前川一郎、倉橋耕平、呉座勇一、辻田真佐憲『教養としての歴史問題』
東洋経済新報社より2020年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、歴史修正主義が現代日本社会で少なくとも一定以上浸透しており、歴史修正主義の「主戦場」は商業化された大衆文化・メディアの世界なのに、歴史学からの反応はともすれば専門誌・専門書という「内弁慶的な」ものに留まっていた、との認識に基づき、歴史学者としてどう向き合うべきなのか、という主題で編集されています。学知と社会との間の深い溝を埋めていこう、というわけです。
こうした問題意識に基づく本書は、第1章で歴史認識問題に揺れる学知と社会の関係を社会学の立場から検討し、第2章と第3章では日本の歴史認識問題を世界の中に位置づけ、第4章では歴史認識問題に関する網野善彦氏の提言を検証し、第5章では歴史学とジャーナリズムの協働を提言します。第6章は各章の執筆者による座談会で、本書の元になった一般公開シンポジウムの来場者からの質問を踏まえて、歴史学と歴史教育の問題が中心の内容になっています。歴史認識問題に関心はあっても熱心に追いかけていたわけではない私にとって、本書は色々と考えさせられたという点で有益でした。以下、とくに注目した指摘について備忘録的に述べていきます。
第2章では、アフリカには元々奴隷制があったとしても、アメリカ大陸での労働力の枯渇を補うためにヨーロッパ勢力により導入された奴隷貿易とは、規模はもちろんその歴史的性格からして異なる、と指摘されています。また、イギリス帝国の解体は「ソフトランディング」だったとの言説が批判され、ケニアなどでは暴力が行使された、と指摘されています。こうした植民地主義への批判は、冷戦構造下で温存された植民地主義的な支配により抑圧されており、そうした状況への批判は散発的にあったものの、世界的に大きな流れたとなったのは1990年代以降だ、との見通しが提示されています。
第4章では、新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)への網野善彦氏の評価から、戦後歴史学の問題点が指摘されています。網野氏がつくる会を戦後歴史学の「鬼子」と評したことは、私も網野氏の著書か論考で読んだことがありますが、第4章では、戦後歴史学が天皇制研究を避ける傾向にあり、その隙をつくる会に突かれたと網野氏は認識していた、と指摘されています。第4章で網野氏の戦後歴史学への批判の原点として重視されているのが、国民的歴史学運動です。国民のための歴史という国民的歴史学運動の重要な目的を、その挫折とともに歴史学が等閑視した中で、つくる会がその逆側から同じことを主張したのであり、そこに歴史学が反省すべき点がある、というわけです。
こうした問題意識に基づく本書は、第1章で歴史認識問題に揺れる学知と社会の関係を社会学の立場から検討し、第2章と第3章では日本の歴史認識問題を世界の中に位置づけ、第4章では歴史認識問題に関する網野善彦氏の提言を検証し、第5章では歴史学とジャーナリズムの協働を提言します。第6章は各章の執筆者による座談会で、本書の元になった一般公開シンポジウムの来場者からの質問を踏まえて、歴史学と歴史教育の問題が中心の内容になっています。歴史認識問題に関心はあっても熱心に追いかけていたわけではない私にとって、本書は色々と考えさせられたという点で有益でした。以下、とくに注目した指摘について備忘録的に述べていきます。
第2章では、アフリカには元々奴隷制があったとしても、アメリカ大陸での労働力の枯渇を補うためにヨーロッパ勢力により導入された奴隷貿易とは、規模はもちろんその歴史的性格からして異なる、と指摘されています。また、イギリス帝国の解体は「ソフトランディング」だったとの言説が批判され、ケニアなどでは暴力が行使された、と指摘されています。こうした植民地主義への批判は、冷戦構造下で温存された植民地主義的な支配により抑圧されており、そうした状況への批判は散発的にあったものの、世界的に大きな流れたとなったのは1990年代以降だ、との見通しが提示されています。
第4章では、新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)への網野善彦氏の評価から、戦後歴史学の問題点が指摘されています。網野氏がつくる会を戦後歴史学の「鬼子」と評したことは、私も網野氏の著書か論考で読んだことがありますが、第4章では、戦後歴史学が天皇制研究を避ける傾向にあり、その隙をつくる会に突かれたと網野氏は認識していた、と指摘されています。第4章で網野氏の戦後歴史学への批判の原点として重視されているのが、国民的歴史学運動です。国民のための歴史という国民的歴史学運動の重要な目的を、その挫折とともに歴史学が等閑視した中で、つくる会がその逆側から同じことを主張したのであり、そこに歴史学が反省すべき点がある、というわけです。
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