これまで知られていなかった遺伝的構成のアルタイ地域の中期完新世狩猟採集民

 中期完新世にさかのぼるアジア北部古代人のゲノムデータを報告した研究(Wang et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アジア北部の植民史は、この地域で分析された古代人のゲノム数が限定的であるため、ほとんど調査されていません。本論文は、早ければ7500年前頃と年代測定された、アジア北部、つまりアルタイ・サヤン地域とロシア極東とカムチャッカ半島の10個体のゲノム規模データを報告します。この分析は、古シベリア人(旧シベリア人)と古代北ユーラシア人(ancient North Eurasian、略してANE)との間の遺伝的混合としての、新石器時代(N)のアルタイ・サヤン地域狩猟採集民における以前には記載されていなかった中期完新世シベリア人の遺伝子プールを明らかにします。この独特な遺伝子プールは、バイカル湖狩猟採集民やオクネヴォ(Okunevo)文化関連牧畜民や、おそらくはタリム盆地人口集団など、アジア北部および内陸部の青銅器時代(BA)集団に寄与した、推測されているANE関連人口集団について、最適な供給源を表します。

 さまざまな文化的特徴と関連する別の新石器時代のアルタイ・サヤン地域の1個体において、最初にロシア極東の新石器時代集団で記載された古代アジア北東部人(ancient Northeast Asian、略してANA)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の存在が見つかり、以前の観察よりさらに西方1500kmの地点におけるANA祖先系統の拡大が明らかになります。ロシア極東では、日本列島の狩猟採集民との遺伝的関連を示唆する、縄文関連祖先系統を有する7000年前頃の個体群が特定されます。カムチャッカ半島とシベリア中央部へと達する、過去5000年間にわたるアジア北東部へのアメリカ大陸先住民と関連する遺伝子流動の複数段階も報告されます。本論文の調査結果は、前期完新世以降の、アジア北部全域での大きく相互に関連している人口動態を浮き彫りにします。


●研究史

 アジア北部は、シベリア北東部から西方へと広がるユーラシア大陸の大半を網羅しており、ベーリンジア(ベーリング陸橋)を経由して北アメリカ大陸とつながっています(図1A)。過去の人口移動の回廊を表しているにも関わらず、アジア北部の植民史はあまり研究されていません。上部旧石器時代に始まり、複数の異なるヒトの遺伝的系統が、この広大な地域に存在してきました。以下は本論文の図1です。
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 アルタイ・サヤン地域(以下、アルタイ)では、これまでで最古となるゲノムデータのある現生人類(Homo sapiens)はアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡(AG2およびAG3)で見つかっており、年代は17000年前頃(較正年代、以下、特記のない場合は較正年代です)となります(関連記事)。これらの個体は、典型的なANE祖先系統を有しています。ANEは、シベリア南部中央のバイカル湖近くのマリタ(Mal’ta)遺跡の24000年前頃の1個体(MA1)で最初に特定された(関連記事)、広く分布していた遺伝子プールです。

 その後、12000年の大きな間隙があり、この期間のアルタイ地域における人口集団のゲノム特性は不明です。この期間にまたがって、近隣地域の狩猟採集民(HG)集団は異なる祖先系統を有している、と推測され、その移動とつながりに関する疑問が提起されます。具体的には、アルタイの北西(つまり、シベリア西部)の人口集団が高水準のANE関連祖先系統を示すのに対して、アルタイの東方(つまり、シベリア東部)の人口集団は、高水準のANA祖先系統を示します(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。

 後者【シベリア東部】の遺伝子プールは、ロシア極東の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave)の新石器時代(N)狩猟採集民(悪魔の門_N)で最初に特定され(Siska et al., 2017、関連記事1、およびSikora et al., 2019、関連記事2)、現時点で、ANA祖先系統の最西端の存在は、7500年前頃のバイカル湖地域(Jeong., 2020、関連記事)および5600年前頃のモンゴル中央部(Yu et al., 2020、関連記事)で報告されています。

 最後に、「古(旧)シベリア人」祖先系統と命名された第三の独特な遺伝子プールが、バイカル湖に近いウスチ・キャフタ3(Ust-Kyakhta-3)遺跡の14000年前頃の個体(UKY)と(Yu et al., 2020)、シベリア北東部の9000年前頃となるコリマ(Kolyma)遺跡の個体(Kolyma1、コリマ_Mと分類されます)で特定されており(Sikora et al., 2019)、アメリカ大陸先住民関連祖先系統との深い遺伝的つながりを示します。

 現時点で、上部旧石器時代以降のアジア北部に存在するこれらの多様なヒト系統が相互にどのように作用し、この地域の新石器時代と青銅器時代の人口集団およびアメリカ大陸先住民集団とどのように関連しているのか、不明なままです。したがって、アジア北部の狩猟採集民個体群の追加のゲノムデータには、現在のシベリアの人口集団の形成に寄与した過去の遺伝的変容を解明する可能性があります。


●ゲノム規模の古代DNAデータ

 この研究では、古い個体では7500年前頃となる、アジア内陸部およびシベリア北東部の新たに報告される10個体のゲノム規模データが生成されます。アジア内陸部のゲノムデータには、7500~5500年前頃となる、アルタイ地域の4ヶ所の遺跡の古代の狩猟採集民6個体が含まれます(表1)。そのうち、ニズネティッケスケン洞窟1号(Nizhnetytkesken Cave-I)の1個体(NIZ001)は年代が6500年前頃で、宗教的衣装と、シャーマニズムを表しているかもしれないと解釈されているモノがある豊富な副葬品を含む遺跡で見つかりました。アジア北東部のゲノムデータには、ロシア極東のレタチャヤ・ミシュ洞窟(Letuchaya Mysh Cave)の7000年前頃となる狩猟採集民1個体(「レタチャヤミシュ_7000年前」と分類されます)と、カムチャッカ半島の500年前頃(非較正)の3個体が含まれます(図1)。以下は本論文の表1です。
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 全個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)と男性9個体のX染色体で汚染水準が調べられました。レタチャヤ・ミシュ洞窟の1個体は、mtDNAで14±1%、X染色体で40±4%の汚染を有していると分かったので、古代DNAに典型的な識別特性のあるDNA断片のみを有するよう選別されました。他の全てのデータについては、汚染水準は無視できると分かりました(表1)。新たに報告された10個体で、mtDNAハプログループ(mtHg)は、CとG1bなどユーラシアとアメリカ大陸で優勢と知られているさまざまハプログループに分類され、mtHg-CとG1bは、それぞれシベリア北極圏とカムチャッカ半島で優勢です(表1)。Y染色体ハプログループ(YHg)は代わりに、Q1a1もしくはC2bに分類され、どちらもユーラシア北東部の現代人でひじょうに一般的です。


●新石器時代アルタイ狩猟採集民の独特な遺伝子プール

 現代のユーラシアとアメリカ大陸先住民の人口集団に基づいて主成分分析(PCA)が実行され(図1)、第一主成分(PC1)の左側から右側の勾配でユーラシア人の東西間の遺伝的差異が最大化されます。この勾配の東側(右側)は、ロシア極東の悪魔の門洞窟の新石器時代狩猟採集民(Siska et al., 2017、Sikora et al., 2019)など、高い割合のANA祖先系統を有する人口集団で構成されています。この勾配の西側(左側)は、本論文で新たに報告された新石器時代アルタイ狩猟採集民と同時代となるヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)など、ユーラシア西部祖先系統を有する人口集団で構成されています。上部旧石器時代以来ユーラシア北部において広く分布していた別の遺伝子プールであるANE祖先系統は、この東西の勾配から逸れており、PC2ではわずかに上方に動いています。

 PCA(図1B)では、新たに報告された(表1)古代の狩猟採集民5個体(放射性炭素年代と遺伝的特性に基づいて、アルタイ_7500年前、アルタイ_6500年前、アルタイ5500_年前と分類されます)は、ユーラシア東西の勾配の中間に位置し、アルタイの東側のエニセイ川上流地域のバザイハ(Bazaikha)遺跡の「エニセイ_4700年前」と分類されたわずかに新しい1個体BZK002(Yu et al., 2020)と近い、分かりました。とくに、アルタイ狩猟採集民は右側で高い割合のANA祖先系統を要する人口集団の近くにも、左側で高い割合のANE祖先系統とユーラシア西部草原地帯祖先系統を有する人口集団の近くにも位置しません。じっさい、ユーラシア西部草原地帯の遊動牧畜民と関連する遺伝的祖先系統の最初の記録はアルタイでは5000年前頃に現れ、前期青銅器時代にアジア中央部で栄えたアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連しています。逆に、バイカル湖地域の同時代の狩猟採集民(バイカル_EN)とアルタイの新たに報告された1個体(NIZ001、ニズネティッケスケン_6500年前と分類されます)は、この勾配の東側のずっと近くに位置します(図1B)。アルタイ狩猟採集民個体群を含む主要なクラスタ(まとまり)の明確なPCA配置は、この集団について以前には記載されなかった遺伝的構成を示唆します。

 f3形式(アルタイ_7500年前/6500年前/5500年前、検証人口集団;ムブティ人)のf3統計が実行され、どの人口集団が時代を通じてアルタイ狩猟採集民と最高の遺伝的類似性を示すのか、調べられました。PCAの位置から示唆されるように(図1B)、全ての集団は相互で最高の遺伝的類似性を示します。外群f3統計も、AG3や MA1、シベリア西部(Narasimhan et al., 2019)の新石器時代狩猟採集民(シベリア西部_N、8000~6000年前頃)、カザフスタンのボタイ(Botai)文化と関連するウマの牧畜民(ボタイ、5500~5300年前頃)、タリム盆地(関連記事)の青銅器時代農耕牧畜民(タリム_EMBA、4000年前頃)など、ANE祖先系統を高水準で有する人口集団と高いアレル(対立遺伝子)共有を示唆します。

 したがって、これらANE関連人口集団を用いて、青銅器時代の1個体(エニセイ_4700年前)とともに、新石器時代アルタイ狩猟採集民におけるユーラシア西部祖先系統構成要素がモデル化されました。ANE祖先系統を補完するため、あり得る第二祖先系統構成要素として、バイカル湖地域やロシア極東などシベリア東部の新石器時代ANA関連人口集団がまず含められました。qpAdm で実行された2供給源混合モデルから、ANEおよびANA関連人口集団を用いての提案されたモデルは、アルタイ狩猟採集民では適さない、と明らかになります。とくに、qpAdm外群一覧における現在のアメリカ大陸人口集団であるミヘー人(Mixe)は、提案された2供給源混合モデルと比較すると、アルタイ狩猟採集民との余分の遺伝的類似性を示します。

 したがって、ANEに加えて、あり得る第二供給源として、アルタイの東側の他の利用可能な古代の個体群/人口集団が調べられました。とくに、バイカル湖地域の14000年前頃となるUKYのゲノム(Yu et al., 2020)、シベリア北東部の9000年前頃となるコリマ_M(中石器時代)のゲノム(Sikora et al., 2019)、シベリア中央部の6000年前頃となる(関連記事)ヤクーチア(Yakutia、サハ共和国)の人口集団(ヤクーチア_6000年前)、アメリカ合衆国ワシントン州で発見された8000年前頃となるケネウィック人(Kennewick Man)と呼ばれる個体(関連記事)、アメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された13000年前頃となる(関連記事)男児1個体(アンジック1号)など、アメリカ大陸先住民人口集団に存在する祖先系統と関連する、と知られているゲノムに焦点が当てられました。

 UKYとコリマ_Mとヤクーチア_6000年前における「古シベリア人」祖先系統は、他の検証された祖先供給源人口集団を上回る、と分かりました。これは、3供給源競合モデル(つまり、ANEに加えて、ANAおよび古シベリア人祖先系統代理の両方を用います)でさらに確証され、アルタイ狩猟採集民集団は、悪魔の門_NなどANA関連人口集団からの寄与とよりも、UKYおよびコリマ_Mが有していた古シベリア人祖先系統の方と適切にモデル化される、と示唆されます。この改良されたモデルは、以前に記載されたアメリカ大陸先住民祖先系統とのUKYおよびコリマ_Mの明確な遺伝的類似性(Sikora et al., 2019、Yu et al., 2020)により説明できます。

 さらに、祖先系統モデル化の解像度を高めるため、アルタイの3狩猟採集民集団(アルタイ_7500・6500・5500年前で構成されるアルタイ_HG)がまとめられ、ANE構成要素についてAG3よりもボタイとシベリア西部_Nがよりよく適合する、と分かりました。この結果は、外群一式にEHGを追加すると確証されます。これは、ともにEHG関連祖先系統を有するアジア中央部のボタイとシベリア西部_N集団が、中期完新世アルタイ_HG遺伝子プールに存在するANE構成要素について、同じ地域の上部旧石器時代のAG3のゲノムよりも代理供給源として適切に機能する、と示唆します。

 したがって、アルタイ狩猟採集民の混合モデル化は、外群f3統計で示されるボタイおよびシベリア西部_Nとの密接な類似性を確証します。したがって、アルタイ_7500年前とアルタイ_6500年前とアルタイ_5500年前、および密接に関連するエニセイ_4700年前を、古シベリア人祖先系統構成要素を表すUKY(53.7~66.3%)と、ANE祖先系統構成要素を表すシベリア西部_N(33.7~46.3%)の混合としてモデル化に成功できました(図2A)。以下は本論文の図2です。
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 新たに報告されたアルタイ狩猟採集民の時間横断区での古シベリア祖先系統とANE祖先系統の量におけるそうした僅かではあるものの検出可能な違いは、f4形式(古代アルタイ集団1、古代アルタイ集団2、検証対象、ムブティ人)形式における対でのf4統計と一致します。これらの統計から、アルタイ_7500年前はアルタイ_6500年前と比較してアンジック1号との余分な遺伝的類似性を共有し、アルタイ_5500年前はアルタイ_6500年前と比較してケネウィック人との余分な遺伝的類似性を共有している、と示唆されます。アンジック1号とケネウィック人は、北アメリカ大陸で配列決定されたアメリカ大陸先住民個体群では最古となり、PCA空間ではPC1勾配に沿ってアルタイ狩猟採集民の右側に位置します(図1B)。アンジック1号もケネウィック人もアルタイ集団における祖先2供給源の一方の良好な代理を表していないので、アルタイ_7500年前とアルタイ_5500年前における古代のアメリカ大陸先住民とのこの余分な遺伝的類似性は、アメリカ大陸先住民と遠いつながりを共有している古シベリア人祖先系統のさまざまな割合によってより適切に説明されます。

 さらに、アルタイ_7500・6500・5500年前における、古シベリア人祖先系統(UKYのゲノム)とANA祖先系統(まとめられたANE関連集団)との間の混合年代が推定されました。これは11000~7400年前頃にまたがり、おそらくはアルタイ狩猟採集民遺伝子プールの形成過程における複数および/もしくは継続的な混合の波動を反映しています。しかし、混合年代の信頼区間が広いため、この混合パターンの様相と速度を評価するには、より多くのデータが必要です。全体的に本論文で示されるのは、古代のアルタイ狩猟採集民が、古シベリア人とANEの祖先系統間の独特な混合の結果として前期完新世に形成が始まった、以前には知られていなかったシベリアの遺伝的特性を有している、ということです。


●近隣および後の人口集団におけるアルタイ狩猟採集民の遺伝的遺産

 アルタイ地域の東方では、前期新石器時代(EN)および前期青銅器時代(EBA)バイカル狩猟採集民も、さらに東方に位置するANA関連集団と比較して、ANE関連集団と余分な遺伝的類似性を共有しています(図1)。したがって、アルタイ狩猟採集民の新たに記載された祖先系統が、以前に報告されたバイカル狩猟採集民の遺伝的特性に寄与したのかどうか、調べられました。その結果、qpAdmを用いての2供給源混合モデルでは、アルタイの3集団すべてがバイカル_ENとバイカル_EBAの祖先供給源としてモデル化できる、と分かりました。バイカル_ENについて、悪魔の門_Nを第二供給源として用いると、アルタイ_HGは約20%の遺伝的祖先系統を寄与します。代わりに、バイカル_EBAについて、バイカル_ENを第二供給源として用いると、アルタイ_HGの遺伝的寄与は25%です。

 とくに、ソフトウェアDATESを用いると、バイカル_EBAの混合年代は集団の年代の123±30世代前で、8202±995年前に相当します。この年代は、アルタイ_HGに変えて、ANE人口集団を供給源として用いて得られた混合年代よりも約1000年早くなります。バイカル_EBAについてのこうした混合年代は代わりに、アルタイ_HGおよびANA祖先系統を混合供給源として用いると、バイカル_ENについて得られた推定値と一致します(8296±624年前)。祖先系統供給源としてアルタイ_HGおよびANEおよびバイカル_ENとの競合3供給源混合モデルでは、バイカル_EBAにおけるANA祖先系統の推定割合は、負もしくはゼロと重なる大きな標準誤差を伴います。さらに、アルタイ_HGをqpAdm外群人口集団に加えると、祖先系統供給源としてANAおよびANEとの以前に成功したモデルが乱れます。代わりに、バイカル_ENとバイカル_EBAをモデル化するアルタイ狩猟採集民およびANA祖先系統の組み合わせは、タリム_EMBA1を外群一覧に加えてさえ適合します。まとめると、これらの結果から、アルタイ狩猟採集民は、中期完新世初期からバイカル湖地域で見られ、バイカル狩猟採集民人口集団の遺伝的特性を形成した、ANE関連祖先系統の実行可能な代理を表している、と示唆されます。

 アルタイ狩猟採集民の新たに生成されたデータは、ユーラシア中央部草原地帯の後の人口集団の遺伝的起源にも光を当てます。青銅器時代のオクネヴォ文化は、アファナシェヴォ文化に続いてミヌシンスク(Minusinsk)で発展した考古学的現象で、年代は4600~3900年前頃です。先行研究はオクネヴォ文化関連個体群におけるYHg-Qを報告しており、これはアルタイ狩猟採集民でも観察されます。さらに、そのゲノム規模データは本論文では、バイカル狩猟採集民とボタイとアファナシェヴォ祖先系統間の3供給源混合として、あるいは、エニセイ_4700年前とアファナシェヴォ祖先系統間のより単純な2供給源混合モデルでモデル化されます。エニセイ_4700年前はアルタイ_HGとバイカル_EBAとの間の混合として適切にモデル化でき、3供給源競合モデル検定での以前に報告されたボタイおよびバイカル_EBAのモデルを上回るので、主要な祖先系統供給源としてアルタイ_HGを用いてオクネヴォ文化関連集団の遺伝的組成が洗練され、追加の2供給源としてアファナシェヴォおよびバイカル狩猟採集民が伴います。

 地理的にミヌシンスク盆地の南側に位置するアルタイ_HGの有する祖先系統は、オクネヴォ文化関連集団の遺伝子プールの半分以上(56.4±6%)に寄与しました(図2B)。アルタイ_HGとバイカル_EBAとの間のオクネヴォ文化関連集団における混合年代は分析された集団の59±22世代前、つまり6000±700年前頃と推定されます。侵入してきたアファナシェヴォ祖先系統は、アルタイ_HGおよびバイカル_EBAとずっと新しい年代(それぞれ18±3世代前と16±4世代前)に混合し、この地域におけるアファナシェヴォ文化の存在年代(5300~4500年前頃)と一致します。したがって、アルタイ狩猟採集民ではオクネヴォ文化関連集団の主要な祖先系統構成要素をたどることができ、その遺伝子プールは紀元前七千年紀~紀元前六千年紀におけるバイカル狩猟採集民と関連する祖先系統との混合により形成され、その後でEBAにおいてアファナシェヴォ文化関連牧畜民からの遺伝子流動があった、と提案できます。これは、オクネヴォ文化がアファナシェヴォ文化の終焉のすぐ後に続いた、という考古学的記録を裏づけます。

 アルタイ地域自体では、新石器時代狩猟採集民祖先系統が以前に報告された中期~後期青銅器時代(MLBA)集団(アルタイ_MLBA)で保存されていたのかどうか、調べられました。アルタイ_MLBAの遺伝子プールは、2つの時間的に近い供給源から派生したものとして、記載されてきました。それは、バイカル_EBAとユーラシア西部草原地帯のMLBA人口集団(シンタシュタ_MLBA)です。アルタイ_HGを供給源として用いて、アルタイ_MLBAを説明する2供給源混合モデルを見つけることはできません。しかし、3供給源混合を用いると、アルタイ_MLBAをバイカル_ENとアルタイ_HG(本論文では27.2±4.1%と推定されます)とシンタシュタ(Sintashta)_MLBAの混合としてモデル化に成功できました。これは、在来の狩猟採集民祖先系統の寄与の他に、少なくとも追加の2回の遺伝子流動がアルタイ地域の青銅器時代人口集団の遺伝的特性の形成に必要であることを示唆します。ユーラシア西部草原地帯とEBAバイカル祖先系統構成要素の組み合わせとして以前には記載された、ユーラシア東部草原地帯の後期青銅器時代(LBA)集団であるフブスグル(Khövsgöl)_LBA(関連記事)についても、同じ3供給源混合モデルを使用できます。

 アルタイ地域はミヌシンスク盆地を、北東へはジュンガル盆地、南方へはアジア内陸部のタリム盆地へとつなぐ、地理的回廊も表しています。最近の研究は、タリム_EMBA個体群(4100~3700年前頃)における孤立したANE関連の遺伝的特性を報告し、EBAジュンガル盆地個体群(5000~4800年前頃)を、バイカル_EBAとアファナシェヴォ関連祖先系統に加えて、この在来の遺伝的特性の混合としてモデル化しました(Zhang et al., 2021)。

 新たに記載されたアルタイ狩猟採集民遺伝子プールが、以前に提案された混合モデルを改善できるのかどうか、調べられました。その在来の供給源としてタリム_EMBA1との3供給源近位モデルとは対照的に、新たに生成されたアルタイ狩猟採集民のゲノム規模データはより単純な2供給源遠位モデルを可能とし、それはジュンガル盆地個体群がアルタイ_HGおよびアファナシェヴォ関連祖先系統間の混合である(ジュンガル_EBA1では25%、ジュンガルEBA2では40%のアルタイ_HG祖先系統)、と分かりました。

 DATESでは、この2供給源混合がジュンガル_EBA1の158±43年前に、ジュンガル_EBA2の数世代以内に起きた、と推定されました。タリム_EMBA1を外群一式に追加することにより、これら2供給源混合モデルの堅牢性も検証されましたが、アファナシェヴォ文化関連集団とのアルタイ狩猟採集民の組み合わせはどれも、タリム_EMBA1とジュンガル_EBA1との間の密接な遺伝的類似性のため却下される、と分かりました。しかし、タリム_EMBA1については、AG3とUKYもしくはコリマ_Mとの間の 2供給源混合モデルが、アルタイ_7500年前を外群一式に追加すると却下されることも分かりました。これは、外群f3統計で見られる、アルタイ狩猟採集民とタリム_EMBA1との間の高い共有される遺伝的類似性と一致します。

 一方、アルタイ_7500年前とアルタイ_6500年前を、タリム_EMBA1とUKYもしくはコリマ_Mの2供給源混合として記載できました。これらのモデルは、ボタイかシベリア西部_NかEHGを外群一式に追加してさえ確認され、タリム_EMBA1がアルタイ狩猟採集民の代替的なANE関連近位供給源かもしれない、と示唆されます。しかし、タリム_EMBA1は、逆方向でもモデル化でき、つまり、AG3およびアルタイ_HG祖先系統のほぼ均等な割合の混合で、これはバイカル_EBAが外税追加されても統計的に適合します。

 アルタイ狩猟採集民は同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)断片と、低い対での不適正塩基対率を有しており、小さな有効人口規模ではあるものの、タリム_EMBA1個体群について以前に報告された人口ボトルネック(瓶首効果)の程度ではなかった、と示唆されます。全体的に、アルタイ狩猟採集民の遺伝子プールは青銅器時代アジア内陸部集団の適切な祖先系統供給源で、そうした祖先系統は大きな時空間的距離にわたってかなりの量で保存されていた、と示されます。追加の遺伝学的および考古学的調査には、この記載された混合パターンの方向性を明確にする可能性があります。


●極東からアルタイ地域にかけての広範なANA祖先系統

 主要なアルタイ_HGクラスタとは対照的に、ニズネティッケスケン洞窟1号で発見された6500年前頃となる別の新たに報告されたアルタイ狩猟採集民個体は、ユーラシア東西の勾配の東側に向かって動いています(図1B)。これは、f4形式(ニズネティッケスケン_6500年前、アルタイ_7500・6500・5500年前;検証人口集団、ムブティ人)の対でのf4統計で確証され、ニズネティッケスケン_6500年前は、他のアルタイ狩猟採集民集団よりも、高い割合のANA関連祖先系統を有する古代の人口集団との遺伝的類似性の増加を示します。

 アルタイ_7500年前を在来の祖先系統供給源として用いると、ニズネティッケスケン_6500年前はかなりのANA関連祖先系統の寄与でモデル化でき、その割合は、バイカル_ENを用いると47.7±5.2%、もしくは悪魔の門_Nを用いると37.4±4.3%と推定されます。上述のように、ANA祖先系統の最西端の存在は、バイカル湖地域とモンゴル中央部で報告されました(Jeong., 2020、Yu et al., 2020)。この新たに配列決定された個体は、同じ地域の他の同時代の狩猟採集民と考古学的には異なり、少なくとも6500年前頃においてアルタイ地域と同じくらい遠く西方にANA祖先系統が存在したことを明らかにします。

 本論文は、ロシア極東の1個体のゲノムデータも報告します。PCAと外群f3統計で示されるように、7000年前頃となるレタチャヤ・ミシュ洞窟の1個体は、6700年前頃となる悪魔の門_N(Sikora et al., 2019)や6300年前頃となるボイスマン(Boisman)_MN(関連記事)など、極東の以前に刊行されたANA関連人口集団と最高の遺伝的類似性を示します(図3)。以下は本論文の図3です。
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 興味深いことに、レタチャヤ・ミシュ_7000年前は悪魔の門_Nと対称的に関連していない、と分かりました。代わりに、レタチャヤ・ミシュ_7000年前は、早ければ9000年前頃となる日本の縄文文化と関連する狩猟採集民(関連記事1および関連記事2)と余分な類似性を示します。qpAdm分析では、レタチャヤ・ミシュ_7000年前はそのゲノムの29.7±9.8%が縄文関連祖先系統に由来する、と確証されます(図3)。興味深いことに、中期新石器時代(MN)ボイスマン集団(関連記事)の単一個体(「ボイスマン_MN_外れ値」と本論文では分類されます)では、ひじょうに類似した混合割合が観察されます(図3)。これらの調査結果は、日本列島の狩猟採集民とロシア極東との間の、早ければ7000年前頃となる以前には評価されていなかったつながりの存在を示唆します。


●ベーリング海を横断する複数の遺伝子流動事象

 古シベリア人祖先系統は、アルタイからヤクーチアを経てシベリア北東部まで、シベリアの広範な地域に拡大していました(Sikora et al., 2019、Kılınç et al., 2021)。先行研究では、シベリア北東部のコリマ_M個体とヤクーチア_6000年前の人口集団が、カムチャッカ半島の現代のチュクチ・カムチャツカ語族(Chukotko-Kamchatkan)話者およびアメリカ大陸先住民と密接な遺伝的つながりを共有している、と明らかにされました(Sikora et al., 2019、Kılınç et al., 2021)。

 本論文は、非較正で500年前頃となるカムチャッカ半島の3個体(カムチャツカ_非較正500年前)のゲノム規模データを報告します。外群f3統計では、この集団はコリャーク人(Koryak)やイテリメン人(Itelmen)など現代のカムチャッカ半島人口集団や、コリマ_Mやグリーンランドの4000年前頃となるサカク(Saqqaq)文化関連個体と、高い遺伝的類似性を示します。そこで、カムチャツカ_非較正500年前が、ヤクーチア(ヤクーチア_6000年前、ヤクーチア_LN、ヤクーチア_IA【鉄器時代】)、ベーリング海のシベリア沿岸(エクヴェン【Ekven】_IAとウエレン【Uelen】_IA)、グリーンランド(サカク)の古代の人口集団とともに分析され、シベリア北東部とベーリンジアにおける過去の人口動態が調べられました。

 シベリア北部の人口集団は、ヤクーチア_6000年前と、エヴェン人(Even)やエヴェンキ人(Evenk)など現代のシベリア北東部人口集団に向かって経時的に動いているヤクーチア_IA (2500年前頃)により形成されるPCA勾配(図1B)によって示唆されているように(Kılınç et al., 2021)、6000~2000年前頃に顕著な遺伝的変容を経ました。以前に刊行されたゲノムの本論文での分析から、6000年前頃(ヤクーチア_6000年前)~4000年前頃(ヤクーチア_LN)のヤクーチアにおける遺伝的移行は、悪魔の門_Nを代理として用いるとANA祖先系統のほぼ50%の増加と関連しているものの、4000~2500年前頃(ヤクーチア_IA)の移行は、現在のガナサン人(Nganasan)集団で最大化されるシベリア北東部祖先系統との混合によりおそらく媒介された、と示されます。後者の移行はPCA空間において明らかですが(図1B)、確証するには、(単一の低網羅率のヤクーチア_IAのゲノムを除いて)鉄器時代のヤクーチアおよびシベリア北極圏(つまり、現在のガナサン人集団の居住地)の追加のデータが必要でしょう。

 さらに、シベリア北東部集団の人口史は、ベーリング海を越えてのアメリカ大陸先住民祖先系統の逆遺伝子流動も含みます。後期新石器時代ヤクーチア集団を祖先系統の基準として用いると、エクヴェン_IA(2000年前頃)やウエレン_IA(2300年前頃)などベーリング海沿岸に位置する鉄器時代集団の遺伝的祖先系統へのアメリカ大陸先住民からの遺伝子流動の寄与は、ほぼ50%と推定されます。したがって、カムチャツカ_非較正500年前の遺伝的特性をモデル化するため、古代のアメリカ大陸先住民とシベリア北東部人の祖先系統の組み合わせが調べられました。f4統計と一致して、カムチャツカ_非較正500年前集団は、ヤクーチア祖先系統とさまざまな古代アメリカ大陸先住民人口集団との間の2供給源混合として、qpAdmでのモデル化に成功できました(図4)。以下は本論文の図4です。
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 ヤクーチア_6000年前を祖先系統の基準として用いると、カムチャツカ_非較正500年前は、ケネウィック人のゲノムにより表されるアメリカ大陸先住民祖先系統の追加の8.5±4.1%を必要とします。この遺伝的寄与の範囲は、アリュート(Aleut)やアサバスカ(Athabaskan)や古ベーリング海の古代の個体群など、アメリカ大陸先住民関連祖先系統についてより近位の供給源を用いると、6.9~10.8%です。新たに報告されたカムチャツカ_非較正500年前のデータは最終的に、カムチャッカ半島における現在の人口集団の遺伝的形成の調査に用いられました。その結果、コリャーク人はカムチャツカ_非較正500年前と比較すると、追加のアメリカ大陸先住民関連祖先系統を有しており、ヤクーチア_6000年前と比較して、9.8±3.3%もしくは17.7±3.5%の余分になる、と分かりました(図4)。イテリメン人やチュクチ人(Chukchi)などカムチャッカ半島およびチュクチ半島の他の現在の人口集団も、無視できない量のアメリカ大陸先住民祖先系統を有しており、カムチャツカ_非較正500年前を祖先系統基準として用いると、その範囲は5~20%です。

 最後に、シベリア北東部の古代と現在の集団におけるアメリカ大陸先住民関連祖先系統の混合年代が推定されました。この逆流の年代は古代の人口集団では5500~4400年前頃ですが、現在のコリャーク人集団ではわずか1500年前頃でした(図4)。カムチャツカ_非較正500年前と比較して、コリャーク人集団におけるアメリカ大陸先住民祖先系統の追加の量を考慮すると、これは過去数世紀における北アメリカ大陸もしくはベーリンジアからカムチャッカ半島への連続的もしくは繰り返しの遺伝子流動事象を示唆します。


●考察

 本論文は、以前には特徴づけられていなかった遺伝子プールを有する、7500~5500年前頃のアルタイ狩猟採集民のゲノム規模データを報告します。この中期完新世シベリア祖先系統は、シベリアの上部旧石器時代のUKYおよび中石器時代(M)のコリマの個体との独特なつながりを明らかにします。本論文の分析から、アルタイ狩猟採集民はその後のアジア内陸部およびシベリアの人口集団におけるANE関連祖先系統について、UKYよりも適切な遺伝的代理を表しているかもしれない、と示され、新石器時代/青銅器時代バイカル湖地域人口集団とEBAタリム盆地集団との間のつながりを提供します。

 アルタイ狩猟採集民がAG3よりもタリム_EMBA1やボタイやシベリア西部_Nとより密接な遺伝的類似性を有している、という観察から、そうした派生的なANE関連祖先系統は少なくとも前期完新世以降にアジア中央部とシベリア南部の集団間で共有されていた、と示唆されます。混合年代測定から、アルタイ狩猟採集民遺伝子プールの形成は早ければ11000年前頃には始まった、と示されます。この時間的範囲は、ENおよびEBAバイカル湖地域遺伝子プール(Yu et al., 2020)だけではなく、EBAタリム盆地祖先系統(Zhang et al., 2021)の推定される形成年代より古くなります。

 EBAタリム盆地祖先系統については、その後の中期~後期青銅器時代の新疆(現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区一帯)人口集団に遺伝的に寄与した、アジア中央部におけるANE祖先系統の基層を表している、と提案されました(Zhang et al., 2021、および関連記事)。しかし、アルタイ狩猟採集民の混合年代における広い信頼区間と、アルタイ狩猟採集民が祖先系統供給源の一つとしてEBAタリム盆地人のゲノムでモデル化できる、という事実から、推測される遺伝子流動の方向性の解決に課題が提起されます。この問題に答えるには、この地域の考古学的調査と組み合わせて、ANE祖先系統関連人口集団の追加のデータが必要です。

 まとめると、本論文は、中期完新世以降の、アルタイ地域と、バイカル湖地域やアジア内陸部のジュンガル盆地およびタリム盆地との間の遺伝的つながりを報告します。アルタイ狩猟採集民の遺伝的特性は、生計戦略の変化にも関わらず、オクネヴォ文化関連牧畜民の遺伝子プールに局所的にほぼ保存されていました。アルタイ地域では代わりに、おそらくはこの地域への東西からの人口移動の結果、新石器時代の遺伝的祖先系統が中期~後期青銅器時代までにかなり減少しました。

 アルタイ狩猟採集民の遺伝的クラスタの形成が、ANA祖先系統の拡大と関連していないことも示されます。しかし、同じ地域の同時代の1個体(ニズネティッケスケン_6500年前)は、かなりの量のANA祖先系統を有しており、この高水準のANA祖先系統の存在は、以前に報告された同時代のものよりも1500km西方となります。そうした異なる遺伝的特性から、ANA祖先系統はアルタイ地域にアファナシェヴォ文化の拡大前に到来し、おそらくはニズネティッケスケン_6500年前個体で観察されたように、さまざまな文化的特徴と関連していた、と示唆されます。

 この「遺伝的外れ値」の存在は、東方との以前には評価されていなかった長距離の接続性について情報をもたらすかもしれません。これは、ロシア極東の7000年前頃のゲノム規模データの事例にも当てはまり、この個体は、同じ地域の以前に配列決定されたほとんどの新石器時代個体とは対照的に、縄文関連祖先系統を有しています。興味深いことに、地理的に近いボイスマン遺跡の7000年前頃となる別の「外れ値個体」も、ひじょうに類似した遺伝的組成を有しており、日本列島とロシア極東の狩猟採集民集団間の予期せぬ遺伝的つながりを明らかにします。

 結論として、本論文における新たに生成されたゲノムデータの調査は、アジア中央部から北アメリカ大陸にまたがる以前に報告された古代の個体群と組み合わされて、前期完新世以降のアジア北部全域にまたがる狩猟採集民の複雑な人口移動を明らかにしました。最後に、現在のカムチャッカ半島人口集団の遺伝子プールは、数千年にわたる長期のアメリカ大陸先住民関連の遺伝子流動により形成された、と明らかにされました。


●私見

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、これまで知られていなかったアルタイ地域の中期完新世狩猟採集民の独特な遺伝的構成とともに、完新世において、ユーラシア東西間だけではなく、過去5000年間にアメリカ大陸とアジア北東部との間でも連続的もしくは繰り返しの遺伝子流動があったことを明らかにしており、ひじょうに重要な研究だと思います。タリム盆地の前期青銅器時代集団と中期完新世シベリア狩猟採集民との間の遺伝的関係は示されても、その方向性について不明なところが残るなど、本論文が提起した問題もあり、今後の古代ゲノム研究の進展により解明されていくのではないか、と期待されます。

 日本人として私が気になるのは、ロシア極東沿岸のレタチャヤ・ミシュ洞窟の7000年前頃の個体のゲノムが、約30%とかなりの割合の縄文時代狩猟採集民(「縄文人」)関連祖先系統構成要素でモデル化できることです。同じくロシア極東沿岸のボイスマン遺跡で発見された中期新石器時代(MN)の外れ値個体(ボイスマン_MN_外れ値)のゲノムでも、同様の割合の「縄文人」関連祖先系統構成要素が確認されており、ともにロシア極東沿岸で発見された個体だけに、縄文時代の日本列島と中期新石器時代以前のユーラシア北東部沿岸との交流も想定されます。「縄文人」関連祖先系統構成要素が日本列島に限定されないことは、すでに新石器時代の朝鮮半島南岸においてさまざまな割合で確認されています(関連記事)。

 すでに先行研究でも、ボイスマン_MNはモンゴル新石器時代関連祖先系統87%と「縄文人」関連祖先系統13%程度でモデル化されており(関連記事)、ボイスマン_MN自体がある程度「縄文人」から遺伝的影響を受けており、その中でも外れ値個体はさらに新しい「縄文人」からの遺伝子流動があり、より高い割合の「縄文人」関連祖先系統構成要素になっているのかもしれません。上述のように、すでに新石器時代の朝鮮半島南岸の個体群のゲノムにおいてさまざまな割合の「縄文人」関連祖先系統構成要素が推定されており、ボイスマン遺跡の外れ値個体やレタチャヤ・ミシュ洞窟の7000年前頃の個体のゲノムにおける「縄文人」関連祖先系統構成要素は、朝鮮半島の新石器時代個体群に由来する可能性も考えられます。

 一方で、詳しく読んでいないので誤解しているかもしれませんが、最近の研究(Huang CC et al., 2022)では、異なる人口史が提示されています。その研究では祖先系統の分岐について、ユーラシア東部系が、まず初期ユーラシア東部系と初期アジア東部系に分岐し、初期アジア東部系が南北に分岐して(北部系には本論文のANAも含まれます)、南部系は南部(内陸部)系と沿岸部系(アジア東部沿岸部祖先系統)に分岐します。「縄文人」は、アンダマン諸島のオンゲ人に比較的近い初期ユーラシア東部祖先系統(54%)とアジア東部沿岸部祖先系統(46%)の混合とモデル化されています(Huang CC et al., 2022図4)。以下はHuang CC et al., 2022の図4です。
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 一方、ボイスマン_MNはアジア東部北部祖先系統(71%)とアジア東部沿岸部祖先系統(29%)の混合とモデル化されています。つまり、先行研究で推定されたボイスマン_MNのゲノムにおける13%程度の「縄文人」関連祖先系統構成要素は、「縄文人」から直接的もしくは朝鮮半島経由でもたらされたのではなく、「縄文人」のゲノムにおける一方の主要な祖先系統を、ボイスマン_MNも約30%と比較的高い割合で有していることに起因しており、ボイスマン_MNと「縄文人」との直接的な関連はなかったのかもしれません。ただ、レタチャヤ・ミシュ洞窟の7000年前頃の個体とボイスマン_MN_外れ値については、それだけではなく、日本列島の「縄文人」との直接的もしくは朝鮮半島経由でのつながりがあったのかもしれません。

 この問題は、ユーラシア東部のより多くの古代ゲノムデータの蓄積により解明されていくのではないか、と期待されます。研究の進展により、遅くとも9000年前頃には形成されていた「縄文人」的な遺伝的構成(関連記事)が、いつどのようにどこで形成されたのか、解明されていくかもしれません。それは、4万年前頃に日本列島に出現したことがほぼ確実な初期現生人類(Homo sapiens)集団と、「縄文人」などその後の現生人類集団との間に遺伝的なつながりがあるのか否か、あるいはあったとしてどの程度なのか、という問題の解明の手がかりになるかもしれません。更新世の日本列島の人類遺骸は、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」ではほとんど発見されていないので、この問題の解明は困難でしょうが、ユーラシア大陸部で「縄文人」と遺伝的に強く関連する更新世の人類遺骸も含めて古代ゲノムデータが蓄積されていけば、ある程度間接的に推測できるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Huang X. et al.(2022): Genomic Insights Into the Demographic History of the Southern Chinese. Frontiers in Ecology and Evolution, 10:853391.
https://doi.org/10.3389/fevo.2022.853391

Kılınç GM. et al.(2021): Human population dynamics and Yersinia pestis in ancient northeast Asia. Science Advances, 7, 2, eabc4587.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abc4587
関連記事

Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事

Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
関連記事

Siska V. et al.(2017): Genome-wide data from two early Neolithic East Asian individuals dating to 7700 years ago. Science Advances, 3, 2, e1601877.
https://doi.org/10.1126/sciadv.1601877
関連記事

Yu H. et al.(2020): Paleolithic to Bronze Age Siberians Reveal Connections with First Americans and across Eurasia. Cell, 181, 6, 1232–1245.E20.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.04.037
関連記事

Wang K. et al.(2023): Middle Holocene Siberian genomes reveal highly connected gene pools throughout North Asia. Current Biology, 33, 3, 423–433.E5.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.062

Zhang F. et al.(2021): The genomic origins of the Bronze Age Tarim Basin mummies. Nature, 599, 7884, 256–261.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04052-7
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