フランス地中海地域におけるヨーロッパ最古となる弓矢技術

 フランス地中海地域におけるヨーロッパ最古となる弓矢技術を報告した研究(Metz et al., 2023)が公表されました。フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)では、54000年前頃と推定されている現生人類と分類されている歯が発見されています(関連記事)。しかし、その後のヨーロッパの人類化石と考古学と遺伝学の証拠からは、この現生人類集団は絶滅したかレヴァントなど他地域に撤退したかネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に吸収され、その後のヨーロッパのネアンデルタール人集団には遺伝的痕跡を全く若しくは殆ど残していない、と考えられます。マンドリン洞窟でその頃の弓矢技術が確認されたことは、弓矢など現生人類に固有の投射武器により、現生人類はネアンデルタール人に対して優位に立って置換した、というような見解をもはや単純には支持すべきでない、と示唆しているように思います。


●要約

 考古学の合意では、弓矢もしくは投槍器と投げ矢の組み合わせなど機械的推進力のある武器は、45000~42000年前頃以後に解剖学的現代人(現生人類)および上部旧石器(Upper Paleolithic、略してUP)の到来とともにユーラシアの記録に突然現れた、と仮定されていますが、ユーラシアにおいて上部旧石器に先行する中部旧石器(Middle Paleolithic、略してMP)における武器使用の証拠は疎らなままです。MP尖頭器は、その衝撃の特徴から手で投げた槍に用いられた、と示唆されていますが、UP石器の武器は、先行する社会からUP社会を区別する重要な革新である、機械的推進力のある投射物として一般的に解釈されている細石器技術に焦点が当てられています。本論文は、ユーラシアにおける機械的推進力のある投射技術について、54000年前頃となるフランス地中海地域のマンドリン洞窟E層から、使用摩耗および衝撃損傷分析で論証される、最初の証拠を提示します。これらの技術はヨーロッパにおいて現時点で既知の最古となる現生人類と関連しており、ヨーロッパ大陸への最初の侵入におけるこれら現生人類集団の技術的背景を表しています。


●研究史

 ヒトの起源の考古学における合意は、弓矢もしくは投槍器と投げ矢の組み合わせなど機械的推進力のある武器が、45000~42000年前頃以後に解剖学的現代人およびUPの到来とともにユーラシアの考古学的記録に突然出現した、と仮定されてきました(関連記事)。本論文は、フランス地中海地域のマンドリン洞窟E層から得られた、ユーラシアにおける弓矢技術の最初の証拠を提示します。これらの投射技術は、54000年前頃となるヨーロッパへの最初の侵入(関連記事)における現生人類拡大の技術的背景を表しています。

 マンドリン洞窟E層の石器製作は、標準化された小さな尖頭器に焦点が当てられており、一部は長さがわずか1cm程度でまとまっていたので、この年代の考古学遺物群ではこれまで見られなかったものであり、ネアンデルタール人と現生人類の社会および物質構成間の主要な構造的違いを表しています。これらの技術は、在来のネアンデルタール人社会に対する競争上の優位を現生人類にもたらしたかもしれません。

 マンドリン洞窟は、ローヌ川中流域を直接的に見下ろす丸形天井の岩陰です。マンドリン洞窟は参照される考古学的連続を記録しており、それは、UPの出現まで、最後のネアンデルタール人社会について現時点で知られている段階の全てを含んでいるからです。各考古学的層からは、豊富な石器インダストリーと古生物学的遺骸が発見されてきました(関連記事)。E層からはネロニアン(Neronian、ネロン文化)に分類される2267点の石器要素が発見されており、ネロニアンは、標準化されたルヴァロワ(Levallois)尖頭器の製作を完全に志向する「文化」で、技術的には石刃(laminar)段階後に得られました【laminarとは長さが幅の2倍以上となる本格的な石刃で(関連記事)、以下ではラミナールと訳します】。定量的には、石刃や小石刃やさまざまな尖頭器が全ての原形の75.1%を表しています。

 これら尖頭器の製作は、技術的には高度に制御されており、2つの分類に焦点が当てられました。一方は最大長が30~60mmのより大型の尖頭器で、もう一方は最大長が30mm未満で時には10mmほどの細石器尖頭器で、本論文では「微小尖頭器(nanopoint)」と呼ばれます。これら2区分間の違いは技術的であり、大きさに基づいていません。より大きな尖頭器はラミナール技術に基づいて製作されており、石核稜付石刃抽出で始まり、単極石刃製作が続き、単極石刃製作は、技術的によく定義された尖頭器を抽出するよう、石核の幾何学的形状を形成しました。大型/微小尖頭器は同様に大きく縮小された石核へのその過程のより小さな変形として単純に製作されたのではなく、むしろ、より大きな尖頭器を製作しながら作られた「剥片素材の石核」原形の打撃により製作されました(図1および図2)。以下は本論文の図1および図2です。
画像

画像


●分析結果

 摩耗もしくは微小光沢を見つけるため、正確な巨視的および微視的使用摩耗分析が852点の石器で行なわれ、その内訳は、高度に制御された尖頭器および小型/微小尖頭器(476点)、通常の小石刃(230点)、石刃および剥片(146)点です。マンドリン洞窟E層の複製品に基づいて、「Initiarc」と呼ばれる実験計画が実行され、この中には打撃痕のないもの(圧力と化石生成論、219点)とあるもの(投射/突き刺し、82点)両方の作用が含まれ、武器として用いられたさいのこれら特有の石器先端とその衝撃損傷の可能性が評価されました(図3)。以下は本論文の図3です。
画像

 道具が動力学的に用いられたのかどうか検出するため、診断上の衝撃破壊(diagnostic impact fractures、略してDIF)の存在や種類やパターンだけではなく、頻度、診断上の特徴の組み合わせ、石器破片上のこれらDIFの位置も検討されました(図4)。以下は本論文の図4です。
画像

 使用摩耗分析の最初の結果から、全ての技術的分類が含まれる考古学的要素の10.4%(89点)には、使用の巨視的もしくは微視的痕跡がない、と示されます。化石生成論的作用の結果として明確に識別できる巨視的および/もしくは微視的痕跡は、原形の4.1%(35点)で特定されました。機能を確実に推測するには曖昧すぎる巨視的および/もしくは微視的痕跡は、破片の15.4%(131点)で観察されました。これにより、852点の選択された破片のうち、人為的使用が不確実な破片は255点(29.9%)となりました。標本の残りは人為的活動の証拠を示し、調査対象の70.1%(597点)を表しします。この人為的に使用された597点の破片のうち82.4%は、破砕していました。その理由を特定できたもの(269点)については、非打撃的方法で20.5%、打撃的作用で34.1%と、破砕は両方で起きました。残りの223点の破片については、解釈を述べることができません。

 過去の使用の物理的痕跡は383点の要素で観察され、そのうち172点は圧力作用、196点は打撃作用、15点は両方を表しています。石器のこれらさまざまな分類内で得られた割合は、石刃と剥片では圧力の兆候の優占が、尖頭器(尖頭器と小型尖頭器と微小尖頭器)では打撃作用の優勢があるという、作用の様式における明らかな相違をはっきりと示します(図3A)。各技術分類には、さまざまな作業で用いられてきた証拠があります。石刃と剥片は家庭的活動(肉の切断や皮のなめしなど)にほぼ排他的に使用され、尖頭器と小型/微小尖頭器は、推進力のある若しくは突き刺す武器の一部など、打撃活動にほぼ排他的に使われました。小石刃は明確に中間的位置を占めており、非打撃作用(52.9%)が非打撃作用(47.1%)をわずかに上回ります。

 圧力作用では、尖頭器と小型/微小尖頭器は同じ区分に意図的に分類されました。単独では、圧力作用に関わる細石器の数は、標本の残りと比較するには少なすぎました(小型尖頭器は9点、微小尖頭器は1点)。解体作用(128点)は観察された動作の残りに対して充分に優勢です(図3B)。この種の動作はおもに、肉の解体や腱の除去やなめしや内臓除去や四肢の間接切断を含む、屠殺活動を表しています。全ての技術的区分には、この種の動作に固有の兆候があり、尖頭器ではわずかに過大に見られます(82.5%)。切削作用中に残った痕跡は、10点未満の破片で観察され(8点の剥片と1点の石刃)、小石刃と小型/微小尖頭器内ではまったく欠けています(図3C)。回転動作は、掘削に用いられた4点のみで裏づけに乏しい場所を占めており、全てに尖った端がありました(2点の尖頭器と1点の小型尖頭器と1点の小石刃)。17.7%の事例では、動作を明確に特定できず、その全ての破片は純粋に非打撃作用を示しますが、その正確な機能は未確定です。

 打撃作用は尖頭器の83.2%に関わっていますが、剥片もしくは石刃では裏づけに乏しくわずか4.6%です(図3A)。最後に、剥片も石刃も、武器とみなすことを可能にするような、特徴的痕跡を示しません。これは、マンドリン洞窟E層では、石刃と剥片の技術的区分は、再加工の有無に関わらず、ほぼ狩猟活動とは直接的に関連していないことを意味します。巨視的破砕研究では、尖頭器(尖頭器と小型尖頭器と微小尖頭器)はおもにこの機能を有していた、と示されます。機能分析でも、全ての尖頭器が武器の補強材になると決められていない、と示されます。大型尖頭器の21.3%は家庭的な活動、おもに屠殺作業(なめし、内臓除去、関節離断、肉の切断など)に用いられました(図3C)。

 合計131点のDIFが71点の破片(35点の尖頭器と25点の小型尖頭器と11点の微小尖頭器)で証明され、破片ごとのDIFが2点~4点ほどの尖頭器は1/3強(33.8%)となり、破片ごとのDIFが最小限3点あるものは12.7%となります(図5~図7)。以下は本論文の図5および図6および図7です。
画像

画像

画像

 これらDIFには、投射としてのそうした尖頭器のこの研究における実験的使用で得られたDIF、および同様の40年以上の実験的研究(図8)から報告されたDIFとの強い類似性があります。個々の最少数で考えると、全ての尖頭器の15.5%が、武器としての使用を現未知に診断できる(尖頭器の9.7%、小型尖頭器の30.2%、微小尖頭器の最大36.7%)遠位端での激しい軸上の衝撃からのDIFを示します。以下は本論文の図8です。
画像


●武器使用の方法

 尖頭器と小型尖頭器のよく定義された左右対称の横断面(図1および図2)とそのDIFの位置(図5~図7)から、武器はすべて(横方向ではなく)遠位方向に着柄された、と示唆されます。柄の遠位端のこの位置は重要です。なぜならば、この位置は、遠位での武装の場合、尖頭器の最大幅がその柄の最大直径を直接的に制約する、という民族誌の記録を通じて充分に証明されているからです。実験ではその状況が説明され、遠位で武装された場合、柄より小さい直径の投射物は標的を効率的に貫通できない、と示されています。マンドリン洞窟E層では、小型および微小尖頭器の75%以上が最大幅15mm以上を示し、10mm(破片の最大点で測定された幅)に達するか、そのうちほぼ40%についてはそれ以下で、これらの尖頭器の40%程度は最大直径10mm未満の柄の遠位端に武装されました(図8)。この直系10mmは、重要な境界を表します。

 柄の最大直径が10mm未満の民族誌の石製武器は、弓の技術にのみ由来します。これは、充分なエネルギーを狭い柄に武装されたそうした小さな武器を効率的に推進させるための充分なエネルギーを伝えることができる、発射体系の他の区分の固有の弾道限界と関連しています。これらの限界は、実験的に再現された場合によく記録されていますが、弓による発射の場合、狭い柄のこれらの小さな武器はひじょうに効率的です。これらの実験から、そうした軽い武器の低い運動エネルギーは、特定の形状では、弓の拘束の機械的推進力により修正できる、と示されます。幅10mm未満で遠位に武装されたこれら小さな尖頭器は、形態学および弾道学的制約により制御されており、そうした制約は、他の発射体系を排除して、これら小さな尖頭器を弓や技術の使用に厳密に限定します。

 考古学と民族誌のデータから、DIFの割合は一般的に10%前後かそれ未満に集中する、と示されます。より高い割合は、殺害現場でだけ知られています。たとえば、キャスパー(Casper)遺跡(43%)やシュテルモーア(Stellmoor)遺跡(42.2%)で、これらの遺跡では、回収された石器はおもに特殊化された狩猟活動と関連しています。マンドリン洞窟E層の小さな尖頭器のより高頻度のDIF(小型尖頭器の30.2%、微小尖頭器の36.7%)から、少なくとも10mm未満の幅が矢のために作られ、矢として繰り返し使われた、と示唆されます。マンドリン洞窟E層の尖頭器は、技術的には高度に標準化されており、形態的と寸法の均一性を提供します(図1および図2)。したがって、これら形態計測的痕跡は、ユーラシアMPの記録ではこれまで知られていないものの、機械的に推進される投射物では一般的に見られます。


●先端部断面積

 マンドリン洞窟E層の尖頭器と小型/微小尖頭器の先端部断面積(tip cross-sectional area、略してTCSA)値から、これらの石器は統計的に形態間で異なる、と示唆されます。マンドリン洞窟E層の尖頭器と民族誌もしくは実験的に管理された武器との比較により、1つのTCSA値に違いはないようです。マンドリン洞窟E層の尖頭器のTCSAは、相互に有意には異ならない、ジョン・シー(John Shea)氏の民族誌の投槍投げ矢先端値もしくは「Initiarc」の実験的な投槍投げ矢先端とは、統計的に有意に異なっていません(図9)。マンドリン洞窟E層の小型/微小尖頭器内では、TCSA値は全て、民族誌もしくは実験的管理のTCSA値と有意に異なります。マンドリン洞窟E層の小型尖頭器(49点)と微小尖頭器(37点)を区別すると、異なる統計的結果が得られます。微小尖頭器については、平均TCSAが民族誌もしくは実験的な石器の制御の他の全てのTCSA平均より低く、他のあらゆるTCSA管理とも統計的な一致が見つかりません(図9)。以下は本論文の図9です。
画像

 アフリカ南部の民族誌の毒を塗った骨製鏃に関する最近のデータの統合により、毒を塗った鏃とマンドリン洞窟E層の微小尖頭器のTCSA値は統計的に有意には異ならないようです。重要なのは、毒を塗った鏃が骨製の尖頭器であり燧石製ではないのに注意することです。それにも関わらず、これらの比較結果から、マンドリン洞窟E層の37点の微小尖頭器は、他のあらゆる考古学か実験か民族誌の尖頭器の管理よりも毒を塗った鏃に近い平均TCSA値を有している、と示唆されます。TCSAの観点では、マンドリン洞窟のネロニアン尖頭器は投槍の範囲に直接的に収まりますが、小型尖頭器は弓矢技術に収まります。

 これらの結果は、最小のネロニアン尖頭器内での弓矢使用の信頼できる証拠を提供する一方で、最大のマンドリン洞窟E層の尖頭器は投槍を用いた発射に匹敵するTCSAを示しますが、これら大型尖頭器は弾道学的に矢によっても発射できます。より大きな尖頭器の特定の武器発射体系は定義できなかったので、「武器構成要素/先端」とみなさねばなりません。

 サハラ砂漠以南のアフリカではより一般的に、70000~58000年前頃までには弓と投槍の組み合わせについての強い証拠がありますが、投槍と投げ矢の使用については、より複雑なようです。投槍と投げ矢の使用についての証拠の欠如の説明のため、いくつかの仮説が提案されてきました。それらが存在しなかったか、使用されて放棄されたか、投げ矢の狩猟が弓での狩猟の前もしくはともに開発されたか、というわけですが、保存と考古学的手法の問題がそうした使用の検出を妨げました。

 弓は、投げ矢と比較して間違いなく、使用はより正確で容易であり、習得はより容易で、努力は少なく、暴力的ではありません。弓は背中に負うのが容易で、開けたもしくは閉鎖的な環境、陸地もしくは水中で使用でき、単独もしくは集団の狩猟で跡をつけるのに等しく効率的です。矢は製作がより困難ですが、それにも関わらずひじょうに速く、遠距離(100mまで)使用でき、矢筒で容易に運べます。弓と投槍の組み合わせに依拠した狩猟戦略も民族誌の記録ではよく表されており、ネロニアンにおいて武器として用いられた尖頭器のひじょうに異なる区分の存在について妥当な説明を表しているかもしれません。


●考察

 機械的に投射される武器は、全てのユーラシアUP文化の最も特有の技術的特徴の一つを表しており、あらゆるMPのそれとは区別されます(関連記事)。マンドリン洞窟では、E層の前後の全てのMP層の機能的分析は、E層で記録された高度な技術の欠如を論証します。マンドリン洞窟全体の層序の機能的研究の実行においては、武器に関して明確な現実が明らかになりました。ひじょうに類似した種類の装備、その表現と使用において世界的に同一である動物相、各層序内の原型の多かれ少なかれ類似した数にも関わらず、結果は、影響を受けた石器原形の顕著に非対称的な分布を示します。

 ローヌ渓谷は、地中海盆地をヨーロッパ北部草原地帯とつなげる最重要の自然の回廊で、10000~12000年後にやっと確立された恒久的な存在にはつながらなかった現生人類による、ヨーロッパ西部への初期の探検を記録します(関連記事)。ネアンデルタール人の領域へのヒト【現生人類】のこの最初の移住は弓の習得と関連している、と本論文は記載します。これら高度に制御された技術は、ユーラシアにおける他地域のように、ネアンデルタール人集団では局所的には知られていなかったことも、本論文は示します。これら高度な技術の使用は、現生人類集団の顕著な拡大の理解にたいへん重要かもしれません。

 弓の技術は、考古学的可視性を容易に下回ります。これは、ユーラシアUP期のほとんどで当てはまり、機械的に投射された武器は広く受け入れられていますが、投槍の投げ矢の先端と鏃との間の考古学的区別は、横方向に着柄された要素(一般的に小さな背のついた小石刃)か、より大きな尖った要素により制約され、両者は弓と投槍のどちらにより発射されたのか、区別できません(図9)。これらの状況では、投槍の解釈は、UPのほとんどの期間における最小限の提案に留まりますが、ユーラシアにおける弓の使用は、少なくとも37000~25000年前頃までは強く疑われています。

 弓矢技術が技術的革新における象徴的段階として広く認められているならば、ヨーロッパ北部の旧石器時代後期、古インディアン、歴史時代のイヌイット集団と同様に、既存の弓矢技術は近隣集団により無視されるか、その技術史のさまざまな時点で放棄されたかもしれません。これは、技術的革新の成功と拡大は、おもに社会的選択により制約され、必ずしもそうした革新により提供される合理的利益によるものではないことを示唆します。この意見は、進化段階と技術的有意性が社会的選択と規範により阻害され得るという、行動と社会の進化の真の複雑さに関するひじょうに重要な再検証へと、将来の研究を導き続けるはずです。将来の研究は、ヒト【現生人類】の進化のこの重要な期間におけるヒトとネアンデルタール人との間のこれら複雑な相互作用の解明を目的とするでしょう。


参考文献:
Metz L, Lewis JE, and Slimak L.(2023): Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 9, 8, eadd4675.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add4675

この記事へのコメント