ヒッタイトの崩壊と旱魃
ヒッタイトの崩壊と旱魃に関する研究(Manning et al., 2023)が報道されました。気候変動が人類史を大きく変化させる可能性は差し迫った関心事ですが、異なる種類の気候変動がもたらす具体的な影響についてはまだ不明です。この疑問には、古気候や考古学のデータを用いて取り組むことができます。たとえば、紀元前1200年頃の気候条件の300年にわたる長周期の乾燥寒冷化は、地中海東部および近東におけるいくつかの古代文化の崩壊と頻繁に関連づけられています。しかし、同期的な気候と人類史規模との関連について、正確な詳細は不明です。考古学的および歴史的な記録には、人類社会が長周期の気候変動にうまく適応してきた事例が複数存在します。稀で予期せぬ極端な気候事象の複数年にわたる連続発生によって、おそらく人類集団は適応や数世紀来の回復策が及ばない状態に陥る、と考えられます。
本論文は、紀元前1200年頃となるヒッタイト帝国の崩壊について調べました。ヒッタイトは約500年にわたって古代世界に存在した一大勢力で、アナトリア半島の半乾燥地域を中心として、古代の近東および地中海東部の一帯に相互の政治的および社会経済的つながりがある帝国を築きました。ヒッタイト帝国は長年にわたり、度重なる社会政治的・経済的・環境的な課題に直面しながらも回復力があることを証明していました。当時のアナトリア半島中央部のビャクシン属樹木から得られた年輪幅と安定同位体の記録を調べることによって、高分解能の乾燥度記録がもたらされました。この分析結果は、紀元前1198~1196年頃(±3年)に異常に厳しい乾燥期が続いたことを明らかにするとともに(これは転換点を示している可能性があります)、当時の危険緩和策を圧倒した可能性がある事象の種類を示しています。この厳しい旱魃が長期にわたる食料不足をもたらし、ヒッタイトの中核である内陸の半乾燥地域は、特定地域の穀物生産と畜産に依存しており、とくに旱魃の影響を受けやすかったのではないか、というわけです。
ヒッタイトも含めてこの頃には、緊密に結びついていた地中海東部地域からメソポタミア地域の諸勢力が衰退もしくは滅亡し、後期青銅器時代におけるこの広範な破滅的事象を「古代グローバル文明の崩壊」と評価する見解も提示されています(関連記事)。上記報道によると、この見解を提示しており、この研究には関わっていないエリック・H・クライン(Eric H. Cline)氏は、紀元前1177年こそが青銅器時代の崩壊にとって最も重要な年だと主張していますが、青銅器時代の崩壊と旱魃は間違いなく紀元前1177年以前に始まっており、全体的な崩壊のシナリオとよく合致する、と指摘したそうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
気候変動:干ばつがヒッタイト帝国の崩壊につながった可能性
紀元前1198~1196年頃に中央アナトリアで発生した大干ばつが、ヒッタイト帝国の崩壊に重要な役割を担っていた可能性があることを報告する論文が、Natureに掲載される。この知見は、極端な気候変動が起こると、住民集団の適応限界を超えてしまい、何世紀にもわたって続けられた回復力を保持するための活動では対応できなくなることを示唆している。
半乾燥地域の中央アナトリアを拠点としたヒッタイト帝国は、紀元前1200年頃に崩壊するまで5世紀以上にわたって古代世界の大国であり続けた。ヒッタイト帝国は、たびたび社会政治的問題、経済問題、環境問題(例えば干ばつの脅威など)に直面していたが、長い間回復力を保持していたことが分かっている。この時期には、気候条件の寒冷化と乾燥化が300年間続き、このことが、東地中海と中近東におけるいくつかの古代文明の崩壊と関連付けられてきた。しかし、気候変動と人類史上の出来事との関連については、その正確な詳細が明らかになっていない。
今回、Sturt Manningたちは、ヒッタイト帝国の崩壊における干ばつの影響を評価するため、中央アナトリアに現生するビャクシンの木の年輪の安定同位体記録と測定結果を用いて高分解能の乾燥記録を作成した。その結果、紀元前1198~1196年頃に通常と異なる厳しい乾燥が続いたことが判明した。Manningたちは、この厳しい干ばつが長期にわたる食料不足をもたらしたとする見解を示している。ヒッタイト帝国の中核である内陸の領地は、特定の地域での穀物生産と畜産に依存していたが、特に干ばつの影響を受けやすかった。穀物や畜産品の不足は、政情不安、経済不安、社会不安を引き起こし、疾患の集団発生にもつながったと考えられ、結局は帝国の崩壊を早めた可能性がある。
このアナトリアの大干ばつは、予期せぬ複数年にわたる極端な気候現象に対する人間システムの脆弱性を実証するものとも考えられる。こうした極端な現象は、人間の対処機構を圧倒することがあり、Manningたちは、このことは、過去だけでなく、気候変動に直面している現代にも当てはまる可能性があると考えている。
考古学:ヒッタイト帝国の崩壊と同時期に起きた紀元前1198~1196年ごろの複数年にわたる深刻な干ばつ
考古学:ヒッタイト帝国滅亡の原因は長引く干ばつであった
今回、樹木の年輪の証拠から、紀元前1198~1196年ごろにアナトリア中部で起こった3年間にわたる干ばつが、ヒッタイト帝国の崩壊をもたらしたことが明らかになった。この事象は、古代の「暗黒時代」の到来を告げていた可能性がある。
参考文献:
Manning SW. et al.(2023): Severe multi-year drought coincident with Hittite collapse around 1198–1196 BC. Nature, 614, 7949, 719–724.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05693-y
本論文は、紀元前1200年頃となるヒッタイト帝国の崩壊について調べました。ヒッタイトは約500年にわたって古代世界に存在した一大勢力で、アナトリア半島の半乾燥地域を中心として、古代の近東および地中海東部の一帯に相互の政治的および社会経済的つながりがある帝国を築きました。ヒッタイト帝国は長年にわたり、度重なる社会政治的・経済的・環境的な課題に直面しながらも回復力があることを証明していました。当時のアナトリア半島中央部のビャクシン属樹木から得られた年輪幅と安定同位体の記録を調べることによって、高分解能の乾燥度記録がもたらされました。この分析結果は、紀元前1198~1196年頃(±3年)に異常に厳しい乾燥期が続いたことを明らかにするとともに(これは転換点を示している可能性があります)、当時の危険緩和策を圧倒した可能性がある事象の種類を示しています。この厳しい旱魃が長期にわたる食料不足をもたらし、ヒッタイトの中核である内陸の半乾燥地域は、特定地域の穀物生産と畜産に依存しており、とくに旱魃の影響を受けやすかったのではないか、というわけです。
ヒッタイトも含めてこの頃には、緊密に結びついていた地中海東部地域からメソポタミア地域の諸勢力が衰退もしくは滅亡し、後期青銅器時代におけるこの広範な破滅的事象を「古代グローバル文明の崩壊」と評価する見解も提示されています(関連記事)。上記報道によると、この見解を提示しており、この研究には関わっていないエリック・H・クライン(Eric H. Cline)氏は、紀元前1177年こそが青銅器時代の崩壊にとって最も重要な年だと主張していますが、青銅器時代の崩壊と旱魃は間違いなく紀元前1177年以前に始まっており、全体的な崩壊のシナリオとよく合致する、と指摘したそうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
気候変動:干ばつがヒッタイト帝国の崩壊につながった可能性
紀元前1198~1196年頃に中央アナトリアで発生した大干ばつが、ヒッタイト帝国の崩壊に重要な役割を担っていた可能性があることを報告する論文が、Natureに掲載される。この知見は、極端な気候変動が起こると、住民集団の適応限界を超えてしまい、何世紀にもわたって続けられた回復力を保持するための活動では対応できなくなることを示唆している。
半乾燥地域の中央アナトリアを拠点としたヒッタイト帝国は、紀元前1200年頃に崩壊するまで5世紀以上にわたって古代世界の大国であり続けた。ヒッタイト帝国は、たびたび社会政治的問題、経済問題、環境問題(例えば干ばつの脅威など)に直面していたが、長い間回復力を保持していたことが分かっている。この時期には、気候条件の寒冷化と乾燥化が300年間続き、このことが、東地中海と中近東におけるいくつかの古代文明の崩壊と関連付けられてきた。しかし、気候変動と人類史上の出来事との関連については、その正確な詳細が明らかになっていない。
今回、Sturt Manningたちは、ヒッタイト帝国の崩壊における干ばつの影響を評価するため、中央アナトリアに現生するビャクシンの木の年輪の安定同位体記録と測定結果を用いて高分解能の乾燥記録を作成した。その結果、紀元前1198~1196年頃に通常と異なる厳しい乾燥が続いたことが判明した。Manningたちは、この厳しい干ばつが長期にわたる食料不足をもたらしたとする見解を示している。ヒッタイト帝国の中核である内陸の領地は、特定の地域での穀物生産と畜産に依存していたが、特に干ばつの影響を受けやすかった。穀物や畜産品の不足は、政情不安、経済不安、社会不安を引き起こし、疾患の集団発生にもつながったと考えられ、結局は帝国の崩壊を早めた可能性がある。
このアナトリアの大干ばつは、予期せぬ複数年にわたる極端な気候現象に対する人間システムの脆弱性を実証するものとも考えられる。こうした極端な現象は、人間の対処機構を圧倒することがあり、Manningたちは、このことは、過去だけでなく、気候変動に直面している現代にも当てはまる可能性があると考えている。
考古学:ヒッタイト帝国の崩壊と同時期に起きた紀元前1198~1196年ごろの複数年にわたる深刻な干ばつ
考古学:ヒッタイト帝国滅亡の原因は長引く干ばつであった
今回、樹木の年輪の証拠から、紀元前1198~1196年ごろにアナトリア中部で起こった3年間にわたる干ばつが、ヒッタイト帝国の崩壊をもたらしたことが明らかになった。この事象は、古代の「暗黒時代」の到来を告げていた可能性がある。
参考文献:
Manning SW. et al.(2023): Severe multi-year drought coincident with Hittite collapse around 1198–1196 BC. Nature, 614, 7949, 719–724.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05693-y
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