扶南期のカンボジアの男児個体におけるアジア南部からの遺伝的影響

 扶南(Funan)期のカンボジアの男児個体におけるアジア南部からの遺伝的影響を報告した研究(Changmai et al., 2022)が公表されました。インドの文化的影響はアジア南東部本土(MSEA)において顕著で、この地域における初期国家の形成を刺激したかもしれません。MSEAにおけるさまざまな現在の人口集団は、低水準のアジア南部祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有していますが、先行研究では、MSEAのどの古代の個体でもそうした祖先系統を検出できませんでした。

 この研究は、カンボジアのアンコール・ボレイ(Angkor Borei)遺跡のヴァト・コムヌー(Vat Komnou)墓地で発見された原史時代の1個体におけるかなりの水準のアジア南部人との混合(約40~50%)を見つけました。この人骨の位置と放射性炭素年代測定(95%信頼区間は78~234年)から、この個体はMSEAにおける最初期国家群の一つである扶南(Funan)の初期に暮らしていた、と示唆され、カンボジアへのアジア南部人の遺伝子流動は、現在の人口集団に基づく遺伝学的年代測定の以前に刊行された結果から示唆されるよりも約千年早く始まった、と示されます。この個体におけるアジア南部祖先系統の妥当な代理はインド南部の現在の人口集団で、この個体はほとんどの現在のアジア東部および南東部の人口集団とよりも、現在のカンボジア人の方と多くの遺伝的浮動を共有しています。


●研究史

 MSEAの高い民族言語的多様性は、この地域の複雑な人口史を反映しています。解剖学的現代人(AMH、現生人類、Homo sapiens)はMSEAに5万年前頃に到来しました。ホアビン文化(Hoabinhian)考古学伝統と関連する前期~中期完新世の狩猟採集民(そのゲノムデータは、ラオスの8000年前頃の個体とマレーシアの4500年前頃の個体で利用可能です)は、現在のアンダマン諸島人およびジェハイ(Jehai、Jahai)などMSEA採食民と関連する、深く分岐したユーラシア東部系統としてモデル化されました(McColl et al., 2018、関連記事)。同じゲノム混合は、ムラブリ人(Mlabri)などいくつかの現在のオーストロアジア語族話者集団で一般的です(Lipson et al., 2018、関連記事)。ベトナム北部の青銅器時代個体群(2000年前頃)の遺伝的構造は、中国南部からの移住の追加の波を示唆します(McColl et al., 2018、Lipson et al., 2018)。

 MSEAにおける初期国家の起源に関する議論は、50年以上にわたってアジア南部との接触の性質をめぐって行なわれてきました。考古学的証拠から、インド(アジア南部)人と在来のMSEAの人々の間の文化的接触は紀元前4世紀までに始まり、MSEAにおける初期国家の形成に影響を及ぼした相乗効果を生み出した、と明らかにされました。さまざまな現在のMSEA人口集団、とくにインド文化により強い影響を受けた人口集団は、低水準のアジア南部人との混合を有しており、たとえば、バマー人(Bamar)やチャム人(Cham)やクメール人(Khmer)やマレー人(Malay)やモン人(Mon)やタイ人(Thai)です。

 常染色体ハプロタイプに基づく手法を用いると、この遺伝的混合はカンボジアのクメール人集団で14世紀頃(1194~1502年頃)と年代測定されました。その後の研究では、カンボジアのクメール人集団の混合年代が確証され(12~13世紀頃)、現在のアジア南東部(SEA)集団のより広範囲の混合年代推定値が得られて、バマー人では16世紀、ベトナムのジャライ人(Giarai、Jarai)では4世紀頃でした。以前の古代DNA研究は、熱帯気候における乏しい古代DNA保存のため、ひじょうに限定的な範囲でしたが、どの古代のMSEA個体でもアジア南部祖先系統を検出しませんでした。

 本論文は、カンボジアのメコンデルタの西端に位置するアンコール・ボレイ遺跡のヴァト・コムヌー墓地(図1)で発見された、原史時代の男児1個体におけるかなりのアジア南部祖先系統の発見を報告します。城壁と堀のあるアンコール・ボレイ遺跡は、紀元前千年紀半ばにまず居住され、カンボジアもしくはベトナムのメコンデルタにおける最古の年代測定された都市遺跡の一つです。煉瓦建築の記念碑および関連する堀や池に加えて、ヴァト・コムヌー埋葬群はヒトの埋葬とビーズと土器と複数のブタの頭蓋骨と他の動物遺骸を含んでいました。ヴァト・コムヌー墓地は、これまでカンボジアで分析された最大の考古学的骨格標本の一つです。以下は本論文の図1です。
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 ヴァト・コムヌー墓地の男児の遺伝的データ(骨格記号はAB M-40)は、まず2018年の研究(Lipson et al., 2018)で報告され、ヒト古代DNAの濃縮に用いられた124万SNP(一塩基多型)パネルでの網羅率は0.047倍でした。この研究は網羅率を0.061倍まで増加させ、124万SNPで64103の多様体呼び出しを生成しました。一方、2018年の研究(Lipson et al., 2018)では54221の呼び出しでした。人骨の直接的な放射性炭素年代は(95%信頼区間で78~234年)は、2018年の研究(Lipson et al., 2018)によりこの男児個体(AB M-40)でも得られました。


●アジア南東部古代人の遺伝的概要

 カンボジアの古代人の男児1個体(AB M-40もしくはI1680、以下I1680で統一します)の位置は図1に示されます。この個体と、許容可能な品質(つまり、疑似半数体の遺伝子型が124万SNPの5万以上の部位で利用可能な個体)の刊行された遺伝的データが利用可能なアジア南東部の他の古代の個体の、遺伝的祖先系統が調べられました。ヨーロッパとアジア東部・南東部・南部・中央部とアンダマン諸島とシベリアの現在の人口集団を用いて主成分(PC)が計算され、これらのPCに先行研究(McColl et al., 2018、Lipson et al., 2018)の古代人28個体が投影されました。

 PC1軸とPC2軸の図示(図2)は、個体群の3クラスタ(まとまり)を明らかにします。それは、アジア東部および南東部(ESEA)とヨーロッパ(EUR)とアンダマン諸島のネグリートです。アジア南部(SAS)人口集団はヨーロッパ人とアンダマン諸島のネグリートのクラスタ間の勾配を形成し、パキスタンとインド北部の人口集団はヨーロッパ人クラスタのより近くに位置し、アジア南部の集団遺伝学に関する先行研究と一致します。ビルホル人(Birhor)やカリア人(Kharia)など、オーストロアジア語族のムンダ(Munda)語派言語を話す人口集団の位置はアジア南部勾配から逸れており、こうした集団はアジア南部人との混合を有しているので、これは予想外ではありませんでした。ネパールのクスンダ人(Kusunda)と、インドのシナ・チベット語族話者集団であるリァン人(Riang)は、アジア東部および南東部クラスタの近くに位置します。以下は本論文の図2です。
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 これらの人口集団は、本論文のADMIXTURE 分析によると、ESEA人口集団で最大化される祖先系統構成要素を比較的高い割合で有しています(図3)。アジア中央部およびシベリアの人口集団はPC1軸に沿ってSAS–EUR勾配とESEAクラスタとの間に分布しており、多くの先行研究(関連記事)と一致します。アジア南東部の紀元前2500~紀元後1950年頃と年代測定されたほとんどの古代の個体はESEAクラスタ内に収まり、例外はESEAクラスタからアジア南部人勾配に向かうヴァト・コムヌー遺跡の1個体(I1680)です。ADMIXTURE 分析からは、この個体はそのゲノムに「青色」と「灰色」両方の祖先系統構成要素が高い割合で存在するため、アジア南東部人では際立っている、とも示唆されます。「青色」の祖先系統構成要素はヨーロッパの人口集団で、「灰色」の祖先系統構成要素はアンダマン諸島の人口集団で最大化されます。この両方の構成要素は、アジア南部の人口集団でも顕著です(図3)。

 f4統計(オークニー諸島人、日本人; I1680、他の古代ESEA個体)は、ほとんどの事例で|Z| > 2で、全てのf4統計値が正なので、男児1個体(AB M-40/I1680)におけるユーラシア西部遺伝的構成要素の存在を裏づけ、オークニー諸島集団が他の古代SEA 個体とよりもI1680の方と多くの遺伝的浮動を共有している、と示唆されます。他の全ての古代SEA 個体は、同様のf4統計の正と負の値の混合を示します。しかし、アジア南部人についてのADMIXTURE(図3)とf4統計の結果を考えると、I1680個体はおそらくアジア南部集団経由でユーラシア西部遺伝的構成要素を得ました。

 たとえば、f4統計(ヴェッラーラ、日本人;I1680、他の古代MSEA個体)は、上述のf4統計(オークニー諸島人、日本人;I1680、他の古代ESEA個体)と類似の結果を示します。ヴェッラーラ(Vellalar)とは、タミル人の最上位カーストです。「赤色」の構成要素はアフリカの人口集団で最大化され、全ての古代人集団において微量で遍在します。この遍在性は、人為的産物を扱っていることを示唆します。パプア人で豊富な「桃色」の構成要素は、一部の古代の個体とESEAとSASの現在の集団に存在し、深く分岐したユーラシア東部系統の兆候を表しているかもしれません(McColl et al., 2018、Lipson et al., 2018、関連記事)。以下は本論文の図3です。
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 キン人(Kinh)やカンボジア人などアジア南東部の現在の集団は、「外群」f3統計(ムブティ人、AB M-40/I1680、X)を用いて推測されるように、ほとんどの現在のESEA人口集団よりもカンボジアの原史時代の男児1個体I1680)と多くの遺伝的浮動を共有しています(図4)。ESEA集団のいずれかが、男児1個体(I1680)および現在のカンボジア人と非対称的に関連しているのか、それはこれらの集団の一方に追加のESEAからの遺伝子流動を示唆する可能性があるのか検証するため、f4形式(ESEAの1集団、他の全てのESEA集団;AB M-40/I1680、現在のカンボジア人)のf4統計が計算されました。以下は本論文の図4です。
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 f4統計値(タイヤル人、他の全てのESEA集団; I1680、現在のカンボジア人)は全て負で、ほとんどの絶対Z得点は2を超えています。この種のf4統計から、(おそらくはオーストロアジア語族言語を話している)タイヤル人(Atayal)関連集団と現在のカンボジア人は、原史時代の1個体(I1680)と比較して追加の遺伝的浮動を共有している、と示唆されます。一方、f4統計(キン人、他の全てのESEA集団; I1680、現在のカンボジア人)は全て正で、ほとんどの絶対Z得点は2を超えており、先行研究(関連記事)のデータの現在のキン人と原史時代の1個体(I1680)との間の牽引を示唆しています。しかし、先行研究のデータのキン人を1000人ゲノム計画のずっと大規模なキン人集団と置換すると、f4統計は正と負の値の混合を示しました。キン人と原史時代の1個体(I1680)との間のデータセットに依存した牽引から、その関係についての問題はこの時点で解決できない、と示唆されます。

 要するに、PCAとADMIXTUREの結果(とf4統計)から、かなりのアジア南部人との混合がカンボジアの原史時代の1個体(I1680)に存在し、そのためこの個体は、許容可能な品質の遺伝的データが文献(McColl et al., 2018、Lipson et al., 2018)で報告されている他のアジア南東部の25個体から離れている、示唆されます。なお、I1680個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はR30、Y染色体ハプログループ(YHg)はO1b1a(Y9032)です。


●アジア南東部古代人におけるアジア南部祖先系統

 f3形式(ムブティ人;アジア南部人、X)とf3形式(ムブティ人;アジア東部人、X)の外群f3統計の散布図の精査により、アジア南東部古代人におけるアジア南部人との混合のさらなる兆候が調べられ、ここでのXはアジア南東部の古代人、現在のESEA人口集団、インドとネパールのチベット・ビルマ語派話者集団、ネパールのクスンダ人です(図5)。ウッタル・プラデーシュ(Uttar Pradesh)州のバラモン(インド北部人)とヴェッラーラ(インド南部人)が代替的なSASの代理として、タイヤル人と傣人(Dai)がアジア東部の代替的な代理として用いられました。

 ESEAのほとんどの現在および古代の集団は、アジア南部人および東部人の代理との遺伝的浮動共有の線形関係を示します。カンボジアの古代の1個体(I1680)、ネパールのチベット・ビルマ語派話者人口集団(チベット人とシェルパ人)およびクスンダ人、インドのオーストロアジア語族話者(ビルホル人とカリア人)およびチベット・ビルマ語派話者集団(リァン人)といったさまざまな集団でのf3統計は、この傾向線に一致しません(図5)。この変化は、ほとんどのESEA集団と比較しての、これらの人口集団におけるアジア南部人の代理との過剰な共有された遺伝的浮動を示唆します。とくに、インドのバマー人とチベット人とシェルパ人とオーストロアジア語族話者人口集団におけるアジア南部人との混合は、先行研究で報告されてきました。この結果は、ESEAおよびSASの代理の組み合わせ全体で一貫しています(図5)。以下は本論文の図5です。
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 参照もしくは「正しい」人口集団の循環一式で、qpAdmの実施要綱を用いて、カンボジアの古代人1個体(AB M-40/I1680)におけるアジア南部人との混合について、(他の刊行されているアジア南東部の古代の個体とともに)形式的に検証されました。まず対でのqpWave検定が実行され、標的となる古代の個体が単一の参照人口集団とクレード的(遺伝的に連続的)なのかどうか、調べられました。これら対でのqpWaveモデルのどれも、妥当ではありませんでした。次に、参照人口集団一式から祖先系統供給源の全てのあり得る組み合わせ(66組)が検証され、カンボジアの原史時代の1個体(AB M-40/I1680)のゲノムは、アジア東部および南部の人口集団の2方向混合としてモデル化できる、と分かりました(図6)。

 カンボジアの原史時代の1個体(AB M-40/I1680)についての妥当なモデルのうち、アミ人(Ami)が唯一のアジア東部人の代理で、イルラ人(Irula)とマラ人(Mala)とヴェッラーラだけが、妥当なモデルをもたらす非アジア東部人の代理でした(図6)。驚くべきことに、これら全ての代理はインド南部に由来し、インド南部祖先系統の割合は、全ての妥当なqpAdmモデルで42~49%と推定されました(図6)。ヨーロッパ人か中東人かコーカサス人かさらにはインド北部人の祖先系統供給源を含むqpAdmモデルが却下された、という事実から、現代人のDNAの汚染はこの結果の説明として可能性が低い、と示唆されます。さらに、ライブラリは末端の読み取りヌクレオチドにおける損傷率など、定まった古代DNAの信頼性検査に合格しました。0.03未満の損傷率は問題があるとみなされます。以下は本論文の図6です。
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 ラオス(La727)とマレーシア(Ma554とMa555)とタイ(Th531)とベトナム(I859とI2947とI0626とVt880)の一部の古代の個体の遺伝的構成は、本論文のqpAdmモデルの観点では、アジア東部人と深く分岐したユーラシア東部系統(参照人口集団一式ではオンゲ人とパプア人により表されます)の2方向混合として解釈できます。一部の個体についての妥当なモデルが多様なので(つまり、アジア東部人と、アジア西部人やコーカサス人やヨーロッパ人やアジア南部人や深く分岐したユーラシア東部系統など、さまざまな代理との組み合わせです)、全ての他の古代の個体についての結果は曖昧です。qpAdmがさまざまなユーラシア西部人の代理との複数モデルを却下できなかった、という事実は、現代人からのDNA汚染もしくはデータの不足により説明できるかもしれません。少ない個体については、妥当なqpAdmモデルを見つけられませんでした。

 先行研究で推定されているように、現在のカンボジア人(9%)と比較して、カンボジアの原史時代の1個体(AB M-40/I1680)はアジア南部祖先系統をかなり高い割合(42~49%)で有しています。しかし、本論文と先行研究で用いられたqpAdm参照人口集団は異なります。カンボジアの原史時代の1個体(I1680)におけるアジア南部祖先系統の過剰を引き起こす可能性がある予期せぬ偏りを避けるため、この個体と現在のカンボジア人について、同じ代理一式およびqpAdmの「正しい」人口集団とのアジア南部人の混合割合が推定されました。上述の分析の参照人口集団を用いた場合、現在のカンボジア人について妥当なモデルは見つからなかったので、アミ人をボルネオ島北部のドゥスン人(Dusun)と置換し、新たな参照人口集団一式でqpAdm分析が実行されました。その結果、カンボジアの原史時代の1個体(I1680)におけるアジア南部祖先系統は、現在のカンボジア人(12~15%)よりもじっさいにずっと高い(37~44%)、と示唆されます。


●考察

 本論文は、カンボジアの放射性炭素年代測定(95%信頼区間で78~234年)された1個体(I1680)を報告し、この個体はアジア南東部へのアジア南部からの遺伝子流動開始の年代測定に重要なデータ点として役立ちます。この個体は先行研究(Lipson et al., 2018)で分析されましたが、本論文は追加のデータを生成して、分析の感度を高めました。アジア南部人は元々の研究におけるMSEA集団のあり得る祖先系統供給源とみなされておらず、これは本論文と先行研究(Lipson et al., 2018)の結果間の不一致を説明します。たとえば、先行研究(Lipson et al., 2018)の図1のPCAではユーラシア西部集団が欠けており、その研究の補足図1の別のPCAでは、アンダマン諸島人を除いてアジア南部人が欠けていました。それにも関わらず、補足図1のPCAによると、カンボジアの原史時代の1個体(I1680)は、全ての現在のMSEA個体およびほとんどの古代のMSEA個体と比較して、ヨーロッパ人とアンダマン諸島人の方へと動いています。

 本論文の遺伝学的結果に加えて、I1680個体に関する他の人類学的結果は、その混合した遺伝的特性と一致します。カラベリ結節のわずかな萌出が、I1680個体の上顎の左右の第一大臼歯と左側の第二大臼歯で観察され、この歯の特徴の最高頻度のいくつかは、ユーラシア西部とインドの現代人で報告されてきました。I1680個体のストロンチウム同位体分析は、ヒトの移動性の限定的な証拠を示唆します。I1680個体は子供だったので、そのストロンチウム同位体データは両親の移動性の可能性を除外しません。それにも関わらず、外群f3統計(図4)から、I1680個体と地理的に近い現在の人口集団は、I1680個体と共有される大量の遺伝的浮動を有する現在のアジア東部人口集団の上位にある、と示唆されます。したがって、I1680個体へのアジア東部遺伝的構成要素をもたらした祖先は、在来のアジア南部人だった可能性が高そうです。

 アジア南部人との混合は、さまざまな現在のMSEA人口集団、とくにインド文化に強く影響を受けた人口集団に存在します。しかし、以前の古代DNA研究は、MSEA全域の古代の個体群におけるアジア南部人との混合を検出しなかったものの、巨大な技術的困難のため、(あらゆる品質の)ゲノムデータが、紀元前5世紀およびそれ以降と年代測定された、カンボジアとラオスとマレーシアとタイとベトナムの21個体だけで生成されました(McColl et al., 2018、Lipson et al., 2018)。考古学的証拠により示唆されているように、紀元前4世紀頃に始まったアジア南部との相互作用の痕跡が見つかる、と期待されます。

 先行研究では、現在のカンボジア人におけるアジア南部祖先系統の割合は約9%と推定されました。注目すべきことに、カンボジアの古代の1個体(I1680)におけるアジア南部祖先系統の割合(全ての妥当なqpAdmで42~49%の範囲の点推定値)は、文献で調査されたカンボジアの現在の多数派の人口集団および現在のMSEA人口集団よりもかなり高いことになります。本論文では、カンボジアの古代の1個体(I1680)が、同じ参照人口集団一式でのqpAdmにより推定されるように、現在のカンボジア人と比較してアジア南部祖先系統の割合が3倍高い、と論証されます。アジア南東部全域の紀元前2500~紀元後1950年の他の刊行されている古代人25個体でも、本論文はアジア南部祖先系統の明確な兆候を検出できませんでした。本論文は単一個体のみを扱っているので、遺伝子流動の強度の推定と、この推定を現在のカンボジアの領域における一般的な原史時代の人口集団に外挿することは困難です。

 I1680個体の場所と年代(紀元後1~3世紀)は、現在のカンボジアとベトナムの領域における初期国家である、扶南初期と一致します。中国の文献の記録には、扶南王朝はインドのカウンディンヤ(Kaundinya)という名前のインドのバラモンと、ソーマ(Soma)という名前の地元の王女により創立された、とあります。メコンデルタとタイ半島から回収されたガラスと石製ビーズの考古学的証拠と考古植物学的遺骸は、人口集団が海洋交易に従事していた原史時代のMSEA地域における多民族居住の可能性を示唆します。まとめると、これらのデータは、紀元後1~3世紀のメコンデルタにおけるある程度の水準のインド文化の影響を示唆します。扶南の個体I1680について唯一の妥当なアジア南部人の遺伝的供給源は、qpAdm手法により推測されるように、インド南部の人口集団です。この結果は、インド南部人口集団がI1680個体の最も妥当な代理であることを示唆しますが、じっさいの古代の供給源はおそらく、本論文においてqpAdm分析で用いられた現在のアジア南部人口集団とは異なる遺伝的特性を有していたことに要注意です。

 現時点で、漢籍で云うところの扶南と関連する紀元前千年紀初期のメコンデルタの王国が、アンコール帝国の前身国家だったことについて合意が得られていますが、どの言語が7世紀(アンコール・ボレイにおいて、最初の碑文がメコンデルタに現れた時期)以前に話されていたのかは、謎のままです。「扶南(Funan)」という用語は、現代中国語の発音に基づいています。地元の発音が、「山」を意味するクメール古語の「ブナム(bnam)」と似ている、「ビウナム(biunâm)」だったのかどうかは、未解決の問題です。原史時代から後のアンコール後期へと至る建築様式と彫像と集落形態の連続性から、扶南の一部の住民は古クメール語を話していた、と示唆されます。外群f3総計(図4)はこの点を支持しており、それは外群f3統計では、カンボジアとキン人(ベトナム人)が、扶南のI1680個体と最高量の遺伝的浮動をを共有する現在の集団である、と示されるからです。

 古代のI1680個体および現在のカンボジア人と比較すると、現在のカンボジア人におけるタイヤル人関連(おそらくはオーストロネシア語族話者の)集団からの追加の遺伝子流動の兆候が検出されました。この兆候は先行研究で異なる手法により見つかりましたが、カンボジア人とチャム人との間の長期の相互作用の結果かもしれません。チャム人はオーストロネシア語族話者集団で、現在のカンボジアにおける最大の少数民族集団であり、その歴史を通じて記録されてきました。先行研究のデータに基づくと、キン人は現在のカンボジア人よりも古代のI1680個体の方と多くの遺伝的浮動を共有しており、外群f3統計の結果と一致します(図4)。しかし、この余分の牽引は1000人ゲノム計画のキン人のデータでは検出されませんでした。先行研究のキン人集団がわずか2個体で構成されているのに対して、1000人ゲノム計画のキン人には97個体が含まれることに要注意です。したがって、先行研究のキン人の2個体は、古代のI1680個体と遺伝的により近いかもしれないものの、一般的なキン人集団を表していない可能性があります。

 先行研究は、さまざまな現在のMSEA人口集団におけるアジア南部人との混合事象の年代を、4世紀~16世紀の間と推定しました。現在のカンボジア人とタイのクメール集団におけるアジア南部人との混合の推定年代(95%信頼区間)は、それぞれ808~771年前頃と1291~1218年前頃ですが、古代のI1680個体の年代はずっと古くなります(95%信頼区間で1872~1716年前)。じっさい、混合事象の真の年代、とくに開始年代は、同じもしくは近い場所の類似の現在の人口集団から推定された混合年代の範囲内に必ずしも収まりません。本論文の結果から、一部のアジア南部人は国家形成の前か初期段階にMSEAと移住し、雑婚した、と示唆されます。これらのアジア南部人は、インド文化の拡大と、インド様式の国家(インド化された国家としても知られています)の確立に影響を及ぼしたかもしれません。MSEAの古代DNAデータは少ないので、この地域の人口集団へのアジア南部祖先系統の組み込みの追跡には、さらなるデータ収集が必要です。


参考文献:
Changmai P. et al.(2022): Ancient DNA from Protohistoric Period Cambodia indicates that South Asians admixed with local populations as early as 1st–3rd centuries CE. Scientific Reports, 12, 22507.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-26799-3

Lipson M. et al.(2018): Ancient genomes document multiple waves of migration in Southeast Asian prehistory. Science, 361, 6397, 92–95.
https://doi.org/10.1126/science.aat3188
関連記事

McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
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