上部旧石器時代から新石器時代のヨーロッパ狩猟採集民の大規模なゲノムデータ(追記有)
上部旧石器時代から新石器時代のヨーロッパ狩猟採集民の大規模なゲノムデータを報告した研究(Posth et al., 2023)が公表されました。この研究は、ヨーロッパ全域の狩猟採集民116個体の新たな古代ゲノムデータを報告し、これまで不明なところが多分に残っていた最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前後のヨーロッパの人口史について、その遺伝的構成要素をさまざまな祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)もしくはクラスタ(まとまり)に分類することによって以前よりも詳しく解明しており、画期的成果として大いに注目されます。改めて、古代ゲノム研究で最も進んでいる地域がヨーロッパだと思ったものですが、日本人の私は、日本列島も含むユーラシア東部圏の古代ゲノム研究が、今後急速に発展することを期待しています。
●要約
現生人類(Homo sapiens)は45000年以上にわたってヨーロッパに居住してきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、古代の狩猟採集民の遺伝的な近縁性や構造に関する知識は、この期間のヒト遺骸が少なく、分子的な保存状態が悪いため限られています(関連記事)。本論文は、古代狩猟採集民356個体のゲノムを解析し、これには、ユーラシア西部および中央部の14ヶ国から得られた35000~5000年前頃となる、116個体の新たなゲノムデータが含まれています。
ヨーロッパ西部の上部旧石器時代となるグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)遺物群と関連する個体において遺伝的祖先系統特性が特定され、これはヨーロッパ中央部および南部の考古学的文化と関連する同時代の集団とは異なっていますが(関連記事)、オーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する先行する個体群の遺伝的祖先系統特性と類似しています。この祖先系統特性はLGM(25000~19000年前頃)の期間に、ソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)、およびLGM後に北東へと再拡大したソリュートレアンの後のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)と関連する人口集団において存続しました。
一方、ヨーロッパ南部では遺伝的転換が明らかになり、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)と関連する人口集団の北方から南方への拡散に伴うLGMの頃のヒト集団の局所的置換が示唆されます。少なくとも14000年前頃以降、続グラヴェティアンと関連する祖先系統は南方からヨーロッパの残り全体へと拡大し、マグダレニアン関連の遺伝子プールをほぼ置換しました。中石器時代の開始にまたがる限定的な混合の期間の後、ヨーロッパの西部と東部の狩猟採集民の間に遺伝的相互作用があった、と分かり、これらの狩猟採集民は表現型的に関連する多様体における顕著な違いにより特徴づけられました。
●研究史
現生人類はサハラ砂漠以南のアフリカを6万年前頃に離れ、ユーラシアへのその最初の拡大において、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と遺伝的に混合し、現在の非アフリカ系人口集団の大半ではそりゲノムにおける2~3%はネアンデルタール人の祖先系統に由来します。ゲノムデータから、現生人類は少なくとも45000年前頃にはユーラシア西部に存在した、と示されてきました(関連記事)。初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)文化と関連するブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の個体群(関連記事)や、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」の個体(関連記事)における、比較的近い世代の祖先におけるネアンデルタール人からの遺伝子移入の兆候により示されるように、4万年以上前となるそれら初期現生人類集団の一部はさらにネアンデルタール人と混合しました。
チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(関連記事)や、ロシア領シベリア西部のウスチイシム(Ust’Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸(関連記事)など、その期間の他の個体群は、他の非アフリカ系集団よりも有意に多くのネアンデルタール人祖先系統を有しておらず、ユーラシア全域にわたる現生人類の最初の拡散期におけるネアンデルタール人と初期現生人類との間の異なる相互作用を示唆します。しかし、驚くべきことに、それら4万年前頃以前の個体群は、現在のユーラシア人口集団の遺伝的構成には実質的な痕跡を残しませんでした(関連記事)。
現在のヨーロッパ人へとつながる系統におもに由来する祖先系統を有している最古のゲノムはロシア西部にある考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された37000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)と、ベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡のオーリナシアンと関連する35000年前頃の(関連記事)個体(ゴイエQ116-1)です。これらのデータから、これまでに分析された4万年以上前の個体群で特定された遺伝的祖先系統は、ほぼ絶滅したか、その後の拡大により同化された、と示唆されます(関連記事)。
コステンキ14遺跡個体の遺伝的痕跡(コステンキ14号のゲノムと関連しており、以後はコステンキクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)は、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡に因んで命名された、その後のヴェストニツェ遺伝的クラスタ(以後、ヴェストニツェクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)に寄与しました。この遺伝的痕跡は、ヨーロッパ中央部および南部における考古学的に定義されている33000~26000年前頃のグラヴェティアンと関連する個体群で共有されており、LGM後に消滅しました(関連記事)。
しかし、同時代のヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群の遺伝的特性は、LGM後の人口集団への寄与と同様に不明なままです。最終氷期の最寒冷期として知られているLGMは、ヨーロッパの大半で人口減少を引き起こし、たとえばイベリア半島とフランス南部の24000~19000年前頃となるソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)の同時期の存在により証明されるように、人口集団は南方へと後退しました。この期間におけるヒトの生存にとっての他の提案されている気候退避地は、イベリア半島とバルカン半島とヨーロッパ南東部平原ですが、これらの地域からLGM後のヨーロッパ人への人口集団の実際の遺伝的寄与は、激しく議論されています。
LGM後に、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1個体と遠位的に関連する遺伝的構成要素(ゴイエQ2祖先系統と命名され、以後はゴイエQ2クラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)が、となるマグダレニアン(19000~14000年前頃にイベリア半島からヨーロッパ中央部を横断してヨーロッパ東部まで分布)と関連するヨーロッパ南西部および中央部の個体群において、末期旧石器時代および中石器時代狩猟採集民において混合した形で再出現しましたが(関連記事)、この祖先系統の地理的拡張はまだ不明です。
代わりに、ヨーロッパ南部では独特な狩猟採集民遺伝的特性が早くも17000年前頃には、続グラヴェティアン(24000~12000年前頃にかけてイタリア半島からバルカン半島全域のヨーロッパ南東部平原まで分布)と関連する個体群で見られました(関連記事)。この、14000年前頃となるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に代表される「ヴィッラブルーナ祖先系統(以後はヴィッラブルーナクラスタもしくは祖先系統)」は、古代および現在の近東の人口集団とのつながりを示しますが(関連記事)、イタリア半島への拡大の様相と速度は未調査です。ヴィッラブルーナ祖先系統はその後、ヨーロッパ中央部に現れ、ゴイエQ2祖先系統と関連する集団をほぼ置換した、と考えられています(関連記事)。しかし、ヴィッラブルーナ祖先系統については、形成、拡散、ヨーロッパ東部の同時代の狩猟採集民との相互作用、とヨーロッパ人東部からの新石器時代農耕民のその後の拡大との相互作用は、充分には特徴づけられていません。
この研究では、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)に基づく新規の汚染推定手法とともに、35000~5000年前頃の116個体の新たなゲノムデータを含む、古代の狩猟採集民356個体のゲノムが解析されました。本論文は、狩猟採集民集団が上部旧石器時代初期以降にユーラシア西部および中央部全域で経たゲノム変容と、それらが文化および気候変化とどのように関連している可能性があるのか、ということについて体系的な記述を提供します。
●古代DNAデータの生成
この研究は、新たに報告された狩猟採集民102個体のゲノム規模データを生成し、以前に刊行された14個体について網羅率を増加させました。これらのデータは、上部旧石器時代から後期新石器時代(本論文では、示唆されていなくとも、農耕生計経済ではなく土器の存在により定義されます)まで約3万年間の時間的範囲を網羅しており、複数の先史時代の文化的状況と14ヶ国の54ヶ所の遺跡に由来します。その内訳は、ベルギーのオーリナシアン関連―の1個体とルーマニアの文化的に分類されていない1個体(35000~33000年前頃)、スペインとフランスとベルギーとチェコとイタリアのグラヴェティアン関連の15個体(31000~26000年前頃)、スペインとフランスのソリュートレアン関連の2個体(23000~21000年前頃)、フランスとドイツとポーランドのマグダレニアン関連の9個体(18000~15000年前頃)、イタリアの続グラヴェティアン関連の4個体(17000~13000年前頃)、ドイツのフェダーメッサー(Federmesser)文化関連の2個体(14000年前頃)、ユーラシア西部全域の中石器時代から新石器時代の採食民81個体(11000~5000年前頃)、タジキスタンのユーラシア中央部新石器時代の1個体(8000年前頃)です(図1)。以下は本論文の図1です。
各個体について1~8点の一本鎖および二本鎖が構築され、124万SNP(一塩基多型)でヒトDNAが濃縮され、次にこれらが配列決定され、標的のSNPで平均0.04~7.64倍での網羅率平均が得られました。遺伝的性別では、男性78個体と女性38個体が明らかになりました。現代人のDNAの汚染水準は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体と常染色体DNAに基づき、またROHにおける常染色体データへと拡張されるハプロタイプのコピーモデルで推定されました。個々の解析されたゲノムのわずかに汚染されたライブラリと、かなり汚染されているライブラリは、死後のてえ損傷を示す読み取りの保持のため選別されました。
疑似半数体遺伝子型が、各部位における単一アレル(対立遺伝子)の無作為標本抽出により、標的とされたSNPで呼び出され、124万SNPパネルで網羅された6600~107万のSNPを有する個体が得られました。新たに生成された遺伝子型は下流分析のため、240個体の刊行された狩猟採集民のゲノムおよび世界規模の人口集団と統合されました。2016年の研究(関連記事)とは異なるものの、2019年の研究(関連記事)とは一致して、経時的にほとんどのヨーロッパ狩猟採集民においてネアンデルタール人由来の祖先系統の大きな増加は観察されません。これは、ネアンデルタール人から現生人類への遺伝子移入後に、現生人類においてゲノム規模のネアンデルタール人由来の祖先系統の長期的現象はなかった、というモデルへのさらなる裏づけを提供します。
●LGM前
グラヴェティアンはLGMの前にユーラシア西部全域において最も広く分布した上部旧石器時代文化の一つでした。グラヴェティアンはヨーロッパ全域の文化的斑状とみなされることが多く、物質から象徴的作品ので地域的差異が伴います。この議論されてきた枠組みでは、グラヴェティアン関連個体群は、頭蓋計測およびゲノムデータに基づいて生物学的に均質な人口集団を表している、と提案されてきました。しかし、グラヴェティアン関連のゲノムはヨーロッパ中央部および南部に由来し、グラヴェティアンと関連するヨーロッパ西部および南西部のヒト集団の遺伝的特性は記載されていません。
LGM前のヨーロッパ狩猟採集民のゲノム背景の概要を得るため、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)が用いられ、1-f3の形態(ムブティ人;集団1、集団2)で対での外群f3統計の相違点行列が図示されました(図2a)。この図示は3つの異なる分類の存在を明らかにします。それは、(1)ウスチイシムやバチョキロ洞窟やズラティクンや骨の洞窟で発見された4万年前頃以前の集団、(2)ヨーロッパ中央部から東部と南部の遺跡で発見された続グラヴェティアン関連個体群を含むヴェストニツェクラスタ、(3)ヨーロッパ西部および南西部の、フランスのフルノル(Fournol)とオルメッソン(Ormesson)とラ・ロシエット(La Rochette)とセリニャ(Serinyà)洞窟のモレット3(Mollet III)およびレクロー・ヴィヴァー(Reclau Viver)遺跡で発見された個体から構成される、フルノルクラスタ(以下、フルノルクラスタもしくはフルノル祖先系統と呼ばれます)です。以下は本論文の図2です。
以前に記載されたヴェストニツェクラスタは、イタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)で発見され新たに報告された29000年前頃の1個体(パグリッチ12号)を含み、ロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡(34000年前頃)およびコステンキ12遺跡(32000年前頃)の以前に刊行されたゲノム(関連記事)と密接に関連しています。新たに報告されたフルノルクラスタは、35000年前頃となるベルギーのオーリナシアン関連個体群(ゴイエQ116-1およびゴイエQ376-3)と密接に関連しています。
注目すべきことに、以前の研究(関連記事)に反して、ヨーロッパ中央部から西部の別のグラヴェティアン関連人口集団(ベルギーのゴイエ遺跡の6個体)は、地理的および遺伝的の両方でヴェストニツェとフルノルのクラスタの中間です。ゴイエQ116-1とゴイエQ376-3とフルノルクラスタの間の類似性はmtDNA水準でも観察され、両集団にはLGM後にはヨーロッパの個体群では見られないmtDNAハプログループ(mtHg)Mを有する個体が含まれます(拡張図1および拡張図2)。以下は本論文の拡張図1および拡張図2です。
一連のf4統計で、MDS図で観察されたヴェストニツェとフルノルのクラスタ間の遺伝的差異がさらに検証されました。フルノルクラスタに属する全ての個体は、スンギール集団(4個体)とよりもゴイエQ116-1の方と高い類似性を示し、ヴェストニツェクラスタの個体群はゴイエQ116-1とよりもスンギール集団の方と高い類似性を示しました。これらf4統計でも、ゴイエQ376-3がゴイエQ116-1と類似した祖先系統を、コステンキ12号がスンギール集団と類似した祖先系統を有している一方で、ブルガリアの35000年前頃となるバチョキロ洞窟1653号と、ルーマニアの34000年前頃となる「女性の洞窟(Peştera Muierii、以下PM)」個体(PM1号)および32000年前頃となるチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU)個体(PCU1号)と、イタリア南部の33000年前頃となるパグリッチ洞窟133号は、ゴイエQ116-1およびスンギール集団と同等に関連しています。
ヴェストニツェとフルノルのクラスタに含まれる個体群が、それら2クラスタの主要な代表と類似のアレル頻度を共有しているのかどうか、さらに検証されました。f4統計(ムブティ人、フルノル85号;ヴェストニツェ、検証)とf4統計(ムブティ人、ヴェストニツェ;フルノル85号、検証)統計では、ヴェストニツェクラスタ個体群はヴェストニツェ集団(5個体)と有意により密接で、フルノルクラスタ個体群はフルノル85号とより密接なのに対して、地理的に中間のグラヴェティアン関連のゴイエ集団は両クラスタと余分の類似性を示す、と明らかになります(図2b)。
さらに、qpGraphでLGM前の個体群の遺伝的特性がモデル化されました。混合図では、バチョキロ洞窟IUP集団(3個体)は複数の現生人類系統と祖先系統を共有しており、45000年以上前となるズラティクン個体のゲノムはこれまでに配列決定された最も深く分岐した非アフリカ系統である、と示されます(拡張図4)。これは、他のLGM前の狩猟採集民全てでゼロと一致するf4形式(ムブティ人、ズラティクン;検証1、検証2)のf4統計でも確証され、検証集団とのズラティクン個体の等距離関係を示唆します。
グラヴェティアン関連個体群をコステンキ14号も取り上げた混合図に含めると、フルノル85号がゴイエQ116-1の姉妹系統として最適なのに対して、ヴェストニツェ集団はスンギール集団とゴイエQ116-1およびフルノル85号の系統と関連する集団との間の混合としてモデル化される、と分かりました。これはるf4形式(ムブティ人、フルノル85号;スンギール集団、検証)のf4統計でも裏づけられ、ヴェストニツェクラスタに含まれる全個体で有意に正でした。したがって、以前に報告されたように(関連記事)、ヴェストニツェクラスタ自体は、東西の系統間の混合から生じ、これはグラヴェティアン関連個体群の頭蓋形態で観察される均一性に寄与したかもしれません。以下は本論文拡張図4です。
これらの結果は、4万~3万年前頃にヨーロッパに存在したゲノム祖先系統の全てではないものの一部が、これまでに研究されたグラヴェティアン関連人口集団で存続していたことを示します。コステンキ(およびスンギール集団)祖先系統は、ヨーロッパ中央部から東部と南部のグラヴェティアン関連個体群により表される、以前に記載されたヴェストニツェクラスタに寄与しました。対照的に、ゴイエQ116-1的な遺伝的特性は、新たに記載されたフルノルクラスタを生み出し、このクラスタはヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連個体群で特定されました。注目すべきことに、この遺伝的区別は、遺伝的に分析されたヨーロッパのさまざまな地域のグラヴェティアン関連個体群における葬儀慣行の相違と一致します。
フルノルクラスタと関連するヨーロッパ西部および南西部の個体群が、一貫して洞窟遺跡に堆積しており、たまに人為的な痕跡を示すのに対して、ヴェストニツェクラスタと関連する個体群は、ヨーロッパ中央部から東部の開地遺跡もしくはヨーロッパ南部の洞窟遺跡で、副葬品および/もしくは個人的装飾品やオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)を伴って埋葬されていました。フルノルクラスタの最古の個体は、フランス北東部のオルメッソン遺跡の2988号(31000年前頃、前期/中期グラヴェティアン)ですが、ベルギーのゴイエ遺跡の後期グラヴェティアン集団(27000年前頃)は、ヴェストニツェとフルノルのクラスタ間の混合と分かりました。これは、前期/中期と後期のグラヴェティアン間では、ヴェストニツェ関連祖先系統の東方から西方への拡大があり、この祖先系統はヨーロッパ中央部および西部に達し、それら2つの遺伝的に異なるLGM前の人口集団間の縦断的混合をもたらした、と示唆しています。
●ヨーロッパ南西部と西部におけるLGM
ソリュートレアンは時間的にグラヴェティアンとマグダレニアンもしくはバデゴウリアン(Badegoulian、バデゴウル文化)の中間で、ヨーロッパ南西部と西部で見られ、LGMにおける人口集団の気候的退避地と考えられきました。しかし、ソリュートレアンと関連する集団が同じ地域のその前後の人口集団とのどの程度遺伝的に連続しているのかは不明で、それは、ソリュートレアン関連個体群のゲノムデータが以前には報告されていなかったからです。ソリュートレアン関連個体の新たに配列決定されたゲノムは、フランス南西部のレ・ピアジェ2(Le Piage II)遺跡(23000年前頃)ともスペイン北部のラ・リエラ(La Riera)遺跡の第14層(21000年前頃)で得られ、両者とも外群f3統計ではフルノルおよびゴイエQ2クラスタの構成員との一般的な類似性を示します。
MDS図では、レ・ピアジェ2遺跡個体はとくにフルノルクラスタに属する個体群の近くに収まり、LGMにおけるフルノルクラスタの局所的な遺伝的連続性が示唆されます。f4統計(ムブティ人、レ・ピアジェ2遺跡個体;ヴェストニツェ、フルノル85号)はこの見解をさらに裏づけ、レ・ピアジェ2遺跡個体はヴェストニツェクラスタよりもフルノルクラスタの方と密接に関連する、と明らかにします。これまでに配列決定された最古のマグダレニアン関連個体である、スペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された個体との類似性も比較されました。f統計では、レ・ピアジェ2遺跡個体は遺伝的にフルノル85号とエル・ミロン遺跡個体の中間と示唆されました。さらに、先行研究では、エル・ミロン遺跡個体は、イタリアのグラヴェティアン関連個体群で見られるヴィッラブルーナクラスタからの遺伝的寄与を有している、と示されてきました(関連記事)。
エル・ミロン遺跡個体はフルノル85号およびレ・ピアジェ2遺跡個体とよりもヴィッラブルーナクラスタの方と有意に高い類似性を有していますが、レ・ピアジェ2遺跡個体におけるヴィッラブルーナクラスタとの類似性は、フルノル85号よりも有意に高くはありません。全体的に、ソリュートレアン関連のレ・ピアジェ2遺跡個体は先行するフルノル祖先系統をエル・ミロン遺跡個体で見られるその後の祖先系統とつなげており、ヨーロッパ南西部と西部におけるLGMを通じての遺伝的連続性の直接的証拠を提供します。したがって、これらのヨーロッパ地域は、人口集団がLGMにおいて存続した気候的退避地を構成します。
●イタリア半島におけるLGMの後
LGMの後に、続グラヴェティアンはヨーロッパ南部および南西部に広がりました。その性質についての議論の高まりにも関わらず、続グラヴェティアンは伝統的に、先行する在来のグラヴェティアンからの移行の結果と仮定されてきました。しかし、これらの文化と続グラヴェティアン関連個体群における人口構造との間の遺伝的連続性の水準は、完全には調べられていませんでした。本論文は、イタリア南東部のプラディス(Pradis)遺跡1号、イタリア北西部のアレーン・キャンディード(Arene Candide)遺跡16号、シチリア島のサン・テオドーロ(San Teodoro)洞窟2号という13000年前頃の3個体と、17000年前頃のリパロ・タグリエント(Riparo Tagliente)遺跡2号から構成される、4個体のゲノムデータを報告します。
MDS図では、新規および既知の続グラヴェティアン関連個体群の全てがヴィッラブルーナクラスタ内に収まります(図1c)。一連のf4対称性統計では、全ての続グラヴェティアン関連個体はクレード(単系統群)を形成し、在来(パグリッチ洞窟12号)もしくは非在来の先行する祖先系統(ゴイエQ116-1やコステンキ14号やマリタ1号やヴェストニツェ)と過剰なアレルを共有しない、と確証されます。さらに、続グラヴェティアン関連個体はどれも、0と一致するf4統計(ムブティ人、続グラヴェティアン関連個体/集団;ヴェストニツェ、パグリッチ洞窟12号)により示されるように、ヨーロッパ中央部から東部のグラヴェティアン関連集団とよりも、ヨーロッパ南部のグラヴェティアン関連集団の方と多くの類似性を有していません。
次に、対でのf2遺伝的距離に基づく系統発生の再構築(図3a)と、f4形式(ムブティ人、続グラヴェティアンA;続グラヴェティアンB、続グラヴェティアンC)のf4統計を用いての、それらり間の相対的類似性の検証により、イタリア半島全域のグラヴェティアン関連個体間の遺伝的関係が調べられました。推測された形態は、個々の年代と関係ない系統地理的パターンを明らかにします。とくに、イタリア北東部の13000年前頃のプラディス1号個体は、イタリア北部のタグリエント2号やヴィッラブルーナ遺跡個体を含む、他の全ての続グラヴェティアン関連個体と比較して最基底部系統を表しています(集団1)。イタリア北西部のアレーン・キャンディード16号、イタリア中央部のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)個体、シチリア島の個体から構成される個体群は、系統発生的により派生的な枝(集団2)に位置し、この枝はさらにシチリア島狩猟採集民のみで構成される枝(集団3)へと多様化しました。シチリア島内では、14000年前頃となるシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島のドリエンテ洞窟(d’Oriente)洞窟の個体(オリエンテC)が、シチリア島東部のほぼ同時代のサン・テオドーロ2号とよりも、ずっと新しいものの地理的にはより近い1万年前頃となるシチリア島北西部のデッルッツォ洞窟(Grotta dell’Uzzo)集団(関連記事)の方と高い類似性を示します。以下は本論文の図3です。
最後に、疑似半数体遺伝子型での対での不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)と、疑似二倍体遺伝子型での個々の異型接合性水準両方の計算により、データセットにおける続グラヴェティアン関連個体群の遺伝的多様性が推定されました。全ての分析されたグラヴェティアン関連集団で観察された遺伝的多様性と比較して、続グラヴェティアン関連個体群は有意に低い量の遺伝的多様性を示します(図3b)。さらに、続グラヴェティアン関連集団における遺伝的多様性の北方から南方にかけての減少が明らかになり、最高のPMRおよび異型接合性値はイタリア北部個体群(集団1)で見られ、中間がイタリア西部および中央部個体群(集団2)で、最低がシチリア島個体群(集団3)でした(図3b)。類似のパターンはROH断片の分析を通じて観察されます。シチリア島の続グラヴェティアン関連個体群において最高量のROHが検出され、4~8 cM(センチモルガン)と短いROHの200 cM以上の極端な量を有しています。これは、ひじょうに小さな最近の有効人口規模を示唆しており、70個体程度と推定され、シチリア島の続グラヴェティアン狩猟採集民における低い遺伝的多様性をもたらしました。
要するに、本論文の結果は、考古学的記録で観察された不連続性と相関しているかもしれない、イタリア半島における続グラヴェティアン関連のヴィッラブルーナクラスタによるグラヴェティアン関連のヴェストニツェクラスタの遺伝的置換を浮き彫りにします。全ての分析された続グラヴェティアン関連個体群は均質なヴィッラブルーナ祖先系統を有しており、集団内の遺伝的構造はおもに、時間的分布ではなく地理的分布により決定されます。他の全ての個体よりも深く分岐しているプラディス1号での、続グラヴェティアン関連ゲノムの系統発生的再構築から、この転換はより派生的なタグリエント2号のゲノムの年代(17000年前頃)よりずっと早くに起きた、と示唆されます。これは、エル・ミロン遺跡の19000年前頃の個体におけるヴィッラブルーナ祖先系統の証拠とともに、この遺伝的不連続性が、ボーリング・アレロード(Bølling–Allerød)温暖期(14700~12900年前頃)ではなく、LGMと関連する古地理学的および古い生態学的変容の結果かもしれない、とさらに示唆します。
さらに、本論文の系統発生分析は、イタリア半島における続グラヴェティアン関連遺伝子プールのあり得る入口として、イタリア半島北東部を示します。この調査結果は、古代および現在の近東祖先系統とのヴィッラブルーナクラスタの遺伝的類似性と合わせて、侵入してくる続グラヴェティアン関連人口集団の供給源としてバルカン半島を示唆します。したがってLGMは、おそらくは当時存在した低い海面の沿岸での拡散による、バルカン半島からイベリア半島へと狩猟採集民人口集団を遺伝的につなげた東方から西方へのヒトの移動にとって、アルプスの南側に回廊を作ったかもしれません。
●ヨーロッパ西部および中央部におけるLGMの後
マグダレニアンはLGMの後にヨーロッパの南西部と西部と中央部に広く分布していました。この地理的範囲にも関わらず、マグダレニアンと関連するさまざまな集団が共通の起源人口集団に由来するのかどうか、それらの集団が遺伝的に相互にどのように関連しているのか、明確ではありません。先行研究では、マグダレニアン関連個体群における2つの異なる遺伝的組成が特定されました。一方は15000年前頃のヨーロッパ中央部から西部(フランスとベルギーとドイツ)の個体群のゲノムを含むゴイエQ2クラスタで、もう一方は19000年前頃となるスペインのエル・ミロン遺跡個体の祖先系統です。これらの祖先系統は両方とも、35000年前頃となるゴイエQ116-1個体と遠位に関連する遺伝的構成要素を有しており、イベリア半島の個体はヴィッラブルーナクラスタとの類似性も示します。
以前に刊行されたデータを、フランス西部の18000年前頃となるラ・マルシュ(La Marche)遺跡個体、フランス北部の15000年前頃となるパンスヴァン(Pincevent)遺跡個体、ポーランド南部の18000~16000年前頃となるマスジカ(Maszycka)遺跡個体の、マグダレニアンと関連する本論文で新たに報告されたデータとともに分析することにより、ゴイエQ116-1祖先系統は、フランス南西部および西部のグラヴェティアンおよびソリュートレアン関連個体群の他に、全ての調べられたマグダレニアン関連個体群のゲノムで存続していた、と確証されます(図1)。注目すべきことに、フルノル祖先系統はゴイエQ2クラスタとエル・ミロン遺跡個体で見られる遺伝的構成要素について、ゴイエQ116-1よりも適切な代理を提供します。しかし、f4統計を用いると、エル・ミロン遺跡個体だけではなく全てのマグダレニアン関連個体が、フルノルクラスタと比較するとヴィッラブルーナ関連祖先系統を有している、と示されます。この類似性は、イタリア北部の個体群(集団1)とよりも、イタリア(集団2)およびシチリア島(集団3)の続グラヴェティアン関連個体群の方へとさらに強くなります。
したがって、ゴイエQ2クラスタに属する個体群とエル・ミロン遺跡個体が、マグダレニアン関連集団において、フルノル祖先系統の代理としてのフルノル85号と、ヴィッラブルーナ祖先系統の代理としてのアレーン・キャンディード16号のゲノム間の混合としてモデル化されました。約43%のヴィッラブルーナ祖先系統を有するエル・ミロン遺跡個体を除いて、全てのマグダレニアン関連個体群はこの構成要素の割合がより低かったので(19~29%)、ゴイエQ2クラスタに分類できます(図4a)。これきさらに、f4形式(ムブティ人、アレーン・キャンディード16号;ゴイエQ-2、マグダレニアン関連個体群)のf4統計により確証され、エル・ミロン遺跡個体でのみ有意に正ですが、全ての他の検証された個体とゴイエQ-2は、アレーン・キャンディード16号と対称的に関連します。以下は本論文の図4です。
本論文の分析から、フルノルクラスタはゴイエQ116-1よりもマグダレニアン関連個体群のゲノムにとって適切な供給源である、と論証されます。したがって、これらLGM後の個体群で見られる祖先系統のほとんどは、恐らくヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連集団にたどれます。ヴィッラブルーナ祖先系統との遺伝的類似性がエル・ミロン遺跡個体とヨーロッパ西部および中央部のマグダレニアン関連個体群に存在します。これは、LGMの頃のヨーロッパ南部と南西部の狩猟採集民間の遺伝的つながりが、ピレネー山脈の北側に拡大したことを示唆します。その結果生じたゴイエQ2クラスタは、18000~15000年前頃の期間のフランス西部からポーランドにまたがる個体群を含みます。したがって、先行研究の提案に反して、これはマグダレニアンのLGM後の拡散がヨーロッパ西部からの北方と北東への人口拡大とじっさいに関連していたことを論証します。
●14000年前頃以後から新石器時代
先行研究では、2つの主要な狩猟採集民祖先系統が14000年前頃以後のヨーロッパでは優先していた、と示されてきました。つまり、ヴィッラブルーナクラスタと関連しているヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と、ヴィッラブルーナ祖先系統および上部旧石器時代シベリアの個体群で見られる古代北ユーラシア人(ANE)祖先系統(関連記事)の両方との類似性を示すヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)です。混合したWHG/EHGの遺伝的特性を有する狩猟採集民は、ヨーロッパ北部と東部のさまざまな地域で配列決定されてきており、これら2種の祖先系統が時空間的にどのように形成されて相互作用したのか、という問題を提起します(関連記事)。
MDS図(図1c)とユーラシア西部人の主成分分析(principal component analysi、略してPCA)では(拡張図6)、ヨーロッパ西部と中央部のほとんどの14000年前頃以後の個体はWHGクラスタの近くに、ヨーロッパ東部の個体はEHGクラスタの近くに位置しますが、アジア中央部(タジキスタン)のトゥトカウル(Tutkaul)遺跡個体(トゥトカウル1号)は、ANE関連集団の近くに収まります。14000年前頃となるドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡の2個体はアルプスの北側のWHG祖先系統の最初の存在を示しているので、オーバーカッセルクラスタ(以後、オーバーカッセルクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)と改名されます。これは、一貫性のため、1倍以上の網羅率のそうした祖先系統を有する最古の報告された名称を用いるからです。以下は本論文の拡張図6です。
f4統計に基づいて、オーバーカッセルクラスタに分類された個体群は、イタリアの他の続グラヴェティアン関連集団とよりもアレーン・キャンディード16号のゲノムの方と近い、と分かりました。さらに、オーバーカッセルクラスタは、ヴィッラブルーナ祖先系統とゴイエQ2祖先系統からの寄与の両方を有しています。これはqpAdmで確証され、オーバーカッセルクラスタをアレーン・キャンディード16号の約75%とゴイエQ-2の約25%(もしくはアレーン・キャンディード16号の90%とフルノル85号の10%)のほぼ一貫した混合としてモデル化できます(図4b)。
ヨーロッパ西部および中央部とブリテン島(関連記事)の14000年前頃以後の個体群が、ゴイエQ2祖先系統との繰り返しの局所的混合を示す代わりに均質な遺伝的構成を有している、という観察から、オーバーカッセル祖先系統特性はその拡散前にすでに大半が形成されていた、と示唆されます。これは、ヴィッラブルーナ/オーバーカッセル祖先系統の拡大が、ゴイエQ2祖先系統を高い割合で有している集団との複数の局所的混合を含んでいた、イベリア半島狩猟採集民の遺伝的歴史(関連記事)とは著しく対照的です(図4)。イベリア半島における長期の遺伝的連続性は、Y染色体ハプログループ(YHg)Cの中石器時代までの保存にも反映されており、YHg-CはLGM前の集団において優占的でしたが、ヨーロッパの他地域ではLGM後には稀にしか見られません(拡張図1および拡張図2)。
f4統計とqpAdmを用いて、ヨーロッパ東部のEHG人口集団はヴィッラブルーナ/オーバーカッセル祖先系統とANE祖先系統の混合である、と確証されます。f4統計では、19個体のゲノムにより構成される8200年前頃となるロシア西部のカレリアのユズニー・オレニー・オストロフ(Yuzhniy Oleniy Ostrov)集団が、全ての他のEHG集団と比較して、ヴィッラブルーナ祖先系統には同等かより低い類似性を有していることも示されます。ユズニー・オレニー・オストロフ集団の区別できない遺伝的特性を明らかにする最古の個体は、11000年前頃となるロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡個体です(関連記事)。上述の命名法との一貫性のため、EHG祖先系統はシデルキノクラスタ(以後、シデルキノクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)と改名されます。オーバーカッセルとシデルキノのクラスタ間の遺伝的相違は片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)でも注目されます。それは、オーバーカッセルクラスタではmtHg-U5とYHg-Iが優占するのに対して、シデルキノクラスタの個体群は、mtHg-U2・U4・R1bのより高い頻度を示し、YHg-Q・R・Jを有しているからです。
次に、qpAdmを用いて、刊行されたおよび新たに報告された狩猟採集民250個体を、オーバーカッセルとシデルキノとゴイエQ2の祖先系統と、アナトリア半島新石器時代農耕民(ANF)で最大化される祖先系統の混合としてモデル化することが試みられました。これは、配列決定された狩猟採集民のゲノムのかなりの割合の年代が、ANF祖先系統がヨーロッパ全域に拡大し始めていた8000年前頃以後だからです。その結果、オーバーカッセルとシデルキノの祖先系統間の接触地帯と混合パターンは経時的に変化した、と示されます(図5)。
14000~8000年前頃には、ヨーロッパ西部と中央部の全ての狩猟採集民はオーバーカッセル祖先系統のみを有しており、シデルキノクラスタからの寄与は検出されません。さらに北方と東方では、バルト海地域(バルト海狩猟採集民、略してバルトHG)とスカンジナビア半島(スカンジナビア半島狩猟採集民、略してSHG)と鉄門遺跡(Iron Gates)狩猟採集民に代表されるバルカン半島狩猟採集民とウクライナの狩猟採集民の個体群は、8000年前頃の前にはすでにオーバーカッセル/シデルキノ混合祖先系統を有していました。さらに、これらの集団は、人口史の背後のより複雑な遺伝的過程を示唆する、ANFとの類似性も有しています。さらに、シデルキノクラスタに属するロシア西部の最古級となる刊行された集団のうち2つ、つまり13000年前頃となるペシャニツァ(Peschanitsa)個体と新たに報告された11000年前頃となるミニノ(Minino)個体は、オーバーカッセルクラスタとの余分な類似性を示し、恐らくはシデルキノ祖先系統特性の最初の形成段階におけるこの祖先系統の割合の変動性に起因します。
DATESソフトウェアを用いて、15000~13000年前頃となるこれら古いシデルキノクラスタ関連個体群におけるヴィッラブルーナ/オーバーカッセルとANEの祖先系統間の混合が推定され、その推定年代はヨーロッパ中央部におけるオーバーカッセル祖先系統の最初の出現とほぼ一致しました。これは、オーバーカッセルクラスタによる置換とシデルキノクラスタの形成が、ボーリング・アレロード亜間氷期における急激な温暖化により影響を受けた人口拡大の結果だったかもしれない、という可能性を提供します。以下は本論文の図5です。
8000年前頃以降、ヨーロッパ中央部におけるシデルキノ祖先系統との混合事象が観察され始めます。これは最初に、ドイツ北東部のグロース・フレーデンヴァルデ(Gross Fredenwalde)遺跡の1個体で検出され、その後のほとんどのヨーロッパ狩猟採集民個体では約10%に達します。8000年前頃の直後には、シデルキノ祖先系統はスペイン東部には存在しなかったものの、オーバーカッセル祖先系統の増加とともにイベリア半島北部にはすでに到達していました(図5)。逆に、追加のオーバーカッセル祖先系統は、ヨーロッパ東部において少なくとも7500年前頃までには、ヴォルガ川上流域のミニノ1遺跡とヤジコヴォ(Yazykovo)遺跡の個体から新たに生成されたゲノムで特定されていますが、その1000年ほど前となるミニノ1遺跡の1個体はこの遺伝的構成要素を有していません。ヴォルガ川上流域における淡水貯蔵兆候がヒト遺骸の放射性炭素年代を真の年代より最大で約500年さかのぼらせることを考えると、シデルキノ祖先系統とのヨーロッパ中央部狩猟採集民の混合と、オーバーカッセル祖先系統とのヨーロッパ東部狩猟採集民の混合の最初の証拠の間には1000年以上の間隔があるかもしれません。しかし、それら2回の混合事象が独立していたのか、それとも共通の人口統計学的過程の一部だったのか、評価するには、この時空間において中間的な追加のゲノムが必要です。
7500年前頃以後、ANF祖先系統はアルプスの北側の地域に到達したので、狩猟採集民の遺伝的特性を有する個体群は、おもにヨーロッパの北端に限定されました(図5)。この期間には、オーバーカッセル祖先系統の混合はさらに東方に拡大し、6500年前頃までにはサマラに到達し、シデルキノ祖先系統の増加はバルト海地域の狩猟採集民で検出され、これは以前には、ナルヴァ(Narva)文化から櫛目文土器(Comb Ceramic)文化への移行と関連づけられていました。ヨーロッパ中央部では、ANF祖先系統との混合がひじょうに一般的になったものの遍在したわけではなく、数百年にわたる混合なしの狩猟採集民と農耕民の社会の共存が示唆されます。分析されたデータセットにおける狩猟採集民の大きな割合を有する最近の個体は、ドイツ北部のドイツ北部のオストルフ(Ostorf)で得られており、年代は5200年前頃で、90%超のオーバーカッセルクラスタにシデルキノクラスタ構成要素が加わっています。この遺跡の個体群は、ヨーロッパの青銅器時代の出現のわずか数世紀前となる、狩猟採集民祖先系統のそうした高水準の最後の出現の一つを表しているかもしれません。
PCAと外群f3統計に基づいて、タジキスタンの新石器時代のトゥトカウル1号個体は、シベリア南部から中央部の上部旧石器時代個体群、具体的にはアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡3号個体(AG3)およびバイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)と、チュメニ(Tyumen)およびソスノヴィ(Sosnoviy)遺跡の個体に代表されるほぼ同時代のシベリア西部狩猟採集民密接に関連しており、両者はANE祖先系統を高い割合で有しています(関連記事)。
AG3と比較しての、世界規模の古代および現代の人口集団とのトゥトカウル1号個体の類似性が検証されました。シベリア西部狩猟採集民とは対照的に、トゥトカウル1号は余分なユーラシア東部祖先系統を有していませんが、イラン新石器時代農耕民および一部のより新しいイランおよびトゥーラン(現在のイランとトルクメニスタンとウズベキスタンとアフガニスタン)地域の人口集団との類似性を示します。逆に、シデルキノクラスタの個体群は、トゥトカウル1号よりもAG3の方と遺伝的により密接です。これは、アジア中央部の新たに報告された新石器時代の1個体(トゥトカウル1号)が、5500年前頃以降となるイランおよびトゥーラン地域へのANE関連の寄与の適切な代理かもしれない祖先系統を有しているかもしれないものの、ほぼ同年代のヨーロッパ東部狩猟採集民へのANE関連の寄与の適切な代理ではないかもしれないことを示唆します。
要するに本論文は、14000年前頃以降にヨーロッパに存在した2つの主要な狩猟採集民祖先系統である、オーバーカッセルとシデルキノのクラスタ間の形成と相互作用を記述しました。イタリア北西部のアレーン・キャンディード16号とのオーバーカッセルクラスタのゲノム類似性から、続グラヴェティアン関連祖先系統をはヨーロッパの南部から中央部へとアルプス地域の西側を通って拡大した、と示唆されるかもしれません。シデルキノ祖先系統も14000年前頃に出現し、ヨーロッパ東部におけるその最初の直接的証拠(関連記事)は13000年前頃です。8000年前頃以降の異なる狩猟採集民人口集団間の混合の水準増加は、それら狩猟採集民集団の移動性強化を示唆します。これは部分的には、ヨーロッパ全域での新石器時代農耕民の同時に起きた拡大、および/もしくは、完新世における北半球での最大の急激な寒冷化である、8200年前頃の気候事象などの環境要因により引き起こされたかもしれません。
●表現型関連の多様体
かなり増加した標本規模を活用して、現在のヨーロッパ人において特定の表現型の特徴と関連すると知られている選択された遺伝子座のアレル頻度について、遺伝的に異なる狩猟採集民集団が調べられました(図5b)。以前の調査結果と一致して、分析された集団は、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連するLCT遺伝子上のSNP(rs4988235)における派生的アレルを示しません。以前に示唆されたように、LGM後の狩猟採集民における肌および目の色素沈着と関連するアレルにおける大きな頻度の差異が見つかりました。明るい目の色と関連するHERC2/OCA2遺伝子のSNP(rs12913832)について、ヴィッラブルーナクラスタとオーバーカッセルクラスタとバルト海狩猟採集民とスカンジナビア半島狩猟採集民の個体群が、緑色もしくは青色の目の表現型と関連する派生的アレルを高頻度(90%超)で示すのに対して、シデルキノクラスタとウクライナ狩猟採集民と鉄門狩猟採集民集団は、このアレルを低頻度(10~25%)で示します。
代わりに、肌の色と関連するSLC24A5遺伝子のSNP(rs1426654)およびSLC45A2遺伝子のSNP(rs16891982)については、シデルキノクラスタとウクライナ狩猟採集民集団は、オーバーカッセルおよびヴィッラブルーナのクラスタと比較して、明るい肌の色と関連する派生的アレルをより高い頻度(SLC24A5遺伝子では90%超、SLC45A2遺伝子では29~61%)で示し、オーバーカッセルおよびヴィッラブルーナのクラスタでは、それらのアレルがほぼ完全に存在しません(1%未満)。現在のヨーロッパ人の遺伝的差異に基づくと、これはヨーロッパ全域の14000年前頃以後の狩猟採集民人口集団間の表現型の違いを示唆しているかもしれず、オーバーカッセルクラスタの個体群が恐らくはより濃い色の肌とより明るい色の目を示すのに対して、シデルキノクラスタの個体群は恐らく、より明るい色の肌とより濃い色の目を示します。
●考察とまとめ
この研究で生成されたデータにより、ユーラシア狩猟採集民のゲノム変容とユーラシア狩猟採集民間の相互作用の調査が高解像度で可能となりました(拡張図9)。本論文は、上部旧石器時代から新石器時代へと3万年にわたる期間の狩猟採集民人口集団のゲノムの歴史に、5点の新たな洞察を提供します。以下は本論文の拡張図9です。
第一に、ヨーロッパ全域のグラヴェティアンと関連する個体群は生物学的に均質な人口集団だった、と示されます。しかし文化的には、武器や一部の動産芸術など、の広範な一般的傾向と、埋葬慣行や石器におけるさまざまな独自性や硬い有機物の素材の道具一式や装飾品など、より地域的な特徴を有する他の側面の両方が見られます。ヨーロッパ中央部の先行するオーリナシアン文化と関連する個体群で見られる祖先系統(ゴイエQ116-1祖先系統)は、ヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連個体群を生み出しました。この派生的祖先系統(フルノル祖先系統)はソリュートレアン関連個体群においてLGMにも、恐らくはフランコ・カンタブリア地域内で存続し、マグダレニアンと関連する後の人口集団につながりました(ゴイエQ2クラスタおよびエル・ミロン遺跡個体)。逆に、3万年前頃以前のヨーロッパ東部の個体群で見られる祖先系統(コステンキクラスタおよびスンギール集団)は、ヨーロッパ中央部および南部のグラヴェティアン関連個体群に寄与し(ヴェストニツェクラスタ)、ヴェストニツェクラスタはそうした地域のLGM後の人口集団では子孫が見られません。
第二に、続グラヴェティアンと関連する個体群の祖先系統(ヴィッラブルーナクラスタ)は、ヨーロッパおよび近東の狩猟採集民との遺伝的つながりが見つかっており、続グラヴェティアンの前期と後期の間の移行のずっと前に、ヨーロッパ南部に到達しており、恐らくは早ければグラヴェティアンと続グラヴェティアンの移行期となります。この祖先系統を有するさまざまな系統の地理的再構築は、連続的なボトルネック(瓶首効果)を通じての人口減少とともに起きた、イタリア半島への北方から南方へと続いたバルカン半島からイタリア北東部への入口を示唆しています。
第三に、イベリア半島だけではなくヨーロッパの他地域のマグダレニアン関連個体群も、続グラヴェティアン関連祖先系統(ヴィッラブルーナクラスタ)を有しています。先行するバデゴウリアンと関連するヨーロッパ西部個体群の遺伝的分析は、ゴイエQ2クラスタの形成につながった過程に関する手がかりを提供できるかもしれません。考古学的記録から推測されているように、ヨーロッパ全域のマグダレニアンは南西部から北部と北東部へのLGM後の人口拡大と関連しており、南東部の退避地からの移動とは関連していません。
第四に本論文は、先行する後期マグダレニアンとのかなりの技術的連続性にも関わらず、フェダーメッサー文化やアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)や他の末期旧石器時代集団など、複数技術複合と関連するヨーロッパ中央部および西部の狩猟採集民における、早ければ14000年前頃となる大規模な遺伝的転換の調査結果を拡張します。さらに、マグダレニアン関連遺伝子プールのほぼ完全な遺伝的置換は、ヨーロッパの一部がボーリング・アレロード温暖期とともに14700年前頃にはじまった急激な気候変動期に異なって居住された、という仮説を提起します。これは、ヨーロッパ西部の大半にわたるオーバーカッセルクラスタの遺伝的均一性を説明できるかもしれませんが、この転換の正確な動態の理解には、15000~14000年前頃のゲノムデータが必要です。
第五にヨーロッパ西部および中央部のオーバーカッセル祖先系統とヨーロッパ東部のシデルキノ祖先系統は、多分この地域における土器の拡大とつながっていた、恐らくはバルト海沿いおよびヴォルガ川上流域における7500年前頃の文化的変化と関連している遺伝的相互作用がドイツ北東部で最初に観察された8000年前頃まで、ほぼ6000年間ほとんどが孤立したままでした。
要するに、この研究では、ヨーロッパ西部および南西部が最終氷期の最寒冷段階においてヒト集団の存続のため気候的退避地として機能したのに対して、イタリア半島とヨーロッパ東部平原の人口集団は遺伝的に置換された、と明らかになり、ヒトの氷期退避地としてのこれらの地域の役割に異議が唱えられます。その後で侵入してくるヴィッラブルーナ祖先系統は、ヨーロッパ全域の最も広範な狩猟採集民祖先系統になりました。バルカン半島の上部旧石器時代個体群のさらなる古ゲノム研究が、ヨーロッパ南東部がヴィッラブルーナ祖先系統の供給源とLGMにおける人口集団の気候的退避地を表しているのかどうか、理解するのに必要でしょう。
校正での注釈:関連論文は、イベリア半島南部の23000年前頃のソリュートレアン関連1個体のゲノム規模データを記載しており、これはヨーロッパ南西部におけるLGM全体の遺伝的連続性の証拠を拡張します【この論文は後日当ブログで取り上げる予定です】。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
ゲノミクス:古代ヨーロッパ人の移動経路を明らかにする
古代ヨーロッパ人のゲノムデータの解析によって古代ヨーロッパ人の詳細な移動経路が明らかになった。この研究知見は、後期旧石器時代から新石器時代までの人類集団の運命とゲノム史を解明する手掛かりとなる。こうした知見を報告する2編の論文が、今週、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。
現生人類は、約4万5000年前にヨーロッパに到達し、最終氷期極大期(2万5000年~1万9000年前)を含む困難な時代を狩猟採集民として過ごした。考古学者は、後に発掘された遺物からこの時代に出現した数々の独自文化に関する知識を得たが、ヒトの化石がほとんど見つかっていないため、人類集団の移動経路や交流についてはほとんど分かっていない。
Natureに掲載されるCosimo Posthたちの論文では、古代の狩猟採集民(356個体)のゲノムを解析した研究が報告されている。このゲノムデータには、3万5000年前から5000年前までの西ユーラシアと中央ユーラシアの14カ国の116個体のゲノムデータが新たに加わっている。その結果、西ヨーロッパのグラベット文化に関連した個体が有していた祖先系統が同定され、この祖先系統を有する南西ヨーロッパの人類集団が最終氷期極大期を生き延び、マドレーヌ文化の拡大に伴って北東方向に移住したことが判明した。一方、南ヨーロッパでは、エピグラベット文化に関連する祖先系統が、おそらくバルカン半島からイタリア半島に移住してきたため、最終氷期極大期に局地的な人類集団の入れ替えが起こり、その後、エピグラベット文化に関連した個体に近縁な祖先系統が約1万4000年前からヨーロッパ中に広がり、マドレーヌ文化に関連する遺伝子プールとほぼ入れ替わったことが明らかになった。
この研究は、最終氷期極大期の末期におけるマドレーヌ文化の起源と拡大に関する長年の考古学上の論争を解決するために役立つとともに、考古学的文化の中には、混合に応じて出現したと考えられるものや環境の変化に関連して出現した可能性の高いものがあり、遺伝的入れ替えを伴うものと伴わないものがあったことを示唆している。
これとは別に、Nature Ecology & Evolutionに掲載されるVanessa Villalba-Moucoたちの論文には、スペイン南部で収集された16個体の全ゲノムデータ(2万3000年前のソリュートレ文化に関連したCueva del Malalmuerzoの男性のゲノムデータを含む)が報告されている。そして、この男性の遺伝的祖先系統が初期のオーリニャック文化に関連した祖先系統と最終氷期極大期以降のマドレーヌ文化に関連した祖先系統を結びつけるものだったことが明らかになった。このスペイン南部での遺伝的連続性シナリオは、Posthたちの論文に記述されたイタリアにおける最終氷期極大期の前後の遺伝的不連続性と対照をなしており、人類が最終氷期の極端な気候を生き抜いていた頃の南ヨーロッパのレフュジア(避難地)の人口動態に違いがあったことを示唆している。
分子考古学:後期旧石器時代から新石器時代のヨーロッパの狩猟採集民についての古代ゲノミクス
分子考古学:古代ゲノムから石器時代のヨーロッパのヒト集団を知る
今回、ヨーロッパ全域の後期旧石器時代および中石器時代の狩猟採集民116人の古代ゲノムデータが報告され、この時代ヨーロッパに居住していたヒト集団についての独特な新しい手掛かりが得られた。
参考文献:
Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
追記(2023年3月7日)
上述の関連論文を当ブログで取り上げました(関連記事)。
●要約
現生人類(Homo sapiens)は45000年以上にわたってヨーロッパに居住してきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、古代の狩猟採集民の遺伝的な近縁性や構造に関する知識は、この期間のヒト遺骸が少なく、分子的な保存状態が悪いため限られています(関連記事)。本論文は、古代狩猟採集民356個体のゲノムを解析し、これには、ユーラシア西部および中央部の14ヶ国から得られた35000~5000年前頃となる、116個体の新たなゲノムデータが含まれています。
ヨーロッパ西部の上部旧石器時代となるグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)遺物群と関連する個体において遺伝的祖先系統特性が特定され、これはヨーロッパ中央部および南部の考古学的文化と関連する同時代の集団とは異なっていますが(関連記事)、オーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する先行する個体群の遺伝的祖先系統特性と類似しています。この祖先系統特性はLGM(25000~19000年前頃)の期間に、ソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)、およびLGM後に北東へと再拡大したソリュートレアンの後のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)と関連する人口集団において存続しました。
一方、ヨーロッパ南部では遺伝的転換が明らかになり、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)と関連する人口集団の北方から南方への拡散に伴うLGMの頃のヒト集団の局所的置換が示唆されます。少なくとも14000年前頃以降、続グラヴェティアンと関連する祖先系統は南方からヨーロッパの残り全体へと拡大し、マグダレニアン関連の遺伝子プールをほぼ置換しました。中石器時代の開始にまたがる限定的な混合の期間の後、ヨーロッパの西部と東部の狩猟採集民の間に遺伝的相互作用があった、と分かり、これらの狩猟採集民は表現型的に関連する多様体における顕著な違いにより特徴づけられました。
●研究史
現生人類はサハラ砂漠以南のアフリカを6万年前頃に離れ、ユーラシアへのその最初の拡大において、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と遺伝的に混合し、現在の非アフリカ系人口集団の大半ではそりゲノムにおける2~3%はネアンデルタール人の祖先系統に由来します。ゲノムデータから、現生人類は少なくとも45000年前頃にはユーラシア西部に存在した、と示されてきました(関連記事)。初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)文化と関連するブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の個体群(関連記事)や、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」の個体(関連記事)における、比較的近い世代の祖先におけるネアンデルタール人からの遺伝子移入の兆候により示されるように、4万年以上前となるそれら初期現生人類集団の一部はさらにネアンデルタール人と混合しました。
チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(関連記事)や、ロシア領シベリア西部のウスチイシム(Ust’Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸(関連記事)など、その期間の他の個体群は、他の非アフリカ系集団よりも有意に多くのネアンデルタール人祖先系統を有しておらず、ユーラシア全域にわたる現生人類の最初の拡散期におけるネアンデルタール人と初期現生人類との間の異なる相互作用を示唆します。しかし、驚くべきことに、それら4万年前頃以前の個体群は、現在のユーラシア人口集団の遺伝的構成には実質的な痕跡を残しませんでした(関連記事)。
現在のヨーロッパ人へとつながる系統におもに由来する祖先系統を有している最古のゲノムはロシア西部にある考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された37000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)と、ベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡のオーリナシアンと関連する35000年前頃の(関連記事)個体(ゴイエQ116-1)です。これらのデータから、これまでに分析された4万年以上前の個体群で特定された遺伝的祖先系統は、ほぼ絶滅したか、その後の拡大により同化された、と示唆されます(関連記事)。
コステンキ14遺跡個体の遺伝的痕跡(コステンキ14号のゲノムと関連しており、以後はコステンキクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)は、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡に因んで命名された、その後のヴェストニツェ遺伝的クラスタ(以後、ヴェストニツェクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)に寄与しました。この遺伝的痕跡は、ヨーロッパ中央部および南部における考古学的に定義されている33000~26000年前頃のグラヴェティアンと関連する個体群で共有されており、LGM後に消滅しました(関連記事)。
しかし、同時代のヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群の遺伝的特性は、LGM後の人口集団への寄与と同様に不明なままです。最終氷期の最寒冷期として知られているLGMは、ヨーロッパの大半で人口減少を引き起こし、たとえばイベリア半島とフランス南部の24000~19000年前頃となるソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)の同時期の存在により証明されるように、人口集団は南方へと後退しました。この期間におけるヒトの生存にとっての他の提案されている気候退避地は、イベリア半島とバルカン半島とヨーロッパ南東部平原ですが、これらの地域からLGM後のヨーロッパ人への人口集団の実際の遺伝的寄与は、激しく議論されています。
LGM後に、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1個体と遠位的に関連する遺伝的構成要素(ゴイエQ2祖先系統と命名され、以後はゴイエQ2クラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)が、となるマグダレニアン(19000~14000年前頃にイベリア半島からヨーロッパ中央部を横断してヨーロッパ東部まで分布)と関連するヨーロッパ南西部および中央部の個体群において、末期旧石器時代および中石器時代狩猟採集民において混合した形で再出現しましたが(関連記事)、この祖先系統の地理的拡張はまだ不明です。
代わりに、ヨーロッパ南部では独特な狩猟採集民遺伝的特性が早くも17000年前頃には、続グラヴェティアン(24000~12000年前頃にかけてイタリア半島からバルカン半島全域のヨーロッパ南東部平原まで分布)と関連する個体群で見られました(関連記事)。この、14000年前頃となるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に代表される「ヴィッラブルーナ祖先系統(以後はヴィッラブルーナクラスタもしくは祖先系統)」は、古代および現在の近東の人口集団とのつながりを示しますが(関連記事)、イタリア半島への拡大の様相と速度は未調査です。ヴィッラブルーナ祖先系統はその後、ヨーロッパ中央部に現れ、ゴイエQ2祖先系統と関連する集団をほぼ置換した、と考えられています(関連記事)。しかし、ヴィッラブルーナ祖先系統については、形成、拡散、ヨーロッパ東部の同時代の狩猟採集民との相互作用、とヨーロッパ人東部からの新石器時代農耕民のその後の拡大との相互作用は、充分には特徴づけられていません。
この研究では、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)に基づく新規の汚染推定手法とともに、35000~5000年前頃の116個体の新たなゲノムデータを含む、古代の狩猟採集民356個体のゲノムが解析されました。本論文は、狩猟採集民集団が上部旧石器時代初期以降にユーラシア西部および中央部全域で経たゲノム変容と、それらが文化および気候変化とどのように関連している可能性があるのか、ということについて体系的な記述を提供します。
●古代DNAデータの生成
この研究は、新たに報告された狩猟採集民102個体のゲノム規模データを生成し、以前に刊行された14個体について網羅率を増加させました。これらのデータは、上部旧石器時代から後期新石器時代(本論文では、示唆されていなくとも、農耕生計経済ではなく土器の存在により定義されます)まで約3万年間の時間的範囲を網羅しており、複数の先史時代の文化的状況と14ヶ国の54ヶ所の遺跡に由来します。その内訳は、ベルギーのオーリナシアン関連―の1個体とルーマニアの文化的に分類されていない1個体(35000~33000年前頃)、スペインとフランスとベルギーとチェコとイタリアのグラヴェティアン関連の15個体(31000~26000年前頃)、スペインとフランスのソリュートレアン関連の2個体(23000~21000年前頃)、フランスとドイツとポーランドのマグダレニアン関連の9個体(18000~15000年前頃)、イタリアの続グラヴェティアン関連の4個体(17000~13000年前頃)、ドイツのフェダーメッサー(Federmesser)文化関連の2個体(14000年前頃)、ユーラシア西部全域の中石器時代から新石器時代の採食民81個体(11000~5000年前頃)、タジキスタンのユーラシア中央部新石器時代の1個体(8000年前頃)です(図1)。以下は本論文の図1です。
各個体について1~8点の一本鎖および二本鎖が構築され、124万SNP(一塩基多型)でヒトDNAが濃縮され、次にこれらが配列決定され、標的のSNPで平均0.04~7.64倍での網羅率平均が得られました。遺伝的性別では、男性78個体と女性38個体が明らかになりました。現代人のDNAの汚染水準は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体と常染色体DNAに基づき、またROHにおける常染色体データへと拡張されるハプロタイプのコピーモデルで推定されました。個々の解析されたゲノムのわずかに汚染されたライブラリと、かなり汚染されているライブラリは、死後のてえ損傷を示す読み取りの保持のため選別されました。
疑似半数体遺伝子型が、各部位における単一アレル(対立遺伝子)の無作為標本抽出により、標的とされたSNPで呼び出され、124万SNPパネルで網羅された6600~107万のSNPを有する個体が得られました。新たに生成された遺伝子型は下流分析のため、240個体の刊行された狩猟採集民のゲノムおよび世界規模の人口集団と統合されました。2016年の研究(関連記事)とは異なるものの、2019年の研究(関連記事)とは一致して、経時的にほとんどのヨーロッパ狩猟採集民においてネアンデルタール人由来の祖先系統の大きな増加は観察されません。これは、ネアンデルタール人から現生人類への遺伝子移入後に、現生人類においてゲノム規模のネアンデルタール人由来の祖先系統の長期的現象はなかった、というモデルへのさらなる裏づけを提供します。
●LGM前
グラヴェティアンはLGMの前にユーラシア西部全域において最も広く分布した上部旧石器時代文化の一つでした。グラヴェティアンはヨーロッパ全域の文化的斑状とみなされることが多く、物質から象徴的作品ので地域的差異が伴います。この議論されてきた枠組みでは、グラヴェティアン関連個体群は、頭蓋計測およびゲノムデータに基づいて生物学的に均質な人口集団を表している、と提案されてきました。しかし、グラヴェティアン関連のゲノムはヨーロッパ中央部および南部に由来し、グラヴェティアンと関連するヨーロッパ西部および南西部のヒト集団の遺伝的特性は記載されていません。
LGM前のヨーロッパ狩猟採集民のゲノム背景の概要を得るため、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)が用いられ、1-f3の形態(ムブティ人;集団1、集団2)で対での外群f3統計の相違点行列が図示されました(図2a)。この図示は3つの異なる分類の存在を明らかにします。それは、(1)ウスチイシムやバチョキロ洞窟やズラティクンや骨の洞窟で発見された4万年前頃以前の集団、(2)ヨーロッパ中央部から東部と南部の遺跡で発見された続グラヴェティアン関連個体群を含むヴェストニツェクラスタ、(3)ヨーロッパ西部および南西部の、フランスのフルノル(Fournol)とオルメッソン(Ormesson)とラ・ロシエット(La Rochette)とセリニャ(Serinyà)洞窟のモレット3(Mollet III)およびレクロー・ヴィヴァー(Reclau Viver)遺跡で発見された個体から構成される、フルノルクラスタ(以下、フルノルクラスタもしくはフルノル祖先系統と呼ばれます)です。以下は本論文の図2です。
以前に記載されたヴェストニツェクラスタは、イタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)で発見され新たに報告された29000年前頃の1個体(パグリッチ12号)を含み、ロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡(34000年前頃)およびコステンキ12遺跡(32000年前頃)の以前に刊行されたゲノム(関連記事)と密接に関連しています。新たに報告されたフルノルクラスタは、35000年前頃となるベルギーのオーリナシアン関連個体群(ゴイエQ116-1およびゴイエQ376-3)と密接に関連しています。
注目すべきことに、以前の研究(関連記事)に反して、ヨーロッパ中央部から西部の別のグラヴェティアン関連人口集団(ベルギーのゴイエ遺跡の6個体)は、地理的および遺伝的の両方でヴェストニツェとフルノルのクラスタの中間です。ゴイエQ116-1とゴイエQ376-3とフルノルクラスタの間の類似性はmtDNA水準でも観察され、両集団にはLGM後にはヨーロッパの個体群では見られないmtDNAハプログループ(mtHg)Mを有する個体が含まれます(拡張図1および拡張図2)。以下は本論文の拡張図1および拡張図2です。
一連のf4統計で、MDS図で観察されたヴェストニツェとフルノルのクラスタ間の遺伝的差異がさらに検証されました。フルノルクラスタに属する全ての個体は、スンギール集団(4個体)とよりもゴイエQ116-1の方と高い類似性を示し、ヴェストニツェクラスタの個体群はゴイエQ116-1とよりもスンギール集団の方と高い類似性を示しました。これらf4統計でも、ゴイエQ376-3がゴイエQ116-1と類似した祖先系統を、コステンキ12号がスンギール集団と類似した祖先系統を有している一方で、ブルガリアの35000年前頃となるバチョキロ洞窟1653号と、ルーマニアの34000年前頃となる「女性の洞窟(Peştera Muierii、以下PM)」個体(PM1号)および32000年前頃となるチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU)個体(PCU1号)と、イタリア南部の33000年前頃となるパグリッチ洞窟133号は、ゴイエQ116-1およびスンギール集団と同等に関連しています。
ヴェストニツェとフルノルのクラスタに含まれる個体群が、それら2クラスタの主要な代表と類似のアレル頻度を共有しているのかどうか、さらに検証されました。f4統計(ムブティ人、フルノル85号;ヴェストニツェ、検証)とf4統計(ムブティ人、ヴェストニツェ;フルノル85号、検証)統計では、ヴェストニツェクラスタ個体群はヴェストニツェ集団(5個体)と有意により密接で、フルノルクラスタ個体群はフルノル85号とより密接なのに対して、地理的に中間のグラヴェティアン関連のゴイエ集団は両クラスタと余分の類似性を示す、と明らかになります(図2b)。
さらに、qpGraphでLGM前の個体群の遺伝的特性がモデル化されました。混合図では、バチョキロ洞窟IUP集団(3個体)は複数の現生人類系統と祖先系統を共有しており、45000年以上前となるズラティクン個体のゲノムはこれまでに配列決定された最も深く分岐した非アフリカ系統である、と示されます(拡張図4)。これは、他のLGM前の狩猟採集民全てでゼロと一致するf4形式(ムブティ人、ズラティクン;検証1、検証2)のf4統計でも確証され、検証集団とのズラティクン個体の等距離関係を示唆します。
グラヴェティアン関連個体群をコステンキ14号も取り上げた混合図に含めると、フルノル85号がゴイエQ116-1の姉妹系統として最適なのに対して、ヴェストニツェ集団はスンギール集団とゴイエQ116-1およびフルノル85号の系統と関連する集団との間の混合としてモデル化される、と分かりました。これはるf4形式(ムブティ人、フルノル85号;スンギール集団、検証)のf4統計でも裏づけられ、ヴェストニツェクラスタに含まれる全個体で有意に正でした。したがって、以前に報告されたように(関連記事)、ヴェストニツェクラスタ自体は、東西の系統間の混合から生じ、これはグラヴェティアン関連個体群の頭蓋形態で観察される均一性に寄与したかもしれません。以下は本論文拡張図4です。
これらの結果は、4万~3万年前頃にヨーロッパに存在したゲノム祖先系統の全てではないものの一部が、これまでに研究されたグラヴェティアン関連人口集団で存続していたことを示します。コステンキ(およびスンギール集団)祖先系統は、ヨーロッパ中央部から東部と南部のグラヴェティアン関連個体群により表される、以前に記載されたヴェストニツェクラスタに寄与しました。対照的に、ゴイエQ116-1的な遺伝的特性は、新たに記載されたフルノルクラスタを生み出し、このクラスタはヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連個体群で特定されました。注目すべきことに、この遺伝的区別は、遺伝的に分析されたヨーロッパのさまざまな地域のグラヴェティアン関連個体群における葬儀慣行の相違と一致します。
フルノルクラスタと関連するヨーロッパ西部および南西部の個体群が、一貫して洞窟遺跡に堆積しており、たまに人為的な痕跡を示すのに対して、ヴェストニツェクラスタと関連する個体群は、ヨーロッパ中央部から東部の開地遺跡もしくはヨーロッパ南部の洞窟遺跡で、副葬品および/もしくは個人的装飾品やオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)を伴って埋葬されていました。フルノルクラスタの最古の個体は、フランス北東部のオルメッソン遺跡の2988号(31000年前頃、前期/中期グラヴェティアン)ですが、ベルギーのゴイエ遺跡の後期グラヴェティアン集団(27000年前頃)は、ヴェストニツェとフルノルのクラスタ間の混合と分かりました。これは、前期/中期と後期のグラヴェティアン間では、ヴェストニツェ関連祖先系統の東方から西方への拡大があり、この祖先系統はヨーロッパ中央部および西部に達し、それら2つの遺伝的に異なるLGM前の人口集団間の縦断的混合をもたらした、と示唆しています。
●ヨーロッパ南西部と西部におけるLGM
ソリュートレアンは時間的にグラヴェティアンとマグダレニアンもしくはバデゴウリアン(Badegoulian、バデゴウル文化)の中間で、ヨーロッパ南西部と西部で見られ、LGMにおける人口集団の気候的退避地と考えられきました。しかし、ソリュートレアンと関連する集団が同じ地域のその前後の人口集団とのどの程度遺伝的に連続しているのかは不明で、それは、ソリュートレアン関連個体群のゲノムデータが以前には報告されていなかったからです。ソリュートレアン関連個体の新たに配列決定されたゲノムは、フランス南西部のレ・ピアジェ2(Le Piage II)遺跡(23000年前頃)ともスペイン北部のラ・リエラ(La Riera)遺跡の第14層(21000年前頃)で得られ、両者とも外群f3統計ではフルノルおよびゴイエQ2クラスタの構成員との一般的な類似性を示します。
MDS図では、レ・ピアジェ2遺跡個体はとくにフルノルクラスタに属する個体群の近くに収まり、LGMにおけるフルノルクラスタの局所的な遺伝的連続性が示唆されます。f4統計(ムブティ人、レ・ピアジェ2遺跡個体;ヴェストニツェ、フルノル85号)はこの見解をさらに裏づけ、レ・ピアジェ2遺跡個体はヴェストニツェクラスタよりもフルノルクラスタの方と密接に関連する、と明らかにします。これまでに配列決定された最古のマグダレニアン関連個体である、スペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された個体との類似性も比較されました。f統計では、レ・ピアジェ2遺跡個体は遺伝的にフルノル85号とエル・ミロン遺跡個体の中間と示唆されました。さらに、先行研究では、エル・ミロン遺跡個体は、イタリアのグラヴェティアン関連個体群で見られるヴィッラブルーナクラスタからの遺伝的寄与を有している、と示されてきました(関連記事)。
エル・ミロン遺跡個体はフルノル85号およびレ・ピアジェ2遺跡個体とよりもヴィッラブルーナクラスタの方と有意に高い類似性を有していますが、レ・ピアジェ2遺跡個体におけるヴィッラブルーナクラスタとの類似性は、フルノル85号よりも有意に高くはありません。全体的に、ソリュートレアン関連のレ・ピアジェ2遺跡個体は先行するフルノル祖先系統をエル・ミロン遺跡個体で見られるその後の祖先系統とつなげており、ヨーロッパ南西部と西部におけるLGMを通じての遺伝的連続性の直接的証拠を提供します。したがって、これらのヨーロッパ地域は、人口集団がLGMにおいて存続した気候的退避地を構成します。
●イタリア半島におけるLGMの後
LGMの後に、続グラヴェティアンはヨーロッパ南部および南西部に広がりました。その性質についての議論の高まりにも関わらず、続グラヴェティアンは伝統的に、先行する在来のグラヴェティアンからの移行の結果と仮定されてきました。しかし、これらの文化と続グラヴェティアン関連個体群における人口構造との間の遺伝的連続性の水準は、完全には調べられていませんでした。本論文は、イタリア南東部のプラディス(Pradis)遺跡1号、イタリア北西部のアレーン・キャンディード(Arene Candide)遺跡16号、シチリア島のサン・テオドーロ(San Teodoro)洞窟2号という13000年前頃の3個体と、17000年前頃のリパロ・タグリエント(Riparo Tagliente)遺跡2号から構成される、4個体のゲノムデータを報告します。
MDS図では、新規および既知の続グラヴェティアン関連個体群の全てがヴィッラブルーナクラスタ内に収まります(図1c)。一連のf4対称性統計では、全ての続グラヴェティアン関連個体はクレード(単系統群)を形成し、在来(パグリッチ洞窟12号)もしくは非在来の先行する祖先系統(ゴイエQ116-1やコステンキ14号やマリタ1号やヴェストニツェ)と過剰なアレルを共有しない、と確証されます。さらに、続グラヴェティアン関連個体はどれも、0と一致するf4統計(ムブティ人、続グラヴェティアン関連個体/集団;ヴェストニツェ、パグリッチ洞窟12号)により示されるように、ヨーロッパ中央部から東部のグラヴェティアン関連集団とよりも、ヨーロッパ南部のグラヴェティアン関連集団の方と多くの類似性を有していません。
次に、対でのf2遺伝的距離に基づく系統発生の再構築(図3a)と、f4形式(ムブティ人、続グラヴェティアンA;続グラヴェティアンB、続グラヴェティアンC)のf4統計を用いての、それらり間の相対的類似性の検証により、イタリア半島全域のグラヴェティアン関連個体間の遺伝的関係が調べられました。推測された形態は、個々の年代と関係ない系統地理的パターンを明らかにします。とくに、イタリア北東部の13000年前頃のプラディス1号個体は、イタリア北部のタグリエント2号やヴィッラブルーナ遺跡個体を含む、他の全ての続グラヴェティアン関連個体と比較して最基底部系統を表しています(集団1)。イタリア北西部のアレーン・キャンディード16号、イタリア中央部のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)個体、シチリア島の個体から構成される個体群は、系統発生的により派生的な枝(集団2)に位置し、この枝はさらにシチリア島狩猟採集民のみで構成される枝(集団3)へと多様化しました。シチリア島内では、14000年前頃となるシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島のドリエンテ洞窟(d’Oriente)洞窟の個体(オリエンテC)が、シチリア島東部のほぼ同時代のサン・テオドーロ2号とよりも、ずっと新しいものの地理的にはより近い1万年前頃となるシチリア島北西部のデッルッツォ洞窟(Grotta dell’Uzzo)集団(関連記事)の方と高い類似性を示します。以下は本論文の図3です。
最後に、疑似半数体遺伝子型での対での不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)と、疑似二倍体遺伝子型での個々の異型接合性水準両方の計算により、データセットにおける続グラヴェティアン関連個体群の遺伝的多様性が推定されました。全ての分析されたグラヴェティアン関連集団で観察された遺伝的多様性と比較して、続グラヴェティアン関連個体群は有意に低い量の遺伝的多様性を示します(図3b)。さらに、続グラヴェティアン関連集団における遺伝的多様性の北方から南方にかけての減少が明らかになり、最高のPMRおよび異型接合性値はイタリア北部個体群(集団1)で見られ、中間がイタリア西部および中央部個体群(集団2)で、最低がシチリア島個体群(集団3)でした(図3b)。類似のパターンはROH断片の分析を通じて観察されます。シチリア島の続グラヴェティアン関連個体群において最高量のROHが検出され、4~8 cM(センチモルガン)と短いROHの200 cM以上の極端な量を有しています。これは、ひじょうに小さな最近の有効人口規模を示唆しており、70個体程度と推定され、シチリア島の続グラヴェティアン狩猟採集民における低い遺伝的多様性をもたらしました。
要するに、本論文の結果は、考古学的記録で観察された不連続性と相関しているかもしれない、イタリア半島における続グラヴェティアン関連のヴィッラブルーナクラスタによるグラヴェティアン関連のヴェストニツェクラスタの遺伝的置換を浮き彫りにします。全ての分析された続グラヴェティアン関連個体群は均質なヴィッラブルーナ祖先系統を有しており、集団内の遺伝的構造はおもに、時間的分布ではなく地理的分布により決定されます。他の全ての個体よりも深く分岐しているプラディス1号での、続グラヴェティアン関連ゲノムの系統発生的再構築から、この転換はより派生的なタグリエント2号のゲノムの年代(17000年前頃)よりずっと早くに起きた、と示唆されます。これは、エル・ミロン遺跡の19000年前頃の個体におけるヴィッラブルーナ祖先系統の証拠とともに、この遺伝的不連続性が、ボーリング・アレロード(Bølling–Allerød)温暖期(14700~12900年前頃)ではなく、LGMと関連する古地理学的および古い生態学的変容の結果かもしれない、とさらに示唆します。
さらに、本論文の系統発生分析は、イタリア半島における続グラヴェティアン関連遺伝子プールのあり得る入口として、イタリア半島北東部を示します。この調査結果は、古代および現在の近東祖先系統とのヴィッラブルーナクラスタの遺伝的類似性と合わせて、侵入してくる続グラヴェティアン関連人口集団の供給源としてバルカン半島を示唆します。したがってLGMは、おそらくは当時存在した低い海面の沿岸での拡散による、バルカン半島からイベリア半島へと狩猟採集民人口集団を遺伝的につなげた東方から西方へのヒトの移動にとって、アルプスの南側に回廊を作ったかもしれません。
●ヨーロッパ西部および中央部におけるLGMの後
マグダレニアンはLGMの後にヨーロッパの南西部と西部と中央部に広く分布していました。この地理的範囲にも関わらず、マグダレニアンと関連するさまざまな集団が共通の起源人口集団に由来するのかどうか、それらの集団が遺伝的に相互にどのように関連しているのか、明確ではありません。先行研究では、マグダレニアン関連個体群における2つの異なる遺伝的組成が特定されました。一方は15000年前頃のヨーロッパ中央部から西部(フランスとベルギーとドイツ)の個体群のゲノムを含むゴイエQ2クラスタで、もう一方は19000年前頃となるスペインのエル・ミロン遺跡個体の祖先系統です。これらの祖先系統は両方とも、35000年前頃となるゴイエQ116-1個体と遠位に関連する遺伝的構成要素を有しており、イベリア半島の個体はヴィッラブルーナクラスタとの類似性も示します。
以前に刊行されたデータを、フランス西部の18000年前頃となるラ・マルシュ(La Marche)遺跡個体、フランス北部の15000年前頃となるパンスヴァン(Pincevent)遺跡個体、ポーランド南部の18000~16000年前頃となるマスジカ(Maszycka)遺跡個体の、マグダレニアンと関連する本論文で新たに報告されたデータとともに分析することにより、ゴイエQ116-1祖先系統は、フランス南西部および西部のグラヴェティアンおよびソリュートレアン関連個体群の他に、全ての調べられたマグダレニアン関連個体群のゲノムで存続していた、と確証されます(図1)。注目すべきことに、フルノル祖先系統はゴイエQ2クラスタとエル・ミロン遺跡個体で見られる遺伝的構成要素について、ゴイエQ116-1よりも適切な代理を提供します。しかし、f4統計を用いると、エル・ミロン遺跡個体だけではなく全てのマグダレニアン関連個体が、フルノルクラスタと比較するとヴィッラブルーナ関連祖先系統を有している、と示されます。この類似性は、イタリア北部の個体群(集団1)とよりも、イタリア(集団2)およびシチリア島(集団3)の続グラヴェティアン関連個体群の方へとさらに強くなります。
したがって、ゴイエQ2クラスタに属する個体群とエル・ミロン遺跡個体が、マグダレニアン関連集団において、フルノル祖先系統の代理としてのフルノル85号と、ヴィッラブルーナ祖先系統の代理としてのアレーン・キャンディード16号のゲノム間の混合としてモデル化されました。約43%のヴィッラブルーナ祖先系統を有するエル・ミロン遺跡個体を除いて、全てのマグダレニアン関連個体群はこの構成要素の割合がより低かったので(19~29%)、ゴイエQ2クラスタに分類できます(図4a)。これきさらに、f4形式(ムブティ人、アレーン・キャンディード16号;ゴイエQ-2、マグダレニアン関連個体群)のf4統計により確証され、エル・ミロン遺跡個体でのみ有意に正ですが、全ての他の検証された個体とゴイエQ-2は、アレーン・キャンディード16号と対称的に関連します。以下は本論文の図4です。
本論文の分析から、フルノルクラスタはゴイエQ116-1よりもマグダレニアン関連個体群のゲノムにとって適切な供給源である、と論証されます。したがって、これらLGM後の個体群で見られる祖先系統のほとんどは、恐らくヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連集団にたどれます。ヴィッラブルーナ祖先系統との遺伝的類似性がエル・ミロン遺跡個体とヨーロッパ西部および中央部のマグダレニアン関連個体群に存在します。これは、LGMの頃のヨーロッパ南部と南西部の狩猟採集民間の遺伝的つながりが、ピレネー山脈の北側に拡大したことを示唆します。その結果生じたゴイエQ2クラスタは、18000~15000年前頃の期間のフランス西部からポーランドにまたがる個体群を含みます。したがって、先行研究の提案に反して、これはマグダレニアンのLGM後の拡散がヨーロッパ西部からの北方と北東への人口拡大とじっさいに関連していたことを論証します。
●14000年前頃以後から新石器時代
先行研究では、2つの主要な狩猟採集民祖先系統が14000年前頃以後のヨーロッパでは優先していた、と示されてきました。つまり、ヴィッラブルーナクラスタと関連しているヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と、ヴィッラブルーナ祖先系統および上部旧石器時代シベリアの個体群で見られる古代北ユーラシア人(ANE)祖先系統(関連記事)の両方との類似性を示すヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)です。混合したWHG/EHGの遺伝的特性を有する狩猟採集民は、ヨーロッパ北部と東部のさまざまな地域で配列決定されてきており、これら2種の祖先系統が時空間的にどのように形成されて相互作用したのか、という問題を提起します(関連記事)。
MDS図(図1c)とユーラシア西部人の主成分分析(principal component analysi、略してPCA)では(拡張図6)、ヨーロッパ西部と中央部のほとんどの14000年前頃以後の個体はWHGクラスタの近くに、ヨーロッパ東部の個体はEHGクラスタの近くに位置しますが、アジア中央部(タジキスタン)のトゥトカウル(Tutkaul)遺跡個体(トゥトカウル1号)は、ANE関連集団の近くに収まります。14000年前頃となるドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡の2個体はアルプスの北側のWHG祖先系統の最初の存在を示しているので、オーバーカッセルクラスタ(以後、オーバーカッセルクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)と改名されます。これは、一貫性のため、1倍以上の網羅率のそうした祖先系統を有する最古の報告された名称を用いるからです。以下は本論文の拡張図6です。
f4統計に基づいて、オーバーカッセルクラスタに分類された個体群は、イタリアの他の続グラヴェティアン関連集団とよりもアレーン・キャンディード16号のゲノムの方と近い、と分かりました。さらに、オーバーカッセルクラスタは、ヴィッラブルーナ祖先系統とゴイエQ2祖先系統からの寄与の両方を有しています。これはqpAdmで確証され、オーバーカッセルクラスタをアレーン・キャンディード16号の約75%とゴイエQ-2の約25%(もしくはアレーン・キャンディード16号の90%とフルノル85号の10%)のほぼ一貫した混合としてモデル化できます(図4b)。
ヨーロッパ西部および中央部とブリテン島(関連記事)の14000年前頃以後の個体群が、ゴイエQ2祖先系統との繰り返しの局所的混合を示す代わりに均質な遺伝的構成を有している、という観察から、オーバーカッセル祖先系統特性はその拡散前にすでに大半が形成されていた、と示唆されます。これは、ヴィッラブルーナ/オーバーカッセル祖先系統の拡大が、ゴイエQ2祖先系統を高い割合で有している集団との複数の局所的混合を含んでいた、イベリア半島狩猟採集民の遺伝的歴史(関連記事)とは著しく対照的です(図4)。イベリア半島における長期の遺伝的連続性は、Y染色体ハプログループ(YHg)Cの中石器時代までの保存にも反映されており、YHg-CはLGM前の集団において優占的でしたが、ヨーロッパの他地域ではLGM後には稀にしか見られません(拡張図1および拡張図2)。
f4統計とqpAdmを用いて、ヨーロッパ東部のEHG人口集団はヴィッラブルーナ/オーバーカッセル祖先系統とANE祖先系統の混合である、と確証されます。f4統計では、19個体のゲノムにより構成される8200年前頃となるロシア西部のカレリアのユズニー・オレニー・オストロフ(Yuzhniy Oleniy Ostrov)集団が、全ての他のEHG集団と比較して、ヴィッラブルーナ祖先系統には同等かより低い類似性を有していることも示されます。ユズニー・オレニー・オストロフ集団の区別できない遺伝的特性を明らかにする最古の個体は、11000年前頃となるロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡個体です(関連記事)。上述の命名法との一貫性のため、EHG祖先系統はシデルキノクラスタ(以後、シデルキノクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)と改名されます。オーバーカッセルとシデルキノのクラスタ間の遺伝的相違は片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)でも注目されます。それは、オーバーカッセルクラスタではmtHg-U5とYHg-Iが優占するのに対して、シデルキノクラスタの個体群は、mtHg-U2・U4・R1bのより高い頻度を示し、YHg-Q・R・Jを有しているからです。
次に、qpAdmを用いて、刊行されたおよび新たに報告された狩猟採集民250個体を、オーバーカッセルとシデルキノとゴイエQ2の祖先系統と、アナトリア半島新石器時代農耕民(ANF)で最大化される祖先系統の混合としてモデル化することが試みられました。これは、配列決定された狩猟採集民のゲノムのかなりの割合の年代が、ANF祖先系統がヨーロッパ全域に拡大し始めていた8000年前頃以後だからです。その結果、オーバーカッセルとシデルキノの祖先系統間の接触地帯と混合パターンは経時的に変化した、と示されます(図5)。
14000~8000年前頃には、ヨーロッパ西部と中央部の全ての狩猟採集民はオーバーカッセル祖先系統のみを有しており、シデルキノクラスタからの寄与は検出されません。さらに北方と東方では、バルト海地域(バルト海狩猟採集民、略してバルトHG)とスカンジナビア半島(スカンジナビア半島狩猟採集民、略してSHG)と鉄門遺跡(Iron Gates)狩猟採集民に代表されるバルカン半島狩猟採集民とウクライナの狩猟採集民の個体群は、8000年前頃の前にはすでにオーバーカッセル/シデルキノ混合祖先系統を有していました。さらに、これらの集団は、人口史の背後のより複雑な遺伝的過程を示唆する、ANFとの類似性も有しています。さらに、シデルキノクラスタに属するロシア西部の最古級となる刊行された集団のうち2つ、つまり13000年前頃となるペシャニツァ(Peschanitsa)個体と新たに報告された11000年前頃となるミニノ(Minino)個体は、オーバーカッセルクラスタとの余分な類似性を示し、恐らくはシデルキノ祖先系統特性の最初の形成段階におけるこの祖先系統の割合の変動性に起因します。
DATESソフトウェアを用いて、15000~13000年前頃となるこれら古いシデルキノクラスタ関連個体群におけるヴィッラブルーナ/オーバーカッセルとANEの祖先系統間の混合が推定され、その推定年代はヨーロッパ中央部におけるオーバーカッセル祖先系統の最初の出現とほぼ一致しました。これは、オーバーカッセルクラスタによる置換とシデルキノクラスタの形成が、ボーリング・アレロード亜間氷期における急激な温暖化により影響を受けた人口拡大の結果だったかもしれない、という可能性を提供します。以下は本論文の図5です。
8000年前頃以降、ヨーロッパ中央部におけるシデルキノ祖先系統との混合事象が観察され始めます。これは最初に、ドイツ北東部のグロース・フレーデンヴァルデ(Gross Fredenwalde)遺跡の1個体で検出され、その後のほとんどのヨーロッパ狩猟採集民個体では約10%に達します。8000年前頃の直後には、シデルキノ祖先系統はスペイン東部には存在しなかったものの、オーバーカッセル祖先系統の増加とともにイベリア半島北部にはすでに到達していました(図5)。逆に、追加のオーバーカッセル祖先系統は、ヨーロッパ東部において少なくとも7500年前頃までには、ヴォルガ川上流域のミニノ1遺跡とヤジコヴォ(Yazykovo)遺跡の個体から新たに生成されたゲノムで特定されていますが、その1000年ほど前となるミニノ1遺跡の1個体はこの遺伝的構成要素を有していません。ヴォルガ川上流域における淡水貯蔵兆候がヒト遺骸の放射性炭素年代を真の年代より最大で約500年さかのぼらせることを考えると、シデルキノ祖先系統とのヨーロッパ中央部狩猟採集民の混合と、オーバーカッセル祖先系統とのヨーロッパ東部狩猟採集民の混合の最初の証拠の間には1000年以上の間隔があるかもしれません。しかし、それら2回の混合事象が独立していたのか、それとも共通の人口統計学的過程の一部だったのか、評価するには、この時空間において中間的な追加のゲノムが必要です。
7500年前頃以後、ANF祖先系統はアルプスの北側の地域に到達したので、狩猟採集民の遺伝的特性を有する個体群は、おもにヨーロッパの北端に限定されました(図5)。この期間には、オーバーカッセル祖先系統の混合はさらに東方に拡大し、6500年前頃までにはサマラに到達し、シデルキノ祖先系統の増加はバルト海地域の狩猟採集民で検出され、これは以前には、ナルヴァ(Narva)文化から櫛目文土器(Comb Ceramic)文化への移行と関連づけられていました。ヨーロッパ中央部では、ANF祖先系統との混合がひじょうに一般的になったものの遍在したわけではなく、数百年にわたる混合なしの狩猟採集民と農耕民の社会の共存が示唆されます。分析されたデータセットにおける狩猟採集民の大きな割合を有する最近の個体は、ドイツ北部のドイツ北部のオストルフ(Ostorf)で得られており、年代は5200年前頃で、90%超のオーバーカッセルクラスタにシデルキノクラスタ構成要素が加わっています。この遺跡の個体群は、ヨーロッパの青銅器時代の出現のわずか数世紀前となる、狩猟採集民祖先系統のそうした高水準の最後の出現の一つを表しているかもしれません。
PCAと外群f3統計に基づいて、タジキスタンの新石器時代のトゥトカウル1号個体は、シベリア南部から中央部の上部旧石器時代個体群、具体的にはアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡3号個体(AG3)およびバイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)と、チュメニ(Tyumen)およびソスノヴィ(Sosnoviy)遺跡の個体に代表されるほぼ同時代のシベリア西部狩猟採集民密接に関連しており、両者はANE祖先系統を高い割合で有しています(関連記事)。
AG3と比較しての、世界規模の古代および現代の人口集団とのトゥトカウル1号個体の類似性が検証されました。シベリア西部狩猟採集民とは対照的に、トゥトカウル1号は余分なユーラシア東部祖先系統を有していませんが、イラン新石器時代農耕民および一部のより新しいイランおよびトゥーラン(現在のイランとトルクメニスタンとウズベキスタンとアフガニスタン)地域の人口集団との類似性を示します。逆に、シデルキノクラスタの個体群は、トゥトカウル1号よりもAG3の方と遺伝的により密接です。これは、アジア中央部の新たに報告された新石器時代の1個体(トゥトカウル1号)が、5500年前頃以降となるイランおよびトゥーラン地域へのANE関連の寄与の適切な代理かもしれない祖先系統を有しているかもしれないものの、ほぼ同年代のヨーロッパ東部狩猟採集民へのANE関連の寄与の適切な代理ではないかもしれないことを示唆します。
要するに本論文は、14000年前頃以降にヨーロッパに存在した2つの主要な狩猟採集民祖先系統である、オーバーカッセルとシデルキノのクラスタ間の形成と相互作用を記述しました。イタリア北西部のアレーン・キャンディード16号とのオーバーカッセルクラスタのゲノム類似性から、続グラヴェティアン関連祖先系統をはヨーロッパの南部から中央部へとアルプス地域の西側を通って拡大した、と示唆されるかもしれません。シデルキノ祖先系統も14000年前頃に出現し、ヨーロッパ東部におけるその最初の直接的証拠(関連記事)は13000年前頃です。8000年前頃以降の異なる狩猟採集民人口集団間の混合の水準増加は、それら狩猟採集民集団の移動性強化を示唆します。これは部分的には、ヨーロッパ全域での新石器時代農耕民の同時に起きた拡大、および/もしくは、完新世における北半球での最大の急激な寒冷化である、8200年前頃の気候事象などの環境要因により引き起こされたかもしれません。
●表現型関連の多様体
かなり増加した標本規模を活用して、現在のヨーロッパ人において特定の表現型の特徴と関連すると知られている選択された遺伝子座のアレル頻度について、遺伝的に異なる狩猟採集民集団が調べられました(図5b)。以前の調査結果と一致して、分析された集団は、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連するLCT遺伝子上のSNP(rs4988235)における派生的アレルを示しません。以前に示唆されたように、LGM後の狩猟採集民における肌および目の色素沈着と関連するアレルにおける大きな頻度の差異が見つかりました。明るい目の色と関連するHERC2/OCA2遺伝子のSNP(rs12913832)について、ヴィッラブルーナクラスタとオーバーカッセルクラスタとバルト海狩猟採集民とスカンジナビア半島狩猟採集民の個体群が、緑色もしくは青色の目の表現型と関連する派生的アレルを高頻度(90%超)で示すのに対して、シデルキノクラスタとウクライナ狩猟採集民と鉄門狩猟採集民集団は、このアレルを低頻度(10~25%)で示します。
代わりに、肌の色と関連するSLC24A5遺伝子のSNP(rs1426654)およびSLC45A2遺伝子のSNP(rs16891982)については、シデルキノクラスタとウクライナ狩猟採集民集団は、オーバーカッセルおよびヴィッラブルーナのクラスタと比較して、明るい肌の色と関連する派生的アレルをより高い頻度(SLC24A5遺伝子では90%超、SLC45A2遺伝子では29~61%)で示し、オーバーカッセルおよびヴィッラブルーナのクラスタでは、それらのアレルがほぼ完全に存在しません(1%未満)。現在のヨーロッパ人の遺伝的差異に基づくと、これはヨーロッパ全域の14000年前頃以後の狩猟採集民人口集団間の表現型の違いを示唆しているかもしれず、オーバーカッセルクラスタの個体群が恐らくはより濃い色の肌とより明るい色の目を示すのに対して、シデルキノクラスタの個体群は恐らく、より明るい色の肌とより濃い色の目を示します。
●考察とまとめ
この研究で生成されたデータにより、ユーラシア狩猟採集民のゲノム変容とユーラシア狩猟採集民間の相互作用の調査が高解像度で可能となりました(拡張図9)。本論文は、上部旧石器時代から新石器時代へと3万年にわたる期間の狩猟採集民人口集団のゲノムの歴史に、5点の新たな洞察を提供します。以下は本論文の拡張図9です。
第一に、ヨーロッパ全域のグラヴェティアンと関連する個体群は生物学的に均質な人口集団だった、と示されます。しかし文化的には、武器や一部の動産芸術など、の広範な一般的傾向と、埋葬慣行や石器におけるさまざまな独自性や硬い有機物の素材の道具一式や装飾品など、より地域的な特徴を有する他の側面の両方が見られます。ヨーロッパ中央部の先行するオーリナシアン文化と関連する個体群で見られる祖先系統(ゴイエQ116-1祖先系統)は、ヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連個体群を生み出しました。この派生的祖先系統(フルノル祖先系統)はソリュートレアン関連個体群においてLGMにも、恐らくはフランコ・カンタブリア地域内で存続し、マグダレニアンと関連する後の人口集団につながりました(ゴイエQ2クラスタおよびエル・ミロン遺跡個体)。逆に、3万年前頃以前のヨーロッパ東部の個体群で見られる祖先系統(コステンキクラスタおよびスンギール集団)は、ヨーロッパ中央部および南部のグラヴェティアン関連個体群に寄与し(ヴェストニツェクラスタ)、ヴェストニツェクラスタはそうした地域のLGM後の人口集団では子孫が見られません。
第二に、続グラヴェティアンと関連する個体群の祖先系統(ヴィッラブルーナクラスタ)は、ヨーロッパおよび近東の狩猟採集民との遺伝的つながりが見つかっており、続グラヴェティアンの前期と後期の間の移行のずっと前に、ヨーロッパ南部に到達しており、恐らくは早ければグラヴェティアンと続グラヴェティアンの移行期となります。この祖先系統を有するさまざまな系統の地理的再構築は、連続的なボトルネック(瓶首効果)を通じての人口減少とともに起きた、イタリア半島への北方から南方へと続いたバルカン半島からイタリア北東部への入口を示唆しています。
第三に、イベリア半島だけではなくヨーロッパの他地域のマグダレニアン関連個体群も、続グラヴェティアン関連祖先系統(ヴィッラブルーナクラスタ)を有しています。先行するバデゴウリアンと関連するヨーロッパ西部個体群の遺伝的分析は、ゴイエQ2クラスタの形成につながった過程に関する手がかりを提供できるかもしれません。考古学的記録から推測されているように、ヨーロッパ全域のマグダレニアンは南西部から北部と北東部へのLGM後の人口拡大と関連しており、南東部の退避地からの移動とは関連していません。
第四に本論文は、先行する後期マグダレニアンとのかなりの技術的連続性にも関わらず、フェダーメッサー文化やアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)や他の末期旧石器時代集団など、複数技術複合と関連するヨーロッパ中央部および西部の狩猟採集民における、早ければ14000年前頃となる大規模な遺伝的転換の調査結果を拡張します。さらに、マグダレニアン関連遺伝子プールのほぼ完全な遺伝的置換は、ヨーロッパの一部がボーリング・アレロード温暖期とともに14700年前頃にはじまった急激な気候変動期に異なって居住された、という仮説を提起します。これは、ヨーロッパ西部の大半にわたるオーバーカッセルクラスタの遺伝的均一性を説明できるかもしれませんが、この転換の正確な動態の理解には、15000~14000年前頃のゲノムデータが必要です。
第五にヨーロッパ西部および中央部のオーバーカッセル祖先系統とヨーロッパ東部のシデルキノ祖先系統は、多分この地域における土器の拡大とつながっていた、恐らくはバルト海沿いおよびヴォルガ川上流域における7500年前頃の文化的変化と関連している遺伝的相互作用がドイツ北東部で最初に観察された8000年前頃まで、ほぼ6000年間ほとんどが孤立したままでした。
要するに、この研究では、ヨーロッパ西部および南西部が最終氷期の最寒冷段階においてヒト集団の存続のため気候的退避地として機能したのに対して、イタリア半島とヨーロッパ東部平原の人口集団は遺伝的に置換された、と明らかになり、ヒトの氷期退避地としてのこれらの地域の役割に異議が唱えられます。その後で侵入してくるヴィッラブルーナ祖先系統は、ヨーロッパ全域の最も広範な狩猟採集民祖先系統になりました。バルカン半島の上部旧石器時代個体群のさらなる古ゲノム研究が、ヨーロッパ南東部がヴィッラブルーナ祖先系統の供給源とLGMにおける人口集団の気候的退避地を表しているのかどうか、理解するのに必要でしょう。
校正での注釈:関連論文は、イベリア半島南部の23000年前頃のソリュートレアン関連1個体のゲノム規模データを記載しており、これはヨーロッパ南西部におけるLGM全体の遺伝的連続性の証拠を拡張します【この論文は後日当ブログで取り上げる予定です】。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
ゲノミクス:古代ヨーロッパ人の移動経路を明らかにする
古代ヨーロッパ人のゲノムデータの解析によって古代ヨーロッパ人の詳細な移動経路が明らかになった。この研究知見は、後期旧石器時代から新石器時代までの人類集団の運命とゲノム史を解明する手掛かりとなる。こうした知見を報告する2編の論文が、今週、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。
現生人類は、約4万5000年前にヨーロッパに到達し、最終氷期極大期(2万5000年~1万9000年前)を含む困難な時代を狩猟採集民として過ごした。考古学者は、後に発掘された遺物からこの時代に出現した数々の独自文化に関する知識を得たが、ヒトの化石がほとんど見つかっていないため、人類集団の移動経路や交流についてはほとんど分かっていない。
Natureに掲載されるCosimo Posthたちの論文では、古代の狩猟採集民(356個体)のゲノムを解析した研究が報告されている。このゲノムデータには、3万5000年前から5000年前までの西ユーラシアと中央ユーラシアの14カ国の116個体のゲノムデータが新たに加わっている。その結果、西ヨーロッパのグラベット文化に関連した個体が有していた祖先系統が同定され、この祖先系統を有する南西ヨーロッパの人類集団が最終氷期極大期を生き延び、マドレーヌ文化の拡大に伴って北東方向に移住したことが判明した。一方、南ヨーロッパでは、エピグラベット文化に関連する祖先系統が、おそらくバルカン半島からイタリア半島に移住してきたため、最終氷期極大期に局地的な人類集団の入れ替えが起こり、その後、エピグラベット文化に関連した個体に近縁な祖先系統が約1万4000年前からヨーロッパ中に広がり、マドレーヌ文化に関連する遺伝子プールとほぼ入れ替わったことが明らかになった。
この研究は、最終氷期極大期の末期におけるマドレーヌ文化の起源と拡大に関する長年の考古学上の論争を解決するために役立つとともに、考古学的文化の中には、混合に応じて出現したと考えられるものや環境の変化に関連して出現した可能性の高いものがあり、遺伝的入れ替えを伴うものと伴わないものがあったことを示唆している。
これとは別に、Nature Ecology & Evolutionに掲載されるVanessa Villalba-Moucoたちの論文には、スペイン南部で収集された16個体の全ゲノムデータ(2万3000年前のソリュートレ文化に関連したCueva del Malalmuerzoの男性のゲノムデータを含む)が報告されている。そして、この男性の遺伝的祖先系統が初期のオーリニャック文化に関連した祖先系統と最終氷期極大期以降のマドレーヌ文化に関連した祖先系統を結びつけるものだったことが明らかになった。このスペイン南部での遺伝的連続性シナリオは、Posthたちの論文に記述されたイタリアにおける最終氷期極大期の前後の遺伝的不連続性と対照をなしており、人類が最終氷期の極端な気候を生き抜いていた頃の南ヨーロッパのレフュジア(避難地)の人口動態に違いがあったことを示唆している。
分子考古学:後期旧石器時代から新石器時代のヨーロッパの狩猟採集民についての古代ゲノミクス
分子考古学:古代ゲノムから石器時代のヨーロッパのヒト集団を知る
今回、ヨーロッパ全域の後期旧石器時代および中石器時代の狩猟採集民116人の古代ゲノムデータが報告され、この時代ヨーロッパに居住していたヒト集団についての独特な新しい手掛かりが得られた。
参考文献:
Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
追記(2023年3月7日)
上述の関連論文を当ブログで取り上げました(関連記事)。
この記事へのコメント