中世ヴォルガ・オカ河間地域における遺伝的混合と言語の変化
中世ヴォルガ・オカ河間地域における遺伝的混合と言語の変化に関する研究(Peltola et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ロシア北西部のヴォルガ・オカ(Volga-Oka)河間地域には、紀元後における人口流入と言語変化の興味深い歴史があります。現在、この地域のほとんどの住民はロシア語を話していますが、中世までは、ロシア北西部にはウラル語族言語を話す人々が居住していました。スラブ語派への漸進的な変化は千年紀後半にスラブ人部族の拡大とともに始まり、9世紀後半におけるキエフ大公国の創立に至りました。中世のキエフ大公国は多文化と多言語で、歴史記録では、その北部地域はスカンジナビア系移民により支配されたスラブ系とウラル系の人々で構成されていた、と示唆されています。10~11世紀には、キリスト教とキリル文字の導入によりスラブ語の地位が上昇し、ウラル語族からスラブ語派への言語転換が促進されました。これは最終的に、ロシア北西部からのウラル語族言語の消滅につながりました。
本論文は、ヴォルガ・オカ河間地域のスーズダリ(Suzdal)地域の古代人30個体のゲノムと安定同位体値の1500年間の時間横断区を調べます。本論文は、以前には標本抽出されていなかった局所的人口集団と、その後数世紀の漸進的な遺伝的置換を説明します。本論文の時間横断区はスラブ語派言語の拡大と関連する人口変化を把握し、この地域に現在居住する、混合しているものの完全にスラブ語派言語を話す人口集団の形成に最終的にはつながる、中世スーズダリ公国の民族的に混合した状態を示します。交易と戦争を通じての長期の接触拠点としての中世におけるスーズダリ地域の重要性を浮き彫りにする、遺伝的外れ値も観察されます。
●研究史と標本
人口集団間の遺伝的混合は、その後の世代のゲノムに痕跡を残していますが、言語的接触は言語の変化として現れます。ヒトの歴史では、言語の拡大は人々の移動と一致することが多かったものの、それぞれは他方なしに起きる可能性があります。したがって、言語の現在の分布もしくは遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)構成要素にのみ基づく過去の人口集団の接触の推測は、誤解を招く可能性があります。古代DNA研究により、経時的なある人口集団の遺伝子プールの変化の直接的観察、および遺伝学と考古学と歴史言語学のデータ間の相関の解決が可能となります。
現代人のゲノムに関する研究では、バルト海からシベリア西部に至るほとんどの現在のウラル語族話者は現代シベリア人的祖先系統構成要素を共有している、と示されてきました(関連記事)。ウラル語族言語の現在の空間分布における一つの注目すべき特徴は、ヨーロッパロシア北西部と中央部における間隙です(図1A)。歴史言語学的証拠からの証拠では、ウラル語族話者はスラブ人の拡大前にこの地域【現在のウラル語族分布の間隙】にも居住しており、歴史資料はこれらの集団の多くを示している、と示唆されます。言語拡大にも関わらず、ロシア北西部の現代人は、そのウラル語族話者の隣人との顕著な類似性を示し、先行するウラル語族話者人口集団からの遺伝的寄与が示唆されます。
本論文は、ヴォルガ・オカ河間地域のスーズダリ地域に位置する6ヶ所の遺跡の古代人32個体を、DNA配列決定と放射性炭素年代測定の使用により調べます(図1A・B)。その6ヶ所の遺跡とは、3~4世紀となる鉄器時代文化を表すボリショエ・ダヴィドフスキョエ2(Bolshoye Davydovskoye 2、略してBOL、9個体)、大規模な中世(10~12世紀)集落の埋葬遺跡であるシェクショヴォ9(Shekshovo 9、略してSHE、9個体)、シェクショヴォ9遺跡と同じ集落のその後となる12~13世紀の埋葬地であるシェクショヴォ2(Shekshovo 2、略してSHK、2個体)、キボル3(Kibol 3、略してKBL、3個体)の中世の後(18世紀)となる埋葬、15~18世紀となるキデクシャ(Kideksha、略してKED、4個体)、14世紀となるクラスノエ3(Krasnoe 3、略してKRS、1個体)です。さらに、ウラジミール(Vladimir)地域東部のゴロホヴェツ(Gorokhovets)の町から、12~13世紀となる1個体のクルガン(墳丘)埋葬(GOR)と、3個体の中世(12~13世紀)の平坦埋葬(GOS)が含められました。ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡とシェクショヴォ2および9遺跡の個体の炭素と窒素の安定同位体比も測定され、食性と生活様式の変化が再構築されました。
●鉄器時代から中世への移行におけるヴォルガ・オカ地域の遺伝的変化
120万ゲノム規模標識の溶液内捕獲を用いて、充分なDNA保存のある31標本から0.06~4倍の標的網羅率が得られました。現代人の遺伝的差異の文脈でこの標本を調べるため、主成分分析(PCA)が実行されました。ユーラシア規模のPCAでは、PC1軸はユーラシア西部をアジア東部から分離し、それはPC2軸により分離された3つの遺伝的勾配により接続されています(図1C)。これらの勾配はほぼ、ユーラシア中央部の生態地域に対応しています。
最上部の勾配は森林ツンドラ生物群に従い、ほとんどのウラル語族話者はその勾配に位置します(関連記事)。ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡の鉄器時代個体群は、その地理と一致してこの勾配に位置し、白海沿岸、つまりアルハンゲリスク(Arkhangelsk)地域のロシア人と現在のヴォルガ人口集団との間となります。ADMIXTUREの結果でも、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡の個体群はほとんどの現在のウラル語族話者のようにシベリア祖先系統を有していた、と示されました(図1C)。この祖先系統構成要素は、タイミル半島の現在のガナサン人(Nganasan)で最大化されますが、過去にもっと広がっていたかもしれません。以下は本論文の図1です。
シェクショヴォ9とゴロホヴェツとキボルとキデクシャとクラスノエの鉄器時代後の標本は、PCAではボリショエ・ダヴィドフスキョエ集団よりもヨーロッパ西部クラスタ(まとまり)の近くに位置し、鉄器時代後の遺伝的変化が示唆されます(図1C)。しかし、中世の個体のほぼ半分が依然としてボリショエ・ダヴィドフスキョエ個体群の近くに位置する一方で、残り半分は現在の東スラブ人とクラスタ化します(まとまります)。このパターンは、その時点での2つの異なる人口集団の継続的な混合もしくは存在を示唆します。中世の後の個体群は、ほぼヨーロッパロシア南部から中央部の現代人の間に位置し、その先行者のように祖先系統における同様の差異を示しません。
食性同位体分析の結果も、鉄器時代(IA)と中世(MA)との間の変化を反映しています。ボリショエ・ダヴィドフスキョエ個体群が高度なタンパク質消費とC4植物利用(キビの可能性が高そうです)を示したのに対して、シェクショヴォ9個体群はC3植物に基づく食性でした。シェクショヴォ9標本の遺伝的分散にも関わらず、同位体値はこの集団内の類似の食性を示唆します。
下流分析では、本論文の標本は考古学的文脈と放射性炭素年代とPCAおよびADMIXTUREの結果に基づいて、4分析クラスタに割り当てられました。それは、鉄器時代(ヴォルガオカ_IA、7個体)、中世の鉄器時代的集団(ヴォルガオカ_MA1、4個体)、中世のヨーロッパ東部的集団(ヴォルガオカ_MA2、6個体)、キデクシャ遺跡とキボル遺跡の中世の後の個体群(ヴォルガオカ_H、4個体)です。2点の標本は、他の個体との密接な遺伝的近縁性のため、分析クラスタから除外されました。1点の標本は汚染のため、7点の標本は遺伝的もしくは年代的に外れ値だったため、分析クラスタから除外されました。
●鉄器時代ヴォルガ人口集団はシベリアとの遺伝的類似性を示します
本論文の分析クラスタと現在の人口集団との間で共有されるアレル(対立遺伝子)を測定するため、外群f3統計が計算されました。その結果は、全ての分析クラスタについてリトアニア人との高水準のアレル共有を示唆します。各分析クラスタについて、f4統計(ムブティ人、現代人集団;分析クラスタ、標的)の計算により、関連する現在の人口集団(標的)との関連性の対称性(クレード性)が検証されました(図2A)。その結果、とヴォルガオカ_MA2が非ロシア人の東スラブ人(ベラルーシ人、ウクライナ人、北ウクライナ人)およびリャザン(Ryazan)地域の現在のロシア人とクレード(単系統群)になるのに対して、ヴォルガオカ_Hはリャザン地域のロシア人とのみクレードになる、と分かりました。ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1は検証された標的のどれともクレードになりませんでしたが、アルハンゲリスク地域の現在のロシア人とは有意にゼロではない推定値の数が最小で、ヨーロッパロシア北部人がその最も密接な同時代の近縁である、と示唆します。以下は本論文の図2です。
クレード性検定は、ユーラシア東部人とヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1との間のアレル共有境界を明らかにしました(図2A)。その境界はほぼウラル山脈に対応しています。ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1は、現在のリトアニア人よりも、ウラル東方の人口集団と有意に多くのアレルを共有していました。ガナサン人はヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1の両方で最低のf4推定値を示し、観察された東方の類似性が、ADMIXTURE分析で見られた同じシベリア祖先系統に由来する、と示唆されます。アレル共有における同様ではあるもののより微妙なパターンはヴォルガオカ_Hでも観察されましたが、ヴォルガオカ_MA2では観察されず、ヴォルガオカ_MA2は追加のシベリア祖先系統を有していない、と示唆されます。
代理として青銅器時代(BA)のシベリア南部の標本(関連記事)を用いて、対象となる人口集団におけるシベリア祖先系統との相対的類似性を調べるため、f4(ムブティ人、クラノヤルスク・クライBA;検証、リトアニア人)が計算され、「検証」は選択された現代および古代の人口集団で代用されて、本論文の分析クラスタが含められました。その結果、クラノヤルスク_クライ(Krasnoyarsk_Krai)BAとのアレル共有の観点では、ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1は、アルハンゲリスクおよびヴォログダ(Vologda)の北ロシア人、ヴェプス人(Veps)、カレリア人、フィンランド人、モルドヴィン人(Mordovian)同じ範囲に位置する、と示されます(図2B)。
ヴォルガ・オカ地域は、中石器時代にヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)が居住していた地域に近接しています。このEEHG集団は後の多くの人口集団にその祖先系統をもたらしました。EEHGとの相対的な類似性を調べるため、f4(ムブティ人、EEHG;検証、リトアニア人)が計算されました。その結果、ヴォルガオカ_IAとエストニアBAとロシア_コラ(Kola)_BAにおける過剰なEEHG祖先系統が示唆されましたが、その共有はロシア_コラ_BAでのみ統計的に有意でした(図2B)。
●ロシア中央部人口集団は局所的混合の産物として形成されました
本論文の分析クラスタと他の関連する人口集団の祖先系統組成をモデル化するため、qpAdmが用いられました。まず、全ての集団にわたって5供給源で一貫した遠位モデルが構築され、続いて各分析クラスタについて近位モデルが構築されました。この5供給源とは、クラノヤルスク_クライ_BA、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、EEHG、ヤムナヤ_サマラ(Yamnaya_Samara)、線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)集団であるヨーロッパ新石器時代農耕民(LBK_EN)です。
遠位モデルでは、ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1と現在のウドムルト人(Udmurt)だけが、全ての5供給源と最適でした(図3A)。ほとんどの人口集団では、EEHG なしの4方向モデルの方がより適していました。フィンランドのレヴァンルータ(Levanluhta)IAとロシア_コラ_BAもEEHG祖先系統を有していましたが、ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1とウドムルト人とは異なり、WEHGおよび草原地帯祖先系統なしで最良にモデル化されました。EEHG構成要素はシェクショヴォ2遺跡の外れ値にも存在しますが、本論文のモデルはユーラシア北部から西部の人口集団を標的としており、これらの外れ値には意味のある結果を提供できない可能性に要注意です。以下は本論文の図3です。
ヴォルガオカ_IAに寄与したかもしれない時間的もしくは地理的に近位の人口集団を特定するため、いくつかの可能性のあるモデルが検証されました。この地域の標本抽出が疎らなので、代理供給源が用いられました。シベリア祖先系統の供給源としてロシア_コラ_BAが用いられ、それは、ロシア_コラ_BAが、ヴォルガオカ_IAで検出されたシベリアおよびEEHG両方の構成要素を有していたからです。西方供給源として、古代のバルト海人口集団とファチャノヴォ(Fatyanovo)文化集団が検証され、草原地帯祖先系統については、周辺地域の鉄器時代と中期~後期青銅器時代の草原地帯集団が用いられました。
最適なモデルでは、ヴォルガオカ_IAはその祖先系統のうち、ほぼ半分をバルト海鉄器時代個体群(紀元前800~紀元後50年頃)と、25%をロシア_コラ_BA関連と、25%を鉄器時代草原地帯関連と共有していた、と示唆されました。したがって、ヴォルガ・オカ河間地域は、いくつかの方向からの遺伝子流動の交差点に位置していたようであるものの、要注意なのは、スーズダリ鉄器時代の遺伝子プールにおけるこれら構成要素の近位起源が他にある可能性です。興味深いことに、ファチャノヴォ文化集団はどの検定モデルでもヴォルガオカ_IAに適した祖先系統供給源を提供せず、青銅器時代にヴォルガ・オカ地域に居住していたファチャノヴォ文化の人々からの遺伝的寄与の欠如が示唆されます。
次に、供給源としてヴォルガオカ_IAを用いて、初期スラブ人とウラル語族話者の集団間の中世の混合がモデル化されました。初期スラブ人の古代DNAデータが欠けているので、スラブ祖先系統に近接するため現代の人口集団が検証されました。それは、東スラブ人のベラルーシ人とウクライナ人と北ウクライナ人、西スラブ人のポーランド人とソルブ人です。東スラブ人は一般的に、西スラブ人よりもスラブ祖先系統のより良好な供給源を提供しました。ヴォルガオカ_MA2は単一の供給源としてスラブ人で有意にモデル化できる、と分かり、ヴォルガオカ_MA2は混合していない初期スラブ人集団を表している、との見解を裏づけます(図3B)。対照的に、ヴォルガオカ_MA1はヴォルガオカ_IAからのかなりの寄与を必要としました。中世の後となるヴォルガオカ_Hも、ヴォルガオカ_IA関連祖先系統を必要しましたが、より少ない割合でした。あるいは、ヴォルガオカ_Hはヴォルガオカ_MA1クラスタとヴォルガオカ_MA2クラスタの混合としてモデル化でき、局所的混合と一致します。このモデルによると、スラブ人的なヴォルガオカ_MA2は中世の後の人口集団に祖先系統の約70%を寄与しました。
上述の混合モデルを個体水準に拡張し、鉄器時代の後の個体について混合割合の差異が評価されました。クラスタ水準のモデルと一致して、ヴォルガオカ_MA2に分類されたほとんどの個体は、ヴォルガオカ_IA祖先系統なしでモデル化できました。しかし、ヴォルガオカ_MA1に分類された個体は全て、ヴォルガオカ_IA祖先系統のさまざまな割合(35~75%)を有していました。
最後に、DATESを用いて、本論文の分析クラスタへのシベリア祖先系統の到来が年代測定されました。シベリアとヨーロッパの祖先系統の代理として、ガナサン人とリトアニア人が用いられました。ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1はそれぞれ、青銅器時代と鉄器時代に対応する混合時間を有していました。一方、ヴォルガオカ_MA2とヴォルガオカ_Hは、より最近の混合時間を有していました。平均混合年代(1世代29年と仮定)はそれぞれ8世紀と9世紀で、ヴォルガ・オカ地域における仮定されたスラブ人の入植開始とよく一致します。
●外れ値は中世スーズダリのつながりを浮き彫りにします
データセットでいくつかの遺伝的外れ値が検出されました。ユーラシア西部人のPCAでは、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡の1個体(BOL006)は、主要なヴォルガオカ_IA群よりもその後に続く中世人の近くに位置します。同様にシェクショヴォ9遺跡の1個体(SHE008)は、シェクショヴォ9遺跡の残りの個体よりも、ヨーロッパ中央部および西部人の近くに位置します。最も驚くべきは、シェクショヴォ2遺跡の両個体(SHK001とSHK002)が、ユーラシア規模のPCAにおいて、本論文のデータセットでは他の個体より遠くに位置し、アジア東部および「森林草原地帯」勾配により近いことです(図1C)。この2個体とPCAで最も近いのは、アジア中央部およびシベリアのカザフ人とカラカルパク人(Karakalpak)とシベリア・タタール人と他のテュルク語族集団です。この2個体は、ヨーロッパよりもアジアでより一般的なミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も有していました。クレード性f4検定では、カラカルパク人との有意に非ゼロの推定値の最も少ない数が見つかり、遺伝的類似性が示唆されます。先行研究では、そのストロンチウム値は非在来起源を示唆しており、この2個体が成人期にヴォルガ地域に移動してきた、との解釈をさらに裏づけます。若くして死亡したこの男性2個体は、テュルク語族話者集団を表しているかもしれません。このテュルク語族話者集団の構成員は、キエフ大公国で軍役に従事しており、おもに南方の国境を守備していました。
最後に、キデクシャ遺跡の最古の個体(KED004)は興味深い祖先系統の混合を有していました。ユーラシア西部人のPCAでは、この個体はヨーロッパ人とイラン人の勾配間の空間内に位置します。この個体は、地理的に珍しいmtHg-F2eも有しており、これは現在のアジア東部人とアジア南東部本土人でおもに見られます。ADMIXTUREでは、この個体は古代および現在のイラン人との遺伝的類似性を有していた、と示唆されたので、時間的に近位のイラン関連供給源でqpAdmモデルにて適合させました。最良のモデルは、ヴォルガオカ_IAおよびスラブ人的祖先系統に加えて、コーカサス北部の中世アラン人を含んでいました。これらの調査結果は、中世におけるヴォルガ・オカ河間地域のつながりと重要性を浮き彫りにします。
●ヴォルガ・オカ河間地域における遺伝子と言語の並行発展
ヴォルガ・オカ河間地域の過去1500年間の歴史は、ウラル語族からスラブ語派への漸進的な言語移行により特徴づけられます。対応するパターンが、本論文の遺伝的データから明らかになりました。ヴォルガ・オカ河間地域の鉄器時代住民はシベリア祖先系統を有しており、そのため、ほとんどの現在のウラル語族話者人口集団と同じ遺伝的連続体に位置します。本論文のモデル化枠組みでは、在来の鉄器時代集団は、本論文で取り上げられた中世の個体群のほとんどにとって、シベリア祖先系統の適切な供給源を提供しました。しかし、考古学的証拠から、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ遺跡の人々はすでに7世紀までに消滅した独特な文化を表しており、中世集団の直接的祖先の候補である可能性は低い、と示唆されます。したがって、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ遺跡集団はその後の人口集団に【遺伝的に】寄与したかもしれませんが、スラブ人の移住の頃にヴォルガ・オカ河間地域に居住していたウラル語族話者は、密接に関連しているかもしれないものの別の集団を表している可能性が高そうです。そうした集団の一つは、年代記で言及された今では絶滅したウラル語族話者集団であるメルヤン人(Meryan)かもしれず、その再構築された話者の領域はスーズダリ地域を網羅していました。
千年紀後半におけるスラブ人の移住は、ロシア北西部の言語景観を形成しました。10~12世紀には、スラブ語派およびウラル語族話者集団は、スーズダリの位置するキエフ大公国の北東部地域で多言語共同体を形成することが多くありました。それと一致して本論文のデータセットは、スラブ祖先系統構成要素の到来とスラブ的およびウラル的集団の中世の共存を把握します。シェクショヴォ9遺跡では、両遺伝的集団の個体数がほぼ同じと検出され、その埋葬場所は両者の間で明らかな区別を示しませんでした。さらに、ウラル的祖先系統を有する一部の個体は、「スラブ的」副葬品もしくはスラブ的および「ウラル的」品目で埋葬されており、集団の文化的統合が示唆されます。しかし本論文のモデルでは、スラブ的集団はその後の人口集団の祖先系統の大半(70%)に寄与した、と示唆されます。明らかに、本論文の中世標本は完全に代表するには小さすぎるかもしれませんが、その差異は中世後期における近隣のスラブ人口集団からの追加の寄与を示唆している可能性があります。
歴史資料は初期キエフ大公国における強いスカンジナビア半島からの影響を示唆しますが、本論文の中世個体群ではスカンジナビア祖先系統は検出されず、中世スーズダリ地域における人口集団の大半がウラル語族とスラブ語派の人々で構成されていたことを示唆しているかもしれません。あるいは、スカンジナビア祖先系統を有する個体群は、標本抽出された墓地に埋葬される頻度が低かったのかもしれません。
●まとめ
本論文の古代DNAデータの独特な時間横断区では、ヴォルガ地域は過去2000年間、人口集団の相互作用の交差点に位置してきた、と示されます。局所的な鉄器時代遺伝子プールは、鉄器時代バルト海東部と鉄器時代草原地帯と青銅器時代コラ半島の人口集団と類似している、3つの主要な祖先系統構成要素を有していました。興味深いことに、これらの供給源は鉄器時代個体群を在来の中石器時代狩猟採集民と結びつけました。一方、その遺伝子プールは、ファチャノヴォ文化の近隣の青銅器時代人口集団とはほぼ連続していないようです(関連記事)。以下は本論文の要約図です。
次に中世初期には、食性の変化とスラブ的な遺伝的構成要素の到来があり、歴史言語学的記録と文字記録からの知見をよく反映しています。中世の遺伝的多様性は、アジア中央部およびイランとの遺伝的類似性を有する長距離移民によりさらに裏づけられ、この地域の長距離のつながりを強調します。確かに、本論文で見つかった動態はひじょうに局所的かもしれません。つまり、現在のロシア人における遺伝的構造から、スラブ人の混合過程の詳細は地域ごとに異なっていたかもしれない、と示唆されます。それにも関わらず、本論文の結果から、言語学的データが少ない場合、古代DNAも言語史の間接的証拠を提供する、と示唆されます。
参考文献:
Peltola S. et al.(2023): Genetic admixture and language shift in the medieval Volga-Oka interfluve. Current Biology, 33, 1, 174–182.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.036
本論文は、ヴォルガ・オカ河間地域のスーズダリ(Suzdal)地域の古代人30個体のゲノムと安定同位体値の1500年間の時間横断区を調べます。本論文は、以前には標本抽出されていなかった局所的人口集団と、その後数世紀の漸進的な遺伝的置換を説明します。本論文の時間横断区はスラブ語派言語の拡大と関連する人口変化を把握し、この地域に現在居住する、混合しているものの完全にスラブ語派言語を話す人口集団の形成に最終的にはつながる、中世スーズダリ公国の民族的に混合した状態を示します。交易と戦争を通じての長期の接触拠点としての中世におけるスーズダリ地域の重要性を浮き彫りにする、遺伝的外れ値も観察されます。
●研究史と標本
人口集団間の遺伝的混合は、その後の世代のゲノムに痕跡を残していますが、言語的接触は言語の変化として現れます。ヒトの歴史では、言語の拡大は人々の移動と一致することが多かったものの、それぞれは他方なしに起きる可能性があります。したがって、言語の現在の分布もしくは遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)構成要素にのみ基づく過去の人口集団の接触の推測は、誤解を招く可能性があります。古代DNA研究により、経時的なある人口集団の遺伝子プールの変化の直接的観察、および遺伝学と考古学と歴史言語学のデータ間の相関の解決が可能となります。
現代人のゲノムに関する研究では、バルト海からシベリア西部に至るほとんどの現在のウラル語族話者は現代シベリア人的祖先系統構成要素を共有している、と示されてきました(関連記事)。ウラル語族言語の現在の空間分布における一つの注目すべき特徴は、ヨーロッパロシア北西部と中央部における間隙です(図1A)。歴史言語学的証拠からの証拠では、ウラル語族話者はスラブ人の拡大前にこの地域【現在のウラル語族分布の間隙】にも居住しており、歴史資料はこれらの集団の多くを示している、と示唆されます。言語拡大にも関わらず、ロシア北西部の現代人は、そのウラル語族話者の隣人との顕著な類似性を示し、先行するウラル語族話者人口集団からの遺伝的寄与が示唆されます。
本論文は、ヴォルガ・オカ河間地域のスーズダリ地域に位置する6ヶ所の遺跡の古代人32個体を、DNA配列決定と放射性炭素年代測定の使用により調べます(図1A・B)。その6ヶ所の遺跡とは、3~4世紀となる鉄器時代文化を表すボリショエ・ダヴィドフスキョエ2(Bolshoye Davydovskoye 2、略してBOL、9個体)、大規模な中世(10~12世紀)集落の埋葬遺跡であるシェクショヴォ9(Shekshovo 9、略してSHE、9個体)、シェクショヴォ9遺跡と同じ集落のその後となる12~13世紀の埋葬地であるシェクショヴォ2(Shekshovo 2、略してSHK、2個体)、キボル3(Kibol 3、略してKBL、3個体)の中世の後(18世紀)となる埋葬、15~18世紀となるキデクシャ(Kideksha、略してKED、4個体)、14世紀となるクラスノエ3(Krasnoe 3、略してKRS、1個体)です。さらに、ウラジミール(Vladimir)地域東部のゴロホヴェツ(Gorokhovets)の町から、12~13世紀となる1個体のクルガン(墳丘)埋葬(GOR)と、3個体の中世(12~13世紀)の平坦埋葬(GOS)が含められました。ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡とシェクショヴォ2および9遺跡の個体の炭素と窒素の安定同位体比も測定され、食性と生活様式の変化が再構築されました。
●鉄器時代から中世への移行におけるヴォルガ・オカ地域の遺伝的変化
120万ゲノム規模標識の溶液内捕獲を用いて、充分なDNA保存のある31標本から0.06~4倍の標的網羅率が得られました。現代人の遺伝的差異の文脈でこの標本を調べるため、主成分分析(PCA)が実行されました。ユーラシア規模のPCAでは、PC1軸はユーラシア西部をアジア東部から分離し、それはPC2軸により分離された3つの遺伝的勾配により接続されています(図1C)。これらの勾配はほぼ、ユーラシア中央部の生態地域に対応しています。
最上部の勾配は森林ツンドラ生物群に従い、ほとんどのウラル語族話者はその勾配に位置します(関連記事)。ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡の鉄器時代個体群は、その地理と一致してこの勾配に位置し、白海沿岸、つまりアルハンゲリスク(Arkhangelsk)地域のロシア人と現在のヴォルガ人口集団との間となります。ADMIXTUREの結果でも、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡の個体群はほとんどの現在のウラル語族話者のようにシベリア祖先系統を有していた、と示されました(図1C)。この祖先系統構成要素は、タイミル半島の現在のガナサン人(Nganasan)で最大化されますが、過去にもっと広がっていたかもしれません。以下は本論文の図1です。
シェクショヴォ9とゴロホヴェツとキボルとキデクシャとクラスノエの鉄器時代後の標本は、PCAではボリショエ・ダヴィドフスキョエ集団よりもヨーロッパ西部クラスタ(まとまり)の近くに位置し、鉄器時代後の遺伝的変化が示唆されます(図1C)。しかし、中世の個体のほぼ半分が依然としてボリショエ・ダヴィドフスキョエ個体群の近くに位置する一方で、残り半分は現在の東スラブ人とクラスタ化します(まとまります)。このパターンは、その時点での2つの異なる人口集団の継続的な混合もしくは存在を示唆します。中世の後の個体群は、ほぼヨーロッパロシア南部から中央部の現代人の間に位置し、その先行者のように祖先系統における同様の差異を示しません。
食性同位体分析の結果も、鉄器時代(IA)と中世(MA)との間の変化を反映しています。ボリショエ・ダヴィドフスキョエ個体群が高度なタンパク質消費とC4植物利用(キビの可能性が高そうです)を示したのに対して、シェクショヴォ9個体群はC3植物に基づく食性でした。シェクショヴォ9標本の遺伝的分散にも関わらず、同位体値はこの集団内の類似の食性を示唆します。
下流分析では、本論文の標本は考古学的文脈と放射性炭素年代とPCAおよびADMIXTUREの結果に基づいて、4分析クラスタに割り当てられました。それは、鉄器時代(ヴォルガオカ_IA、7個体)、中世の鉄器時代的集団(ヴォルガオカ_MA1、4個体)、中世のヨーロッパ東部的集団(ヴォルガオカ_MA2、6個体)、キデクシャ遺跡とキボル遺跡の中世の後の個体群(ヴォルガオカ_H、4個体)です。2点の標本は、他の個体との密接な遺伝的近縁性のため、分析クラスタから除外されました。1点の標本は汚染のため、7点の標本は遺伝的もしくは年代的に外れ値だったため、分析クラスタから除外されました。
●鉄器時代ヴォルガ人口集団はシベリアとの遺伝的類似性を示します
本論文の分析クラスタと現在の人口集団との間で共有されるアレル(対立遺伝子)を測定するため、外群f3統計が計算されました。その結果は、全ての分析クラスタについてリトアニア人との高水準のアレル共有を示唆します。各分析クラスタについて、f4統計(ムブティ人、現代人集団;分析クラスタ、標的)の計算により、関連する現在の人口集団(標的)との関連性の対称性(クレード性)が検証されました(図2A)。その結果、とヴォルガオカ_MA2が非ロシア人の東スラブ人(ベラルーシ人、ウクライナ人、北ウクライナ人)およびリャザン(Ryazan)地域の現在のロシア人とクレード(単系統群)になるのに対して、ヴォルガオカ_Hはリャザン地域のロシア人とのみクレードになる、と分かりました。ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1は検証された標的のどれともクレードになりませんでしたが、アルハンゲリスク地域の現在のロシア人とは有意にゼロではない推定値の数が最小で、ヨーロッパロシア北部人がその最も密接な同時代の近縁である、と示唆します。以下は本論文の図2です。
クレード性検定は、ユーラシア東部人とヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1との間のアレル共有境界を明らかにしました(図2A)。その境界はほぼウラル山脈に対応しています。ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1は、現在のリトアニア人よりも、ウラル東方の人口集団と有意に多くのアレルを共有していました。ガナサン人はヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1の両方で最低のf4推定値を示し、観察された東方の類似性が、ADMIXTURE分析で見られた同じシベリア祖先系統に由来する、と示唆されます。アレル共有における同様ではあるもののより微妙なパターンはヴォルガオカ_Hでも観察されましたが、ヴォルガオカ_MA2では観察されず、ヴォルガオカ_MA2は追加のシベリア祖先系統を有していない、と示唆されます。
代理として青銅器時代(BA)のシベリア南部の標本(関連記事)を用いて、対象となる人口集団におけるシベリア祖先系統との相対的類似性を調べるため、f4(ムブティ人、クラノヤルスク・クライBA;検証、リトアニア人)が計算され、「検証」は選択された現代および古代の人口集団で代用されて、本論文の分析クラスタが含められました。その結果、クラノヤルスク_クライ(Krasnoyarsk_Krai)BAとのアレル共有の観点では、ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1は、アルハンゲリスクおよびヴォログダ(Vologda)の北ロシア人、ヴェプス人(Veps)、カレリア人、フィンランド人、モルドヴィン人(Mordovian)同じ範囲に位置する、と示されます(図2B)。
ヴォルガ・オカ地域は、中石器時代にヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)が居住していた地域に近接しています。このEEHG集団は後の多くの人口集団にその祖先系統をもたらしました。EEHGとの相対的な類似性を調べるため、f4(ムブティ人、EEHG;検証、リトアニア人)が計算されました。その結果、ヴォルガオカ_IAとエストニアBAとロシア_コラ(Kola)_BAにおける過剰なEEHG祖先系統が示唆されましたが、その共有はロシア_コラ_BAでのみ統計的に有意でした(図2B)。
●ロシア中央部人口集団は局所的混合の産物として形成されました
本論文の分析クラスタと他の関連する人口集団の祖先系統組成をモデル化するため、qpAdmが用いられました。まず、全ての集団にわたって5供給源で一貫した遠位モデルが構築され、続いて各分析クラスタについて近位モデルが構築されました。この5供給源とは、クラノヤルスク_クライ_BA、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、EEHG、ヤムナヤ_サマラ(Yamnaya_Samara)、線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)集団であるヨーロッパ新石器時代農耕民(LBK_EN)です。
遠位モデルでは、ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1と現在のウドムルト人(Udmurt)だけが、全ての5供給源と最適でした(図3A)。ほとんどの人口集団では、EEHG なしの4方向モデルの方がより適していました。フィンランドのレヴァンルータ(Levanluhta)IAとロシア_コラ_BAもEEHG祖先系統を有していましたが、ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1とウドムルト人とは異なり、WEHGおよび草原地帯祖先系統なしで最良にモデル化されました。EEHG構成要素はシェクショヴォ2遺跡の外れ値にも存在しますが、本論文のモデルはユーラシア北部から西部の人口集団を標的としており、これらの外れ値には意味のある結果を提供できない可能性に要注意です。以下は本論文の図3です。
ヴォルガオカ_IAに寄与したかもしれない時間的もしくは地理的に近位の人口集団を特定するため、いくつかの可能性のあるモデルが検証されました。この地域の標本抽出が疎らなので、代理供給源が用いられました。シベリア祖先系統の供給源としてロシア_コラ_BAが用いられ、それは、ロシア_コラ_BAが、ヴォルガオカ_IAで検出されたシベリアおよびEEHG両方の構成要素を有していたからです。西方供給源として、古代のバルト海人口集団とファチャノヴォ(Fatyanovo)文化集団が検証され、草原地帯祖先系統については、周辺地域の鉄器時代と中期~後期青銅器時代の草原地帯集団が用いられました。
最適なモデルでは、ヴォルガオカ_IAはその祖先系統のうち、ほぼ半分をバルト海鉄器時代個体群(紀元前800~紀元後50年頃)と、25%をロシア_コラ_BA関連と、25%を鉄器時代草原地帯関連と共有していた、と示唆されました。したがって、ヴォルガ・オカ河間地域は、いくつかの方向からの遺伝子流動の交差点に位置していたようであるものの、要注意なのは、スーズダリ鉄器時代の遺伝子プールにおけるこれら構成要素の近位起源が他にある可能性です。興味深いことに、ファチャノヴォ文化集団はどの検定モデルでもヴォルガオカ_IAに適した祖先系統供給源を提供せず、青銅器時代にヴォルガ・オカ地域に居住していたファチャノヴォ文化の人々からの遺伝的寄与の欠如が示唆されます。
次に、供給源としてヴォルガオカ_IAを用いて、初期スラブ人とウラル語族話者の集団間の中世の混合がモデル化されました。初期スラブ人の古代DNAデータが欠けているので、スラブ祖先系統に近接するため現代の人口集団が検証されました。それは、東スラブ人のベラルーシ人とウクライナ人と北ウクライナ人、西スラブ人のポーランド人とソルブ人です。東スラブ人は一般的に、西スラブ人よりもスラブ祖先系統のより良好な供給源を提供しました。ヴォルガオカ_MA2は単一の供給源としてスラブ人で有意にモデル化できる、と分かり、ヴォルガオカ_MA2は混合していない初期スラブ人集団を表している、との見解を裏づけます(図3B)。対照的に、ヴォルガオカ_MA1はヴォルガオカ_IAからのかなりの寄与を必要としました。中世の後となるヴォルガオカ_Hも、ヴォルガオカ_IA関連祖先系統を必要しましたが、より少ない割合でした。あるいは、ヴォルガオカ_Hはヴォルガオカ_MA1クラスタとヴォルガオカ_MA2クラスタの混合としてモデル化でき、局所的混合と一致します。このモデルによると、スラブ人的なヴォルガオカ_MA2は中世の後の人口集団に祖先系統の約70%を寄与しました。
上述の混合モデルを個体水準に拡張し、鉄器時代の後の個体について混合割合の差異が評価されました。クラスタ水準のモデルと一致して、ヴォルガオカ_MA2に分類されたほとんどの個体は、ヴォルガオカ_IA祖先系統なしでモデル化できました。しかし、ヴォルガオカ_MA1に分類された個体は全て、ヴォルガオカ_IA祖先系統のさまざまな割合(35~75%)を有していました。
最後に、DATESを用いて、本論文の分析クラスタへのシベリア祖先系統の到来が年代測定されました。シベリアとヨーロッパの祖先系統の代理として、ガナサン人とリトアニア人が用いられました。ヴォルガオカ_IAとヴォルガオカ_MA1はそれぞれ、青銅器時代と鉄器時代に対応する混合時間を有していました。一方、ヴォルガオカ_MA2とヴォルガオカ_Hは、より最近の混合時間を有していました。平均混合年代(1世代29年と仮定)はそれぞれ8世紀と9世紀で、ヴォルガ・オカ地域における仮定されたスラブ人の入植開始とよく一致します。
●外れ値は中世スーズダリのつながりを浮き彫りにします
データセットでいくつかの遺伝的外れ値が検出されました。ユーラシア西部人のPCAでは、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ2遺跡の1個体(BOL006)は、主要なヴォルガオカ_IA群よりもその後に続く中世人の近くに位置します。同様にシェクショヴォ9遺跡の1個体(SHE008)は、シェクショヴォ9遺跡の残りの個体よりも、ヨーロッパ中央部および西部人の近くに位置します。最も驚くべきは、シェクショヴォ2遺跡の両個体(SHK001とSHK002)が、ユーラシア規模のPCAにおいて、本論文のデータセットでは他の個体より遠くに位置し、アジア東部および「森林草原地帯」勾配により近いことです(図1C)。この2個体とPCAで最も近いのは、アジア中央部およびシベリアのカザフ人とカラカルパク人(Karakalpak)とシベリア・タタール人と他のテュルク語族集団です。この2個体は、ヨーロッパよりもアジアでより一般的なミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も有していました。クレード性f4検定では、カラカルパク人との有意に非ゼロの推定値の最も少ない数が見つかり、遺伝的類似性が示唆されます。先行研究では、そのストロンチウム値は非在来起源を示唆しており、この2個体が成人期にヴォルガ地域に移動してきた、との解釈をさらに裏づけます。若くして死亡したこの男性2個体は、テュルク語族話者集団を表しているかもしれません。このテュルク語族話者集団の構成員は、キエフ大公国で軍役に従事しており、おもに南方の国境を守備していました。
最後に、キデクシャ遺跡の最古の個体(KED004)は興味深い祖先系統の混合を有していました。ユーラシア西部人のPCAでは、この個体はヨーロッパ人とイラン人の勾配間の空間内に位置します。この個体は、地理的に珍しいmtHg-F2eも有しており、これは現在のアジア東部人とアジア南東部本土人でおもに見られます。ADMIXTUREでは、この個体は古代および現在のイラン人との遺伝的類似性を有していた、と示唆されたので、時間的に近位のイラン関連供給源でqpAdmモデルにて適合させました。最良のモデルは、ヴォルガオカ_IAおよびスラブ人的祖先系統に加えて、コーカサス北部の中世アラン人を含んでいました。これらの調査結果は、中世におけるヴォルガ・オカ河間地域のつながりと重要性を浮き彫りにします。
●ヴォルガ・オカ河間地域における遺伝子と言語の並行発展
ヴォルガ・オカ河間地域の過去1500年間の歴史は、ウラル語族からスラブ語派への漸進的な言語移行により特徴づけられます。対応するパターンが、本論文の遺伝的データから明らかになりました。ヴォルガ・オカ河間地域の鉄器時代住民はシベリア祖先系統を有しており、そのため、ほとんどの現在のウラル語族話者人口集団と同じ遺伝的連続体に位置します。本論文のモデル化枠組みでは、在来の鉄器時代集団は、本論文で取り上げられた中世の個体群のほとんどにとって、シベリア祖先系統の適切な供給源を提供しました。しかし、考古学的証拠から、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ遺跡の人々はすでに7世紀までに消滅した独特な文化を表しており、中世集団の直接的祖先の候補である可能性は低い、と示唆されます。したがって、ボリショエ・ダヴィドフスキョエ遺跡集団はその後の人口集団に【遺伝的に】寄与したかもしれませんが、スラブ人の移住の頃にヴォルガ・オカ河間地域に居住していたウラル語族話者は、密接に関連しているかもしれないものの別の集団を表している可能性が高そうです。そうした集団の一つは、年代記で言及された今では絶滅したウラル語族話者集団であるメルヤン人(Meryan)かもしれず、その再構築された話者の領域はスーズダリ地域を網羅していました。
千年紀後半におけるスラブ人の移住は、ロシア北西部の言語景観を形成しました。10~12世紀には、スラブ語派およびウラル語族話者集団は、スーズダリの位置するキエフ大公国の北東部地域で多言語共同体を形成することが多くありました。それと一致して本論文のデータセットは、スラブ祖先系統構成要素の到来とスラブ的およびウラル的集団の中世の共存を把握します。シェクショヴォ9遺跡では、両遺伝的集団の個体数がほぼ同じと検出され、その埋葬場所は両者の間で明らかな区別を示しませんでした。さらに、ウラル的祖先系統を有する一部の個体は、「スラブ的」副葬品もしくはスラブ的および「ウラル的」品目で埋葬されており、集団の文化的統合が示唆されます。しかし本論文のモデルでは、スラブ的集団はその後の人口集団の祖先系統の大半(70%)に寄与した、と示唆されます。明らかに、本論文の中世標本は完全に代表するには小さすぎるかもしれませんが、その差異は中世後期における近隣のスラブ人口集団からの追加の寄与を示唆している可能性があります。
歴史資料は初期キエフ大公国における強いスカンジナビア半島からの影響を示唆しますが、本論文の中世個体群ではスカンジナビア祖先系統は検出されず、中世スーズダリ地域における人口集団の大半がウラル語族とスラブ語派の人々で構成されていたことを示唆しているかもしれません。あるいは、スカンジナビア祖先系統を有する個体群は、標本抽出された墓地に埋葬される頻度が低かったのかもしれません。
●まとめ
本論文の古代DNAデータの独特な時間横断区では、ヴォルガ地域は過去2000年間、人口集団の相互作用の交差点に位置してきた、と示されます。局所的な鉄器時代遺伝子プールは、鉄器時代バルト海東部と鉄器時代草原地帯と青銅器時代コラ半島の人口集団と類似している、3つの主要な祖先系統構成要素を有していました。興味深いことに、これらの供給源は鉄器時代個体群を在来の中石器時代狩猟採集民と結びつけました。一方、その遺伝子プールは、ファチャノヴォ文化の近隣の青銅器時代人口集団とはほぼ連続していないようです(関連記事)。以下は本論文の要約図です。
次に中世初期には、食性の変化とスラブ的な遺伝的構成要素の到来があり、歴史言語学的記録と文字記録からの知見をよく反映しています。中世の遺伝的多様性は、アジア中央部およびイランとの遺伝的類似性を有する長距離移民によりさらに裏づけられ、この地域の長距離のつながりを強調します。確かに、本論文で見つかった動態はひじょうに局所的かもしれません。つまり、現在のロシア人における遺伝的構造から、スラブ人の混合過程の詳細は地域ごとに異なっていたかもしれない、と示唆されます。それにも関わらず、本論文の結果から、言語学的データが少ない場合、古代DNAも言語史の間接的証拠を提供する、と示唆されます。
参考文献:
Peltola S. et al.(2023): Genetic admixture and language shift in the medieval Volga-Oka interfluve. Current Biology, 33, 1, 174–182.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.036
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