人類進化史に関する認識の変化
最近当ブログでは人類の進化、とくに古代ゲノム研究の英語論文を取り上げて日本語に訳すことが多くなり、論文について私見を述べることもありますが、ほぼ翻訳だけになってしまうことが大半なので、たまには独自の文章を掲載しようと考えたものの、いざ執筆しようとすると、さて何を題材にすべきか、と迷ってしまった次第です。人類の進化について関心のある問題は多いものの、自分なりにまとめようとしても、ほぼ取り上げた文献を整理するだけになってしまうので(関連記事)、それならば専門家による概説を取り上げた方がよいかな、と考えて最近では概説的な論文を取り上げることが多くなっています。それでも、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)については、前回のまとめ(関連記事)からそろそろ4年近くになり、この間に研究が大きく進展しているので、もちろん不備の多いものになるとしても、近いうちに自分なりにまとめよう、とは考えています。
そこで、独自性という点では、自分の人類進化に関する認識の変化について短くまとめるのがよいかな、と考えました。人類進化史にどのように関心を抱くに至ったのかは、15年ほど前に述べたことがあります(関連記事)。その記事で述べたように、人類進化史への関心がほとんどなかった時代には、アウストラロピテクス属の「猿人」→ホモ・エレクトス(Homo erectus)のような初期ホモ属の「原人」→ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような後期ホモ属の「旧人」→現生人類(Homo sapiens)である「新人」へと進化した、という人類単一種説的な見解を漠然と想定していました。人類単一種説では、文化は強力な生態的地位なので、文化を持つ人類はどの時代においても単一種であり続けた、とされます。さらに、「北京原人」が日本人も含むアジア東部現代人の祖先になったのだろう、と漠然と考えていたので、今にして思うと、人類単一種説と現生人類多地域進化説の混合のような見解を抱いていた、と言えるでしょう。
1990年代後半になって人類進化史に関心を抱くようになり、当初は現生人類アフリカ単一起源説に懐疑的でしたが、さまざまな本を読むうちに、1999年までには現生人類アフリカ単一起源説が妥当だと確信するに至りました。当時、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果が初めて公表された(1997年)ばかりで、現生人類アフリカ単一起源説でも、アフリカ起源の現生人類がネアンデルタール人などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属、古代型ホモ属)から遺伝的影響を受けず完全に置換した、との見解が有力になりつつあり、私も完全置換説を支持するようになりました。
その後、2003~2004年頃に、完全置換説から現生人類とネアンデルタール人など非現生人類ホモ属との混合説へと転向しましたが(関連記事)、その頃のことを正確には覚えていないものの、特定の文献に影響を受けたのではなく、色々と考えているうちに混合説へと転向したように思います。ただ、ある時ふと、人類進化史を完全置換説のような単純な枠組みで把握してよいのか、と強く疑問に思ったことをよく覚えています。それから、改めて本を読み直したり考えたりして、2004年までには完全に混合説へと転向しました。ただ、さまざまな証拠から現生人類アフリカ単一起源説を否定することは難しいので、現生人類と非現生人類ホモ属との間にさまざまな地域で低頻度の混合があったのではないか、と考えました。
もちろん、私に独自の混合説を打ち立てるだけの見識があるはずもなく、これは、ギュンター・ブロイアー(Günter Bräuer)氏のアフリカ交配代替モデル説にほぼ従ったものです(関連記事)。最近の現生人類の起源をめぐる学説史についての概説では、これが交雑を伴う最近のアフリカ起源(RAOH)モデルと呼ばれており、さまざまな証拠から最も妥当と評価されています(関連記事)。もちろん、アフリカからの現生人類の拡散年代やデニソワ人のような当時は知られていなかった知見など、ブロイアー氏のアフリカ交配代替モデル説が現在そのまま通用するわけではないとしても、まだ直接的なDNA解析から現代人の起源を調べることが現実的ではなかった1976年の時点で、化石証拠から現在の有力説とかなり通ずる仮説を提示していたブロイアー氏の先見の明には驚かされます。ブロイアー氏のこうした見解自体は、すでに20世紀末の時点で知っていましたが、上述のように、当時は有力だった完全置換説の方を支持していました。
RAOHモデルを支持するようになって20年近く経ち、その点では大きく意見が変わったわけではありませんが、出アフリカ後の現生人類の移動については、大きく見解が変わったというか、2010年代半ば以降に関心が高まりました。その前には、私の主要な関心は現生人類のアフリカからの拡散におけるネアンデルタール人などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属との相互作用と、現生人類が多少の遺伝的影響を受けつつも非現生人類ホモ属をほぼ完全に置換した理由で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はありませんでした。
当ブログでは年末にその年の古人類学の研究を回顧していますが、改めて読み返してみると、現生人類の古代ゲノム研究に初めて言及したのは2014年(関連記事)で、2018年(関連記事)以降は2017年(関連記事)までと比較してかなり多くなっています。当ブログでは1月と5月と9月に古人類学関連の記事をまとめていますが、世界各地に拡散して以降の現生人類に関する記事は、2018年1月掲載のまとめ(2017年9月~2017年12月分の記事)までは「その他」の項目に分類しており(関連記事)、ヨーロッパやアメリカ大陸などに分類するようになったのは2018年5月掲載のまとめ(2018年1月~2018年4月分の記事)からです(関連記事)。
アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向に関する認識でこの前後に大きく変わったのは、その地域的連続性です。現生人類アフリカ単一起源説を前提とすると、ネアンデルタール人や「北京原人」など、非現生人類ホモ属と現代人との間の断絶は(混合は多少あるにしても)当然ですが、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類でも絶滅は珍しくなかった、と考えるようになったのは比較的最近です。それまでは、もちろん絶滅や混合はあったにしても、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類については、漠然と地域的連続性の強さを想定していたように思います。
むしろ、各地域の現代人の主要な祖先集団が現在の居住地域に到来してきたのは、現生人類が初めてその地域に到来したかなり後だった場合が多いのではないか、と今では考えるようになっています。さらに、現生人類だけではなくネアンデルタール人やデニソワ人など非現生人類ホモ属でも移動と混合と絶滅は珍しくなく、特定の地域における長期の連続性を前提とできないのではないか、と考えています。こうした見解を昨年まとめましたが(関連記事)、その後に関連する研究を当ブログで複数取り上げているので、できるだけ早いうちに改訂版を執筆しよう、とは思っているものの、怠惰なので、なかなか執筆に取りかかる気力が湧いてきません。
そこで、独自性という点では、自分の人類進化に関する認識の変化について短くまとめるのがよいかな、と考えました。人類進化史にどのように関心を抱くに至ったのかは、15年ほど前に述べたことがあります(関連記事)。その記事で述べたように、人類進化史への関心がほとんどなかった時代には、アウストラロピテクス属の「猿人」→ホモ・エレクトス(Homo erectus)のような初期ホモ属の「原人」→ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような後期ホモ属の「旧人」→現生人類(Homo sapiens)である「新人」へと進化した、という人類単一種説的な見解を漠然と想定していました。人類単一種説では、文化は強力な生態的地位なので、文化を持つ人類はどの時代においても単一種であり続けた、とされます。さらに、「北京原人」が日本人も含むアジア東部現代人の祖先になったのだろう、と漠然と考えていたので、今にして思うと、人類単一種説と現生人類多地域進化説の混合のような見解を抱いていた、と言えるでしょう。
1990年代後半になって人類進化史に関心を抱くようになり、当初は現生人類アフリカ単一起源説に懐疑的でしたが、さまざまな本を読むうちに、1999年までには現生人類アフリカ単一起源説が妥当だと確信するに至りました。当時、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果が初めて公表された(1997年)ばかりで、現生人類アフリカ単一起源説でも、アフリカ起源の現生人類がネアンデルタール人などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属、古代型ホモ属)から遺伝的影響を受けず完全に置換した、との見解が有力になりつつあり、私も完全置換説を支持するようになりました。
その後、2003~2004年頃に、完全置換説から現生人類とネアンデルタール人など非現生人類ホモ属との混合説へと転向しましたが(関連記事)、その頃のことを正確には覚えていないものの、特定の文献に影響を受けたのではなく、色々と考えているうちに混合説へと転向したように思います。ただ、ある時ふと、人類進化史を完全置換説のような単純な枠組みで把握してよいのか、と強く疑問に思ったことをよく覚えています。それから、改めて本を読み直したり考えたりして、2004年までには完全に混合説へと転向しました。ただ、さまざまな証拠から現生人類アフリカ単一起源説を否定することは難しいので、現生人類と非現生人類ホモ属との間にさまざまな地域で低頻度の混合があったのではないか、と考えました。
もちろん、私に独自の混合説を打ち立てるだけの見識があるはずもなく、これは、ギュンター・ブロイアー(Günter Bräuer)氏のアフリカ交配代替モデル説にほぼ従ったものです(関連記事)。最近の現生人類の起源をめぐる学説史についての概説では、これが交雑を伴う最近のアフリカ起源(RAOH)モデルと呼ばれており、さまざまな証拠から最も妥当と評価されています(関連記事)。もちろん、アフリカからの現生人類の拡散年代やデニソワ人のような当時は知られていなかった知見など、ブロイアー氏のアフリカ交配代替モデル説が現在そのまま通用するわけではないとしても、まだ直接的なDNA解析から現代人の起源を調べることが現実的ではなかった1976年の時点で、化石証拠から現在の有力説とかなり通ずる仮説を提示していたブロイアー氏の先見の明には驚かされます。ブロイアー氏のこうした見解自体は、すでに20世紀末の時点で知っていましたが、上述のように、当時は有力だった完全置換説の方を支持していました。
RAOHモデルを支持するようになって20年近く経ち、その点では大きく意見が変わったわけではありませんが、出アフリカ後の現生人類の移動については、大きく見解が変わったというか、2010年代半ば以降に関心が高まりました。その前には、私の主要な関心は現生人類のアフリカからの拡散におけるネアンデルタール人などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属との相互作用と、現生人類が多少の遺伝的影響を受けつつも非現生人類ホモ属をほぼ完全に置換した理由で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はありませんでした。
当ブログでは年末にその年の古人類学の研究を回顧していますが、改めて読み返してみると、現生人類の古代ゲノム研究に初めて言及したのは2014年(関連記事)で、2018年(関連記事)以降は2017年(関連記事)までと比較してかなり多くなっています。当ブログでは1月と5月と9月に古人類学関連の記事をまとめていますが、世界各地に拡散して以降の現生人類に関する記事は、2018年1月掲載のまとめ(2017年9月~2017年12月分の記事)までは「その他」の項目に分類しており(関連記事)、ヨーロッパやアメリカ大陸などに分類するようになったのは2018年5月掲載のまとめ(2018年1月~2018年4月分の記事)からです(関連記事)。
アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向に関する認識でこの前後に大きく変わったのは、その地域的連続性です。現生人類アフリカ単一起源説を前提とすると、ネアンデルタール人や「北京原人」など、非現生人類ホモ属と現代人との間の断絶は(混合は多少あるにしても)当然ですが、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類でも絶滅は珍しくなかった、と考えるようになったのは比較的最近です。それまでは、もちろん絶滅や混合はあったにしても、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類については、漠然と地域的連続性の強さを想定していたように思います。
むしろ、各地域の現代人の主要な祖先集団が現在の居住地域に到来してきたのは、現生人類が初めてその地域に到来したかなり後だった場合が多いのではないか、と今では考えるようになっています。さらに、現生人類だけではなくネアンデルタール人やデニソワ人など非現生人類ホモ属でも移動と混合と絶滅は珍しくなく、特定の地域における長期の連続性を前提とできないのではないか、と考えています。こうした見解を昨年まとめましたが(関連記事)、その後に関連する研究を当ブログで複数取り上げているので、できるだけ早いうちに改訂版を執筆しよう、とは思っているものの、怠惰なので、なかなか執筆に取りかかる気力が湧いてきません。
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