鉄器時代から現在のスカンジナビア半島の人類史
鉄器時代から現在のスカンジナビア半島の人類のゲノムデータを報告した研究(Rodríguez-Varela et al., 2023)が公表されました。古代人のゲノムの新たな48点と刊行されている249点、および現代人16638個体の遺伝子型に基づいて、鉄器時代から現在までのスカンジナビア半島の2000年の遺伝的横断区が調べられました。3供給源からの遺伝子流動の時期と規模の地域差が見つかりました。それは、バルト海東部とブリテン諸島とヨーロッパ南部です。ブリテン諸島【以下、基本的にアイルランド島も含みます】祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)はヴァイキング期からスカンジナビア半島に広がっていましたが、バルト海東部祖先系統はゴットランド島とスウェーデンにより局在しています。いくつかの地域では、外部祖先系統の水準低下から、古代の移民がスカンジナビア半島現代人の遺伝子プールに貢献した割合は、ヴァイキング期と中世のゲノムの祖先系統により示唆されているよりも少なかった、と示されます。最後に、スカンジナビア半島現代人を特徴づける南北の遺伝的勾配は、ウラル祖先系統におもに起因し、この勾配はヴァイキング期かそれ以前に存在したかもしれない、と示されます。
●研究史
ほとんどの現代ヨーロッパの人口集団の祖先系統は、わずかに異なる割合で、おもに以下の3古代遺伝的供給源にたどれます。それは、ヨーロッパ中石器時代狩猟採集民、アナトリア半島新石器時代農耕民、草原地帯からの前期青銅器時代集団です(関連記事)。スカンジナビア半島におけるこれら供給源の混合は、比較的よく記録されています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。しかし、青銅器時代の後のスカンジナビア半島への移住の影響の程度は、あまり明確ではありません。古代DNAに基づく2つの研究は、ヴァイキング期(750~1050年)におけるスカンジナビア半島への遺伝子流動を示唆します(関連記事)。スカンジナビア半島現代人の他の研究は、ウラル祖先系統の北方への顕著な増加を記録しており、青銅器時代末に向かってバルト海東部地域へのウラル祖先系統の遺伝子流動と関連している可能性が高そうです(関連記事)。
ローマ期鉄器時代(1~400年)の末と移動期(400~550年)の始まりには、スカンジナビア半島では新たな回想が出現し、宗教的・社会的・経済的権力がエリートに集中し、遠くローマ帝国【ビザンツ帝国】にまで及ぶ社会的交流から利益を得ました。長距離交易と傭兵の活動は、階層的で不安定な政治権力構造における富と地位の獲得と蓄積の手段を提供しました。しかし、これらの期間におけるスカンジナビア半島人の遺伝子プールへの移住の影響は、よく知られていません。ヴァイキング期は、それ以前の期間と比較して、スカンジナビア半島における商品と習慣と技術と人々の出入りの流れの顕著な増加と関連しています。この期間における移住の兆候の一つは、南方と西方と東方からスカンジナビア半島への遺伝子流動の観察です(関連記事)。
本論文は、ローマ期鉄器時代の始まり(1世紀)から19世紀までの2000年の時間横断区にまたがるスカンジナビア半島古代人297個体の拡張一式と、デンマークとノルウェーおよびスウェーデンの各州からの現代人16638個体の遺伝子型を用いて、スカンジナビア半島人の遺伝子プールへの移住の影響を評価します(図1)。古代人48個体の新たな全ゲノム配列(whole genome sequence、略してWGS)データが、スウェーデンのシグトゥーナ(Sigtuna)町の以前に刊行されたヴァイキング期13個体の追加の配列深度を含めて、古代人249個体の以前に刊行されているWGSデータと統合されます。新たな遺跡には、舟の埋葬、玄室埋葬、移住期のサンドビィ・ボルグ円形土砦(Sandby borg ringfort)のような考古学的遺跡と、1676年にスウェーデンの南東岸沖合のエーランド(Öland)島の近くで沈没したスウェーデンの軍艦クローナン(Kronan)の12個体が含まれます。以下は本論文の図1です。
これらの個体は5期に分類されました。それは、先ヴァイキング期(1~749年)、ヴァイキング期(750~949年)、後期ヴァイキング期(950~1099年)、中世(1100~1349年)、中世以後(1350~1850年)です(図1)。これらの期間は、年代順の漢リュク氷期として用いられ、それはヴァイキング期もしくは後期ヴァイキング期の全ての個体がじっさいに「ヴァイキング」であることを意味している、と意図しているわけではなく、単にこれらの期間に生きていた個体を意味します。スカンジナビア半島人の遺伝子プールを地理的および年代的に区分することにより、ローマ期鉄器時代末から現在にかけてスカンジナビア半島人の遺伝子プールを形成した事象の性質と規模についての推測が可能です。とくに、二つの主要な目的があります。第一に、この期間におけるスカンジナビア半島への遺伝子流動の時期と地理的範囲の記録です。第二に、いつどのように現在観察される南北の遺伝的勾配がノルウェーとスウェーデンで形成され、この過程において遺伝的祖先系統の変化がどの程度役割を果たしたのか、調べることです。
●スカンジナビア半島古代人77個体の新たなゲノムデータ
新たな64個体と以前に刊行された13個体のWGSデータが生成されました。全ての個体は古代DNAの典型的特徴を示し、その中には短い読み取り長や読み取り末端におけるシトシンの脱アミノ化が含まれます。DNA汚染は、先行研究で説明されているように、X染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の両方で推定されました。X染色体が2本ある標本【遺伝学的な性別が女性】については、mtDNAで10%超の汚染を示したならば、X染色体が1本の標本【遺伝学的な性別が男性】については、X染色体とmtDNAの両方で10%超の汚染を示したならば、汚染されているとみなされました。
新たに生成されたWGSデータから、常染色体の網羅率が0.1倍未満の個体と、k0値が0.8未満でpi_HATが0.06超(3親等の親族関係)の遺伝的に親族関係の個体の組み合わせのうち、より低い網羅率の個体が除外されました。残りの新たな48個体の常染色体網羅率の範囲は0.11~64.84倍(中央値は1.33倍)です。合計で新たな48個体と以前に刊行された249個体の古代人のゲノムが、その後の分析で用いられました。
●スカンジナビア半島への遺伝子流動の起源と成り行き
異なる5期間の古代の個体間の遺伝的違いの性質と程度を調べるためまず、ヨーロッパ西部の67の人口集団の現代人9052個体から得られた一塩基多型(SNP)168599ヶ所について、マイクロアレイ遺伝子型に基づく主成分分析(PCA)に、これら古代の個体群が投影されました(図2)。これら現代の個体群を、第一主成分(PC1)が現代の個体を南北の地理的軸にしたがって分離する一方で、第二主成分(PC2)は東西の軸に沿って分離します。PCA図の右上に配置されたスカンジナビア半島現代人は、ほとんどのヨーロッパ西部およびバルト海人口集団とは充分に区別されています。以下は本論文の図2です。
興味深いことに、スカンジナビア半島古代人の平均的な投影されたPC1およびPC2の座標は、経時的に変化します(図2A)。まず、先ヴァイキング期個体群はPC1およびPC2両方でスカンジナビア半島現代人とは有意に異なります(図2A)。先ヴァイキング期個体群は新石器時代および中石器時代スカンジナビア半島狩猟採集民の方向においてPC1では正の値の方へと動き、一部の個体は全てのヨーロッパ現代人の範囲外に収まります。ヴァイキング期および後期ヴァイキング集団も、PC1ではスカンジナビア半島現代人と有意に異なりますが、その方向は反対(負)です。対照的に、より新しい中世およびそれ以後のスカンジナビア半島人は、PC1ではスカンジナビア半島現代人と有意に異なるわけではありません。しかし、PC2では、中世以後のスカンジナビア半島人はスカンジナビア半島現代人とは有意に異なります。
本論文の結果は、ヴァイキング期におけるブリテン諸島からスカンジナビア半島への遺伝子流動の高まりと、後期ヴァイキング期における東方からの追加の遺伝子流動を示唆しており、先行研究(関連記事)で報告された結果と一致します。経時的にさまざまな供給源からスカンジナビア半島への遺伝子流動の影響について、f4形式(ムブティ人、古代人集団;デンマーク人、現代の人口集団)のf4統計を用いて形式的に検証されました。この場合、ムブティ人は外群を表し、現代の人口集団は古代の非スカンジナビア半島人の供給源人口集団との可能性がある集団の代理で、デンマークの個体群はスカンジナビア半島最南端の人口集団を表しています。
スカンジナビア半島のさまざまな期間の集団へのヨーロッパの西方と南方と東方からの遺伝子流動を検出するため、異なるヨーロッパ地域の代理として現代の3人口集団が選択されました。それは、西方についてはアイルランド人(イギリス・アイルランド人)、南方についてサルデーニャ島人(ヨーロッパ南部)、東方についてはリトアニア人(バルト海)です。ヨーロッパの東方と西方と南方からスカンジナビア半島への遺伝子流動の時期と地理的範囲をより深く理解するため、ノルウェーとスウェーデンの古代の個体群が下位地域で分割されました。それは、北方と中央と南方で、スウェーデンのゴットランド島は別の地域とされました(図1)。非スカンジナビア半島人の3供給源人口集団との類似性は、先ヴァイキング期には低いものの、スカンジナビア半島古代人のほぼ全ての他のその後の期間ではより高くなり、ヴァイキング期におけるこれらの地域からスカンジナビア半島への遺伝子流動と一致します(図3A~C)。以下は本論文の図3です。
図3Aはヴァイキング期および後期ヴァイキング期におけるゴットランド島へのバルト海東部祖先系統の顕著な遺伝子流動を示唆しています。ゴットランド島は東方からスウェーデンへの自然の入口で、中世以後の期間までスウェーデンの中央部および南部でより漸進的な増加が続きました。興味深いことに、スウェーデンの南部および中央部地域の現在の個体群は、バルト海東部祖先系統の比較的低水準により特徴づけられ、先ヴァイキング期の個体群と類似しています。図3Aは、さまざまな期間にわたるスウェーデン北部およびノルウェーの地域集団におけるバルト海東部祖先系統の低い程度を示しており、バルト海東部供給源人口集団からのより遠い地理的距離と一致します。
図3Bは、スカンジナビア半島へのブリテン諸島祖先系統の遺伝子流動のわずかに異なるパターンを明らかにしており、先ヴァイキング期集団では一様に低水準ですが、スウェーデン南部とデンマークのヴァイキング期には顕著な初期の増加がありました。スウェーデン南部では、ブリテン諸島祖先系統はその後、経時的に現代の水準へと減少しますが、先ヴァイキング期よりも有意に多いままでした。先ヴァイキング期個体群のいるスカンジナビア半島の7地域全てで、先ヴァイキング期よりも現代の人口集団においてブリテン諸島祖先系統のより高い水準が一貫して見られます。これは、ブリテン諸島からスカンジナビア半島への持続的で広範な遺伝子流動を示しており、ヴァイキング期の移住に起因する可能性が最も高そうです。それにも関わらず、ススカンジナビア半島とブリテン諸島の現代の人口集団間の比較的明確な違いにより見られるように、カンジナビア半島へのブリテン諸島からの遺伝子流動の全体的な規模は小さかったようです(関連記事)。
全体的に、スカンジナビア半島の古代人集団はサルデーニャ島現代人とよりもアイルランドの現代の個体群の方と大きな類似性を有しています(図3B)。それにも関わらず、地域および期間全体の類似性のパターンは大まかには類似しており、これら検証された2人口集団が部分的には遺伝子流動の同じ兆候を捕獲した、と示唆されます。じっさい、f4モデルが古代の個体ごとに計算されると、0.735の相関係数が観察されます。しかし、図2BのPCAとブリテン諸島およびサルデーニャ島祖先系統の直接的な比較の両方から、これらの祖先系統は区別でき、ブリテン諸島祖先系統およびヨーロッパ南部祖先系統の両方を有する個体群が、先行研究(関連記事)で示されたように、ヴァイキング期のスカンジナビア半島に存在していた、と示唆されます。これらの結論は、qpAdm手法に基づく結果によりさらに裏づけられます(図4)。以下は本論文の図4です。
ブリテン諸島からの遺伝子流動の決定的な事例は、スウェーデン中央部で見つかった後期ヴァイキング期の女性1個体(sal002)で、その祖先系統は完全にブリテン諸島系に見えます。本論文の結果は、ヴァイキング期の前におけるブリテン諸島からスカンジナビア半島への最小限の遺伝子流動を示唆しますが、個体VK213において興味深い一つの例外が見つかり、この若い女性個体はデンマークのゲルドルプ(Gerdrup)で発掘され、その年代は5世紀頃(391~527年)です。VK213はスカンジナビア半島で発見された古代人297個体ではブリテン諸島祖先系統では3番目に高いf4値を示しており、PCA投影とqpAdmの結果から、VK213はブリテン諸島にその祖先系統のほとんどをたどれる可能性が高い、と示唆されます。この発見は、VK213がブリテン諸島【この場合はアイルランド島を含みません】へのアングロ・サクソンの移住の間接的な結果としてデンマークに行き着いた、という可能性を提起します。
スカンジナビア半島への遺伝子流動における性別偏りの可能性を調べるため、常染色体遺伝子座に基づく以前に説明されたf4形式(ムブティ人、X人口集団;デンマーク人、C人口集団)のf4統計分析が、X染色体遺伝子座のみに基づく同等の分析と比較されました。X染色体のf4統計は使用された遺伝子座がより少ないことに起因する標準誤差の広さに要注意ですが、図5で示される結果は、バルト海東部祖先系統のスカンジナビア半島への遺伝子流動と、それよりは少ないものの、ブリテン諸島祖先系統も女性に偏っていた、という少なくとも暫定的な証拠を提供します。ブリテン諸島に特徴的な(関連記事)Y染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1a2a1a2c1(P312/L21/M529)を有している、後期ヴァイキング期の2個体(VK31とVK405)と中世の1個体(wes008)の形で、男性を通じてのブリテン諸島からの遺伝子流動の直接的証拠も観察されます。以下は本論文の図5です。
●スカンジナビア半島における南北の遺伝的勾配
先行研究は、スカンジナビア半島現代人における遺伝的差異の顕著な南北の勾配を報告してきました。スカンジナビア半島北部人の区別は、小さな人口規模による遺伝的浮動とウラル語族話者集団からの遺伝子流動の組み合わせに起因した、とされてきました。スカンジナビア半島現代人におけるウラル関連祖先系統の地理的パターンを調べるため、まずスカンジナビア半島現代人16638個体の完全な一式でf4形式(ムブティ人、X;デンマーク人、フィンランド人)のf4統計が計算され、ここではデンマーク人とフィンランド人がそれぞれ勾配の南端と北端を表し、Xがノルウェーの19州もしくはスウェーデンの21州を表します。
フィンランド人は、ウラル祖先系統を比較的高水準で有しており(関連記事)、ウラル語族の言語を話す近隣の人口集団という理由で、ウラル供給源人口集団を表しています。図6Aは、ノルウェーとスウェーデン両国における南に向かって減少するウラル祖先系統の明確な勾配パターンを示しており、ノルウェーよりもスウェーデンにおいてより顕著で直接的です。本論文でシベリア・ウラル祖先系統の代理として用いられたアジア東部およびアメリカ大陸先住民祖先系統について、ほぼ同様のパターンが見られます(図6B)。これらは、1000人ゲノムデータセットの5学習人口集団を用いてのADMIXTUREの教師あり実行で推定されました。その5人口集団とは、ヨーロッパ北部および西部祖先系統を有するユタ州住民(CEU)、イギリスのインド系テルグ人(ITU)、北京の漢人(CHB)、リマのペルー人(PEL)、ナイジェリアのイバダン(Ibadan)のヨルバ人(YRI)です。
南北の違いをさらに調べるため、まずスカンジナビア半島現代人16638個体に基づくPCAにおける最初の10PCを用いて、デンマークの現代人1606個体と、ノルウェーの現代人7835個体それぞれと、スウェーデンの現代人7647個体の間で、平均的なユークリッドPC距離が計算されました。ノルウェーとスウェーデンの州ごとにこれらの距離を要約すると、勾配パターンが再び観察され、北部でPC距離が最大となります(図6C)。PC距離は具体的にウラル祖先系統を標的としているのではなく、PCにより検出された違いを反映していることに要注意です。したがって、f4形式(ムブティ人、X;デンマーク人、フィンランド人)のf4統計で、アジア東部(CHB)祖先系統とアメリカ大陸先住民(PEL)祖先系統が、線形回帰でのデンマーク現代人とのPC距離における差異の80%を説明する、という観察から、スカンジナビア半島の南北間の遺伝的差異の勾配パターンはウラル祖先系統の水準の違いにおもに起因する、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
いつどのように南北の勾配が出現したのか、解明するため、スカンジナビア半島のさまざまな地域の古代人297個体について、同じ統計が計算されました。図7は各期間の散布図で、これらの統計のうちf4形式(ムブティ人、X;デンマーク人、フィンランド人)のf4統計とデンマーク人からのPCA距離という2つを用いて、古代の個体群と現代の地域的集団を比較します。とくに、両方の統計で極端な値を要するノルウェー北部のヴァイキング期の2標本、つまりVK519とサーミ人に特徴的なmtDNAハプログループ(mtHg)U5b1b1a を有するVK518から、ウラル祖先系統を有する個体群はその頃にスカンジナビア半島北部に入植し、ADMIXTUREはスカンジナビア半島南部祖先系統により特徴づけられる集団で行なわれた、と示されます。しかし、ヴァイキング期から現在にかけて勾配の緯度形態がどの程度発展したのか判断するには、スカンジナビア半島の中央部および北部地域の古代の個体群のより多くのデータが必要です。以下は本論文の図7です。
スカンジナビア半島現代人では、ウラル関連のYHg-N1a1の地理的分布に反映されている勾配と、その常染色体祖先系統勾配との関連も見つかりました。したがって、YHg-N1a1は、南北勾配を形成した同じウラル語族話者からの遺伝子流動経由でスカンジナビア半島の人口集団に入ったかもしれません。しかし、興味深いことに、スウェーデン東部の4ヶ所の遺跡から得られた先ヴァイキング期の6個体(200~520年頃)スカンジナビア半島の最初のYHg-N1a1は、現代のノルウェーとスウェーデンのYHg-N1a1個体群よりも、少ない北方との類似性を示す、と観察されます。逆に、ヴァイキング期から中世以後のYHg-N1a1を有する13個体は、現代のYHg-N1a1個体群と有意に異なるわけではありません。これは、スカンジナビア半島へのYHg-N1a1の、南部祖先系統の現代の勾配に沿ったその後の拡散の前の、より古い最初の到来を示唆しているかもしれません。
本論文の結果から、南北の勾配が何らかの形でヴァイキング期の前に存在したのかどうか、語れず、それは、先ヴァイキング期の25個体は、かなりの水準のウラル祖先系統を有していないからです。図7Aは、いくらかのウラル祖先系統を示唆する証拠としてせいぜい解釈できる点の、ひじょうに微妙な上向きの曲線を示します。この曲線の末端に位置する、スウェーデン北部のヴェステルノールランド(Västernorrland)のロンベック(Rombäck)の450~500年頃となる女性1個体(rtp003)は、先ヴァイキング期個体群では最高のf4値を有しており、ウラル祖先系統を示唆しているかもしれない、アメリカ大陸先住民(PEL)祖先系統の低い割合(1.4%)が割り当てられています。しかし、より決定的な証拠の提供には、先ヴァイキング期の追加の個体が必要です。
中世以後には、顕著な水準のウラル祖先系統を示すのは、軍艦クローナンの乗組員4人(kro006とkro009とkro011とkro014)だけで(図7E)、そのうち2個体はYHg-N1a1です。この期間の24個体のうち12個体は、難破船クローナンに由来し、この12個体はノルウェー中央部に由来します。クローナンの乗組員全員は、本論文におけるスウェーデン南部人に分類され、それは、そこで難破船が発見され、遺骸が回収されたからです。しかし、歴史的記録から、歩兵はヴェステルボッテン(Västerbotten)のようなスウェーデン北部の州、スウェーデン南東部沿岸の船員、フィンランドの一部の士官から募集された、と示唆され、それは本論文の結果とよく一致します。
●考察
ローマ期の始まりから現在に至る、2000年間にわたるスカンジナビア半島のさまざまな地域への遺伝子流動の影響に関する本論文の分析は、ヴァイキング期における大きな増加と、バルト海東部祖先系統、およびそれよりは少ないもののブリテン諸島祖先系統の到来における女性への偏りの可能性を示唆します。この期間におけるブリテン諸島からの遺伝子流動は、スカンジナビア半島のほとんどの地域の遺伝子プールに持続的な影響を与えたようです。これは、繰り返しの侵入を伴う8世紀に始まり、11世紀の北海帝国で最高潮に達する、ブリテン諸島におけるスカンジナビア半島古代人の活動の範囲、およびデンマークとノルウェーとイングランドの王国を結びつけた個人的連合を考えると、恐らく驚くべきことでありません。この時点でスカンジナビア半島に到来したブリテン諸島祖先系統の人々の状況と運命は、奴隷の強制移住から、キリスト教の宣教師や修道士などより高い階級の個体の自発的な移住まで、さまざまだった可能性が高そうです。
スウェーデン中央部のサラ(Sala)における舟の埋葬で見つかった後期ヴァイキング期の女性1個体(sal002)は、興味深い事例を提示します。sal002はその祖先系統が完全にブリテン諸島系で、その埋葬の特徴から、sal002はおそらく自身を埋葬した共同体において社会的地位が高かった、と示唆されます。この状況は、デンマークのゲルドルプで見つかった女性1個体(VK213)とはひじょうに異なっていたかもしれず、VK213もその祖先系統がブリテン諸島系であるものの、副葬品なしで埋葬されたようです。この発見は、ブリテン諸島からのスカンジナビア半島への遺伝子流動が【アイルランド島以外の】ブリテン諸島へのアングロ・サクソン移住期となる5世紀には少なくとも始まった、と示唆するものの、本論文の結果から、そのほとんどはヴァイキング期に起きた、と示唆されます。遺伝子プールへの全体的な影響は小さかったものの、ブリテン諸島からの遺伝子流動はスカンジナビア半島の全地域に持続的な影響を与えたので、スカンジナビア半島現代人は同じ地域の先ヴァイキング期個体群よりも多くのブリテン諸島祖先系統を有している、と示されます(図3B)。
不思議なことに、ブリテン諸島祖先系統の規模は、とくにスウェーデン南部において、現在よりもヴァイキング期および後期ヴァイキング期の方で大きい傾向が見られます。スウェーデン南部については、さまざまな期間で比較的大きい標本規模があります。これは、トロンハイム(Trondheim)の局所的規模で最近論証された傾向の一般化を表しています。この種のより顕著なパターンは、ゴットランド島およびスウェーデン中央部におけるバルト海東部祖先系統で見られます(図3A)。ヴァイキング期のこれらの地域におけるバルト海東部祖先系統の増加は、属国関係や交易や紛争や条約など、接触を証明する歴史資料と一致します。しかし、その先行者と比較してのこれらの地域の現代の個体群におけるバルト海東部祖先系統の顕著な低下には、さらなる注意が必要です。
比較的短期間でのそうした大規模な転換については、考えられる理由は三つあります。第一に、そうした祖先系統の少ない他地域からの遺伝子流動の介在です。第二に、祖先系統による何らかの方法で階層化された社会的階層に起因する過去の繁殖の制限で、これは、アイスランドの入植の最初の世代におけるスカンジナビア半島古代人およびゲール人祖先系統との関連で、先行研究(関連記事)において仮定されていました。第三に、同じ年代と場所に生きていた人々と比較しての、特定の祖先系統を有する個体群の考古学的記録の過剰出現で、たとえば、葬儀伝統の祖先系統と関連した違いに起因します。火葬は、前期ヴァイキング期までの鉄器時代における主流の葬儀伝統と考えられているので、古代DNAを得られるこの期間の遺骸は、重要な意味で例外的です。また、いくつかのヴァイキング期および後期ヴァイキング標本は、農村共同体ではなく広範な交易網のあった都市環境に由来します(関連記事)。
したがって、ヴァイキング期および後期ヴァイキングの利用可能な古代人のゲノムは、それらの期間に生きていたスカンジナビア半島現代人の全ての祖先からの無作為標本ではないかもしれません。現時点での証拠に基づくと、上述のこれら三つの説明のうちどれが、バルト海東部祖先系統の明らかな地域的に特有の減少を説明できるのか、あるいは複数の理由が影響を及ぼしたのかどうか、判断は困難です。本論文は比較的多数の古代ゲノムに基づいていますが、時空間的に遺伝子プールの進化について詳細な規模の問題に答えるには、さらに多くの古代ゲノムが必要でしょう。以下は本論文の要約図です。
本論文は、スカンジナビア半島における現在観察される遺伝的差異の南北の勾配の性質と起源にも光を当て、これはおもに、ヴァイキング期および恐らくはそれ以前に存在したウラル祖先系統の北へ向かっての増加に起因する、と示します。現在のフィンランド人とクラスタ化する(まとまる)軍艦クローナンの船員の部分集合は、スカンジナビア半島内におけるウラル祖先系統の拡大を続けたこの種の移動力の比較的後期の事例を提供します。スカンジナビア半島北部のより多くの古代人のゲノムで、ウラル祖先系統を有する集団がいつ最初にこの地域に流入してきたのか判断することと、特徴的な現代の勾配が南北間のその後の双方向の遺伝子流動からどのように出現したのか、より詳しく記録することの両方が可能になるかもしれません。
しかし、全体的に、本論文では、ひじょうに多くの他のヒト集団の事例のように(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、スカンジナビア半島の長期の人口史は、いくつかの異なる供給源人口集団からの遺伝子流動により特徴づけられ、ウラル祖先系統の南北の勾配の事例における広範な影響がある、と論証されます。
●この研究の限界
紀元前500~紀元後1年の期間の標本の欠如は、部分的には火葬がこの期間における主要な葬儀伝統だったためですが、その結果、スカンジナビア半島の遺伝的歴史が過去2000年間に制約されました。
参考文献:
Rodríguez-Varela R. et al.(2023): The genetic history of Scandinavia from the Roman Iron Age to the present. Cell, 186, 1, 32–46.E19.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2022.11.024
●研究史
ほとんどの現代ヨーロッパの人口集団の祖先系統は、わずかに異なる割合で、おもに以下の3古代遺伝的供給源にたどれます。それは、ヨーロッパ中石器時代狩猟採集民、アナトリア半島新石器時代農耕民、草原地帯からの前期青銅器時代集団です(関連記事)。スカンジナビア半島におけるこれら供給源の混合は、比較的よく記録されています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。しかし、青銅器時代の後のスカンジナビア半島への移住の影響の程度は、あまり明確ではありません。古代DNAに基づく2つの研究は、ヴァイキング期(750~1050年)におけるスカンジナビア半島への遺伝子流動を示唆します(関連記事)。スカンジナビア半島現代人の他の研究は、ウラル祖先系統の北方への顕著な増加を記録しており、青銅器時代末に向かってバルト海東部地域へのウラル祖先系統の遺伝子流動と関連している可能性が高そうです(関連記事)。
ローマ期鉄器時代(1~400年)の末と移動期(400~550年)の始まりには、スカンジナビア半島では新たな回想が出現し、宗教的・社会的・経済的権力がエリートに集中し、遠くローマ帝国【ビザンツ帝国】にまで及ぶ社会的交流から利益を得ました。長距離交易と傭兵の活動は、階層的で不安定な政治権力構造における富と地位の獲得と蓄積の手段を提供しました。しかし、これらの期間におけるスカンジナビア半島人の遺伝子プールへの移住の影響は、よく知られていません。ヴァイキング期は、それ以前の期間と比較して、スカンジナビア半島における商品と習慣と技術と人々の出入りの流れの顕著な増加と関連しています。この期間における移住の兆候の一つは、南方と西方と東方からスカンジナビア半島への遺伝子流動の観察です(関連記事)。
本論文は、ローマ期鉄器時代の始まり(1世紀)から19世紀までの2000年の時間横断区にまたがるスカンジナビア半島古代人297個体の拡張一式と、デンマークとノルウェーおよびスウェーデンの各州からの現代人16638個体の遺伝子型を用いて、スカンジナビア半島人の遺伝子プールへの移住の影響を評価します(図1)。古代人48個体の新たな全ゲノム配列(whole genome sequence、略してWGS)データが、スウェーデンのシグトゥーナ(Sigtuna)町の以前に刊行されたヴァイキング期13個体の追加の配列深度を含めて、古代人249個体の以前に刊行されているWGSデータと統合されます。新たな遺跡には、舟の埋葬、玄室埋葬、移住期のサンドビィ・ボルグ円形土砦(Sandby borg ringfort)のような考古学的遺跡と、1676年にスウェーデンの南東岸沖合のエーランド(Öland)島の近くで沈没したスウェーデンの軍艦クローナン(Kronan)の12個体が含まれます。以下は本論文の図1です。
これらの個体は5期に分類されました。それは、先ヴァイキング期(1~749年)、ヴァイキング期(750~949年)、後期ヴァイキング期(950~1099年)、中世(1100~1349年)、中世以後(1350~1850年)です(図1)。これらの期間は、年代順の漢リュク氷期として用いられ、それはヴァイキング期もしくは後期ヴァイキング期の全ての個体がじっさいに「ヴァイキング」であることを意味している、と意図しているわけではなく、単にこれらの期間に生きていた個体を意味します。スカンジナビア半島人の遺伝子プールを地理的および年代的に区分することにより、ローマ期鉄器時代末から現在にかけてスカンジナビア半島人の遺伝子プールを形成した事象の性質と規模についての推測が可能です。とくに、二つの主要な目的があります。第一に、この期間におけるスカンジナビア半島への遺伝子流動の時期と地理的範囲の記録です。第二に、いつどのように現在観察される南北の遺伝的勾配がノルウェーとスウェーデンで形成され、この過程において遺伝的祖先系統の変化がどの程度役割を果たしたのか、調べることです。
●スカンジナビア半島古代人77個体の新たなゲノムデータ
新たな64個体と以前に刊行された13個体のWGSデータが生成されました。全ての個体は古代DNAの典型的特徴を示し、その中には短い読み取り長や読み取り末端におけるシトシンの脱アミノ化が含まれます。DNA汚染は、先行研究で説明されているように、X染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の両方で推定されました。X染色体が2本ある標本【遺伝学的な性別が女性】については、mtDNAで10%超の汚染を示したならば、X染色体が1本の標本【遺伝学的な性別が男性】については、X染色体とmtDNAの両方で10%超の汚染を示したならば、汚染されているとみなされました。
新たに生成されたWGSデータから、常染色体の網羅率が0.1倍未満の個体と、k0値が0.8未満でpi_HATが0.06超(3親等の親族関係)の遺伝的に親族関係の個体の組み合わせのうち、より低い網羅率の個体が除外されました。残りの新たな48個体の常染色体網羅率の範囲は0.11~64.84倍(中央値は1.33倍)です。合計で新たな48個体と以前に刊行された249個体の古代人のゲノムが、その後の分析で用いられました。
●スカンジナビア半島への遺伝子流動の起源と成り行き
異なる5期間の古代の個体間の遺伝的違いの性質と程度を調べるためまず、ヨーロッパ西部の67の人口集団の現代人9052個体から得られた一塩基多型(SNP)168599ヶ所について、マイクロアレイ遺伝子型に基づく主成分分析(PCA)に、これら古代の個体群が投影されました(図2)。これら現代の個体群を、第一主成分(PC1)が現代の個体を南北の地理的軸にしたがって分離する一方で、第二主成分(PC2)は東西の軸に沿って分離します。PCA図の右上に配置されたスカンジナビア半島現代人は、ほとんどのヨーロッパ西部およびバルト海人口集団とは充分に区別されています。以下は本論文の図2です。
興味深いことに、スカンジナビア半島古代人の平均的な投影されたPC1およびPC2の座標は、経時的に変化します(図2A)。まず、先ヴァイキング期個体群はPC1およびPC2両方でスカンジナビア半島現代人とは有意に異なります(図2A)。先ヴァイキング期個体群は新石器時代および中石器時代スカンジナビア半島狩猟採集民の方向においてPC1では正の値の方へと動き、一部の個体は全てのヨーロッパ現代人の範囲外に収まります。ヴァイキング期および後期ヴァイキング集団も、PC1ではスカンジナビア半島現代人と有意に異なりますが、その方向は反対(負)です。対照的に、より新しい中世およびそれ以後のスカンジナビア半島人は、PC1ではスカンジナビア半島現代人と有意に異なるわけではありません。しかし、PC2では、中世以後のスカンジナビア半島人はスカンジナビア半島現代人とは有意に異なります。
本論文の結果は、ヴァイキング期におけるブリテン諸島からスカンジナビア半島への遺伝子流動の高まりと、後期ヴァイキング期における東方からの追加の遺伝子流動を示唆しており、先行研究(関連記事)で報告された結果と一致します。経時的にさまざまな供給源からスカンジナビア半島への遺伝子流動の影響について、f4形式(ムブティ人、古代人集団;デンマーク人、現代の人口集団)のf4統計を用いて形式的に検証されました。この場合、ムブティ人は外群を表し、現代の人口集団は古代の非スカンジナビア半島人の供給源人口集団との可能性がある集団の代理で、デンマークの個体群はスカンジナビア半島最南端の人口集団を表しています。
スカンジナビア半島のさまざまな期間の集団へのヨーロッパの西方と南方と東方からの遺伝子流動を検出するため、異なるヨーロッパ地域の代理として現代の3人口集団が選択されました。それは、西方についてはアイルランド人(イギリス・アイルランド人)、南方についてサルデーニャ島人(ヨーロッパ南部)、東方についてはリトアニア人(バルト海)です。ヨーロッパの東方と西方と南方からスカンジナビア半島への遺伝子流動の時期と地理的範囲をより深く理解するため、ノルウェーとスウェーデンの古代の個体群が下位地域で分割されました。それは、北方と中央と南方で、スウェーデンのゴットランド島は別の地域とされました(図1)。非スカンジナビア半島人の3供給源人口集団との類似性は、先ヴァイキング期には低いものの、スカンジナビア半島古代人のほぼ全ての他のその後の期間ではより高くなり、ヴァイキング期におけるこれらの地域からスカンジナビア半島への遺伝子流動と一致します(図3A~C)。以下は本論文の図3です。
図3Aはヴァイキング期および後期ヴァイキング期におけるゴットランド島へのバルト海東部祖先系統の顕著な遺伝子流動を示唆しています。ゴットランド島は東方からスウェーデンへの自然の入口で、中世以後の期間までスウェーデンの中央部および南部でより漸進的な増加が続きました。興味深いことに、スウェーデンの南部および中央部地域の現在の個体群は、バルト海東部祖先系統の比較的低水準により特徴づけられ、先ヴァイキング期の個体群と類似しています。図3Aは、さまざまな期間にわたるスウェーデン北部およびノルウェーの地域集団におけるバルト海東部祖先系統の低い程度を示しており、バルト海東部供給源人口集団からのより遠い地理的距離と一致します。
図3Bは、スカンジナビア半島へのブリテン諸島祖先系統の遺伝子流動のわずかに異なるパターンを明らかにしており、先ヴァイキング期集団では一様に低水準ですが、スウェーデン南部とデンマークのヴァイキング期には顕著な初期の増加がありました。スウェーデン南部では、ブリテン諸島祖先系統はその後、経時的に現代の水準へと減少しますが、先ヴァイキング期よりも有意に多いままでした。先ヴァイキング期個体群のいるスカンジナビア半島の7地域全てで、先ヴァイキング期よりも現代の人口集団においてブリテン諸島祖先系統のより高い水準が一貫して見られます。これは、ブリテン諸島からスカンジナビア半島への持続的で広範な遺伝子流動を示しており、ヴァイキング期の移住に起因する可能性が最も高そうです。それにも関わらず、ススカンジナビア半島とブリテン諸島の現代の人口集団間の比較的明確な違いにより見られるように、カンジナビア半島へのブリテン諸島からの遺伝子流動の全体的な規模は小さかったようです(関連記事)。
全体的に、スカンジナビア半島の古代人集団はサルデーニャ島現代人とよりもアイルランドの現代の個体群の方と大きな類似性を有しています(図3B)。それにも関わらず、地域および期間全体の類似性のパターンは大まかには類似しており、これら検証された2人口集団が部分的には遺伝子流動の同じ兆候を捕獲した、と示唆されます。じっさい、f4モデルが古代の個体ごとに計算されると、0.735の相関係数が観察されます。しかし、図2BのPCAとブリテン諸島およびサルデーニャ島祖先系統の直接的な比較の両方から、これらの祖先系統は区別でき、ブリテン諸島祖先系統およびヨーロッパ南部祖先系統の両方を有する個体群が、先行研究(関連記事)で示されたように、ヴァイキング期のスカンジナビア半島に存在していた、と示唆されます。これらの結論は、qpAdm手法に基づく結果によりさらに裏づけられます(図4)。以下は本論文の図4です。
ブリテン諸島からの遺伝子流動の決定的な事例は、スウェーデン中央部で見つかった後期ヴァイキング期の女性1個体(sal002)で、その祖先系統は完全にブリテン諸島系に見えます。本論文の結果は、ヴァイキング期の前におけるブリテン諸島からスカンジナビア半島への最小限の遺伝子流動を示唆しますが、個体VK213において興味深い一つの例外が見つかり、この若い女性個体はデンマークのゲルドルプ(Gerdrup)で発掘され、その年代は5世紀頃(391~527年)です。VK213はスカンジナビア半島で発見された古代人297個体ではブリテン諸島祖先系統では3番目に高いf4値を示しており、PCA投影とqpAdmの結果から、VK213はブリテン諸島にその祖先系統のほとんどをたどれる可能性が高い、と示唆されます。この発見は、VK213がブリテン諸島【この場合はアイルランド島を含みません】へのアングロ・サクソンの移住の間接的な結果としてデンマークに行き着いた、という可能性を提起します。
スカンジナビア半島への遺伝子流動における性別偏りの可能性を調べるため、常染色体遺伝子座に基づく以前に説明されたf4形式(ムブティ人、X人口集団;デンマーク人、C人口集団)のf4統計分析が、X染色体遺伝子座のみに基づく同等の分析と比較されました。X染色体のf4統計は使用された遺伝子座がより少ないことに起因する標準誤差の広さに要注意ですが、図5で示される結果は、バルト海東部祖先系統のスカンジナビア半島への遺伝子流動と、それよりは少ないものの、ブリテン諸島祖先系統も女性に偏っていた、という少なくとも暫定的な証拠を提供します。ブリテン諸島に特徴的な(関連記事)Y染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1a2a1a2c1(P312/L21/M529)を有している、後期ヴァイキング期の2個体(VK31とVK405)と中世の1個体(wes008)の形で、男性を通じてのブリテン諸島からの遺伝子流動の直接的証拠も観察されます。以下は本論文の図5です。
●スカンジナビア半島における南北の遺伝的勾配
先行研究は、スカンジナビア半島現代人における遺伝的差異の顕著な南北の勾配を報告してきました。スカンジナビア半島北部人の区別は、小さな人口規模による遺伝的浮動とウラル語族話者集団からの遺伝子流動の組み合わせに起因した、とされてきました。スカンジナビア半島現代人におけるウラル関連祖先系統の地理的パターンを調べるため、まずスカンジナビア半島現代人16638個体の完全な一式でf4形式(ムブティ人、X;デンマーク人、フィンランド人)のf4統計が計算され、ここではデンマーク人とフィンランド人がそれぞれ勾配の南端と北端を表し、Xがノルウェーの19州もしくはスウェーデンの21州を表します。
フィンランド人は、ウラル祖先系統を比較的高水準で有しており(関連記事)、ウラル語族の言語を話す近隣の人口集団という理由で、ウラル供給源人口集団を表しています。図6Aは、ノルウェーとスウェーデン両国における南に向かって減少するウラル祖先系統の明確な勾配パターンを示しており、ノルウェーよりもスウェーデンにおいてより顕著で直接的です。本論文でシベリア・ウラル祖先系統の代理として用いられたアジア東部およびアメリカ大陸先住民祖先系統について、ほぼ同様のパターンが見られます(図6B)。これらは、1000人ゲノムデータセットの5学習人口集団を用いてのADMIXTUREの教師あり実行で推定されました。その5人口集団とは、ヨーロッパ北部および西部祖先系統を有するユタ州住民(CEU)、イギリスのインド系テルグ人(ITU)、北京の漢人(CHB)、リマのペルー人(PEL)、ナイジェリアのイバダン(Ibadan)のヨルバ人(YRI)です。
南北の違いをさらに調べるため、まずスカンジナビア半島現代人16638個体に基づくPCAにおける最初の10PCを用いて、デンマークの現代人1606個体と、ノルウェーの現代人7835個体それぞれと、スウェーデンの現代人7647個体の間で、平均的なユークリッドPC距離が計算されました。ノルウェーとスウェーデンの州ごとにこれらの距離を要約すると、勾配パターンが再び観察され、北部でPC距離が最大となります(図6C)。PC距離は具体的にウラル祖先系統を標的としているのではなく、PCにより検出された違いを反映していることに要注意です。したがって、f4形式(ムブティ人、X;デンマーク人、フィンランド人)のf4統計で、アジア東部(CHB)祖先系統とアメリカ大陸先住民(PEL)祖先系統が、線形回帰でのデンマーク現代人とのPC距離における差異の80%を説明する、という観察から、スカンジナビア半島の南北間の遺伝的差異の勾配パターンはウラル祖先系統の水準の違いにおもに起因する、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
いつどのように南北の勾配が出現したのか、解明するため、スカンジナビア半島のさまざまな地域の古代人297個体について、同じ統計が計算されました。図7は各期間の散布図で、これらの統計のうちf4形式(ムブティ人、X;デンマーク人、フィンランド人)のf4統計とデンマーク人からのPCA距離という2つを用いて、古代の個体群と現代の地域的集団を比較します。とくに、両方の統計で極端な値を要するノルウェー北部のヴァイキング期の2標本、つまりVK519とサーミ人に特徴的なmtDNAハプログループ(mtHg)U5b1b1a を有するVK518から、ウラル祖先系統を有する個体群はその頃にスカンジナビア半島北部に入植し、ADMIXTUREはスカンジナビア半島南部祖先系統により特徴づけられる集団で行なわれた、と示されます。しかし、ヴァイキング期から現在にかけて勾配の緯度形態がどの程度発展したのか判断するには、スカンジナビア半島の中央部および北部地域の古代の個体群のより多くのデータが必要です。以下は本論文の図7です。
スカンジナビア半島現代人では、ウラル関連のYHg-N1a1の地理的分布に反映されている勾配と、その常染色体祖先系統勾配との関連も見つかりました。したがって、YHg-N1a1は、南北勾配を形成した同じウラル語族話者からの遺伝子流動経由でスカンジナビア半島の人口集団に入ったかもしれません。しかし、興味深いことに、スウェーデン東部の4ヶ所の遺跡から得られた先ヴァイキング期の6個体(200~520年頃)スカンジナビア半島の最初のYHg-N1a1は、現代のノルウェーとスウェーデンのYHg-N1a1個体群よりも、少ない北方との類似性を示す、と観察されます。逆に、ヴァイキング期から中世以後のYHg-N1a1を有する13個体は、現代のYHg-N1a1個体群と有意に異なるわけではありません。これは、スカンジナビア半島へのYHg-N1a1の、南部祖先系統の現代の勾配に沿ったその後の拡散の前の、より古い最初の到来を示唆しているかもしれません。
本論文の結果から、南北の勾配が何らかの形でヴァイキング期の前に存在したのかどうか、語れず、それは、先ヴァイキング期の25個体は、かなりの水準のウラル祖先系統を有していないからです。図7Aは、いくらかのウラル祖先系統を示唆する証拠としてせいぜい解釈できる点の、ひじょうに微妙な上向きの曲線を示します。この曲線の末端に位置する、スウェーデン北部のヴェステルノールランド(Västernorrland)のロンベック(Rombäck)の450~500年頃となる女性1個体(rtp003)は、先ヴァイキング期個体群では最高のf4値を有しており、ウラル祖先系統を示唆しているかもしれない、アメリカ大陸先住民(PEL)祖先系統の低い割合(1.4%)が割り当てられています。しかし、より決定的な証拠の提供には、先ヴァイキング期の追加の個体が必要です。
中世以後には、顕著な水準のウラル祖先系統を示すのは、軍艦クローナンの乗組員4人(kro006とkro009とkro011とkro014)だけで(図7E)、そのうち2個体はYHg-N1a1です。この期間の24個体のうち12個体は、難破船クローナンに由来し、この12個体はノルウェー中央部に由来します。クローナンの乗組員全員は、本論文におけるスウェーデン南部人に分類され、それは、そこで難破船が発見され、遺骸が回収されたからです。しかし、歴史的記録から、歩兵はヴェステルボッテン(Västerbotten)のようなスウェーデン北部の州、スウェーデン南東部沿岸の船員、フィンランドの一部の士官から募集された、と示唆され、それは本論文の結果とよく一致します。
●考察
ローマ期の始まりから現在に至る、2000年間にわたるスカンジナビア半島のさまざまな地域への遺伝子流動の影響に関する本論文の分析は、ヴァイキング期における大きな増加と、バルト海東部祖先系統、およびそれよりは少ないもののブリテン諸島祖先系統の到来における女性への偏りの可能性を示唆します。この期間におけるブリテン諸島からの遺伝子流動は、スカンジナビア半島のほとんどの地域の遺伝子プールに持続的な影響を与えたようです。これは、繰り返しの侵入を伴う8世紀に始まり、11世紀の北海帝国で最高潮に達する、ブリテン諸島におけるスカンジナビア半島古代人の活動の範囲、およびデンマークとノルウェーとイングランドの王国を結びつけた個人的連合を考えると、恐らく驚くべきことでありません。この時点でスカンジナビア半島に到来したブリテン諸島祖先系統の人々の状況と運命は、奴隷の強制移住から、キリスト教の宣教師や修道士などより高い階級の個体の自発的な移住まで、さまざまだった可能性が高そうです。
スウェーデン中央部のサラ(Sala)における舟の埋葬で見つかった後期ヴァイキング期の女性1個体(sal002)は、興味深い事例を提示します。sal002はその祖先系統が完全にブリテン諸島系で、その埋葬の特徴から、sal002はおそらく自身を埋葬した共同体において社会的地位が高かった、と示唆されます。この状況は、デンマークのゲルドルプで見つかった女性1個体(VK213)とはひじょうに異なっていたかもしれず、VK213もその祖先系統がブリテン諸島系であるものの、副葬品なしで埋葬されたようです。この発見は、ブリテン諸島からのスカンジナビア半島への遺伝子流動が【アイルランド島以外の】ブリテン諸島へのアングロ・サクソン移住期となる5世紀には少なくとも始まった、と示唆するものの、本論文の結果から、そのほとんどはヴァイキング期に起きた、と示唆されます。遺伝子プールへの全体的な影響は小さかったものの、ブリテン諸島からの遺伝子流動はスカンジナビア半島の全地域に持続的な影響を与えたので、スカンジナビア半島現代人は同じ地域の先ヴァイキング期個体群よりも多くのブリテン諸島祖先系統を有している、と示されます(図3B)。
不思議なことに、ブリテン諸島祖先系統の規模は、とくにスウェーデン南部において、現在よりもヴァイキング期および後期ヴァイキング期の方で大きい傾向が見られます。スウェーデン南部については、さまざまな期間で比較的大きい標本規模があります。これは、トロンハイム(Trondheim)の局所的規模で最近論証された傾向の一般化を表しています。この種のより顕著なパターンは、ゴットランド島およびスウェーデン中央部におけるバルト海東部祖先系統で見られます(図3A)。ヴァイキング期のこれらの地域におけるバルト海東部祖先系統の増加は、属国関係や交易や紛争や条約など、接触を証明する歴史資料と一致します。しかし、その先行者と比較してのこれらの地域の現代の個体群におけるバルト海東部祖先系統の顕著な低下には、さらなる注意が必要です。
比較的短期間でのそうした大規模な転換については、考えられる理由は三つあります。第一に、そうした祖先系統の少ない他地域からの遺伝子流動の介在です。第二に、祖先系統による何らかの方法で階層化された社会的階層に起因する過去の繁殖の制限で、これは、アイスランドの入植の最初の世代におけるスカンジナビア半島古代人およびゲール人祖先系統との関連で、先行研究(関連記事)において仮定されていました。第三に、同じ年代と場所に生きていた人々と比較しての、特定の祖先系統を有する個体群の考古学的記録の過剰出現で、たとえば、葬儀伝統の祖先系統と関連した違いに起因します。火葬は、前期ヴァイキング期までの鉄器時代における主流の葬儀伝統と考えられているので、古代DNAを得られるこの期間の遺骸は、重要な意味で例外的です。また、いくつかのヴァイキング期および後期ヴァイキング標本は、農村共同体ではなく広範な交易網のあった都市環境に由来します(関連記事)。
したがって、ヴァイキング期および後期ヴァイキングの利用可能な古代人のゲノムは、それらの期間に生きていたスカンジナビア半島現代人の全ての祖先からの無作為標本ではないかもしれません。現時点での証拠に基づくと、上述のこれら三つの説明のうちどれが、バルト海東部祖先系統の明らかな地域的に特有の減少を説明できるのか、あるいは複数の理由が影響を及ぼしたのかどうか、判断は困難です。本論文は比較的多数の古代ゲノムに基づいていますが、時空間的に遺伝子プールの進化について詳細な規模の問題に答えるには、さらに多くの古代ゲノムが必要でしょう。以下は本論文の要約図です。
本論文は、スカンジナビア半島における現在観察される遺伝的差異の南北の勾配の性質と起源にも光を当て、これはおもに、ヴァイキング期および恐らくはそれ以前に存在したウラル祖先系統の北へ向かっての増加に起因する、と示します。現在のフィンランド人とクラスタ化する(まとまる)軍艦クローナンの船員の部分集合は、スカンジナビア半島内におけるウラル祖先系統の拡大を続けたこの種の移動力の比較的後期の事例を提供します。スカンジナビア半島北部のより多くの古代人のゲノムで、ウラル祖先系統を有する集団がいつ最初にこの地域に流入してきたのか判断することと、特徴的な現代の勾配が南北間のその後の双方向の遺伝子流動からどのように出現したのか、より詳しく記録することの両方が可能になるかもしれません。
しかし、全体的に、本論文では、ひじょうに多くの他のヒト集団の事例のように(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、スカンジナビア半島の長期の人口史は、いくつかの異なる供給源人口集団からの遺伝子流動により特徴づけられ、ウラル祖先系統の南北の勾配の事例における広範な影響がある、と論証されます。
●この研究の限界
紀元前500~紀元後1年の期間の標本の欠如は、部分的には火葬がこの期間における主要な葬儀伝統だったためですが、その結果、スカンジナビア半島の遺伝的歴史が過去2000年間に制約されました。
参考文献:
Rodríguez-Varela R. et al.(2023): The genetic history of Scandinavia from the Roman Iron Age to the present. Cell, 186, 1, 32–46.E19.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2022.11.024
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