ペルーのアシャニンカ人の遺伝的歴史
ペルーのアシャニンカ人のゲノムデータを報告した研究(Capodiferro et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、アンデス地域とアマゾン川の源流との間に位置するアマゾニアにおいて、ペルーに暮らす先住民であるアシャニンカ人(Ashaninka)のゲノムデータを報告しています。アメリカ大陸の先住民集団については、まだゲノムデータの報告が充分とは言えないようで、現代人の新たなゲノムデータの報告は、アメリカ大陸の先住民集団の形成史の理解に貢献するでしょう。
●要約
その重要な位置と、おそらくは在来の先住民集団の複雑な遺伝的歴史、および中央アメリカ大陸とカリブ海(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を含む近隣地域との相互作用(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)の解明に必要な情報があるにも関わらず、アンデス地域とアマゾン川の(複数の)源流との間のアマゾニアの西側は、ゲノムおよび考古ゲノムの観点からは依然として研究されていません。
本論文はこの重要な地域に焦点を当てて、ペルーのアマゾニアのアシャニンカ人51個体のゲノム規模の特性を分析し、ゲノムの差異の予期せぬ範囲が観察されました。独特なゲノム構成のある少なくとも2つのアシャニンカ人下位集団が特定され、そのゲノム構成は外部、とくにアンデス地域と太平洋沿岸の先住民集団との混合の程度と時期により差次的に形成されました。大陸規模では、アシャニンカ人の祖先はおそらく、コーノ・スール(南アメリカ大陸南部)と大西洋沿岸からの寄与を伴う南東部地域からアマゾン熱帯雨林へと移動した先住民集団の南北の移住に由来しました。
これら祖先人口集団は、アンデス地域の東側の南アメリカ大陸内陸部のさまざまな地理的地域で多様化し、近隣の沿岸部集団と差次的に相互作用しました。本論文はこの複雑なシナリオにおいて、アラワク語族に属する現在のアシャニンカ人の祖先と、カリブ海へとさらに北方に移動し、カリブ海諸島で初期の土器伝統、つまりサラドイド(Saladoid)期に寄与した(関連記事)先住民集団との間の厳密なつながりも明らかにしました。
●研究史
ペルーのアマゾニアに暮らす先住民共同体の少ないゲノムデータは、アンデス地域と沿岸部集団よりも高い均一性を示しており、これは長い隔離期間に起因する可能性が高そうです。一方、この地域で話されているアラワク語族の拡大は離散(ディアスポラ)として特徴づけられてきており、これは前期土器時代のカリブ海におけるサラドイド土器伝統と関係している可能性がありますが(関連記事)、交易に媒介された文化的過程で言語拡散を説明する人もいます。アマゾン地域における人口動態の精細な記述を提供し、言語と文化の一括の背後にある拡大の人口統計学的痕跡を探すため、ペルーのアマゾニアの最大のアラワク語族話者集団であるアシャニンカ人から先住民個体群の遺伝子型が決定されました。
●標本
品質管理と親族関係分析の後で、親族関係にないアシャニンカ人44個体のゲノム規模の特性が得られ、現代および古代の個体群の利用可能なゲノムデータと統合され、さまざまなデータセットが作成されました。現代人1604個体の世界規模のデータセットから始めて(rWD1604)、2つの部分集合が抽出されました。一方はuIA245で、アメリカ大陸先住民(Indigenous American、略してIA)構成要素が95%以上の245個体を含みます。もう一方はuIA95で、1%未満のアフリカ人および2%未満のヨーロッパ人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する95個体を含みます。次に、これら2つの部分集合から除外された先住民個体群の非先住民構成要素がマスクされましたが、残りの一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)は579個体の第三のデータセット(mIA579)の構築に用いられました。最後に、第四のデータセット(aDNA552)はシベリアとアメリカ大陸の古代の552個体から得られたゲノムデータを含み、アメリカ大陸内のアシャニンカ人の遺伝的歴史がより深く分析されます。
●人口集団の遺伝的構造
アシャニンカ人44個体のゲノム規模の特性は、uIA245データセットのアレル(対立遺伝子)頻度およびハプロタイプの主成分分析(principal component analysi、略してPCA)における差異の特有の勾配に沿って伸びており(図1A)、予測よりも遺伝的に均一ではない集団が明らかになります。少なくとも2つの主要な遺伝的部分集合の特定が可能で、「アシャニンカ人1」および「アシャニンカ人2」と(個体数に基づいて)番号順に並べられました。これら主要な2群はADMIXTURE構成要素では割合が異なっており(図1B)、他のクラスタ(まとまり)、とくに南アメリカ大陸のクラスタに向かって、異なる距離を示します(図1D)。この距離は、CHROMOPAINTERの「多数(chunkcount)」出力での合計差異距離(total variation distance、略してTVD)として測定されました。追加の2個体は「アシャニンカ人3」と文明され、南アメリカ大陸の他の先住民集団とより関連している遺伝的特性により特徴づけられ、ペルー北部沿岸集団内でクラスタ化します(図1C)。以下は本論文の図1です。
植民地主義の影響について、(マスクされていない)ADMIXTUREの図示では、アシャニンカ人はそのゲノムにおいて低い割合の非先住民構成要素を有している、と示されます(図1B)。アシャニンカ人1の77%、アシャニンカ人2の33%、アシャニンカ人3の1個体は、95%以上の先住民構成要素を有している、と推定されました。自己認識がアシャニンカ人である1個体(AD165)が、ほぼ完全なヨーロッパ人のゲノム特性(図1Bでは「アシャニンカ人_EU」と分類されます)を示し、(複数の)先住民構成要素に関するさらなる分析では検討されなかったことは要注意です。
●人口統計学的分析
人口統計学的再構築はさらに、アシャニンカ人集団内の異なる特性を示します。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)はアシャニンカ人3の1個体(uIA245データセットで保持された唯一の個体)の特徴的な特性を示し(図2A)、いくつかの短いROHがあり、長いROHがほとんどなく、これはひじょうに最近の混合事象を示唆しているかもしれません。これらの兆候と本論文のデータセットにおける少ない代表を考慮して、アシャニンカ人3のデータはさらなる分析から除外されました。他の2つの遺伝的部分集合については、アシャニンカ人1がアシャニンカ人2よりも多い長いROH断片数を示します。アシャニンカ人1の3個体では、大規模なROHの合計長が、ブラジルのアマゾニアおよびパナマ東部の人口集団など、長い孤立と近親婚を経た人口集団と比較してひじょうに長い、と示されました(図2A)。これは100万塩基対以上のROH断片の分布によっても確証され(図2B)、アシャニンカ人1の個体群はアシャニンカ人2よりも400万~1000万塩基対の数がより多く、そのうち一部は次の分別ゲノム(ゲノム断片集団、bin)でもROHを保持していました(1000万~2000万塩基対)。これは、アシャニンカ人1における高水準の近親婚を証明し、アシャニンカ人2とは異なる人口史を示唆しています。以下は本論文の図2です。
各先住民のfineSTRUCTUREクラスタ内で共有されている同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片はアシャニンカ人においてひじょうに高い最高点を示さず、高い遺伝的差異が確証され(図2C)、アシャニンカ人1は全体的なアシャニンカ人クラスタのIBD分布の形成を駆動しました。この分析はアシャニンカ人について顕著な最近のボトルネック(瓶首効果)を除外しますが、ブラジルのアマゾニアとコロンビア地峡(Isthmo-Colombian)の人口集団については依然として検出可能なので、本論文で特定された下位集団の起源はごく最近ではありません。
●大陸規模でのアシャニンカ人の遺伝的つながり
南アメリカ大陸のPCA(図1A)では、アシャニンカ人の下位集団は外れ値の位置を示しており、アマゾニア勾配沿いに第一主成分の一端に図示され、その反対側の一端はブラジルのアマゾニア集団が位置します。アシャニンカ人のパターンはブラジル集団を除いても確証されることには要注意です。アシャニンカ人に最も近い人口集団はペルー北部とコロンビアのアマゾニアに由来し、具体的にはロレト人(Loreto)や人コカマ(Cocama)やワユク人(Wayku)です。ブラジルのアマゾニアの人口集団、つまりスルイ人(Suruí)やカリティアナ人(Karitiana)は第一主成分により分離され、ADMIXTURE分析においてクラスタ数を増やすと、さまざまな遺伝的パターンを示します。K(系統構成要素数)=16では、K=13以降存在してアシャニンカ人1で見られるアマゾニア構成要素(赤色)がブラジルのアマゾニア集団(スルイ人とカリティアナ人)では失われ、ブラジルのアマゾニア集団は異なる構成要素(濃緑色)により特徴づけられます。アマゾニアの両構成要素は、古代のアメリカ大陸個体群ではあまり表されていません。
アシャニンカ人のそうした遺伝的特徴はfineSTRUCTUREの先住民系統樹でも確証され(図1C)、アシャニンカ人クラスタ(アシャニンカ人1およびアシャニンカ人2が含まれます)が、コロンビア地峡のクラスタを除いて他のアメリカ大陸クラスタの前に分岐します。fineSTRUCTUREから得られたアシャニンカ人個体群(および下位集団の平均)のTVD(図1D)は、ペルーブラジル(ロレト人とコカマ人が含まれます)とのアシャニンカ人の近接性を示し、ワユク人とコロンビアアルゼンチンの人々がそれに続きます。これらのつながりは、高水準のIBD共有によりさらに裏づけられます。
OrientAGraph最尤系統樹、外群f3に基づく近隣結合樹、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)図示も、ペルーのアマゾニアの人口集団間の遺伝的近接性を示します。さらに、古代DNAデータも含む外群f3に基づく分析では、これらのつながりはカリブ海土器文化(関連記事1および関連記事2)と関連する個体群へと拡張され、他のペルー集団とは分離される「アマゾニアペルー土器」大集団を形成します。MDSでは、アンデス地域の東側に暮らすペルーとペルー以外の集団は、左側底部の「東方」勾配沿いに図示され、この勾配は最終的には、カリブ海土器人口集団によりつながれています。
この傾向はf形式の統計手法により確証されます。アシャニンカ人1およびアシャニンカ人2両方の共有された遺伝的歴史の最高水準は、ロレト人とワユク人で構成される現代のペルーのアマゾニア集団、およびカリブ海土器時代の古代人とのものです(図3)。アンデス地域の両側に暮らす人口集団との遺伝的関係については、アシャニンカ人2がアシャニンカ人1よりもアンデス地域西側の人々とより近いことを示します。一方、アシャニンカ人1はブラジル沿岸に達するアメリカ大陸の東側の人々、つまりピアポコ人(Piapoco)やウカアポル人(UKaapor)とのより強い近縁性を示します。
f4形式(アシャニンカ人2、アシャニンカ人1;現代/古代のIA、ムブティ人)のf4統計は、おもに古代の個体群のみを検討した場合、たとえばアシャニンカ人1とアルゼンチンのラグナ・チカ(Laguna Chica)遺跡の個体群との間の有意な関係により示されるように、この傾向(図3)を確証します。コロンビアとブラゾルのアマゾニアと大西洋沿岸とコーノ・スールの現代の人口集団および古代の個体群とのアシャニンカ人1のより強い東方のつながりは、他のペルーのアマゾニア集団との関連でも確証されます。一方、太平洋沿岸の一部の古代の個体は、アシャニンカ人2の現在の遺伝子プールにより多く寄与しました。以下は本論文の図3です。
アシャニンカ人の2つの下位集団間の別の興味深い違いは、カリブ海古代人との関係です。アシャニンカ人1はアシャニンカ人2よりもカリブ海土器時代個体群と多くの共有された浮動を示しますが、古代カリブ海の個体群とは示しません。ベネズエラ土器時代の遺伝的クラスタが、コロンビア地峡地域の人口集団とより対良い近縁性を示すので、中央アメリカ大陸からベネズエラへの遺伝子流動が示唆されることに要注意です。
これまでに報告された遺伝学的調査結果を考慮して、本論文で遺伝学的に定義されたように、アシャニンカ人の2つの下位集団の起源と関係がさらに調べられ、qpGraphでモデル化された混合図を通じて南アメリカ大陸およびカリブ海の古代人のゲノムと比較されました。統計的に裏づけられた最適なモデルはアシャニンカ人1を、コーノ・スールの古代人のゲノムとの共通の枝に由来し、太平洋沿岸およびアンデス地域中央部の古代人のゲノムとは分離されるものとして記述します。カリブ海諸島の古代の個体群も、同じ枝に由来します。
このモデルは、カリブ海古代人において、ベーリンジア(ベーリング陸橋)の古代人(USR_11500)に先行する分岐点からのわずかな(2~5%)固有の寄与を明らかにします。カリブ海古代人における北アメリカ大陸からの兆候は、先行研究ですでに浮き彫りになっており、考察されました(関連記事1および関連記事2)。本論文は、北・中央・南アメリカ大陸の最古級の集団を含むさまざまなモデルで、この寄与がカリブ海諸島への北アメリカ大陸からの移住と関連しているかもしれないのかどうか、検証しました。
その結果、北アメリカ大陸の前期サン・ニコラス(Early San Nicolas)および精霊洞窟(Spirit Cave)の個体のさまざまな祖先系統間、またパナマの古代人により表される中央アメリカ大陸およびラ・パド・サントス(Lapa Do Santos)遺跡集団により表される南アメリカ大陸の個体群との比較で、優先的傾向は見つかりませんでした。本論文の結果から、この兆候は、固有の北アメリカ大陸祖先系統ではなく、アメリカ大陸の最初の移住と関連しているかもしれない、と示唆されます。アシャニンカ人の下位集団に関して、アシャニンカ人1の祖先からカリブ海土器時代の古代人のゲノムへの顕著な遺伝子流動が明らかになりました(図4)。以下は本論文の図4です。
この遺伝子流動は、アシャニンカ人および他のアマゾニアの非ブラジル人口集団の祖先の遺伝子プールに寄与し、最終的にはカリブ海に到達して在来の古代の人口集団と混合し、カリブ海諸島における土器伝統に寄与した、南アメリカ大陸南部からの移住を表しているかもしれない、と本論文は提案します。この遺伝子流動の遺産はおもにアシャニンカ人1個体群において明らかですが、異なる(より最近の)寄与(16~38%)が、最終的にアシャニンカ人2の遺伝的構成を形成しました。
この提案されたシナリオは、アシャニンカ人やチャネ人(Chane)ピアポコ人(Piapoco)やワユ人(Wayuu)といったアラワク語族言語を話す現代人集団か、北アメリカ大陸のチペワイアン人(Chipewyan)やアンデス地域のプーノ人(Puno)といった異なる地理的起源の現代人集団を用いても検証されました。このモデルでは、アシャニンカ人1と他のアラワク語族集団との間で共通する分岐点からのアルゼンチン集団の初期の分岐は、南方からの移住との本論文の仮説を確証します。さらに、現代人集団では、アシャニンカ人1は土器時代カリブ海集団(個別もしくは1集団に統合)と最高の共有された遺伝的浮動を示します。したがって、アシャニンカ人1の祖先はおそらく、他のゲノム研究(関連記事1および関連記事2および関連記事3)により以前に提案され、考古学/言語学的知見により裏づけられた、前期土器時代においてカリブ海へと向かう南方から北方への移住に関わっていました。
●まとめ
アメリカ大陸の人々の遺伝的構造は移住の複数の波により形成されてきており、その遺伝的歴史を再構築する能力にとって課題となる混合事象につながりました(関連記事)。マクロ地理学的手法に加えて、特定の中央アメリカ大陸と南アメリカ大陸地域および/もしくはIA集団に焦点を当てた研究は、この問題に知識を追加するのに最重要でした。文化と言語の多様性がひじょうに高いペルーについては、現存する先住民および農村共同体での遺伝学的研究が、1万年以上を網羅する古代DNA記録(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を補完する、精細な規模での人口動態の解明(関連記事)に寄与しました。
しかし、ほとんどの利用可能なデータは沿岸部に由来し、アンデス地域の東側に位置するアマゾニアのペルー側は取り残されました。この地域は、南アメリカ大陸の遺伝的歴史の複雑さと現在の人口集団の起源および変異性の解明について恐らく基本的な情報を有しているにも関わらず、ゲノムおよび考古ゲノムの観点では依然として研究されていません。本論文では、ペルーのパスコ(Pasco)のアマゾン地域の、アシャニンカ人との自己認識している個体群のDNAが分析されました。本論文のゲノム規模分析は、(比較的孤立した)アシャニンカ人集団内の少なくとも2つの異なる遺伝的下位集団を明らかにして、先住民集団の不均一性を証明し、それぞれは恐らく、異なる遺伝的歴史と広範な相互作用の遺産を保持しています。
本論文で遺伝学的に定義された2つのアシャニンカ人下位集団は、ある程度の遺伝的類似性を保持しているとしても(fineStructureでともにクラスタ化、図1C)、固有の特徴および周辺人口集団とのさまざまな関係を示します。遺伝学的下位集団であるアシャニンカ人1は恐らくより孤立していましたが、もう一方の下位集団であるアシャニンカ人2は恐らく、アンデス山脈の斜面や太平洋沿岸に暮らしていた人口集団とより多くの相互作用を経ました。追加の2個体(アシャニンカ人3)の遺伝子プールは恐らく最近の混合に由来します。
これらのデータから、アシャニンカ人を含めて南アメリカ大陸内陸部の先住民集団は、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)もしくは他のデータセットで以前に推測されていたよりも均一ではない、と示されます。この複雑さは、経時的な人口統計学的進化を調べた場合でも明らかです。アシャニンカ人1はアシャニンカ人2よりも長くて多い同型接合断片を有しており、近親婚の程度がより高かったことを示唆します。一方、IBD断片により示される類似のパターンは、ヨーロッパ人との接触の同様の人口統計学的影響の結果かもしれません。
下位集団アシャニンカ人1はおそらく、太平洋沿岸からの影響がより少なく、その祖先の遺伝的構成をほぼ保持しており、カリブ海諸島の初期土器文化と関連しているかもしれません。したがって本論文では、アシャニンカ人の祖先は南方から到来した可能性が高く、さらに北方へと移動して土器時代以降のカリブ海の人々の遺伝子プールに寄与し、代わりにコロンビア地峡地域に影響を受けてきたように見える南アメリカ大陸の他の土器集団(たとえば、ベネズエラ)では他の検出可能な痕跡を残さなかった、と仮定できます。
土器時代カリブ海とのつながりは、別のアラワク語族集団、つまりコロンビアのピアポコ人でも検出できました。アラワク語族とカリブ海との特有のつながりは遺伝学的研究により以前に提案されましたが(関連記事)、その後はより広範な南アメリカ大陸人口集団に拡張されました(関連記事1および関連記事2)。考古学および人類学的研究では、最初のアンティル諸島土器文化であるサラドイドおよびバランコイド(Barrancoid)により証明されているように、カリブ海土器時代は南アメリカ大陸低地から到来したアラワク語族言語話者が新たな土器インダストリーと集約農業技術をカリブ海諸島にもたらした時に始まった、と提案されています。要するに、本論文の最終的なモデル(図4で要約されて襟、図1Dや図3など他の分析により裏づけられます)は、アシャニンカ人の遺伝子プールを南アメリカ大陸南部からの遺伝子流動の結果として記述します。以下は本論文の要約図です。
南方からのこの最初の移住はおそらく、コーノ・スールからアマゾン流域までの、アンデス地域の東側の大陸部の大半を含んでいました。最終的に、その祖先人口集団は内陸部のさまざまな地理的地域で多様化し、それらの間で差次的に相互作用し、在来および近隣の集団と混合しました。この元々の遺伝子流動の遺産は、現在のアシャニンカ人1下位集団において明確に検出でき、これは土器時代以降のカリブ海諸島との遺伝的つながりも証明します。この北方への移住はおそらく、カリブ海・大西洋地域へと北方に向かうネグロ川上流およびオリノコ川からのアラワク語族のカリブ海諸語のアラワク語およびパリクール語(Palikuran)分枝を拡散させた、(複数の)下位集団を含んでいました。
本論文はアラワク語族話者を除く特定の人口統計学的痕跡を示せませんが、これらの人口移動は他のアマゾニアの語族との相互作用を含んでいたかもしれません。ペルーのアマゾニアに留まったアシャニンカ人の祖先には、アンデスおよび太平洋地域の先住民集団とのより最近の相互作用がありました。インカ帝国の前とインカ帝国期における相互作用についての歴史的記録によっても確証されているこれらの混合過程は、本論文で識別されたアシャニンカ人の2つの遺伝学的下位集団の現在の遺伝子プールを差次的に形成しました。
参考文献:
Capodiferro MM. et al.(2023): The multifaceted genomic history of Ashaninka from Amazonian Peru. Current Biology, 33, 8, 1573–1581.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.02.046
●要約
その重要な位置と、おそらくは在来の先住民集団の複雑な遺伝的歴史、および中央アメリカ大陸とカリブ海(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を含む近隣地域との相互作用(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)の解明に必要な情報があるにも関わらず、アンデス地域とアマゾン川の(複数の)源流との間のアマゾニアの西側は、ゲノムおよび考古ゲノムの観点からは依然として研究されていません。
本論文はこの重要な地域に焦点を当てて、ペルーのアマゾニアのアシャニンカ人51個体のゲノム規模の特性を分析し、ゲノムの差異の予期せぬ範囲が観察されました。独特なゲノム構成のある少なくとも2つのアシャニンカ人下位集団が特定され、そのゲノム構成は外部、とくにアンデス地域と太平洋沿岸の先住民集団との混合の程度と時期により差次的に形成されました。大陸規模では、アシャニンカ人の祖先はおそらく、コーノ・スール(南アメリカ大陸南部)と大西洋沿岸からの寄与を伴う南東部地域からアマゾン熱帯雨林へと移動した先住民集団の南北の移住に由来しました。
これら祖先人口集団は、アンデス地域の東側の南アメリカ大陸内陸部のさまざまな地理的地域で多様化し、近隣の沿岸部集団と差次的に相互作用しました。本論文はこの複雑なシナリオにおいて、アラワク語族に属する現在のアシャニンカ人の祖先と、カリブ海へとさらに北方に移動し、カリブ海諸島で初期の土器伝統、つまりサラドイド(Saladoid)期に寄与した(関連記事)先住民集団との間の厳密なつながりも明らかにしました。
●研究史
ペルーのアマゾニアに暮らす先住民共同体の少ないゲノムデータは、アンデス地域と沿岸部集団よりも高い均一性を示しており、これは長い隔離期間に起因する可能性が高そうです。一方、この地域で話されているアラワク語族の拡大は離散(ディアスポラ)として特徴づけられてきており、これは前期土器時代のカリブ海におけるサラドイド土器伝統と関係している可能性がありますが(関連記事)、交易に媒介された文化的過程で言語拡散を説明する人もいます。アマゾン地域における人口動態の精細な記述を提供し、言語と文化の一括の背後にある拡大の人口統計学的痕跡を探すため、ペルーのアマゾニアの最大のアラワク語族話者集団であるアシャニンカ人から先住民個体群の遺伝子型が決定されました。
●標本
品質管理と親族関係分析の後で、親族関係にないアシャニンカ人44個体のゲノム規模の特性が得られ、現代および古代の個体群の利用可能なゲノムデータと統合され、さまざまなデータセットが作成されました。現代人1604個体の世界規模のデータセットから始めて(rWD1604)、2つの部分集合が抽出されました。一方はuIA245で、アメリカ大陸先住民(Indigenous American、略してIA)構成要素が95%以上の245個体を含みます。もう一方はuIA95で、1%未満のアフリカ人および2%未満のヨーロッパ人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有する95個体を含みます。次に、これら2つの部分集合から除外された先住民個体群の非先住民構成要素がマスクされましたが、残りの一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)は579個体の第三のデータセット(mIA579)の構築に用いられました。最後に、第四のデータセット(aDNA552)はシベリアとアメリカ大陸の古代の552個体から得られたゲノムデータを含み、アメリカ大陸内のアシャニンカ人の遺伝的歴史がより深く分析されます。
●人口集団の遺伝的構造
アシャニンカ人44個体のゲノム規模の特性は、uIA245データセットのアレル(対立遺伝子)頻度およびハプロタイプの主成分分析(principal component analysi、略してPCA)における差異の特有の勾配に沿って伸びており(図1A)、予測よりも遺伝的に均一ではない集団が明らかになります。少なくとも2つの主要な遺伝的部分集合の特定が可能で、「アシャニンカ人1」および「アシャニンカ人2」と(個体数に基づいて)番号順に並べられました。これら主要な2群はADMIXTURE構成要素では割合が異なっており(図1B)、他のクラスタ(まとまり)、とくに南アメリカ大陸のクラスタに向かって、異なる距離を示します(図1D)。この距離は、CHROMOPAINTERの「多数(chunkcount)」出力での合計差異距離(total variation distance、略してTVD)として測定されました。追加の2個体は「アシャニンカ人3」と文明され、南アメリカ大陸の他の先住民集団とより関連している遺伝的特性により特徴づけられ、ペルー北部沿岸集団内でクラスタ化します(図1C)。以下は本論文の図1です。
植民地主義の影響について、(マスクされていない)ADMIXTUREの図示では、アシャニンカ人はそのゲノムにおいて低い割合の非先住民構成要素を有している、と示されます(図1B)。アシャニンカ人1の77%、アシャニンカ人2の33%、アシャニンカ人3の1個体は、95%以上の先住民構成要素を有している、と推定されました。自己認識がアシャニンカ人である1個体(AD165)が、ほぼ完全なヨーロッパ人のゲノム特性(図1Bでは「アシャニンカ人_EU」と分類されます)を示し、(複数の)先住民構成要素に関するさらなる分析では検討されなかったことは要注意です。
●人口統計学的分析
人口統計学的再構築はさらに、アシャニンカ人集団内の異なる特性を示します。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)はアシャニンカ人3の1個体(uIA245データセットで保持された唯一の個体)の特徴的な特性を示し(図2A)、いくつかの短いROHがあり、長いROHがほとんどなく、これはひじょうに最近の混合事象を示唆しているかもしれません。これらの兆候と本論文のデータセットにおける少ない代表を考慮して、アシャニンカ人3のデータはさらなる分析から除外されました。他の2つの遺伝的部分集合については、アシャニンカ人1がアシャニンカ人2よりも多い長いROH断片数を示します。アシャニンカ人1の3個体では、大規模なROHの合計長が、ブラジルのアマゾニアおよびパナマ東部の人口集団など、長い孤立と近親婚を経た人口集団と比較してひじょうに長い、と示されました(図2A)。これは100万塩基対以上のROH断片の分布によっても確証され(図2B)、アシャニンカ人1の個体群はアシャニンカ人2よりも400万~1000万塩基対の数がより多く、そのうち一部は次の分別ゲノム(ゲノム断片集団、bin)でもROHを保持していました(1000万~2000万塩基対)。これは、アシャニンカ人1における高水準の近親婚を証明し、アシャニンカ人2とは異なる人口史を示唆しています。以下は本論文の図2です。
各先住民のfineSTRUCTUREクラスタ内で共有されている同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片はアシャニンカ人においてひじょうに高い最高点を示さず、高い遺伝的差異が確証され(図2C)、アシャニンカ人1は全体的なアシャニンカ人クラスタのIBD分布の形成を駆動しました。この分析はアシャニンカ人について顕著な最近のボトルネック(瓶首効果)を除外しますが、ブラジルのアマゾニアとコロンビア地峡(Isthmo-Colombian)の人口集団については依然として検出可能なので、本論文で特定された下位集団の起源はごく最近ではありません。
●大陸規模でのアシャニンカ人の遺伝的つながり
南アメリカ大陸のPCA(図1A)では、アシャニンカ人の下位集団は外れ値の位置を示しており、アマゾニア勾配沿いに第一主成分の一端に図示され、その反対側の一端はブラジルのアマゾニア集団が位置します。アシャニンカ人のパターンはブラジル集団を除いても確証されることには要注意です。アシャニンカ人に最も近い人口集団はペルー北部とコロンビアのアマゾニアに由来し、具体的にはロレト人(Loreto)や人コカマ(Cocama)やワユク人(Wayku)です。ブラジルのアマゾニアの人口集団、つまりスルイ人(Suruí)やカリティアナ人(Karitiana)は第一主成分により分離され、ADMIXTURE分析においてクラスタ数を増やすと、さまざまな遺伝的パターンを示します。K(系統構成要素数)=16では、K=13以降存在してアシャニンカ人1で見られるアマゾニア構成要素(赤色)がブラジルのアマゾニア集団(スルイ人とカリティアナ人)では失われ、ブラジルのアマゾニア集団は異なる構成要素(濃緑色)により特徴づけられます。アマゾニアの両構成要素は、古代のアメリカ大陸個体群ではあまり表されていません。
アシャニンカ人のそうした遺伝的特徴はfineSTRUCTUREの先住民系統樹でも確証され(図1C)、アシャニンカ人クラスタ(アシャニンカ人1およびアシャニンカ人2が含まれます)が、コロンビア地峡のクラスタを除いて他のアメリカ大陸クラスタの前に分岐します。fineSTRUCTUREから得られたアシャニンカ人個体群(および下位集団の平均)のTVD(図1D)は、ペルーブラジル(ロレト人とコカマ人が含まれます)とのアシャニンカ人の近接性を示し、ワユク人とコロンビアアルゼンチンの人々がそれに続きます。これらのつながりは、高水準のIBD共有によりさらに裏づけられます。
OrientAGraph最尤系統樹、外群f3に基づく近隣結合樹、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)図示も、ペルーのアマゾニアの人口集団間の遺伝的近接性を示します。さらに、古代DNAデータも含む外群f3に基づく分析では、これらのつながりはカリブ海土器文化(関連記事1および関連記事2)と関連する個体群へと拡張され、他のペルー集団とは分離される「アマゾニアペルー土器」大集団を形成します。MDSでは、アンデス地域の東側に暮らすペルーとペルー以外の集団は、左側底部の「東方」勾配沿いに図示され、この勾配は最終的には、カリブ海土器人口集団によりつながれています。
この傾向はf形式の統計手法により確証されます。アシャニンカ人1およびアシャニンカ人2両方の共有された遺伝的歴史の最高水準は、ロレト人とワユク人で構成される現代のペルーのアマゾニア集団、およびカリブ海土器時代の古代人とのものです(図3)。アンデス地域の両側に暮らす人口集団との遺伝的関係については、アシャニンカ人2がアシャニンカ人1よりもアンデス地域西側の人々とより近いことを示します。一方、アシャニンカ人1はブラジル沿岸に達するアメリカ大陸の東側の人々、つまりピアポコ人(Piapoco)やウカアポル人(UKaapor)とのより強い近縁性を示します。
f4形式(アシャニンカ人2、アシャニンカ人1;現代/古代のIA、ムブティ人)のf4統計は、おもに古代の個体群のみを検討した場合、たとえばアシャニンカ人1とアルゼンチンのラグナ・チカ(Laguna Chica)遺跡の個体群との間の有意な関係により示されるように、この傾向(図3)を確証します。コロンビアとブラゾルのアマゾニアと大西洋沿岸とコーノ・スールの現代の人口集団および古代の個体群とのアシャニンカ人1のより強い東方のつながりは、他のペルーのアマゾニア集団との関連でも確証されます。一方、太平洋沿岸の一部の古代の個体は、アシャニンカ人2の現在の遺伝子プールにより多く寄与しました。以下は本論文の図3です。
アシャニンカ人の2つの下位集団間の別の興味深い違いは、カリブ海古代人との関係です。アシャニンカ人1はアシャニンカ人2よりもカリブ海土器時代個体群と多くの共有された浮動を示しますが、古代カリブ海の個体群とは示しません。ベネズエラ土器時代の遺伝的クラスタが、コロンビア地峡地域の人口集団とより対良い近縁性を示すので、中央アメリカ大陸からベネズエラへの遺伝子流動が示唆されることに要注意です。
これまでに報告された遺伝学的調査結果を考慮して、本論文で遺伝学的に定義されたように、アシャニンカ人の2つの下位集団の起源と関係がさらに調べられ、qpGraphでモデル化された混合図を通じて南アメリカ大陸およびカリブ海の古代人のゲノムと比較されました。統計的に裏づけられた最適なモデルはアシャニンカ人1を、コーノ・スールの古代人のゲノムとの共通の枝に由来し、太平洋沿岸およびアンデス地域中央部の古代人のゲノムとは分離されるものとして記述します。カリブ海諸島の古代の個体群も、同じ枝に由来します。
このモデルは、カリブ海古代人において、ベーリンジア(ベーリング陸橋)の古代人(USR_11500)に先行する分岐点からのわずかな(2~5%)固有の寄与を明らかにします。カリブ海古代人における北アメリカ大陸からの兆候は、先行研究ですでに浮き彫りになっており、考察されました(関連記事1および関連記事2)。本論文は、北・中央・南アメリカ大陸の最古級の集団を含むさまざまなモデルで、この寄与がカリブ海諸島への北アメリカ大陸からの移住と関連しているかもしれないのかどうか、検証しました。
その結果、北アメリカ大陸の前期サン・ニコラス(Early San Nicolas)および精霊洞窟(Spirit Cave)の個体のさまざまな祖先系統間、またパナマの古代人により表される中央アメリカ大陸およびラ・パド・サントス(Lapa Do Santos)遺跡集団により表される南アメリカ大陸の個体群との比較で、優先的傾向は見つかりませんでした。本論文の結果から、この兆候は、固有の北アメリカ大陸祖先系統ではなく、アメリカ大陸の最初の移住と関連しているかもしれない、と示唆されます。アシャニンカ人の下位集団に関して、アシャニンカ人1の祖先からカリブ海土器時代の古代人のゲノムへの顕著な遺伝子流動が明らかになりました(図4)。以下は本論文の図4です。
この遺伝子流動は、アシャニンカ人および他のアマゾニアの非ブラジル人口集団の祖先の遺伝子プールに寄与し、最終的にはカリブ海に到達して在来の古代の人口集団と混合し、カリブ海諸島における土器伝統に寄与した、南アメリカ大陸南部からの移住を表しているかもしれない、と本論文は提案します。この遺伝子流動の遺産はおもにアシャニンカ人1個体群において明らかですが、異なる(より最近の)寄与(16~38%)が、最終的にアシャニンカ人2の遺伝的構成を形成しました。
この提案されたシナリオは、アシャニンカ人やチャネ人(Chane)ピアポコ人(Piapoco)やワユ人(Wayuu)といったアラワク語族言語を話す現代人集団か、北アメリカ大陸のチペワイアン人(Chipewyan)やアンデス地域のプーノ人(Puno)といった異なる地理的起源の現代人集団を用いても検証されました。このモデルでは、アシャニンカ人1と他のアラワク語族集団との間で共通する分岐点からのアルゼンチン集団の初期の分岐は、南方からの移住との本論文の仮説を確証します。さらに、現代人集団では、アシャニンカ人1は土器時代カリブ海集団(個別もしくは1集団に統合)と最高の共有された遺伝的浮動を示します。したがって、アシャニンカ人1の祖先はおそらく、他のゲノム研究(関連記事1および関連記事2および関連記事3)により以前に提案され、考古学/言語学的知見により裏づけられた、前期土器時代においてカリブ海へと向かう南方から北方への移住に関わっていました。
●まとめ
アメリカ大陸の人々の遺伝的構造は移住の複数の波により形成されてきており、その遺伝的歴史を再構築する能力にとって課題となる混合事象につながりました(関連記事)。マクロ地理学的手法に加えて、特定の中央アメリカ大陸と南アメリカ大陸地域および/もしくはIA集団に焦点を当てた研究は、この問題に知識を追加するのに最重要でした。文化と言語の多様性がひじょうに高いペルーについては、現存する先住民および農村共同体での遺伝学的研究が、1万年以上を網羅する古代DNA記録(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を補完する、精細な規模での人口動態の解明(関連記事)に寄与しました。
しかし、ほとんどの利用可能なデータは沿岸部に由来し、アンデス地域の東側に位置するアマゾニアのペルー側は取り残されました。この地域は、南アメリカ大陸の遺伝的歴史の複雑さと現在の人口集団の起源および変異性の解明について恐らく基本的な情報を有しているにも関わらず、ゲノムおよび考古ゲノムの観点では依然として研究されていません。本論文では、ペルーのパスコ(Pasco)のアマゾン地域の、アシャニンカ人との自己認識している個体群のDNAが分析されました。本論文のゲノム規模分析は、(比較的孤立した)アシャニンカ人集団内の少なくとも2つの異なる遺伝的下位集団を明らかにして、先住民集団の不均一性を証明し、それぞれは恐らく、異なる遺伝的歴史と広範な相互作用の遺産を保持しています。
本論文で遺伝学的に定義された2つのアシャニンカ人下位集団は、ある程度の遺伝的類似性を保持しているとしても(fineStructureでともにクラスタ化、図1C)、固有の特徴および周辺人口集団とのさまざまな関係を示します。遺伝学的下位集団であるアシャニンカ人1は恐らくより孤立していましたが、もう一方の下位集団であるアシャニンカ人2は恐らく、アンデス山脈の斜面や太平洋沿岸に暮らしていた人口集団とより多くの相互作用を経ました。追加の2個体(アシャニンカ人3)の遺伝子プールは恐らく最近の混合に由来します。
これらのデータから、アシャニンカ人を含めて南アメリカ大陸内陸部の先住民集団は、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)もしくは他のデータセットで以前に推測されていたよりも均一ではない、と示されます。この複雑さは、経時的な人口統計学的進化を調べた場合でも明らかです。アシャニンカ人1はアシャニンカ人2よりも長くて多い同型接合断片を有しており、近親婚の程度がより高かったことを示唆します。一方、IBD断片により示される類似のパターンは、ヨーロッパ人との接触の同様の人口統計学的影響の結果かもしれません。
下位集団アシャニンカ人1はおそらく、太平洋沿岸からの影響がより少なく、その祖先の遺伝的構成をほぼ保持しており、カリブ海諸島の初期土器文化と関連しているかもしれません。したがって本論文では、アシャニンカ人の祖先は南方から到来した可能性が高く、さらに北方へと移動して土器時代以降のカリブ海の人々の遺伝子プールに寄与し、代わりにコロンビア地峡地域に影響を受けてきたように見える南アメリカ大陸の他の土器集団(たとえば、ベネズエラ)では他の検出可能な痕跡を残さなかった、と仮定できます。
土器時代カリブ海とのつながりは、別のアラワク語族集団、つまりコロンビアのピアポコ人でも検出できました。アラワク語族とカリブ海との特有のつながりは遺伝学的研究により以前に提案されましたが(関連記事)、その後はより広範な南アメリカ大陸人口集団に拡張されました(関連記事1および関連記事2)。考古学および人類学的研究では、最初のアンティル諸島土器文化であるサラドイドおよびバランコイド(Barrancoid)により証明されているように、カリブ海土器時代は南アメリカ大陸低地から到来したアラワク語族言語話者が新たな土器インダストリーと集約農業技術をカリブ海諸島にもたらした時に始まった、と提案されています。要するに、本論文の最終的なモデル(図4で要約されて襟、図1Dや図3など他の分析により裏づけられます)は、アシャニンカ人の遺伝子プールを南アメリカ大陸南部からの遺伝子流動の結果として記述します。以下は本論文の要約図です。
南方からのこの最初の移住はおそらく、コーノ・スールからアマゾン流域までの、アンデス地域の東側の大陸部の大半を含んでいました。最終的に、その祖先人口集団は内陸部のさまざまな地理的地域で多様化し、それらの間で差次的に相互作用し、在来および近隣の集団と混合しました。この元々の遺伝子流動の遺産は、現在のアシャニンカ人1下位集団において明確に検出でき、これは土器時代以降のカリブ海諸島との遺伝的つながりも証明します。この北方への移住はおそらく、カリブ海・大西洋地域へと北方に向かうネグロ川上流およびオリノコ川からのアラワク語族のカリブ海諸語のアラワク語およびパリクール語(Palikuran)分枝を拡散させた、(複数の)下位集団を含んでいました。
本論文はアラワク語族話者を除く特定の人口統計学的痕跡を示せませんが、これらの人口移動は他のアマゾニアの語族との相互作用を含んでいたかもしれません。ペルーのアマゾニアに留まったアシャニンカ人の祖先には、アンデスおよび太平洋地域の先住民集団とのより最近の相互作用がありました。インカ帝国の前とインカ帝国期における相互作用についての歴史的記録によっても確証されているこれらの混合過程は、本論文で識別されたアシャニンカ人の2つの遺伝学的下位集団の現在の遺伝子プールを差次的に形成しました。
参考文献:
Capodiferro MM. et al.(2023): The multifaceted genomic history of Ashaninka from Amazonian Peru. Current Biology, 33, 8, 1573–1581.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.02.046
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