トルコの北エーゲ海地域の下部旧石器と中部旧石器
トルコの北エーゲ海地域の下部旧石器と中部旧石器に関する研究(Bulut et al., 2022)が公表されました。チャナッカレ・バルケスィル(Çanakkale-Balıkesir)海岸線旧石器時代調査計画は、エーゲ海のチャナッカレとバルケスィルの海岸線を対象としており、その目的は、旧石器時代遺物群およびその周辺の島々、おもにレスボス島とのつながりの解明です。2021年にチャナッカレ海岸線で4ヶ所の重要な発見地点が検出され、500点以上の石器が出土し、10cm 以上の長さとなる両面もしくは片面を調整した大型の石器(large cutting tools、略してLCT)や礫器や調整石核技術の特徴を示します。これらの石器は、下部旧石器時代におけるチャナッカレ海岸線沿いの人類の存在を証明します。
●研究史
トルコとエーゲ海地域は、更新世における主要な人類拡散経路として強調されることが多くありました。早くも160万~120万年前頃となるこの地域内のホモ・エレクトス(Homo erectus)の存在は、トルコ南西部のデニズリ(Denizli)県で発見された頭蓋とそれを裏づける石器(関連記事)により証明されています。86246点の石器を伴う、トルコで最大の旧石器時代遺物群が発見されたシュルメシク(Sürmecik)の開地遺跡の発見は、この一連の証拠を継続しています。しかし、これらの発見のほとんどは孤立しており、中央エーゲ海トルコの内陸部に由来します。海岸線での発見は限定的で、トルコのエーゲ海北部地域はとくに、充分には研究されてきませんでした。
この計画の目的は、チャナッカレおよびバルケスィル県の旧石器時代の居住を判断し、この期間につながっていただろう、レスボス島との関係を確証することです。エーゲ海の島々はアナトリア半島とギリシア本土との間の重要な陸橋を構成していた、と一般的に受け入れられています。過去50万年間のエーゲ海の海水準の古地理学的再構築から、東エーゲ海の多くの島々はアナトリア半島とつながっていただろう、と論証されています。この文脈で、人類拡散の経路として「北エーゲ海陸橋」が提案されてきました(関連記事)。したがって、これらの経路に沿った人類拡散を研究する独特な機会がある、と考えられます。先行研究と組み合わせてのレスボス島のデータの再評価は、北エーゲ海旧石器時代の理解に存在する間隙を埋めるでしょう。
●手法
この計画は、約760km²にわたるチャナッカレの海岸線の調査を目的としています。2021年に、研究は海岸線の1区画に焦点を当てました。対象となる地域は、遺跡のパターン化と地理的特徴の考慮を通じて決定されました。チャナッカレ南岸の山岳構造は、細い海岸線と、その内陸地域における恒久的で季節的な流れのある渓谷を形成しました。その以前の火山性は、燵岩や蛇紋岩や安山岩や玄武岩など、さまざまな石器供給源の出現にもつながります。調査地域の東側のカルスト構造のため、洞窟形成も観察されてきました。
調査区域内の旧石器時代考古学の可能性を判断するため、大規模な野外歩行調査が実施されました。この調査は、研究団の構成員7人で構成され、約1~2mの間隔で並行に歩きました。訪れた各地域および共通の地理的特性を示すことは、座標や地形や植生や土壌の種類や地質学的特徴や表面の可視性に関する情報とともに、さまざまな「調査単位」として記録されました。人工遺物密度は各調査単位で判断され、低密度区域は「散在発見地点」と命名されます。調査区域と経路は手で持った「Garmin GPSMAP 60 CSX」装置を用いて記録され、「Google Earth」を用いて記入されました。人工遺物は、先行研究を参照して類型論・技術論的に評価されました。
●チャナッカレの海岸線での新たな旧石器時代発見物
体系的調査により、3ヶ所の開地遺跡と1ヶ所の散在区域が確認されました(図1)。500点以上の下部旧石器時代および中部旧石器時代の人工遺物が、燧石などの石材から製作され、玉髄と石英がこれらの遺跡から得られました。以下は本論文の図1です。
ほぼ半数(48%)は石の多い海岸であるイェシル・リマン(Yeşil Liman)で発見され、旧石器時代の資料は海砂利で検出され、1 km²の区域に集中しています(図2)。回収された人工遺物は一般的に、風と潮の過程により丸くなり、そのほとんどは白い古錆を示しました。以下は本論文の図2です。
最も注目すべき道具はLCTで、三面角の打棒(図3)や礫石核器や剥片石核(ルヴァロワを含みます)やさまざまな再加工石器が伴っていました。以下は本論文の図3です。
イェシル・リマンの北方1kmに位置するキルセデレ渓谷(Kirsedere Valley)では、別の密集発見地点が見つかりました。その区域は3 km²にわたり、両面石器(図4)を含むチャナッカレ海岸線の発見物の30%が得られました。この石器は、灰白色の燧石を用いて作られました。以下は本論文の図4です。
トゥズラ(Tuzla)発見地点で回収された別の石器も灰白色の燧石で製作されていたものの、丸みが少なく、西洋梨型として分類できます(図5)。両石器は中期アシューリアン(Acheulian)にまでさかのぼります。高品質の茶色の燧石から作られた類似の西洋梨型両面石器は、東方へのより標高が高い区域で発見され、そこでは現在農耕活動が行なわれています。以下は本論文の図5です。
追加の高密度の発見地点が、調査区域の西側のトゥズラで特定されました(図6)。この調査区域は0.02 km²にまたがり、記録された総発見物の20%が得られました。この遺跡は温泉のある区域で、その表面は薄い塩の層で覆われています。単一の両面石器が記録されました(図4)。これは黄色がかった火山岩で作られており、表面の大半で皮層が保持されていますが、もう一方はより集中的に剥離されています。その粗く加工していない形から、下部アシューリアン(アシュール文化)と示唆されます。いくつかの礫石核器とルヴァロワ(Levallois)石核も、ほぼ大きな燧石原形から作られた、鋸歯状で再加工された石器とともに回収されました。以下は本論文の図6です。
ゲメデラ小川(Gemedere Stream)の散在する発見地点では、1点のルヴァロワ石核と2点の礫器と単一の検証された石核しか発見されず、調査された発見物の2%を占めます。全ての石器は、現代のダム建設で使われた土の除去により形成された、急峻な区画場所で露出していました。剥離片はこの区画の上部では発見されませんでしたが、さまざまな大きさの石材が観察されました。
●考察
本論文の結果は、早くも下部旧石器時代におけるチャナッカレの海岸線沿いの人類の居住を論証します。テキルダー(Tekirdağ)県のいくつかの異常な事例を除いて、回収された両面石器はアナトリア半島北西部の最も典型的でよく知られた事例と比較されます。これら両面石器には、他のLCTや礫石核器やルヴァロワ技術の証拠が伴います。下部旧石器時代の人工遺物が優占しますが、中部旧石器時代の発見は少数しか回収されていません。
チャナッカレの海岸線からの石器群は、エーゲ海旧石器時代の他の石器を反映していますが、技術・類型論的にはより古くなります。最も明白な類似点は、とくにその地理的近接性を考慮すると、レスボス島のロダフニディア(Rodafnidia)遺跡の石器群で見られます。その石器群は、両面石器や調整石核技術を含むLCTにより特徴づけられます。この石器群の年代は、後期アシューリアンとなる476000~164000年前頃です。チャナッカレの海岸線に沿った調査は、アナトリア半島とギリシアとの間のあり得る拡散経路としてレスボス島の重要性を強調するさらなるデータを提供します。旧石器時代の人工遺物の豊富な集中を考えると、調査区域は疑いなく今後数年間でより多くのデータを提供するでしょう。
参考文献:
Bulut H. et al.(2022): Lower and Middle Palaeolithic evidence from the North Aegean coastline of Çanakkale, Turkey. Antiquity, 96, 388, 981–988.
https://doi.org/10.15184/aqy.2022.59
●研究史
トルコとエーゲ海地域は、更新世における主要な人類拡散経路として強調されることが多くありました。早くも160万~120万年前頃となるこの地域内のホモ・エレクトス(Homo erectus)の存在は、トルコ南西部のデニズリ(Denizli)県で発見された頭蓋とそれを裏づける石器(関連記事)により証明されています。86246点の石器を伴う、トルコで最大の旧石器時代遺物群が発見されたシュルメシク(Sürmecik)の開地遺跡の発見は、この一連の証拠を継続しています。しかし、これらの発見のほとんどは孤立しており、中央エーゲ海トルコの内陸部に由来します。海岸線での発見は限定的で、トルコのエーゲ海北部地域はとくに、充分には研究されてきませんでした。
この計画の目的は、チャナッカレおよびバルケスィル県の旧石器時代の居住を判断し、この期間につながっていただろう、レスボス島との関係を確証することです。エーゲ海の島々はアナトリア半島とギリシア本土との間の重要な陸橋を構成していた、と一般的に受け入れられています。過去50万年間のエーゲ海の海水準の古地理学的再構築から、東エーゲ海の多くの島々はアナトリア半島とつながっていただろう、と論証されています。この文脈で、人類拡散の経路として「北エーゲ海陸橋」が提案されてきました(関連記事)。したがって、これらの経路に沿った人類拡散を研究する独特な機会がある、と考えられます。先行研究と組み合わせてのレスボス島のデータの再評価は、北エーゲ海旧石器時代の理解に存在する間隙を埋めるでしょう。
●手法
この計画は、約760km²にわたるチャナッカレの海岸線の調査を目的としています。2021年に、研究は海岸線の1区画に焦点を当てました。対象となる地域は、遺跡のパターン化と地理的特徴の考慮を通じて決定されました。チャナッカレ南岸の山岳構造は、細い海岸線と、その内陸地域における恒久的で季節的な流れのある渓谷を形成しました。その以前の火山性は、燵岩や蛇紋岩や安山岩や玄武岩など、さまざまな石器供給源の出現にもつながります。調査地域の東側のカルスト構造のため、洞窟形成も観察されてきました。
調査区域内の旧石器時代考古学の可能性を判断するため、大規模な野外歩行調査が実施されました。この調査は、研究団の構成員7人で構成され、約1~2mの間隔で並行に歩きました。訪れた各地域および共通の地理的特性を示すことは、座標や地形や植生や土壌の種類や地質学的特徴や表面の可視性に関する情報とともに、さまざまな「調査単位」として記録されました。人工遺物密度は各調査単位で判断され、低密度区域は「散在発見地点」と命名されます。調査区域と経路は手で持った「Garmin GPSMAP 60 CSX」装置を用いて記録され、「Google Earth」を用いて記入されました。人工遺物は、先行研究を参照して類型論・技術論的に評価されました。
●チャナッカレの海岸線での新たな旧石器時代発見物
体系的調査により、3ヶ所の開地遺跡と1ヶ所の散在区域が確認されました(図1)。500点以上の下部旧石器時代および中部旧石器時代の人工遺物が、燧石などの石材から製作され、玉髄と石英がこれらの遺跡から得られました。以下は本論文の図1です。
ほぼ半数(48%)は石の多い海岸であるイェシル・リマン(Yeşil Liman)で発見され、旧石器時代の資料は海砂利で検出され、1 km²の区域に集中しています(図2)。回収された人工遺物は一般的に、風と潮の過程により丸くなり、そのほとんどは白い古錆を示しました。以下は本論文の図2です。
最も注目すべき道具はLCTで、三面角の打棒(図3)や礫石核器や剥片石核(ルヴァロワを含みます)やさまざまな再加工石器が伴っていました。以下は本論文の図3です。
イェシル・リマンの北方1kmに位置するキルセデレ渓谷(Kirsedere Valley)では、別の密集発見地点が見つかりました。その区域は3 km²にわたり、両面石器(図4)を含むチャナッカレ海岸線の発見物の30%が得られました。この石器は、灰白色の燧石を用いて作られました。以下は本論文の図4です。
トゥズラ(Tuzla)発見地点で回収された別の石器も灰白色の燧石で製作されていたものの、丸みが少なく、西洋梨型として分類できます(図5)。両石器は中期アシューリアン(Acheulian)にまでさかのぼります。高品質の茶色の燧石から作られた類似の西洋梨型両面石器は、東方へのより標高が高い区域で発見され、そこでは現在農耕活動が行なわれています。以下は本論文の図5です。
追加の高密度の発見地点が、調査区域の西側のトゥズラで特定されました(図6)。この調査区域は0.02 km²にまたがり、記録された総発見物の20%が得られました。この遺跡は温泉のある区域で、その表面は薄い塩の層で覆われています。単一の両面石器が記録されました(図4)。これは黄色がかった火山岩で作られており、表面の大半で皮層が保持されていますが、もう一方はより集中的に剥離されています。その粗く加工していない形から、下部アシューリアン(アシュール文化)と示唆されます。いくつかの礫石核器とルヴァロワ(Levallois)石核も、ほぼ大きな燧石原形から作られた、鋸歯状で再加工された石器とともに回収されました。以下は本論文の図6です。
ゲメデラ小川(Gemedere Stream)の散在する発見地点では、1点のルヴァロワ石核と2点の礫器と単一の検証された石核しか発見されず、調査された発見物の2%を占めます。全ての石器は、現代のダム建設で使われた土の除去により形成された、急峻な区画場所で露出していました。剥離片はこの区画の上部では発見されませんでしたが、さまざまな大きさの石材が観察されました。
●考察
本論文の結果は、早くも下部旧石器時代におけるチャナッカレの海岸線沿いの人類の居住を論証します。テキルダー(Tekirdağ)県のいくつかの異常な事例を除いて、回収された両面石器はアナトリア半島北西部の最も典型的でよく知られた事例と比較されます。これら両面石器には、他のLCTや礫石核器やルヴァロワ技術の証拠が伴います。下部旧石器時代の人工遺物が優占しますが、中部旧石器時代の発見は少数しか回収されていません。
チャナッカレの海岸線からの石器群は、エーゲ海旧石器時代の他の石器を反映していますが、技術・類型論的にはより古くなります。最も明白な類似点は、とくにその地理的近接性を考慮すると、レスボス島のロダフニディア(Rodafnidia)遺跡の石器群で見られます。その石器群は、両面石器や調整石核技術を含むLCTにより特徴づけられます。この石器群の年代は、後期アシューリアンとなる476000~164000年前頃です。チャナッカレの海岸線に沿った調査は、アナトリア半島とギリシアとの間のあり得る拡散経路としてレスボス島の重要性を強調するさらなるデータを提供します。旧石器時代の人工遺物の豊富な集中を考えると、調査区域は疑いなく今後数年間でより多くのデータを提供するでしょう。
参考文献:
Bulut H. et al.(2022): Lower and Middle Palaeolithic evidence from the North Aegean coastline of Çanakkale, Turkey. Antiquity, 96, 388, 981–988.
https://doi.org/10.15184/aqy.2022.59
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