青銅器時代イベリア半島南部の親族関係

 青銅器時代イベリア半島南部の親族関係に関する研究(Villalba-Mouco et al., 2022)が公表されました。ヨーロッパにおける前期青銅器時代は、紀元前三千年紀初期に始まる社会的および遺伝的変容により特徴づけられます。新たな集落や葬儀構建築物や人工物や技術は、増加する経済的非対称性と政治的階層化を伴う、変化の時代を示唆します。冶金の技術的進歩も重要な役割を果たし、交易網と交流網を促進して、それは移動性と接続性のより高水準という形で実体化しました。考古遺伝学的研究は、ヨーロッパ東部からの草原地帯および森林地帯の牧畜民の拡大と最終的につながる、この頃の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)のかなりの変容を明らかにしてきました。ペスト菌など新たな感染症の証拠が、これら混乱し変容する時代にさらなる複雑さを加えます。

 イベリア半島南部のエル・アルガル(El Argar)複合は、紀元前2200年頃のヨーロッパ南西部における遺伝的転換を示し、それにはこの地域の社会経済構造における顕著な変化が伴います。ラ・アルモロヤ(La Almoloya)のエル・アルガル文化遺跡の象徴的な二重埋葬に誰が埋葬されたのか、という問題に答えるため、生物学的近縁性分析と考古学的埋葬状況の結果が統合され、68個体の放射性炭素年代が改良されました。エル・アルガル社会は父方居住で父系的に組織化され、相互的な女性族外婚を行なっていた、と分かりました。これは、父系に沿った最大5世代に拡張した家系図により裏づけられます。二重墓の同時期と年代測定された成人男女は、親族関係にない配偶相手と分かり、流入してきた女性はそれによりエル・アルガル集団における社会政治的同盟を反映しています。3事例で、これらの結婚には共同の子がいましたが、父方の半キョウダイ【両親の一方が異なるキョウダイ関係、この場合は異母キョウダイ】は連続的な一夫一妻もしくは一夫多妻も示唆します。


●研究史
 ヨーロッパの青銅器時代(BA)の開始には、政治的中央集権化や経済的不平等の拡大や集落および人口統計学的崩壊をもたらした劇的な社会変化が伴いました。これらの社会的変化は、ヨーロッパ中央部やブルターニュやイングランド南部やイベリア半島南東部など特定の地域において顕著で、これらの地域では、副葬品に反映されているように、富の不平等な分配がより明らかになり、一貫するようになります。

 最近のゲノム解析では、これらの変化は、ヨーロッパ東部における紀元前三千年紀初期に始まった過程に続く、「草原地帯関連祖先系統」の西方への拡大およびヨーロッパのほとんどにおける男性系統の多様性減少と関連していた、と示唆されてきました(関連記事)。この文脈では、暴力の増加と社会的強制が、新たな社会的関係において役割を果たしたかもしれません(関連記事1および関連記事2)。しかし、人口移動の役割と性質(暴力的もしくは平和的)あるいはこの過程における拡大は、依然として議論になっています。勝負を変えるような革新のどうにゅうに続いて、新たな経済や気候変化や感染症など他の要因(関連記事)が、ヨーロッパの紀元前三千年紀の変容期を通じて検出された、社会経済的および遺伝的変化も説明できるかもしれません。さらに、変容の程度は地域ごとに異なっていました。地域および地域間の水準における変化のそうした複雑な過程にけるさまざまな要因の相対的寄与を理解するには、より統合的な研究が必要です。

 イベリア半島南東部のエル・アルガル考古学複合は、ヨーロッパの前期青銅器時代(EBA)における社会政治的再編成の知識の深化に重要な事例研究を提供します(図1A)。エル・アルガルは、社会経済的分断と遺伝的変化が明確に記録されている考古学的実体の一つで(関連記事)、おそらくは初期国家の状態に達したヨーロッパ西部における最初の高度に複雑な社会の一つです。エル・アルガルは紀元前2200~紀元前1550年にかけて3段階で発展し、沿岸部低地の中心部から内陸部高地へと拡大して、最盛期の範囲は35000km²でした。アルガル(Argaric)考古学的記録には、最大5ヘクタールの恒久的で人口密度の高い丘の頂上の集落が含まれています。これらの集落は回想気に組織されて管理され、政治的意思決定のための公共建築物と、給水のための建造物の証拠があります。さらに、穀類の大規模な貯蔵と加工、特殊化した土器と冶金生産、天水農耕と肥料と小規模な灌漑を組み合わせた集中的な生計体系が、アルガル文化遺跡で見つかっています。以下は本論文の図1です。
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 アルガル文化遺跡群は、生物学的近縁性と親族関係に関する問題の対処に独特な機会を提供します。それは、人口のかなりの割合が、居住地の下に置かれた単一もしくは二重墓に埋葬されているからです。これらの葬儀慣行により、個体と副葬品と墓と建築上の単位を通時的に結びつけることができます。これまで、アルガル文化の考古学は、特定の遺跡における埋葬のほぼ20%を表している二重墓の分析を通じて、親族関係の問題に取り組んできました。平均して、これらの墓の半分以上は成人2個体に割り当てられ、1/4は成人1個体と子供1個体に占められ、子供2個体の組み合わせは10%以下とはるかに一般的ではありませんでした。先行研究の主要な焦点は、19世紀後半以降、主導的モデルの基礎を提供する成人2個体の二重墓に充てられてきました。具体的には、これらの墓は、核家族の基礎として異性愛で一夫一妻制の夫婦(結婚)を反映している、と考えられました。

 この「結婚」仮説を検証するため、二重墓の男女の骨格が1980年代後半に放射性炭素年代測定のため標本抽出されました。23点の二重墓の標本から得られた対の放射性炭素年代の統計的分析は、個体のほとんどの組み合わせで世代間の空隙を示唆し、二重墓における成人の間の関係は社会政治的ではなく系譜的だった、という代替的な仮説につながりました。その結果、アルガル文化の親族関係慣行の主要な原理として、血統・血族と母方居住と母系制が提案されました。

 この研究の目的は、最先端の古代DNA手法を用いて、エル・アルガルの状況の個体間の遺伝的関係の性質を決定し、新たな証拠としてこれらを用いて、世帯と関連する可能性がある相続規則を含む、アルガル文化社会の親族関係慣行と社会組織に光を当てることです。本論文の目的はさらに、遺伝学と骨学と考古学的発掘から得られたきめ細かい文脈情報を組み合わせた学際的手法を通じての、アルガル文化の親族関係慣行に関する一般的な仮説の調査です。本論文のデータの多くは、スペインのムルシア(Murcia)のラ・アルモロヤ遺跡に由来します。これは、ラ・アルモロヤ遺跡が、その独特な保存と広範な発掘のため、さまざまな埋葬様式と副葬品が特徴づけられ、詳細な人類学的データと放射性炭素および層序に基づく年代により補完されるからです。この結果は、BAヨーロッパにおける最初のひじょうに複雑な社会の一つの理解を改善すると期待されます。


●データの概要と遺伝的関係の検出

 ラ・アルモロヤ遺跡では、128個体の遺骸を含む合計101基の墓から、適切な形態学的保存のある86個体が標本抽出されました。品質管理の閾値(4%未満の汚染、特徴的な古代DNA損傷特性、明確な性別決定)に合格した68個体について、高品質のゲノム規模データ(124万の一塩基多型捕獲データ)が得られました。ラ・アルモロヤ遺跡の68個体は、局所的な層序のエル・アルガル第2期(41個体、紀元前2000~紀元前1750年頃)と第3期(27個体、紀元前1750~紀元前1550年頃)を網羅しており、堆積後もしくは化石生成論的要因と関連する偏りは観察されませんでした。遺伝的結果のある女性と男性および成人と未成年の相対的頻度は、これら人口統計学的集団のそれぞれの自然人類学的調査と一致し、標本がこの遺跡に埋葬された集団を表している、と示唆されます。

 ラ・アルモロヤ遺跡の別の3個体は、常染色体一塩基多型(SNP)データが2万SNPの閾値を下回りました。それは、ALM037(18226のSNP)、ALM045(10970のSNP)、ALM033(356SNP)で、汚染の推定はありませんでした。これら3個体は、低網羅率データでも可能な1親等の生物学的関係の確証もしくは除外の一部分析にのみ含められました。ラ・アルモロヤ遺跡個体での、およびイベリア半島の他の刊行されているBA個体での生物学的近縁性を推定するため、まず対での対での不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)が計算されました。PMRは、個体の無作為に抽出された組み合わせからBAイベリア半島における素性の近縁性(無近縁性)の一般的な閾値も提供します。本論文では、近隣のエル・アルガル文化およびイベリア半島BA集団の個体群がとくに、比較と検討の対象となりました。

 本論文では、ラ・アルモロヤ遺跡の68個体において合計で13組の1親等の関係と10組の2親等の関係が報告され、その中にはゲノム規模データが生成された34個体(50%)が含まれます(図2)。注目すべきことに、1しんとうの親族は親子もしくは全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)の可能性があり、2親等の関係には、オバ・オジとメイ・オイ、祖父母と孫、半キョウダイ(両親の一方を共有するキョウダイ)が含まれます。以下は本論文の図2です。
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 全て1親等の関係を含む7家系の再構築と、これら家系の一部の最大5世代までの拡張が可能となりました(図3)。さらに、2親等の親族関係の組み合わせが見つかりました。これらは1親等の親族関係の欠如と、骨学および考古学的データの統合にも関わらず正確な系図関係を明確には決定できない、という事実のため、「未解決の家系」として除外されます。選択された組み合わせ(60万SNP超)から得られた補完された高品質ゲノム規模データの同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)分析(関連記事)の助けを得て、再構築された7家系のうち3家系の個体間で、最大6~7世代のより遠い遺伝的関係と、遺跡間のより遠いつながりの証拠も見つかりました。近隣のBA遺跡群から再構築された家系は、補足図5で示されます。

 1親等(13個体)と2親等(10個体)の親族関係の個体の、類似の頻度が注目されます。2親等の親族の数は1親等の親族の2倍と予想されるので、ラ・アルモロヤ遺跡の埋葬は、ここで埋葬された親族関係にない個体数を無視するならば、最も密接な生物学的つながりを強調しているようです。標本数が堅牢な統計的裏づけを提供するには小さすぎる一方で、2親等の親族ま少なさから、全ての生物学的親族がこの集落に埋葬されているわけではない、と示唆され、それは人口のかなりの割合について居住地の変化を含む、遺跡間の移動性を示唆します。第3期における子供埋葬の付随する増加(アルガル文化後期における共通する特徴)は、最も近い生物学的な子孫への葬儀における強調、もしくは子供の死亡率増加を示唆します。

 以下では、この遺跡における、二重埋葬の近くに埋葬された個体で始まり、より長い距離により分離される親族が続く、埋葬間の物理的距離を参照しての生物学的近縁性推定の結果が説明されます。


●成人2個体の二重埋葬

 二重埋葬はエル・アルガル集団の象徴的特徴で、アルガル文化の親族関係の議論において中心的役割を果たしています。この埋葬様式はすでに先行研究により、モリノス・デ・パペル(Molinos de Papel)などイベリア半島南東部の遺跡においてそれ以前の期間にあったと証明されており、エル・アルガル文化第2期および第3期において続けられました。ラ・アルモロヤ遺跡遺跡では、126個体のうち48個体(38%)が、24基の二重墓に埋葬されました。これら二重墓の大半(20基)は、成人2個体を含んでいますが(第2期が14基で第3期は6基)、残りの4基は子供2個体もしくは成人1個体と子供1個体でした。成人の二重埋葬の一つ(AY80)では、第三の個体の骨格遺骸が、墓がすでに封印された後で、石棺の外の石板の下に置かれました。

 10基の成人の二重埋葬について、両方の骨格かからのゲノムデータの回収に成功しました(合計20個体)。遺伝学的結果は、個体の人類学的な形態学的性別決定を確証し、10事例すべてで二重埋葬は男性1個体と女性1個体を含んでおり、両者は遺伝的に親族関係にはなく、近縁性係数は-0.024~0.022の範囲(0.001)でした(図3A)。二重埋葬の成人の各組み合わせで、PMR 値の基準中央値に近いこPMR値が得られ、これは多くの遺跡のイベリア半島BA個体の全ての親族関係にない組み合わせから確立されました。

 全ての分析された組み合わせの直接的な放射性炭素年代の較正範囲の有意な重複は、【同じ二重墓に埋葬された】両個体の共存を可能にします(図2)。全ての分析された成人夫婦のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は異なっており、直接的な母方のつながりは除外されます。この観察は、親族関係にない女性(CMO001)と男性(CMO002)同時代の成人の二重埋葬が分析されましたッロ・デル・モッロン(Cerro del Morrón)など他のアルガル文化遺跡や、モリノス・デ・パペル(女性はMPD002、男性はMPD003)など、イベリア半島南東部BAの他の遺跡にも拡張できます。他の成人二重埋葬(AY82)では、女性個体(ALM018)で良好な網羅率のデータが得られたものの、男性個体(ALM045)では得おられませんでしたが、生物学的近縁性検定の結果は依然として、この組み合わせが近縁ではないことを示唆しました(図3A)。

 さらに、ラ・アルモロヤ遺跡の10事例のうち3例では、二重埋葬の男性と女性が子供も儲けていたので、配偶を表していました(図3B)。この観察は、生活における男女の社会・政治的同盟の存在を示唆しており、それはエル・アルガル社会の葬儀慣行においても象徴化されていました。これまで、同時代の遺跡内のゲノム研究は、共通の子供ではあるものの異なる墓に埋葬されていることにより確証されている、遺跡における性的相手の存在を報告してきました(関連記事)。他の事例では、生物学的配偶者の一方のみが遺跡で埋葬されている、と分かりました(関連記事1および関連記事2)。

 顕著な事例は、広大な建物の高い地位の甕の二重埋葬AY38で、男性1個体(ALM039)と女性1個体(ALM038)には豊富な副葬品が伴っていたので、支配階級の傑出した構成員だった、と解釈されました。その女性(ALM038)は、アルガル文化遺跡で独特に見られる5点の銀製王冠の一つとともに埋葬されており、残りの4点はラ・アルモロヤ遺跡から南方に約100km離れた、名称の由来となったエル・アルガル遺跡で発見されました。この際立った葬儀用品は、エル・アルガルの女性の区別と権力の象徴として解釈されてきました。埋葬状況から、男性が女性の直前にまず死亡した、と分かっています。それは、男性の骨格が女性の下で発見され、女性の関節離断と関節変位の程度が、とくに脊椎と胸郭に沿って小さかったからです。二重墓AY30では、異なる建築複合の副葬品のない坑に埋葬された共通の娘(ALM030)が、両親からさらに離れて見つかりました(図3B)。ALM030は推定年齢14~17ヶ月で早世しました。以下は本論文の図3です。
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 配偶者を含む二重埋葬の別の際立った事例はAY80です。その石棺には30~35歳の女性(ALM015)と35~40歳の男性(ALM016)が含まれ、高い社会階級に分類されています(図3B)。その葬儀状況から、女性がまず死亡し、次にその骨が集められ、後に起きた男性の埋葬の上に束で置かれた、と示唆されます。この男女には40~45歳で死亡した共通の息子(ALM052)がおり、11m離れて副葬品なしで成人女性ALM053とともに埋葬されました。ALM053はALM052の後に埋葬され、両者は成人二重埋葬AY42に葬られました。

 AY80の夫婦が埋葬された石棺の外側で発見された成人男性1個体(ALM017)の頭蓋骨は、AY80の両個体と3親等の親族関係にある、と分かりました。ALM015とALM017の組み合わせの追加のIBD分析は、直接的な世代継承における3親等の親族関係を確証したので、ALM016とは曾祖父と曽孫の関係を表しています(図3B)。さらに、曽孫のALM017は、ALM060とは1親等の関係で、ALM060はALM017の18~20歳で死亡し、同じ領域の甕に埋葬された、と分かりました。これは、ラ・アルモロヤ遺跡遺跡で再構築された最大の家系を構成しており、失われた世代があり、特定されていないか他の場所に埋葬されているものの、比較的近い領域で、第2期と第3期、世代では高祖父母(ALM016とALM015)から玄孫(ALM060)にまたがっています(図3B)。

 事例の少なさと放射性炭素年代範囲の限界により、各段階にわたる系図上のつながりの一般化した仮定はできませんが、この事例は、第3期での集落の配置における劇的な変化が完全に新たな集団もしくは王朝によりあった、という可能性に反論しています。第2期と第3期との間の人口集団水準での遺伝的連続性も、先行研究(関連記事)で説明されているように、劇的な人口統計学的変化のシナリオを除外します。

 墓AY22は、共通の子供がいる別の成人二重埋葬を表しています(図3B)。この埋葬は35~45歳の女性1個体(ALM048)と成人男性1個体(ALM049)を含んでおり、ALM049はその保存状態からより正確な年齢推定ができませんでした。AY22から3m未満離れている単一の石棺埋葬(AY16)において、両者に共通の成人の息子ALM034が特定されました。

 まとめると、成人二重墓の男性と女性は、遺伝的に相互に関係していない、と分かりました。この発見に関係なく、これらの個体はすべて同じ遺跡の成人で1親等および2親等の関係に手織り、二重埋葬は中心的な社会的役割を示した、と示唆されます(図3B)。


●成人と子供の二重埋葬

 ラ・アルモロヤ遺跡では、成人1個体と未成年1個体を含む3ヶ所の二重埋葬が記録され、そのうち1ヶ所のみが遺伝学的に分析されました。石棺埋葬AY21には、30~35歳の女性1個体(ALM073)が含まれ、ALM073はその胸の右側に女性の新生児(ALM062)を抱えて埋葬されていました。骨格の重ね合わせが示唆するように、この両個体の同時埋葬と遺伝学的分析は、母と娘の関係を示唆しており、出産後の合併症が死因である可能性が高そうだ、と考えられます。この子供(ALM062)が異数体トリプルX症候群を有していたことは注目に値しますが、この条件が新生児(ALM062)とその母親(ALM073)両方の早すぎた死を引き起こした可能性は低そうです。

 二重埋葬における成人と未成年の個体の組み合わせ(25%)は、エル・アルガル文化遺跡群では比較的稀で、墓AY21の事例は、密接な遺伝的親族関係など例外的な状況を示唆しているかもしれません。これは墓AY85にも当てはまるかもしれず、性別が遺伝学的に決定された別の女性新生児(ALM079)が成人女性(ALM066)の腕で見つかり、その位置は墓AY21と顕著に類似していました。残念ながら、この成人女性の標本からは充分な遺伝的データが得られなかったので、推定される母親と娘の関係を確認できません。

 逆に、ラ・バスティダ(La Bastida)遺跡の墓BA6は、他のシナリオの可能性を示します。ラ・バスティダの墓BA6では、25~30歳の男性1個体(BAS002)が新生児の少年(BAS026)とともに埋葬されましたが、両者は遺伝的に関連していませんでした。この埋葬は、他の2事例のように同時とはみなすことができない、と注意することは重要です。それは、甕の縁の一部が、墓が再び開かれた時に壊れ、その断片が成人(BAS002)の骨盤の上と新生児(BAS026)の下に落ちたので、連続埋葬の証拠を提供するからです。しかし、放射性炭素年代は統計的に95%信頼水準で異なっていませんでした。この埋葬は、父と息子の関係を表すよう意図していたかもしれませんが、BA6に埋葬された成人男性(BAS002)が、本当の生物学的不正を認識していたのか否か(継父、したがって社会的親族として)は、未解決の問題です。


●子供の二重埋葬

 ラ・アルモロヤ遺跡では、子供2個体の唯一の二重埋葬(AY30)からDNAを回収できました。AY30は小さな坑で構成されており、生後14~17ヶ月の女児1個体(ALM030)がまず埋葬され、その後で8~9歳の少女(ALM031)が埋葬されました。ALM031と関連する副葬品はなく、その埋葬状況から、ALM031の骨格は完全に関節がつながって、より若い少女ALM030の乱雑な頭蓋後方(首から下)遺骸の上で見つかったので、ALM031はALM030の後に埋葬された、と推測されます。これら2少女の間で父方の半キョウダイの関係(異母姉妹)が検出され、ラ・アルモロヤ遺跡の裕福な副葬品のAY38の成人男性個体ALM039は、広大な建物の近くに位置し、2人の少女(ALM030とALM031)の父親だった、と示唆されました。

 この男性(ALM038)とともに埋葬された成人女性(ALM038)が2人の少女のうち一方(ALM030)の母親で、分類に成功した個体のうちALM031の生物学的母親が同定されなかったことは、注目に値します。この考古学的文脈は、2人の母親が同じ期間に暮らしていたのかどうかについても、この事例が連続した一夫一妻制なのか、それとも一夫多妻を表しているのかどうかについても、手がかりを提供しません。しかし、異母姉妹がともに葬られた、という事実は、異なる生物学的母親に関係なく、(この姉妹を埋葬した人々の一部では)この異母姉妹間の親族関係の意識と、おそらくはひじょうに高い可能性で、ALM039のために不正の認知も反映しています。しかし、これらの結合が一時的で解消可能だった可能性もあります。

 キョウダイが遺伝的に特定された事例も、さまざまな考古学的文脈と、解釈の余地がある状況も表しています。ラ・バスティダ遺跡の墓BA23にともに埋葬されたキョウダイ2個体も検出され、AY30のように、アルガル文化後期にさかのぼります。生後9~11ヶ月の少女BAS017は、土器の入れ物に埋葬され、ほぼ同じ年齢でその直後に死んだその弟のBAS018が続いて埋葬されました。逆に、ラ・アルモロヤ遺跡のキョウダイの別の事例では、少年2個体(ALM080とALM081)が相互に非常に近くで埋葬されたものの、別々の墓(それぞれAY88とAY89)に埋葬されました。結果として、少なくとも1個体の子供を含む二重墓は、近い生物学的親族関係を特徴としており、例外はラ・バスティダ遺跡(墓BA6)で見られる成人と新生児の男性の事例で、成人の二重埋葬とは違います。


●二重墓を超えた遺伝学的親族関係

 単一墓に埋葬された個体間のいくつかの生物学的親族関係も観察されたので、年代および空間距離の観点で近縁性の程度が調べられました。ラ・アルモロヤ遺跡の第3期は、紀元前1750年頃に建てられた住宅複合網により特徴づけられ、それは現在、視覚的な構造の大部分を形成します(図2A)。しかし、先行する第2期の配置は、第3期の都市化の試みにより大半が取り壊されました。したがって、複合建築を一般的な背景として使用できず、生の距離でのみ対処することが賢明です。

 生物学的親族に関連する個体の空間的分布を分析するため、個体のすべての1親等および2親等の関連する個体の組み合わせ間の物理的距離が記入されました(図2A)。近い親とのつながりのある個体のほとんどは、相互に5m未満で埋葬されていた、と分かります。興味深いことに、半キョウダイ(生物学的に2親等の親族)は空間的にキョウダイと同じくらい近い一方で、他の全ての2親等の関連する個体(オジ・オバとオイ・メイ、および祖父母と孫の関係)は19~32m離れており、第3期の異なる建物の床の下に埋葬されることがよくあります。

 別々ではあるものの、副葬品なしの近い甕棺墓に位置する全キョウダイ(ALM080とALM081)の事例が報告されます。この両男性個体は早くに死亡し、一方は生後14~20ヶ月(ALM081)、もう一方は生後18~24ヶ月(ALM081)でしたが、その死亡の間に経過した時間は不明のままで、この状況は近くの空間におけるこの兄弟2個体の位置的配置を示唆します。上述のように、ラ・バスティダ遺跡の他の全キョウダイ(遺伝学的に男性と女性)は、墓BA23でともに埋葬されていた、と分かりました。これら2事例は、その生物学的性別にも関わらず、未成年の社会的つながりを反映しているかもしれません。

 別々の墓ではあるものの、同じ建築複合内に埋葬されたALM068(墓AY8の生後14~16回月の女児)とALM078(その少し後に墓AY23に埋葬された生後14~16ヶ月の男性)との間の、父方の半キョウダイの親族関係の可能性が検出されました。ALM068の母親(ALM077)、その娘(ALM068)には近いものの、少年(ALM078)とは近くない別の墓(AY17)に埋葬され、少年(ALM078)とその女性(ALM077)は生物学的親族関係ではありません。この子供2個体(ALM068とALM078)の間の2親等の親族関係についての、あり得るものの恐らくは妥当ではない解釈は、少年(ALM078)が少女(ALM068)の父方(1世代若いにも関わらず)のオジだった、というものです。これは、少年(ALM078)が少女(ALM068)の母親(ALM077)とは関係していないからです。

 父方の半キョウダイの別の親族関係は、墓AY13に埋葬された生後14~18ヶ月の男児個体ALM046と、墓AY14に埋葬された生後6~7ヶ月の男児個体ALM047で示唆される可能性があり、どちらも副葬品がありません。この事例では、遺伝子型決定が成功した個体では、父親も母親も見つからず、オジとオイの関係の可能性を除外できません。しかし、この2個体は、キョウダイの他の組み合わせでも当てはまるように、相互に近くに埋葬されており、特定の社会的および家族的関係を強く示唆します。

 まとめると、オバ・オジとメイ・オイの関係は、子供2個体が2親等の関係である事例では、除外できません。どの事例でも父方系統経由でつながっているかもしれない半キョウダイが、複婚(一夫多妻)と連続した一夫一妻を、考慮すべき妥当な慣行とすることへの注意には価値があります。しかし、成人1個体と未成年1個体との間の他の2親等の親族関係も見つかり、その関係については、ALM004(成人女性)とALM075(乳児女性)、もしくはALM019(成人女性)とALM069(乳児男性)など、オジのような親族関係を破棄できません。ました。

 最後に、補完後に、60万超のSNPのある個体において、IBD である124万SNPデータにおける断片の数と割合の計算によって、より遠い親族の推測ができました。この手法は、近い1親等と2親等の親族関係間の確証と区別だけではなく、最大6~7親等の生物学的近縁性推定も可能として、それにより、ラ・アルモロヤ遺跡で再構築された主要な7家系のうち3家系を接続できるようになりました。


●親族関係慣行の推測

 ラ・アルモロヤ遺跡における生物学的近縁性の個体に基づく評価に続いて、全ての関連する個体の再構築された家系の構造が比較され、優先的な親系統に沿った直系もしくは継承を示す世代間のつながりが探されました。その結果、全ての家系は父方を通じてつながっており、ある事例では、男性系統が少なくとも5世代にわたってたどれる、と観察されました(図3)。さらに、2親等と3親等の親族関係の全ての事例(6組の2親等)で、1親等の関連個体の欠如のため家系は完全には確立できないか拡張できませんが、あり得る代替的な家系も父系を通じてのみ説明できる、と観察されます。成人での全ての1親等の親族関係は、少なくとも成人男性1個体(分析された成人男性19個体のうち3個体)を含んでいました。同じ遺跡に埋葬された成人の娘か姉妹か兄弟か成人の半キョウダイのいる成人男性もいません。成人を含む少数の2親等の親族関係も、すべて男性間でした(図4)。以下は本論文の図4です。
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 逆に、成人女性間の1親等もしくは2親等の親族関係は見つかりませんでした(分析された成人女性30個体には存在しませんでした)。同じ遺跡で1親等で関連する女性は、少女(AY21/2-ALM062、AY30/1-ALM0030、AY8-ALM068)もしくは成人男性(AY16-ALM034、AY27/1-ALM058、AY42/1-ALM05)の母親で、少年の母親ではありません。これらの女性は他のどの成人女性とも近縁ではなく(図4)、同じ遺跡に両親はいません。同じことが2親等の近縁の女性にも当てはまり、その後で、統合された系統の女性とみなされ、そうした女性(AY58-ALM004、AY87-ALM019、AY26/2-ALM086)は少女と少年両方のオバおよび/もしくは祖母と分かりましたが、繰り返すと、成人女性とは決して近縁ではありません(図4)。

 家系の再構築により得られたこれらの結果は、先行研究(関連記事)においてメタ水準ですでに報告された結果と一致しており、その研究では、ラ・アルモロヤ遺跡の男性は女性よりも同じ遺跡ではより多くの近い親族を有していた、と説明されています。この観察は、全ての1親等および2親等の関連の組み合わせを除外した後の、f3形式(女性、男性;ムブティ人)が、f3形式(女性、男性;ムブティ人)よりも、さらにf3形式(女性、女性;ムブティ人)よりも有意に高いと観察されたf3統計に基づいていました。f3外群統計は、共通の外群からの分岐後の2つの人口集団間の共有される遺伝的浮動を測定するために人口集団水準で用いられますが、1親等の親族特定にも役立ち、それは、1親等の親族がそのゲノムの半分を共有しているので、より高いf3値を報告するからです。

 父系を調べると、遺跡だけではなく、特定の建築複合(つまり近接)でもより高い居住安定性が観察されます(図2A)。おもな例は墓AY16のALM034で、これはその両親である墓AY22のALM048およびALM049の近くに埋葬された成人男性です。同様のシナリオは、墓AY26-2の女性ALM086で推測でき、ALM086はその成人の息子である墓AY27-1のALM058の近くの成人二重埋葬に葬られていました。残念ながら、ALM086とともに埋葬された配偶者から充分な古代DNAは得られず、その配偶者とALM058との間の生物学的な父性の証明はできませんでした。最後に、空間的に密接して埋葬された世代間の父系の別の事例は、墓AY80-1のALM015と墓AY80-2のALM016で、これは成人二重埋葬となり、墓AY80-0の曽孫であるALM017の頭蓋骨も含まれていました(図3)。

 直系性と局所性を推測する情報の他の情報源は、mtDNAハプログループ(mtHg)やY染色体ハプログループ(YHg)など片親性遺伝標識から収集されました。さまざまな遺伝学的解像度に関係なく、イベリア半島全域でも優勢なラ・アルモロヤ遺跡における唯一のY染色体系統であるYHg-R1b1a1b1a1a2a1(Z195)は顕著ですが、遺跡内水準では親族関係パターンの解決には使用できないので、より大きな規模もしくはY染色体の小さくて多様ではない供給源人口集団におけるずっと一般的な慣行が示唆されます。mtDNAの多様性も、先行期間においてイベリア半島で観察される多様性と類似しており、例外は、イベリア半島ではこれまで報告されてこなかったmtHg-R0aの女性1個体です。

 ラ・アルモロヤ遺跡内の近い親族関係の他に、墓AY16のALM034と、ラ・アルモロヤ遺跡から約50km離れたアルガル文化遺跡であるスペインのロルカ(Lorca)町のマドレス・メルセダリアス教会(Madres Mercedarias Church)の墓4_1に埋葬された40~50歳の女性1個体(MMI003)との間でも近い親族関係が見つかりました。MMI003の低網羅率のゲノムのため、生物学的近縁性検定は1親等と2親等との間の中間値を繰り返したので、注意して解釈する必要があります。1親等の親族関係の場合、MMI003は女性族外婚の直接的事例となるでしょう。2親等の親族関係の場合、移動性の種類は特定されず、それは、ラ・アルモロヤ遺跡を離れた親が、マドレス・メルセダリアス教会の女性(MMI003)の父親か母親だったかもしれないからです(図3)。

 IBD分析を用いると、3組の6~7親等の遺跡内親族関係も見つかり、ラ・アルモロヤ遺跡とラ・バスティダ遺跡の男性の組み合わせと男女の組み合わせが含まれており、両エル・アルガル文化遺跡にわたる生物学的親族の交流を接続します。さらに、ラ・アルモロヤ遺跡の第3期とバレンシアのBA遺跡であるラ・ホルナ(La Horna)遺跡(LHO)の遺跡間と個体間のつながりが見つかりました。この発見は、集中的な標本抽出計画を通じての、長距離の親族関係を検出する能力を浮き彫りにし、エル・アルガル文化内の拡張交流を強調しますが、近隣社会との政治的および経済的関係にも光を当てます。

 結果の統合された視点は、女性族外婚と父方居住の慣行へと傾斜し、そうした慣行では、若い女性は異なる居住地へと移動し、新たな親族関係を築きます。二重墓に埋葬された成人女性は、同じ遺跡に埋葬された親がおらず、子供から離れており、他の成人の親族もいないので、これらの慣行への裏づけを提供します。それは、二重墓に埋葬された女性が共同体外部から来て、地元男性との結婚を通じて統合されたので、男性系統の配偶者とみなされ得たことを示唆します。重要なことに、ラ・アルモロヤ遺跡における成人女性間の1親等もしくは2親等の親族関係が見つからなかった事実から、この慣行は相互的で、ラ・アルモロヤ遺跡の若い女性も他の遺跡へと移動した、と示唆されます。父方居住は、成人男性の移動性の欠如を意味するとは限りません。じっさい、本論文の結果は、遺跡における1親等の親族よりも2親等の親族が少ないことにより示されるように、両性のかなりの移動性も裏づけます。しかし、成人男性の子孫の存在による世代を通じての男性系統の追跡能力はあるものの、成人女性の子孫を通じてはそれがないことから(図4B)、男女の移動性にも関わらず父方居住が裏づけられます。

 遺伝学と人口統計学と他の文脈のデータの統合は、アルガル文化共同体の社会組織と親族関係慣行にさらなる光を当てます。遺伝学的および人類学的性別決定の結果は、未成年における男性のわずかな過剰(男性11個体に対して女性8個体)を示唆します。対照的に、成人女性の人数(53個体)は成人男性の人数(32個体)を上回っており、性比は男性に対して女性が1.65です。年代順の段階により区分すると、女性と男性の比率が経時的に増加し、第2期の1.48(女性31個体と男性21個体)から第3期の2.0(女性22個体と男性11個体)へと変わるものの、この違いは統計的に有意ではありません。ほとんどのアルガル文化のネクロポリス(大規模共同墓地)では、成人男性よりも成人女性の人数の方が多くなっています。

 乳児と成人における反対の傾向は、死亡率における広く観察される精査により説明でき、つまり女児より男児の方が死亡率は高い、というわけです。この影響で、アルガル文化男性における頭蓋外傷のより高い頻度は、暴力的紛争と遺跡外の死亡が建物内の埋葬の機会をより少なくしたので、成人男性の少なさにつながった、という可能性を提起します。しかし現時点では、この可能性は消極的な証拠によってのみ支持されます。第3期における子供の埋葬数(30事例)が第2期(10事例)より3倍高い、という事実も子供の死亡率増加を示している可能性があります。両方の不均衡な要因は社会的紛争の痕跡かもしれず、それは第3期末におけるラ・アルモロヤ遺跡、およびエル・アルガル遺跡やガタス(Gatas)遺跡やフエンテ・アラモ(Fuente Álamo)遺跡やカベゾ・ネグロ(Cabezo Negro)遺跡など同じ頃の他のエル・アルガル文化遺跡群の放棄、およびエル・アルガル領域国教のその後の崩壊と一致します。

 あるいは、アルガル文化墓地における成人の不均衡な性比は、男性の欠如ではなく女性の「過剰」を説明しているかもしれません。このシナリオは、流入してきた女性のかなりの人数だけではなく、結婚慣行と一致します。つまり、一夫多妻もしくは連続的な一夫一妻制です。それにも関わらず、女性族外婚だけが、ラ・アルモロヤ遺跡のデータから推測できる移動性の全ての形態を説明しているわけではありません。男性では、成人の兄弟および半兄弟の証拠の欠如から、父方居住は特定の男性にのみ限定されていた一方で、他の男性はラ・アルモロヤ遺跡を去ったかもしれません。男性は男性族外婚、他の集落への割り当て、アルガル文化の領域拡大と関連する移住・植民の過程の一部として出生地から離れたかもしれません。

 ラ・アルモロヤ遺跡以外の遺跡に埋葬された人々の古代DNAに関する将来の研究は、これらの可能性の検証にさらに寄与するでしょう。重要なことに、結婚慣行だけが、人々の地理的分布を条件づける唯一の要因とは限りません。ラ・アルモロヤ遺跡では、分析された個体の比較的多い数が、遺伝的に5親等を超えて近縁関係にはありませんでした。この事実は、生物学的親族関係に関係なく、経済および政治的関係が時空間を通じて、とくにエル・アルガル文化のようなひじょうに複雑な社会においては、移動性のパターンに強く影響を及ぼしているかもしれない、と想起させます。


●「結婚仮説」の再考

 成人の二重墓の3事例から報告された遺伝的データは、成人2個体が共通の子供のいる配偶者だったことを示唆します。しかし、利用可能なデータが、成人のいる他の二重墓がより遠い関係の個体も含んでいる可能性を除外するのかどうか、明確ではありません。古代DNAデータを通じて生物学的近縁性を検出する現在の手法は、データの品質と保存、および標本抽出計画の完全性により、4親等を超えての近縁性の正確な程度を確実に定義できる能力に限界があります。しかし、充分にデータ品質があれば、IBD手法を用いての最大6~8親等の関連性の検出は、1親等および2親等の関係もしくは「親族関係がないこと」と同じくらい信頼できて堅牢です。これは、成人2個体が系統学的に関連しているものの、1世紀、つまり3~5世代離れている確率を評価するさいに、心に留めておくのが重要です。じっさい、そうした世代間の空隙が、いくつかのエル・アルガル文化遺跡の23基の二重墓の放射性炭素年代組み合わせのベイズ分析に基づいて、先行研究で示唆されました。

 この仮説の再考のため、両個体の放射性炭素年代が利用可能な38基の成人二重墓へとデータセットが拡張されました。再分析された放射性炭素年代データ結果は、事例の大半(30事例、79%)について各墓における両成人の同時性を示唆し、他の遺跡の先行研究から8基の墓(21%)が残り、その放射性炭素年代の組み合わせは統計的に異なっていました。しかし、これらの墓の放射性炭素年代は、加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)年代測定の初期に生成されたものなので、各組み合わせ間の年代的な空隙が本当なのか、測定の不正確さに起因するのか明確にするには、体系的な年代再測定が必要でしょう。

 ラ・アルモロヤ遺跡の調べられた11事例における新たなゲノム証拠とAMS放射性炭素年代に基づいて、二重墓の成人2個体は親族関係になく、確実に3親等および4親等ほど密接に関連していない、と示せます(世代間隙を考慮して)。さらに、IBD分析で充分に高網羅率のデータのある二重埋葬(墓AY90のALM020とALM021、墓AY80のALM015とALM016)について、最大6~8親等の系統学的関係を間違いなく除外できます。ラ・アルモロヤ遺跡における11の二重埋葬すべての間の近縁性係数は、BAイベリア半島の個体の無作為に選択された組み合わせの大半と同等です。さらに、いくつかの配偶の組み合わせは、その共通の子供を通じて確証され、少なくとも一部の配偶者はともに埋葬された、という見解へのさらなる裏づけにつながります。性別による埋葬の順序は、新たな推測につながるかもしれません。19基の二重墓では、最初に埋葬された個体は13事例で男性で(68.4%)、女性は6例(31.6%)でした。したがって、社会的観点からは、男女両方に二重墓にまず入る権利があったようです。しかし、女性と男性の非対称的な権利は、複数の相手との配偶に拡張されなかったようで、それは、半キョウダイの全ての証明された事例が、父方での関係だったからです。

 どの事例でも、成人の二重埋葬が2個体間のつながりを強調するならば、次に、エル・アルガル文化において三重もしくはそれ以上の複数埋葬の墓がひじょうに稀であるという事実は、おそらく一夫多妻を例外的な慣行とするでしょう。それにも関わらず、二重墓ではなく単一墓が、アルガル文化の人々にとって埋葬の通常様式だった、と強調されねばなりません。さらに、異性の二重埋葬の成人全員が、配偶の組み合わせを反映しているとは限らないことに要注意です。考古学的には二重墓は、ともに子供を残したか、および/もしくは人生において配偶関係になったものの数十年離れた死亡した男女のいずれかを通じて、社会的集団を表す個体間の「同盟」の概念を象徴的に表現しています。そうした同盟を象徴する慣行は第2期には一般的だったものの、第3期には空間的にも社会的にもより制限されたようです。


●生物学的近縁性と社会階級

 社会的不平等はアルガル文化期のもう一つの顕著な特徴です。副葬品や食性や製作物や食糧生産と冶金への利用権利や身体的暴力の手段(武器)の違いは、EBAヨーロッパの文脈では際立っています。何世紀にもわたるそうした不比等の持続は、これまでに特定された3つの社会階級のうち2での世襲財産の権利に相応しいものです。ラ・アルモロヤ遺跡は、家系を通じての経済および政治的違いの追跡可能性を提供します。しかし、限定的な結論だけが、そうした少数の事例から導き出せます。第一に、若くして死亡した中間階級と支配階級の子供は一般的ではなく、それは、診断できる葬儀品目の大半が、15歳以後に死亡した個体で確保されており、社会的年齢の観点での通過儀礼か、あるいは年齢と階級の交差を示唆します。第二に、二重墓における副葬品の解釈・帰属は通常、議論の余地があり、それは、最初の埋葬と関連する一部もしくはおそらく品目の全てが、第二の埋葬のさいに取り除かれたと観察されてきたからです。最後に、経済および社会的名誉と権力は、近い生物学的親族の全体的な集団により、常に平等に伝達され、共有されるとは限りません。

 ラ・アルモロヤ遺跡の事例では、4基のエリート墓が記録されてきました。最初の二重墓AY80は、銅製の斧槍と短剣が供えられ、女性の後に埋葬された男性1個体を含む、印象的な石棺です。墓AY80の両個体からゲノムデータが得られ、この両個体は二重墓AY42に埋葬された男性1個体の両親だった、と示されます。しかし、墓AY42では、唯一の葬儀の供物は、二重墓における第二の個体と関連する首飾りで、1世代を超えての社会階級の喪失を意味します。しかし上述のように、墓AY42の最初に埋葬された個体に属する副葬品は、第二の葬儀において取り除かれ、それ故に「貧しくなった」たかもしれません。二重墓AY60は別のエリート埋葬を含んでおり、戦士の墓として象徴化されており、分析に成功しました。二重墓AY60の男性個体(ALM002)は、成人二重埋葬AY94の別の男性個体(ALM025)と2親等の関係にある中年女性(ALM001)の後に埋葬されており、その副葬品は下層階級に典型的です。これは、遺伝的つながりが富と特権の世襲伝達を意味しない事例かもしれません。第2期の残りの鉾槍の番人であるエリートの埋葬は、墓AY71が保存状態の悪さのため分析できません。

 第3期から報告された唯一エリート墓は、副葬品の豊富な二重墓AY38です。遺伝学的結果によると、墓AY38の両個体は、同じ遺跡の他の成人埋葬との明確な系統学的つながりを欠いていたので、「外部」の支配エリートが、第3期の開始を示す劇的な建築変化に関わっていた、という可能性が提起されます。興味深いことに、女性の東部周辺の象徴的な銀製の王冠(diadem、もしくはcrown)は、ラ・アルモロヤ遺跡の支配者を、そこから南方へ100km離れたエル・アルガル文化の名称の由来になったエル・アルガル遺跡に埋葬されたエリートと結びつけます。墓AY38の成人夫婦は、墓AY30に最初に埋葬された少女(ALM030)の両親でした。ALM030は同じ墓で見つかった第二の埋葬された少女(ALM031)の半姉妹(この場合は異母姉妹)で、ALM031の父親は墓AY38のALM039でした。興味深いことに、この異母姉妹の墓AY30は、墓AY38の建物の隣の建物に位置する副葬品のない単一の坑です。しかし、層序と年代からの詳細なデータでは、墓AY38の女性個体ALM038の死亡と墓AY30に埋葬されたその娘(ALM030)の堆積との間には、大きな社会的変化があり、それは墓AY38が設置された豪華な建物の崩壊を伴っていた、と示唆されます。これは権力関係と継承規則を混乱させたかもしれない、と本論文は主張します。


●まとめ

 ラ・アルモロヤ遺跡とその近隣の遺跡群における生物学的近縁性の研究は、EBAエル・アルガル文化社会の親族関係慣行と社会組織への新たな洞察を提供してきました。人類学と考古学とゲノムの結果の統合により、埋葬様式と生物学的近縁性推定の文脈化が可能となり、乳児の二重埋葬もしくは近接した乳児のまいそうは、全キョウダイもしくは半キョウダイだと分かりました。一般的に、生物学的近縁性のより近い親等のは、遺跡において墓の空間的分布に反映されている、と観察されます。

 アルガル文化の親族関係慣行についての優勢な仮説とは対照的に、本論文では、二重墓にともに埋葬された成人の男女は遺伝的に親族関係にないので、3事例で同じ遺跡に埋葬された共通の子供を儲けた異性配偶者のヒトのつながりを表す、協力関係や結婚や社会・政治的結合など、非生物学的な親族関係を反映している、と示されました。これは、エル・アルガル文化遺跡群の発見と発掘により提案された、元々の「結婚仮説」を裏づけます。しかし、厳密に一夫一妻制の異性夫婦が、この期間の二重墓の唯一の解釈とすべきではなく、それは、二重埋葬の男性1個体(ALM039)が、別の女性と子供を儲けていた1事例が見つかったからです。

 さらに、全ての再構築された家系の構造の比較は、相互的な女性族外婚との組み合わせにおける父方・夫方居住と父系の慣行を示唆します。これら親族関係慣行の主要な裏づけは、以下の3点に由来します。(a)ラ・アルモロヤ遺跡における、埋葬された成人女性の母方の両親の欠如、埋葬された夫婦の成人の娘の欠如、成人女性間の2親等の親族の不足、(b)父方のみでつながり、IBDを通じての遠い近縁性の推測により裏づけられる、最大5世代まで再構築された家系、(c)同じ父親を共有する異母姉妹の事例。半キョウダイの事例数と年代の解決では、連続的な一夫一妻と一夫一多妻との間を区別できません。半キョウダイの証明された事例は、1個体が複数の配偶相手を有した可能性がある、という明確な兆候です。しかし、三重もしくはそれ以上の複数埋葬の欠如は、配偶者の変更理由(それはさまざまで、早世だけではありません)に関わらず、一夫多妻よりも連続的な一夫一妻の方が可能性は高いと示します。さらに本論文は、父方居住慣行と関わらない男性の移動性も示唆しました。最後に、遺伝的に近縁ではない個体のかなりの数は、親族関係と結婚が一部だけの役割を果たした、同盟と紛争の一般的な枠組みに埋め込まれた可能性が最も高い、政治的および経済的要因に相応しいものです。

 ラ・アルモロヤ遺跡における年代順の発展を考えると、より初期の第2期(紀元前2000~紀元前1750年頃)の二重墓の多さは、アルガル文化集団で葬儀において表現されているように、社会・政治的同盟を強調しているようです。第3期には、葬儀記録内の親族関係はより内向的であり、家系の近い生物学的系統が顕著に強調されます。第2期と第3期両方にまたがる継続的な家系は、第3期における人口統計学的置換の可能性は低いと示しますが、副葬品の違いにより反映されている不平等の兆候増加は、変化する地域的な政治的支配の影響を示唆しているかもしれません。

 先史時代のヨーロッパにおけるさまざまな地域と期間からの遺跡内研究の増加に照らして、本論文はおもに、女性のより高い移動性との組み合わせにおける夫方居住で父系子孫集団、フランスのノルマンディーのフルーリー・シュル・オルヌ(Fleury-sur-Orne、略してFLR)遺跡(関連記事)や、イギリスのグロスターシャー(Gloucestershire)州のヘイズルトンノース(Hazleton North)遺跡(関連記事)や、アイルランドのニューグレンジ(Newgrange)遺跡(関連記事)や、ポーランド南部のコシツェ(Koszyce)遺跡(関連記事)など、すでに新石器時代には可視化されていた社会組織形態への傾向を観察します。したがって本論文では、EBAの大規模な変容は劇的な変化により必ずしも引き起こされなかった、と主張されます。つまり、暴力的な事象と社会構造の完全な置換ではなく、社会・経済的および人口統計学的要因が、不平等と階層化の台頭を促進したすでに存在していた社会・政治的条件と遭遇した、というわけです。

 重要なことに、この研究は、遺跡内水準における埋葬儀式と親族関係慣行と社会組織の解釈における、考古学とゲノムの証拠の統合の可能性を示します。比較可能な遺跡と地域に関する将来の研究が、ヨーロッパ全体の規模でEBA社会の社会組織についてより微妙な結論を導き出すのに必要です。


参考文献:
Villalba-Mouco V. et al.(2022): Kinship practices in the early state El Argar society from Bronze Age Iberia. Scientific Reports, 12, 22415.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-25975-9

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