海面変化から推測されるアジア南部および南東部の先史時代の人類の移動

 海面変化からアジア南部および南東部の先史時代の人類の移動を推測した研究(Kim et al., 2023)が公表されました。本論文は、遺伝学的データと古地理学的データを統合し、海面変化が先史時代のアジア南部および南東部の人口集団の移動と分岐をもたらしたのではないか、と推測しています。先史時代の更新世の寒冷期には、ジャワ島やスマトラ島やボルネオ島などはユーラシア大陸南東部と陸続きでスンダランドを形成していました。今後、こうした学際的研究はますます盛んになるでしょうが、本論文はほぼ現代人のゲノムデータに依拠しており、その点には注意しなければならないでしょう。つまり、現生人類(Homo sapiens)でもアフリカからの拡散後の絶滅は珍しくなかったようなので(関連記事)、この地域に最初に到来した現生人類集団の子孫と考えられている現代人集団の祖先が、考古学もしくは遺伝学的に推定されているその年代に本当にこの地域に存在したのか確証はない、というわけです。


●要約

 最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)と中期完新世との間の急速な海面上昇は、アジア南東部沿岸の景観を一変させましたが、ヒトの人口動態への影響は不明なままです。本論文は、古地理学的地図を作成し、LGMから現在にわたる期間の海面変化に焦点を当て、59の民族集団から得た763個体の高網羅率の全ゲノム配列決定データセットを用いて、アジア南東部および南部の人口史を推測します。海面上昇、とくに14500~14000年前頃の融氷水波動1A(meltwater pulses 1 A、略してMWP1A)と11500~11000年前頃のMWP1Bは、LGM以降に50%以上の陸地を減少させ、局所的な人口集団の分離をもたらした、と本論文は示します。急速な海面上昇の期間に続いて、人口圧がアジア南部へのマレーシアのネグリートの移住を促進しました。統合された古地理学と人口集団のゲノム解析は、海面上昇により促進された強制的なヒトの移住の事例を記録します。


●研究史

 LGM(26000~21000年前頃)かに中期完新世(6000年前頃)への移行は、地球史における世界的な温暖化の最後の主要な期間でした。この期間に、全球平均海水準(Global Mean Sea Level、略してGMSL)は約135m上昇しました。このGMSLの上昇は、長期の永続的な上昇に重なる、融氷水波動(MWP)と呼ばれる短い(十年および百年ごとの)時間規模での急速な増加により特徴づけられました。短期および長期両方のGMSL上昇は、北半球と南半球だけではなく、アジア南東部の赤道付近の地域でも沿岸の景観を変えました。スンダランド大陸棚は、現在のマレー半島とスマトラ島とボルネオ島とフィリピン諸島を含む大規模な陸塊としてLGMからの移行前の5万年間露出しており、広大な地域の洪水と水没により影響を受けました。

 現生人類は、露出したスンダランド大陸棚に7万~5万年前頃以降(関連記事)居住してきました【ただ、5万年以上前の居住の証拠については、年代に疑問を呈す研究(関連記事)もあります】。これら初期住民の現在の子孫は、アンダマン諸島やマレー半島やタイやフィリピンの先住民部族で、それぞれアンダマン諸島人、マレー人、フィリピンのネグリートと呼ばれています。地元ではこれらの部族は、マレーシアにおいてオランセマン人(Orang Semang)と呼ばれているのに対して、アエタ人(Aeta、Ayta)およびアティ人(Ati)集団はフィリピンに居住する先住民の一部です。

 考古学的データから、これら先住民部族はマレー半島に継続的に居住してきた、と示唆されています(関連記事)。先行研究では、おもにミトコンドリアDNA(mtDNA)もしくはY染色体のデータと遺伝子型決定データ(関連記事)に基づく人口史の推測により、LGM以降の気候変化がスンダランドに居住する人口集団に影響を及ぼしてきた、と示唆されています。しかし、全ゲノム配列データセットにより提供された解像度の水準のみが、LGM後の海面上昇の前とその間に居住していた先住民集団の偏りのない人口史の研究を可能とします。

 本論文は、(1)アジア南東部および南部の高解像度の時空間的古地理学的地図を作成するためのLGM以降の海面上昇と、(2)ゲノムアジア10万人協会によるアジア南東部および南部の広範な民族一式から生成された、高深度のヒト全ゲノム配列データセット(関連記事)を用いて推測された人口史、両方の再構築を組み合わせます。スンダランド地域の自然史は、先史時代の赤道付近の人口集団への海面上昇の影響を論証します。アジア南東部および南部地域は、長期の現生人類の居住のため、その影響の理解にとくに適しています。重要なことに、アジア南東部は、LGMからの移行期に陸地の大きな縮小を経て、同時に、現在の先住民集団が継続的に暮らしてきた、地球上で唯一の地域です。したがって、本論文の高解像度の古地理学および人口集団ゲノム研究は、過去と現在の人口動態への古気候変化の影響を概説します。


●アジア南東部における急速な海面上昇

 ICE-6G_Cの全球氷史モデルとHetM-LHL140 3D Earthモデルを用いて、アジア南東部および南部の海面上昇率が500年単位で推測されます。その結果得られた古地形学的地図は、26000年前頃から現在までの時間範囲を網羅しています(図1)。GMSLは22000~6000年前頃に-122m~-1mに上昇した、と示されており、急速な海面上昇は2期(MWP1AとMWP1B)により区分されます(図1b)。22000~16000年前頃には、GMSLの上昇率は1年あたり5mm以下で、その後、14500~14000年前頃(MWP1A)に最大で1年あたり約46mmの上昇率に加速しました。GMSLは、完新世開始期の11500~11000年前頃(MWP1B)には1年あたり約22mmの上昇率で急速な増加が起きる前の3000年間には、1年あたり約10mmの上昇率が続きました(図1b)。本論文のモデルによると、初期完新世には、GMSLの上昇率は1年あたり約10mmから約3mmへと減少しました。アジア南東部および南部では、中期完新世は時期と規模で異なる高海水準により特徴づけられます。シンガポールでは、現在の海面と比較して、高海水準は5200年前頃には最大で約4mに達しました。以下は本論文の図1です。
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 アジア南東部における古地理学的変化を推測するため、陸地損失率としてLGM以降の土地被覆変化が計算されました(図1c・d・e)。スンダランド地域はLGMから中期完新世にかけて約50%減少した、と示されます(図1c)。アジア南東部では、陸域はMWP1A末までに約18%減少し、これにはフィリピンのパラワン州とボルネオ島との間の陸橋の破損を含み、両者は島となりました(図1c)。陸域はMWP1Bの末までにはさらに約19%減少し(図1c)、この時にはスマトラ島からマレー半島までの陸橋が壊れました。陸域は中期完新世の高海水準(6500年前頃)には最小にまで減少しました。その後、現在にかけて海面が低下し、陸域がわずかに(約2%)増加しました。


●人口構造と混合

 763個体についてゲノムアジア10万人協会により生成された高網羅率の全ゲノムデータは、参照集団としてのヨーロッパ人口集団を伴い、アジア南東部および南部に先住の59の民族集団に由来しました(図2a)。そのゲノムデータは、主成分分析(図2b)とADMIXTURE(図2c)を用いての、人口構造と混合で分析されました。その結果に基づいて、本論文の分析に含められたゲノムは11の人口集団へと分類されます(図2a・b・c)。アジア南東部については、5人口集団が特定され、それはジャラワ人(Jarwa)とオンゲ人(Onge)から構成されるアンダマン諸島人、ケンシウ人(Kensiu)とキンタク人(Kintak)から構成されるマレーシアのネグリート、アエタ人(Aeta)から構成されるフィリピンのネグリート、イゴロット人(Igorot)とトゥムアン人(Temuan)とセノイ人(Senoi)とムンタワイ(Mentawai)諸島およびニアス(Nias)島の先住民から構成されるオーストロネシア人、傣人(Dai)とキン人(Kinh)から構成されるアジア南東部本土人です。アティ人を除いて、アンダマン諸島人とネグリートの両集団は最小限の混合と高い均質性を示す、とさらに明らかになり、長期間の相互の空間的孤立が示唆されます(図2c)。アジア南部人については、アジア南部における4人口集団が検証されます。それは、インド・ヨーロッパ語族集団、ドラヴィダ語族集団、チベット・ビルマ語派集団、オーストロアジア語族集団です。以下は本論文の図2です。
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 重要なことに、アジア南東部本土集団とアジア南部のオーストロアジア語族集団の両方においてかなりのマレーシアのネグリート祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が特定されました(図2cの系統構成要素数が6~7)。後者はインド東部に暮らす部族的集団で、遺伝学的研究に基づくとインドの最初の住民と考えられています。主要なアジア南部人口集団へのマレーシアのネグリートの多様体のこの遺伝的寄与は、以下の5つの発見により裏づけられます。

 第一に、主成分分析(PCA)のPC1を反映するアジア南部人とアジア南東部人との間の区別について、アジア南部のオーストロアジア語族集団は、インド・ヨーロッパ語族およびドラヴィダ語族の他のアジア南部集団とより、マレーシアのネグリートの方と近くに位置します(図2b)。

 第二に、Admixture分析はマレーシアのネグリート(図2cの青色、系統構成要素数は6~7)祖先系統を、アジア南東部本土人(図2cの黄緑色)と一部のチベット・ビルマ語派話者集団(図2cの茶色)とアジア南部オーストロアジア語族話者集団(図2cの赤色)において特定します。X染色体と常染色体の混合分析の比較から、アジア南部オーストロアジア語族話者集団へのマレーシアのネグリートの男女の遺伝的寄与は異なる、と示されます。X染色体におけるマレーシアのネグリートの祖先系統の割合(1.3±2.8%)は常染色体(7.4±2.9%)より少なく、アジア南東部本土人へのマレーシアのネグリートの移住における男性への偏りの可能性が示唆されます。マレーシアのネグリートとアジア南部オーストロアジア語族話者集団との間の遺伝的寄与におけるこの性別(ジェンダー)の偏りは、片親性の遺伝的系統(母系のmtDNAと父系のY染色体)と一致します。先行研究では、アジア南部オーストロアジア語族話者集団におけるアジア南部人のY染色体ハプログループ(YHg)の拡散の兆候が見つかりました。

 第三に、祖先人口集団と混合人口集団の割合について最適モデルを推定できる、TreemixとqpGraphを用いて混合史が再構築されました(図3a)。qpGraphの結果は、ドラヴィダ人(71%)とマレーシアのネグリート(29%)の集団間の混合が、アジア南部オーストロアジア語族話者集団を表すのに最良の組み合わせである、と示します。アジア南東部本土人については、最適なのはオーストロネシア人(96%)とマレーシアのネグリート(4%)の組み合わせです。アジア南東部本土人と比較しての、アジア南部オーストロアジア語族話者集団におけるマレーシアのネグリートの大きな割合は、両人口集団間の混合を再度裏づけます。

 第四に、MSMC(Multiple Sequentially Markovian Coalescent、複数連続マルコフ合祖)分析が用いられ、経時的な有効人口規模の変化が推定されました。マレーシアのネグリートの人口規模における軽い漸進的な増加と比較して、アジア南部オーストロアジア語族話者集団における人口規模の劇的な増加は、アジア南部オーストロアジア語族話者集団への明確な系統の導入を示唆します(図3b)。したがって、両人口集団間の混合の方向性は、マレーシアのネグリートからアジア南部オーストロアジア語族話者集団だった可能性が高そうです。以下は本論文の図3です。
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 第五に、MSMC-IMにより推測された移住率に基づいて、混合事象の時期が推定されました。マレーシアのネグリートであるケンシウ人と、アジア南部オーストロアジア語族話者であるビルホル人(Birhor)集団の人口分岐後に観察された移住率増加は、両者間の混合を12000~9000年前頃と推定します(図3c)。同様に、ケンシウ人と傣人(アジア南東部本土人)の集団間の移住率の増加は、12000~8000年前頃の混合を示唆します(図3c)。対照的に、ビルホル人と他のあらゆるアジア南部人口集団(オーストロネシア人である傣人やイゴロット人)やアエタ人(フィリピンのネグリート)との間では、移住率の増加は観察されませんでした。したがって、アジア南部オーストロアジア語族話者集団で見られる混合の起源は、マレーシアのネグリート祖先系統を含んでいたアジア南東部本土人ではなく、マレーシアのネグリートです。アジア南部オーストロアジア語族話者とマレーシアのネグリートの集団間の混合は、11000~10000年前頃にオーストロネシア人とアジア南東部本土人が分岐した後にのみ起き得たもので、それは、ケンシウ人とイゴロット人との間に混合の兆候がないからです。したがって、混合の時期は10000~8000年前頃と予測されます。この推定時間範囲は、マレーシアのネグリートとアジア南東部本土人との間の混合と一致します。傣人でのMSMC-IMの結果は、キン人(KHV)集団を用いて再現されます。

 MSMC分析は、アジア南東部における人口構造の形成を示唆します。複数の人口集団の分岐は、ケンシウ人(マレーシアのネグリート)とアエタ人(フィリピンのネグリート)とイゴロット人(オーストロネシア人)および傣人(アジア南東部本土人)の共通祖先全体にわたって同時に15000~13000年前頃に起きました。これらの分岐は、急速な海面上昇のMWP1Aおよびスンダランドの洪水と一致し、フィリピン諸島が形成されました(図1d・e)。その後、イゴロット人と傣人は11000~10000年前頃に分岐し、それはMWP1Bとアジア南東部本土および中国南部の沿岸部の水没と同時でした(図1a・b・c・d)。急速な海面上昇は陸橋を進水させ、陸域を減少させて、その結果として、大規模な陸地使用の変化をもたらし、それには森林の減少と断片化が含まれます。したがって、海面の上昇と関連する古地理学的変化は、本論文で報告された人口分岐の重要な要因だった可能性が高そうで、現在のアジア南東部で見られる人口構造と遺伝的多様性をもたらしました。

 チベット・ビルマ語派話者集団は、ADMIXTUREの結果(図2c)で示されるようにマレーシアのネグリート祖先系統も小さな割合で含んでおり、PCA(図2b)ではアジア南東部人および東部人の近くに位置します。これは、アジア東部人との密接な関係のためである可能性が高そうです。チベット・ビルマ語派話者集団のqpGraphモデル化は、最適な2方向混合祖先としてドラヴィダ人(33%)とアジア東部人(67%)を示します。MSMC推定値に基づくと、チベット・ビルマ語派話者集団とアジア南東部本土人/アジア東部人との間の分岐はそれぞれ、比較的最近となる7000年前頃と8000年前頃に起きました。MSMC-IM推定から、チベット・ビルマ語派話者集団とアジア南東部本土人/アジア東部人との間の移住は3000年前頃まで続いていた、と示されます。したがって、チベット・ビルマ語派話者集団におけるマレーシアのネグリート祖先系統は、アジア南東部本土人との共通祖先に由来する可能性が高そうです。


●人口規模と人口密度の推定

 退氷期には、推定有効人口規模から、アジア南東部の人口集団はイゴロット人を除いて、LGMにおける人口規模と比較して、11000~6000年前頃までに4~7倍に拡大した、と示されます。アジア南東部島嶼部に居住したケンシウ人の有効人口規模は、退氷期のアジア南東部本土の傣人と比較して比較的大きかった、と示されます(図4e)。対照的に、アジア南東部島嶼部における陸域現象はより大きく、20000~11000年前頃にはアジア南東部本土の26%と比較して45%でした(図4a・b・c・d)。以下は本論文の図4です。
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 アジア南東部島嶼部の人口密度(有効人口規模を土地の大きさで割ったもの)はLGMから少なくとも8.6倍増加し、LGMと中期完新世との間の大半では、アジア南東部本土の密度よりも大きいものでした(図4f)。アジア南東部島嶼部の人口密度の増加はおもに、MWP1Bの後の11000年前頃となる完新世の始まりに起きた、人口拡大により促進されました。アジア南東部島嶼部における人口密度のこの増加は、アジア南東部本土、さらにはアジア南部へのマレーシアのネグリートの移住を促進した可能性が高そうです(図4c)。


●考察

 本論文の学際的な古地理学的および全ゲノムに基づく手法は、先行研究から得られた人口集団に関する海面変化の影響の理解を進めます。たとえば、フィリピンの人口集団に関する最近の研究(関連記事)では、LGM後の気候に駆動された変化が、アジア南東部島嶼部の人口分化を促進したかもしれない、と示唆されました。その研究では、人口分岐もしくは遺伝子型決定データセットを用いての混合の推定に基づくフィリピンへの人口移動の歴史が仮定され、その結果が古地理学的地図と関連づけられました。本論文は地理的領域と、アジア南東部やアジア南部を含む人口集団を拡大し、急速な海面上昇期にスンダランドに居住していた人々への古地理学的変化の影響に、より焦点が当てられました。さらに、三次元(横方向に不均一)の氷河均衡調整(glacial isostatic adjustment、略してGIA)モデルが、一次元(横方向に均一)GIAモデルの代わりに組み込まれ、海面変化の歴史が推測されました。それは、三次元構造がGIAモデル化において不可欠でひじょうら重要だからです。したがって、本論文は高い時間的解像度での海面上昇の大きな変化古人口統計学的事象と、高網羅率の全ゲノム配列データセットを用いての高解像度での同時に起きた人口史の両方を推測できました。

 本論文は、2つのMWPが人口分岐を促進した、と提案します。MWP1AおよびMWP1Bにおけるスンダランドの洪水は陸域を減少させ、パラワン州とボルネオ島とスマトラ島とマレー半島との間の陸橋を破壊しました。陸域の減少と分岐は、森林被覆の減少と断片化、大気と海洋の動態の変化も引き起こし、地域的な雨季の強化をもたらしました。人口分岐後、人口集団は海面上昇率の低下と公的な環境条件の時期に拡大した(図4e)、と本論文は示します。MWP1B以降の海面上昇率の減少は海岸線を安定させ(図1)、広範な沿岸湿地帯と泥炭地の形成につながりました。これらの条件下では、沿岸地帯の生産性が増加し、次に、ヒトにより消費される高栄養食料の利用可能性が改善しました。LGM以降に表面温度は約7度上昇し、海洋は温暖化して、湿度の上昇はアジア東部の雨季の強化につながりました。

 本論文の統合分析により、アジア南東部における急速な海面上昇期の人口密度を推定できます。増加する人口密度は環境変化の圧力を反映しており、アジア南部へのマレーシアのネグリートの移住の原動力になったかもしれません(図4)。古代の混合は、アジア南東部における最初の移住者の逆移住により、アジア南部の最初の住民で起きました。遺伝学および言語学の分析を用いた先行研究は、アジア南部と南東部のオーストロアジア語族話者集団間の混合の可能性を調べました。その結論は、オーストロアジア語族話者の起源について、不明確か矛盾していました。そうした先行研究の一つは、アジア南部のオーストロアジア語族話者集団で見られるアジア南東部人との混合の起源は傣語話者だった、と推測しました。

 したがって本論文は、傣人集団をアジア南東部本土人としてMSMC分析に含めますが、この人口集団は中国のシーサンパンナ(Xishuangbanna)・傣族自治州に由来し、この地域はビルマ(ミャンマー)およびラオスとの国境沿いの地域です。本論文のデータセットにおけるこの傣人集団は、包括的なタイ人集団のデータセットと合わせての分析により、ほとんどのタイ人集団と類似の祖先系統構成を有している、と本論文は示します。この分析結果は補足データの図11に示されます。

 本論文は、傣人集団ではなくマレーシアのネグリートが、混合の起源と特定しました。MSMC-IM推定値は、ケンシウ人(マレーシアのネグリート)と傣人との間の遺伝子流動と、ケンシウ人とビルホル人(アジア南部オーストロアジア語族話者集団)との間の遺伝子流動の仮説を裏づけますが、ビルホル人と傣人との間の遺伝子流動を裏づけません。さらに、マレーシアのネグリートからアジア南部オーストロアジア語族話者集団へのqpGraphに基づく遺伝子流動の推定割合(29%)が、マレーシアのネグリートからアジア南東部本土人への遺伝子流動の推定割合(3%)より高いことも示されました。アジア南部オーストロアジア語族話者集団へのマレーシアのネグリートの混合は、マレーシアのネグリート祖先系統を含むアジア南東部本土人経由ではなく、マレーシアのネグリートから直接的だった可能性が高そうです。混合の起源に関する本論文の新たな発見はおそらく、ネグリート集団と全ゲノムデータセットを用いての高解像度分析を含む、広範なデータセットのためです。

 重要なことに、アジア南部オーストロアジア語族話者集団へのアジア南東部祖先系統の古代の遺伝子流動と、関連する時間推定値は、本論文の分析によってのみ明らかにされます(図3c)。アジア南東部本土人とマレーシアのネグリートとの間の混合の発見は、マレーシアのネグリートのインドシナ半島西部海岸沿いの移住経路を示唆しており、これは1日2時間の歩行と仮定すると1年半から2年を要した、と推定される旅です。このように、マレーシアのネグリートは海面上昇の最初の犠牲者かもしれず、過去7万~5万年間にわたってスンダランド全域に人口集団を確立した後で、LGM以降に居住可能領域の50%を失いました。これまで知られていませんでしたが、その強制的な移住はアジア南部人に顕著な遺伝的足跡を残し、それにより現在最大で増加しつつある人口集団の一つの遺伝的構成に寄与しました。


参考文献:
Kim HL. et al.(2023): Prehistoric human migration between Sundaland and South Asia was driven by sea-level rise. Communications Biology, 6, 150.
https://doi.org/10.1038/s42003-023-04510-0

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