最古となるオルドワン石器(追記有)

 最古となるオルドワン(Oldowan)石器を報告した研究(Plummer et al., 2023)が公表されました。日本語の解説記事もあります。本論文は、現時点では最古となりそうなオルドワン石器と屠殺の痕跡を報告している点でもひじょうに意義深いと思いますが、石器を製作したのがパラントロプス属である可能性を指摘している点でもたいへん注目されます。もちろん、パラントロプス属と初期ホモ属もしくは初期ホモ属の直接的な祖先集団が共存しており、後者のみが最初期の石器製作の担い手だった可能性もあります。

 現時点で最古の石器は、ケニアの西トゥルカナ(Turkana)のロメクウィ(Lomekwi)3遺跡で発見された330万年前頃のもので、ロメクウィアン(Lomekwian)と分類されています(関連記事)。本論文により、ロメクウィアンとオルドワンとの時間的な空隙は狭まった、と言えそうですが、ロメクウィアンからオルドワンへの連続的な石器技術の継続を指摘する見解はまだないようなので、オルドワンの起源については不明です。おそらく、350万年前頃かそれ以前から、(複数の?)人類系統において石器を製作する試みがあり、ロメクウィアンもそうした試みの一環で、オルドワンとは直接的な技術的関係はなく、オルドワンは300万年前頃かそれ以前の石器製作の試みから発展したのでしょう。

 また、パラントロプス属の分類については議論があり、現時点で有力な見解では、アフリカ東部のパラントロプス・エチオピクス(Paranthropus aethiopicus)およびパラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)と、アフリカ南部のロブストス(Paranthropus robustus)の3種に分類されていますが、この3種がクレード(単系統群)を形成するのか、疑問も呈されています(関連記事)。つまり、アフリカ南部のアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)→パラントロプス・ロブストスの系統と、アフリカ東部のアウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)→パラントロプス・エチオピクス→パラントロプス・ボイセイの系統に分かれるのではないか、というわけです。


●要約

 最古のオルドワン石器の遺跡は260万年前頃となり、これまではエチオピアのアファール三角地帯(Afar Triangle)に限られていました。本論文は、3032000~2581000年前頃となるケニアのニャヤンガ(Nyayanga)遺跡を記載し、最古のオルドワン石器の分布を1300km以上拡大しました。さらに、斑状の植生とC4グレーザー(体重900kg以上となる、おもに草本を採食する動物)が優占する動物相と関連する、カバ科の屠殺場が2ヶ所見つかりました。剥離の技量はより新しいオルドワン石器群と同等でしたが、打撃活動がより一般的でした。石器の摩耗や骨の損傷は、植物と動物組織の処理を示唆します。ケニア南西部では初となるパラントロプス属種(Paranthropus sp.)の歯は、C4植物性食料に富んだ食性を示唆する炭素同位体値を有していました。最古のオルドワンはこれまで知られていたよりも広く分布しており、大型動物を含む食料処理に用いられ、その始まりからパラントロプス属と関連していた、と本論文は主張します。


●本文

 260万年前頃となるオルドワン石器の出現は、体系的に製作された、解体のための鋭い刃の剥片と、打撃のための礫石器もしくは石核を用いた、技術的躍進でした。オルドワンはホモ属の所産とされることが多いものの、複数の人類の分類群が時間的および地理的にこれら初期の道具と重なっており、パラントロプス属など他の属がオルドワン石器を製作および/もしくは使用したかもしれません。オルドワン技術の出現を、栄養の豊富な動物死骸の最初の利用もしくは効率的な処理と関連づける研究者もいます。一方、植物性食料の処理が初期オルドワン石器のおもな目的で、肉食(および石器での屠殺)の増加が200万年前頃の行動一覧に追加された、と主張する研究者もいます。

 オルドワン技術の出現と関連する進化上の利点は不明確で、それは、後期鮮新世のオルドワン遺跡が少なく、これまで、それぞれ約50km離れた場所で見つかったゴナ(Gona)とレディゲラル(Ledi-Geraru)の、エチオピアのアファール三角地帯でのみ知られていたからです(関連記事)。本論文はケニアのニャヤンガの3032000~2595000年前頃の堆積物を報告し、これは最古のオルドワンの地理的範囲を1300km以上、パラントロプス属の範囲をケニアの南西へ約230km拡大します。考古学的発見から、人類は大型動物などさまざまな動物の屠殺と、オルドワンの始まりにおける多様な植物の処理のために道具を用いていた、と論証されます。

 ニャヤンガ(南緯0度23.909分、東経34度27.115分)はホマ半島の西海岸線に位置する考古学的および古生物学的な遺跡です(図1A)。ホマ半島はヴィクトリア湖のウィナム湾(Winam Gulf)の南縁に位置し、アフリカ東部地溝帯系の2つの主要な支流の間の東西方向のニャンザ(Nyanza)地溝帯内にあります。ホマ半島はホマ山の火成岩複合が優占し、その側面には沖積の河川作用で形成された湖の堆積物できたがあり、その年代範囲は600万年前頃から現在に及びます。ニャヤンガの堆積物は、4万m²の円形地と500mの上り坂をとだれる小峡谷に露出しています。発掘と表面採集は最古層の上半分に焦点が当てられ(図1、NY-1)、そこではオルドワン人工遺物やパラントロプス属の化石や動物相化石が、西方に流れる古水路からの反乱堆積物で見つかりました。以下は本論文の図1です。
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 ニャヤンガ層の年代は、燐灰石結晶の(ウラン・トリウム)/ヘリウム年代測定、磁気層序学、ホマ山の北側に堆積したラウィFm(Rawi Fm)との岩石層序相関、生物層序学により制約されます。燐灰石結晶の(ウラン・トリウム)/ヘリウム年代測定は、NY-1の2ヶ所の凝灰質沈泥から、287万±79万年前と298万±50万年前と得られました。磁気層序学的標本抽出が、発掘第3地点の坂と試掘坑第9地点および第11地点で行なわれました(図1)。ニャヤンガの層序はユニットAでは逆磁極、底部から中間のNY-1では中間・正常から正磁極、NY-1中間からNY-2を通じては正磁極、NY-3の底部では中間的な正磁極、NY-3の上部では逆磁極です(図1)。燐灰石結晶の(ウラン・トリウム)/ヘリウム年代から、正磁極の間隔は3032000~2595000年前頃のC2An.1n期間に相当する、と示唆されます。これは、C2An.1n期間に堆積したラウィFmとの、ニャヤンガ層の層序岩石学的相関によっても同様に示唆されました。

 生物層序は後期鮮新世と一致し、イノシシ亜目種(Metridiochoerus andrewsi)およびテトラコノドン亜科種(Notochoerus cf.)というイノシシ科2種が、200万年前頃となる近隣のカンジェラ・サウス(Kanjera South)遺跡や、ウマ亜科種(Eurygnathohippus sp.)化石のみで標本抽出されているウマ類より古い、という事例を含みます。ウマ亜科種(Eurygnathohippus sp.)はアフリカ全域にわたるウマ属の230万年前頃より早い年代を示唆します。1σの広い不確実性を認めると、燐灰石結晶の(ウラン・トリウム)/ヘリウム年代と生物層序とNY-1下部の磁気層序の移行的性質の組み合わせは、C2An.1n期間の時間的範囲における初期の堆積を支持します。

 NY-1の上半分から330点の人工遺物が回収され、そのうち135点は発掘区画3および5からその場で、195点は表面から回収されました。石核や剥片の大きさ、石核の剥片痕跡の数など、これらの石器の全体的な技術的特性は、他のオルドワン石器群と類似しています(図2A)。ニャヤンガの人類は、他のオルドワン遺跡群での技術(関連記事)に匹敵する、片面と両面と多面の縮小を用いて、効率的に石核から剥片を除去しました。打撃損傷を伴う自然面剥片と叩き石の存在は、硬い槌での打撃を通じてのその場での剥片を製作と一致します。人工遺物はさまざまな石材から製作され、流紋岩や石英岩や石英などが含まれます。ニャヤンガ石器群は、高頻度(20.6%、68点)の石核(図2B)と、打撃活動の証拠を保全している人工遺物(図2C)の大きな割合(7.0%、23点)含んでいる点で異なります。以下は本論文の図2です。
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 合計1776点の骨が、発掘区画3(1580点)および5(196点)においてその場でNY-1から回収されました。発掘区画3および5で最も一般的な分類群はカバ科で、同定された標本数(the number of identified specimens、略してNISP)では、発掘区画3では57.1%、発掘区画5では61.9%となり、それに続くのがウシ属です(NISPでは、発掘区画3では19.2%、発掘区画5では22.2%)。カバ科やカメやクロコダイルやヨシネズミ科など、水辺の生息地を好む動物の発掘地点での高頻度は、水辺の堆積状況を反映しています。骨の表面の保存状態はひじょうに違いがありましたが、区画3および5両方での発掘における標本の85%以上は、風化がないか最小限だと示しており、これは河川堆積物の急速な埋没の結果と一致します。

 カバ科の屠殺は発掘区画3および5の両方で記録されています。発掘区画3では、カバ科が少なくとも2個体回収されました。より完全な個体は骨格全体にわたる241点の骨の断片で構成されており、死亡場所を示している可能性が高い、大きな軸骨の集中が含まれます。石器(42点)はその骨格と密接に関連しており、カバ科の骨と直接的に物理的に接触して回収された石器が数点あります。さまざまな骨の保存状態にも関わらず、カバ科の肋骨の断片は明らかに保存された内部の線条がある深い解体痕を示し、3点の石器剥片(離れた断片)は屠殺を示唆する使用痕を示します。

 発掘区画5では、単一個体の可能性が高いカバ科の骨39点が、14点の人工遺物と空間的に関連して発見されました。骨の一まとまりは、肢体要素(肩甲骨や寛骨)や四肢様相(脛骨の近位半分や踵骨)や剥片や打撃損傷のある割れた礫石器で構成されています。脛骨の前部結節には、一連の4点の短くて平行な解体痕があります(図3A)。骨の第二のまとまりは第一のまとまりから2m離れており、壊れた上腕骨と剥片と肋骨の断片と搬入礫で構成されています。これらの骨は非解剖学的に置かれ、一部は人類の損傷を受けており、細かい沈泥では人工遺物(屠殺を示唆する使用摩耗)と関連していて、骨は人類が死骸を屠殺しながら動かしたかもしれない、と示唆されます。以下は本論文の図3です。
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 非カバ科分類群の道具で損傷した骨も発掘で見つかり、円形地でNY-1から浸食されました。発掘区画5のカバ科とほぼ同じ層の状況から、解体痕のある3点のウシ属の肩甲棘断片が浸食されて見つかりました(図3C)。解体痕もしくは打撃損傷のあるNY-1の他の骨から、人類は肉と骨髄の両方を消費していた(図3D)、と示され、これは使用摩耗分析により裏づけられる発見です。発掘からの人類による損傷の全体的な頻度は低く、発掘区画3では0.9%、発掘区画5では1.9%です。これは部分的に、化石の多くや肋骨断片の表面保存状態の悪さを反映しています。

 NY-1で発見された30点の石英と石英岩と花崗岩と火成岩と流紋岩の石器で観察された使用摩耗は、動物遺骸と植物組織の人類による加工を確証します。6点の打撃片と17点の拍伸された破片(石核)で見つかった使用摩耗は、打撃活動と関連する巨視的および微視的な痕跡を示します。打撃用の石器がよく使われ、低倍率と高倍率で深い穴と発達した研磨と細い溝を示し、現代の実験に基づくと、それは少なくとも現れるまでに数時間を要します。実験的類似物に基づくと、ニャヤンガにおける石英岩と流紋岩の打撃用石器は、柔らかい植物組織(柔らかい塊茎や野菜や果物など)や硬い植物組織(繊維質の塊茎や木質部分など)の処理に用いられました。6点の分離した破片(剥片)と1点の剥離された断片の解体および削り取りと関連した巨視的および微視的痕跡から、類似の物質が切断されと叩かれていた、と示されます。発掘区画3から得られた5点の石英の分離した破片は、地下貯蔵器官や木材や動物の処理を示します。発掘区画5から得られた流紋岩の剥離した断片とおよびNY-1で表面採集された分離した断片も、屠殺と関連する使用摩耗を有していました。

 土壌生成炭酸塩の安定炭素同位体分析、歯のエナメル質の同位体の使用による食性再構築、ウシ属分類群の頻度から、人類の活動が、豊富なC4草地と草本植物により特徴づけられる、中湿性のサバンナ生物群系内の河川水路に去った、樹木の茂った草原から草の茂った森林か、低草原地帯か、灌木地で起きた、と示唆されます。類似のC4グレーザーが優勢な生態系は、エチオピアの280万年前頃となるレディゲラル遺跡(関連記事)と280万~240万年前頃となるミレ・ロギャ(Mille-Logya)で記録されており、パラントロプス属とホモ属両方の初期の代表的化石がかなり開けた生態系で見つかった、と示唆されます。水辺の環境、近くの淡水泉、開けた生息とのある移行帯は、ニャヤンガの人類に多様な動植物の食料と岩陰と飲料水を提供しました。

 NY-1の地層で発見された人類個体は、パラントロプス属種に分類されました(図4)。一方の標本(KNM-NG 77315)は、表面採集の比較的完全な左側上顎大臼歯、おそらくは上顎第二大臼歯(M2)で、歯冠領域はパラントロプス・ボイセイ(Paranthropus boisei)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)標本の範囲を超えます。もう一方の標本(KNM-NG 77316)は左側下顎大臼歯、おそらくは下顎第一大臼歯(M1)のほぼ完全な舌側で、発掘区画3で見つかり、空間的にはオルドワン人工遺物および屠殺されたカバ科化石と関連しています。ニャヤンガのパラントロプス属の歯は平均的な炭素13同位体エナメル質値が–0.7±0.4‰で、これはC4食料への高い依存度を論証します。したがって、C4専門食性の出現は、パラントロプス属の進化の比較的初期の頑丈な咀嚼形態(大きな犬歯後方の歯、つまり小臼歯と大臼歯)の、少なくとも一つの重要な側面の出現と一致します。以下は本論文の図4です。
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 発掘区画3のカバ科屠殺場で発見されたパラントロプス属の大臼歯(KNM-NG 77316)は、人工遺物との人類化石の明確な関連であり、パラントロプス属が石器を製作した、および/もしくは石器を共同で使った、という可能性を提起します。頭蓋形態は保存されていませんが、ニャヤンガのパラントロプス属は歯が大きく、切断能力の低い平坦な大臼歯を有していました。しかし、その特殊化した顎の形態は、道具使用を排除しないかもしれません。石器での口外の切断や打撃は、死骸や骨の中の栄養素への利用可能性を提供して、植物と動物の組織を噛んで消化するのに容易にし、パラントロプス属の食性を拡大したかもしれません。ニャヤンガでは見つかっていませんが、ホモ属もニャヤンガの堆積物の頃にアフリカ東部に存在したので(関連記事)、ニャヤンガの人工遺物は特定の人類属に決定的に帰属させることができません。

 3032000~2581000年前頃と年代測定されたニャヤンガの堆積物から、オルドワンはその開始期に以前に知られていたよりも地理的に広く分布していた、と示され、これはアフリカ北部における240万年前頃の最近報告されたオルドワン遺跡(関連記事)と一致する発見です。ニャヤンガの人工遺物は、大型哺乳類と植物組織の切断と削り取りと打撃に用いられ、オルドワン石器はさまざまな種類の食料を利用するための多様な活動に用いられた、と論証されます。200万年前頃までに、オルドワン遺跡群はアフリカの北部かに南部まで、草地と樹木の茂った両方の環境で見られ、この技術の重要な特性は、多様な生息地におけるさまざまな物理的特性の食料を処理する柔軟性だった、と示唆されます。

 ニャヤンガで保存された行動は、大型動物の死骸と植物の処理の以前の証拠より少なくとも60万年さかのぼり、200万年前頃以後のホモ属で記録されている絶対的な脳の大きさの増加にかなり先行します(関連記事)。後期鮮新世は最古のオルドワンの地理を拡大し、多様な作業におけるオルドワン石器使用の新たな証拠は、人類の食性と採食生態学における初期石器技術の適応的利点に関する理解を深めます。


参考文献:
Plummer TW. et al.(2023): Expanded geographic distribution and dietary strategies of the earliest Oldowan hominins and Paranthropus. Science, 379, 6632, 561–566.
https://doi.org/10.1126/science.abo7452


追記(2022年2月15日)
 ナショナルジオグラフィックでも報道されました。

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