統計的裏づけが見つかりました。エル・ミロン洞窟個体により表されるマグダレニアン関連祖先系統は、MLZと類似した祖先系統とヴィッラブルーナと類似した祖先系統の混合と分かりました。
●アフリカ北部祖先系統の検証
アフリカ北部沿岸からわずか300kmというヨーロッパ南西部におけるMLZの最南端の位置と、近東祖先系統の確証を考えて、f4統計(MLZ、ゴイエQ116-1;検証対象、チンパンジー)を用いてジブラルタル海峡横断の可能性が調べられました。このf4統計では、MLZとゴイエQ116-1が直接的に、検証人口集団としてのモロッコのイベロモーラシアン(Iberomaurusian)個体群やナトゥーフィアン個体群やヴィッラブルーナ個体と比較されました(図4b)。全てのf4統計は正で、ゴイエQ116-1と比較した場合のMLZにおける近東祖先系統とのより高い類似性を示唆します。3つの検定では、ナトゥーフィアン個体群およびイベロモーラシアン個体群がゴイエQ116-1とよりもMLZの方と多くの遺伝的浮動を共有しています。
モロッコのイベロモーラシアン個体群をヴィッラブルーナ個体もしくはナトゥーフィアン個体群と比較すると、有意ではない変化が観察され、モロッコのイベロモーラシアン個体群的な祖先系統(サハラ砂漠以南のアフリカ的祖先系統も有しています)からMLZへの直接的な寄与の欠如が示唆されます(図4b)。しかし、モロッコのイベロモーラシアン個体群の主要な構成要素でもあるナトゥーフィアン個体群により表される近東的祖先系統は、地中海の両側に広がっていたかもしれません。地中海では、近東的祖先系統は(後に)アフリカのサハラ砂漠以南の祖先系統(モロッコのイベロモーラシアン個体群で見られるように)、および地中海のヨーロッパ側のヴィッラブルーナ的祖先系統と混合しました。
●その後の期間におけるソリュートレアン関連HGのゲノム遺産
次に、MLZの遺伝的遺産がイベリア半島の完新世HGでまだ検出できるのかどうか、調べられました。ゴイエQ2的祖先系統の痕跡は、イベリア半島の北部よりも南部の方でより高い割合で存在する、と示されており、イベリア半島北部ではWHG/ヴィッラブルーナ的祖先系統の割合がより高くなっています。
図3と同じf4統計(検証対象、コステンキ14号;田園個体、ムブティ人)を適用すると、モイタ・ド・セバスティアン(Moita do Sebastião)遺跡の中石器時代1個体が検証された場合、ゼロからの正の偏差が観察されました。これは、MLZで見られたものと似たアジア東部の田園洞窟個体との微妙な類似性を示唆しており、その結果、UP以降にポルトガル南部ではこの祖先系統が存続した、と主張されます(図5a)。モイタ・ド・セバスティアン遺跡個体は、全てのヨーロッパ中石器時代HGが外群f3統計(中石器時代個体群、田園個体;ムブティ人)検証された場合、田園洞窟個体との最高の類似性も示します(図5b)。
現時点では、完新世のヨーロッパHGにおける田園洞窟個体との最高の類似性は、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)で報告されていました。これは、シベリアのマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)およびアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡3号個体(AG3)で見られる祖先系統(古代北ユーラシア人祖先系統)が、UPアジア東部および南東部人口集団から祖先系統を受け取り、次にEHGにかなり寄与したからです。しかし、ユーラシア西部の地理的には反対側に位置する中石器時代ポルトガルの個体とロシアのEHGでは存在するものの、ヨーロッパ中央部では存在しない初期アジア祖先系統の観察は、田園洞窟個体と類似した祖先系統が、中石器時代ヨーロッパで観察されたEHGとWHGの混合勾配を経て伝わった、という可能性を除外します(図5b)。反対に、この結果は、イベリア半島南部における(少なくとも)LGMから中石器時代への遺伝的連続性との見解を裏づける一方で、他のLGMの前後の人口集団の拡大が、ヨーロッパの他のほとんどの地域でこの微妙な兆候の大半を希釈しました。以下は本論文の図5です。
アフリカ北部からイベリア半島南部への遺伝子流動の証拠も探されました。f4形式(検証対象、コステンキ14号;モロッコのイベロモーラシアン個体群、ムブティ人)のf4統計を用いて、HGにおけるモロッコのイベロモーラシアン個体群的祖先系統について検証されました。その結果、WHG(もしくは近東)祖先系統を有する全ての人口集団は正のf4統計が繰り返す、と分かり、地中海西部両側のHG集団に共通する共有された近東祖先系統が証明され、イベリア半島南部における遺伝的連続性が示唆されます。しかし、f4統計(モロッコのイベロモーラシアン個体群、ナトゥーフィアン個体群;検証対象、チンパンジー)を用いてMLZとモイタ・ド・セバスティアン遺跡個体におけるモロッコのイベロモーラシアン個体群祖先系統のサハラ砂漠以南のアフリカの構成要素について具体的に検証すると、負の結果が得られ、近東祖先系統との過剰な類似性は示唆されるものの、サハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統との過剰な類似性は示唆されませんでした。
前期新石器時代(EN)における農耕慣行の拡大とともに、新たな方の祖先系統がイベリア半島に到達しました。これら農耕集団も、HG的祖先系統を小さな割合で有しており、それは拡大経路に沿っての局所的混合過程に起因します(関連記事)。イベリア半島では、農耕慣行と関連する新石器時代と銅器時代(CA)の個体群におけるヴィッラブルーナ/WHG的祖先系統とゴイエQ2的祖先系統の二重祖先系統をたどれる、と示されました(関連記事)。
その後の期間におけるMLZ的祖先系統の遺伝的遺産の可能性を調べるため、とくにイベリア半島南部に焦点を当てて、アルダレス洞窟およびラス・アグイリッラス(Las Aguilillas)のネクロポリス(大規模共同墓地)の新たな前期新石器時代2個体と、ロス・カセロネスのネクロポリスおよびアルダレス洞窟の銅器時代2個体と、銅器時代の後のアルダレス洞窟の1個体が、イベリア半島の刊行されたデータとともに報告されて共分析されます。アルダレス洞窟(ADS005)とアグイリッラス遺跡(AGS001)の前期新石器時代2個体は、主成分分析(principal component analysi、略してPCA)空間では、イベリア半島およびフランスの他の新石器時代個体群とともにクラスタ化します(まとまります)。ムルシエラゴス(Murciélagos)遺跡個体を除いて、イベリア半島南部の新石器時代個体群はイベリア半島ENクラスタ内の別の下位クラスタを形成し、イベリア半島HGへと向かってPC2では上側に、PC1では左側に僅かに動きます。その結果、ムルシエラゴス遺跡個体を除いて、全ての個体が南部_イベリア半島_ENと分類されました。
南部_イベリア半島_ENにおけるアフリカ北部祖先系統の寄与を除外した後で、qpAdmを用いて遺伝的祖先系統の遠位供給源がモデル化されました。南部_イベリア半島_EN における祖先系統の追加の(複数の)供給源を特徴づける目的で、2方向および3方向モデルのいくつかの組み合わせ(アナトリアN+WHG、アナトリアN+WHG+イラン_NかMLZかヨルダン_先土器新石器時代B)が検証されました。イベリア半島南部に存在するさまざまな祖先系統(たとえば、MLZもしくはゴイエQ2的構成要素)と、地中海の一部EN集団で記載されてきたヨルダン_先土器新石器時代B(PPNB)もしくはイラン_N的祖先系統(関連記事)など、異なる可能性のある新石器時代祖先系統に焦点が当てられました。
WHGおよびMLZ的祖先系統で南部_イベリア半島_ENにおけるHG祖先系統のモデル化に成功し、HG構成要素は北部_イベリア半島_ENより大きい、と示され、以前に刊行されたデータ(関連記事)と一致します。時間的および地理的に近位の供給源でのモデルも裏づけられました。しかし、MLZやエル・ミロン洞窟個体やモイタ・ド・セバスティアン遺跡個体的な祖先系統間ではさらに区別できず、データ解像度の限界を示します。HG祖先系統とソリュートレアン/のマグダレニアン関連個体群遺伝的遺産のより多い量は、イベリア半島南部におけるHGと農耕民との間のずっと密接な遺伝的相互作用を示唆しており、それは恐らく、農耕民のより早期の拡大(より長期の共存)もしくはイベリア半島北部よりも多くて強い混合の波の結果です。
カセロネスのネクロポリス(CRS002)とアルダレス洞窟(ADS008)の銅器時代2個体は、他のイベリア半島南部銅器時代人口集団とクラスタ化します。PCA空間におけるアルダレス洞窟の個体(ADS007)の位置は「草原地帯関連祖先系統」の存在を仮定しており、これはいくつかの適用された検定で確証されました。さらに、この個体について地元民ではない地位を提案できます。
●まとめ
アンダルシアの最初のソリュートレアン関連個体であるMLZから得られたゲノム規模データは、ヨーロッパとアジアの人口集団間の分岐に先行するIUP人口集団【IUPの担い手の人口集団において、すでに後のヨーロッパ系とアジア東部系との分岐は起きていた、との見解(関連記事)もあります】からの祖先系統の痕跡を明らかにしました。この遺伝的祖先系統はオーリナシアン関連の個体ゴイエQ116-1やバチョキロ洞窟IUP個体群や田園洞窟個体でもそれぞれ見つかりました。
ヴェストニツェ的祖先系統の寄与の実質的な痕跡がイベリア半島南部では見つからないので、LGM前の集団(ヴェストニツェ的祖先系統)とLGM後の集団(ゴイエQ2的祖先系統)がLGMに分離したことも示されました。これは、ヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群がヨーロッパ中央部のグラヴェティアン関連個体群と遺伝的に異なっている、というシナリオを示唆します。イベリア半島南部におけるヴェストニツェ的祖先系統は、LGMの最盛期に人口集団がさらに南方へと後退した時に置換されたか、最初にイベリア半島の南端に到達した可能性もあります。
MLZ個体は、近東のナトゥーフィアン関連個体群と共有される祖先系統も有しており、LGM前のヨーロッパにおけるこの祖先系統の存在が確証されます。MLZ系統はLGM後のマグダレニアン関連個体群にかなり寄与しており、それはLGM後にまたがるヨーロッパ西部における遺伝的連続性を証明します。より複雑なシナリオもあり得ますが、観察された遺伝的連続性から、「南方の遺伝的退避地」としてのイベリア半島は、LGMの前と最中と後において安定的な人口集団を維持できたかもしれない、と示唆され、顕著な人口集団の転換事象の証拠はないものの、その後すぐ、ヴィッラブルーナ的HG祖先系統の早期でかなりの寄与が続きました。
しかし、これはアナトリア半島西部と近東から新たな祖先系統をもたらしたEN農耕民の到来とともに顕著に変わりました。とくにイベリア半島南部ではイベリア半島の他地域よりも、ソリュートレアンおよびマグダレニアン関連個体群と関連するHG祖先系統の割合が高く保持されていました。旧石器時代から中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民116個体の新たなゲノムデータを報告した研究(関連記事)の参照が推奨されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
ゲノミクス:古代ヨーロッパ人の移動経路を明らかにする
古代ヨーロッパ人のゲノムデータの解析によって古代ヨーロッパ人の詳細な移動経路が明らかになった。この研究知見は、後期旧石器時代から新石器時代までの人類集団の運命とゲノム史を解明する手掛かりとなる。こうした知見を報告する2編の論文が、今週、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。
現生人類は、約4万5000年前にヨーロッパに到達し、最終氷期極大期(2万5000年~1万9000年前)を含む困難な時代を狩猟採集民として過ごした。考古学者は、後に発掘された遺物からこの時代に出現した数々の独自文化に関する知識を得たが、ヒトの化石がほとんど見つかっていないため、人類集団の移動経路や交流についてはほとんど分かっていない。
Natureに掲載されるCosimo Posthたちの論文では、古代の狩猟採集民(356個体)のゲノムを解析した研究が報告されている。このゲノムデータには、3万5000年前から5000年前までの西ユーラシアと中央ユーラシアの14カ国の116個体のゲノムデータが新たに加わっている。その結果、西ヨーロッパのグラベット文化に関連した個体が有していた祖先系統が同定され、この祖先系統を有する南西ヨーロッパの人類集団が最終氷期極大期を生き延び、マドレーヌ文化の拡大に伴って北東方向に移住したことが判明した。一方、南ヨーロッパでは、エピグラベット文化に関連する祖先系統が、おそらくバルカン半島からイタリア半島に移住してきたため、最終氷期極大期に局地的な人類集団の入れ替えが起こり、その後、エピグラベット文化に関連した個体に近縁な祖先系統が約1万4000年前からヨーロッパ中に広がり、マドレーヌ文化に関連する遺伝子プールとほぼ入れ替わったことが明らかになった。
この研究は、最終氷期極大期の末期におけるマドレーヌ文化の起源と拡大に関する長年の考古学上の論争を解決するために役立つとともに、考古学的文化の中には、混合に応じて出現したと考えられるものや環境の変化に関連して出現した可能性の高いものがあり、遺伝的入れ替えを伴うものと伴わないものがあったことを示唆している。
これとは別に、Nature Ecology & Evolutionに掲載されるVanessa Villalba-Moucoたちの論文には、スペイン南部で収集された16個体の全ゲノムデータ(2万3000年前のソリュートレ文化に関連したCueva del Malalmuerzoの男性のゲノムデータを含む)が報告されている。そして、この男性の遺伝的祖先系統が初期のオーリニャック文化に関連した祖先系統と最終氷期極大期以降のマドレーヌ文化に関連した祖先系統を結びつけるものだったことが明らかになった。このスペイン南部での遺伝的連続性シナリオは、Posthたちの論文に記述されたイタリアにおける最終氷期極大期の前後の遺伝的不連続性と対照をなしており、人類が最終氷期の極端な気候を生き抜いていた頃の南ヨーロッパのレフュジア(避難地)の人口動態に違いがあったことを示唆している。
参考文献:
Villalba-Mouco V. et al.(2023): A 23,000-year-old southern Iberian individual links human groups that lived in Western Europe before and after the Last Glacial Maximum. Nature Ecology & Evolution, 7, 4, 597–609.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-01987-0
●要約
人口集団は、その遺伝的差異に永続的で劇的な影響を及ぼした最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に範囲が縮小しました。LGM後のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)技術複合と関連する個体群の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、LGM前のオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する集団に由来する、と解釈されてきました。しかし、これら両祖先系統は、年代的に中間のグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)と関連するヨーロッパ中央部の個体群の祖先系統とは異なります。したがって、LGMの前後のゲノム変容はヨーロッパ西部でも不明なままで、ヨーロッパ西部ではその中間でLGMの最盛期にまたがるソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)と関連するゲノムデータが欠けています。
本論文は、スペイン南部のアンダルシアの複数の遺跡から得られたゲノム規模データを提示します。これには、較正年代【以下、明記しない場合は基本的に較正年代です】で23000年前頃と直接的に年代測定されたマラルムエルゾ洞窟(Cueva del Malalmuerzo)のソリュートレアン関連個体が含まれます。このシナリオはイタリアでは異なっており、LGM前後の移行と関連する個体群は異なる遺伝的祖先系統を有しています。これは、氷期ヨーロッパの提案された南方退避地における異なる動態を示唆し、イベリア半島をヨーロッパ西部のLGM前の祖先系統にとって退避地だった可能性を仮定します。さらに、旧石器時代起源と考えられていたアルダレス洞窟(Cueva de Ardales)の個体群は予測されていたよりも新しく、アンダルシアのカセロネス(Caserones)およびアグイリッラス(Aguilillas)遺跡の個体群とともに、イベリア半島南部の新石器時代(N)と銅器時代(CA)と青銅器時代(BA)の個体群の遺伝的差異内に収まります。
●研究史
ヨーロッパの植民は、主要な気候事象と関連する人口集団の拡大と縮小により特徴づけられました。多くの研究は、LGM(26600~19000年前頃)の旧石器時代ヨーロッパにおける劇的な人口減少を示唆します。考古学的記録におけるヒトの存在は圧倒的に人工遺物により記録されており、それはおもに、旧石器時代の記録では稀な骨格遺骸ではなく、いわゆる技術複合と分類される石器です。
LGMの開始とともに、人口減少がヨーロッパ中央部で観察され、グラヴェティアン技術(33000~25000年前頃)と関連する人口集団は南方へと現在のイタリアおよびヨーロッパ中央部/南東部へと後退しました。ヨーロッパ南西部では、単一の上部旧石器時代(UP)技術複合であるソリュートレアンが現在のフランス南部とイベリア半島の地域に24000~19000年前頃までに現れ、これはハインリッヒ2事象(Heinrich 2 Event)およびその後のLGMの期間と一致します。ソリュートレアンは新たな石器技術と道具一式により定義され、過酷な気候条件への対応、およびより一般的にはグラヴェティアン技術の崩壊として解釈される、地域的に異なる尖頭器様式があります。
アテリアン(Aterian、アテール文化)石器群との類似性に基づいて推定されるアフリカ北部起源の移動過程による、文化的不連続性を説明した学者もいます。しかし、一般的な合意では、ソリュートレアン石器伝統は、他の集団からの孤立および拡張していたヨーロッパ全域の交流網の崩壊に起因する文化的浮動と、過酷な気候条件および人口統計学的圧力を経た、ヨーロッパ西部の後期グラヴェティアン技術に起源がある、と考えられています。ソリュートレアンの局所的発展のさらなる裏づけは、フランスとイベリア半島の領域のソリューションで最高潮に達した、新たな石器伝統の同時期の起源に見られました。
イベリア半島では、ソリュートレアンの考古学的記録はイベリア半島の大西洋と地中海両側での密な周辺分散を着指しており、たまに内陸部の高原の居住があります。地中海/ポルトガル南部地域とカンタブリア/ピレネー地域との間のソリュートレアン伝統は、人口減少と限定的な空間に続いた縄張り争いの結果と考えられました。先行するグラヴェティアンおよびその後のマグダレニアンとは対照的に、イベリア半島北部がより密に居住されていた時、ソリュートレアンと関連する遺跡の数は、南方の方でより広く拡散しているにも関わらず両地域【南方の地中海/ポルトガル南部地域と北方のカンタブリア/ピレネー地域】ではほぼ同じで、限定的な境界内での相互接続された集団の交流網が示唆されます。
ヨーロッパ西部においてLGMよりも古い考古学的文脈から得られた利用可能なゲノム規模データは少なく、ヨーロッパ大陸西部のUPヒト集団のゲノム変容の詳細な研究はまだ可能になっていません。これまでに刊行された最古のゲノムはヨーロッパ中央部および東部に由来し、年代は45000~40000年前頃にさかのぼり、初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)技術が広がっていた頃に相当し、遺伝子型決定された個体群は、祖先系統特性とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との混合水準の広範な多様性を示しており、たとえば、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)のIUP個体群(関連記事)、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase、略してPO)」の個体ワセ1号(関連記事)、ルーマニアの「女性の洞窟(Peştera Muierii、略してPM)の個体(関連記事)、チェコ共和国のコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(関連記事)です。
逆に、ヨーロッパ西部から得られた利用可能な最古のゲノムデータは、現在のベルギーにあるゴイエ(Goyet)遺跡のオーリナシアンと関連する35000年前頃の個体(ゴイエQ116-1)です(関連記事)。LGM前のヨーロッパ中央部および南部のグラヴェティアン関連個体群は遺伝的クラスタ(集団外個体群とよりも集団内で多くの祖先系統を共有するまとまり)を形成し(図1)、これは本論文では、考古学的に関連するグラヴェティアンインダストリーとは関係なく、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡で発見された最古の個体に因んで、ヴェストニツェクラスタと命名されます(関連記事)。しかし、これまでヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群からはゲノム規模データが刊行されていませんでした(図1)。
ヨーロッパ中央部のLGM前のグラヴェティアン関連集団(ヴェストニツェクラスタ)が、ヨーロッパ中央部および西部両方のLGM後のマグダレニアン関連集団(ゴイエQ2と命名された遺伝的クラスタを形成します)とは遺伝的に異なっているのに対して、ヨーロッパ西部のマグダレニアン個体群はヨーロッパ北西部のオーリナシアン関連個体であるゴイエQ116-1で最初に見られる遺伝的祖先系統を継承しました(関連記事)。ヨーロッパ中央部のグラヴェティアン関連個体群とヨーロッパ西部から中央部のマグダレニアン関連個体群との間のこのゲノムの不連続性は、LGMにおける人口縮小により説明されてきており(関連記事)、ミトコンドリアDNA(mtDNA)研究により裏づけられ、たとえば、LGMにおけるmtDNAハプログループ(mtHg)Mの消滅が指摘されています。以下は本論文の図1です。
ボーリング・アレロード(Bølling–Allerød)温暖化亜間氷期(14000年前頃)に続いて、ゴイエQ2クラスタ(まとまり)は、イタリア北部の最古【14000年前頃】となる続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)のヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に因んで命名されたヴィッラブルーナクラスタに置換されましたが、ヴェストニツェクラスタには続旧石器時代および中石器時代関連集団のほとんども含まれ、その全てはヨーロッパ西部狩猟採集民(western hunter-gatherers、略してWHG)としても知られています。この遺伝的景観では、イベリア半島の狩猟採集民(hunter-gatherers、略してHG)は、続旧石器時代および中石器時代においてゴイエQ2的祖先系統をより高い割合で保持している点で際立っているので、別の集団とみなされることが多くなっています(関連記事)。
LGM期と直接的に年代測定されたヨーロッパ西部の個体群は、LGMの前後間の遺伝的不連続性に取り組むのに不可欠です。LGMにおけるヨーロッパ南部の退避地の役割を調べるため、スペインのマラルムエルゾ洞窟で発見されたソリュートレアン関連のヒト遺骸数個体からゲノム規模データが生成されました(図1)。マラルムエルゾ洞窟はソリュートレアンに様式的に分類される岩絵芸術で有名です。ソリュートレアンインダストリーはマラルムエルゾ洞窟で発見されてきましたが、これまで、この技術複合と直接的に関連する原位置の層はありません。マラルムエルゾ洞窟の最新の考古学的調査は、小さな区域で数点のヒト遺骸を発見し、これは以前の発掘から得られた古い考古学的特性に相当します。
スペインのアンダルシアのさまざまな洞窟および岩陰遺跡から発見された追加の先史時代のヒト遺骸が標本抽出され、これらの遺跡には、LGMから新石器時代までにわたるイベリア半島南部の時間横断区を確立する長い居住史があります。品質濾過と放射性炭素年代測定の適用後に、マラルムエルゾ洞窟のソリュートレアン関連1個体とアルダレス洞窟の前期新石器時代(EN)2個体とアルダレス洞窟およびロス・カセロネス(Los Caserones)遺跡の銅器時代2個体の分析が可能となりました。アルダレス洞窟から発見された1個体(ADS007)は、放射性炭素年代測定に充分なコラーゲンを提供しませんでしたが、遺伝的分析の実行には充分なゲノム規模情報があります。本論文は時系列で文脈化されたゲノム結果を提示します。
●標本
最大限の網羅率でゲノム規模データを生成するため、各標本から得られたいくつかのDNA抽出と一本鎖の非ウラシルDNAグリコシラーゼ(uracil-DNA-glycosylase、略してUDG)ライブラリが、確立された実施要綱に従って調製されました。本論文の最終データセットは、標的とした124万の一塩基多型(SNP)部位で、平均網羅率の範囲が0.51倍~8.7倍です。124万SNP捕獲後に、統合されたライブラリは2回目の品質管理を受け、堅牢な古代DNA証明と汚染推定のため、最小限のSNP切断が適用されました。
●マラルムエルゾ洞窟のソリュートレアン狩猟採集民のゲノム構成
マラルムエルゾ洞窟(以下、MLZと省略)の考古学的調査において、2点のヒトの歯が回収されました。それは、MLZ003とMLZ006です。MLZ003およびMLZ005標本は同時代と明らかになり、放射性炭素年代測定では、ソリュートレアン技術複合が広がっていた期間と推定され(MLZ003は23016~22625年前頃、MLZ005は22979~22570年前頃)、MLZで見られる様式の岩絵と一致するので、イベリア半島におけるUPヒト遺骸の最古のゲノムデータを表します。両方の歯は同じ個体に属すると分かったので、下流集団遺伝学的分析ではデータが統合されました(以後はMLZ003005もしくはMLZ)。標的としたSNP部位の最終的な平均網羅率は0.41倍で、124万パネルでは226914のSNPに相当します。
MLZのmtHgはU2'3'4'7'8’9です。派生的なmtHg-U2を有する最古の個体は、ロシア西部にある考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)ですが、より基底的なmtHg-U2'3'4'7'8’9はヨーロッパ南西部の個体群に限られており、最古(27800年前頃)となる個体はイタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)で発見されたパグリッチ108号で、その後は、15500年前頃となるフランスのリグニー1(Rigney 1)洞窟の個体、14000年前頃となるシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島のドリエンテ洞窟(d’Oriente)洞窟の個体(オリエンテC)、10000年前頃となるシチリア島北西部のデッルッツォ洞窟(Grotta dell’Uzzo)の個体(関連記事)、13000年前頃となるスペインのバラマ・グイラニャ(Balma Guilanyà)遺跡の個体が続きます。mtHg-U2'3'4'7'8’9の地理的分布は、ヨーロッパ西部へのヒト集団の初期の拡大と一致しており、イベリア半島およびアペニン山脈の退避地においてLGMを生き残った、と提案されました。
MLZのY染色体ハプログループ(YHg)はC1で、これはブルガリアのバチョキロ洞窟のIUP個体群(45000年前頃)でも見られます。より基底的なYHg-Cはイタリアで発見された33000年前頃となるパグリッチ133号、32000年前頃となるルーマニアのチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU)個体(PCU1号)、32000年前頃となるロシアのコステンキ12号で見られ、派生的なYHg-C1a2は、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1と34000年前頃となるロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡の個体(関連記事)で見られました。
MLZのゲノム特性を特徴づけるため、f3形式(HG1、HG2;ムブティ人)のf3外群統計を用いて、新たなデータを含めて全ての刊行された旧石器時代および中石器時代狩猟採集民(HG)での遺伝的類似性が推定されました。その結果得られたヒートマップでは、MLZはゴイエQ2クラスタと関連する個体群、およびイベリア半島の一部の続旧石器時代と中石器時代のHGとクラスタ化しました(まとまりました)。これらの結果は、マグダレニアン関連個体群で特徴づけられ、イベリア半島HGにおける混合された形態で存在する遺伝的祖先系統(関連記事)と類似しているか、関連している遺伝的祖先系統を示唆しています。
変換された対での距離のf3行列の多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)では(1-f3)、MLZが先行するヨーロッパ中央部のグラヴェティアン関連個体群(ヴェストニツェクラスタ)の遺伝的差異外に位置する、と示されます(図2a)。興味深いことに、MLZはオーリナシアン関連個体のゴイエQ116-1とゴイエQ2クラスタのマグダレニアン関連個体群との間に位置し、WHGとゴイエQ2的な祖先系統をつなぐイベリアHG勾配内に収まるスペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された個体は除外されます。
次に、f4形式(ゴイエQ2クラスタ、ゴイエQ116-1;MLZ、ムブティ人)のf4統計が計算され、ゴイエQ116-1とマグダレニアン関連個体群がMLZに関してクレード(単系統群)を形成するのかどうか、検証されました(図2b)。その結果、MLZはゴイエQ116-1ととよりもマグダレニアン関連個体群の方と多くの遺伝的浮動を共有している、と分かりました。しかし、対照的なf4統計(MLZ、ゴイエQ2クラスタ;ゴイエQ116-1と、ムブティ人)を用いてマグダレニアン関連個体群とMLZがゴイエQ116-1と対称的に関連しているのかどうか検証すると、たとえば、15000年前頃となるドイツ南西部のホーレフェルス(Hohlefels)遺跡個体やゴイエQ2やエル・ミロン洞窟個体がマグダレニアン関連祖先系統の代理として用いられた場合、MLZとゴイエQ116-1との間で共有された浮動の過剰が観察されます。
これらの結果から、MLZはゴイエQ116-1とゴイエQ2クラスタの個体群との間で遺伝的に中間な系統を表している、と示唆されます。年代順に、ゴイエQ116-1がゴイエQ2クラスタとよりもMLZの方と遺伝的に類似しているのに対して、MLZは先行するゴイエQ116-1とよりもゴイエQ2クラスタの方と遺伝的に類似しています(図2b・c)。MLZをマグダレニアン関連個体群に遺伝的に寄与した系統の構成員と同定することは、イベリア半島北部とフランス南部の地域におけるマグダレニアン技術複合の出現を仮定する考古学的記録と一致します。以下は本論文の図2です。
次に、MLZとオーリナシアン関連のゴイエQ116-1もしくはゴイエQ2クラスタが、f4形式(MLZ、ゴイエQ2クラスタ/ゴイエQ116-1;ヴェストニツェクラスタ、ムブティ人)のf4統計を用いて、ヴェストニツェクラスタに関して対称的に関連していたのかどうか、調べられましたが(図2d・e)、ヴェストニツェクラスタ個体群との過剰な共有される浮動は観察されませんでした。これは、LGMの最盛期と直接的に年代測定されたMLZにおいてすでに分化が見られるので、報告されたLGM前のヴェストニツェクラスタとLGM後のゴイエQ2クラスタとの間の遺伝的不連続性が、過酷な気候変化により促進されたのではなかったことを意味します。これは、少なくとも2つの地理的に異なる集団が、ヨーロッパにおいてグラヴェティアン技術複合が広がっていた時に存在したに違いないことを意味します。一方は、ゴイエQ116-1により表されるヨーロッパ西部の集団で、もう一方はヴェストニツェクラスタと記載されているヨーロッパ中央部(および恐らくはヨーロッパ東部)の集団です。本論文の結果は、ソリュートレアンは西方グラヴェティアン技術に起源がある、と示唆する技術的研究、およびヨーロッパ西部におけるグラヴェティアンおよびソリュートレアンと関連する岩絵の類似性と一致します。対照的に、この結果はグラヴェティアンの単身性のヨーロッパ中央部起源がありそうにない、と示します。
ソリュートレアンがフランス南部とイベリア半島に限定されていたことを考慮し、LGMにおけるUP人口集団にとってヨーロッパ南西部が地理的退避地だったと仮定すると、この期間を通じての人口集団の連続性は節約的な説明です。しかし、イベリア半島のLGM前の遺伝的データの欠場を考えると、LGM前のイベリア半島におけるヴェストニツェ的祖先系統の存在も除外できません。
●深い祖先系統の兆候
最近の研究では、45000年前頃となるブルガリアのバチョキロ洞窟のIUP個体群や、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性や、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1が、ユーラシア東西の人口集団の分岐前にヨーロッパに居住していたIUP人口集団からの祖先系統を有していた、と示されてきました(関連記事)。f4形式(MLZ、コステンキ14号;検証対象、ムブティ人)のf4統計と、ヨーロッパ旧石器時代祖先系統の基準としてコステンキ14号を用いることで、MLZはバチョキロ洞窟IUP個体群やゴイエQ116-1や田園洞窟個体と過剰な遺伝的浮動を共有している、と示されます(図3a)。以下は本論文の図3です。
まず、このIUP祖先系統が、現在もしくは古代のヨーロッパ人とよりも現在のアジア東部人の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有している田園洞窟個体におけるより高い割合で示されているように、アジア東部人に寄与しました。同じ種類の祖先系統はゴイエQ116-1でも観察されており(関連記事)、ゴイエQ116-1は現代および古代のヨーロッパ人の方と密接に関連していますが、依然として田園洞窟個体との過剰な類似性を共有しています。田園洞窟個体関連アジア人集団からヨーロッパへのユーラシア東西の人口集団の分岐後の逆移住に対して、ユーラシア全域にわたる初期人口集団を仮定する研究者もいます。
バチョキロ洞窟から得られた利用可能な最古のゲノムデータは、グラヴェティアン前と関連するスンギール遺跡個体やコステンキ14号、ヨーロッパ中央部のグラヴェティアンもしくはマグダレニアン関連個体群(ゴイエQ2クラスタ)など他のUP人口集団を除いて、ロシア領シベリア西部のウスチイシム(Ust’ Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸や、田園洞窟個体やゴイエQ116-1やMLZに寄与した、初期ユーラシアのバチョキロ洞窟個体群的人口集団の存在の仮説を裏づけます(関連記事)。
f4形式(検証対象、コステンキ14号;田園洞窟個体、ムブティ人)のf4統計を用いると、ゴイエQ116-1とMLZはバチョキロ洞窟IUP個体群の場合よりも、田園洞窟個体と多くの遺伝的祖先系統を共有する、と観察されます(図3b)。f4統計(MLZ/ゴイエQ116-1、バチョキロIUP;田園洞窟個体、ムブティ人)でコステンキ14号をバチョキロ洞窟IUP個体群と置換すると、田園洞窟個体とMLZ/ゴイエQ116-1との間の過剰な共有される祖先系統も観察され、両方の検定でも正のf4統計が繰り返されます。この傾向はすでにゴイエQ116-1で観察されており、バチョキロ洞窟IUP個体群と田園洞窟個体との間で共有されるより高い祖先系統により説明されました。
MLZに存在する田園洞窟個体関連祖先系統は、ゴイエQ116-1から完全に継承されたかもしれません。それは、f4形式(MLZ、ゴイエQ116-1;田園洞窟個体、ムブティ人)およびf4形式(MLZ、ゴイエQ116-1;バチョキロIUP、ムブティ人)のf4統計により示されるように、MLZとゴイエQ116-1の両者が、田園洞窟個体およびバチョキロ洞窟IUP個体群と対称的に関連しているからです。IUPのバチョキロ洞窟的集団が、ウスチイシム個体と田園洞窟個体とゴイエQ116-1に祖先系統を寄与し、より遠位にMLZに寄与したことと一致する個体群f4統計(検証対象、ウスチイシム個体;MLZ、ムブティ人)を用いての全体的な負の値の取得により、ウスチイシム個体とMLZとの間の微妙な誘引も観察されます。MLZとゴイエQ116-1との間の田園洞窟個体とバチョキロ洞窟IUP個体群の誘引の同様の水準と、MLZにおける経時的な存続から、この種類の初期ユーラシア祖先系統はユーラシア最西端のヨーロッパにおいて希釈された形で存続した、と示唆されます。
最終的に、この観察はヨーロッパ西部におけるオーリナシアンおよびソリュートレアン関連個体群と、ヨーロッパ東部のIUP個体群およびユーラシア東部の田園洞窟個体との間のつながりと、この遺伝的遺産がイベリア半島において2万年前頃(MLZは23000年前頃)で存続した一方で、ヨーロッパ中央部(および恐らくはヨーロッパ東部)では、グラヴェティアンの前およびグラヴェティアン関連個体群(3万年前頃)ではすでにもはや追跡できなかったことを仮定します。これらの結果は、オーリナシアンと広く関連し、ゴイエQ116-1により表される人口集団から、ヨーロッパ西部においてソリュートレアンと関連し、MLZにより表される人口集団への遺伝的連続性を示唆します。
MLZの場合、この種の祖先系統はイベリア半島南部へと(広義の)オーリナシアンと関連する個体群によりもたらされたに違いない、と推測され、それは、考古学的記録が、イベリア半島北部において、たとえばシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)など、現生人類ではなく広く後期ネアンデルタール人の初産とされる初期UPインダストリーの証拠しか提供していないからです(関連記事)。フランス南部からイベリア半島へと入ると、プロトオーリナシアン(先オーリニャック文化)もしくはオーリナシアンに厳密に分類される考古学的遺物は、イベリア半島北部でしか見つかっていません。スペインのマラガ(Málaga)県近くのバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡(関連記事)とポルトガル中央部のラパ・ド・ピカレイロ(Lapa do Picareiro)遺跡(関連記事)では、前期オーリナシアン技術複合も報告されてきましたが、数人の学者により異議が唱えられました。
●MLZにおける混合の兆候
MLZが、オーリナシアン関連個体ゴイエQ116-1とは異なるUP狩猟採集民的祖先系統を有しているのかどうかも、検証されました。まず、f4形式(MLZ、コステンキ14号;検証対象、ムブティ人)のf4統計で、他の古代の人口集団に対するMLZの遺伝的関係が調べられました。その結果、微妙ではあるものの、有意ではない、ゴイエQ116-1には存在しないヴィッラブルーナ的祖先系統を有する個体群との共有された浮動の兆候が見つかりました。f4統計(MLZ/ゴイエQ2クラスタ、ゴイエQ116-1;ヴィッラブルーナ、ムブティ人)を計算すると、MLZにおけるヴィッラブルーナ的祖先系統の量は、ゴイエQ2クラスタのマグダレニアン関連個体群の量より少ない、と確証できます。全てのマグダレニアン関連個体群で有意に正のf4統計が得られ、これはゴイエQ2クラスタ個体群へのヴィッラブルーナ的祖先系統の寄与を示唆します。MLZを検証すると、有意ではないZ得点(1.628)が得られました。しかし、これらの結果を考慮すると、MLZにおけるヴィッラブルーナ的祖先系統の量がゴイエQ116-1よりもわずかに多いことを除外できません。
f4形式(MLZ、ゴイエQ2クラスタ;ヴィッラブルーナ、ムブティ人)を用いると一貫して負のf4統計も観察され、Z得点の範囲は-9.568(エル・ミロン洞窟個体)から-0.091(ホーレフェルス遺跡個体)までとなり、f4統計が必ずしも有意ではないとしても、MLZと比較した場合のゴイエQ2クラスタ個体群におけるヴィッラブルーナ的祖先系統との過剰な類似性を示唆します。イベリア半島については、MLZはその後のマグダレニアン関連のエル・ミロン洞窟個体とよりも、ヴィッラブルーナ的個体群の方と浮動の共有が少ない、と分かりました。これは、侵入してきたヴィッラブルーナ的祖先系統が、ソリュートレアン技術複合が広がっていた時期にはイベリア半島に到達せず、その後になって到達したか、あるいは、ヴィッラブルーナ的祖先系統がイベリア半島の南部にはまだ到達していなかったことを示唆します。
興味深いことに、f4統計(MLZ、コステンキ14号;ナトゥーフィアン、ムブティ人)を用いると、MLZはナトゥーフィアン(Natufian)個体群への有意に正の誘引を示唆します。比較f4検定設定の拡張においてヴィッラブルーナおよびナトゥーフィアンへのさまざまな屡次性を比較すると、以下のパターンが観察されます。それは、全てのLGM後の集団/個体群はヴィッラブルーナおよびナトゥーフィアン的祖先系統への有意な誘引を示し、それによりヴィッラブルーナは全体的により高いf4統計値をもたらす種類の祖先系統を構成します(図4a)。
このパターンは、網羅率の高いWHGおよびマグダレニアン関連個体群において最も明確ですが、同様の傾向はこの2集団の低い網羅率の個体群でも見られます。先行研究(関連記事)は14000年前頃以後のヴィッラブルーナ/WHGクラスタとの近東の人口集団の類似性増加をすでに記載しており、その結果、LGMの間かそれ以前の、ヨーロッパ南東部の退避地における古代の近東集団からヴィッラブルーナクラスタへの寄与を示唆します。ヴィッラブルーナ的祖先系統はアナトリア半島HGとナトゥーフィアン個体群の祖先系統の非基底部ユーラシア人部分でも検出され、これは双方向性を示唆しており、つまりは15000年前頃以前の近東古代人へのヴィッラブルーナ的祖先系統の寄与です。
本論文は、ヨーロッパ中央部のLGM前のグラヴェティアン関連個体群におけるヴィッラブルーナ的祖先系統との有意な遺伝的類似性を確証しますが、ナトゥーフィアン的祖先系統との類似性は確証されません(あるいは、ヴィッラブルーナ的祖先系統よりも少なくなります)。対照的に、LGM後の人口集団は、ヴィッラブルーナとナトゥーフィアン両方と関連するかなりの祖先系統を共有していますが、ナトゥーフィアンよりもヴィッラブルーナの方と多くの祖先系統を教諭しており、先行研究と一致します(図4a)。以下は本論文の図4です
他の先行研究では、ナトゥーフィアン個体群はヴィッラブルーナ的祖先系統と「基底部ユーラシア人」祖先系統を用いてモデル化できる、と示されました(関連記事)。「基底部ユーラシア人」は、アフリカの人口集団との分岐後に全ての非アフリカ系人口集団とひじょうに早く分岐した、推定される人口集団を構成します(関連記事)。この結果から、MLZはナトゥーフィアン個体群に存在する近東祖先系統の過剰を共有しており、それはヴィッラブルーナ的祖先系統自体では説明されない(近東との類似性を有する最古のWHG)、と示されます。対照的に、MLZにおいて、他の検定を用いて基底部ユーラシア人祖先系統の兆候も、ネアンデルタール人祖先系統の高い割合も見つかりませんでした。
まとめると、ナトゥーフィアン個体群とMLZに存在するヴィッラブルーナ的祖先系統はヴィッラブルーナ個体により表される祖先系統とは異なる、と暫定的に結論づけられます。それにも関わらず、推定される寄与した系統はヴィッラブルーナ的祖先系統と関連しているものの、近東祖先系統の割合がより高く、ナトゥーフィアン個体群において混合した形で存在しています。
最後に、qpGraphを用いて、MLZ個体の系統発生的位置の再構築の実行により、これら遺伝的事象のモデル化が試みられました。その結果、MLZは、ゴイエQ116-1と祖先を共有する人口集団(84%)と、ヴィッラブルーナ個体の祖先でWHGのクレードである人口集団(16%)の混合を表している、というモデルへの統計的裏づけが見つかりました。エル・ミロン洞窟個体により表されるマグダレニアン関連祖先系統は、MLZと類似した祖先系統とヴィッラブルーナと類似した祖先系統の混合と分かりました。
●アフリカ北部祖先系統の検証
アフリカ北部沿岸からわずか300kmというヨーロッパ南西部におけるMLZの最南端の位置と、近東祖先系統の確証を考えて、f4統計(MLZ、ゴイエQ116-1;検証対象、チンパンジー)を用いてジブラルタル海峡横断の可能性が調べられました。このf4統計では、MLZとゴイエQ116-1が直接的に、検証人口集団としてのモロッコのイベロモーラシアン(Iberomaurusian)個体群やナトゥーフィアン個体群やヴィッラブルーナ個体と比較されました(図4b)。全てのf4統計は正で、ゴイエQ116-1と比較した場合のMLZにおける近東祖先系統とのより高い類似性を示唆します。3つの検定では、ナトゥーフィアン個体群およびイベロモーラシアン個体群がゴイエQ116-1とよりもMLZの方と多くの遺伝的浮動を共有しています。
モロッコのイベロモーラシアン個体群をヴィッラブルーナ個体もしくはナトゥーフィアン個体群と比較すると、有意ではない変化が観察され、モロッコのイベロモーラシアン個体群的な祖先系統(サハラ砂漠以南のアフリカ的祖先系統も有しています)からMLZへの直接的な寄与の欠如が示唆されます(図4b)。しかし、モロッコのイベロモーラシアン個体群の主要な構成要素でもあるナトゥーフィアン個体群により表される近東的祖先系統は、地中海の両側に広がっていたかもしれません。地中海では、近東的祖先系統は(後に)アフリカのサハラ砂漠以南の祖先系統(モロッコのイベロモーラシアン個体群で見られるように)、および地中海のヨーロッパ側のヴィッラブルーナ的祖先系統と混合しました。
●その後の期間におけるソリュートレアン関連HGのゲノム遺産
次に、MLZの遺伝的遺産がイベリア半島の完新世HGでまだ検出できるのかどうか、調べられました。ゴイエQ2的祖先系統の痕跡は、イベリア半島の北部よりも南部の方でより高い割合で存在する、と示されており、イベリア半島北部ではWHG/ヴィッラブルーナ的祖先系統の割合がより高くなっています。
図3と同じf4統計(検証対象、コステンキ14号;田園個体、ムブティ人)を適用すると、モイタ・ド・セバスティアン(Moita do Sebastião)遺跡の中石器時代1個体が検証された場合、ゼロからの正の偏差が観察されました。これは、MLZで見られたものと似たアジア東部の田園洞窟個体との微妙な類似性を示唆しており、その結果、UP以降にポルトガル南部ではこの祖先系統が存続した、と主張されます(図5a)。モイタ・ド・セバスティアン遺跡個体は、全てのヨーロッパ中石器時代HGが外群f3統計(中石器時代個体群、田園個体;ムブティ人)検証された場合、田園洞窟個体との最高の類似性も示します(図5b)。
現時点では、完新世のヨーロッパHGにおける田園洞窟個体との最高の類似性は、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)で報告されていました。これは、シベリアのマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)およびアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡3号個体(AG3)で見られる祖先系統(古代北ユーラシア人祖先系統)が、UPアジア東部および南東部人口集団から祖先系統を受け取り、次にEHGにかなり寄与したからです。しかし、ユーラシア西部の地理的には反対側に位置する中石器時代ポルトガルの個体とロシアのEHGでは存在するものの、ヨーロッパ中央部では存在しない初期アジア祖先系統の観察は、田園洞窟個体と類似した祖先系統が、中石器時代ヨーロッパで観察されたEHGとWHGの混合勾配を経て伝わった、という可能性を除外します(図5b)。反対に、この結果は、イベリア半島南部における(少なくとも)LGMから中石器時代への遺伝的連続性との見解を裏づける一方で、他のLGMの前後の人口集団の拡大が、ヨーロッパの他のほとんどの地域でこの微妙な兆候の大半を希釈しました。以下は本論文の図5です。
アフリカ北部からイベリア半島南部への遺伝子流動の証拠も探されました。f4形式(検証対象、コステンキ14号;モロッコのイベロモーラシアン個体群、ムブティ人)のf4統計を用いて、HGにおけるモロッコのイベロモーラシアン個体群的祖先系統について検証されました。その結果、WHG(もしくは近東)祖先系統を有する全ての人口集団は正のf4統計が繰り返す、と分かり、地中海西部両側のHG集団に共通する共有された近東祖先系統が証明され、イベリア半島南部における遺伝的連続性が示唆されます。しかし、f4統計(モロッコのイベロモーラシアン個体群、ナトゥーフィアン個体群;検証対象、チンパンジー)を用いてMLZとモイタ・ド・セバスティアン遺跡個体におけるモロッコのイベロモーラシアン個体群祖先系統のサハラ砂漠以南のアフリカの構成要素について具体的に検証すると、負の結果が得られ、近東祖先系統との過剰な類似性は示唆されるものの、サハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統との過剰な類似性は示唆されませんでした。
前期新石器時代(EN)における農耕慣行の拡大とともに、新たな方の祖先系統がイベリア半島に到達しました。これら農耕集団も、HG的祖先系統を小さな割合で有しており、それは拡大経路に沿っての局所的混合過程に起因します(関連記事)。イベリア半島では、農耕慣行と関連する新石器時代と銅器時代(CA)の個体群におけるヴィッラブルーナ/WHG的祖先系統とゴイエQ2的祖先系統の二重祖先系統をたどれる、と示されました(関連記事)。
その後の期間におけるMLZ的祖先系統の遺伝的遺産の可能性を調べるため、とくにイベリア半島南部に焦点を当てて、アルダレス洞窟およびラス・アグイリッラス(Las Aguilillas)のネクロポリス(大規模共同墓地)の新たな前期新石器時代2個体と、ロス・カセロネスのネクロポリスおよびアルダレス洞窟の銅器時代2個体と、銅器時代の後のアルダレス洞窟の1個体が、イベリア半島の刊行されたデータとともに報告されて共分析されます。アルダレス洞窟(ADS005)とアグイリッラス遺跡(AGS001)の前期新石器時代2個体は、主成分分析(principal component analysi、略してPCA)空間では、イベリア半島およびフランスの他の新石器時代個体群とともにクラスタ化します(まとまります)。ムルシエラゴス(Murciélagos)遺跡個体を除いて、イベリア半島南部の新石器時代個体群はイベリア半島ENクラスタ内の別の下位クラスタを形成し、イベリア半島HGへと向かってPC2では上側に、PC1では左側に僅かに動きます。その結果、ムルシエラゴス遺跡個体を除いて、全ての個体が南部_イベリア半島_ENと分類されました。
南部_イベリア半島_ENにおけるアフリカ北部祖先系統の寄与を除外した後で、qpAdmを用いて遺伝的祖先系統の遠位供給源がモデル化されました。南部_イベリア半島_EN における祖先系統の追加の(複数の)供給源を特徴づける目的で、2方向および3方向モデルのいくつかの組み合わせ(アナトリアN+WHG、アナトリアN+WHG+イラン_NかMLZかヨルダン_先土器新石器時代B)が検証されました。イベリア半島南部に存在するさまざまな祖先系統(たとえば、MLZもしくはゴイエQ2的構成要素)と、地中海の一部EN集団で記載されてきたヨルダン_先土器新石器時代B(PPNB)もしくはイラン_N的祖先系統(関連記事)など、異なる可能性のある新石器時代祖先系統に焦点が当てられました。
WHGおよびMLZ的祖先系統で南部_イベリア半島_ENにおけるHG祖先系統のモデル化に成功し、HG構成要素は北部_イベリア半島_ENより大きい、と示され、以前に刊行されたデータ(関連記事)と一致します。時間的および地理的に近位の供給源でのモデルも裏づけられました。しかし、MLZやエル・ミロン洞窟個体やモイタ・ド・セバスティアン遺跡個体的な祖先系統間ではさらに区別できず、データ解像度の限界を示します。HG祖先系統とソリュートレアン/のマグダレニアン関連個体群遺伝的遺産のより多い量は、イベリア半島南部におけるHGと農耕民との間のずっと密接な遺伝的相互作用を示唆しており、それは恐らく、農耕民のより早期の拡大(より長期の共存)もしくはイベリア半島北部よりも多くて強い混合の波の結果です。
カセロネスのネクロポリス(CRS002)とアルダレス洞窟(ADS008)の銅器時代2個体は、他のイベリア半島南部銅器時代人口集団とクラスタ化します。PCA空間におけるアルダレス洞窟の個体(ADS007)の位置は「草原地帯関連祖先系統」の存在を仮定しており、これはいくつかの適用された検定で確証されました。さらに、この個体について地元民ではない地位を提案できます。
●まとめ
アンダルシアの最初のソリュートレアン関連個体であるMLZから得られたゲノム規模データは、ヨーロッパとアジアの人口集団間の分岐に先行するIUP人口集団【IUPの担い手の人口集団において、すでに後のヨーロッパ系とアジア東部系との分岐は起きていた、との見解(関連記事)もあります】からの祖先系統の痕跡を明らかにしました。この遺伝的祖先系統はオーリナシアン関連の個体ゴイエQ116-1やバチョキロ洞窟IUP個体群や田園洞窟個体でもそれぞれ見つかりました。
ヴェストニツェ的祖先系統の寄与の実質的な痕跡がイベリア半島南部では見つからないので、LGM前の集団(ヴェストニツェ的祖先系統)とLGM後の集団(ゴイエQ2的祖先系統)がLGMに分離したことも示されました。これは、ヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群がヨーロッパ中央部のグラヴェティアン関連個体群と遺伝的に異なっている、というシナリオを示唆します。イベリア半島南部におけるヴェストニツェ的祖先系統は、LGMの最盛期に人口集団がさらに南方へと後退した時に置換されたか、最初にイベリア半島の南端に到達した可能性もあります。
MLZ個体は、近東のナトゥーフィアン関連個体群と共有される祖先系統も有しており、LGM前のヨーロッパにおけるこの祖先系統の存在が確証されます。MLZ系統はLGM後のマグダレニアン関連個体群にかなり寄与しており、それはLGM後にまたがるヨーロッパ西部における遺伝的連続性を証明します。より複雑なシナリオもあり得ますが、観察された遺伝的連続性から、「南方の遺伝的退避地」としてのイベリア半島は、LGMの前と最中と後において安定的な人口集団を維持できたかもしれない、と示唆され、顕著な人口集団の転換事象の証拠はないものの、その後すぐ、ヴィッラブルーナ的HG祖先系統の早期でかなりの寄与が続きました。
しかし、これはアナトリア半島西部と近東から新たな祖先系統をもたらしたEN農耕民の到来とともに顕著に変わりました。とくにイベリア半島南部ではイベリア半島の他地域よりも、ソリュートレアンおよびマグダレニアン関連個体群と関連するHG祖先系統の割合が高く保持されていました。旧石器時代から中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民116個体の新たなゲノムデータを報告した研究(関連記事)の参照が推奨されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
ゲノミクス:古代ヨーロッパ人の移動経路を明らかにする
古代ヨーロッパ人のゲノムデータの解析によって古代ヨーロッパ人の詳細な移動経路が明らかになった。この研究知見は、後期旧石器時代から新石器時代までの人類集団の運命とゲノム史を解明する手掛かりとなる。こうした知見を報告する2編の論文が、今週、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。
現生人類は、約4万5000年前にヨーロッパに到達し、最終氷期極大期(2万5000年~1万9000年前)を含む困難な時代を狩猟採集民として過ごした。考古学者は、後に発掘された遺物からこの時代に出現した数々の独自文化に関する知識を得たが、ヒトの化石がほとんど見つかっていないため、人類集団の移動経路や交流についてはほとんど分かっていない。
Natureに掲載されるCosimo Posthたちの論文では、古代の狩猟採集民(356個体)のゲノムを解析した研究が報告されている。このゲノムデータには、3万5000年前から5000年前までの西ユーラシアと中央ユーラシアの14カ国の116個体のゲノムデータが新たに加わっている。その結果、西ヨーロッパのグラベット文化に関連した個体が有していた祖先系統が同定され、この祖先系統を有する南西ヨーロッパの人類集団が最終氷期極大期を生き延び、マドレーヌ文化の拡大に伴って北東方向に移住したことが判明した。一方、南ヨーロッパでは、エピグラベット文化に関連する祖先系統が、おそらくバルカン半島からイタリア半島に移住してきたため、最終氷期極大期に局地的な人類集団の入れ替えが起こり、その後、エピグラベット文化に関連した個体に近縁な祖先系統が約1万4000年前からヨーロッパ中に広がり、マドレーヌ文化に関連する遺伝子プールとほぼ入れ替わったことが明らかになった。
この研究は、最終氷期極大期の末期におけるマドレーヌ文化の起源と拡大に関する長年の考古学上の論争を解決するために役立つとともに、考古学的文化の中には、混合に応じて出現したと考えられるものや環境の変化に関連して出現した可能性の高いものがあり、遺伝的入れ替えを伴うものと伴わないものがあったことを示唆している。
これとは別に、Nature Ecology & Evolutionに掲載されるVanessa Villalba-Moucoたちの論文には、スペイン南部で収集された16個体の全ゲノムデータ(2万3000年前のソリュートレ文化に関連したCueva del Malalmuerzoの男性のゲノムデータを含む)が報告されている。そして、この男性の遺伝的祖先系統が初期のオーリニャック文化に関連した祖先系統と最終氷期極大期以降のマドレーヌ文化に関連した祖先系統を結びつけるものだったことが明らかになった。このスペイン南部での遺伝的連続性シナリオは、Posthたちの論文に記述されたイタリアにおける最終氷期極大期の前後の遺伝的不連続性と対照をなしており、人類が最終氷期の極端な気候を生き抜いていた頃の南ヨーロッパのレフュジア(避難地)の人口動態に違いがあったことを示唆している。
参考文献:
Villalba-Mouco V. et al.(2023): A 23,000-year-old southern Iberian individual links human groups that lived in Western Europe before and after the Last Glacial Maximum. Nature Ecology & Evolution, 7, 4, 597–609.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-01987-0
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