大相撲九州場所千秋楽

 今場所は一人横綱の照ノ富士関が初日から休場となり、場所前はここ数年すっかり恒例となった混戦を予想していましたが、予想通りの混戦となりました。近年では、もはや番付を考えると荒れることが常態となりましたが、驚きはなく、競技としての側面では楽しめるので、まあこうした混戦も悪くはない、と思います。ただ、大相撲文化の根底にある番付の機能低下が著しいとも言えるわけで、私はかなり保守的な人間で秩序を重視することが多いだけに、できるだけ早く「荒れない」ことが常態になってもらいたい、との希望もあります。ただ、後述しますが、これはなかなか万人が納得できないような問題を秘めており、解決は難しいように思います。

 14日目を終えて、優勝争いは2敗の高安関を3敗の貴景勝関と阿炎関が追いかける展開となりました。千秋楽は、まず高安関と阿炎関が対戦し、阿炎関が突き倒して勝ち、優勝決定戦となりました。勝負弱い高安関ですが、この一番は緊張して力を出し切れなかったこともあるかもしれないものの、それよりは、阿炎関が上手く取った、という感じです。高安関には13勝の壁があり、今場所もそれを超えることができませんでした。貴景勝関は結びの一番でこのところ4連敗中の若隆景関と対戦し、途中で引いて危ないかな、と思ったところもあるものの、はたき込みで勝ち、1994年春場所以来久しぶりの巴戦となりました。巴戦では、まず高安関と阿炎関が対戦し、阿炎関が立ち合いに変化して勝ち、高安関は土俵上でしばらく動けず、貴景勝関が阿炎関に勝っても相撲を取れるのか、懸念されました。続いて、阿炎関と貴景勝関が対戦し、阿炎関が一方的に突き出して勝ち、初優勝を果たしました。貴景勝関は、結びの一番が熱戦だったため、余力がなかったことも大きかったように思います。阿炎関は現在の力関係では勢いに乗れば優勝しても不思議ではなく、私にとってさほど意外な結果ではありませんでした。ただ、阿炎関は安定して好成績を残すような取り口ではないと思いますので、大関に昇進することはないでしょう。

 高安関は、大関時代の力を取り戻したというよりは、上位が故障や加齢などで引退するか力が落ちていった状況で、相対的な実力が全盛期に近づいて、2場所連続で優勝争いできるような成績を残せるようになった、と言うべきで、少子高齢化により以前よりも全体的な水準が落ちているのだと思います。玉鷲関の先場所の優勝も、そうした文脈で解すべきなのでしょう。とはいえ、高安関が、大関から陥落し、平幕で勝ち越せなくても諦めず、番付を戻して2場所連続で優勝争いに加わったことは、もう32歳であることを考えると、賞賛すべきだと思います。

 横綱の照ノ富士関は膝を手術して初日から休場となり、復帰できても、横綱昇進前後のような強さを見せることは厳しいでしょうし、優勝は難しいかもしれません。ただ、横綱にすぐ昇進できそうな力士がいないので、照ノ富士関が引退をなかなか決断できないような状況に追い込まれるのではないか、と懸念されます。先場所大関から陥落した御嶽海関は6勝9敗と負け越して大関に復帰できず、これまで危機的状況からたびたび角番を脱してきた正代関は6勝9敗と負け越し、ついに大関から陥落となりました。正代関は開き直れば、来場所10勝以上で大関に復帰できるかもしれませんが、その可能性は低いように思います。

 これで来場所は1横綱1大関となり、照ノ富士関が番付上は大関を兼ねることになりますが、照ノ富士関が来年引退しても不思議ではないだけに、大関以上が1人だけになる状況も現実的と言えるでしょう。そうすると、番付上はどのような処置になるのでしょうか。大関昇進の足固め、優勝すれば一気に大関昇進も考えられた若隆景関は、8勝7敗と何とか勝ち越しましたが、まだ大関昇進には物足りないところがあるのは否定できません。

 私が若隆景関よりも大関に近い、とずっと評価していた豊昇龍関は、終盤に先頭に立ち、まだ力不足なところはあるものの、ついに覚醒したかな、と思ったら、そこから3連敗となり、11勝4敗に終わりました。豊昇龍関は終盤には緊張していたように思われ、やはり初めての優勝争いはかなりの重圧だったのでしょう。ただ、今場所の優勝争いは豊昇龍関にとって貴重な経験となったでしょうし、来年のうちに大関に昇進する可能性は低くないように思います。照ノ富士関が現役のうちに豊昇龍関が大関に昇進するよう、期待しています。

 こうした状況を、若手が伸び悩んでいるとして、だらしないと考える相撲関係者や愛好者は少なくないかもしれませんが、少子高齢化で以前よりも新弟子の素質が劣っているのだとしたら、高齢の関取が幕内で活躍していることも頷けます。また、以前よりも八百長が激減しているのだとしたら、大関に昇進するような成績を残すことは難しくなっているでしょうし、当然ながら横綱昇進はそれ以上に難しいわけです。八百長が横行していた時代の基準を若手力士に求めてだらしないと言うのは、公平ではないでしょう。

 正直なところ、八百長なしで1場所15日間(関取)、年間6場所は肉体的にかなりきついと考えるべきで、それで八百長が横行していた頃の大関や横綱に相応しい安定した成績を要求するのは酷ではないか、とも思います。ただ、1場所の日数や年間の場所数を減らせば、相撲関係者の待遇も悪くなるわけで、ますます身体能力の高い若者が入門してこなくなるでしょうから、何とも難しい問題だとは思います。現役時代に八百長をしなかった、と自負している元力士が、ひたすら八百長撲滅を叫び、真剣勝負ならば客を呼べる、というようなことを正論として主張することには、かなり違和感があります。だからといって、八百長が横行してよい、というわけでもないのが、難しいところです。

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