大河ドラマ『鎌倉殿の13人』全体的な感想
本作はTwitterなどインターネットでさまざまな考察が提示され、それだけ視聴者が深読みできるだけの内容だった、と言えるように思います。私が本作について気づかなかったことで、小ネタだけではなく、人間関係の機微も多くあり、教えられるところが多々ありました。Twitterに問題が多いことは否定できませんが、情報収集の点では私にとって総合的には明らかに黒字で、こうしてさまざまな人の考察を知ることができるのも、SNS時代の長期連続作品である大河ドラマの特徴として歓迎すべきでしょうか。正直なところ、インターネット上の考察を読んでいると、わざわざ稚拙な自分の考察を述べる気力はないので、素朴な感想の羅列になってしまいますが、以下、思いついた感想を列挙していきます。
本作の魅力は、優れた人物造形とそれに基づく人間関係の機微で、些細な行き違いでも悲劇的な結末に至ることがある、という構造になっているため、考察が過熱していったように思います。本作の人物造形は、実際がどうだったのかはさておき、登場場面が少ない人物でもしっかりしており、この点は本当に見事でした。主人公の北条義時については、源頼朝に仕えて政治を学んでいき、主観的には御家人のための組織と秩序を守る、という正義と論理で客観的には悪の道に入っていった、という印象があります。御家人のための組織と秩序を揺るがすようであれば、和田義盛など付き合いの古い人物だけではなく、父の北条時政や主人筋で親族の者(甥の源頼家や源実朝など)さえ存在を許さない、という点で迷いや揺れはありつつも一貫していた中盤以降の義時が主役だけに、視聴者が主人公に反発や嫌悪感を抱いても不思議ではないところですが、父の義時に反発する北条泰時の存在は視聴者の感情を代弁している感もあり、義時への反発が本作自体への大きな不満にはならなかったように思えるのは、よくできた構成と言うべきでしょうか。
本作の魅力的な登場人物については、挙げていくと多数になるので、わずかしか取り上げないことにしますが、本作では初回から最終回まで主人公とともにずっと登場し続けた、政子と実衣と三浦義村は、立場が変わっていくことに伴う成長や変容が描かれ、登場回数が少なかった人物とは異なる長期的な観察を楽しめたように思います。三浦義村は、真意の読みづらい人物として描かれており、正直なところ、どう考えているのか読みづらい場面が少なからずありました。三浦義村と主人公である北条義時との関係は、本作を初回から最終回まで貫く一方の基軸とも言え、単なる盟友関係ではなく、とくに三浦義村の方は北条義時に対して含むところがある、というような描写がたびたびあり、見ごたえがありました。
本作は、これまでに視聴した大河ドラマの中でも個人的評価は上位となりますが、不満があるというか、違う描き方も見たかったのは、幕府と朝廷の関係、およびそれとも関連して源実朝と朝廷との関係です。源実朝が義時とは異なる幕府構想を打ち出し、朝廷に接近しすぎて義時に見限られた、という構造になっていましたが、幕府と朝廷との関係、さらには源実朝と義時との関係をもっと協調的に描いたとしたらどのような話になったのだろうか、との思いはあります。ただ、武士と朝廷との対立という構造が分かりやすい話であることは間違いなく、今後源平ものが再度大河ドラマで描かれるとしたら、やはり同様の構造になるのかもしれません。
本作の魅力は、優れた人物造形とそれに基づく人間関係の機微で、些細な行き違いでも悲劇的な結末に至ることがある、という構造になっているため、考察が過熱していったように思います。本作の人物造形は、実際がどうだったのかはさておき、登場場面が少ない人物でもしっかりしており、この点は本当に見事でした。主人公の北条義時については、源頼朝に仕えて政治を学んでいき、主観的には御家人のための組織と秩序を守る、という正義と論理で客観的には悪の道に入っていった、という印象があります。御家人のための組織と秩序を揺るがすようであれば、和田義盛など付き合いの古い人物だけではなく、父の北条時政や主人筋で親族の者(甥の源頼家や源実朝など)さえ存在を許さない、という点で迷いや揺れはありつつも一貫していた中盤以降の義時が主役だけに、視聴者が主人公に反発や嫌悪感を抱いても不思議ではないところですが、父の義時に反発する北条泰時の存在は視聴者の感情を代弁している感もあり、義時への反発が本作自体への大きな不満にはならなかったように思えるのは、よくできた構成と言うべきでしょうか。
本作の魅力的な登場人物については、挙げていくと多数になるので、わずかしか取り上げないことにしますが、本作では初回から最終回まで主人公とともにずっと登場し続けた、政子と実衣と三浦義村は、立場が変わっていくことに伴う成長や変容が描かれ、登場回数が少なかった人物とは異なる長期的な観察を楽しめたように思います。三浦義村は、真意の読みづらい人物として描かれており、正直なところ、どう考えているのか読みづらい場面が少なからずありました。三浦義村と主人公である北条義時との関係は、本作を初回から最終回まで貫く一方の基軸とも言え、単なる盟友関係ではなく、とくに三浦義村の方は北条義時に対して含むところがある、というような描写がたびたびあり、見ごたえがありました。
本作は、これまでに視聴した大河ドラマの中でも個人的評価は上位となりますが、不満があるというか、違う描き方も見たかったのは、幕府と朝廷の関係、およびそれとも関連して源実朝と朝廷との関係です。源実朝が義時とは異なる幕府構想を打ち出し、朝廷に接近しすぎて義時に見限られた、という構造になっていましたが、幕府と朝廷との関係、さらには源実朝と義時との関係をもっと協調的に描いたとしたらどのような話になったのだろうか、との思いはあります。ただ、武士と朝廷との対立という構造が分かりやすい話であることは間違いなく、今後源平ものが再度大河ドラマで描かれるとしたら、やはり同様の構造になるのかもしれません。
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