大河ドラマ『どうする家康』第3回「三河平定戦」

 桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、松平元康(徳川家康)は岡崎城に入り、この時点での家康は、今川から直ちに寝返るつもりはなく、やがて駿府に戻って義元の後継者である氏真の側近になろう、と考えています。本作の家康は誕生の地である田舎の岡崎より駿府の方に明らかに愛着を持っており、史実ではそうだったとしても不思議ではないようにも思います。ともかく本作の家康は、今川方から織田方に寝返る意図はこの時点でまったくないわけですが、今川からの援軍が得られず、苦戦することで、織田への寝返りを家臣も考え始め、ついには酒井忠次と石川数正の説得を受けて今から離反します。従属している戦国大名から庇護を受けられない国衆がその戦国大名を見限ることは珍しくなく、当時の松平(徳川)家も例外ではなかったのでしょう。

 当時の力関係では、徳川が織田と単独で対峙することはなかなか難しかったでしょうが、ただ、当時の織田は東方の三河の徳川だけではなく北方の美濃の斎藤とも対峙しており、三河もしくは徳川を単独で制圧することは難しかったでしょうから、徳川との和睦と提携を考えたのでしょう。苦境に立った家康は、酒井忠次の進言を受けて、今川の同盟相手である武田から援軍を得ようとしますが、武田信玄は格が違うと相手にしません。武田信玄はまだ家康と本格的に絡んでいるわけでもないのに、初回からずっと登場しており、本作での扱いは大きいようです。信玄との対峙は本作での前半の山場の一つになるのでしょうか。現時点では再放送も視聴しようというほど楽しめているわけではありませんが、今はまだ布石を打っている段階といった感じで、今後の展開への期待は大きくあります。

 また、本作は同じ徳川家康を主人公とする1983年放送の大河ドラマ『徳川家康』と比較して、徳川(松平)家臣団の人物造形が印象に残ります。1983年放送の大河ドラマ『徳川家康』では、徳川家臣団で目立っていたのは、本多重次と石川数正と大賀弥四郎(これは後世に伝わった名で、じっさいは大岡弥四郎)と大久保長安くらいで、本多正信もさほど目立っていなかったように思いますが、本作は比較的長く登場するだろう酒井忠次や本多忠勝や榊原康政や大久保忠世や鳥居元忠のキャラが立っており、ここは本作の魅力になっています。大岡弥四郎が本作で登場するのか分かりませんが、登場が公表されている本多正信など、今後新たに登場する徳川家臣も楽しみです。

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