イベリア半島北部の上部旧石器時代のイヌ遺骸

 イベリア半島北部の上部旧石器時代のイヌ遺骸に関する研究(Hervella et al., 2022)が公表されました。イヌ(Canis lupus familiaris)はヒトにより家畜化された最初の種と知られていますが、この家畜化過程の地理的および時間的起源は、さまざまな知識の分野でまだ議論されています。この研究では、スペインのバスク州のギプスコア(Gipuzkoa)県にあるエラッラ(Erralla)遺跡の下部マグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)層で回収されたイヌ科の上腕骨が、形態と放射性年代測定と遺伝学を組み合わせて調べられました。その結果、この標本はイヌ(Canis lupus familiaris)と確証され、シトクロムb遺伝子とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の遺伝的分析を通じてのドール(Cuon alpinus、アカオオカミ)との誤同定は破棄されます。

 直接的な加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)炭素14年代測定(較正年代で17410~17096年前)から、このエラッラ遺跡標本は、下部カンタブリア地域マグダレニアン期におけるヨーロッパで最初の家畜イヌの一つを表している、と示唆されました。本論文はイヌの起源に関する議論に照らしてこの結果を検討し、いわゆる「イヌ的なオオカミ」を含めて、上部旧石器時代と中石器時代のイヌ遺骸が得られてきたユーラシアの遺跡群の年代測定の批判的な再調査を行ないました。


●研究史

 イヌはその祖先型であるハイイロオオカミ(Canis lupus)から最も古くに家畜化された動物で、上部旧石器時代に出現しました。それにも関わらず、いつどこでイヌが家畜化されたのかは、未解決の問題です。明確に家畜化されたイヌの最古となる古代の考古学的遺骸は、ユーラシアの遠端で見つかりました。最古級の家畜化されたイヌの生息年代は、ヨーロッパでは、フランスのアブリ・レ・モラン(Abri le Morin)遺跡(図1の2)に代表されるマグダレニアン期(較正年代で15114~14237年前頃)、イタリアのパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)遺跡(図1の3)の続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)期(較正年代で14372~13759年前頃)で、近東では、イスラエルのケバラ(Kebara)洞窟遺跡(図4)のケバラおよびナトゥーフィアン(Natufian)文化(12500~12000年前頃)で、極東では中華人民共和国河南省にある賈湖(Jiahu)遺跡の裴李崗(Peiligang)文化期(較正年代で9000~7800年前頃)です。以下は本論文の図1です。
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 さらに、イヌは最初に家畜化された動物であるだけではなく、ヒトに最も近い動物でもありました。イヌを伴うヒトの埋葬は、ドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡では早くも後期マグダレニアンとなる較正年代で14240~14000年前頃(紀元前12290~紀元前12050年頃)にまで、近東では、イスラエルのアイナン/マラッハ(Eynan/Mallaha)およびハヨニム台地(Hayonim Terrace)で後期ナトゥーフィアンの11500~11000年前頃まで、極東の日本列島では、愛媛県久方高原町の上黒岩遺跡で縄文時代となる較正年代で7414~7273年前頃にまでさかのぼります。これらの年代から、古人類学および象徴的研究の文脈で、イヌとヒトには独特な結びつきがあった、と示唆されています。

 1990年代以降、遺伝学者は考古学的発見により提起されたイヌの家畜化についての問題に答えようとしてきしまた(関連記事)。イヌの家畜化の地理的起源については、複数の場所が提案されてきました。現代のイヌとオオカミにおけるmtHgの多様性の研究は中国を、核DNA遺伝標識はアジア中央部を、全ゲノム配列決定は近東を示しました。時間枠に関しては現在、17000~10000年前頃の年代が、イヌ系統の分岐時間について提案された最も新しい年代で、現代のイヌのmtDNAと高品質のゲノム両方が伴っています。それにも関わらず、これらの年代における不確実性は、その年代を4万~3万年前頃にさかのぼらせる可能性があります。じっさい、オオカミとイヌの系統の遺伝的分岐が家畜化のそれと一致する必要はないことも、考慮に入れねばなりません。新しければ17000~10000年前頃と提案された年代は、最初のイヌの考古学的証拠と一致しますが、その可能性は低そうです。

 古遺伝学は、現在のイヌ科集団の研究のこうした結論のいくつかと矛盾しています。以前の研究によると、ほとんどのイヌ系統の起源は古代のヨーロッパオオカミにたどることができ、オオカミの家畜化についてヨーロッパ起源が示唆されました。しかし、ヨーロッパとアジアの二重起源を示唆する研究者もいました(関連記事1および関連記事2)。さらに、古代のイヌ科のDNAの寄与で、オオカミの変異率は再調整され、イヌとオオカミの分岐は40000~27000年前頃の間のどこかで起きた、と提案されました(関連記事)。これらの古遺伝学的調査結果は、オオカミとイヌの系統の分岐年代が最初の家畜化事象の年代と異なることを裏づけます。

 古遺伝学者により提案されたそうした年代(40000~27000年前頃)と明らかに一致して、「イヌ的なオオカミ」と呼ばれるひじょうに古い(40000~15000年前頃)イヌ科が、古典的形態計測により記載され、同定されてきました。一部の研究では、これらは原初的なイヌかもしれない、と示唆されています。ヨーロッパ西部の「イヌ的なオオカミ」は、以下の遺跡に由来します。それは、オーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)となる31890+240/-220年前のベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡(図1の8)、グラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)となる27000~26000年前のチェコ共和国のプシェドモスティ(Předmostí)遺跡(図1の9)、イヌ的な足跡以外が見つからなかった26000年前となるフランスのショーヴェ(Chauvet)洞窟遺跡(図1の10)です。

 シベリアのいくつかの他の「イヌ的なオオカミ」はシベリアに由来し、それは、ロシアのシベリア南部のアルタイ山脈の較正年代で33000年前頃となるラズボイニクヤ(Razboinichya)遺跡、ロシアのシベリア北東部に位置するサハ共和国の13925±70年前(較正年代で17200年前頃)となるウラハーン・スラー(Ulakhan Sular)遺跡です。東ヨーロッパ平原の「イヌ的なオオカミ」は、25000~22000年前頃となるロシアのコステンキ8(Kostenki 8)遺跡(図1の11)、17000~13000年前頃となるロシアのエリゼーヴィッチ1(Eliseevichi-I)遺跡(図1の12)、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)となる15000~14500年前頃のウクライナのメズヘリッチ(Mezherich)遺跡(図1の13)およびメジン(Mezin)遺跡(図1の14)に由来します。

 これらの古典的形態計測研究に向き合って、いくつかの新たな手法では、「イヌ的なオオカミ」は過去にはもっと大きかったに違いないオオカミの変動性の範囲内でクラスタ化する(まとまり)、と結論づけられています。したがって、「イヌ的なオオカミ」を旧石器時代のイヌに確信的に位置づけることはできませんでした。これが意味するのは、フランスのアブリ・レ・モラン遺跡とドイツのボン・オーバーカッセル遺跡のマグダレニアン期の遺骸が、家畜化されたイヌとして同定された最古のイヌ遺骸だった、ということです。

 本論文は、エラッラ洞窟(図1の1)において1985年に考古学的発掘で回収されたイヌ科の上腕骨(図2)を再検討しました。エラッラ洞窟はバスク州の北東部地域に位置し、カンタブリア海から直線で10km離れた、海抜460mに位置します。この上腕骨の最大長は20cmで、両端に1ヶ所ずつ穴があります。発掘調査は、エラッラ洞窟の90 m²のうち30 m²に影響を及ぼしました。エラッラ遺跡は、よく定義されて特徴づけられた層(最古から最新にかけて第7層から第1層)のある、堅固な層序を示します。第7層は洞窟の岩盤のすぐ上に位置し、第6層とともに完全に考古学的痕跡がありません。イヌ科の上腕骨が発見された第5層は下部カンタブリア・マグダレニアンに属し、第4層に覆われています。

 第4層では、考古学的に痕跡がないにも関わらず、7点のシロイワヤギ(Capra pyrenaica、スペインアイベックス)遺骸が得られており、この遺骸は、シロイワヤギが洞窟で恐らくは落雷のために死んだことを示唆する解剖学的位置にありました。第3層と第2層は後期マグダレニアンに属し、第1層は現在の表土で構成されます。したがって、第5層のイヌ科遺骸の重要性は、その層が完全に分離されており、他の層の要素がない、という事実にあります。つまり、それは2つの考古学的痕跡のない層の間で見つかり、他の文化層の汚染がないことを示します。

 第5層では、下部マグダレニアンに典型的な豊富な石器および骨器インダストリーとともに、装飾品や他の装飾された道具(この期間のカンタブリア地域に特徴的な投槍用尖頭器)が得られました。第5層は、花粉や堆積学および動物考古学的分析により示されてきたように、ひじょうに寒冷な段階、つまりドライアス1(Dryas I)に相当します。さらに、この期間のエラッラ洞窟におけるヒトの動物に依存した食性は、7.0%のシベリアアカシカ(Cervus elaphus)に対するスペインアイベックス(84%)の優勢を示唆します。

 さらに、イヌ科の上腕骨は第5層の下部で見つかりました。具体的には、エラッラ遺跡は単層として知られる細かい層序単位で発掘されました。第5層には8点の単層があり、単層17(第4層と隣接する上部)から単層24(その下部で、第6層と隣接)で構成されています。イヌ科の上腕骨は単層22で見つかりました。第5層の3つの年代測定が、層全体に散在するさまざまな骨の一式で行なわれました。その値は、15740±240年前と16200±240年前と16270±240年前で(いずれも非較正)、バスク州とカンタブリア地域における他の遺跡の下部マグダレニアンの年代測定と一致します。以下は本論文の図2です。
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 1985年の研究では、このイヌ科の上腕骨はイヌ属種(Canis sp.)と分類され、バスク州と他のヨーロッパ地域の22点の先史時代のオオカミおよび現在のオオカミの上腕骨と比較されました。エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨は、他のどの上腕骨よりもかなり小さい、と示されました。エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨はバスク州にその頃存在した他のイヌ科、つまりドール(アカオオカミ)とも比較されました。その測定値はひじょうに類似していましたが、破片の形態はドールよりもイヌに近い、と示されました。1994年の研究では、当時の著名な動物考古学者にこの破片が見せられ、イヌとみなされました。しかし、この決定は完全に確実ではありませんでした。2005年の研究では、このイヌ科の骨は形態に基づいてイヌに分類されました。さらに、1985年の研究の再調査の結果、エラッラ洞窟第5層の3つの年代測定の較正値が計算され、較正年代で紀元前17500~紀元前17000年頃(較正年代で19000年前頃)の上限年代が提案されました。これらの年代は、家畜化されたイヌにしては古すぎると考えられたためか、いくつかの論文では誤って引用されています。

 本論文は、エラッラ遺跡の下部マグダレニアン層のイヌ科の上腕骨を調べ、旧石器時代と中石器時代のイヌ遺骸が得られてきたヨーロッパの遺跡群の批判的再調査を行ないます。バスク州ではこれまで、マグダレニアン層で家畜イヌ科として分類された遺骸は他にありません。バスク州ギプスコア県オニャティ(Oñati)のアントン・コバ(Anton Koba)遺跡(図1の15)で回収されたイヌのような、アジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)由来の遺骸がいくつかあります。バスク州の遺跡群の中石器時代層に分類される他のイヌ遺骸は確かに決定されているものの、その層序への帰属は不確実です。これが、そうしたイヌ遺骸が本論文で含められなかった理由です。さらに、これはエラッラ遺跡のイヌ科上腕骨の直接的なAMS炭素14年代測定と、種同定のための遺伝的分析を含む最初の研究で、これらの結果はヨーロッパにおけるオオカミの家畜化についての既存のデータの文脈で解釈されます。


●放射性炭素年代測定

 エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨の直接的なAMS炭素14年代測定(Ua-56946)は、14221±48年前(較正年代で17410~17096年前頃)でした(図3)。この上腕骨の年代測定結果はマグダレニアン期に相当します。これは、この上腕骨が発見された層序状況と一致し、考古学的には下部カンタブリア・マグダレニアン層と定義されました。この上腕骨の直接的な年代測定は、層全体に散在する動物遺骸の年代測定に基づいて確立された、考古学的層序により区分されていた時間的範囲を縮小します。以下は本論文の図3です。
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●形態計測分析

 エラッラ遺跡で回収されたイヌ科の上腕骨は驚くべき保存状態を示したものの、上腕骨頭に相当する上端が欠けています(図2)。この上腕骨について、貴重な骨を保存し、形態計測分析を可能とするデジタル復元を提供するため、三次元再構築が実行されました。エラッラ遺跡のイヌ科上腕骨の主要な測定値は、最小骨幹幅が14mm、遠位幅(Bd)が34.5mm、遠位の厚さが23.5mmでした。遠位幅は、大型哺乳類で国際的に使用される骨測定方法論なので、本論文では強調されます(図4)。以下は本論文の図4です。
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 図4では、エラッラ遺跡のイヌ科上腕骨の遠位幅(34.5mm)が、バスク州のマグダレニアン期と中石器時代両方のオオカミ(42.4±1.26mm)、およびヨーロッパのヴュルム(Würm)期オオカミ(42.1±2.24mm)の範囲外にある、と示されます。しかし、エラッラ遺跡のイヌ科上腕骨は、ヨーロッパ北部の中石器時代のイヌ標本(32±4.63mm)の変異内に収まります。イヌ属とドール属との間の形態計測の差異に関して、上腕骨の水準ではほぼ感知できません。ドール属については中位・遠位方向でより発達した内側上顆が記載されていますが、エラッラ遺跡のイヌ科上腕骨の事例では、これらの形態学的特徴に関して区別は観察されませんでした。


●種同定

 エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨のmtDNAが解析され、シトクロムb遺伝子の配列決定から、ドールではなくイヌと同定されました。さらに、mtDNAのDループ領域が配列決定され、mtHgが決定されました。T15611CとT15639GとT15650Cの多型の識別で、曖昧さはありませんでした。これらの多型は、以前の研究に従うと、mtHg-Cに相当します。その研究では、古代と現代のオオカミとイヌのミトコンドリアゲノムのデータを考慮して、イヌのミトコンドリアゲノムの系統発生の命名法が提案されました。Dループの分析は、エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨がイヌに分類されることを再確証します。


●炭素14年代測定

 エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨で得られた年代測定と他の古代のイヌの年代測定を文脈化するため、マグダレニアンと続グラヴェティアンと続旧石器時代のヨーロッパの遺跡群の炭素14年代測定の再調査が実行されました。遺跡間の年代測定の比較を可能とする目的で、現在の研究で計算された較正値も組み込まれました。それは、一部の研究者が非較正の年代測定を、他の研究者は較正された現在から何年前かという年代を、さらに他の研究者は紀元前の年代を示すからです。さらに、較正された年代測定は、常に同じ較正曲線が使用されたわけではなかったので、真に比較できるわけではありませんでした。本論文で較正された値はIntCal20曲線(関連記事)のOxCal4.4ソフトウェアを用いており、紀元前ではなく現在(紀元後1950年が起点)から何年前かを示します。

 この再調査で言及されているイヌ科遺骸のあるヨーロッパの15ヶ所の遺跡のうち、6ヶ所ではイヌの骨で直接的に、8ヶ所ではイヌ科遺骸の見つかった層で炭素14年代測定が行なわれ、フランスのモンテスパン(Montespan)遺跡(図1の24)だけが、コラーゲンの量が不充分だったため、炭素14年代測定がありません(表2)。イヌ属遺骸のほとんどは形態学的にイヌと確証されましたが、3ヶ所の遺跡には、イヌにのみ分類されるものの、そうとは確証されなかった骨があります。他の遺跡では、イヌは遺伝的もしくは形態学的にドール属とは異なっていました。それにも関わらず、パグリッチ洞窟では、12点の骨のうち2点だけ(1点は第5層aの脛骨、もう1点は直接的に年代測定された第4c層の中足骨)が、形態学的および/もしくは遺伝学的にドール属と異なっていました。さらに、一部の遺骸には年代測定と再年代測定と較正の複雑な歴史があります(表2)。

 表2には、エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨のこの研究での直接的な年代測定(Ua-56946)が、この上腕骨が発見された第5層の以前の年代とともに示されています。バスク州では、形態学的に確証されたさまざまなイヌ遺骸がありますが、アジリアン層への帰属は不確実です。アントン・コバは、11800±330年前と11700±180年前との間に年代測定されたアジリアン層への確実な帰属のある、これまでで唯一の遺跡です。この骨は、各骨遺骸の最小重量(5g)と、とくに考古学層における種の発見というバスク政府の文化遺産部門により課せられた制約のため、まだ遺伝的に分析されていません。

 マグダレニアン期となるフランスのアブリ・レ・モラン遺跡と、イタリアのパグリッチ洞窟の続グラヴェティアン期となる第4c層には、エラッラ遺跡の後ではこれまでで最古となる年代測定があり、マグダレニアン期となるスイスのケスラーロッホ(Kesslerloch)遺跡(図1の21)およびドイツのボン・オーバーカッセル遺跡(図1の5)と近い年代です。ケスラーロッホ遺跡では直接的な年代測定が得られており、以前の研究で較正が行なわれましたが、さまざまな較正がイヌの遺伝的研究で報告されました。ボン・オーバーカッセル遺跡のイヌは、さまざまな研究で年代測定されました。この遺跡の以前の再調査により、紀元前12290~紀元前12050年前という加重平均年代測定が得られました。最後に、第6の直接的に年代測定されたイヌは、続旧石器時代となるフランスのポント・ド・アンボン(Pont d’Ambon)遺跡で発見されました。他のマグダレニアンおよび続旧石器時代遺跡は、さまざまな動物および炭遺骸の両方に由来する間接的な年代測定しかありません。

 上部旧石器時代および続旧石器時代のイヌの文脈では、エラッラ遺跡のイヌの直接的な年代測定分析から、この遺骸がこれまでで最古となる刊行された年代になる、と示唆されます。エラッラ遺跡のイヌ遺骸は下部カンタブリア・マグダレニアンに属し、下部ドライアス1(最古のドライアス)の寒冷気候が優勢な考古学的層で見つかりましたが、他の言及されたイヌは上部マグダレニアンか最終続グラヴェティアンか続旧石器時代に由来し、亜間氷期のボーリング-アレロード(Bølling/Allerød)およびドライアス3(ヤンガードライアス)に属します。


●マグダレニアン期と中石器時代のmtDNA配列の中央結合ネットワーク

 エラッラ遺跡とボン・オーバーカッセル遺跡とケスラーロッホ遺跡で構成されるマグダレニアン期、パグリッチ洞窟で構成される続グラヴェティアン期、ポント・ド・アンボン遺跡とドイツのカルトシュタイン(Kartstein)遺跡(図1の25)とケスラーロッホ遺跡で構成される続旧石器時代、中石器時代のヨーロッパのイヌのmtDNAデータから、mtHg-Cはこれらの期間における主要なハプログループだったものの、一部の中石器時代のイヌはイタリアのイヌ1個体のBやポルトガルのイヌ5個体のAなど他のmtHgだった、と示されます。マグダレニアン期と続旧石器時代と中石器時代のヨーロッパのイヌのmtHg間の関係を決定するため、中央結合ネットワーク(Median-Joining Network、略してMJN)が実行されました(図5)。この分析では、mtDNAのDループの部位15495と15900との間に含まれるヌクレオチドの情報が考慮されました。以下は本論文の図5です。
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 マグダレニアン期と続グラヴェティアン期と続旧石器時代のイヌは、エラッラ遺跡のイヌ(図5の青色)を含めて、mtHg-Cの特徴的な多型を示すので、中石器時代のヨーロッパのイヌとともに同じ分岐点を共有します。その中石器時代のヨーロッパのイヌとは、ポルトガルのムージェ(Muge)のカベコ・ダ・アルーダ(Cabeço da Arruda)遺跡(図1の28)の1個体と、ルーマニアのイコアナ(Icoana)遺跡(図1の29)の4個体です。MtHg-Cはルーマニアのイヌ2個体に対応するもう2つのハプロタイプを有しており、それは続旧石器時代のクイナ・トゥルクルイ(Cuina Turcului)遺跡(図1の27)と中石器時代のオストロヴル・コルブルイ(Ostrovul Corbului)遺跡(図1の30)です。中石器時代のイヌはより大きなmtHg多様性を有しており、それは、mtHg-Cとは別に、mtHg-Aがポルトガルのイヌ5個体で、mtHg-Bがイタリアのイヌ1個体で見つかったからです。


●考察

 エラッラ遺跡の下部マグダレニアン層で見つかったイヌ科の骨の分析において、1985年の研究は、形態計測データはこの骨がオオカミであることを除外する、と結論づけたものの、その大きさはドールと似ており、その種同定について疑問を呈しました。イヌ科の骨が発見された第5層全体に散在していた4組の骨の年代は、16270±240年前と15740±240年前の間でした(この研究で実行された較正では20223~18536年前頃)。この年代は、ドイツのボン・オーバーカッセル遺跡およびニーグロッテ(Kniegrotte)遺跡(図1の16)やスイスのテウフェルスブリュッケ(Teufelsbrücke)遺跡(図1の18)といったそれまでに同定された最古級のイヌの年代測定より古かった、と示されました。イベリア半島北部の遺跡のイヌに関する1994年の論文では、このイヌ科の確実な決定が主張されました。その後、2005年の研究はこの同定に同意し、その上腕骨はイヌ属個体のものだ、と示唆しました。旧石器時代後期および中石器時代のイヌとオオカミの文脈におけるエラッラ遺跡の上腕骨の遠位幅の比較(図4)も、上述の評価と一致します。

 AMS炭素14年代でのエラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨の直接的な年代測定(較正年代で17410~17096年前頃)は、この骨が発見された第5層の年代測定と一致します(表2)。年代順の不一致は、エラッラ遺跡が1985年に研究された時に用いられた方法論が現在の年代測定方法論ほどには発達していなかった、という事実に起因します。さらに、当時の方法論では層全体からの大量の骨が必要でした。本論文はエラッラ遺跡のイヌの年代についての不確実性を終わらせ、年代順の文脈で確証します。

 エラッラ遺跡のイヌ科の上腕骨で行なわれた遺伝的分析から、200塩基対にわたるシトクロムb遺伝子の配列はイヌ属のものと一致し、ドール属のものとは一致しない、と示唆されます。その確率は、イヌ属の配列と90%超の一致でした。シトクロムb遺伝子の断片から得られた遺伝的情報に加えて、mtDNAのDループの181塩基対の断片の変異分析により、エラッラ遺跡の上腕骨を99.6%の確率と98%の同一性でイヌ種に分類できました。同様に、エラッラ遺跡の上腕骨から回収されたmtDNA配列は、これまでに分析されたマグダレニアン期ヨーロッパのイヌを含むクレード(単系統群)であるmtHg-Cに相当します。したがって、mtDNA分析から、エラッラ遺跡の上腕骨はmtHg-Cのイヌに属する、と示唆されます。

 これまで、スイスのケスラーロッホ遺跡とドイツのボン・オーバーカッセル遺跡とイタリアのパグリッチ洞窟第4c層の上部旧石器時代(マグダレニアン期と続グラヴェティアン期)の3点のイヌのみが、二重の基準、つまり形態計測と遺伝学によって同定されてきた一方で、他のマグダレニアン期と続グラヴェティアン期のイヌは、形態計測基準のみで同定されてきました。具体的には、フランスのアブリ・レ・モラン遺跡、スイスのハウテリヴェ・チャンプレヴェィレス(Hauterive-Champréveyres)遺跡(図1の17)、フランスのレ・クロシュー(Le Closeau)遺跡(図1の20)とモンテスパン遺跡、イタリアのパグリッチ洞窟第5a層です。最後に、ドイツのエールクニッツ(Ölknitz)遺跡(図1の19)やニーグロッテ遺跡とスイスのテウフェルスブリュッケ遺跡など、いくつかの遺跡のマグダレニアン期のイヌ科遺骸がイヌに分類されてきたものの、疑いなく確証されてきたわけではありませんでした。エラッラ遺跡の上腕骨に関するこの研究は、形態計測と遺伝学両方の基準で、この上腕骨をマグダレニアン期ヨーロッパのイヌの稀な集団内に含めることができました。したがって、この上腕骨を他のあり得る属に分類することは破棄され、オオカミの形態計測の変異内に含まれることもありません。

 エラッラ遺跡の上腕骨の年代測定は、これまでに見つかった上部旧石器時代のイヌの年代測定のうち最古となります。これまでの較正年代は、マグダレニアン期のイヌでは、アブリ・レ・モラン遺跡が15114~14237年前頃、ケスラーロッホ遺跡が14286~13975年前頃、ボン・オーバーカッセル遺跡が14240~14000年前頃で、続グラヴェティアン期のイヌでは、パグリッチ洞窟第4層が14372~13759年前頃です。さらに、エラッラ遺跡のイヌの年代は、エリゼーヴィッチ1遺跡(17000~13000年前頃)やメジンおよびメズヘリッチ遺跡(15000~14500年前頃)やウラハーン・スラー遺跡(較正年代で17200年前頃)といった「イヌ的なオオカミ」の一部の標本よりも古いか、同じくらいです。一部の「イヌ的なオオカミ」とエラッラ遺跡のイヌとの年代の一致は、オオカミの家畜化過程についての新たな議論の道を開きます。オオカミの家畜化過程では、いわゆる「イヌ的なオオカミ」がさまざまな年代にユーラシアのいくつかの場所で起きた可能性のある家畜化前の段階だったかもしれません。しかし、「イヌ的なオオカミ」はイヌの先祖ではありえない、と主張する研究者もいるものの、この議論はさらなる遺伝学的証拠で取り組まれるべきです。

 エラッラ遺跡のイヌのmtDNAの年代とデータから、すでに下部マグダレニアン期に存在したmtHg-Cに属するヨーロッパ西部のイヌ系統が少なくとも1つあった、と示唆されます。これまでに分析されたマグダレニアン期と中石器時代のイヌのほとんどは同じmtHgを共有しており(図5)、例外はmtHg-Aのポルトガルの一部の中石器時代のイヌです。これらの結果から、続旧石器時代と中石器時代におけるマグダレニアン期狩猟採集民のイヌ集団における連続性があったかもしれない、と示唆されます。

 さらに、エラッラ遺跡のイヌに関するこの研究は、オオカミの家畜化の起源の年代に関する議論に寄与するかもしれません。それは、古遺伝学の結果と現代のイヌ科の遺伝的データから推測される結論との間に一致がないからです。したがって、17000~10000年前頃など、オオカミからのイヌ系統の分岐について提案された年代の一部は、41500~36900年前頃の年代を提案した古遺伝学的研究の年代(関連記事)とは異なります。この点で、エラッラ遺跡のイヌの事例のようなマグダレニアン期における家畜標本の存在は、現在の遺伝的データに基づく一部の推測が新しすぎる年代を提供している、と証明します。したがってこれは、変異率を較正し、イヌ系統の年代についてより正確に推定するための、古代DNAデータの重要性を示しています。

 これまでに分析されたマグダレニアン期のイヌを含むmtHg-Cクレードの起源は、古遺伝学的研究ではヨーロッパにおいて24000~16000年前頃の期間にさかのぼり、これは最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)と一致します。同様に、一部の遺伝学的研究では、イヌ系統の個体数がその頃に増加した、と示唆されています。さらに、ヨーロッパ狩猟採集民のイヌの元々の集団はほぼmtHg-Cだっただろう、と提案されてきました。したがって、較正年代で17000年前頃となり、mtHg-Cであるエラッラ遺跡のイヌは、オオカミの家畜化の起源におけるLGMの重要性を浮き彫りにします。氷期の退避地で起きた個体数の変化と密度の増加は、家畜化過程を促進した可能性があり、それは気候危機のこの段階におけるヒトと野生種との間の相互作用の強化を通じて、もっと早期に始まったかもしれません。

 結論として、これまでに分析されたデータから、マグダレニアン期において家畜イヌはヨーロッパ西部狩猟採集民集団の一部だった、と示唆されます。エラッラ遺跡のイヌ(較正年代で17410~17096年前頃)は、イヌと同定された最古の標本の1つで、これまでに分析されたマグダレニアン期のイヌとmtHg-Cを共有しています。これらの調査結果から、このmtHg-Cはヨーロッパにおいて少なくとも下部マグダレニアン期以降、前期ドライアスに存在した、と証明され、少なくともヨーロッパ西部では、これまでに提案された年代より古い、オオカミの家畜化の可能性の検討へとつながります。


参考文献:
Hervella M. et al.(2022): The domestic dog that lived ∼17,000 years ago in the Lower Magdalenian of Erralla site (Basque Country): A radiometric and genetic analysis. Journal of Archaeological Science: Reports, 46, 103706.
https://doi.org/10.1016/j.jasrep.2022.103706

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