大河ドラマ『どうする家康』第7回「わしの家」
今回は三河一向一揆へと至る過程が描かれました。同じく徳川家康(松平元康)を主人公とする大河ドラマである1983年放送の『徳川家康』では、三河一向一揆はあっさりとした描写だったように記憶していますが、本作ではやや詳しく描かれるようです。家康はまだ三河を平定できておらず、今川との対立関係も続いており、戦費が嵩んで松平(徳川)家の財政は苦しい状況です。家康は、武士権力も容易に手を出せない寺院の資金が豊富なことを知り、そこから軍資金を調達しようとしますが、家臣には反対されます。
これが三河一向一揆につながっていくわけですが、今回は、家康が一向宗寺院に潜入し、その様相が描かれるなど、一ひねりしてきた感があります。これは、当時の一向宗の寺内町の様子も描くという点で、工夫されていると思います。まあ、当時の松平家ほどの勢力の当主が自らこうした潜入した可能性は限りなく低そうですが、娯楽時代劇としては大きな問題ではない、と考えています。また、僧侶の説法で当時の世相が浮き彫りになった点も工夫されていると思います。
三河一向一揆への過程とともに注目していたのが、駿府から岡崎へと移った瀬名(築山殿)と家康との関係です。家康の判断で瀬名は今川氏真から処刑されかけたわけで、いかに自分と子供2人を救出するために家康が奮闘していたのを知ったとはいえ、夫婦間の関係に亀裂が生じ、それが信康事件へとつながるのではないか、とも予想していましたが、今回視聴した限りでは、家康と瀬名との関係は相変わらず良好なようです。ただ、今後夫婦関係が悪化した時に、夫の判断で処刑されかけたことで、瀬名が夫への憎悪を募らせることはあるかもしれません。
これが三河一向一揆につながっていくわけですが、今回は、家康が一向宗寺院に潜入し、その様相が描かれるなど、一ひねりしてきた感があります。これは、当時の一向宗の寺内町の様子も描くという点で、工夫されていると思います。まあ、当時の松平家ほどの勢力の当主が自らこうした潜入した可能性は限りなく低そうですが、娯楽時代劇としては大きな問題ではない、と考えています。また、僧侶の説法で当時の世相が浮き彫りになった点も工夫されていると思います。
三河一向一揆への過程とともに注目していたのが、駿府から岡崎へと移った瀬名(築山殿)と家康との関係です。家康の判断で瀬名は今川氏真から処刑されかけたわけで、いかに自分と子供2人を救出するために家康が奮闘していたのを知ったとはいえ、夫婦間の関係に亀裂が生じ、それが信康事件へとつながるのではないか、とも予想していましたが、今回視聴した限りでは、家康と瀬名との関係は相変わらず良好なようです。ただ、今後夫婦関係が悪化した時に、夫の判断で処刑されかけたことで、瀬名が夫への憎悪を募らせることはあるかもしれません。
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