古代エジプトの遺体防腐処置
古代エジプトの遺体防腐処置に関する研究(Rageot et al., 2023)が公表されました。古代エジプト人の防腐処理によって死体を保存する能力は、古代から人々を魅了してきただけでなく、このきわめて優れた化学的・儀式的処理が実際にどのように達成されたのか、という疑問を絶えず提起してきました。古代エジプトのミイラ製作は長期間を要する複雑な過程で、さまざまな防腐処理物質が用いられました。防腐材料に関する現在の我々の知識は、主に古代の文献とエジプトのミイラの残留有機物分析から得られている。これまでの分析で、防腐処置に使用されるさまざまな物質が特定されたが、それぞれの構成要素がミイラ製作過程において果たす役割と手順の全体像については、ほとんど解明されていません。
この研究は、考古学的分析と文献学的分析と残留有機物分析を統合して、古代エジプトにおける死体防腐処理の方法および経済について新たな光を投じます。この研究は、エジプトのサッカラ(Saqqara)の第26王朝(紀元前664~525年)の死体防腐油処理作業場から回収された、31点の土器に残されていた有機物を分析しました。これらの土器には内容物や用途(たとえば「頭部に塗布すること」や、「これを使って包帯/防腐処置をすること」など)に従って標識が付けられており、これによって、有機物をそれらのエジプト名や具体的な防腐処理作業と関連づけることができ、防腐処理物質の残留物も見つかりました。
この研究は、ガスクロマトグラフィー質量分析法を用いることで、頭部の防腐処理や死体を覆う布の処理に使われた、香油または防腐油、タール、樹脂から構成される特殊な混合物を複数明らかにしました。たとえば、頭部の防腐処理用として使用された3種類の混合物(エレミ樹脂やピスタシア樹脂、ビャクシンやイトスギの副産物、蜜蝋などの物質が含まれていた)と、身体の洗浄や肌を柔らかくするために使用された他の混合物が見つかりました。この分析は、墓の主の社会経済的地位を明らかにする微視的水準の分析から得られる解釈を、古代エジプト社会についての巨視的水準の解釈へと拡張するものです。
また、現地に存在しない有機物が特定されたことで、古代エジプトの死体防腐処理者にミイラ製作に必要な物質をもたらした交易網の再構築が可能となりました。こうした外来品への大きな需要は、地中海地域内での貿易(カイノキ属の落葉樹や球果植物の副産物など)と熱帯林地域との貿易(ダンマル樹脂やエレミ樹脂など)をともに促進しました。さらにこの研究は、サッカラにおいて、古文書でよく知られており、通常は、「ミルラ(没薬)」または「香」と訳される「antiu」と「聖油」と訳される「sefet」がそれぞれ、球果植物の精油またはタールをベースとする混合物と、植物添加物を含む軟膏を意味する、と示します。「ミルラ」や「香」が誤った訳語とされる場合もあるわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:古代エジプトの遺体防腐処置に関する新知見
古代エジプトでさまざまな人体部位の防腐処置に使用された化学混合物の具体的な配合を示した論文が、今週、Natureに掲載される。この知見は、古代エジプトの防腐処置作業場の分析に基づいており、古代エジプトのミイラ製作に関係する数々のプロセスに関する我々の知識を深めるものといえる。
古代エジプトのミイラ製作は、長期間を要する複雑な過程で、さまざまな防腐処理物質が用いられた。防腐材料に関する現在の我々の知識は、主に古代の文献とエジプトのミイラの残留有機物分析から得られている。これまでの分析で、防腐処置に使用されるさまざまな物質が特定されたが、それぞれの構成要素がミイラ製作過程において果たす役割と手順の全体像については、ほとんど解明されていない。
今回、Maxime Rageot、Philipp Stockhammerたちは、エジプトのサッカラにあるエジプト第26王朝時代(紀元前664~525年)の防腐作業場の遺跡から回収された陶製容器(31点)を分析した。これらの容器には、防腐処置の指示(例えば「頭部に塗布すること」や「これを使って包帯/防腐処置をすること」など)や防腐処理物質の名称が彫り込まれており、防腐処理物質の残留物も見つかった。著者たちは、これらの情報を総合して、ミイラ製作の際にどのような化学物質が使用され、それらがどのように混合され、命名され、適用されたかを解明した。例えば、頭部の防腐処理用として使用された3種類の混合物(エレミ樹脂、ピスタシア樹脂、ビャクシンやイトスギの副産物、蜜蝋などの物質が含まれていた)と身体の洗浄や肌を柔らかくするために使用された他の混合物が見つかった。
また、残留有機物分析によって特定された混合物と容器に彫り込まれた表示を比較したところ、通常「ミルラ」や「香」と訳されている古代エジプト語の「アンティウ」が、この作業場では、単一の物質ではなく、芳香のある樹木の油やヤニと獣脂の混合物を表していたことが判明し、「ミルラ」や「香」が誤った訳語とされる場合のあることが明らかになった。
また、防腐処理物質の多くがエジプトの国外からもたらされたことも明らかになった。例えば、ピスタシア製品やビャクシン製品はレバント地方から持ち込まれた可能性が非常に高く、エレミ樹脂は南アジアや東南アジアの熱帯雨林に由来するものだった可能性がある。著者たちは、このことは、古代エジプトのミイラ製作が、地中海沿岸地域やさらに遠方との長距離交易を促進する役割を果たしたことを示していると結論付けている。
考古学:生体分子解析によって得られた古代エジプトの死体防腐処理に関する新たな知見
Cover Story:ミイラの作り方:古代エジプトの作業場から明らかになった死体防腐処理のレシピ
表紙は、エジプトのサッカラ地域で古代エジプト人のミイラ化した遺骸を収めるのに使われていた木棺である。ミイラの存在はよく知られているが、古代の死体防腐処理者が実践した方法の詳細は、まだよく分かっていない。今回M RageotとP Stockhammerたちは、年代が紀元前664〜525年とされるサッカラの防腐作業場の遺物を利用して、そのプロセスの詳細の多くを明らかにしている。彼らは、作業場で見つかった31点の土器を分析した。その結果、器の残留物の生化学的分析と多くの器を特徴付ける「頭に塗る」などの刻印された文字を組み合わせることで、どのような化学物質が使用され、それらがどのように混合され、命名され、適用されたかを解明することができた。著者たちはまた、死体の防腐処理に使われた材料の一部が、レバント地方、さらには南アジアや東南アジアからすら輸入されていたと述べており、これは、ミイラの製作が遠隔地貿易の促進に役立った可能性を示している。
参考文献:
Rageot M. et al.(2023): Biomolecular analyses enable new insights into ancient Egyptian embalming. Nature, 614, 7947, 287–293.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05663-4
この研究は、考古学的分析と文献学的分析と残留有機物分析を統合して、古代エジプトにおける死体防腐処理の方法および経済について新たな光を投じます。この研究は、エジプトのサッカラ(Saqqara)の第26王朝(紀元前664~525年)の死体防腐油処理作業場から回収された、31点の土器に残されていた有機物を分析しました。これらの土器には内容物や用途(たとえば「頭部に塗布すること」や、「これを使って包帯/防腐処置をすること」など)に従って標識が付けられており、これによって、有機物をそれらのエジプト名や具体的な防腐処理作業と関連づけることができ、防腐処理物質の残留物も見つかりました。
この研究は、ガスクロマトグラフィー質量分析法を用いることで、頭部の防腐処理や死体を覆う布の処理に使われた、香油または防腐油、タール、樹脂から構成される特殊な混合物を複数明らかにしました。たとえば、頭部の防腐処理用として使用された3種類の混合物(エレミ樹脂やピスタシア樹脂、ビャクシンやイトスギの副産物、蜜蝋などの物質が含まれていた)と、身体の洗浄や肌を柔らかくするために使用された他の混合物が見つかりました。この分析は、墓の主の社会経済的地位を明らかにする微視的水準の分析から得られる解釈を、古代エジプト社会についての巨視的水準の解釈へと拡張するものです。
また、現地に存在しない有機物が特定されたことで、古代エジプトの死体防腐処理者にミイラ製作に必要な物質をもたらした交易網の再構築が可能となりました。こうした外来品への大きな需要は、地中海地域内での貿易(カイノキ属の落葉樹や球果植物の副産物など)と熱帯林地域との貿易(ダンマル樹脂やエレミ樹脂など)をともに促進しました。さらにこの研究は、サッカラにおいて、古文書でよく知られており、通常は、「ミルラ(没薬)」または「香」と訳される「antiu」と「聖油」と訳される「sefet」がそれぞれ、球果植物の精油またはタールをベースとする混合物と、植物添加物を含む軟膏を意味する、と示します。「ミルラ」や「香」が誤った訳語とされる場合もあるわけです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:古代エジプトの遺体防腐処置に関する新知見
古代エジプトでさまざまな人体部位の防腐処置に使用された化学混合物の具体的な配合を示した論文が、今週、Natureに掲載される。この知見は、古代エジプトの防腐処置作業場の分析に基づいており、古代エジプトのミイラ製作に関係する数々のプロセスに関する我々の知識を深めるものといえる。
古代エジプトのミイラ製作は、長期間を要する複雑な過程で、さまざまな防腐処理物質が用いられた。防腐材料に関する現在の我々の知識は、主に古代の文献とエジプトのミイラの残留有機物分析から得られている。これまでの分析で、防腐処置に使用されるさまざまな物質が特定されたが、それぞれの構成要素がミイラ製作過程において果たす役割と手順の全体像については、ほとんど解明されていない。
今回、Maxime Rageot、Philipp Stockhammerたちは、エジプトのサッカラにあるエジプト第26王朝時代(紀元前664~525年)の防腐作業場の遺跡から回収された陶製容器(31点)を分析した。これらの容器には、防腐処置の指示(例えば「頭部に塗布すること」や「これを使って包帯/防腐処置をすること」など)や防腐処理物質の名称が彫り込まれており、防腐処理物質の残留物も見つかった。著者たちは、これらの情報を総合して、ミイラ製作の際にどのような化学物質が使用され、それらがどのように混合され、命名され、適用されたかを解明した。例えば、頭部の防腐処理用として使用された3種類の混合物(エレミ樹脂、ピスタシア樹脂、ビャクシンやイトスギの副産物、蜜蝋などの物質が含まれていた)と身体の洗浄や肌を柔らかくするために使用された他の混合物が見つかった。
また、残留有機物分析によって特定された混合物と容器に彫り込まれた表示を比較したところ、通常「ミルラ」や「香」と訳されている古代エジプト語の「アンティウ」が、この作業場では、単一の物質ではなく、芳香のある樹木の油やヤニと獣脂の混合物を表していたことが判明し、「ミルラ」や「香」が誤った訳語とされる場合のあることが明らかになった。
また、防腐処理物質の多くがエジプトの国外からもたらされたことも明らかになった。例えば、ピスタシア製品やビャクシン製品はレバント地方から持ち込まれた可能性が非常に高く、エレミ樹脂は南アジアや東南アジアの熱帯雨林に由来するものだった可能性がある。著者たちは、このことは、古代エジプトのミイラ製作が、地中海沿岸地域やさらに遠方との長距離交易を促進する役割を果たしたことを示していると結論付けている。
考古学:生体分子解析によって得られた古代エジプトの死体防腐処理に関する新たな知見
Cover Story:ミイラの作り方:古代エジプトの作業場から明らかになった死体防腐処理のレシピ
表紙は、エジプトのサッカラ地域で古代エジプト人のミイラ化した遺骸を収めるのに使われていた木棺である。ミイラの存在はよく知られているが、古代の死体防腐処理者が実践した方法の詳細は、まだよく分かっていない。今回M RageotとP Stockhammerたちは、年代が紀元前664〜525年とされるサッカラの防腐作業場の遺物を利用して、そのプロセスの詳細の多くを明らかにしている。彼らは、作業場で見つかった31点の土器を分析した。その結果、器の残留物の生化学的分析と多くの器を特徴付ける「頭に塗る」などの刻印された文字を組み合わせることで、どのような化学物質が使用され、それらがどのように混合され、命名され、適用されたかを解明することができた。著者たちはまた、死体の防腐処理に使われた材料の一部が、レバント地方、さらには南アジアや東南アジアからすら輸入されていたと述べており、これは、ミイラの製作が遠隔地貿易の促進に役立った可能性を示している。
参考文献:
Rageot M. et al.(2023): Biomolecular analyses enable new insights into ancient Egyptian embalming. Nature, 614, 7947, 287–293.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05663-4
この記事へのコメント