ワラセアおよびサフル地域の人類史

 ワラセア(ウォーレシア)およびサフル地域の人類史に関する概説(Taufi et al., 2022)が公表されました。世界規模の人口集団から得られたゲノム配列データは、世界的な遺伝的多様性を形成してきた、現代人の共有祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)や歴史的移住へのさまざまな新しい洞察を提供してきました。しかし、これら基本的な問題に関する包括的な理解は、ワラセア群島(ウォレス線の東方とライデッカー線の西方に位置する現在のインドネシア諸島で構成されます)、および旧サフル大陸(かつて更新世の海水準が今より低い時に陸続きだった、ニューギニアとオーストラリア)を含めて、ゲノム調査に多くの先住人口集団を含めていないことにより妨げられてきました。とくに、これらの地域は、解剖学的現代人(AMH、現生人類、Homo sapiens)の到来前の複数の人類種の存在を証明する多様な化石および考古学的記録により説明されているように、更新世を通じてヒト進化の重要領域でした。

 この再調査では、ワラセアおよびサフル地域の人類史に焦点を当てた過去10年間の集団遺伝学および系統地理学的文献の重要な調査結果が照合されて検討されます。具体的には、古代のAMHの移住の時期と方向およびその後の人類の混合事象の証拠が調べられ、これらの問題への対処に重要な意味を有する、いくつかの新しいものの一貫した結果が強調されます。本論文は最後に、ヒト進化のこの重要な地域における将来の遺伝学的研究に対して、有益かもしれない方向性を示唆します。


●研究史

 ワラセア群島とサフル古大陸は、アフリカから拡散した歴史的なヒト移住集団にとって最も遠い南東の到着地でした。この遠い場所にも関わらず、遺跡と化石記録からの局所的証拠は、ユーラシア外の最古級の既知の人類遺骸、つまりジャワ島のホモ・エレクトス(Homo erectus)を含めて(関連記事1および関連記事2)、少なくとも150万年前頃からのこの地域における複数の異なるヒト集団の存在を示します。ホモ・エレクトスは、中期更新世において海水準が今より低かったため、ジャワ島がアジア本土と陸続きだった時にジャワ島に到達した可能性が高いものの、さらに東方にはウォレス線として知られる海上の障壁があり、これは人類史を通じて、アジア本土をワラセアおよびフィリピン諸島とサフルから分離していました。

 この一貫した障壁は、5000年前頃となる有袋類と胎盤類の哺乳類の多様化の原因でしたが、とくに、複数の人類集団をさらに東方へと進ませるのを妨げませんでした(図1)。じっさい、70万年前頃までに、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)として知られる小さな身体の今では絶滅した人類が、インドネシア領フローレス島へと移動し(関連記事)、ホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)はフィリピン諸島の北部の島であるルソン島に生息していました(関連記事)。これら3つの今では絶滅したヒト系統は、おそらくアフリカから移動してきたAMHの到来までこの地域で生き残っており、インドネシア西部となるスマトラ島(関連記事)とオーストラリア北部のAMH関連遺跡の年代は、AMHの最初の移民が早くも70000~65000年前頃だった可能性を示唆します(関連記事1および関連記事2)。以下は本論文の図1です。
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 重要なことに、最終的にAMHや他の人類集団がサフルへと到来した年代と方向の堅牢な推定値を得る試みは、ワラセアの疎らな考古学的記録により複雑になってきました。じっさい、ティモールとスラウェシ島で記録されたワラセアにおけるAMH居住の現時点で最古の証拠は44000年前頃で(関連記事)、この地域におけるAMH到来の上述の最初の考古学的証拠からかなり遅れています。さらに、ワラセアとサフルの最初の移住パターンの現時点での理解のほとんどは、最適な移住経路推測のための島の相互可視性および古地理学的再構築を用いたモデルに由来します。これらの研究は、ワラセアを横断する北方もしくは南方経路の、2つの代替的な経路への裏づけを提供し(図1)、複数の歴史的経路が可能だったことを示唆します。

 現時点では、ワラセアの大半で利用可能な遺跡が限られており、研究者は最近、この地域におけるAMHの到来と人類の混合事象に関する基本的な問題の解決に役立つ代替的な実証的手法として、在来の現代の人口集団および古代人遺骸からの遺伝的配列データに関心を向けてきました。本論文は以下で、ワラセアとサフルの人類史を調べた、少ないものの増加しつつある集団遺伝学と系統地理学的研究からの重要な調査結果を再調査し、とくに過去10年間のワラセアの人口集団の研究に焦点を当てます。これらの研究は、元々のAMH創始者に由来する祖先系統の大半を消去したかもしれない、複数の移住と人口混合事象により特徴づけられる複雑な人口史を解明し始めました。本論文では、より広範なヒトと人類の地域史の理解についてこれらの調査結果の意味が検討され、将来の研究の有益かもしれない地域の強調により終えられます。


●ワラセアとサフルにおけるAMH到来の遺伝学的証拠

 ヒトの遺伝学的研究は、世界のほとんどの地域の人口集団について着実に蓄積されてきましたが、サフル旧大陸の現在の先住民については、完全なミトコンドリアゲノム配列もしくはY染色体を用いた、比較的少ない集団ゲノムおよび系統地理学的研究しか存在しません(関連記事1および関連記事2)。ゲノムデータでは、全ての現在の非アフリカ系AMH人口集団は6万~5万年前頃にアフリカを去った祖先的AMH集団から多様化してきた、と繰り返し論証されてきました(関連記事)。

 しかし、100年前頃の毛髪標本に由来する単一の深く配列決定されたオーストラリア先住民のゲノムの最初の結果では、オーストラリア先住民は75000~62000年前頃に起源があるより早期のアフリカからの離散(ディアスポラ)に由来するかなりの祖先系統も有している、と提案されました(関連記事)。同様に深いAMH祖先系統供給源が現代パプア人で報告されましたが(関連記事1および関連記事2)、他の研究では、これらは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と関連する1もしくは複数の人類集団からもたらされた、最大で6%となる追加の祖先系統を有している現代のオーストラロ・パプア人に由来する人工物かもしれない、と示唆されました。

 デニソワ人はシベリアで見つかった指骨断片からの古代DNA解析を通じて最初に発見された絶滅人類集団で(関連記事)、以下で再度言及されます。このデニソワ人関連祖先系統を説明する集団遺伝学モデルでは、現在のオーストラロ・パプア人のAMH祖先系統の全ては他の現在の非アフリカ人と同じ移住人口集団にたどれる可能性が最も高いものの、とくに、より深いAMH供給源からの少ない(2%以下)寄与を完全には除外できない、と示唆されます。

 これらのゲノム結果は、ミトコンドリアゲノムおよびY染色体の系統地理学的研究と一致しており、そうした研究では、オーストラリアとニューギニアにわたる現代の先住民人口集団の有する系統は、他の他大陸の人口集団に対して明確な遺伝的クレード(単系統群)を形成し、オーストラリア先住民とパプア人の系統間の最初の分離は5万年前頃までに起きていた、と示されています。先住のオーストラロ・パプア人は、深く分岐したY染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプロタイプを有しており、それらは他の人口集団で見つかるものとは異なっています。たとえば、mtDNAハプログループ(mtHg)では、M42・M27・M28・M29・Q・O・N13・S・P4・P5・P1です。そのうち、たとえばオーストラリア先住民で見られるmtHg-Rは、パプア人の姉妹クレード(mtHg-P1・P2・P4a)と5万年前頃に分岐した異なる系統(mtHg-P5・P4b・P11)を含んでいます。類似の分岐年代は、多くのmtDNAとY染色体の系統で観察されており、この驚くべき系統地理学的区分は、明確なニューギニアおよびオーストラリア系統へと急速に分裂したサフルへの単一のAMH到来か、あるいは代わりにニューギニアとオーストラリアに今では位置する地域への2回の別々の歴史的到来(おそらくは別の移住経路で)の証拠として解釈されてきました。

 サフルへのAMHの移住経路をさらに調べるため、先行研究は現代パプア人58個体のゲノムを、ワラセアの北方(北モルッカ諸島とケイ島)および南方(小スンダ列島およびフローレス島)の島々の現代人のゲノムと比較し、北方経路でのサフルへのAMHの到来と一致する人口モデルへの裏づけを見つけました。別の系統地理学的な先行研究も、オーストラリア先住民とパプア人の利用可能なミトコンドリアゲノムを、ワラセア全域に広がる11の現代の人口集団で標本抽出された300超のミトコンドリアゲノムと組み合わせることにより、この問題を調べました。驚くべきことに、ほぼ全てのワラセアの人々のmtDNA系統はパプア人クレード内で入れ子状態になっており、わずかな深い起源のワラセア系統がオーストラロ・パプア人クレードの外群を形成しました。

 同様の結果は、ワラセアの人々とオーストラロ・パプア人のY染色体の大規模な標本でも観察され、まとめると、これらの結果から、ワラセアの現代人はパプア本土にその祖先系統の大半が由来する、と強く示唆されます。ワラセアのmtDNAクレードのさらなる調査は、2つのTRMCA(最終共通祖先までの時間)クラスタ(まとまり)が3000年前頃と15000年前頃だと示し、これはワラセアへのパプア人移民の2回の別々の流入のあり得る年代を示唆しているかもしれません。パプア人のmtDNA系統も、この頃にメラネシアの近隣の島々に拡大したようで、フィリピン人に関する最近のゲノム規模研究は、フィリピン諸島南部の人口集団におけるパプア人関連祖先系統の証拠を報告しました(関連記事)。

 これら最近の系統地理学的研究の調査結果では、パプア人系統の移動はワラセアにおけるAMH人口集団の遺伝的特性を再形成したかもしれず、その影響が近隣地域にまで及んだかもしれない、と強く示唆されます(図2)。重要なことに、以前のゲノム研究で用いられた人口モデルがワラセアへのパプア人の逆移住を受け入れ、AMH創始者祖先系統の一部が現代の人口集団で保存されてきたかもしれない、と示唆しているものの、パプア人の逆流の可能性は一般的に、これまで先行研究では過小評価されてきており、最初のAMH移住の理解に重要な意味を有しています(後述)。以下は本論文の図2です。
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●完新世アジア南東部島嶼部における大規模な移住と混合

 歴史的なワラセアの人口統計を調べた集団ゲノムのわずかな先行研究は、後期完新世におけるオーストロネシア語族話者航海民到来の頃にこの地域へともたらされた複数の遺伝的祖先系統がある、ひじょうに動的な歴史を明らかにしてきました。アジア南東部島嶼部(ISEA)の歴史再構築を試みた最初のゲノム研究の一つ(関連記事)は、アレル(対立遺伝子)頻度の多様性を用いて(たとえば、f統計や混合図)、ウォレス線の両側のインドネシアの人口集団は異なる遺伝的祖先系統の供給源を含んでいる、と示しました。具体的には、全ての調査されたインドネシアの人口集団が台湾の現代のアミ人(Ami)と関連する祖先系統構成要素を含んでいた一方で、アジア南東部本土(MSEA)の現代のオーストロアジア語族話者と最も密接に関連する追加の構成要素は、インドネシア西部の人々では一般的であるものの、ウォレス線の最東端にはありませんでした。

 インドネシア全域のオーストロアジア語族および関連する物質文化の証拠の欠如から研究者は、アジア関連祖先系統は両方とも、そのワラセアへの到来に先行する混合事象を通じて両方【オーストロネシア語族話者およびオーストロアジア語族話者関連祖先系統】を有していたオーストロネシア語族話者航海民の完新世拡大期にもたらされたかもしれない、と推測しました。さらに、ウォレス線の西側のインドネシア人口集団は、フィリピンの現在の「ネグリート」人口集団で共有される第三の祖先系統構成要素も有しているものの、この祖先系統は全ての調査されたワラセア人口集団(全て小スンダ列島)では欠けており、パプア関連祖先系統により事実上置換された、と分かりました。

 ひじょうに一貫した遺伝的パターンは、ワラセア北部の集団を含むISEA人口集団の拡張一式を用いたより最近の研究でも報告されました。ハプロタイプ共有パターンの分析から、インドネシア西部(つまり、ウォレス線の西側の島々)人口集団は、ネグリート集団を含めてフィリピンの人口集団とクラスタ化した(まとまった)のに対して、ワラセアとパプアの人口集団は別のクラスタ(まとまり)を形成した、と明らかになりました。ワラセアの各人口集団は、現代パプア人およびフィリピンの非ネグリート人口集団とハプロタイプをかなりの割合で共有している、と分かりました。その先行研究では、非ネグリートのフィリピンの人口集団はオーストロネシア語族移民の適切な代理として以前に報告されてきたので、これは後の到来に由来する移民およびワラセアの人々との混合に先行する、局所的なフィリピンの人口集団へのオーストロネシア語族の拡散を反映しているかもしれない、と指摘されています。最後に、MSEA関連祖先系統の証拠がワラセアの人口集団全体で一貫していないものの、混合時間推定値はMSEAおよびオーストロネシア語族関連祖先系統供給源の2500~1000年前頃の並行した到来を裏づけます。これは、この地域におけるオーストロネシア人到来の最初の考古学的証拠の約1000年後の、2つの遺伝的に異なる集団もしくは単一起源の混合した移民集団のワラセアへの同時代の移動を示唆します。

 これらの研究では、ワラセア現代人の遺伝的特性は後期完新世における移動および混合事象によりおもに決定されており、おそらくは複数の祖先系統供給源を有している混合したオーストロネシア語族話者の到来を通じてだった、と示唆されています。重要なことに、これらの解釈は、ワラセアの人々で観察されるパプア人関連祖先系統は各島に特有のAMH創始者祖先系統を反映している可能性が最も高い、と暗に仮定しています。しかし、ウォレス線の東西それぞれに位置する人口集団について報告されたネグリートおよびパプア関連のゲノム祖先系統の厳密な区分は代わりに、パプア関連祖先系統とあり得る追加の「アジア」関連祖先系統を有する侵入してきた移民による、ワラセア全域の古代のAMH遺伝的特性の事実上の置換を示しているかもしれません。じっさい、根底にある混合事象が、ワラセアの各島に局所的ではなく、ワラセアの外で起きた可能性さえあり得ます。これらの混合事象がワラセアの人々の遺伝的特性をその元々の島の状況から分離した程度は、未解決の実証的問題のままで、その解決はこの地域の深い人口史の将来の遺伝学的再構築にとって重要でしょう。


●ワラセアの古ゲノム研究

 遺伝学的研究で明らかなワラセアの複雑な人口史からは、古代DNA研究が重要な歴史的詳細の復元を提供できるかもしれない、と示唆されます。特定の歴史的・地理的・考古学的状況内で遺伝子配列を位置づけることにより、古代DNAは現代人の遺伝的データではもはや明らかではない人口史の側面を解明できます。古代DNAの分野は、研究者が1984年にサバンナシマウマ(Equus quagga)の絶滅亜種の博物館標本の乾燥した筋肉からDNA断片を始めて回収して以来、急速に発展してきました。過去10年間の、古代DNAの実験室手法と配列決定技術の継続的進歩は、人口集団規模でのゲノムデータの生成を容易にし、現代の古ゲノム研究が始まりました。何千もの古ゲノムが温帯気候で見つかった遺骸から生成されてきましたが、湿潤な熱帯地域からの古ゲノムは稀なままで、それは遺伝物質の比較的乏しい保存に起因します。それにも関わらず、MSEA(関連記事)とオセアニア(関連記事)とISEAの個体群の最初の古ゲノム研究は、過去5年間に出現し始め、その中には2021年に刊行されたワラセアからの最初の古ゲノムが含まれます(関連記事)。

 その最初となるワラセアの古ゲノムは、スラウェシ島南部のマロス(Maros)のマラワ(Mallawa)地区のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞で発掘された8000年前頃の女性1個体から得られ、この地域へのオーストロネシア語族話者航海民到来のずっと前です。祖先系統分解とf統計分析から、リアン・パニンゲ標本は2つの異なる遺伝的祖先系統を有しており、一方の構成要素はオーストラリアとパプア両方の現代先住民と遺伝的に等距離で、もう一方の構成要素はアジア東部古代人およびアンダマン諸島の現代のオンゲ人集団と遺伝的により近い、と示されました。混合図モデルでは、オーストラロ・パプア人的構成要素はISEAへの最初のAMH移民の遺伝的特性を反映しているかもしれず、その後でリアン・パニンゲ標本の特徴的な二重祖先系統をもたらすにいたった未知のアジア人系統との混合があった、と示唆されています。興味深いことに、この新石器時代の遺伝的特性がスラウェシ島もしくはインドネシアの他地域の現在の人口集団で存続している証拠はなく、この興味深い期間のある時点において、スラウェシ島(とワラセアの他地域でもあり得ます)で広範な置換が起きた可能性を示します。

 数百から2300年前頃となるスラウェシ島とモルッカ諸島と小スンダ列島の複数の遺跡の16点の古ゲノムに関するより最近の研究でも、これら16個体とリアン・パニンゲ標本との間の遺伝的連続性の証拠が見つからず(関連記事)、この遺伝的不連続性は最初のオーストロネシア人との接触から1000年以内にあった、と示唆されます。これら全ての古代の個体もかなりのオーストロネシア人およびパプア人関連祖先系統を有しており、モルッカ諸島古代人を除いてそのほとんどは、明確なMSEA関連構成要素も有していました。とくに、このMSEA構成要素は現在のモルッカ諸島人のゲノムに存在しており、ワラセア全域におけるこの祖先系統のずれた到来を示唆します。対照的に、混合史分析では、MSEAおよびパプア人関連祖先系統構成要素は、オーストロネシア人祖先系統の到来前に、小スンダ列島の人口集団でまず混合した、と示唆されました。

 これらの古ゲノム研究は、外部の遺伝的祖先系統の到来を通じての、ワラセア全域での創始者AMH移民と関連する遺伝的特性の侵食について、最初の直接的な裏づけを提供します。その根底にある混合事象の時期と順番はワラセア全域でさまざまなようですが、古代人および現代人のゲノムからの混合時間の推定値は一貫して、最初の混合事象が2500~1000年前頃に起きたと示しており、モルッカ諸島の古代人ゲノムはMSEA祖先系統がやっと1000年前頃以後にもたらされた、と示唆します(関連記事)。これは、最初の混合事象がオーストロネシア人航海民の到来に約1000年遅れていたことを示唆しますが(考古学的証拠に基づくと)、混合がワラセア全域で長期にわたって複数回起きたかもしれないので、その推定値がこれら最初の混合事象についてもはや情報をもたらさないこともあり得ます。それにも関わらず、これらの結果は、オーストロネシア人の到来がワラセアの人々の祖先系統を変容させた重要な期間である可能性を示しており、古代DNAがオーストロネシア人の到来に先行する標本から回収できるならば、この地域の最初のAMH移住に関する重要な詳細を得られるかもしれない、という希望を提供します。


●古代型人類からの遺伝子移入

 2つの異なる遠いAMHの親類、つまりネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とデニソワ人からの人類ゲノムの画期的な配列決定は、これら今では絶滅した人類種が、アフリカから地球の残り全体へと拡散したAMHと交雑した、という重大な発見につながりました(関連記事)。現代人のゲノム内の人類DNA配列検索研究により、全ての現在の非アフリカ系人口集団は少なくとも2%のネアンデルタール人の遺伝的祖先系統を有しており、デニソワ人のDNAはアジア南部および東部の現代人ではわずかな水準で見られるものの、ウォレス線の東側に住む現在の人口集団ではかなりより一般的に(2~6%)に存在する、と明らかにされてきました(関連記事)。

 ISEAとサフルの人口集団における人類混合の地理的パターンの継続的調査は、この地域におけるとくに複雑な一連の歴史的相互作用を証明しており、さまざまな島において起きた複数回の異なる混合事象が示唆されます(関連記事)。現在のパプア人口集団は配列決定されたデニソワ人個体と遠く関連する2つの遺伝的に異なる人類集団からのDNA領域を有していますが(関連記事)、フィリピンの現在の人口集団は、パプア人関連祖先系統の割合と比較して予測されるよりも多いデニソワ人関連祖先系統を有しており、オーストラロ・パプア人との分離後に起きた独立した局所的な混合事象を示唆します(関連記事)。

 ISEAとサフル全域で見つかった高水準のデニソワ人関連祖先系統は、全ての現時点で特定されたデニソワ人化石がアジア本土でしか見つかっていないことを考えると、とくに驚くべきです。しかし、ISEAの多様な地域的化石および石器記録から、少なくとも3つの異なる人類集団、つまりホモ・エレクトスとホモ・フロレシエンシスとホモ・ルゾネンシスが、7万~5万年前頃までのこの地域におけるAMHの到来に先行している、と示唆されるものの、これらの標本からDNAは抽出されておらず、他の人類との遺伝的関係は現時点で不明です。これは、ISEAの人類標本の一部が、侵入してきたAMH移民と混合したデニソワ人の南方拡散をじっさいに表しているかもしれない、という興味深い可能性を提起します(関連記事)。

 この問題に対処するため、最近の研究は、ISEAとニューギニアの現代の人口集団が、地元の人類化石記録と一致する混合兆候を有しているのかどうか、調べました。ネアンデルタール人およびデニソワ人関連祖先系統と一致する兆候は広範でしたが、遺伝的に異なる人類系統を含む別の混合事象と一致できる兆候は回収されず、ISEAの化石記録はじっさい、現時点では特定されていないデニソワ人の親類を含んでいるかもしれない、と示唆されました。あるいは、研究者は、ISEAおよびそのさらに東方の地域の現在の人口集団におけるデニソワ人祖先系統は、代わりに化石記録もしくは配列決定されたゲノムを欠いている人類集団に由来するかもしれない、と示唆しており、スラウェシ島がさらなる調査の妥当な場所として提案されています。


●結論と将来の方向性

 ワラセアとサフルは、一部は化石および考古学的記録の回収と保存が困難な条件に起因して、歴史が部分的にしか調べられていないままである、人類進化の重要な地域です。過去20年間で、ワラセアとサフルの人口集団の遺伝学的および系統地理学的研究は、少ないものの増加しており、この地域の深いヒトの歴史を調べ始め、元々のヒトの移住および今では絶滅した人類との混合事象の時期と場所を調べ始めました。とくに、これらの研究は、これら基本的な問題を適切に解決するのに必要な、ほぼ消え去ってしまった深い遺伝的兆候を有しているように見える、複数回の移住により特徴づけられる複雑な人口統計学的歴史を明らかにしてきました。

 今後、ワラセアおよびそれを越えてパプア人関連祖先系統をもたらした移住の時期と起源を決定し、現代のワラセア人口集団が元々のAMH移民からの遺伝的情報をどの程度保持しているのか確認するには、さらなるゲノム研究がひじょうに必要です。とくに、この遺伝的情報が保持されていたとしても、ワラセアに影響を及ぼした歴史的な移住の複雑さと範囲は、現代人のゲノムだけからの移住経路解決を不可能にするほど、これらの遺伝的兆候を最初の地理的状況から充分に分離したかもしれません。

 したがって最終的には、将来の方向は、これら混合事象に先行する期間のワラセアおよびISEA全域のAMH標本からの古ゲノムの生成を必要とするかもしれません。同様に、ワラセアの東側の現代の人口集団における人類祖先系統の識別の判断は、地域的な人類化石からの古代DNAもしくはプロテオーム(タンパク質の総体)データが必要になるかもしれません。心強いことに、熱帯地域からの古代DNA回収は最近急速に改善しており、これらの重要な問題の対処に必要な古ゲノムデータの少なくとも一部が、遠くない将来にもう現れるかもしれない、と示唆されます。


参考文献:
Taufi L. et al.(2022): Human Genetic Research in Wallacea and Sahul: Recent Findings and Future Prospects. Genes, 13, 12, 2373.
https://doi.org/10.3390/genes13122373

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