Emmanuel Todd『我々はどこから来て、今どこにいるのか』上・下

 エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)著、堀茂樹訳で、早川書房から2022年10月に刊行されました。上巻の副題は「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」、下巻の副題は「民主主義の野蛮な起源」です。原書の刊行は2017年です。電子書籍での購入です。著者の見解については断片的な情報を得ていましたが、本格的に読んだことはないので、この機会に学ぼうと考えました。また、人類進化史の観点からも得るところが多いのではないか、との期待もありました。本書は家族構造視点の人類史で、家族構造により人口動態や政体や経済発展の様相などが規定される、との認識が前提にあります。著者の見解は日本ではそれなりに知られているでしょうから、私も以前から知っており、その意味では大きな衝撃を受けたわけではありませんが、一般的な人類史認識、さらには「常識」と大きく異なる見解であることは否定できないと思います。本書は広範な地域と時代を対象としており、情報量があまりにも多いので、私も一読して咀嚼できたとはとても言えず、何度か再読する必要があります。以下、本書のごく一部になりますが、関心のある問題について取り上げます。

 本書は家族類型について、以下のように大きく分類します。(1)イギリスやアメリカ合衆国やオーストラリアやニュージーランドやカナダなどの英語圏で見られる遺言の内容が絶対的に自由な純然たる核家族(絶対核家族)。子供たちは10代後半以降に親から遠ざかり、自律的な家庭単位を築きます。(2)パリ盆地やイタリア南部やイベリア半島の一部などで見られる、核家族的ではあるものの平等主義的な遺産相続の形態(平等主義核家族)。(3)ユーラシア草原地帯やアメリカ大陸先住民の一部で見られる、(父方か母方か双方での)一時的同居を伴う核家族(未分化核家族)。(4)日本やドイツや韓国やフランス南西部などで見られる、後継ぎを1人だけ(一般的には長男で、双系的の場合も、母方居住の場合もあります)に絞る直系家族。後継ぎではない息子は娘たちと同様に遇され、男性性支配の原則が貫徹しているわけではなく、父系制レベル1に相当します。(5)中国やロシアに見られる、兄弟の対等性と男性性優位が確立している外婚制共同体家族。これは父系制レベル2に相当しますが、ロシアではこの家族形態の歴史は浅く(17世紀以降)、女性の地位の高さが濃厚に残っています。(6)アラブ・ペルシア世界で見られる内婚制共同体家族。イトコ婚が推奨され、兄弟間の情愛の強さと持続性が見られ、父系制レベル3に相当します。(7)インド南部で見られる、兄・弟と姉・妹の子供間の結婚(交叉イトコ婚)が奨励される核家族型で、父系制レベル1に相当します。

 本書の見解で「常識」とは大きく異なるのが、近代において先進性の目標となり続けてきた英語圏の絶対核家族、とくに20世紀後半のアメリカ合衆国型の家族構造が、現生人類(Homo sapiens)の原初の家族構造(キリスト教的道徳に支配されていない単婚)に最も近く、上述の(5)や(6)など経済・文化的には「後進的」と見られている地域の外婚制こそ、都市や強力な政体(国家)の形成に伴って出現した、新しい家族構造だった、というものです。経済や文化などで「先進的」だからといって、その家族構造が「新しい」わけではない、と本書は指摘します。上述のように、本書はこうした家族構造の違いを人口動態や政体や経済発展の様相と関連づけますが、一方で、特定の家族構造の社会・国が技術開発などにおいて促進する場合も停滞要因となる場合もある、と指摘します。

 本書は現代人のこうした家族構造の違いについて、現生人類の起源にまでさかのぼって検証します。本書は世界各地における現生人類の出現年代を列挙していますが、その年代が議論になっており暫定的であることも指摘しています。本書の分析対象は、時空間的範囲だけでも1人の著者が扱うには広すぎるので、各専門分野の研究者にとっては、疑問に思うところが少なくないかもしれませんが、このように議論になっている問題について率直に暫定的と認めているところは、良心的だと思います。1点具体的に挙げると、本書ではヨーロッパにおける現生人類の出現は25000年前頃としていますが、少なくとも45000年前頃までさかのぼります(関連記事)。

 本書は、現生人類が世界各地に拡散し、農業を始めてから6000年ほど経過して、家族類型の差異化が始まり、人類の家族類型の差異化のほとんどは過去5000年間に起きた、と指摘します。こうした家族類型の差異化で重要なのは、家族構造や文化などの最古の形が文化空間の周縁部において生き残ることです。この過去5000年間の家族類型の差異化で本書が重視するのは父系制革新で、その極は紀元前三千年紀のシュメールと、紀元前二千年紀から紀元前千年紀にかけての現在の中国にあった、と指摘されています。この父系制第一段階は男子の長子相続で、不動産の譲渡を前提とするものでした。この段階は父系制レベル1で、それが父系制レベル2および父系制レベル3へとじょじょに強化されていきます。この大きな動向において、ヨーロッパや日本や朝鮮では直系家族の成立は遅く、周縁部的存在でした。

 本書は、現生人類の原初的家族類型は、父方親族と母方親族の同等性と性別分業を特徴としており、双系親族網が形成されており、女性の地位は後のよく文献記録が残っている前近代社会の一部よりも高かったものの、現代的な意味での平等性ではなかった、と指摘します。婚姻体系については、現生人類は元々、キョウダイ間や親子間など狭義の近親相姦の禁忌とは別に、平行イトコ(父の兄弟の子供や母の姉妹の子供)同士の結婚を避ける外婚的だった、と本書は指摘します。本書はこれを「穏健な」外婚制と呼んでおり、それは、平行イトコ同士の結婚が時には10%にも達するからです。つまり、アラブ・ペルシア世界で現在でも見られる歴史的な内婚制は革新的だった、というわけです。なお、近親相姦の禁忌について本書では、これを文化的産物として、原初には近親相姦も頻繁だった、との恐らくは唯物史観に採用されたことにより今でも通俗的には影響力があるかもしれない仮説が、明確に否定されています。近親相姦の禁忌は、自然選択の過程に由来する、というわけです。また本書は、現生人類の原初的社会が核家族と外婚制を基本としていたものの、時には一夫多妻や一妻多夫さえもあり得た、とその柔軟性を指摘します。さらに本書の指摘で重要なのは、現生人類において、「人種」や「民族」など集団の自己認識が常に相対的であることです。

 本書はこの現生人類の原初的社会に民主制の起源を見ています。その一般的形態は、集団の成人男子構成員が集会を開いて合議し、集団に関わる決定を行なうことです。ただ、こうした原初民主制はその根本からして平等主義的ではなく、ひじょうに多くの場合、指導者が名門一族から選出されており、相続の規則は、平等も不平等も原則の形に定めていませんでした。本書は、これを「原始民主制」ではなく「原始寡頭制」と呼ぶ方が実態により近いかもしれない、と指摘します。本書はこの「原始民主制」を、未分化核家族のように一見して柔軟で曖昧で不安定と把握しています。本書はイギリスに起源がある近代ヨーロッパの自由主義革命は、原初的民主制もしくは寡頭制がイギリスに残っていたからで、それは端的に言ってユーラシア周縁部において「歴史的発展の面でおそろしく立ち後れていたことの反映だった」と指摘しています。アメリカ合衆国が近代民主制を確立したのも、原初的な自然性に由来する、というのが本書の見解です。もちろん本書は、そうした家族形態の「原初的性格」のみを近代民主制確立の要因としているわけではなく、大衆の識字化も大きな要因としており、本書は人類社会や人類の心性を大きく変え得る要素として、識字化を重視しています。


 以上、一部のみになってしまいますが、本書についてざっと見てきました。イギリスやアメリカ合衆国やフランスやドイツや日本など、各地域の具体的な歴史過程やその分析はたいへん興味深いものですが、それを的確にまとめるだけの知見と気力はなく、本書については近いうちに再読しなければならないでしょう。本書は現生人類の原初的社会について、核家族と外婚制を基本としていたものの、時には一夫多妻や一妻多夫さえもあり得た、とその柔軟性を指摘します。私も初期現生人類については柔軟で多様な社会を想定しており(関連記事)、その意味で本書の見解に否定的ではありませんが、一方で、チンパンジー属系統と分岐した後の人類系統では元々父方居住の社会が形成されており、それは最近のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についての研究(関連記事)からも示唆される、と考えています。初期現生人類は柔軟な社会を築いていたものの、それ以前の社会構造を継承して、外婚制では父方居住の方が多かったのではないか、と予想しています。これは証明困難ではあるものの関心の高い問題なので、今後も少しずつ調べていくつもりです。


参考文献:
Todd E.著(2022)、堀茂樹訳『我々はどこから来て、今どこにいるのか』上・下(早川書房、原書の刊行は2017年)

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