完新世のアジア南西部と地中海東部における人類の移動パターン

 完新世のアジア南西部と地中海東部における人類の移動パターンに関する研究(Koptekin et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、最も早い新石器時代移行と複雑な階層社会の出現を経た広範な地域である、アナトリア半島とイランとレヴァントとコーカサス南部とエーゲ海におけるヒトの遺伝的多様性の時空間的全体像を提示します。35点の古代人のショットガンゲノムを、古代人382個体および現代人23個体のゲノムと組み合わせると、各地域内の遺伝的多様性は完新世を通じてじょじょに増加した、と分かりました。さらに、遺伝子流動の推定される供給源は経時的に変わった、と観察されました。

 完新世前半には、アジア南西部と地中海東部の人口集団はそれぞれ均質でした。しかし、地域的な人口集団は青銅器時代以降相互に分岐し、それは、本論文で「拡大移動性モデル」と呼ばれる、外部の供給源からの遺伝子流動により促進された可能性が最も高そうです。興味深いことに、地域間分岐におけるこの増加は、外群f3に基づく遺伝的距離により把握できるものの、一般的に用いられるFST(遺伝的距離)統計により把握できず、それは人口集団内の多様性に対して、FSTは敏感であるものの外群f3はそうではないためです。本論文は最後に、完新世を通じての混合事象における男性への偏り増加の時間的傾向を報告します。


●研究史

 ヒトの移動性は、社会文化的変化の推進力だけではなく、結果にもなり得ます。移動性の時空間的パターンを社会文化的移行とともに研究することは、ヒトの過去の理解にとってひじょうに重要です。アジア南西部と地中海東部は、食料生産の例外的に長い歴史を有しており、本論文で魅力的な事例を提示します。この地域は、最初の定住村落と農耕から、最初の冶金、国家組織社会の出現、最初の文字体系、より最近では地域間の帝国にいたるまで、完新世における重要な文化的および社会的変容の中心的な舞台でした。この期間には、人口増加、輸送動物と道路建設により支えられた長距離交易網の確立、侵略軍の組織化、大規模な追放など、ヒトの移住動態に直接的に影響を及ぼした変化もありました。

 最近、考古遺伝学的研究は、アジア南西部と地中海東部における地域間の移動性と関連する、興味深い観察を明らかにしてきました。そうした知見の一つは、人口集団内の遺伝的多様性水準は初期完新世には低かったものの、新石器時代移行後に増加した、というものです(関連記事)。並行して観察されたのは、人口集団間の遺伝的分化は、FSTにより測定されたように、ユーラシア西部ヒト集団間では新石器時代の前には高かったものの、新石器時代と銅器時代には急激に低下した、ということです(関連記事)。地域間のFSTにおける減少の解釈は、複数の人口統計学的過程により引き起こされ得るので単純ではありませんが、混合が原因である可能性は高そうで、新石器時代における広範な地域間の移動と遺伝子流動が示唆されます。

 祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)構成要素分析の結果は同様に、新石器時代(N)から青銅器時代(BA)にかけての広範な地域間、とくに東方(イランとコーカサス南部)と西方(アナトリア半島とレヴァント)との間から、エーゲ海地域にまで及ぶ混合を示唆します(関連記事)。しかし、興味深いことに、混合構成要素の変化は、BAと現在との間の期間ではより穏やかなようです。現在のイラン地域とレヴァント(関連記事1および関連記事2)とコーカサス(関連記事)とギリシア(関連記事)の過去と現在の人口集団に関する研究は、過去3000~4000年間の祖先系統構成要素の変化が、限定的もしくは観察されない、と示唆してきました。

 非在来の祖先系統を有する特異な古代人ゲノムが発見されることもありますが、これらの移動事象は、BA以降の局所的な遺伝子プールに実質的な痕跡を残さなかったようです。これは驚くべきことに見えるかもしれません。それは、歴史学と考古学の資料が両方、アジア南西部をより広範な地域とつなげる、銅器時代とBA以後の移動網の拡大を示唆しているからです。それに基づいて、混合と遺伝的変化の加速を予測する人もいるかもしれません。

 したがって、アジア南西部と地中海東部における地域間のヒト移住の動態は、未解決になっています。本論文は、新たに生成された古代人35個体のゲノムをすでに刊行されている古代人および現代人のゲノムとともに用いて、この問題を体系的に調べます。本論文は、この地域の全体的な遺伝的構造を記述し、人口集団内の多様性と地域間の分岐における時間的変化を調べ、移動率の地域間の違いを分析します。本論文は最後に、この地域における長期の物質文化の継続性に関する以前の提案を考慮して、ヒトの移動における性別偏りの可能性の問題に取り組みます。


●アジア南西部と地中海東部における遺伝的構造と連続性

 この研究は、地理的および文化的に接続された、以下の5地域の人口動態に焦点を当てます(図1)。(1)アナトリア半島です。本論文では、アナトリア対角線(レヴァント北部と現在のトルコの黒海東部沿岸との間に伸びる山脈)の西側の半島として記述されます。(2)現在のギリシア本土とキクラデス諸島とクレタ島を含むエーゲ海地域です。(3)ザグロス地域とカスピ海南部を含む現在のイランです。(4)現在のジョージア(グルジア)とロシア南西部とアルメニアとアゼルバイジャンで構成されるコーカサス南部です。(5)現在のシリア西部とレバノンとパレスチナとイスラエルとヨルダンで構成されるレヴァントです。これらの地域には、アジア南西部と地中海東部で刊行された最高密度の古代人ゲノムが含まれています。そのため本論文では、メソポタミアもしくはアラビア半島は含められていません。以下は本論文の図1です。
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 これらの5地域から、古代人35個体の新たなショットガン配列ゲノムが生成され、その網羅率の範囲は1個体のゲノムあたり0.02~7.5倍(平均値は1.11倍、中央値は0.33倍)です。この35個体のうち15個体で放射性炭素年代測定されました。次に、この新たなデータが同じ地域のすでに刊行されている古代人および現代人のゲノムと組み合わされました(図1)。新たなゲノムは、たとえばコーカサス南部の鉄器時代(IA)やアナトリア半島のローマ期の標本を含めることにより、刊行された標本の時空間的範囲を拡張します。共同データセットで、新規の一塩基多型(SNP)パネルを用いてSNPが呼び出されました。これには、1000人ゲノム計画のサハラ砂漠以南の現代のアフリカ人口集団の470万のSNPと、124万SNP一覧とヒト起源(HO)SNP一覧が含まれます。さらに、これらの時間的まとまりは、完新世の分割により6期間(TP)へと分類されました(図1)。

 このデータセットにおける一般的な多様性パターンへの洞察を得るために、新たに生成された5地域からの古代人35個体のゲノムを含めて、古代人417個体のゲノムを、ユーラシア西部現代人を用いて計算された主成分(PC)空間に投影することにより、主成分分析(PCA)が実行されました。これは地理的な分化パターンを要約しており、PC1は南北、PC2は東西の、さまざまな期間の分化と相関しており(図2)、経時的なある程度の地理的構造と地域的連続性を示唆します。以下は本論文の図2です。
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 f4統計を用いて、さらにこれらのパターンが検証されました。全体的に、アジア南西部全域の構造について一般的傾向が見つかり、個体は一般的に、他地域の個体とよりも地元の個体の方とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有していました。6TP全体にわたる地域的な遺伝子プールの比較により、地域的な連続性も検証されました。その結果、特定のTPの各地域の標本は、それに続く期間の方と、さらに後の期間とよりも多くのアレルを共有する傾向にある、と分かりました。しかし、以下で説明されるように、地域の遺伝子プールにおける多くの変化も観察されました。

 全体的な地域の遺伝的連続性が存在する場合、さまざまなTPのゲノムは、アジア南西部および地中海東部と、その近隣地域(たとえば、ヨーロッパ東部やシベリア西部)の初期完新世人口集団の混合としてモデル化できるかもしれません。そうしたモデル化を通じての祖先系統構成要素の変化は、次にあり得る地域間の遺伝子流動事象を説明します。したがって、上述の5地域の新たに生成された及びすでに刊行されている古代人ゲノムについてqpAdmモデル化(関連記事)が実行され、経時的な祖先系統の変化する供給源が説明されます(図3)。以下は本論文の図3です。
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 qpAdmの結果から移動性を推測するため、それ以前の地域的な人口集団の組み合わせとして各人口集団の祖先系統構成要素の説明が試みられましたが、この手法での移動性推測は、地域内の限定的な人口構造の仮定に基づいていることに要注意です。さらに、f4統計を用いて、qpAdmで推定された祖先系統変化パターンが確証されました。以下、祖先系統構成要素から推測される地域間の移動性について、地域ごとに検証されます。


●アナトリア半島

 本論文はまず、対象地域のほぼ中心であるアナトリア半島から始めます。アナトリア半島中央部のムスラール(Musular)遺跡(9100年前頃)2個体の新たなゲノムは、それ以前の先土器新石器時代アナトリア半島中央部個体のゲノムに、追加の南方(レヴァント関連)および東方(ザグロス/コーカサス関連)祖先系統構成要素を有するものとしてモデル化できます(図3)。この特性は、アナトリア半島中央部への推定される東方/南方からの遺伝子流動(関連記事)が土器新石器時代の前となる紀元前十千年紀後半までにすでに起きていた、8500年前頃となるチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡個体のゲノムと類似しています。一方、混合年代のDATES推定では、現実的もしくは技術的にありそうな結果が得られませんでした。

 新石器時代の後では、青銅器時代アナトリア半島西部のウルカク(Ulucak)遺跡(1個体)とチネ・テペシク(Çine-Tepecik)遺跡(1個体)遺跡、鉄器時代/ヘレニズム時代のアナトリア半島中央部のゴルディオン(Gordion)遺跡(2個体)、ローマ期(3個体)とオスマン期(1個体)のアナトリア半島中央部のボアズキョイ(Boğazköy)遺跡の新たなゲノムデータが提示されます。興味深いことに、これら8個体のゲノムは全て、土器新石器時代/銅器時代アナトリア半島(約70~80%)とザグロス/コーカサス(約20~30%)との関連祖先系統供給源間の混合としてモデル化できます(図3)。これは、刊行されているBA(青銅器時代)アナトリア半島中央部および西部の個体群のゲノムとひじょうに類似しており、そのBA個体群のゲノムは以前には、在来の新石器時代供給源と東方供給源との間の混合として説明されました(関連記事)。

 アナトリア半島における祖先系統構成要素はBAからローマ期もしくはオスマン期にまでさえほとんど変わらなかった、という観察は、4000年間を通じての遺伝子プールの明らかな安定性を示唆し、最近の研究でも観察されました(関連記事)。例外には、ヨーロッパ祖先系統(その後の個体群のゲノムでは観察されません)を有するカレヒユク(KaleHöyük)遺跡IA(鉄器時代)個体のゲノムと、千年紀のテュルク人との混合を表している可能性が高い、バイカル湖新石器時代関連祖先系統を有するカレヒユク遺跡オスマン期個体のゲノムです。一方、本論文の新たなボアズキョイ遺跡個体群のゲノムは、アナトリア半島におけるこのバイカル湖関連混合の不均一性を示唆します。この不均一性は、依然として現代のトルコ人のゲノムで観察できます(図3)。


●エーゲ海地域

 最近の研究では、現代のギリシアの新石器時代人口集団がアナトリア半島の同時代の人口集団と遺伝的に類似していた(関連記事)一方で、BAへの移行期には、エーゲ海地域は東方(コーカサス南部/イラン関連)関連供給源と、その後でヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)関連供給源を受け取った、と示されました(関連記事)。したがって本論文は、ギリシア本土のペラコラ(Perachora)洞窟(5個体)とサラケノス(Sarakenos)洞窟(1個体)とテオペトラ(Theopetra)洞窟(1個体)の新たなゲノムを、エーゲ海新石器時代関連供人口集団(60~83%)とコーカサス/ザグロス関連人口集団(12~20%)とEHG関連人口集団(0~25%)の、2もしくは3方向混合モデルでモデル化できます(図3)。これは、現在のギリシアにおけるEHG関連祖先系統の漸進的で部分的な拡散という以前の観察を確証します。

 サラケノス洞窟個体に関する本論文の結果はさらに、ギリシア本土における草原地帯関連祖先系統を有する人々の仮定的な到来を、前期青銅器時代(EBA)となる4200年前頃へとさかのぼらせます。つまり、これまで知られていた(関連記事)中期青銅器時代(MBA)開始の前です。これは現時点で、ギリシアにおける草原地帯関連祖先系統についての最も早い既知の証拠ですが、これらの人々のさらに早い到来との仮説は、この地域の新たな古代人ゲノムではまだ検証されていません。要注意なのは、混合年代のDATES推定値が再び、ありそうになかったことです。


●ザグロス/イラン

 ザグロス山脈を含む現代のイランに相当する地域内では、地域的な人口集団は新石器時代に始まる西方(アナトリア半島関連)供給源と、アジア中央部からの移動を表している可能性が最も高い、その後のBAにおける北方(EHGもしくはシベリア関連)供給源の両方からの遺伝子流動を受け取った、以前に示されました(関連記事)。カスピ海の近くに位置するイラン北東部のシャー・テペ(Shah Tepe)遺跡(9個体、5100年前頃)の新たなゲノムは同様に、ザグロス新石器時代関連(76%)とアナトリア新石器時代関連(13%)とEHG関連(11%)祖先系統の混合としてモデル化できます(図3)。とくに、アナトリア関連祖先系統は、テペ・ヒッサール(Tepe Hissar)遺跡やハッジ・フィルーズ(Hajji Firuz)遺跡の個体に代表されるザグロス人口集団と比較して、シャー・テペ遺跡個体群ではより低く、イランにおけるアナトリア混合の東西の勾配を裏づけます。

 さらに、シャー・テペ遺跡個体群のゲノムは、イランにおけるEHG関連祖先系統の最も早い兆候を提示しており、シャー・テペ遺跡などアジア中央部の文化的影響を示す、銅器時代とBAにおけるイラン北東部の物質文化の記録と一致します。これは、コーカサスではなくアジア中央部を経由してのEHGの流入という見解を裏づけます。本論文のモデル化はさらに、BAのシャフレ・ソフテ(Shahr-i Sokhta)南東遺跡個体におけるアンダマン諸島狩猟採集民(HG)に代表されるアジア南部関連祖先系統の一時的な出現を含めて、イラン全体の祖先系統供給源の不均一性を示します(図3)。


●コーカサス南部

 以前の研究は、コーカサス南部におけるアナトリア新石器時代関連祖先系統の流入を新石器時代文化の到来(8000年前頃)とともに説明しました。EBA(前期青銅器時代)となるクラ・アラクセス(Kura Araxes)文化(1個体、4900年前頃)と後期青銅器時代(1個体、3200年前頃)のジョージアのドグラウリ(Doghlauri)遺跡個体の新たなゲノムデータは、在来のコーカサス狩猟採集民(CHG)57~62%とアナトリア銅器時代人口集団38~43%の2方向混合として同様にモデル化できます(図3)。一方、3750年前頃までに、EHG関連祖先系統はアルメニアMBA(中期青銅器時代)に現れます。同様に、ジョージアのディドナウリ(Didnauri)遺跡BAの新たな3個体とナザルレビ(Nazarlebi)遺跡BA(3000年前頃)の新たな3個体(12%)と、アゼルバイジャンのシャマヒ(Shamakhi)遺跡のIA(1700年前頃)個体(11%)のゲノムでは、EHG関連祖先系統が同様に見つかります。これは、EHG関連の遺伝子流動が地域的な遺伝子プールに永続的影響を及ぼした、と示唆します(図3)。


●レヴァント

 完新世のレヴァントにおける祖先系統構成要素の時間的変化は詳細に調べられてきており、新石器時代後のレヴァントの個体群のゲノムは、在来のレヴァント新石器時代人口集団と、イランおよび/もしくはアナトリア新石器時代人口集団からの新石器時代後の人口集団の、さまざまな割合での2もしくは3方向混合としてモデル化できます(関連記事)。刊行データの本論文のモデル化は、この一般的説明を確認しました(図3)。EHGなど外部供給源を用いての代替的なモデルも提案されてきており(関連記事)、2つの特定の古代人ゲノム標本、つまりBAおよびIAアシュケロン(Ashkelon)遺跡標本と、中世十字軍を表している標本(関連記事)は両方とも、高い割合のヨーロッパ西部祖先系統を有しているものの、局所的な遺伝子プールに永続的な痕跡を残さなかったようであることに要注意です。


●遺伝的多様性は経時的に単調に増加します

 上述のqpAdmとf4統計の結果から、2つの観察が得られます(図3)。第一に、新石器時代と銅器時代は、イランとコーカサスとレヴァントにおけるアナトリア/エーゲ海関連祖先系統、レヴァントとアナトリア半島とエーゲ海地域におけるザグロス/コーカサス関連祖先系統など、地域全体の祖先系統構成要素の共有増加により優占されます。各地域内の限定的な人口構造の仮定下では、これはアジア南西部内の地域間遺伝子流動を示唆し、均質化モデル(関連記事)と一致します。この過程はPCAでも追跡でき、さまざまな地域のゲノムは経時的にPC空間で収束するようです。第二に、BA以後の個体群のゲノムは、ヨーロッパ東部やシベリア西部やバイカル湖やアジア南部など、地理的により遠方の祖先系統構成要素を含んでいます。これら後の構成要素は、レヴァントの中世十字軍など一時的な場合も、同じ地域のその後のゲノム標本において永続的で検出可能な場合もあります。

 内部均質化と遠方相互作用は両方、人口集団内の遺伝的多様性を高めるはずです。この着想を検証するため、集団内の個体間の対での遺伝的違いの計算により、地域およびTPごとの多様性が推定されました。その結果、完新世を通じての多様性増加の単調で有意な傾向と、エーゲ海地域における有意ではない傾向が観察されました(図4)。ユーラシア西部人口集団については多様性の時間的増加が以前に指摘されていましたが、本論文が把握している限りでは、そうした単調な変化は報告されてませんでした。観察された多様性増加は、各地域へのある程度の移住が最大の要因です。つまり、非在来遺伝的祖先系統の移民が在来集団と交雑し、多様性が高まるわけです。新規の多様体はこの兆候の供給源とはなり得ず、それは、本論文において対象集団と等距離にある外群人口集団で確認されたSNPが用いられているからです。以下は本論文の図4です。
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 hapROHにより推定された同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)を通じて、多様性増加のパターンがさらに検証されました(関連記事)。近親の可能性がある個体のゲノムを除くと、4~8 cM(センチモルガン)と比較的短いROHの平均合計は、4地域(上述の本論文の対象5地域のうちレヴァント以外)で減少する傾向にあり、この傾向はアナトリア半島では有意でした。またこれは、混合に起因する地域内の遺伝的多様性増加と一致します。


●地域間移動の拡大する性質

 次に、完新世を通じての地域間の遺伝的分岐の問題が調べられました。アジア南西部と地中海東部の古代人417個体と現代人23個体を用いて、6TPにおける地域間の対での平均FST減少の報告された兆候がまず要約されました(図5A)。これはとくに、地域的な遺伝子プールが均質化し、祖先系統構成要素でも観察される初期完新世において強い、と示されます(図3)。以下は本論文の図5です。
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 しかし、移動性の文脈における対でのFST兆候の解釈は難しい可能性があり、それは、この統計量が人口集団内多様性に影響を受け、次に人口規模の変化もしくは第三の供給源からの遺伝子流動に影響を受けるかもしれないからです。代わりに、外群f3統計量は、2集団間の遺伝子流動の推定により有効な手法かもしれず、それは、外群f3統計量が外群と比較して2つのゲノム間で共有された浮動を計測するからです。したがって、外群f3統計量は集団内の人口規模と多様性の変化に対して堅牢です。合着(合祖)模擬実験を通じてこの予測が検証され、外群f3(しかしFSTではありません)はボトルネック(瓶首効果)により影響を受けずに、2集団間の遺伝子流動を容易に把握できる、と確証されました。

 5地域集団間の対での遺伝的分化を測定する[1-f3]距離の使用は、FSTとは異なるパターンを明らかにしました。平均的な地域間の遺伝的分化は6000年前頃までに減少し、その後で再度上昇します(図5B)。平均的な分化時間の軌跡の凹状上向き(V字型)形状は、線形モデルよりもわずかに有意でした。(地域的な人口集団と個体を分類する代わりに)個体間の対での遺伝的距離の計算により、分析が繰り返され、再び凹状上向きの分化パターンが明らかになりました(図5C)。代替の時代区分案は、これらの主要な調査結果を変えません。一方、後期完新世にFSTは減少し、[1-f3]が増加する傾向にある理由は、同じ期間の人口集団内の多様性増加に起因する可能性があります(図4)。外部供給源からの遺伝子流動の導入により、合着模擬実験におけるFSTとf3に基づく距離間のこの対照的動作を再現できました。

 これらの観察は、2つの連続した過程を示唆します。第一の過程は、完新世前半となる新石器時代移行後のアジア南西部および地中海東部内の激しい移動性を含みます。これはqpAdmの結果でも明らかです(図3)。たとえば、6000~4000年前頃まで、アナトリア半島およびエーゲ海地域の人口集団はコーカサス南部/イラン関連人口集団からの強い遺伝子流動を受け取り、一方でコーカサスとイランの集団はアナトリア関連人口集団から遺伝子流動を受け取りました。同様のパターンは、この地域の人口史の最近の分析でも明らかにされました(関連記事)。これらの推定される混合事象は、FSTと[1-f3]値の両方により裏づけられる遺伝的距離の減少を説明でき、PCAでも推測できるかもしれません。

 第二の過程は、外部の遺伝子流動を含みます。6000~4000年前頃の期間の後には、対象となる5地域全ての人口集団は、アジア南西部と地中海東部の外部地域からさまざまな程度の遺伝子流動を受け取った可能性が高そうです。その事例に含まれるのは、エーゲ海地域とコーカサス南部とレヴァントのEHG/草原地帯関連祖先系統(関連記事)、アナトリア半島IAおよびその後の個体のゲノムにおけるEHGおよびアジア中央部関連祖先系統、レヴァントの中世人口集団におけるヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とアジア南部およびアジア中央部関連祖先系統(関連記事)、イランにおけるシベリア西部およびアジア南部関連祖先系統(関連記事)です(図3)。これら推定される長距離移動事象の結果として、[1-f3]として計算されるアジア南西部における地域間の遺伝的分化は、経時的に回復します。本論文はこれを、「拡大移動性モデル」と呼びます。


●移動性水準の空間的不均一性

 図4の興味深いパターンは、アナトリア半島におけるより大きな規模の変化など、時間に基づく多様性変化の表面上の地域差でした。1地域(TPに関係なく)の個体の全ての組み合わせ間の遺伝的距離の計算[1-f3]と、次に対での遺伝的距離と時間差との間の相関の計算により、これがさらに調べられました。これにより、1地域の遺伝子プールにおける完新世全体の時間的分化の推定値が得られます。

 対象となる5地域全てで、遺伝的距離と分離時間との間の正の相関が見つかりました。アナトリア半島は、上述の多様性分析と同様に、最高の変化を示します。X染色体のSNPか、5地域にわたる同様の数および/もしくは時間的分布か、SNP捕獲もしくはショットガン配列ゲノムのみを用いて、この分析が繰り返されました。ショットガン配列ゲノムが用いられた場合を除いて全ての分析で、アナトリア半島が変化の最大規模を示しました。この結果が将来の研究で堅牢と証明されるならば、アナトリア半島がヨーロッパとアジア南西部との間の経路だったか、耕作に適した土地で構成されている、などといった地理的要因、あるいは、過去千年間のアナトリア半島への強いアジア東部/中央部関連の遺伝子流動事象など特有な事象が、アナトリア半島での相対的に高い変異率に寄与し得たのかどうか、調査することは魅力的です。

 逆に、コーカサスはほとんどの分析で相対的に低い規模の遺伝的変化を示し、これは、地形の険しさおよび/もしくはより低い環境収容力により形成されたかもしれません(関連記事)。しかし、データセット間の限定的な一貫性から、本論文の全体的な時間的分化の推定値は、用いられた配列決定技術やSNPパネルなど技術的要因に敏感かもしれない、と示唆されます。


●性別の偏った地域間移動の時間的変化の可能性

 本論文は最後に、アジア南西部と地中海東部における性別の偏った移動の問題に取り組みました。まず、FSTを用いて連続したTP間のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体のハプログループの分布が分析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)組成では有意な違いが観察されませんでしたが、Y染色体ハプログループ(YHg)組成における多くの有意な時間的変化が観察されました(図6A)。この分析はハプログループの部分的に恣意的な性質により損なわれていますが、母方の遺伝子プールの相対的安定性を示唆しており、さまざまな地域の先行研究と一致します。これは、男性の遺伝子プールにおけるより強い遺伝的浮動、および/もしくは男性のより高い移動率とも一致し、レヴァントにおいて最も顕著な影響があります。以下は本論文の図6です。
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 次に、性別の偏った遺伝子流動へのさらなる洞察を得るため、常染色体とX染色体の遺伝的変化が調べられました。このために、常染色体とX染色体について別々に、各地域内の連続したTP間の遺伝的距離が計算されました。これら常染色体とX染色体の距離は、予測通り強く相関していました(図6B)。興味深いことに、初期にはX染色体の遺伝的距離は常染色体よりも有意に増加し、後期にはその逆となりました。したがって、常染色体とX染色体の距離回帰モデルの残差は時間と強く正の相関でした(図6C)。この兆候の原因はこの文脈における浮動へのf3統計量の不感受性に起因するので、男女の遺伝子プール間の差分浮動を除外できます。これは、混合事象における性別の偏りが経時的に変わったことを示唆します。これは、女性の移動性が前期には後期よりも相対的に高かったこと、および/もしくは後期には前期よりも移民男性の繁殖成功率がより高かったことにより起きたかもしれません(図6C)。

 性別の偏った混合パターンにおけるこの推定される変化は、古代ヨーロッパでの観察と類似しており、新石器時代の拡大には性別の偏りが低く、BAにおけるひじょうに男性に偏った草原地帯拡大が続きました(関連記事1および関連記事2)。性別の偏りの時間依存的増加は、長距離のヒトの移住は短距離の移住よりも男性優位である傾向が強いかもしれない、という観察を考えると、拡大移動性モデルとも一致するでしょう。一方、この枠組みでは性別の偏りを直接的に定量化できません。つまり、初期には性別の偏りがなく、男性への偏りはその後に出現したのか、それとも初期には後に消滅した女性への偏りがあったのか、区別できません。さらに、上述のハプログループ組成分析は、男性への偏りにおける時間的変化の観察に弱い類似性しか提供しません(図6A)。本論文は、観察された性別の偏った移動パターンの普遍性については慎重なままですが、そうした研究が経時的な社会動態と交換網の変化への重要な洞察を提供できることに要注意です。


●考察

 この研究は、多くの新たな観察を明らかにしています。地域間の遺伝的分化率は、[1-f3]により測定されるように、以前のFST分析の示唆とは対照的に、アジア南西部と地中海東部において完新世を通じて減少しなかった、と示されます。対照的に、地域内の多様性は経時的に単調に増加しましたが、地域間の分化はまず減少した後で回復し、それはほぼBAから始まります。これらのパターンは、実験実施要綱(SNP捕獲に対するショットガン配列決定)およびSNP数など、技術的要因に対して一般的に堅牢である、と分かりました。これらの結果から、移動性が衰えずに続き、範囲が拡大し、それはおそらく、社会的および技術的複雑性増加の結果と帰結の両方としてだった、と示唆されます。完新世後半の移動性における男性への偏り増加の傾向も観察され、部分的にはヨーロッパ史で観察された性別の偏った移動(関連記事)を想起させます。

 多様性と分岐の統計から推測される、移動性におけるこれらの変化するパターンは、アジア南西部と地中海東部において完新世の後半に出現した、輸送手段の改良(たとえば、ウマと道路)、交換網の規模拡大(たとえば、交易路と交易植民地の確立を含む、原材料や生産物の長距離交易)、より大きな領域と多い人口に影響力を及ぼせる、より階層化されて集権化された政体への傾向(たとえば、組織化された侵略と強制退去)に関する考古学および歴史学の証拠とよく共鳴します。将来の研究にとって魅力的な問題は、新石器時代後の社会における拡大する移動性範囲のこのパターンが、アジア南部および東部やアフリカやアメリカ大陸など他地域でも観察できるのかどうか、ということです。

 本論文は、いくつかの地域とTPにおける標本の斑状の分布と利用可能なゲノムの限定的な数に起因して、地域を越えたパターンに関する観察のいくつかが、暫定的なものとみなされる可能性を認識しています。より高密度で均質な標本により、人口構造と時間的変化との間の混合の可能性を、厳密に排除できるでしょう。それにも関わらず、対象となる5地域全てで一貫した傾向が検出され、ブーストラップおよびジャックナイフ分析と、代替的な時代区分を用いて結果が再現された、という事実は、全体的に主要な観察の堅牢性を示唆しています。つまり、地域内の遺伝的多様性の経時的増加、混合における変化する性別の偏り、地域間の遺伝的距離がBA以降に増加する、といったことです。地域間の遺伝的距離がBA以降に増加する、という観察は、qpAdmの結果と、独立した研究団により最近刊行された結果(関連記事)によっても裏づけられます。

 最後に、本論文の統計はヒトの移動性の間接的な計測にすぎず、これらの移動の絶対的な規模は不確実なままです。これは、外群f3値(図5B)もしくはROH値における観察された変化の量が、移動率(世代ごとの遺伝子プールにおける侵入してくる移民のアレルの割合)だけではなく、侵入してくる集団と在来集団との間の遺伝的分化の量にも依存しているからです。さらに、アジア南西部と地中海東部の人口が完新世を通じて顕著に増加した、という事実を考慮すれば、一定規模の変化を生み出すのに必要なヒトの移動の絶対量(移民数)も経時的に変わるでしょう。したがって、多様性が経時的に直線的に増加した、という本論文の観察は、完新世を通じての一定の移住水準の兆候として解釈できません。したがって、移動性の正確な定量化は将来の課題のままです。


参考文献:
Koptekin D. et al.(2023): Spatial and temporal heterogeneity in human mobility patterns in Holocene Southwest Asia and the East Mediterranean. Current Biology, 33, 1, 41–57.E15.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.11.034

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